それや扁見てもんだゼ。おれ達はさうちやアねえが、共和国へ自分囚人ふたりはもう一度顔見交して , 。ー絶句した。 のはうから加はりにゆく者は日本人にだってたくさん有るんだゾ。 「あれや人間ちゃねえ ! 鬼で : : : 怪物だ」 かす それに彼処ちゃお上の御法通りの社会からはみ出した者を快く迎へ 田代儀ノ助が掠れ声をだして、やっとのことのやうに言った わたり てくれる。おれだけの事で云へば、おらア最後にはこゝへ逃込むの 「」 0 生れとも、ど = 0 者とも判らねえ、渡党や松前藩 0 = ろ も悪くねえと考〈てる。兵隊なんそに取られて田子作や薩長の芋めらゐる・神通力で不死身の大悪党 = ・ = ・それでゐて誰ひとり会 0 た者 らに殴りちらされた上句、陛下のお為に命までご用立てるのは真ッ がねえーーーなんたっておめえ、こゝへ来てそんな忌な話を持出すん 平だと、こゝへ行った友達公が何人もゐやがるからナ」 「ふゝん。面白さうな話だが」と此方は面白くもなささうに押返し さいごの声はぎやくに叫ぶに近いものになった。 た。「それがどうしたんだ。そこへ行くんちゃねえなら、なんだっ 「まア聞けョ」と銀次郎は反対にニンマリ薄ら笑って、 てそんな寝言聞かしやがんだ」 「いやな藪でも周囲りにや薔薇が咲いてゐねえともかぎらねえゼ。 「関係があるからだーー黙って聴け ! 」 棘にさへ気をつけれやナ。流れ山の霧太郎といふ魔物の話は松前時 銀次郎は手すさびに持ったぶなの小枝をビシリと近くの葉群へ叩代からあ 0 たことはおれも知 0 てる。だがおれに言はせれやそれや きつけて叱るやうに言ったが、・ へつにそれほど不機嫌さうな顔つき人間で云へば代が替ってるんだーーー『まだ誰も見た者がねえ』 もせずにもう一度ちょ 0 と黙り、それからきふに相手たちの正面になくはねえ。、ゐるんだョ。会 0 たやつが、 むき直ると、 「だ、ダ誰だ、そんな奴は : : : 」と此方が代るみ \ 吃っこ、 ナ「どう 「おめえら、『流れ山』の話きいたことがあるか ? 」 して本州のおめえが : ・そんな事、知ってるんた」 と唐突に浴せかけた。こちらは面くら 0 た顔見合して「何だと「おれがナ、その本州の孤児院にゐたころの舎弟分みてえな野郎で ? 」とき & 返し " ナ、大利根絮二郎ってやつがゐるんだ」と銀次郎は説きだした " 「『流れ山』だ ? 北海道でそれを知らねえやつはねえだらう」と「こいつがおめえ、前世の情婦を此世でさがし歩いてゐようてえ途 岩瀬が代るやうに応〈た。「流れ山がどうしたんだ。そこへ隠れよ方もねえ野郎でナア、今や 0 ばり北海道にゐやが 0 て、来るなと吩 うとでもいふのか ? そんなものは無えって話だゾ」 ってあるのに刑務所へも一二度面会にきたことがある・ーーこいつが ねじろ 「おれは有ると聞いた」 北見で霧太郎の本拠へ踏込んちまやがったんだ」 銀次郎は落付きはらって言った。 「だがおれの言ってるのは山のこっちゃねえ。人間の、『霧太郎』 「もちろん迷ってだし、当人は昼行燈みてえな・ホケ野郎でこちとら のはうだ」 みてえな悪気はねえ。鬼も霧太郎ぐらゐの酒顛童子になるとそれが すぐ判るんだナ、無害な者にや何もしねえ法なのかどうか、柔しく ばけ 8 6
