ろうか。 : : : 問題は、たとえ保が特攻に挑んだとしても、この情況りしめながら、しだいに大きく視界を占めていく円盤に見入ってい では成功する可能性が非常に少ないということだった。倉本たちのた。円盤が垂直上昇に移ろうとしたように見えた。 成功は、あくまでも彼らが三機で上下から攻めたからこそ、かなっ おれだ。・ たことなのである。ただの二機で、しかもそのうちの一機は制御不保はエンジンを全開にして、機を急上昇させた。風防ガラスをい 能な状態で、首尾よく円盤を撃破できるはずがなかった。 つばいに占めて、奇態な円盤の下腹部が迫ってきた。 頭を過っていったそれらの想いが、保の反射神経を一瞬鈍くした その時、保は確かに不可思議な声が頭のなかに響くのを聞いた。 のかもしれなかった。 なぜだ ? なぜ我々を敵視するのだ ? 我々は観測機を飛ば なにかが爆ぜるような音が空気に満ち、赤い熱波が保の身体を包して、きみたちの戦争を観ていただけではないか。遭難した我々の んだ。保が機を切り返すのがもう数瞬遅ければ、右翼をふっとばさ仲間が、死病にとりつかれたのを知って、火葬にしただけではない れるだけではすまず、エンジンが火を噴いていたことだろう。 ・ : なぜ我々を敵視するのだ ? が、右翼をとばされることが、エンジンから火を噴くのと同様、 もうそんなことはどうでもいいんだ。保は頭のなかで答えてい 戦闘機にとって致命傷であることにはなんの違いもなかった。 た。おれたちはおれたちの戦争をしたかったんだ。誰のためでもな く、おれたちだけの戦争をしたかったんだ。 犬死にか。 保は歯を咬み鳴らした。墜落していこうとする機を、懸命になっ 次の瞬間、保の身体は白い炎に包まれていた。保は咆哮した。咆 て水平の状態に引き戻そうとしたが、しかし操縦桿はほとんどきか哮しながら、かぐや姫を囲んで、自分たち五人のパイロットが笑し なくなっていた。 合っている光景を、確かに白い炎のなかに見たと思った。 ふいに機がフワリと軽くなった。シュガー機がビタリと脇に寄り 添い、その右翼で保の機を支えてくれたのである。 その夜、ライナ島飛行場中隊の隊員たちは、上空を飛び去って 満身創痍の二機の戦闘機は、そのままの姿勢で円盤に向かって一 いく夥しい数の火球編隊に驚かされた。そして、また誰か若いパ 直線に突っ込んでいく。 イロットが死んだのだと話し合った。空を飛ぶのがなにより好き 保にはシュガーの作戦が手にとるように分った。・ : 二機が一機だった若者がまた死んだのだ、と。 になって突っ込めば、たとえ円盤が上下左右どこへ逃げようとして だが、それらの火球編隊の後を、まるで野辺送りをするように も、どちらか一機は後を追うことができるだろう。二機が一機にな カ飛んでいったのを、誰も気がつくことはな 一機のヘルキャット : 一機が二機になるというこちらの自在な動きが、円盤を眩惑かった。 し、特攻成攻の可能性を著しく高めることは間違いなかった。 第二次大戦後、炎の戦闘機が目撃されたという記録はまったく スティック / . し 保は揚力をつけられて、再び制御のきくようになった操縦桿を握 スティック ファイタ 8
るラッセル島の上空、ガダルカナル島を目前にした辺りであるはず保は増槽を落とすことさえせずに、仲間たちがヘルキャットに襲 いかかっていくのを見つめていた。彼の脳裡のなかでは、すでにそ 3 だった。が、その日に限って、零戦と艦爆機が合流した直後、ショ のヘルキャットは火を噴き、錐揉み状態で墜落していたのだが : 1 トランド島の上空でグラマン機と遭遇したのだった。 『いかん、引き返せつ』ふいに誰かのそう叫ぶ声が伝声管から聞こ 相手がただの一機であったことと、その機種がグラマン 6 「ヘルキャットーであったことが、航空隊の零戦パイロットたちをえてきた。『あれはシュガーだ ! 