人間はそう簡単に死ねるものではない。それ相当の手続きが必要ハワード、 それにインターンが一一人。みんな、白マス一クと白衣だ。 メリーはわれわれの検温図をのせた車輪つき器具台を押してくる。 おれが、ほかの新米たち九人と一緒に、この結核病棟へやってき主任医は間のぬけた目に鼻めがねをかけた長身の ( ゲ頭だ。婦長は たのもそのため。あの世へ行くための基礎訓練というわけだ。 肥えた・フタのような女で、太くて低い声を出す。 この訓練には段階がある。最初は大きな病棟。歩きまわること 主任医は自分でこちらを診察することも、嗅ぐことも、話しかけ も、外出することもできるし、ミスターと呼んでもらえる。やがてることもしない。検温図を通してこちらの反応をうかがい、当の本 順調に行けばの話だが この隔離病棟への昇格。重患さんと人が目の前にいるのに、まるで目に入らないかのような口調でこち 呼ばれる。どこかへ出かけることもできない。顔を合わすのはマスらのことを話す。患者のカ・ハーを取りのけ、パジャマを脱がせるの クをつけた連中ばかり。そろそろ、あの世へ半分足をふみ入れたよ はメリーの仕事だ。そのあと、二人のインターンが患者のからだを うな気持になる。 まさぐり、観察し、聴診して、結果を主任医に告げる。主任医は患 死、すなわち衰弱と隔絶。車道を走る自動車の音がきこえ、歩道者に聞けばいいような質問をインターンにたずねる。患者はインタ 1 ンに気分がどうのこうのと答え、インターンがこれを主任医に中 を歩く小さな人形のような人かげが見えはするが、直接訪れてくる のは白マスクと白衣の人間ばかりで、ロをきくときにも顔をそむけ継する。 られる。感染を恐れているのだ。こっちだって、ごめんだ。 主任医は神聖にして犯すべからざる存在なのだ。 おれを訪れる者は皆無たった。ここへ来る大分前から、死人にな 小柄で黒目黒髪のやさしいメリーを婦長が始終いじめている。二 る練習は積んできた。・だからこそ、おれは重患扱いされる境遇に慣人いるインターンの一方はメリーと同じように小柄で黒目と黒髪、 れるのが人一倍早かったのだろう。 目つきもやさしく、→物腰もやわらかい。もう一方は色白で丸々とふ やさしいことだ、「ここで死んだふりをしているのは 0 いかにも従とっている。 順な重患さんらしく、与えられた薬をのみ、きめられた安静時間に主任医の声は甲高い。婦長はメリーにがみがみと小言をいい、イ は眠り、与えられたミルクを飲んでおれまよ、 ンターンたちのアラを探し、主任医に対しては主人に尾をふる大の も。こちらの顔色がい いとか、気分がよさそうだとか、向うが下手な冗談を言ってきたように甘えた声を出す。 ら、歯をむき出して笑ってやればよい。そんなことは何も向うから この連中はいつもマスクをしているので、その下にどんなご面相 言ってもらわなくたって、と腹を立ててはならない。それがきまり がかくれているのかおれは知らない。だが、その方がかえって幸せ なのだから。 だと思う。どうせ、ろくなご面相ではあるまいから。ただし、メリ そのきまりを特に思い知らされるのは回診のときだ。回診は一種ーは別だ。婦長はひとまわりわれわれを検閲する。煙草を吸ったと の。ハレードであるーーー主任医と看護婦、当階担当看護婦のメリー・ か、安静時間に眠らなかったとか、少しでも不行跡を発見された かん 205
急いでもどってきて、チュート の枕くさびをゆるめた。彼女はスロ ップ・チュートの全身にべたべたと世話を焼いてまわり、結婚式を おばさんは、とにかくチュートを連れて行け、と作業員たちに身 かぎつけた女がよくするように、ひらひらと飛びまわった。ケイシぶりで示した。ケイシーはその一人の顔面をなぐりつけ、スロップ ーはおばさんに特別製のいたずらをお見舞した。おれたちは思わず・チ、ートは低くほえた ~ 「向うへ行け、野郎ども ! 」 笑いだしたが、おばさんは全然気づかなかった。 作業員たちはためらった。 