も手荒くもなく一ト晩泊めて、『人手が要る。来る気のある奴は来の・組でも一ばん古い、信用のおける取次ぎ案内人だ。仲間の話ち ことづ い』と伝言けて帰した " 『褒美には宇宙の宝と命を分けてやる。後や、この宝探しを最初に考へついたのも奴さんだといふ事だが、お れはそれにしちゃ爺さんすこし老い・ほれすぎてると思ふ。とにかく 悔はさせねえ』と言ったさうだ」 おれがおめえ達を取持たうとしてるのはこの仲間た。鬼の『宝』が えもの 何だったにしろ、収穫は均し山分けの約東だ。霧太郎が怖けれや手 「 : : : どういふ意味なんだらうナ : どうだ ! 」 「おれにも分らねえ。この絮一一郎 0 てやつは名のとほり柳のみてを引きゃいゝんだ えな芯のねえ野郎だからナ、突込みも尋返ししねえで戻ってきや「うーむーー」 といふ一つの歎声しかしばらくは応へなかった。 がったーー・晩とよくあさ貰った食事が悪くなかった、なんて吐いて 「流れ山の霧太郎相手ちやアナア やがんだから締まらねえ話よ ! 」 しりごみ 「するとナニかナ、霧太郎はその『宇宙の命』とやらで大昔から生岩瀬寅吉は溜息まじりで逡巡をみせて、 0 0 「只の人間なら関白だらうと陛下だらうと憶みやしねえが、云伝へ きてやがる人間なのかナ。おれの聞いた話ちゃ悪魔だってことだ ばけもの の妖怪ときちや二ノ足だナア ! おらア子供の時分、生き物のやう が」 に動いて所を変へる山の森に棲んでる鬼の『霧太郎』の話をきくた 「知るもんか」 「それでおめえはどうだってんだ。そこへ行かうってのか ? それんびに、その晩魘されたもんだ」 がおめえの言ふ『助ツ人』の話なのか ? 」 田代はしかし、いつまで怯んでもゐられないといふ顔付で、 「それだ ! 」 代りあって訓く相手に銀次郎はきつばり首をふった。 と切出した " 「その流れ山は空噺しちゃねえ。じっさいに有る、 「違ふ。おらア行かねえよ。そんなお伽噺を真にうける奴があるも んか。鬼の欲しがってるのは手下だらう。おれ達のは仲間だ。たとおめえ言ったナ。どこだそれは。そしてどんな場所なんだ。まづ ゞ、その『宝』てのがナアーーーおめえら何だと思ふ ? 気にならねそれを聞かなくちゃ腰が上らねえナ」 えか。おれにや一寸心当りがあるんだ。なくてもマア一寸踏んでも銀次郎はニャリと笑った。 つみあがり みろ " 何百年の蓄積だそ。だがウッカリ手出しをしても、奪どほり「言へねえ事がある、と言ったらう。それはおめえ達がたしかな仲 ばけもの ならこんな危い相手はねえ。人なのか、鬼妖怪なのか、、正体も知 間になってからだ」 りたくてあぐねてゐるうちに同じ考への仲間ができたんだ。今のと「ちや相手のことだけ言へ」儀 / 助は食下った、「そのおめえの舎 どんな奴なんだ、実の流山霧太 ころは遠巻きの形に散らばって、あちこちから嗅廻っちゃ探りを入弟といふのが会ったんだろう ? でか れてる程度なんだがナ、何しろ相手が巨すぎて人数が足りねえん郎は だ。シマリナイに二三人来てゐるのはその社中で、ケウシは土地銀次郎はもいちどニャリと、しかし今度はいやに気味のわるい笑 ホャケ なら ひる 9 6
うつない わけです。こゝらはもう東南の外れにある珍内の鉱山あたりが人界か踏込んでゐたのでした。それからは、さっき申上げた宇宙の声に の果で、一たん迷ったらどうにもならない所です。尋ねた宛先はや導かれて霧太郎の山塞・ーー連中は「城」と云ってゐますがーーーに、 はり人違ひでしたが、そこで吩はれたやうに元来た途をもどればよ自然とはいっていったのです。その中での事は、お説ねの問題とも かったのを、ちゃうど幌延まで鉄道が来たころで、天塩川のはうへ違ひますし、気味がわるいのであまりお話したくありません」 突切らうとしたのが間違でした。たぶんそれが国境なのだらうと思私は礼を言って、「ところでー」とまた尋いた。 