』 ハッと保が顔を上げた時には、すでにヘルキャットに襲いかかっ 必要以上に刺激したのかもしれなかった。隊長機の指令も待たず に、三機の零戦が浮上して隊列を離れると、疾風のように前方のへた三機の零戦のうち、二機までが火を噴いていた。ヘルキャットは 緩横転をして、零戦の襲撃のタイミングを狂わせ、十二・七ミリ機 ルキャットに向かっていったのだ。 力へルキャットに神経を尖らせるのも無理のない銃弾を正確に放ったのだ。信じられないほどの神業だった。 零戦パイロット : が、本当に信じられないことが起こったのは、その次の瞬間なの 話ではあった。ヘルキャットは対零戦用として開発された戦闘機だ だった。それまでまったく機影の見えなかった二機のヘルキャット ったからた。事実、それまで零戦が有利を誇っていた旋回機能は、 ・ハワーダイプ この優れた旋回機能を持つ新型機の出現によって、まったくの劣勢が、断雲からふいに飛び出してきて、全速降下で爆撃隊に襲いかか ってきたのだ。 に立たされるはめとなったのだった。 爆撃隊はさらに一機の零戦と、二機の艦爆機を失うことになっ ヘルキャットの機能はあらゆる点で零戦をはるかにしのいでい た。二〇〇〇馬力の発動機、六挺の十二・七ミリ機関銃、厚い装甲た。 板と自動閉鎖装置の燃料タンクーーーそして、零戦よりも高く上昇す『編隊解散、空戦に備えよ』隊長の狼狽した声が伝声管から聞こえ てくる。 ることができ、零戦よりも速く急降下することができるのである。 あれがあのシュガーたちか : が、それにしても、ただの一機で零戦編隊に挑んでくるのは無謀 であったし、それ以上にこちらを舐めきっていると言わねばならな保は増槽を落としながら、痺れるような緊張感を覚えていた。 かった。隊列を離れた三人の部下を、あえて隊長が制止しようとし いま瞬く間に、爆撃隊をほとんど総崩れにさせた三機のヘルキャ なかったのも、やはりそのヘルキャットのふてぶてしさが腹に据え トの名は、零戦殺しとして、日本海軍航空隊の間に響きわたって シュガー かねたからだったろう。 いた。彼らがその愛機にペンキで白く著した名は、それそれ砂糧、 一し、ノカ急降下放 山本中尉を一番機とする、保、倉本の三機編隊のグループは、そ塩、胡椒ーーシ、ガーが隙を見せて零戦を誘、、ノレト : / ーが最期の仕上げをする。彼らのこの巧みな の時、艦爆機隊の後方についていた。たった一機のヘルキャット撃を繰り返し、ペッ。、 に、三機の零戦が挑みかかっているのだ。保たちまでが空中戦に加攻撃によって撃墜された零戦は九十機を数え、そのなかには撃墜王 として名高かった東藤飛曹長の名前も含まれていた。 わる必要はまったくないように思えたのである。
いかに自在な動きと、高速機能とを備えた円盤であっても、この 保は自分の顔が強張るのを感じた。 それまで高速上昇を続けていた円盤が、空然に宙に停止したの三方向からの特攻をかわすのは不可能だったようだ。 強烈な光が空をつんざき、白く灼けた巨大な花弁がゆっくりと拡 だ。その外輪だけが溶鉄のように赤い光を放っている。 通常の航空機と異なり、円盤が宙に停止可能だということは、倉がっていった。 その衝撃波にあおられ、保の機は横に飛ばされてしまい、なかば 本たちは実際に自分の眼で見て承知していたはずである。承知して はいても、彼らがいざ円盤との実戦に臨んだ時、それまでの戦闘体失速の状態に陥っている。が、保は失速状態から機を立ち直らせよ 験でっちかわれた勘と反射神経とに導かれて、ついそのことを失念うとするのも忘れて、 「倉本つ」 、刀 してしまったのも無理のない話ではあったかもしれない。 円盤の意想外な急停止に狼狽して、攻撃の矛先を鈍らせてしまった再び叫んでいる。彼の頬は涙でグッショリと濡れていた。 しかし、倉本の死を悼んでいる余裕は、いまの保にはなかった。 