おばさんは小さな目を細め、両手をふつで作業員たちをせかせ その日の午後、二人の白マスクの作業員が天国行カートを持って やってきて、スロップ・チ、ートをレントゲン室へ連れていこうとた。 した。ケイシーはカートによじ登り、作業員たちをにらみつけた。 「わからず屋はよしなさい、・あんた。先生が一番よくご存知なの スロップ ~ チュートは、自分は行きたくないから向うへ行ってく よ、あんた」 れと二人に言った。 作業員たちはスロツ。フ・チュートを見、それから互いに顔を見合 二人はメリーを呼んできた。メリーは、・ とうか行っズくれ、これわせた。ケイシーは両腕と両脚で死神おばさんをかかえこみ ( 首っ は主任医の命令なのだから、とチュートに云った。 玉にかみつき始めた。どうしてそうなったのか、ケイシーがおばさ 悪いけど嫌だ、とチュートは答えた。 んのからだの中にとけこむようにみえた。途端に、おばさんはケイ 「お願い、わたしのために。ね、スロップ・チュート」と、メリー シーをふりほどき、室外へかけ出した。 は懇願した。 それでも、ーおばさんはほどなくもどってきた。死神おじさんも一 メリーはおれたちの正しい呼び名を知っている・ーーーこのことも、緒だった。ケイシーはおじさんを入口で迎え、おじさんがスロツ。フ おれたちが彼女を愛する理由のひとつなのだ。だが、スロップ・チ ・チュートのべッドへ来るまでの間中、めちゃくちゃにかみつい ュートは首を横にふり、大きなあご骨を突き出した。 た。おばさんはメリーに検温表を持って来させ、死神おじさんはち メリ . , ト十へ こうなれば、そうするより仕方がなかったーー・死神 よっとの間、スロップ・チュートの反応を調べた。おじさんの顔色 おばさんを呼んだ。よちょちとおばさんが室内に入ってきた。ケイ は青ざめ、ケイシーが攻撃するたびに身体がゆらいだ。 シーはおばさんに唾をはきつけた。 おじさんはスロップ・チュ 1 ト の方に向き直り、深呼吸をした。 「さあ、さあ、あんた。いったいこれはどうしたというの、あんケイシーは攻撃を再開し、両手両足をおじさんにからみつけ、あの た。わたしたちがあんたを何とかよくしてあげたい、家へ帰してあ大きな黄色い歯でマスクの上から噛みついた。ケイシーの毛は逆立 げたいと思ってることは、あんたにもよくわかっているじゃないの、ち、両眠は地獄の焔のように赤かった。 あんた」と、おばさんはスロップ・チ = ートに〈あんた〉の雨を浴死神おじさんはよろよろと後すさりして病室を横ぎり、カーナ ( びせた。「さあ、いい子にして、あんた、診察室へ行ってちょうだンのべッドにぶち当った。他の白マスクたちは息をのんでおびえ、 2 ー 2
は貧しいイタリア移民にすぎない。一方、ビンク・ワルドーは良家 ら、さあ大変、小言の雨がまずメリーに降るのだ。 そのあとで、われわれにも、たつぶりと慈雨をそそぐ。とにかの出身で、こいつもメリーに惚れている。患者たちはカーリー・ワ ルドーの味方だった。 く、われわれは赤ん坊のように彼女を恐れ、あがめ奉り、何でも言 うなりにしていなければならないのだ。少しでも造反をしたら 同室の仲間たちが散ったあと、おれはスロップ・チュ 1 トと昔の そう、無事にあの世へも行かしてもらえないのではなかろうか。 中国時代をなっかしんだ。おれの頭の中に、ジョン・・エドワー まったく、あの鬼婆の憎たらしいことといったら ! 死んだら、 ド号の上甲板非常ロわきで、片手にコーヒーカップ、もう一方の手 ぜひ地獄でもう一度お目にかかりたいと思う。 に今にも灰の落ちそうな煙草の吸いさしを持って坐っているチュー の姿がよみがえってきた。木棉のズボンとビカ。ヒカの靴をはき、 これが隔離生活第一日か第二日目あたりの感想たった。だれでもト がするように、おれもまず、だれか知り合いはいないかと病室内を全地球の覇者のような輝かしい顔だ。大きな顔と大きな腹。東南ア ジアの列車の個室の中で、無心に食物をかきこむ姿ーー実は、これ 見まわした。だれもいないようだ。三日目になって、同室の一人が がかれのあだ名の由来だった。中国料理屋でビールと中国酒をすす 不意におれの名を呼んだ。