た何本もの影をさしのべて、昼をまさぐっていた。彼が見まもるう 炭素の透明な薄片は、実験室の高圧炉の産物としか考えられない。 母がニコラスにそれをやるといったとき、相手の男はひどく怒ったちに闇はひろがり、長い首をした、赤に近いほど濃い。ヒンク色の鳥 長い脚をひいて、空を渡っていっ の群れが、翼で十字架をつくり、 「ね、きれいじゃないこと、ニッキー ? 」 「あれはフラミンゴという鳥さ」アイランド博士が、彼の視線のゆ 卵は二人のあいだの無重力の中にうかび、香水の匂う母の手袋の くえを追いながらいった。「きれいな言葉だろう ? きれいな鳥に 記憶とともに、ゆっくり回転していた。 ふさわしいけれど、もしあの鳥にスズメという名がついていたら、 「花はシモッケソウと、ハクセンと、スズランと、コケ・ハラよ でも、おまえに見わけがっかなくてもむりはないわね、坊や」母はそれほど好まれなかったかもしれないよ、ね ? 」 母がいった。「やはり持ってかえって、おまえのためにだいじに 火星の道より内側へは行ったことがないのに、少女時代を地球で すごしたようなふりをするのだった。そのことで母が嘘をつくたびとっておくことにするわ。あんまりすてきで、小さな男の子にあず けるのはもったいないもの。でも、もし家に帰ってくれば、これは ニコラスは言いようのない憤ろしさと恥ずかしさをおぼえた。 つでもおまえのものよ。おまえの化粧だんすの上の、ヘア・フラシ 卵は約二十センチの長さがあり、彼の頬に感じられる脈が八つあまい り打つあいだに一度のわりで、ゆるやかに回転していた。面会時間のそばにおいときますからね」 ニコラスはいった。「言葉なんて、頭がこんがらがるだけさ」 の残りは、二十三分もあった。 「そんなに言葉を見くびってはいけないよ、ニコラス。言葉にはそ 「おまえ、ちっとも見ようとしないのね」 れ自体の非常な美しさがある上に、緊張をやわらげるにも役立つ。 「ここからでも見えるよ」彼は母をなっとくさせようとっとめた。 「すみからすみまで見えるよ。あの小さな赤いのは、酸化アルミニきみもその恩恵をうけるかもしれない」 「つまり、口先で自分をごまかすってことか」 ウムの結晶た、そうだろ ? 」 「たとえひとり言でも、自分の感情を言葉にあらわす能力があれ 「ママがいうのはね、ニッキー、中を見なさいってこと」 という意味だよ。 ば、感情に圧しつぶされすにすむかもしれない、 そういわれて、彼は卵の一端にレンズがはまっているのに気づい た。水仙の花の奥にたまった露のしずくになそらえてある。彼はそ = コラス、進化はわたしたちにこう教えている。言語の元来の目的 は、人間の脅しゃ呪い、神々にうち勝つまじないを、儀式化するこ っと卵を両手にかかえ、片目をつむってのそきこんでみた。内部の 光は、彼がなかば予想したような金色でなく、眩しい白色で、どことだった。コミ、 = ケーションは、そのあとにやってきた。言葉は か隠れた光源からさしていた。地球をかたどったにちがいない世界一つの安全弁の役を果たすんだよ」 ニコラスはいった。「おれは爆弾になりたい。爆弾には安全弁は が一つ、ちょうど月の軌道の内側から眺めたような感じで、そこに 「あれは南アメリカかい、ママ ? 」 輝いているーーー藍色の海とエメラルドの陸地。すきとおった紅茶色要らないや」母にむかって 、え、インドよ。左がマラ・ハル海岸、右がコロマンデル海岸、 の川が、広い平野を流れている。 下がセイロン」言葉、言葉。 母がいった。「きれいでしよう ? 」 隅のほうには夜の陰気な紫がたれこめ、つめたく愛らしい腕に似「爆弾は自分を破壊するよ、ニコラス」