パイロットにはあるまじき失態とい のは、彼らのようなべテラン・ 保はエンジンを赤・フースト一杯まで全開すると、シュガー機に向か わねばならなかった。 焦げつくような音と共に、円盤が赤い光線を放った。光線は噴水って疾走った。 のように宙を跳ね、上下から円盤に迫ろうとしていた三機の戦闘機シ、ガーは善戦していた。ヘルキャットに備わる優れた旋回機能 をフルに活用して、円盤に。ヒッタリとっきまとい、その動きを牽制 の機体を薙いでいた。 が、怪物じみた円盤が相手では、その戦法にも 円盤の光線攻撃をうけながら、三機の戦闘機が桜花のようにもろしていたのだ。 に爆破しなかったのは、やはりパイロットたちのうでが優れていた自と限界があるようだった。シ = ガー機の尾翼が、白い絹のような からだとしかいいようがない。しかし、いかに彼らが優秀なパイロ煙を曳いているのを保は視認している。 ットたちであっても、凄じいほどの威力を持っその光線を避けきる保は機を横転させて、円盤との火線上に躍りあがると、背面のま ことはできなかった。。〈ッパー機は胴体から、倉本機とソルト機はま機銃弾を放った。保の放った二十ミリ弾は、一発余さず目標に吸 い込まれていったが、しかし円盤にはなんの損傷も与えることはで 左翼から、それそれに火を吐いている。 きなかったようだ。 「倉本つ」保は叫んでいる。 特攻しかないのか。 叫んだ保の視界に、焔に包まれた三機の戦闘機が、黒煙を曳きな ー機は空を 円盤の頭上を飛び越え、インメルマンターンで機を水平に戻しな がら、円盤に向かって突進していくのが映った。ペッパ 這い上がるようになりながら、倉本機とソルト機はほとんど錐揉状がら、保は血走った想いを頭に駆けめぐらせていた。死ぬのは怖く 態に入りながら、まるで網を絞るように、中央に占位している円盤なかった。いや、死ぬのが怖くないはずはないのだが、しかしそれ で円盤と相討ちに持っていけるなら、むしろ満足すべきではないた に突進していくのだ。
ダダ、ダ、ダ、ダ : 四機編隊を常態とする米国航空隊が、彼らにのみ三機編隊を許し 上げ舵をとったソルトの発射した十二・七ミリ機銃弾に、エンジ ていることからも、いかにシュガーたちの戦功がはなばなしいもの 、 - こよると、シュ ンを射ぬかれ、山本機は火を噴いた。それとほとんど同時に、隊長 であるかが分るだろう。保が情報将校から聞した話冫 とどめ ーに止を刺されている。 ガーたちはかって米国義勇航空隊フライング・タイガーに在籍し、機もペッ。、 つわもの 二機の零戦は白煙に包まれ、もつれ合うようにして落ちていっ 幾多の空中戦をくぐり抜けてきた兵である、ということだった。 予科練出身の、まだ若い山本た。 山本中尉の機が急上昇していく。 が、名高いシ = ガーたちに激しい敵愾心を燃やすのは当然であっ保はスロットルを押して、シ = ガーに向かって急行している。怒 ほむら た。当然であったかもしれないが、しかし山本のうでが到底シ = ガりとも悲しみともっかない感情が、白い焔をあげて保のうちで燃え たっていたが、その炎は彼を熱することはなく、かえって糞落ち着 ーたちに及ばないことを、長く彼の二番機、三番機をつとめてきた 保たちは承知していた。保は揺翼して、倉本に合図を送ると、エンきに落ち着かせているようだった。 現在の日本軍には極端に戦闘機の数が不足しているし、まがりな ジンを全開にして山本中尉の機を追った。 倉本の機は水平飛行を保っている。そうせざるをえないのでありにも戦闘の役に立っパイロットの数はさらに不足している。それ る。倉本が空中戦に加わってしまえば、艦爆機隊を掩護する零戦を想えば、わずか十分たらずの間に、戦闘機一個中隊をほとんど潰 減状態にまで追い込んだシ = ガーたちは、憎んでも余りある敵であ は、一機もいなくなってしまう。 零戦がまた一機火を吐き、白煙を曳きながら落ちていく。