そのしやがれ声には確かに聞きおぼえが あったが、これがあのスロップ・チュート・ へウットだとは、そうっている姿。スキビー ・ヒルのホテルで背の低い接客婦をまるでふ りまわすような格好でダンスをしている姿。そう : : : そうだった ! 名のられても、なかなか信しられなかった。 そのからたはまったく骨と皮ばかりになっていたが、なにかに戸それなのに、今の姿はなんという変りようだ。 しかし、例のロをばっくりあける大笑いの表情だけは元のままだ 惑ったような青い目をみつめていると、かって英国人の与太者に不 意討ちのパンチを食ったときのかれの表情が浮かびあがってきた。 「パレスで踊ってたコニーって子をお・ほえているかい ? 」と、チュ おれはやっと納得した。 ートはたすねた。 チュートはおれに会えて嬉しいと言い、おれたちは久しぶりに笑 もちろん、おれはお・ほえていた。ポルトガル人と中国人の混血娘 い合った。そこへ、縞模様の室内着を羽織った同室者が何人かやっ てきて、チュートの仲介でおれはたちまちみんなと打ちとけあつで、たまらなく可愛い子だった。 おれの命もそう長くはない。今になって残念 た。同室の連中は主任医を〈死神おじさん〉と呼ぶことを、そのと「なあ、チャーリー。 き初めて知った。婦長は〈死神おばさん〉。金髪の方のインターンでたまらないのは、せつかくチャンスがあったのに、あの子と寝な かったってことさ」 〉。黒髪のインターンが〈ちちれ・ワルド ・か〈。ヒンク・ワル・ト 1 ー 1 〉。メリーはメリーだ。これが一種の合い言葉みたいなものにな「いい子だったからな」と、おれは言った。 「ビロードで包んだエメラルドのような娘たった・せ、チャーリー。 っていた。 カーリー・ ワルドーはメリーに気があるのたそうだ。たが、かれモノクラシー号に乗組んでたころ、五、六回デートしたかな。あの 2
「笑い出したときのいいわけに、イヤホーンをつけていろ」と、カことだ。ケイシーがわれわれの前に姿を見せている時間は日ましに ーナハンが小声で言った。「やつを見られるのは、きみとおれだけ長くなっていった。しかし、ケイシーは決して音をたてなかった。 なんだぜ」 ケイシーは大きな変化をもたらした。おれたちは一人残らずイヤ ホーンをつけ、白痴のように、くつくっと独り笑いをするようにな あの世へ半分足をふみ入れた身とあれば、得体の知れないものをつたのだ。とりわけ、スロップ・チュートは例の場違いな大笑いを 見てもめったに驚かないおれだったが、ケイシーだけは確かに現実もらすことが多くなった。ウエプスター老人も、ほとんど愚痴を言 : 」っこ 0 わなくなった。 「とんでもない。あれは現実のものではないよ」と、カーナハンは毎週、従軍牧師が訪ねてくることになっていた。ケイシーはその 言った。「おれたちはな、もう半分、あの世へ行きかけているん度に牧師のひざの上にすわりこみ、一本の指を例の頑丈そうな黄色 い歯並みにあてて、尾をふってふざけた。ラジオこそ、試練のとき だ。あいつが見えるのはそのためだ」 カーナハンの同意を得て、おれはスロップ・チュートも仲間に入にあるわれわれ患者に神が下し給うた聖なる贈り物である、とその れた。結局、同室の連中全部を仲間に入れることになった。白マス男は言い、それきり来なくなった。 クたちに気づかれないように、ゆっくりとだ。 回診をこの上なくすばらしいコミック・ショーにしたてあげてく このことは最初のうち、ケイシーを戸惑わせた。おれたち全員がれたのもケイシーだ。死神おばさんのマスクにキスし、その太った 一斉にかれをみつめているからだ。いわば、われわれ十人がかれを からだを抱いてダンスをしてみせ、あげくのはてには、おばさんの あやつる糸を引き合い、あやつられる当人にしてみれば、、 しったい尻にかみつく。死神おじさんの背中におぶさる。そして、メリーの だれのいう通りに動いていいのかわからない状態なのだ。ケイシー ロマンスにも手を加え始めた。 