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検索対象: SFマガジン 1976年6月号
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1. SFマガジン 1976年6月号

各国の作家代表の顔触れについて ガッチリしていたのは、ハインラインだ りも、二社以上数社の、あるいは未来 は、私の意見では、あなたの撰択は正しった。 論に関心を持つ出版社が連合して事業にし いと存じます。同会議で、日本の作彼のエージェントは、ハインライン氏た方が、国際シンポジウムを開催すること 家とお目にかかれるのが、楽しみです。は、お申し越しの国際会議に出席すること によって得られるメリットがより大きいと ご返事をお待ちしています。 については全く異存がないが、その場合に考えた。つまりそれだけ、社会的に大きな スタニスラフ・レム は、旅費、ホテル代、その他の費用のすべ話題になり、新聞・テレビなどのマスコミ てを早川書房が支払ってくれることが条件も、より積極的に、本格的に取材を考える 他の人々の返信も、だいたい同じであつである。「 ( インライン氏夫妻は数年前貴であろう、と読んだわけである。 こういうアプローチの方が、一 国を訪れて十分に楽しんだので、自費で日第三に、 ストルガッキーは、安倍公房氏から、話本旅行をするつもりはない」のだというの般に潜在しているこの種の企画への反感や 反対の力を弱めることになるだろう、とい はだいたい聞いている、費用の点は、ソ連だった。 もちろん、ぼくとしては、旅費宿泊費をう読みもあった。 / ロフスクから日 。領内は間題ないから、 ~ 本までの交通費と日本での滞在費以外は当含めた出費は原則としてこちらで負担しな第四には、できるだけ大きな〈祭り〉に 方でまかなうことができる、ときわめて好ければならないだろうことは覚悟の上であするにも好都合だった っこ 0 こうして、・ほくは、つぎのような趣意書 Ⅲ意的なことまで書きそえてあった。 を書きあげた。 この返事をもらって、・ほくはただちに、 アーサー・ O ・クラークのエージェント から来た手紙の場合も、ほ・ほ同じだった。具体的なプランの作製と、こちらの受け入左に掲げるのは、その当時から、・ほくの デスクの中に眠りつづけてきた、その趣意 キューブリッれ体制づくりにとりかかった 彼はこの年にはスタンリー・ ぼくは最初からこれを、マガジン書のプリントである。 ) クと共作の映画『二〇〇一年宇宙の旅』の 、制作のためほとんどの時間をアメリカとイだけーーーというより早川書房だけの企画に 第一回国際作家会議 ギリスのスタジオの往復に費やさなければするつもりはなかった。少なくとも二社以 開催についての覚え書 一ならない関係で、六月から八月のあいだで上数社の合同事業にすることが、絶対に必 一、会議の名称 ・なければ日本を訪問できないが、もしその要だった。 第一回国際作家会議 ( 仮称 ) その理由は、第一に、費用がかなりの金 時期に会議が開催されるなら、彼はそのと きセイロンにいるはずだから、日本までの額になるだろうことでーー残念ながらその 一、会議の目的、および会議開催の効果 ⅶ旅も短くて済むのでおたがいに好都合では当時の早川書房が、一社でそれだけ金額を 捻出することは負担が多すぎると、・ほくは 7 なしかといってきた。 従来わが国では、海外作家の単独の R 彼も、具体的な。フランを、早急に知らせ考えたのだ。 訪日はしばしばあったが、アメリカ、 第二に、早川書房だけが単独に行なうよ てほしいと書いていた。 こ 0