残る隊ったが、しかし怒りに我を忘れて勝てるような相手ではなかった。 長機もどうやら被弾しているらしく、うしろに迫るべッパーをふり空中戦の勝敗は、技術と、運と、そして。 ( イロットが冷静でいられ るかどうかに掛かっているのだった。 きれないでいる。 上昇してきた倉本機が、保の零戦と平行に並んだ。操縦席のなか 「山本中尉つ、奴らは自分にまかせてください」 保は懸命になって伝声管にそう叫んだが、しかしはやる山本中尉の倉本が、げんこつをふりあげ、その拇指で右下方を指差した。右 を制することはできなかった。機銃弾が交錯し、曳痕弾が鮮かに弧下方に首をねじまげた保の視界に、ガダルカナル島に向かって飛び を描いている空中戦の真只中に、山本機はしやにむに突っこんでい去っていく艦爆隊の姿が映った。不完全にではあったが、艦爆隊を 掩護するという航空隊の使命は、とにもかくにも果たされたわけ ったのだった。 シュガーが山本機の前方を斜め下方にすりぬけた。山本中尉も慌だ。 これで互角に戦える。 てて機を滑らせようとする。実戦経験の浅い山本中尉は、そんな体 勢をとれば、敵に機腹をさらけたす危険の多いことに気がっかなか保はそう想 0 ている。確かに、三対二と数のうえからいえば、シ 3 ュガーたちの方が優ってはいるが、しかし艦爆隊の掩護という枷か ったのである。
かぐや姫の死で動転しきってはいても、保はやはり骨の髄からの分が逃げきれる望みはまずないことを覚らせた。 戦闘機パイロットなのだった。ほとんどそうと意識しないままに、 保は宙返りをして反撃にうって出るしかないと思った。そんな小 5 どう戦えま をいいかを模索し、的確な手段を見つけだしている。 細工が通用するような相手とは思えなかったが、しかし他にどんな 連続して放たれた曳痕弾を避けて、二基の円盤が切り離されたよ方法もなかった。 うに上下に別れた。垂直上昇に移った円盤を追うのは困難であった宙返りをする必要はなかった。 し、それ以上に危険でもあった。 保の機と円盤とのわすかな間隙をぬうようにして、曳痕弾が赤く 保は機首をおとして、下降していく円盤をしやにむに追った。保の尾をひいて撃ちこまれた。円盤は曳痕弾の直撃にもびくともしなか 機は円盤の上方五十メートルぐらいに占位している。ーー常の空中ったが、わすかにその進路は変えたようた 0 た。高速で擦過してい 戦であったら、保はそれ以上もなく優利な位置を占めていることに った円盤に、保の機は大きく揺れた。 なるはずなのだが、しかしこの敵に限って楽観は許されなかった。 保は上方を振りあおいだ。保の予想に反して、曳痕弾を放っこと ・こっこ 0 。 第一、相手が円盤型では、はたして自分が後尾についているのかどで彼を救けてくれたのは、倉本ではなくべッパー うかさえはっきりとしなかった。 機はいまその射撃を曳痕弾から機銃弾に変え、上昇していく円盤に 保は全速降下に入った。 追いすがるようにして撃ち続けている。 照準器に円盤が迫ってきた。 保も円盤を追った。そして、ペッパー機が円盤を追い上げていく 操縦桿の二十ミリノッ・フを押した。 その先に、倉本機とソルト機が旋回しながら待ちかまえているの 機銃弾が火箭のように空中を流れた。 を、一種の感嘆を込めて視認した。実際、ヘルキャット零戦が協同 が、保の予想もしていなかった航法で、円盤はその機銃弾をかわ作戦をとっている光景なそ、未だかって目撃した人間はいないし、 したのた。落葉のように左右に機体を蛇行させたのである。なみのたとえ誰か目撃した人間がいたとしても、彼は決して自分の眼を信 さなか 戦闘機が高速降下の最中にそんな航法をすれば間違いなく失速してじようとはしないだろう。 いたはずだった。 シュガーはどうやらもう一基の円盤を戦場に誘い込もうとしてい 保は慌てて機を上昇反転させようとした。