暗闇と隠されたあまたの謎も重くのしかかってぎたが、それ以上にれながらも、まだ続いているうちに、ノートンは通信センターに駈 不安にさせたのは静寂であった。音の欠落というのは、自然な状態けつけていた。 ではないのだ。人間の五感は、常に入力を要求する。それを奪い取「〈軸端司令部〉 ! 何が起ったんだ」 スキツ・、 られると、心は自らその代用品を作りだしてしまう。 「ちょっと待ってくたさい、艦長。〈海〉際の上室です。ライトを というわけで、眠りにつこうとすると、奇妙な騒音ーーーそれどこ当ててみます」 ろか人声が聞える、という苦情がさかんに出たーーー起きている者に 八ャロ頭上のラーマの軸端部から、サーチライトが光を平原に投 は何も聞えないのだから、これは明らかに幻聴であった。アーンスげて進ませ始めた。光は〈海〉べりに到達すると、今度はそれに沿 ト軍医中佐は、そこでじつに単純で効果的な治療法を処方してやっ って進みだし、世界の内側を走査していった。円筒形の表面を四分 た。睡眠時間中はいつも、優しい静かなバックグラウンド・ミ の一ほど行ったところで、光はびたりと停止した。 ジックがキャンプ中に流れるようにしたのだ。 空中ー・ーあるいは、心がいまだにしつこく空と呼びたがっている だが、今夜はその治療法が、ノートン中佐には邪魔だった。かれものーー高く、何か異常なことが起りつつあった。はじめノートン は暗闇に向って耳をそばだてつづけ、自分が何を聞きとろうとしてには、〈海〉が沸騰しているように見えた。もはやそれは、永遠の いるのかもちゃんとわかっていた。だが、かすかな微風が時おり顔冬に抱きこまれて静止も凍結もしてはいなかった。さしわたし何キ をなぶることはあっても、遠方に風の立っ音ではないかと疑えるよ ロメートルにもわたる広大な海域が、荒れ狂っていた。それは刻 うな物音は、まったく聞えてこなかった。それに、どちらの探検隊刻、色を変えていた。幅の広い白い葉が、氷の上を押し進んでいく のだ。 も異常な気配ありという報告を寄こさなかったのである。 とうとう艦内時間で真夜中ごろ、かれは眠りについた。緊急連絡突然、一辺が四分の一キロほどありそうな氷の板が、さながら扉 に備えて、通信コンソ】ルには常時、当直員がついていた。それ以が開くように、上向きに傾き始めた。ゆっくり堂々と、それは空中 上の警戒措置は、必要ないように思われた。 に聳え立っと、サーチライトを浴びて、ぎらりきらりと輝いた。そ かれはもちろん、キャンプ中の人間をたった一瞬で叩き起したそれから、滑るように水面下へ没していって、その水没地点から八方 の音は、たとえハリケーンであろうと出せなかったであろう。まるヘと、泡立つ高波がどんどん広がっていった。 で天が落ちたかと、あるいは、ラーマが真っ二つに裂けたかと思え そのときになってようやく、ノートン中佐は何がいま起りつつあ るほどの音であった。まず、ぐわーんというつんざくような破裂音るのかを、完全に悟った。氷が割れているのだ。この何日か何週間 が轟き、ついで、百万個の温室が砕けるような、がしやがしゃんとか、〈海〉は遙か底のほうから溶け始めていたのだ。破壊音がまだ いう崩壊音が、長い尾を引いて連続的に起った。それは数分間続い世界中に轟き、空中に谺し合っているので、なかなか精神集中をす たが、感じでは何時間にも思えた。それが遠方へ遠ざかるように薄るのは難かしかったが、かれは懸命に、これほど劇的な異変を生じ インブット ュ 4
~ な文学もまずそこから出発したにちがいな機会を持 0 ている。 し、しろいろと 「嘘でもないらしい」と思、 素朴で、力強い、知ることと謳うこと その経緯はマガジン一九六〇年十一話をした末、橘外男、香山滋なども訪ねて の喜びを持っているのだ。 月号の〈赤げつと〉や『入門』のみたらどうかとすすめた だからこそ、スペ 1 ス・オペラは、決し〈コンヴェンション〉の中で詳しく語 このとき、矢野徹二十九歳。戦後間もな て死んでしまうことがないのである。いやられているが故江戸川乱歩氏も旧『宝石』くの頃からの熱は、この渡米をきっか ・むしろ、がさまざまの理由から頭打ちの昭和二十八年 ( 一九五三 ) 八月号の〈科けにしてますます昻じミュージカルや 】現象を起こし、力を喪おうとするとき、必学小説の鬼〉 ( のちに『続・・幻影城』〔昭和地方新聞の連載、翻訳などをやるよう ・ず不死鳥のように復活してくる。そしてそ二十九年刊〕に収録 ) の中で触れている。 になった。そして一九五五年 ( 昭和三十年 ) 、れは、ヤングの読者たちだけでなく、「一月ほど前突然神戸から一人の青年が訪には、星新一、柴野拓美、斎藤守弘などと ・全体に、一種の分析困難なエネルギーを励ねてきた。青年といっても、或る会社の社『宇宙塵』をつくった。 . 起するのであろう」 員で、英語ができるので、渉外の仕事をし ほくが矢野徹を知ったとき、彼は某住宅 にもかかわらず、ぼくはついにこの時点ている人のようであった。