「シノ森といふことをご存じでせうか " 「死の」森なのか、植物の はれる尾根がありましてネ、切れ目へはいれば大した山ではないの ですが四方八方タイガ林になってしまって見当も見通しもっきませ「篠」の森なのか分りませんが、さういふ物の噂があるのでせう か。そしてまた、あれば今のお話の森と、なにか関聯するでせうか ん " 磁石だけが便りですが、それが貴方、狂ふのです ! 」 じつはこんな物を受取ったのですが」 「えゝ卩 磁石が さう言って私はれいの偽せ銅貨を出してみせた。 「ハイ。磁石が狂ふのか、自分の目が狂ふのか分りませんが、たっ うしとら たつみ たいま右手の東北に見てゐた小峰がホンのちょっとの間に東南にな大利根氏はそれをなんどか裏返しながら視て、落付いた様子でう なづいた " ってゐる。五ふんや六ぶんでそんな距離を歩くはずはありませんか らネ、こんどは磁石を見据ゑながら真ッ直ぐに歩くと : : : 貴方、同「こういふ物がかなり出廻ってゐます。誰かゞなにか為めにしよう じものがいつのまにか左り側になってるぢゃありませんか ! 自分としてゐるのだと思ひますけど、何のためかは分りません。『死の がじぶんで知らずに廻れ右でもしなけれや、そんな莫迦な事は有る森』といふのは霧太郎の棲処だと謂はれてゐる所で、その意味では 「流れ山」とも同じです。私の迷ひこんだ森もそれだと思ひますー はずがありません」 ー生きて帰ってはきましたけどネ」 ・ : それは : : : 」 さう答へてから彼は・いさゝか辟易してゐる私の顔をジッと見て 私は釣込まれた気味悪さにロ籠りながら言った。、「 : : : もしかし 言った。 たらそれが例の「流れ山」なのでは : : : 」 「ハイ、さうなのだと思ひます。しかし私はそれを確かめる勇気も「それでも行かれるお心存りのやうですネ」 時間もありませんでした。といふのは、さう思った瞬間に恐さに我「 ( イ、好い気持はしませんが、己むを得ません。ほかに相手の行 を忘れて夢中で先来たはうへ逃戻りはじめたからです。そして気が先について目当はなし、それに役目ですから」 " い & 方法には違ひあり ついたときには見たこともない紫いろの夜の森の中を歩いてゐまし「相手の行きさうな所へ先廻りして待っー ませんが、場所が場所で、すこし冒険ちゃムんせんかネ工。月夜野 た」 がかならずそこへ来ると決ってもゐないしーー・私が伺っておいてお ことづて 「それはもう「流れ山」の中で、私はその「死の森」へいつのまに伝言しませうか」 すみか 6 8
がなだれ落ちてくるのではないかと思われた。地下室は土ほこりでをたんねんにおさえてすき間をつぶす。 一メートル先も見えなくなった。 「あたしのとおりにして ! 何があっても声を出してはだめ。この もう一度、鳴動がとどろき、あとは物音がとだえた。二人は床に材質は音は通すからね。それからすき間を作らないように」 身を投げ、石のように動かなかった。十分、二十分。思い出したよ リーミンは沈黙し、まゆの中のさなぎのように動かなくなった。 どこかで石塊が崩れ落ちる音がひびいた。 透明な布を通して、目だけが、別な生き物のように見開かれていた。 「地上部分は完全にやられたようだぜ」 シンヤもたんねんに体の周囲をおさえ、それから息を殺して待っ 「だまって ! 動いてはだめ ! 」 た。リーミンが恐怖におびえるようなことが、今はじまろうとして リーミンか低く鬧した。 いるのだった。 さらに二十分、三十分と経過した。 