円盤の自在な動きが激るらしく、遠くの空に黒い点のようになって、大きく旋回している していた保の胸にようやく警戒心を惹起したのだ。桜花を一瞬のうのが見えた。 ちに爆破した円盤の光線が、いま保の脳裡を鮮やかに過っていく。 ソルト機が急降下し、続いて倉本機が機首を下げる。ペッ。ハーカ ーー・深追いすればやられる。 追い上げ、ソルトが波状攻撃にかかり、倉本が止を刺すーー一糸乱 が、すでに保は深追いし過ぎていた。ふいに垂直上昇に移った円れぬその見事な編隊攻撃に、保は内心喝果を送っていたのだが 盤が、保の機に迫ってくる。その凄じいほどの上昇速度が、保に自「う : : : 」 スティック ′ 7 ー - ダイプ とどめ
度重なるパイロットの目撃報告をついに無視しきれなくなった 炎の戦闘機が頻繁と目撃されるようになったのは、昭和十九年 フーファイタ のか、米海軍は炎の戦闘機はセント・エルモの火に過ぎないと非 3 末、太平洋戦争における日本軍が、もう挽回しようのないほど劣 公式に発表している。決して、日本軍の新兵器や、ラジオ・コン 勢に追い込まれ始めた頃からだった。 フーファイダ トロールのレーダ 1 攪乱装置などではない、と 炎の戦闘機ーーー同じ現象を、ドイツ空軍は幽霊戦闘機と呼んで では、日本側はどうであったのか。むろん日本のパイロットた いた。米独両パイロットの目撃談を総合すると、それは直径一メ ちも、同じ現象を目撃してはいた。が、サイバン、グアム、テニ 】トル弱、オレンジ色、もしくは赤色の燐光を発する球体で、い アンを奪われ、フィリピンのレイテ島でも惨敗を喫し、第一四方 ずれの時も編隊を組んで飛行していたという。 目撃者と、その情況には違いはあるが、炎の戦闘機に関する報面軍司令部の置かれたマ = ラ市さえも、連日空爆に曝されている フーファイダ というような情況では、とても炎の戦闘機のことまで斟酌する余 告内容については、ほとんど違いが見られない。激しい空中戦の フーファイ さなか 最中に、そいつは湧いて出たかのように高空に出現し、いつまで裕はなかったに違いない。炎の戦闘機に関する正式な目撃報告 は、日本側には一件も残されていないのである。 も戦闘機の周りを舞い続けていたというのである。ーー驚くべき フーファイダ その所為であるのかもしれない。いっからか、日本軍。ハイロッ は、炎の戦闘機の持っス。ヒードであった。パイロットたちの報告 トたちの間に、幻の火球に関して、夢のような話が語りつがれる を信じるならば、全速力で機を急上昇させ、あるいは急降下させ ようになった。 ても、その火球をふりきるのは不可能だったという。 それは、あの火球は死んだパイロットたちの ファイダ というものだった。若くして散華した ヨーロッパ戦線での炎の戦闘機の目撃件数はさほど多くはな生まれ変わりに違いない、 。ハイロットたちが、空を忘れかねて、ああして火球となって飛ん 。最も有名で、かっ最も信頼にたる目撃報告は、昭和十九年十 でいるのだ、というのである。 一月二十三日、米第四一五夜戦戦闘機中隊によるものだろう。そ 昭和一九年末、幾多の若者たちが特攻隊を志願し、むなしく海 の報告によると、エドワード・シュルター大尉を始めとして、数 に没して死んでいきつつあった。 名の精鋭パイロットたちは、ライン河の上空を編隊を組んで飛ぶ 火球を発見、これを追跡しようとさえしたという。 プーファイダ ライナ島はソロモン群島の北西部に位置する火山島である。面積 が、炎の戦闘機が現実の問題として受けとめられるようになっ はちょうど淡路島ぐらい、刑瑚礁と、海岸線と、ジャングルとで鮮 たのは、なんといっても太平洋戦線で頻繁と目撃されるようにな ってからのことだろう。沖繩沖では実に数百におよぶ火球の大編やかに三色に彩られ、開戦まではまったくの無人島だった。 隊が出現しているのである。この大編隊は米海軍のレーダーにも戦況が一進一退していた頃には、日本軍はこの島が敷設された滑 捕捉され、時速一一一〇〇キロのス。ヒードで飛び去ったと報告され走路を、単なる不時着基地ぐらいにしか考えていなかった。が、ア メリカ軍の徹底した物量作戦によって、ニューギニアを奪われ、サ ている。 マーファイ′ プープアイ発