実は ( 中略 ) 明会社の宣伝部の出版課長をしていた。たし ・ではいわゆるスペース・オペラの導入に踏日横浜からの船でアメリカへ立つのですか星新一が、早川書房に彼をともなって来 み切ることはできなかった。そのかわりぼ が、立つ前に、日本のその方面の方々に会て「をやるのならこの人を知らなけれ ばダメだ」というような印象的な紹介のし くは、そうした要素を持ちながら、同時って、よくお話を伺っておこうと考えてい に、現代へのつながりも持っている作たのです。 ( 中略 ) 私はアメリカの科学小 かたをしてくれたのを思いだす。 品を、三〇年代、四〇年代のの中から説同好クラ・フから招かれて二カ月各地のク彼はそのアメリカ界漫遊記〈赤 選ぶことにした。それは、ある意味では、 ラ・フを廻ってくるつもりです。それに・つい げつと〉を皮切りに、マガジンのレギ 、泥田の中をかきわけるに似た作業だった。 て、向うの会合で、日本の科学小説の現状ュラー寄稿家の一人となった。主に翻訳だ 〈そして、この作業にあたって、最も協力しについてスビーチするよう頼まれていますったが、彼はアメリカから持ち帰った厖大 てくれたのは、翻訳家矢野徹であった。 ので、何か材料になるお話を伺いたいのでな雑誌、ペー ー・ハック類を、惜しげ 矢野徹は、当時の日本のアディクト す、という話であった」 もなくマガジンのために提供してく ・たちの中で、最も古いキャリアを持ってい 乱歩氏は、この青年ーーっまり矢野徹のれ、本業を犠牲にしてまで、翻訳に精出し ・た。彼は、昭和二十八年 ( 一九五三 ) アメ突然の訪問と、そのかなり突飛な話に、だてくれた。また、それまでに読んだ無数の リカではミスタ・ g.* として知られるフォ いぶ面喰らったようだ。アメリカ探偵作家のうちから、ぼくの注文に応じて、数 レスト・アッカーマンに招かれてロサンジクラブにはとても日本人を招待するような多くの作品を推してくれもした。 = ルス ( 第六回太平洋岸大会 ) とフィ資力はないが、の方はなかなかの金持彼を勤め先の住宅会社に訪ねると、仕事 ~ ラデルフィア ( 第十一回世界大会 ) ちらしい、と書いている。しかし矢野徹かを抛りだして迎えてくれるのが常だった を、日本人ファン第一号として訪れるら、アメリカからの手紙などを見せられてが、出版課長席というのは、広い事務室の
させた原因を考えだそうとした。地球上で凍った湖や河が溶けだす〈軸端部〉のサーチライトは、走査を続けながら世界をぐるりと一 場合とは、まったく様子が違う : 周した。目覚めた〈海〉は、確実に鎮まっていき、もはや転覆した だが、それは当然だ ! 現実に起ったのだから、もうまぎれもな浮氷から、沸き返る白い泡が八方に広がることもなくなった。さら 〈海〉は、ラーマの外壁を太陽熱が滲透するにつれて、下からに十五分で、波乱はだいたいおさまった。 溶けていく。そして、氷が水に変わると、その体積は減少する : ・ だが、ラーマはもはや静かではなかった。それは眠りから醒め そこで〈海〉は、上方の氷層より下に沈んで、氷の支えを取っぱて、氷塊同士がたえす衝突しては、ぎりぎりと軋む音が聞えた。 らうことになった。日一日と、その緊張は増大し、ついにいま、ラ春の訪れはまだ少し先だがーーと、ノートンは考えた・・ーーともか 1 マの赤道を一周している氷の帯が崩壊を始めたというわけだ。ちく冬は終ったのだ。 ようど中央の橋げたを失った橋のように。氷は何百という浮かぶ小 そして、またもやそよ風が、以前よりも強く吹いていた。ラーマ 島に分解し、それが互いに押し合いへし合いしているうちに、これはもう充分警告を出していた。今こそ去るべき時であった。 また溶けていった。橇を使ってニューヨークへ行こうと、計画を練 っていたことを思いだしたとたん、 / ートンの血はさっと冷たくな 中間点を示す標識に近づきながら、ノートン中佐は今度も、上方 のーー下方もだが 眺めを隠している暗黒に感謝したかった。前 激動は急速におさまりつつあった。氷と水の攻防が、ひとまず膠途にはまだ、一万以上も段が続いていることがわかっていたし、そ 着状態に到達したのだ。