2. SFマガジン 1976年6月号

るらしい。みごとなプロローグから、効果ちはついに食えるようになってきた る。長篇『果しなき流れの果に』ショー 的な幕切れまでーー・途方もないナンセンス この年の日本界の状況を、石川喬司 トショート集『ある生き物の記録』 ( 早川 ・の魅力が、読者をとらえて放さない。処女は文芸年鑑一九六七年版の〈界 196 書房 ) ェッセイ集『未来図の世界』 ( 講談 ; 長篇でこれだけの効果をあげられる腕はた 6 〉でつぎのように要約している。 社 ) などで軽妙な語り口のうちに文明諷 いしたものだ。それだけに、作者は危険な 刺をにじませの醍醐味を満喫させる . 分れ道にさしかかっているともいえる。ど 年の日本の界と、それを取巻く 一方、『共同研究・世界改造』 ( 文芸連 っちへ行く ? 」どっちへ行ったにしろ、彼環境を大ざっぱに整理すると、つぎのよ載 ) や万国博を考える会のメイ ( ーとし がユニークな作家的地歩を築いていったこ うになる。 て、精神による現実へのアンガージ とは、確かだろう。 ①日本の海外進出②未来論の流行 ュマンをめざして、精力的に動きまわっ もちろん、活躍していたのは、彼だけで③スペース・オペラの復活④同人誌の激 た。 ( 中略 ) ・はない。他の作家たちの仕事ぶりも、 増 星新一は ( 中略 ) ショートショート集 っそうス。ヒードアップ この同じ時期に、 昨年の夏ソ連で刊行された『傑作 『エヌ氏の遊園地』 ( 三一書房 ) や漫画 ( されはじめた。それを可能にしたのは、第集』 ( ミル出版社 ) に、星新一と小松左論『進化した猿たち』 ( 早川書房 ) で、 一に、作家たちのマーケットの拡大で 京の中短篇が収録された。日本の海価値の相対化によって生みだされる笑い : あった。数多くの娯楽誌が、中間小説誌 外進出は星新一の『ポッコちゃん』 ( ア を通して動脈硬化した日常の固定観念に が、のために、より多くのページをさ メリカ ) 安部公房の『第四間氷期』 ( ソ新鮮なショック療法を試みる , ーーに一層 “くようになった。いいかえれば作家た連、チェコ ) につづいてこれで三度め の磨きをかけ、さらに『気まぐれロポッ で、輸入一辺倒だった数年前が ト』 ( 理論社 ) 『黒い光』 ( 秋田書店 ) 夢のように思われる。最近出た など児童にも収穫を残した。 内外のを読みくらべてみる 光瀬龍は釈迦やキリストが予言した終 と分ることたが、質的な差がほ末の日を垣間見せる壮大な野心作『百億 とんど感じられない。むしろ国 の昼と千億の夜』 ( 早川書房 ) で特異な 隆産の方がすぐれている場合領域を開拓してみせた。 筒井康隆は情報化社会のゆきつく姿を すらある。 ( 中略 ) 筒〈日本シリーズ〉 ( 早川書鮮やかにデフォルメしてみせた擬似イベ 房 ) を中心とする日本作家の活ント・コメディ『億の妄想』や『馬の 躍はますます盛んになったが、 首風雲録』 ( 早川書房 ) をはじめ油の乗 中でもひときわ目立ったのが、 りきった作品を矢つぎ早やに発表して目出 昨年にひきつづき小松左京であ をみはらせ、今年最大の成長株として注

