うどむかし彼らが古びた大学の廃墟に 「本当の人間を定義しようと試みました。・ : 」と 身を隠していた学生を扱った時のよう 誌〈ヴァーテックス〉 ( 一九七四年一一月号 ) に に。また、収容所に潜んでいた異分子 掲載されたインタビューの中で、ディックは述べ を死に追いやった時のように。ところ ている。「 : : : われわれの中には、生物学的には人 が、クヴァナーはある人物に逃走を助 間にちがいないが、比喩的意味ではアンドロイドで けられ、その後で麻薬を飲まされる。 ある人びとが存在します。私はスピーチの中で、人 ここから本当の悪夢が始まるのであ 間の条件として第一に要求される肯定的目標をはっ る。 きりさせたかったのです。コン。ヒ = ーターは日に日 タヴァナーの救い主は・ハックマンの により精密で認識力ある創造物になりつつありま 妹アリスだった。皮肉にも彼女とその す。と同時に人間はその人間性を失いつつありま 愛用の麻薬ー 3 が、タヴァナーの す。スビーチ原稿を書きながら、人間にとって必要 身元が不明になった原因なのだ。アリ なのは、他の人々の人間性を尊重することだという スはタヴァナーを自分の家へ連れ帰っ ことに気がっきました。そうするためには、非人間 たあと、まもなく麻薬を大量に飲みす 社会やアンドロイド社会に反旗をひるがえす必要が ぎて死んでしまう。タヴァナーは殺人 あります」 の疑いをかけられ、告訴され、やがて 正にこの社会が『あふれるわが涙ーーー』でディッ 裁判に立たされる。この時までには、彼の正体は明どこかで指摘された通り、フィリップ・ディッククが描くものである。 らかになっているのだが、もうそれはタヴァナーのはモラリストである。彼のほとんどの作品の基本的「人間性を浮かび上がらせるのは、命令された事が 役に立ってくれない。 なテーマは、強烈な道徳的倫理的緊張感にあふれてまちがっている時に、ノーといえる能力です。『い この小説は単にタヴァナー個人だけにとどまらいる。一九七二年二月にカナダのプリティッシ = ・や、俺は人を殺さないそ』、『爆撃などしないそ』と ず、フェリックス ・・ハックマンと彼が代表する恐るコロンビアで開かれた大会で、来賓としてス。ヒ いえる能力です : : : 」とディックはいう。「 ( たとえ べき警察機構も描いている。道徳とは縁のない権力ーチをしたディックは、自分の作品のこのような傾ば六十年代の ) 宣伝に耳をかさず、買収にもビクと 組織の一員であるにもかかわらず、バックマンはい向を語った。スビーチの題は『人間とアンドロイもしなかった若者達の出現です。私は、基本的に不 ろいろな点で、最も同情をもって描かれた登場人物ド』で、副題が『真正人間と反射機械』であった。法な制度に対しては不法な反抗が必要なのを知りま である。これは奇妙に聞こえるかも知れないが、まディックは、そのスビーチで何を言おうとしたのした。言いかえれば、若者をつかまえて、『法律を あ先を読み続けよう。 破ってはいけない』とは言えないのです。法律その 0 0 0 0 ディックの最新作『あふれよわが涙、と警官はいっ た』 "Flow Tears. the Policeman Said FIDW ′ TEARS, 、 POLICmfAN PHIUPK. DICK 3
ものが不正なのですから」 ことが『あふれよわが涙ーー』とどういう関係があやべるのは人間だけだ。 十ートマトン ディックの道徳倫理哲学は『易経』と切っても切るのかふしぎに思っておられるかもしれない。私の中途半端な意識のある機械や自動人形は必要ない れない関係がある 意図は、ヴァーテックス誌インタビューでの著者ののである。ディックが登場人物たちを押し込む情況 「かなりの間、『易経』に慣れ親しむと、自分の中個人的見解と、ここで扱っている小説のテーマを結は、前にふれた副題『真正人間と反射機械』をよく に変化が起き、一つの人格が形成されていきます。びつけることにある。この小説と彼の個人的意見は、説明している。 そして道教の実践者になっていくのです : : : 」 大いに関係があり、それが、また、この小説のタイ この小説で反射機械とは政府であり、官僚政治で 道教は、早くいえば、倫理と実利を一つに融合す トル『機械の影で』に話をもどすことにもなる。 あり、階級組織である。これらは道徳とは一切無関 る。それは「他の哲学理論や宗教から抜きんでた道ディックのファンなら、彼のこの最新作を読んで係で、その権力を労働者の上にふるい、多かれ少な 教の偉大な業績です」 亠 9 み、に ~ がっ ~ 、ように、 ここにはあの定常性を備えかれ、″変節″を強いる。正しいというより実利的 アメリカの社会では、倫理と実利の融合はめったた歩き、しゃべり、哲学する機械は登場しない。しで、便宜的な方向を選ばせる。この″機械″は官僚 に起るものではない。 この二つは、対立した を手先に使って歩き、話し、しかもその無道徳性を ものとして常々扱われてきた。