あと数時間たって、温度がもっと上がれれが急勾配で上昇カーヴを描いているさまも思い浮かべることがで ば、水が勝利を収め、氷は跡かたなく消減してしまうだろう。しかきたが、それでも目に見えるのはそのほんの一部だけという事実 し、最後の最後には、やはり氷が勝利者になるのだ。ラ 1 マは太陽は、心理的負担をだいぶ軽くしてくれた。 を巡ったあと、再び恒星間の夜へと旅立つのだから。 かれにとっては、これが二度目の登攀で、一度目の失敗からすで ノ 1 トンはやっと息をつくことを思い出した。それから〈海〉に にいろいろ学んでいた。これほどの低重力下だと、ついもっと早足 近いほうの探検隊を呼んだ。安心したことに、ロドリゴ中尉は即座で登りたいという誘惑に強く駆られる。足運びがじつに楽なので、 に応答してきた。大丈夫、水はかれらのところまでは来なかったのゆっくりと一歩一歩を踏みしめながら行くのがひどく苦痛になるの だ。高波は断崖のふちを越えることはなかったのである。「これでだ。だが、それを怠ると、ものの数千段と登らぬうちに、不思議な わかりましたよ」と、かれは落ち着きはらって補足した。「なぜ断痛みが太腿やふくらはぎに起ってくる。存在すら知らなかったよう 崖が必要かってことがね」ノートンは黙ってうなずいた。だが、そな筋肉が、抗議の声をあげ始め、休憩時間を休むたびにだんだん長 れでもなぜ南岸の断崖は十倍も高いのか、ということの説明はつか くとっていかなければならなくなるのである。終点に近づくころに掲 ないな、とかれは考えた は、登る時間よりも休む時間のほうが長くなり、それでもまだ足り
一年後、ハワイの〈遠宇宙追跡ステーション〉を訪れた際に、か最後を遂げるまでは。 れはさらに忘れ得ぬ経験にめぐり合った。ケアラケクア湾に向う水通信軍曹は、指揮官が黙然とラーマの夜をみつめているあいだ、 中翼船に乗って、荒涼とした一火口壁のそばを迅速に走り過ぎなが辛抱強く待っていた。夜はもはや完全な闇ではなかった。なぜな ら、かれは胸の奥底が感動に揺さぶられるのを感じて、驚きもし、 ら、四キロほど離れた二地点に、探検隊のほのかな光点がはっきり 狼狽もした。ガイドが、科学者や技師や宇宙飛行士から成るかれのと見てとれたからだ。 一行を、一九六八年の″大津波〃で破壊された以前の記念碑に代え いざというときは、一時間以内でかれらを呼び戻せる、とノート て建立された、光り輝く金属の記念塔のところへ案内してくれたのンは考えた。それなら、たしかに問題はあるまい だ。かれらは真っ黒な滑りやすい溶岩の上を、数メートルほど歩き かれは軍曹のほうに向きなおった。「こう返電してくれ。〈惑星 なぎさ 渡って、渚は立っている小さな飾り板の前に立った。小さな波が打通信社〉気付〈ラーマ委員会〉宛。ご忠告を謝す。十全の警戒をと ち寄せてしぶきを散らしていたが、かがみこんで板面の文字を読むる。″突発″の文意、ご教示乞う。エンデヴァー号艦長ノートン」 ノートンの眼中には、ほとんど入らなかった。 かれは軍曹がキャンプの煌々と輝く照明の中へ消え去るまで待っ てから、再びレコーダーのスイッチを入れた。だが、思考の連鎖が 一七七九年二月十四日、ジェイムズ・クック船長はこの付近断ち切られたいまとなっては、もう前の気分に戻ることはできなか にて殺さる。 った。手紙をしたためるのは、またの時にするほかはない。 一九二八年八月二十八日、クック百五十年記念訪問団が最初かれが当然の義務を怠けているときに、クック船長が救けの手を の記念碑を献納。 差しのべてくれることは、減多になかった。だが、突然かれは、十 一一〇七九年二月十四日、三百年記念訪問団により再建さる。 六年間の結婚生活中エリザベス・クックが夫と一緒にいられたの は、気の毒にもごく時たまで、それもごく短い期間だけだった、と いうことを思い出した。それでも、彼女は六人も子供を産みーーそ あれはもう何年も前のことだし、一億キロも離れた場所の出来事 であった。しかし、このような瞬間には、クックの頼もしい存在の全員に先立たれてしまったのだ。 だから、光速度で十分以上はかからぬところにいるかれの妻たち が、すぐ身近かに感じられるのだった。心の奥深くで、かれはこう だって、不平をいう理由などさらさらないはすではないか : 訊ねるのが常であった。 「では、船長ーーーあなたのお考えは ? 」健全な判断を下すにたるだ けの事実がなく、もつばら直感に頼るほかない場合に、それはかれ 第十七章春来たる が楽しむ軽いゲ 1 ムなのだ。それはクックの才能の一部でもあっ ラーマに来て最初の何″夜″かは、なかなか寝つかれなかった。 た。かれはいつも正しい選択をやってのけたーーケアラケクア湾で 掲 3