り、なにか奇妙に清浄な調子さえ帯びるようになった。死につつあ保の瞳孔が拡散しきった。その瞬間、五人の戦闘機パイロットた り、そしてその死を受け入れようとする者だけが持つ、透明で、明ちは、皆一様に身体を硬くして、咽喉がはり裂けんばかりに絶叫し ていた。 晰な決意がその歌には込められているようだった。 上空に漂っていた断雲から、ふいに一条の赤い光が斜めに放たれ 別れの時がきたのだ。 保は右手をあげ、倉本に合図を送った。倉本も手をあげてそれにると、桜花の機体を貫いたのだった。桜花はひとたまりもなく爆破 応えると、その手で頭上に大きく円を描き、シュガーたちの注意をされている。 喚起した。了解したというように、三機のヘルキャットは一様に揺二基の円盤が断雲から姿を現わすと、まるで何事もなかったかの ように、ゆっくりと高度を下げていった。そして、桜花の残骸が黒 翼して見せた。 桜花発進のレ・ハ ーに手を伸ばしながら、しかし保の胸は奇妙に乾煙を曳きながら、放射状に散っていく辺りまで降りていくと、。ヒタ リと停止した。 いていた。保は感傷的になるのに相応しい男ではなかったし、それ のち にかぐや姫と別れた後、彼を待ちうけているのもまた「死」である保は絶叫し続けた。絶叫しながら、エンジンを全開にし、機を一 はすだった。 シュガーたちにむざむざ取れることになるとは思直線に円盤に向かわせていた。怒りでも悲しみでもなかった。かぐ っていなかったが、しかし彼らの技量を考えれば、無傷で勝利がかや姫が虐殺されたという想いが、彼の血肉を震わせ、ただ円盤を撃 なうとはなおさらに思えなかった。 墜する執念だけの存在に変えたのだった。 みちゅき こいつは、かぐや姫とおれたちの心中行になりそうだな。 むろん保は気がついてもいないが、彼と同時に倉本が、そしてシ 保は苦笑を浮かべた。浄瑠璃ではなく、戦闘機のエンジン音が聞ュガーたちがその機を円盤に向かわせている。 みちゅき いま二機の零戦と三機のヘルキャットが編隊を組み、二基の円盤 こえてくる心中行・ , にほとんど勝ちめのない戦いを挑もうとしている。 桜花が発進した。 桜花はキラキラと陽光をあびながら、一本の針のようになって、 保は発射把柄を握った。赤い曳痕弾が弧を描いて、円盤に向かっ ゆっくりと空を滑っていく。 今、かぐや姫は空に放たれたのだ。 て飛んでいく。 五機の戦闘機はわずかに上昇しながら、見る見る小さくなってい く桜花を見送った。その滑空機がロケットに点火し、紅い線条を曳通常、曳痕弾は狙いを確かめるために発射されるものだが、しか けば、次の瞬間には、桜花はもう彼らの視界から消えているはずだしこの場合は違っていた。曳痕弾を放っことで円盤の動きを牽制し、 った。そして、零戦とヘルキャットの空中戦が展開されるはずだっその航法を見定めようとしたのである。確かに過去二回、保は円盤 たのだが : ・ を目撃してはいるが、そのいずれの場合もあまりに短時間のことで、 5 「う ! 」 それだけの予備知識で戦闘に臨むのはおぼっかなく思えたのだ。