3. SFマガジン 1976年6月号

たと思う。 の少年週刊誌に仕上げ、その後小説現代をて、度のあつい近眼鏡のレンズの奥から目 と矢つぎ早に創刊して、そのいずれをも軌を光らせて、「しかし、かりにあなたがい マガジン創世紀に、・ほくが耐えなけ 7 道に乗せていた。そしてこの当時は、講談うように、すべてうまくいったとしても、ればならなかったーーーそして、他には殆ど : 社で一、二を争う実力者の一人と目されてメリットは殆ど早川書房のものになります知る人もなかったはすのフラストレーショ ンの、これは重要な一つであった。 いたはすであった。・ほくが彼を真先きに訪からね」といった。 れたのはもちろんその実力を当てにしたか これからほぼ四年半後の一九七〇年八 ぼくのロを説得のために二度と開かせな ・らだったが、もう一つには、そうした鋭いかったのは、その一句だった。まさにその月、折から開かれた@ >< 0 日本万国博 ~ 編集者的勘の持主であるだけに、の将通りだったからである。・ほくはまるで、一を契機に、国際作家シンポジウムが実 亜来について肯定的な見解をもつはすた、と番カンジンな嘘を見抜かれてしまった詐欺現したことは、すでに誰でも知っているだ 7 考えたためであった。 師のようにドキマギし : : : やがて、抵抗をろう。そしてこのシンポジウムの立役者 は、いうまでもなく小松左京であった。彼 だが、牧野氏は、ぼくの説明を、例によ抛棄した。 は企画から交渉から資金面からプロデュー っていちいちインギンに頷きながら最後ま戦いは終った。あっけない敗北であった。 だが、講談社が話に乗ってくれなけれスにいたるすべてを事実上一人でリード 7 で聞いてくれたはものの、即答は留保し た。彼が、何かを決定するときにはきわめば、この時点で、早川書房が不利な条件をし、あれだけの会議を切りまわし、それな りの成功を収めるという超人的な働きをし て慎重なタイプであることもよく知ってい しのぶことなくこの会議の共同主催者とな て、〈コンビューターっきプルドーザー〉 たものの、・ほくは、何とはない不安を感じるべき出版社は、他に見つからなかった。 た。それは、おのが説得力の不足を悔なと新聞社やテレビ局は、どこかが主催し実行の仇名が決して虚名ではなかったことを、 き、いつも感する不吉な予感のようなものすれば、会議そのものには関心を持つだろまたもや証明してみせたのた。ぼくは完全 。こっこ。 うが、自ら進んで面倒なーーーそしてメリッ に脱帽せざるをえなかった。と同時に嘗て トのはっきりしない企画にコミ そして、その予感は、やはり適中した。 ットするつの失敗の苦い、しかもまだなまなましい記 7 数日して神田近辺まで出むいてきてくれたもりはないにきまっていた。しかも、タイ憶を持っていた・ほくとしては : : : そしてそ ム・リミットは、すでに迫っている。 ~ 牧野氏は、ぼくに、再びきわめてインギン のときはすでにマ ' ガジンと早川書房を ・ほくは苦い想いに耐えながら、ひとり、 に、しかしまたきわめてビジネスライク 離れ、作家クラブの活動をはじめとす に、今度の件は遠慮させてほしいといった この企画を断念することに決めた。返信をるほとんどの公的活動から意識的に身を引 のだ。・ほくは予感の当ったショックを押しくれた四人に対して、すぐさま手紙を書い いていたぼくとしては、 - ・ほくなりの手伝い " 隠しながら、いま一度、彼を説得にかかろた。みなが希望している八月開催というタはしながらも、ともすれば、白々しい気分 うとした。 イムテープルの調整が困難だから、今年のになるのをどうすることもできなかった。 実行は見合わせる、しかし、将来は必ず実 彼はまた黙って耳を傾むけていたが だが、それすら、すでに数年前のーーー古 ・これが曲者の曲者たる所似なのだ , ーーやが現させるつもりだという趣旨の文面であっぴた過去のこととなった。 ( この項おわり ) 2 ー 0

4. SFマガジン 1976年6月号

。オしふ前から、つきあいが 牧野氏とよ、ど : る。ややもすると啓蒙主義的になり 一、経費募集方法 がちの共産圏の中で、芸術的な 右のうち二百万円を講談社、早川書あった。彼は一九五七年頃、講談社がはじ 香気と科学的世界観との一致を見せ 房で各百万円ずつ分担する。この二めての少年週刊誌〈少年マガジン〉を創刊 る彼の作品は、今後わが国でも愛好 社が核となり、すべての発言権、運した当時の編集長で、ぼくは少年読みもの のライターとしてほとんど創刊号当時から される可能性が大きい 営権を持つ。 残り百五拾万円を、出版社、テレ寄稿していた。とくに当時、新々気鋭の若 一、日本側メイハー ( 仮定 ) ビ・ラジオ会社、映画会社、その他手マンガ家としてデビ = ーし人気上昇中だ 安部公房 一般企業会社からの寄付によって集った石森章太郎と組んでロポット・マンガ める。ただしこれらの会社には、運『勇気くん』を書いた頃のことは今でもな 星新一 つかしく思い起こされる。 ( ついでながら 小松左京他 営権はない。 書いておこう。このマンガは、当時の〈日 一、運営方法 一、講談社・早川書房をのそく発起人お 講談社・早川書房よりそれそれ委員本児童文学〉で、児童文学者古田足日氏に をだし、実行委員会を組織する。招よってとりあげられ、珍しい良質のマン よび支援者・団体 ( 仮定 ) 個人 待作家へのあらゆる申し込み ( テレガだと褒められたものだった。児童文学界 団体 ・ビインタビ、ー、新聞・週刊誌のが、こそって、マンガを悪書ときめつけ、 日本ペンクラ・フ安部公房 インタビ = ーその他 ) は、唯一の窓洟も引っかけなかった頃のことである。・ほ 三島由紀夫 科学技術庁 ロとして、この実行委員会を通すもくは古田氏の好意に感謝するとともに、そ 日本文芸家協会荒正人 の〈勇気〉に、敬意を表したいと思ったも のとする。 日本作家クラプ中曾根康弘 他 実行委員会は、協議の上、作家会のだった ! ) このとき・ほくは、彼が講談社 その他各新聞社 内でなぜ〈オニ〉といわれるかを知った。 議のスケジュールをさだめる。 日本科学ジャーナリスト クラ・フ へつに専属というより、骨身に泌みて味わわされた。 また、実行委員会は、・ の渉外係りをさだめ、宿泊予約その彼は・ほくの書いたストーリーが気に入らな いと、飽くまでもインギンに、しかし後に 他一切の業務を行なわせる。 一、経費 ( 概算 ) なって考えてみれば何とも冷酷ムザンに、 約三百五拾万円 ・ほくはこのプリントを持って、さっそく何度でもダメ押しを出したのである。編集 内二百万円を交通費に 目あての出版社を口説きにかかった。まず者として、売れる雑誌をつくりあげるため 壱百万円をホテル・食費に 五拾万円を雑費・会場費・通信訪れたのは、当時の講談社の第二編集局長全身全霊を打ち込んでいる男ー、ーそれが、 で、小説現代、週刊現代の編集長を兼ねてい牧野氏についての、・ほくの印象である。 連絡費にあてる。 じっさい彼は少年マガジンを忽ち日本一 た、牧野武朗氏 ( 現壮快社社長 ) であった。 209