一時間近い時間が過ぎたと思われる頃、ふいに、ドアの向う側 「どうしたんだ ? 」 で、かすかな物音が聞えた。 リーミンの緊張が伝ってきた。 また石塊が崩れる音が聞えた。 回転音に似た、低いくぐもった金属音が流れてきた。話し声聞 「調べにきたのか ? 」 えない。人の気配もない。伝って v る音響以外には、奇妙な静寂が 「声を出さないで ! 」 ひろがっていた。 その語尾に、濃い不安と恐れがあった。 とっぜん、境の分厚い金属のドアが、暗いオレンジ色にかがやき そのとき、どこかで、かすかな物音が聞えた。それは金属と石塊はしめた。何者かが、ドアを焼き切ろうとしているらしい が触れ合う音だった。 シンヤは思わす立ち上った。リーミンが透明な布の下から腕をの 「こっちへ来て。音を出さないように」 ばし、シンヤの脛をスパナで打った。 「わからないの ! 」 厚く立ちこめている土・ほこりの中で、リーミンの携帯用投光器の 光が、細い縞となって動いた。 それでシンヤは、ふたたび地虫のようにうずくまった。 、、ンは透明 地下室の片すみの工具入れらしいロッカーから、 ドアはみるみる白熱にかがやいた。やがて、その白熱の部分の中 なビニール布地のようなものをとり出した。ばさばさとひろげる。央が、煮えたぎるように下方へ流れはしめると、その部分がぼっか りと開いた。 二枚になった。一枚をシンヤの手に投げてよこした。それはビニー ルとも、セロファンとも異った非常に軽い材質だった。 鋼鉄のドアは完全に融けさり、ゆらめく熱気とじよう気のむこう 「早く、それをかぶって ! 」 に、暗い空間がひらいた。 リ】ミンはその透明な布を頭からかぶり床にうずくまった。周囲そこに、異様なものがうすくまっていた。平たい、円盤のような 幻 8
しむしむたむ ラ架森言覃ーー一流山霧太郎の妖しき伝説ーー 今日泊亜蘭面 = 石井三春 生き物のように所を変える伝説の 北国に鬼棲むという「流れ山」 人の世の縁の糸は紡ぎ出されて ついに宿業の綱は宙に舞った 55
「銀次郎は、たしかにこの辺りにゐるーーーといふより俺のまはりを 覚醒意識のはっきりした私の目の前で、映画の重褶法がゼキルとハ イドに変へるほどにも間隙を見せずに変遷してゆき、蠕虫のうねるうろっき嗅ぎ廻ってゐると云ふはうが正確だらう。彼奴はその性格 9 くす ゃうな緩やかな推移のうちに、いまや青銅と白金の化合のやうな妖上の理由から、ロシャ人の宝石を預りながらそれを窃ねとらなかっ ミトラの眼」が金に直せば一国を制するほ しい光輝に照りかゞやく、黄金の眼をした丈余の金属生像となり了た。がその裡にあった「 せたのである ! そしてその顔は、世にも恐ろしい鬼面でゐながどの額のものだと後で知ると、たゞの石や玉がそんな値打を発揮す るなら、流れ山の霧太郎がたくはヘた鬼の宝はどれほどの力にかは ら、奇妙に人界の誰かに似通った感じを抱かせるのだった。 ぶんど ることか、よし俺はそいつを奪略ってやらうと思ひついたーー・彼奴 「おぬしはー」 らしい図太い料簡さ。だが盲蛇に怖ちぬ何とやら、それがそのまゝ とその生ける緑銀の形象は重しく言った " かれの・唇のない、 レンズ 埴輪の目のやうな扁豆型のロはほとんど動かず、それでゐて深い洞奴の命取りになることを知らないのだ」 窟からひゞくに似た反響をともなふ威嚇的な剛強な声は、言葉であ「なぜです ? 」 るよりはむしろ内面からの毅い思念の波となってこちらの全身を押私は怖問ふた。かくも実在してゐた霧太郎を銀次郎の影武者と 踏んだ勇み足の耻は、とうに妖鬼の恐るべき力にたいする畏怖と驚 包み圧仆しながら響き渡ってくるのだった。