るはずであった。 を抱えている保の機は、特に細心の注意を要した。 保はスロットルに遊びを持たせて、ゆっくりと自機に反射神経を直射日光のみなぎる空には、巨大な積乱雲が上昇しつつあった。 慣らしていった。桜花を抱えているにしては、エンジンの調子はまその積乱雲を右に見ながら、保たちの零戦はカロリン諸島の方角に ず上上といえた。 向かって飛んでいた。 保の零戦を労るように、倉本も充分に余力を残して自機を駆動さ マヌス島の上空辺りにさしかかった時、保はスロットルを右斜前 スローロール せていた。 方に押し、慎重に機を緩横転させた。積乱雲のなかになにか光るも いずれにしろ、急ぐ飛行ではなかった。かぐや姫を空に放してしのを見たような気がし、それをはっきりと視認したかったのだ。 まえば、後はこれといった目的のない飛行だった。 やはり来たな。・ インメルマンタ 1 ンで機を正常位に直す保の貌には微笑が浮かん 空がこんなに綺麗に見えるのは始めてのことだな。・ 保はそんなことを考えている。何処を襲撃するわけでもない飛行でいた。海藻をかきわけるようにして、積乱雲のなかから飛び出し と、数刻のちには待ちうけているかぐや姫の別離とが、保の眸にこてきた三機のヘルキャットは、しだいにその輪郭を明瞭にしなが ら、保たちの機に近づいてくる。 とさらに空を美しいものに見せているのかもしれなかった。 かぐや姫が歌い始めていた。いま冷たい桜花の内部でヒッソリと倉本が再び機を揺翼させた。自分の予想が的中したことを誇示し 息づいているかぐや姫は、なにを想い、誰に歌いかけているのだろているのか、それとももしかしたらシュガーたちに挨拶を送ってい 胸のなかをいつになく蕩蕩と流れいく彼女の歌に、保はるつもりなのかもしれなかった。 シュガーたちのヘルキャット三機編隊は、零戦との間隔を百メー 眼を細めて聞き入っていた。 トル程度に保ちながら、ほぼ平行に並んで飛行している。彼らがど 疾うに気がついていたことではあるが、彼女の歌は誰の胸にも伝 わるわけではないらしく、強い指向性を持っているようだった。どれほどに保たちの事情を把握しているのか疑問だったが、しかし攻 うやらいま彼女が歌っている歌は、遠方にいる誰かを呼ぶためのも撃をかけてこようとしない様子から察すると、どうやらかぐや姫が 同行していることは知っているようだった。 のがあるらしかった。 コック・ヒット かぐや姫が教えたのだ。・ 倉本が機を揺翼させて、保の注意をひきつけると、操縦席のなか 保はそう確信している。かぐや姫がその歌でどこかの基地にいた から黒板をふりかざして見せた。黒板にはこう書かれてあった。 シュガーたちを呼び出し、そしていま最期の別れを告げようとして 『かぐや姫はシュガーたちを呼んでいるのではないか』 いるに違いなかった。 保は右手をあげて、同感の意を表した。ありうることだと思った し、実際、そうであって欲しかった。シュガーたちと再び会えたな飛行はそれから三十分ほど続けられた。 ら、かぐや姫を空に放した後の、保たちの身の処し方も自然に決ま保の胸にうねっているかぐや姫の歌が、さらに哀切なものにな ′ンク
保はそう想いさえした。実際、哀しげに、渇えたようなその物体まぎれて見えなくなってしまったのだ。 を凝視めるかぐや姫の姿は、そんな想像が不自然に思えないほど、 「消えた : : : 」倉本が呆けたような声でつぶやいた。「飛んでっち 9 真剣味に満ちたものだった。 まった」 その物体はかなり低空に浮かんでいるように見えた。海岸からの「凄い加速力だ」保も呆けた声で応じた。 距離までは知りようがないが、しかしその円盤の下でふくれあがる「どこの国の戦闘機だって、あんな芸当はできっこないぜ」 波浪を識別できるところから察すると、さほど遠方であるようには 二人の男は肩を並べて茫然と立ちすくんでいた。彼らは骨の髄か 思えなかった。 らの零戦パイロットなのだ。戦うことを運命づけられている二人 が、自分たちの力をはるかに上回る飛行体と対峙した時、金縛りに 保が声をあげた。 かかったように身動きできなくなってしまったのも当然だったかも 二基の円盤の姿がふいに小さくなると、次の瞬間には、燦く星にしれない。 彼らは傍らのかぐや姫が崩れるように膝を折ったのさえ気がっか なかった。むろん、背後のジャングルから、自分たちを見つめてい る人物がいることになど、気がつくはずもなかった。 