5. SFマガジン 1976年6月号

目された。 ネリズム化の兆しが見えはじめている。 からして、取りあげるにも価しないものだ 眉村卓は未来社会を舞台にして文明の わが世の春を歌ってはいても、作家陣のったが、その行間に陰火のように燃える 層の薄さは蔽いがたい。 画一化への警告を発した『幻影の構成』 ( 中略 ) をへの悪意と偏見と嫉妬の執念深さは、思 ( 早川書房 ) でそのユニークな資質を証何か珍奇なもの、オメデタいものとして いがけない根深いものを持っていた。これ 明した。経済史観によって未来世界を構しか受取ろうとしない世間の蒙をひらくを、黙過することは、とくに児童文学領域 には、まだまだ多くの作家群と長い時間 への良質の r-n 浸透を、普及の一つの 築しそれを疎外者の視点から描く眉村 には広くサラリーマン読者の共感を誘が必要なようだ。折からの〈未来論〉プ重要な課題として自らに課していたぼくに うものがある。 ームの中で安易にアグラをかいてもいらは、ぜったいにできなかった。しかも、た れない。 福島正実は第二短篇集の夜』 が〈未来学〉に貢献できるとえ個人署名の記事であるとはいえ、この ( 早川書房 ) アンソロジー『ェロチ分野は、かなり広いように思われるから文章は日本児童文学者協会が責任編集をし である。 ック・ミステリ』 ( 秋田書店 ) ジュニア ている同協会の機関誌である。編集担当者 が、彼の意見をよしとしたか、それともこ 版入門『未来の世界・の世界』 ここで、二、 三つけ加えておかなければの意見によって論争を喚起したかったか、 ( 少年画報社 ) などであいかわらず多彩 な動きをみせた。福島はこの秋児童ならない。その一つは、児童文学者協会のそのいずれかととられてもしかたがないは のあり方をめぐって児童文学者協会を相一部メイハーとの、心ならずものーーーしかずであった。 ぼくはさっそく、 co マガジン一九六六 手に論争を起こしたが、こんごの進展がし、必然的だった衝突にまつわる出来事で 注目される。 ( 中略 ) さらに豊田有恒もある。 年八月号に〈メモ〉を発表し、その中で、 処女短篇集『火星で最後の : : : 』 ( 早川 ことの起りは、日本児童文学者協会の機このエッセーの内容を紹介するとともに、 書房 ) で本格的な作家活動に入った。さ関誌〈日本児童文学〉に掲載されたある児この評論家を、無知で不勉強な上に、ケチ らに平井和正、山野浩一らも着実に成長童文学評論家の「大衆児童文学の現況」とでズラで ( データのサンプリングがしし を示し、評論の野田宏一郎、斎藤守弘、 いう文章であった。この評論家は、日本の加減で行きあたりばったりだったため ) 伊藤典夫、絵画・アニメーションの手塚大衆児童文学が、ルポ記事とマンガの間にで、何よりも頭の悪い男だと書いた。彼の 治虫、真鍋博、翻訳の矢野徹、推理小説はさまって「消減寸前のみにくい姿を露呈文章はいわゆる大衆児童文学の中で着々隆 畑の生島治郎、佐野洋、三好徹、都筑道し、喘いで」いるとし、その原因はそれら盛をしめしつつあるあるいはその周辺 夫、純文学畑の安部公房らも界にい の大半が、「あまりにも愚劣」なミステリ的傾向の作品の進出への、そねみ憎みの呪 ろどりを添えた。 ーものとものによって占められている咀のうめきにすぎない、と書いた。 ( 中略 ) しかし昨年版の本欄でも指摘しためだと書いていた。 例によって例のごとしだといわれればそ このエッセーそのものは、そのデータれまでだが、しかし・ほくにいわせれば、す たように、界にも早くも需給のアン ・ハランス現象が現われ、量産によるマンや、分析方法のあまりのお粗末さ、杜撰さべては計算づくだった。に対して、不 円 0