はどちらを向いてよいかわからず、部屋中をぐるぐると歩きまわ 二人のワルドーはそれそれ一つずつ・ヘッドの列を受け持ち、主任 り、後ずさりしたり、ジグザグに走ったり、首をふったりした。全医の診察を代行する。メリーはそのどちら側について歩いてもよい 部の糸がびたりと同方向に引かれるのは、死神おばさんが入ってき ことになっており、おれたちは彼女がどちら側につくか、また、ワ て、ケイシーがそのあとについてまわるときだけだった。 ルドーへの接近の具合はどうかをみて、メリーの愛情を採点してい いつの た。それまでのところ、。ヒンク・ワルドーにやや分があった。 日がたつにつれて、ケイシーの姿は次第に明確さを加え、 さて、ケイシー先生はメリーをそっとカーリー・ ワルドーの方へ 間にか、まるで自分の意志を持つ一人の人間のようにふるまい始め の得点はよくな た。好きなときに姿を現わし、好きなときに姿を消す。次にどんな押しやり始めたのだ。当然の結果として、カーリー った。ケイシーは、たしかに、ただ者ではない。 ことをするのか、われわれには見当がっかなくなった。わかってい ることはただひとっーーそれが必ず笑いを伴うものである、というわれわれの周囲に、相手とすべき白マスク族がいないときには、 208
たころだ。もう一度眠りこもうとしたが、カーナハンも目をさまし ケイシーの存在がおれ自身にとり、どれだけの意味を持っていたか を知った。かれが身近かにいて、やりかえしてくれれば、白マスクているのに気づいた。 「どこか、この近くにケイシーがいる」と、カーナハンは小声で言 たちがいかにおれを死人扱いにしようと平気でいられた。かれがい ないと、おれはもう死んだも同様だった。やたらと重患扱いする死 9 た。 あたりを見まわした。「おれには見え 「どこだ」と、おれは問い、 神おばさんまで、妙に好ましくなったくらいである。 その朝、メリーは中指にダイヤの指輪をはめ、目にはそれ以上のないが」 「おれは感じる」と、カーナハンは言った。「やつはこの近くにい 輝きを映して出勤して来た。小さなダイヤではあったが、カーリー の埋め合わせのる」 ・ワルドーの贈りものであり、スロップ・チュート 他の連中も目をさまして、あたりをうかがい始めた。ケイシーと ようなものであった。 スロップ・チュート が死んだ晩と同じようだった。そのとき、なに ケイシーもここにいて、これを見てくれたら、とおれは思った。 かれはきっといつものようにメリーの周囲を踊りまわり、彼女にやかが日光浴室の中で動いた : ケイシーだった。 さしくキスするだろう。ケイシーはメリーを愛していた。 かれはゆっくりと、恥じらうようにして病室へ入って来た。あっ その日が土曜日であることはおれにもわかった。死神おばさんが 入「て来て、おれたちの何人かに、もし希望があれば、明朝、朝食ちこ「ち〈首を突き出し、目を大きく見開き、まるでおれたちが物 前に車椅子で教会の特別ミサに出席できる、と告げたから。おれたを投げつけるとでも思 0 ているかのようにおびえた顔をしている。 ちは、結構です、と答えた。だが、ケイシーのいない土曜日なんかれは病室の中央で止 0 た。 ! 」と、カーナハンが低いが、はっきりした声で て、まったくひどいものだった。シャ 1 キー・・フラウンがおれたち「やあ、ケイシー 「ケイシーがいっちまったんで、ここは言った。 一同の気持を代弁した ケイシーは鋭く、そちらを見かえした。 また死体置場になっちまったなあ」 「こっちへ来 ! 」と、おれたちは一斉に言った。 「やあ、ケイシー カーナハンでさえもケイシーを呼び出すことはできなかった。 「ときどき、おれはあいつが動きまわる気配を感じるんだが、次のいよ、この毛むくじゃら野郎 ! 」 ケイシーは頭上で両手をにぎり合わせ、お得意のダンスを始め 瞬間、すぐに確信もてなくなってしまうんだ」と、カーナ ( ンは言 た。そして、にやりと笑った : : : おれは神かけて誓うーーーそれは : った。「一体全体、あいつはどこへ行ってしまったんだろう」」 : ケイシーが浮かべたのは、スロップ・チュートの、あの場違いな その晩、眠るときのおれたちは、すでに死んだも同然の身であり 大笑いの表情だった。 ながら、死んでゆくような気分だった。 かすかに聞こえる音楽がおれを目ざめさせたのは、外が白みかけ生れて始めて、おれは悲鳴をあげたくな 0 た。 幻 4