この小説で言 正当化しているともいえる フェリックス わんとするのもこのことである。 ・・ ( ックマンは、この小説の重要人 「これは常に持ち出される問題です : : : 」と、 物である。彼は自分の地位や、毎日のように遭遇す ヴァーテックス誌のインタビューでディック る実利優先のでぎごとに敏感だ。が、人情に厚いと は語り続ける。「正しい事をすべきなのか、 いう自負と実利優先が文明存続のために必要なこと それとも有利な事をすべきなのか 2 : ・われ だという思想で、自分の妥協的地位を合理化してい われの社会では、よくこのような倫理と実利 く。自分が崩壊した人間、つまり反射機械にすぎな の選択にせまられます。そして、実利を選ん いということを意識下では分っていても、意識上で だがために、その結果として、人間としては は決して認めようとしない。それゆえに、、ハックマン 崩壊してしまうこともあります」 の一番お気に入りは、ジョン・ダウランドの十七世 ディックは作品の中で、よく、登場人物に 記リュート曲第こ集の中の一曲なのだ。この歌詞は 倫理と実利を融合させようとする。またそれ 「あふれよわが涙 : : : 」で始まる。それゆえに、、ハッ に失敗させ、その結果、彼らにはなにが起こ クマンは物語の終りで、さめざめと涙を流すのであ る。 ったかを描く。 ここまでお読みになったあなたは、前述の エルワードがディックの しつ力、ディヴィッド・ 0 0 0 0 0 一高い城の男第 ・ 0 , , ヨ、 THE 日 K C Åツ 異色の現代小説として賞讃され、一九六三年 度ヒューゴー最優秀長篇賞に輝いたディック 初期の代表作「高い城の男」 "T 工 E MAN ラ T 工 E エ一 G 工 CASTLE ・・ A H A YA K A WA SCIENCE FICTION SERIES に 4
フィリツ。フ・・ディックのファンよ、もしかりこれはタヴァナーが、一九六〇年代後期か一九七者を前にして活躍するテレビ・スターである彼が、 にあなたが英語が苦手だとしても、喜んでほしい。〇年代初期に行われたある遺伝工学計画の結果、生突然、一人として彼を知る人もいない町で、よろめ ディックの最新作『あふれよわが涙、と警官はいつまれた人間であることを意味する。また、タヴァナき歩いているという事実である。彼のエージェント た』ま Flow Tears. the Polican Said" が、 ー自身が〈シックス〉でない人達に対して優越感をのアル・・フリスも彼を知らないという。更に悪いこ 日本でも近い将来に翻訳を予定されているからであ持っているということでもある。 とには、恋人のミス ートさえ彼のことを聞いた る。それに、翻訳家の浅倉久志氏も、「これは傑作ある晩のこと、ショウを終えたタヴァナーは、昔ことがないのである。 だ ! 」と私にいった。 のガール・フレンドから危害を加えられる。平凡なだれ一人として頼れる人はいない。身分証明書が まさしくこれは傑作である。ディックは『あふれタレントでしかない彼女は、タヴァナーが彼女の体ないからにはニセのそれを手に入れなくてはならな よわが涙ーーー』を書き上げるのに二年あまりかかつを道具にしたと思いこんでいる。事実そうなのだがい 。タヴァナーは二十歳の精神分裂ぎみの偽造者キ たと述べている。それは小説全体のスタイルや構 。その彼女が、生命にかかわる危険のあるカリヤシー・ネルソンとその心理的共犯者のところへ行 成、また、い うまでもなく簡潔で直截なその。フロッスト吸着海綿をタヴァナーに投げつけたのだ。緊急く。実はこの二人は、警察に雇われた密告者であ トにもはっきりと現われている。 手術のため、病院へ運びこまれたはずのタヴァナーる。当然タヴァナーは、偽の身分証明書を入手した この本はアメリカのダブルディ出版社から一九七は、翌日、むさくるしい安ホテルで目をさます。そ直後に、逮捕されてしまう。この事件が、警視総監 四年の夏に刊行され、ほとんど時をおかず、アメリして、厚い札束はあるが、身分証明書がポケットかフェリックス・ ノクマンとその異常性欲者の妹ア カ作家協会のネビュラ賞の有力候補にあがつらなくなっているのに気がつく。もうこれだけで致リスの興味を引く。 た。受賞こそできなかったが、最終投票では次点で命的だ。警察の検問所で呼び止められて、身分証明ここでこの小説の視点が移り、読者は警察の立場 あった。 書がないとなると強制収容所行きである。次第に、からタヴァナーの事件を見ていくことになる。警察 物語はジェイソン・タヴァナーというテレビ・タ自分がどこにも存在しない人間であることを、タヴにとってタヴァナーは実に不可解な存在である。こ レントを中心に展開する。タヴァナーは、 Zgao テアナーは悟ってゆく。 の世界のどこにも記録がない人間。存在しないはず レビ局で自分の名を冠した毎週のミュージック・ このへんから、ディックはおなじみの唯我論的おの人間。