いよいよ実のある探険に乗りだした矢先に、怯えた鼠みたい献を、手あたり次第に読み漁りだした。おそらくいまや、かれはこ にこそこそ逃げだすのも、ばかげている。 の史上最大の探険家に関する世界有数の権威であったし、その『航 ノートン中佐は髪を払いのけようと、片手をあげた。どういうわ海記』を隅から隅まで全部、暗誦んじているほどであ 0 た。 けか、また目の前に垂れかかったからた。そのとき、ポーズなかば たった一人の男があんな原始的な装備で、あれほどのことができ で、かれはぎくりと凍りついた。 たとは、いま考えても信じがたいように思える。だが、クックは類 この一時間のうちに、かれは数度、かすかな風の動きを感じてい いまれな航海者であっただけではなく、科学者でありーーー野蛮な風 た。あまりにかすかだ 0 たので、す 0 かり無視してしま 0 たのだ。潮の時代に生きたにもかかわらず・ーーヒー = ストであ 0 た。か けつきよく、かれはあくまで宇宙船の指揮官であ 0 て、海上船の船れは部下たちに慈愛をもって接したが、これは当時としては、異例 長ではないのだ 0 た。今の今まで、空気の動きなどには、これ 0 ぼのことだ。前代未聞であったのは、自分の発見した新天地の時とし 0 ちも職業的な関心を呼びさまされなか 0 たのた。このような状況て敵意を見せる野蛮人たちに対しても、ま 0 たく同じように振舞っ に置かれた場合、とうの昔に死んだあの以前の = ンテヴァー号の船たということである。 長たったら、どうするだろうか ? 決して叶わぬ夢とは知りながら、せめてクックのやった世界一周 ここ数年というもの、ノートンは危地に陥るたびに、その質問を航海の一つでも、 しいから、後をたどってみたいというのが、 / ート 自分にぶつけてきた。それは決してだれにも明かしたことのない、 ンの秘かな夢であった。かれとしてはすでに、局部的ではあった 胸のうちの秘密であった。しかも、人生における重要事がたいてい が、クック船長が知ったらさだめし目を丸くしそうな劇的な旅立 いつもそうであるように、この習慣は、まったくの偶然から始まっちを体験していた。かって一度〈グレート・・ ー・リーフ〉 オーストラリア北東岸 たのだ。 ) の真上を通る極軌道をとって飛んだときのこと に平行する大サンゴ礁 エンデヴァー号の艦長になってから最初の数カ月間、かれはそのだ。ある晴れた日の未明、かれは四百キロの上空から、クイーンズ みぎわ 名が歴史上もっとも有名な船の一つにあやかって付けられたものだ ランド海岸に平行して、白い泡を噛む汀にくつきり縁どられた、あ さんご とは、まったく気づかなかった。過去四世紀のあいだに、エンデヴの恐るべき珊瑚の壁の絶景を見おろしたのである。 アーの名をもっ船は、海で十数隻、宇宙でも二隻はいたが、その栄全長二千キロメートルの〈 リーフ〉を旅するのに、かれは五分足 えある初代は、大英海軍のキャプテン・ジェームズ・クックが一七らずしかかからなかった。あの初代エンデヴァー号が何週間も費や 六八年から一七七一年にかけて世界を乗りまわした、あの三七〇トした危険な航海の道筋を、一望のもとに見渡すことができた。さら ンのホイットビー運炭船である。 に望遠鏡を通して、かれはクックタウンと、同船が〈リーフ〉の虎 最初の軽い興味がたちまち熱狂的な好奇心ーーほとんど強迫観念口をあやうく逃れたあと、修復のため浜辺に引き揚げられた入江を、 といっていいようなー・ーに変貌して、ノートンはクックに関する文一瞥した。