ケイシーはとん・ほがえりダンスをみせてくれた。とにかく、なんとべッドをまわって別れを告げた。ケイシーは舌を突き出して、ロビ か、われわれを楽しませようと努めるのだ。 ーのすぐ後についていた。ロビーはしぎりにケイシーの姿を探し ついに死神おじさんも何かおかしいと感じたらしく、回診時間とて、あたりを見まわしたが、もちろん、見つけることはできなかっ 安静時間にはイヤホーン・ラジオを消せ、と言い出した。だが、ケた。 イシーそのものを消すことはできなかった。 いよいよ病室を出るという瞬間に、ロビーはこちらをふりかえっ た。すると突然、ケイシーが部屋の中央にもどって来て、ロビーに スロップ・チュートの隣りの陽気な黒人青年ロビーに異変が生じ向って顔をしかめてみせた。ロビーは今まで見せたことのない、こ た。マスクたちは大騒ぎを始め、メリー がないしょで教えてくれの上なく悲しげな表情でケイシーを見つめて立ちつくした。する た。ロビーはどうやらあの世へ行けそうもなくなったのだ。マスクと、ケイシーはにやりと笑い、手をふった。ロビーは笑いかえした たちはロ・ヒーを大病棟へもどし、さらには現世へもどすのだとい が、涙がつうっと黒い頬を流れ落ちた。ロビーは手をふり、部屋を 出ていった。 このようにメリーはやさしかった。もちろん、彼女の顔を見たこ次の新入りが来るまで、ケイシーはロビーのべッドを占領して眠 とは一度もないが、おれは彼女がヴィーナスのような唇の持主にちった。 ・、いないとにらんだ。貝殻の中で立っている、例の絵のヴィーナス ある日、二人のマスクをした作業員が、愚痴こ・ほしのウエプスタ ー老人を天国行カートにのせ、レントゲン室へ運んでいった。とい とうとう行かなければならなくなったとき、ロビーは一つ一つのうのはマスク族の説明だ。だが、後刻、作業員の一人がもどって来 心の優しいニとリストが描く異形の未来図 プレイヤー・ピアノ カート・ヴォネガット・ジュニア / 浅倉久志訳 \ 47 。 現代アメリカ文学の旗手といわれる作者のナイーヴな感性が産みだした処女長 ハヤカワ文庫 SF 8 2
何かを感じとったかのように、あたりを見まわした。 間断なく影を押しもどし続けた。 ケイシーは手を放した。死神おじさんは、ひょっとしたら自分の 暗黒は委細かまわず、少しずつ下へ降りて来る。ケイシ 1 は力を 見たて違いかもしれない、また明日にしよう、と言った。メリーをこめ ' 足場を変えた。かれのうなり声や関節のきしむ音が聞こえた。 除く白マスクたちは、全員、急いで病室を出ていった。メリーはス おれは、今にも飛び出しそうな心臓をのみこみ、夢中であえいで ロップ・チ = ートのところへもどり、かれの手を取った。 いた。・ヘッドのスプリングがきしんだ。向うで誰かが低い泣き声を あげただが、それは決してスロップ・チュートのものではなかっ 「ごめんなさい、スロップ・チート」と、彼女は小声で言った。 「いいんだよ、コニー」と、チュートは言い、冫 こやりと笑った。そた。 れがおれの耳にしたチュート の最後の言葉だった。 ケイシーは両膝をついた。両手はほとんど頭と水平のところまで 押しつけられていた。頭を前後にふり、めくれ上った唇の間から、 スロップ・チュートは眠りこみ、ケイシーはかれのペッドわきに かたく噛みしめた大きな歯をのそかせている : : : やがて、暗黒を両 坐りこんだ。消灯後、おれはスロップ・チュート が便所へ行くのを肩で受け止め始めた。まるで、全世界の重味を背負うかのように。 助けたいと思ったが、ケイシーが手をふった。おれはべッドにもぐ ケイシーは四つんばいになり、背中を橋のようにした。そして、 眠りこんだ。 うなり声をたてたかと思うと : : : 少し、持ち直した。 