タヴァナーという人間の正体を探るにあた ラエティー ・ショウに出演しているスターである。ふざけへと読者をさそい込む。彼の描く一九八八年って警察は次の事を想定する。国家公文書の中から また、恋人のヘザー ートが言うように、とうにの世界は、ナチドイツのゲシュタボにやや似た国際一人の人間に関する記録をすべて抜き取ってしまえ 去った″栄光の日々の余韻にすがっている″往年の警察機構に統治されている世界である。 るほどの勢力をもった地下組織が存在するにちがい 大歌手でもある。ディックはタヴァナ】の過去をくタヴァナーが目覚めた世界は、かって住みなれたない、と。そして、この判断が正しいものであると たった一ついう前提のもとに、早急に組織を見つけ出し、グー どくどと書かない。主人公がシックスだということ世界と実質的にはなんら変りはない を読者に告げるだけだ。 のことを除いては 。その一つとは、三千万視聴の音も出ないように叩き潰すことを決定する。ちょ 0 0 ャ サド・マゾ・レスビアン 2
小説について啓発的な発言をしたこ 抱かせるような行為をするなということだ。 究極の真実は、名声や大衆の支援に関係なく、 とがあ 0 た。私がここで言 0 ている 7 ことにもそれは当てはまる。彼の意 ぎみは消耗品としての価値しかないということ オートマトン 見では、ディックは自動人形を非人・ー・・・ー だ。ところが私は違う。そこが私たち二人の決定 間的な性質を反映させるために使ーーーー・ー・い - ーー・・・・ー ~ 的な違いだ。だからこそ私はここに停まるし、き オートマトン みは行かなくてはならない。 う。この自動人形は普通の人間にあ る感情を持ち合わせていない。正確 そっとするような認識だ。しかも、それは真実な に言えば、生物学的人間が有する感 のだ。 情が欠けているということであり、 フィリツ。フ・ディックの愛読者は、彼の好きなテ そのことが真正人間と反射機械を区 ーマの一つが荒涼たる精神異常の世界だということ 別する指針になる。・ハックマンはタ はお分りだろう。『あふれよわが涙 , ーー』はこのカ ヴァナーが苦境に立たされているこ 从テゴリーの中でも最も卓越したものだという意見に とをよく理解している。が、最後に あなたも同感されることと思う。 ・ハックマンは、目には見えないが、 この小説の文体はディ〉クの作品の中で、最も簡 とてつもなく巨大な警察機械に人間 潔なものの一つである。文章は直接的で混乱がな 性を売り渡してしまう。こうしてつ 。その流れは初めから終りまで一貫しており、デ 、には彼自身が反射機械になってしまうのである。有名になってしまった。ちょうど前の時のようイックの他の作品にありがちなぎくしやくした脱線 は、この小説では見られない。又、構成も直接的で に。だが今回は違った形でだ。きみがもっと高い 恐るべき機械。タヴァナーはその影に立ってい る。だれでもがそうだ。そこから逃げるのは不可能目的のために役立つような形でだ。その目的にそ平明である。おなじみのカープはあるが、それは明 うため、きみは何も一切知らされずに、ただ・方確で、論理的であり、いつものはめ絵式の構成とは なのだ。 異なっている。この本の結末にはうやむやなところ 的に受け入れることだけが要求される。きみは、 ちょうどバックマンがこう考えるように がない。読者の中には、この小説のエ。ヒローグは余 まくは何をしたと 墓に葬られる時まで『いったいに 分で、かえってクライマックスの効果を半減させる ジェーソン・タヴァナーは我々の注意を引い いうんだ』と繰り返し聞き続けるだろう。そうし だけだと思う方があるかも知れない。が私は実に的 た。周知のように一度権力の注意を引くともうおて、ロを開いたまま埋められてしまうだろう。 確な結びだ思う。それはこうした状況がなおもっ しまいだ。忘れ葬られることはありえない。 私はきみに何も説明してやれない。・ : カこれだづくことを述べているのである。 : わかるか、タヴァナー。きみはまたしてもけは言える。権力の注意を引くな、きみに興味を ( 訳日大城朋子 ) 0 0 フィリップ・・ディック 5
世界最高最大のミステリ・シリーズ 既刊 1 1 51 点 刊エレクション・セット ミッキー・スピレイン / 小菅正夫訳 立卞 生まれ故郷の街にふらりと帰ってきた男ドッグ。華々 の しい噂に包まれた彼の周囲には、常に謎の雰囲気が漂 っていた。死んだ祖父の莫大な遺産の一部を受け取り 月 にきたという彼の真の目的は ? 〈セックスと暴力〉を ストレートな筆致で綴るスピレインのカ作八八〇円 改訂版好評発売中 スタイルズ荘の怪事件 アガサ・クリスティー / 田村隆一訳 話題作『カーテン』の舞台となった〈スタイルズ荘〉 に因 5 人の死の謎を追うホアロ ホームズと並び永遠 に読者の胸に生き続ける名探偵を初登場させ、 テリの女王〃の輝しい出発点となった傑作四八〇円 〈仮題〉 0 近刊 狂ったバカンス 三つの棺 ディック・フランシス ボアロー、ナルスジャック