「いっかあいっとやり合うことになりそうな気がする : : : 」 倉本がポソリといっこ。 「そんな気がして、仕様がねえんだ」 ライナ島の仮設滑走路に、ラ・ハウルから飛来した奇妙な爆撃機が 着陸したのは、その翌日の一」とであった。いや、爆撃機そのもの は、なんの変哲もない陸上爆撃機「銀河」に過ぎなかった。それを 寄妙な、と形容したのは、そのなんの変哲もない銀河の腹の下に、 かなり大きなタンク様の物体が抱かれていたからである。 「なんだい ? こいつは : : : 」倉本が素頓狂な声をあげた。 「親子連れの爆撃機か」 確かに「強い直射日光を黒い機体に照りかえしているその「銀 河」は、子供を胸に抱く父親の姿を連想させた。恐ろしくきびしく
なして動いている。いや、動いているのは星ではない。火球だ。火 そのうえ、彼女は喋らよ、。 : オしカくや姫との逢瀬ももう数えきれな いほどになるが、彼女が何か言葉を口にしたことはいまだかって一球が編隊を組んで、物凄い速度で沖合いを飛んでいくのだ。 度もなかった。無ロだから喋らないのではなく、何処の国の言語も凝然と立ちすくむ保のうちで、かぐや姫の歌う歌が、さらに高 知らないために喋らないように見えた。 く、さらに哀しく波打ち始めている。 だが、そんなことはどうでもいいではないか。 保が火球を見るのはこれで二度めだった。そして、火球との最初 保はそう思う。実際、彼女の美しさの前では、そんなことはどうの邂逅が、零戦パイロットとしての保の運命を狂わせ、卑怯者呼ば でもよかった。ーー長い、長い黒髪、細面の切れ長の眼、ふつくらわりされるはめに陥らせたのだった。 となりのいい唇 : : : 美人といえば、竹久夢一一ばりの女を想い浮かべあの時もーーと保は思った。あの時も、今夜のように、火球は赤 てしまう日本人の保にとって、彼女のような生命感に満ちた美がこい光を放っていた。 の世に存在することは、はっきりと一つの驚異であった。 あの時 : ・ 保は陶然としている。やし酒の酔いに陶然としているのではな とどめ 。傍らのかぐや姫の歌に酔っているのだった。むろん、彼女が実その作戦は、日本が完全に制空権を奪われ、止を刺される寸前の 際に歌を歌っているわけではないのだが、それを他のどんな言葉で断末魔のあがきのようなものだった。ラバウルのブナワナウ飛行場 呼んだらいいのか、保には分らなかった。 に駐屯していた戦闘機航空隊は、艦上爆撃機一個中隊を掩護して、 かぐや姫と一緒にいると、しばしば起きることなのだが、保の胸ガダルカナル島の米軍飛行場施設爆撃に向かうように指令されたの のなかに直接に彼女の感情が伝わってくるのである。決して言葉とである。出撃を命じられた零戦パイロットのなかには、望月兵曹、 なって伝わってくるのではない。喜びと哀しみが微妙な綾をなし倉本兵曹、そして彼らの指揮官機搭乗員である山本中尉の姿も混じ っていた。 て、旋律のように保のうちで波打つのだった。 それはやはり歌としか表現しようのないことだった。 昭和十八年の末のことである。すでにアメリカ軍はソロモン群島 いま彼女は望郷の歌を歌っている。 沿いに北上しつつあり、ラバウルは連日買の爆撃にみまわれてい 保はそう思った。なんの根拠もなかったが、それはほとんど確信た。 にも似た思いだった。そして、やし酒を飲み、夜空を眺めながら、 午前三時、九機の零戦はブナカナウ飛行場を離陸、途中で九九式 彼女の故郷は何処だろうかと考えた。 艦爆機九機と合流して、一路ガダルカナル島に向かった。すでに空 ふいに夜空がぼやけたように思えた。保は眼を瞬かせた。おれはにはうっすらと曙光がさしていて、雲が透明な感じの紫色に染まっ もう酔ったのか。 ていた。 次の瞬間、保は思わず声をあげて立ち上がっていた。星が群れを常ならば、爆撃隊が敵機と出会うことになるのは、米軍基地のあ に 5