、 おひはら 「おぬしは、銀次郎は此処にゐるー、そして居るからには得体の知歎に駆逐はれてゐた。 あるじ やけど れぬ主に化けてゐるのがそうに違ひない、と考へたのだらう。焦っ「火いたづらをする赤ん坊は火傷するに決ってゐるからだ」 てゐる捕吏としては無理もないし、妥当な推察でもある・ーーが間違と魔物は事も無げに静かに言ったが、私は却ってその調子の冷淡 ってゐる。鬼神は有得ないから其を名乗ってゐる者は人間だといふな無慈悲さにゾッとした。相手はっゞけた " カ虫けらの分際でち ・狂った方程式で動くことになるからだ。その外れた孔から出発す「俺は人間どもに働きに来いと呼かけはした。 : ると、おぬしの胴着の釦はさいごまで違った場所へはまりこむことよっかいを出せ抔と吩ひはしない。おれが此処に蓄積ないし保有し ・もと てゐる或る物質や機材が人間界には類例もないカの源となるだらう になる」 ことは解る。がそれを渠等に与へることなど、思ひもよらぬといふ 私は一言もなかった。 が不思議なことに、さうして語るに絶えた浸透的な声と思考を送より、まるで逆の話だ。なぜなら人間はそれを扱ふのではなくて、 りつけてくる妖異なものゝ精神の波は、いっしかまったく始めの嘲反対にそれに処置されるものだからだ」 かるら ーー迦楼羅と犬張子、そして道中なんども脅やかされた深井のお 笑的な威勢と圧力をやはらげ、むしろ何やら己れの感懐を独言っに おづ かめが怖ととはいってきた。城主は彼等にだまって手で場所を示 も似た、平静でやゝ沈潜したものに変ってゐたのである。 し、暫時そこで控へてゐるやうに命令すると、そのまゝ対話をつゞ 「銀次郎は・・・ーー」 ける様子で私に向直った。 とその鎮まった静穏な思想の声はそのまゝ同じ調子でつゞけた。 ラブス オーヴァラツ・フ おづ
いや、先住者 た。人間たちがまだこの惑星に来ていない頃から・ : ・ : 司政庁に、どこか淋しげな感じがあることは否めないのだ。 よせ。 たちもいなかった昔、それ以前の太古から、ひたひたと揺れ、波を マセは、かすかにロ辺を歪めた。 寄せては返していた海なのだ。それは今後もずっと マセは、そこでわれに返った。 また、それを考えようというのか ? そうではない。 それよりも。 そうなのだ。そんなことよりも、自分には問題が山程あるのだ。 今後もずっと、ということはあり得ないのである。この海、海の みならずこの世界、この惑星には、未来はないのだ。この瞬間もこ 連邦直轄事業体との駆け引きや、科学センターへの働きかけや・ : こを照らしているあの太陽が新星になるとき、すべては終るのであ そして、来るべき時期ではないのにやって来る巡察官のことや : ・ る。 その、新星化に関する連邦経営機構からの情報はまだ入っていな 彼は、こまかく波を光らせているダイスラの川面から、随行の ポット官僚たちへ、ついで、晴れ渡った空へと、視線を移した。 と、怒りがこみあげてくるのを抑えながら、彼は そうなのだ そういえば、もう午後に入っているはずである。 彼はかすかに空腹を感じ、いつの間にかゆるんでいた歩行速度をデスクに再び目を落した。そこには、彼が今、決裁を行わなければ あげた。 ならぬ書類があるのだった。 それは、司政庁修理工事の許可を求める申請書である。すでに老 朽化してあちこちに不都合を来している司政庁の建物は、全面的な 疲れている。 手直しをしなければならないところ迄来ていた。だから司政庁並び 彼は仕事の手をとめ、窓から外を見おろした・ 司政庁のこの公務室の下は、海である。