何がおれを目ざめさせたのかは知らない。ケイシーが忙わしなく次の瞬間、暗黒は前よりも重くのしかかった。ケイシ 1 の腱が・ ( 動きまわっていた。もちろん、音はたてない。暗闇の中で、他の連 リバリとはがれ、骨がポキリと折れる音がした。ケイシーとスロッ 中ももそもそと動き、ひそひそと、ささやぎあっている。 プ・チュートは暗黒の下に姿を消した。そして、暗黒はそこからさ そのとき、こもったような音が聞こえたーーまたしても、泡立つらにべッド全体に拡がり : : : そして、さらに : ・ : ・そいつは病室全体 ような咳と吐く音だ。 に充満したようにみえた。 ス 0 ップ・チ = ートがまた喀血し、その音をかくそうと、毛布の下眠りこんだと言えば語弊があろう。だが、おれには何と表現して に頭を突っこんでいるらしい。カーナハンが起きあがろうとした。 よいかわからない。 ケイシ 1 は手をふって、それをおさえた。 スロップ・チ、ートのべッドの上の暗闇に、さらに色の濃い影が夜の間に、白マスクたちはスロップ・チ = ート の遺体を片づけて 見えた。影は至極ゆっくりと降りて来る。ケイシーがそれを押しもしま 0 たのにちがいない。おれが目ざめたとき、それは姿を消して どした。こもった咳は続いた。 いたから。 ケイツーは影を押しもどすのに、次第に苦労しだした。とうと そして、ケイシーもだ。 う、かれはスロップ・チュート のべッドによじ登って、またがり、 ケイシーは回診のときに姿を見せず、そのときになって、おれは 2 に
て、ウェ・フスターのロッカーを運び出したので、われわれは真相をて、定期検温をおれたちの一番嫌いな直腸検温にすると命令させ 知った。マスクたちは、卒業試験を受けさせようと、老人を安静室た。おれたちは笑うのをやめた。それでおばさんも直腸検温を徹回 へ運んだのだ。 した。これが無言の協定になった。ケイシーのいたずらは今までに いつもああやるのだ、とスロツ。フ・チュートが教えてくれた。進もましてひどくなったが、おれたちはおばさんが病室にいる間は笑 級の遅い連中をがっかりさせないための配慮だという。それはそれうのを我慢することにした。 でいい。問題なのは、ひとたび天国行カートでレントゲン室へ運ば 哀れなスロップ・チュートはついに我慢しきれず、場違いに大き れると、二度とここへはもどって来られないということだ。 な笑いを爆発させた。おばさんはチュ 1 トを目のかたきにして、徹 翌朝、死神おじさんが回診に来たとき、ケイシーは病室へおどり底的に世話を焼きまくった。 こんで来て、マスクの上からおじさんにパンチを浴びせた。 それまで最高に順調だったチュートはまたしても喀血、車椅子で 疑いようもなく、はげ頭はよろめいた。めがねが危く落ちかか はなく天国行カートで診療室へ運ばれていった。かれは便所へ行く り、。ヒンク・ワルドー がおさえてやった。主任医はちょっと目まい ことを禁じられ、寝たまま便器で用を足すように命じられた。だ がしたとかなんとか言い、回診を急いだ。ケイシーはそのすぐ後に が、チュートはそれを嫌い、消灯後、われわれの助けを借りて便所 くつついて歩き、一歩ごとにおじさんの尻をけっとばした。 まで歩いた。そのことが検温表の成績をますます悪化させ、死神お ワルドー じさんとのつき合いを深める結果になった。 その日のメリーは、ケイシーの手助けなしにカーリー・ おれはチュートと始終話し合った。話題はたいがいコニーのこと の側を歩いた。 だった。このごろは、しばしば、コニーの夢を見るのだと言う。 それ以後、死神おばさんはまったく始末の悪い存在となった。お「これも、おれがあの世に近づいたからだろうな、チャーリー」 れたちが何のためにここにいるのかを忘れさせようとするのか、や「あの世でコニーに会うつもりかい」 たらにべたべたと世話を焼くのだ。こちらがしてもらいたいとは思「いいや。あの世へ行ったら、もうコニーのことなど考えずにすご わないのに入浴をさせ、背中まで流してくれる。