たしかに私は不精な通信者だが、なにしろもう一週間も「きみは。 ( リや、そのほかすでに探険ずみの〈海〉のこっち側の町 船には帰ってないのでね。基幹定員以外には、全員、ラーマ内のア町 : : : ロンドン、ローマ、モスクワなどのビデオを見ただろう。あ れらの町が、住居の目的で建てられたとは、とうてい考えられな ルフアと命名した階段の下で、キャンプ生活をしているんだ。 、。。、リは、ばかでかい貯蔵倉庫といった感じだ。ロンドンは、明 目下のところ、三チームで平原を偵察させているが、なにぶん万 事足だけが頼りなので、がつくりするほどはかがいかない。何かいらかにポンプ・ステーションに接続しているパイプで連絡された、 い輸送手段でもあればいいんだがな ! 電動自転車が数台でもあれ円筒物体の集団だ。あらゆるものが密封されていて、中に何がある ば、こんな嬉しいことはないんだが : : この仕事には、びったりなのか、爆薬かレーザーでも使わぬ限り、確かめるすべがない。ほか に方法がない、とはっきりするまでは、そんな手段には訴えたくな 機械だ。 しね。 きみは医学将校のアーンスト軍医中佐に会ったことがあるねー ローマとモスクワに関しては・・ーー」 ー」かれは不安そうにためらった。たしかにローラは、妻たちの一 人に会ったことはあるが、どっちの妻たったつけ ? これはカット 「失礼ですが、艦長。地球から最優先連絡です」 したほうがしオ 今ごろ何だろう ? ノートンは自問した。たった数分間、夫が家 その文章を消去して、かれはまた始めた。「私の軍医官、アーン族に話しかけることさえ許されないのか ? スト軍医中佐は、ここから十五キロ離れた〈円筒海〉へ、第一隊を かれは通信軍曹から、通信文を受けとると、緊急かどうかの確認 率いて出かけた。予想通り、そこは凍りついた水ということがわか に、すばやく目を走らせた。それから、もっとゆっくり読みなおし もっとも、あの水はだれも飲みたいとは思わんたろうが ったよ ね。アーンスト博士の意見だと、あれはむしろ水つぼい有機物の流 一体全体、〈ラーマ委員会〉とは何なのだ ? どうして今まで聞 いたことがなかったのだ ? かれは千差万別の会社、協会、職業団 動体で、ほとんどあらゆる炭素化合物や、燐酸塩、硝酸塩、何十種 類もの金属塩を微量すっ含有しているそうだ。生命の気配は、毛ほ体ーーまじめなのもあれば、まるきり気狂いじみたのもある どもない が、自分に連絡を取ろうと躍起になっていることを知っていた。そ 死んだ微生物すら見つからない。だから、われわれは まだ、ラーマ人の生化学的特性について、何もわからない : の攻勢に対しては、〈作戦司令部〉が懸命に防いでくれていたから、 っても、われわれとそうめちゃくちゃに異なる生物じゃあないだろもしこの連絡が重大と見なされぬ限りは、こっちへ回してこないは うがね」 ずだ。 なるほど、こ 何かが、かれの髪を軽くなでた。多忙にまぎれて、つい刈るのを「二百キロメートルの風・ーー突発の恐れありか」 忘れていたが、この次宇宙帽をかぶる前には、何とかしなければなれは一考の要がありそうだ。とはいえ、この静まり返った夜に、そ田 れをまともに受けとれ、というのはどだい無理な相談であった。そ るまい スキッパ
いう自転に従っていますーが、上昇して南北に流れるとき、同じそうだった。いちいち運びあげるとなると、想像もっかぬほどの労 問題にぶつかるのです」 力がかかるーーーー実際問題として、とても不可能であった。ときおり 8 「ああ、貿易風ね ! 地理学の講義で聞いた覚えがありますよ」 ノートン中佐は、この奇妙なまでに清浄な場所を、ごみだらけにし 「その通りです、ロバート卿。ラーマにも貿易風が吹くのです、そたまま立ち去ることに、なぜともない恥ずかしさを感じた。最後に れもいやというほどの。もっとも、数時間も吹けば、あとはまた一立ち去るとき、かれは貴重な時間をいくらか犠牲にしてでも、きち かん んと後片づけをしていこう、と秘かに思い定めていた。ますあり得 種の平衡状態が復活するでしよう。その間、私はノートン中佐に、 緊急避難ーーーそれもできるたけ早くーーを勧告したいと思います。ないことではあるにしても、万一、何百万年か後に、ラーマがどこ かの太陽系内を飛び抜けるとき、再び訪問客を迎えないとも限らな 私としては、こんな電文を送ったらいかがと存じます」 い。かれはその連中に、地球についていい印象をあたえたいような ちょっぴり想像力を働かせるだけでーーと、ノートン中佐は思っ気がしたのである。 