司政庁が海に面した岩壁に司政関連施設保守の任にあるロポットは、規程に従って修理工事 に建っているからだ。司政庁の最頂部は灯台になっていて、担当のを禀議し、が司政官に廻して来たのである。が ロポットが守っていた。その灯台は、ここから北にある旧港が栄え自体の判断によって、この請求を何度か却下したということは、充 分考えられる。何年も前から請求は出され、それをその都度 ていた頃、ツラツリットの象徴でもあったのである。 / ツリの、左にツララスの、ふたつの大陸が見えてが相応の理由によってしりぞけて来たのであろう。だが、もはや司 遠く、右にハ・、 政庁のいたみかたは、のみの判断ではどうにもならぬところ 迄来ていた。来ていて : : : しかも、ラクザーンの太陽の新星化をデ それから眼下。 眼下 : : : 傾きかけた陽を受けて、海は、どこかなっかしい、それータとして保有しながら、それを表面に出すことなく、通常の、定 められた統治方式によって任務を遂行するーーーという、たち でいて時間の流れを想起させるような、微妙な色合いを帯びてい
つめだした。 うに地平を辷ってゆく そんな筈はなかった。といふのは家との大半は窓に古板を打付け「流れ山」では森も山も動いて場所をかへると聞いた " 〈あれがそ て、目つぶしがしてあったからである。 うだ ! 〉と思ったとたんに、私は自分の任務も目的も忘れた只の憶 それでも誰かに視られてゐる感じが抜けきらないーー終ひに、見病者にかはった。 る窓はあるはずのない真後ろから、やつばりジーツと視つめてゐる あの忌な悪ふざけめいた贋金のいたづら書き、「死の森に近づく かん 奴があると思へてきて遣切れなくなった。 な」といふひと言ほどこの間の我との心理をついてゐるものはなか 思ひきってクルリ ! と振向いてみた。 ったのである。「見るな」「近よるな」と言はれゝば行って・視た もちろん誰もゐはしなかった。それでゐて、ふたゝび歩きだすくなるし、「言ふな」ととめられた事はよけい喋りたくなる。それ と、その視てゐるやつの感じはだん / \ 強くはっきりしたものになでゐて「近よれば碌なことはないそ」といふ忠告は、いまこゝへ来 っていって、「霧太郎」ちゃないだらうかといふ気がしだしてくるて千鈞の重みをもった真実を発揮してゐるのである。 のである。 さう思って立停ってしまった私の目の前へ、森は紫いろの霧をま 不思わーっといふ不覚な声をあげて私は走りだした。一刻もはやとって立現れてきた。 くこの幽霊村を抜出さうとして 「来るなョ , ーーー来るでないそ」 その事はできた。 が、出ると地勢が変ってゐた。 とそれは低く、唸るやうに言った。 〈こうなってはもう仕 もともと私の道は、南方上・下二山の尾根くづれを遠く右に見て私は夢遊病者のやうにそのほうへ進んだ。 方がない。、もともとその目的でやってきたのだ〉といふ、声になら ゐる迂回路だった。、それが左に見えてゐるのである。 ない独り言を、夢の中とおなしに呟きながら。 それだけではない。 ちょっと歩いてまた見ると、右にも左にもそれが見えなくなって森はばっくりと口をあけた。 ゐる。 生き物だった。そんな奴に食はれたくはないのに、私は自分でも なぜなら、後ろから冷た 始まったナ、と思ふと背骨がギーツと軋むほど怖くなってきす & んで其にむかって歩いていった 、気味のわるい目で視つめられてゐる恐怖は前へ駆立てられるし かなかったから。 どうしよう、引返さうかと真実思った。 