安静時間は時間通せれば、 しいと思う。一夜の夢で、起床ラッパが鳴ればすべて終りと りにびたりと始め、文字通りに安静しなければならない。始終、 いうことにしたいな」 声でメリーを叱りつける。そうすると、おれたちが余計にいらいら「なるほど」と、おれは言った。「おれも同感だ。その後コニーは することを知っているかのように。 どうなったんだいー ケイシーは死神おばさんにつきまとい、 よちょち歩きを真似た「中共が上海を占領した直後に毒をのんで死んだという話だ。あい り、後から突っついたりしていた。おれたちは笑った。その笑いがつ、たまにはおれの夢も見てくれただろうか ? 」 自分に向けられていると彼女は悟り、死神おじさんをそそのかし「見たにきまってるじゃないか、チュート」と、おれは言ってやっ 幻 0
しようしね。いったいどういうつもりだったんです ? 」 命令を下すと、マーチンはパトカーの後ろに廻って、警告燈をパ 男は肩をおとし、震える手でたばこを口から取った。 トカーの横腹に格納し、それから運転室に戻った。彼は自分の運転 「正直なところ、自分にもわかりません、おまわりさん。死ぬほど席に坐り、隣りの補助席を指さした。 「そこに坐って。君の自動車とパトカーを脇へどけるんだ。追突さ 怖かったんです」 れないうちにね」 彼は言って、じっとマーチンを見上げた。 マーチンがヘッドライトを点減して合図を送り、ファーガソンの 「初めての子供なんです。エレンの予定日はあと一週間先だったん です。だから、クリー・フランドにいる私の親戚へ行っても大丈夫た運転する乗用車がパトカーと一緒に動きだした。マーチンは非常燈 と思ったし、エレンも身体の調子がいいと言ってました。ええ、家をつけたままにして、注意深く北へ寄って、警察用車線へと向っ を出たのは今夜ーーージェファーソン・シティに住んでいますーーーそた。ファーガソンは青車線の端でスビードをあげ、作業用車線の入 して高速道路に入ったとたんに、エレンが痛がりはじめたんです。口から警察用車線へと入った。マーチンはその後に続き、赤い光の あんなに怖かったことはありません。一度悲鳴をあげ、あとは声を点減を止めると、乗用車の後ろにパトカーを停めた。 ハトカーの後ろの方を見た。 男は心配そうに立ち上って、 たてないようにしていましたけど、彼女がどんな具合かよくわかっ ていました。病院へ連れていくことしか頭にありませんでした。き「なんでこんなに時間がかかるんだ ? 」 っと頭がどうかしていたのでしようね。妻は唸っているし、道路は彼は心配そうに言った。 「入ってからずいぶん時間がたっ」 混んでいるし、なにもかも。病院のある所といったら、ラハンズヒ マーチンは微笑んだ。 ルしか知りません。で、どんなことがあっても、そこへ連れて行こ うと思ってたのです」 「坐りなさいよ。出産てのは時間がかかるものさ。心配しないで。 どこか悪いのなら、ケリーがすぐ知らせてくれるよ。車内通話装置 若い男は半分ほど契ったたばこを投げ捨て、病室のドアを見た。 「妻は大丈夫でしようか ? 」 があるから、必要ならいつでも知らせることができるんだ」 「心配しなさんな。奥さんについているのはアメリカ一の名医だか 男は腰をおろした。べンが尋ねた。 ら」 「君の名前は ? 」 マーチンは男の肩に手を置いた。彼は男の腕をとって。ハトカーの ′ハーストローです」 横の入口に連れていった。 男は取り乱して答えた。 ストロー 「ここを登って、上で坐っていなさい。すぐ戻るから」 マーチンはファーガソンに合図を送った。 「その自動車をここからどけてくれ、クレイ。君が運転して」 彼は閉まっているキッチンのドアを指さした。 、会計士です。あそこにいるのは妻
CODETHREE コード・スリー リック・レイフェル 訳 = 高斎正画 = 山野辺進 接触事故発生 ! 緊急指令はコード・スリー 3 人の隊員は猛然と雪の中を現場へ急行する 北米大陸全土を網羅する超高速道路を舞台に 日夜活躍するパトロール隊の前途には・・・ 0 ツみ 9