すそ 一方では、かれはもう少し切実な問題を抱えていた。この二十四 ここは、アジアがアメリカの辺鄙な山裾に張った、応急的な 夜営地だというふりをすることもできそうであった。ごたごたと散時間のあいだに、かれは火星と地球の両方から、ほとんどそっくり らかった寝袋だの、折りたたみ式の椅子とテープルだの、携帯用発同じ電文を受け取っていた。それは奇妙な偶然の暗合に見えた。お 電機だの、照明器具だの、電子処理トイレだの、雑多な科学機器だそらく、かれらは互いに同情を感じていたのであろう。それそれ異 のは、地球の上でもべつに場違いな物品ではなかったからだーーとなる惑星の上で安穏に暮らしていれば、どんな妻でもたいていはじ りわけ、生命維持装置もつけずに、男女が立ち働いているとあってりじりしたあげく、そうするものなのだ。かれらは多少あてつけが ましく、たとえいまやかれがどんなに偉大な英雄であるにしても、 は、なおさらそうである。 っこ。よ家族に対する責任はまだ免れないのだということを、指摘してい キャンプ・アルフアの設立には、たいへんな手間がかかナオ にしろ荷物という荷物を、一連のエアロック内は人手で運び、〈軸た。 中佐は折りたたみ式の椅子を拾いあげると、光の輪から歩み出 端部〉からは斜面を橇で滑降させ、それからやっと回収して開包し なければならなかったからだ。ときには・フレーキ用のパラシュートて、キャンプを取りかこむ暗闇の中へ入っていった。。フライヴァシ ーを得るには、これしか方法がなかったし、それに喧騒から離れた が開かずに、託送物が平原上を一キロも先まで行ってしまうことさ えあった。それでも、二、三の艦員は橇の便乗許可を願い出たが、 ほうが考えがまとまるというものだ。かれは背後の組織立った混乱 ノートンはそれを固く禁じた。とはいうものの、いざという場合に に、わざわざ背を向けると、首からぶらさげたレコーダーに吹きこ み始めた。 は、この禁令を再考しなければならぬかもしれなかった。 こうした機材はほとんど全部、このまま放置していくことになり 「原文は個人用ファイルに、複写は火星と地球に送信。ヘロー、ダ
「じゃあ、ニューヨークへ渡れますね」 あなた、氷の上を四キロも歩いたこ 「渡るですって、ピータ 1 ? 第十六章ケアラケクア とがあって ? 」 「あなたもよくご存じの通りですな、ペレラ博士」と、ポース大使 「ああ、そうか・ーーおっしやる通りです。スケートを寄こせといっ たら、保管部のやっ、なんていうだろうなあ ! たとえあったとしは辛抱強い諦めを含んだ声音でいった。「われわれはほとんどだれ も、あなたほど数学的な気象学の知識を持ち合せてはおらんので ても、使いかたを知ってるやつが、あまりいないだろう」 「ほかにも問題があるぜ」と、ポリス・ロドリゴがロばしを入れす。ですから、どうかわれわれの無知を哀れんでいただきたい」 、 ? も「喜んで」と、宇宙生物学者は赤面もせすにいってのけた。「これ た。「すでに気温が氷点を越えているのに気がっかないかし うじき、あの氷は溶け始めるぜ。何キロメートルも泳げるスペースからーーーもうすぐにですーーラーマの内部で起ろうとしていること マンが、どれくらいいるかな ? とてもじゃないが、この海はむりを申しあげれば、私の説明がよくおわかりいただけるでしよう。 太陽熱が内部に到達したために、いまやラーマの気温は、上昇寸 アーンスト博士は、断崖の縁のところでかれらに合流すると、サ前の状態にあります。私の受けとった最新情報によれば、すでに氷 点を越えたといいます。〈円筒海〉はまもなく溶解を開始するでし ンプルの入った小瓶を得意そうにかざしてみせた。 よう。地球上の水塊と違い、この海は底のほうから上に向って溶け 「たった数 O O の濁った水のために、ずいぶん歩かされたけど、こ れはこれまでに発見したどんな物より、ラーマについていろんなこ始めます。その結果、何かおかしな影響が現われるかもしれません が、私がもっと気がかりなのは、大気のほうであります。 とを教えてくれるかもしれないわ。さあ、お家に帰りましよう」 かれらは、この低い重力下ではいちばん快適な歩行手段であると熱せられるにつれて、ラーマ内の空気は膨脹しますーーそして、 判明した、例の緩やかな大股の跳躍で、一路、〈軸端部〉の遠い光中心軸に向って上昇しようとし始めます。