が引返すためにはもう一度幽霊村を通りぬけなければならない。 入口のすぐ前まで来たときに、何かゞ。ヒューツと風をきって私の これは考へるだけでも願下げだった。 横を飛んで過ぎ、サッと廻ってヒラリと下り立ったと思ふと、無表 と、向ふに森が見えた。森ではない。、まだ樅の黒い疎林にすぎな情に私を見つめた。あのおかめだった。無表情なのも道理、このお 9 いのだが、見てゐるとそれがひょい、ひょいー と蟹の横這ひのやかめの面は只の笑ひ顔のおかめでなく、なにやら能面の深井に似か こ 0 ・ヘ / ケ・ハンケ
事をやっている。思いのほか長かった。やがて彼女が家に入り、男きる最良の仕事をはじめるんだ・ーー君ならうまくやれるだろう。私 にはわかっているんだ」 は歩道に降りてまわれ右をする。私はすっと忍びよって、彼の腕に 手をかけた。「これでおしまいだ。迎えにきたよ」私は静かにいい 「そうでしようとも ! ー軍曹も相槌を打った。「このおれを見てみ わたした。 ろーー一九一七年生れだ。まだこうやって生きてるし、まだ若くて 「あんたは ! 」彼ははっと息を呑んだ。 人生を楽しんでるよー私はジャンプ室にもどると、すべてのダイヤ 「私さ。さあ、問題の男が誰だか分ったろう よく考えてみれば ルをあらかじめ定めておいた零にもどした。 君は自分が何者かわかるだろうーーーそれに、もっとよく考えてみれ ば、あの赤ん坊が誰だか : : : そして、この私が誰だかも」 一九七 0 年十一月七日。第五経度基準時ニ三時 0 一分。ニューヨ ーク、ホップ酒場 彼は答えなかった。ひどく体がふるえていた。自分で自分自身を 誘惑したのだということを、目の当りに思い知るというのは、ショ 店を一分間あけていた説明は、私はドランビー ・ウイスキーを一 ックに違いない。私は彼を高層ビルにつれて帰り、また時間の世界本もって倉庫から出てきた。・ハ ーテン助手は″私は自分のおしいち を飛んだ。 んをかけた客と喧嘩している。私はい 0 てや「た。「やらしと けよコードを抜いちまえばいいんだ」私はひどく疲れていた。 一九八五年八月一ニ日。第七経度基準時ニ三時 00 分。ロッキー 辛い仕事だが、誰かがやらなければならなかったのだ、一九七二 山脈地下基地。 年の「歴史的大失敗」以来、最近では新兵をスカウトするのがひど 当直軍曹を起して身分証明書を見せてから、連れに安楽錠をやっく難しいようになってきていた。人をスカウトするのに「汚れきっ て寝ませて、明朝から新兵として教育するようにと、 しいつけた。 た世界から拾うよりいい源泉があるだろうか ? そして彼らにいし 軍曹は嫌な顔をしたが、いつの時代でも階級は階級なので、 しいっ給料を払ってやり、面白い仕事 ( たとえ危険はともなっても ) を与 けに従った。もちろん、肚のなかではこんど会うときは向うが大佐えてやるのだ。しかも、れつきとした根拠のある仕事だ。いまでは で私が軍曹ならいいと思っているのだろう。われわれの軍ではそん誰でも一九六三年の原爆戦がな・せ失敗したか知っていた。ニューヨ なこともありうるのだ。「名前は ? ー軍曹は訓ねた。 ークの番号をつけたやつは破裂しなかったし、ほかにも予定通りに 私は名前を書いてやった。軍曹は目をまるくした。「へえ、そんいかなかったやつが百もあるーーーすべて、私のような航時局員の仕 な ? ふうむーーー」 事なのだ。 「軍曹、君はいわれただけのことをすればいいんだ」私は連れのほ だが、一九七二年の大失敗は、私のせいではない。あれは、われ うにふりかえった。 ああならざるをえなかったのだ。あのと刀 われの手落ちではない 「なあ、君の苦労はもう終ったんだ。君はこれから、人間としてできは、解くべきパラドックスが存在しなかったのだ。一つのものは
ひと なら何も、三文の得にもならねえ他人の事であんな青筋を立てやしるときの各自当分の資金はおれが出す、と言ふのだった。今から金 ねえーー銀てやつはどうもさういふ、へんに正義感のつよい野郎な額は判らねえが、マアひとりに千円近くは渡せると思ってくれ んですョ。あっしに言はせれや、こちとらならず者が正義ふり廻し彼の嘘を言はぬことを知ってゐる無期が二人、欣んでこれに乗った たって仕様がねえんだけどネ。銀にやそうちゃねえんですネ工 のは自然だらう。たゞしこの二人のやくざ者は、どこかの炭坑ない でいり あれは、エ : ・たしか六日め : : : イヤ七日めの夕方だったかナし採鉱地で飯場か部屋の紛争があり、加勢を募集してゐるのだらう オコッペあが ア " 興部へ上陸ってジャマッケ山へはいってからの事でしたよー と考へてゐたので、船が興部まで北上し、上陸後の行先が鴻ノ舞で も空知でもない名寄だと聞かされたときは怪訝な思ひに駆られて問 返さずにはゐられなかった。 彼等三人が二見ケ岡の農事作業場から脱去、あらかしめ打合せ用「なんで名寄なんだ。百姓家と小店と変テコ石しかねえ所だそ」 意された漁船で興部へのがれ出たのは、湖畔の樹海づたひにエサイ と田代儀 / 助が不平げに言った。「ろくな賭場もできてやしね の村へ入り、これも前以て設けられた隠れ家に三日ひそんで追手をえ。ぼこぼこ石の繩張りででいりになるなんて、聞いたこともねえ やりすごした後たった。銀次郎が監視員を射ったのは、三人がこのナ」 森へ逃込むとき、さうさせまいと焦った役人がはが銃撃を浴せたの 「だれが出入りだと言った、ばかやらう」 もって に応戦した為である。この連中が白昼急用に呼出されでもしたやう銀次郎は笑ひとばすふうで、「でいりで検東かれて、「ヘイ私は に堂々と労役の場を退出しはじめたので、途惑った監視がはの追跡網走から来た者でござんして」とお白洲で名乗るつもりかョ、おた が出おくれたことも、朝がた土地の出漁船の舟底にかくれて川口のんちん ! 」 監視網をすりぬけたことも、一様に外部の協力があって巧みに官憲「ア、そうか」 の盲点をついてゐる所に「組織」の活動が臭ふため、それとの結合「そうかちゃねえや、そんな思案しか涌かねえから年中どちふむん 性がもっとも高い月夜野銀次郎が今次の首魁ないし主謀者であり、 だ。それちゃまるつきり逃げも隠れもしねえはうが増しちゃねえ したがって彼も亦じつはその徒党なのだらう・といふ外部の想像はか。なんでこんな手間かけてほっつき廻る ! 」 こゝから来てゐる。そのことの当否はとにかく、銀次郎がこの行動「ちやどうしようってんだ一と岩瀬も問ひ方に廻った。「もうそろ の発企かっ案内人であったことは間違ひない。 / \ ぶちまけた話を聞かして貰ってもい & 頃だゼ。たゞ随いてこい 彼は仲間ふたりに、委しい事情は告げなかったが、さる方面で助ってんちゃ、子供ちゃあるめえし、何かあっても落合ひのめども付 ツ人が何人でも欲しいのだ、と話した。べつに多額の報酬はない きやしねえ」 5 が、日常の暮しは十二分に保証され、自分達はほとぼりの冷めるま「尤もだ」銀次郎もうなづいて。、「名寄の先にシュマリナイといふ 6 で其処で申し分ない潜伏生活を送ることができる。そしてそこを出山中の村がある。はぐれた場合の落合ひ場所はこゝにしよう。そこ なか っ