これが問題なのです。地 めざして引き返した。ときおりかれらは、凍りついた海の中央に鎮上レベルでは、見かけは静止状態でも、実際には空気はラーマの自 座する孤島に秘め隠された謎に、うしろ髪を引かれるように、あと転と行動を共にしていますーーー時速八百キロ以上で動いているので を振り返った。 す。そして、軸に向って上昇するときも、そのスビードを保とうと 一度だけ、アーンスト博士は、そよ風にそっと頬をなでられたよしますがー・ーむろん、そういうわけにはまいりません。その結果生 じるのは、暴風と乱気流です。私の見積もりでは、時速二百キロと うな気がした。 三百キロのあいだの風速になります。 だが、それは二度と感じられなかったので、彼女はすぐにそのこ ついでながら、これと非常によく似た事態は、地球上でも起りま とを忘れてしまった。 す。赤道部分で加熱された空気・ーーこれは地球の時速千六百キロと
透し、あと数時間で、急激な温度上昇が始まると思われます。だ は、おのれの目と・小さな携帯用望遠鏡に頼らなければならなかっ が、問題はそのことではありません。どのみちラーマを離脱するこた。〈階段アルファ〉の登り口から〈円筒海〉の岸までは、十五キ 7 ろまでは、気持のいい熱帯的な気候以上にはならないでしようか ロそこそこーーーラーマの低重力下では、地球の八キロに相当する。 ら」 ローラ・アーンストは、日ごろの主張に恥じぬ行動をとらねばなら 「しゃあ、何が問題なのです ? 」 ぬ手前、きびきびとした足取りを崩さなかった。かれらはちょうど 「一語でお答えできます、大使殿。 ~ リケーンです」 中間地点で、三十分の休憩をとり、三時間のあいだ、まったく波乱 のない旅を続けた。 第十五章円筒海の岸辺 ラーマの谺のない闇を貫いて照射するサーチライトの光の中で、 歩を運んでいくのもまた、単調この上なかった。一行とともに前進 いまやラーマの中には、男女合せて二十人以上いたーー六人は平するにつれて、その光の輪はしだいに、細長い楕円形に引き伸ばさ 原に、残りはエアロック機構と階段を往復して、機械や消耗品を運れていく。この光の短縮現象だけが、前進しているという目に見え んでいた。宇宙船のほうはほとんど人が出はらって、必要最少限のる唯一の証拠であった。〈軸端部〉の観測者からたえず距離確認の 当直人員だけが残っていた。事実上エンデヴァー号を動かしている連絡がなかったら、かれらは自分たちが一キロ踏破したのか、それ のは、四頭のシン。フで、ゴールディーは艦長代理に任命された、な とも五キロか十キロか、推量するすべもなかっただろう。一行はた どという冗談がもてはやされるほどであった。 だとぼとぼ、百万年昔から続いている夜の中を、接ぎ目も見えぬ金 探険の開始にあたって、ノ 1 トンが確立しておいた基本原則はた属の表面を踏みしめて歩いていった。 くさんある。もっとも重要な原則は、人類の宇宙進出開始当初にま だが、ようやく、遙か前方の、いまはかなり弱まった光の輪の限 でさかのぼるものだ。どのチームも必ず、既体験者を一人含めなけ界付近に、何か新しい変化が見えだした。普通の世界なら、さしず ればならぬ、とかれは決めていたのである。ただし、一人以上ではめ地平線というところだが、一行が接近するにつれ、いままで歩い ない。こうすれば、だれもが可能な限り早く経験を積む機会をもててきた平原が、そこで唐突に終っていることが見てとれた。かれら るからだ。 は〈円筒海〉の縁に近づいているのだった。 というわけで、〈円筒海〉に向った最初の探険隊は、隊長こそロ 「あとわずか百メートルだ」〈軸端司令部〉が告げた。「ペースを落 ーラ・アーンスト軍医中佐だったが、既体験者として、 ハリから戻したほうがいい」 ったばかりのポリス・ロドリゴ中尉を隊員に加えていた。三人目の その必要はほとんどなかったが、すでに一行はそうしていた。平 ・ハックアツ・フ 。ヒーター ・ルッソ 1 軍曹は、〈軸端部〉の予備チームに入ってい原の高さから〈海〉ーーもしこれがほんとうに海で、例の謎めいた た一人である。かれは宇宙空間偵察機器の専門家だが、今度の旅で結晶物質の一枚板でなければだがーーの表面までは、まっすぐ切り