6. SFマガジン 1976年6月号

ファンタジイ & サイエンス・フィクション誌特約 S F マガジン 1976 年 6 月号 ( 第 17 巻 6 号 ) 昭和 51 年 6 月 1 日印刷発行発行所東京都 千代田区神田多町 2 の 2 郵 101 早川書房 TEL. 東京 ( 254 ) 1551 ~ 8 発行人早川清 編集人倉橋卓印刷所誠友印刷株式会社 表紙絵 A ・ソコロフ 目次・扉中島靖侃 イラスト 山野辺進金森達 岩淵慶造畑農照雄 中村銀子村上遊 佐治嘉隆新井苑子 ) 福島正実 ・マクリーン貶 北アメリカ・の旅 ( その四 ) 第三十四回古典 L-L メチャメチャ漫画 読切コミックス劇場④ 老雄大いに語る でてくたあ すべーす・たいむ・あんてな : 世界情報・ 福島正実氏の死を悼む 未踏の時代 + 回想のマガジン ( 未完 ) 雪だるま効果 8 訂。ーナー・ 日本 LL こてん古典 連載クニ・ファンタスチカⅨ Ciphe 「十 C0de 暗号Ⅱ 五十年前に訳されたソ連 テヴィッドスン氏を囲んで 57 に 6 冗沐見蹕 ンーン・・ウアン・トロ・イヤー 〈日本〉石川喬司〈海外〉設水研 てれぽーと : 伊藤典夫 横田順彌 3 藤子不ニ雄 深井国 4 絽 6 ロ 9 4

7. SFマガジン 1976年6月号

半村良氏とーー一直木賞受賞式会場にて 活を入れてくださったあなたに心からお礼を申しあげま す。 どんなに疲れても弱音を吐かれなかったあなたが、た った一度だけ号泣されたことがありましたね。あまりの 疲労、その辛さからではなかったのでしようか ? 福島さん でも、いまこそお休みなさい。 お休みなさい。 すべてを忘れてお休みなさい、というほかありませ福島さん、 あなたの訃報を聞いてから今日はもう五日目、まだ・ほ あなたに学び、話しあい、仕事をともにし、酒をくみくは落ち着けず、眠られず、酔 0 ばら 0 たような気分の かわした日々は、ずいぶん前のようでもあり、ついこのままでいます。 祈る作法を知らぬままに神の前で踊りつづけた。ヒェロ あいだのことのようでもあります。 のごとく、・ほくはあなたにただ、お休みなさいといいっ あなたが〈未踏の時代〉に書いてくださったとおり、 ふたりでを探がしまわったころが、・ほくにとってはづけます。 福島さん、 青春最後の想い出となりました。 あなたがこの日本の地に育てられたは、これから あれはたぶん″夏への扉″がアメリカで連載されてい まくに声をかけてくださり、翻もいよいよ大きく育ってゆき、みごとな花を咲かせま : たころでした。あなたがに す。 訳作品選定の相談相手にしてくださったのは。 そしてぼくは知りました。二年ものあいだまともに寝 いつまでも、いつまでも、福島正実の名前はわれわれ ないで仕事をしている人のいることを。 関係者の心に生きつづけることでしよう。 あなたは早川書房の仕事がすんで帰宅されると、毎晩みんなが心からあなたに、さようならをいっていま 立机で仕事をし、疲れると座机で仕事をし、どうにも眠す。 たくてたまらなくなると毛布をかぶって畳の上にごろ寝さようなら、ありがとう、 お休みなさい、福島さん。 されていましたね。 そうと聞いて愕然としたぼくは、負けてたまるかと自 分でも仕事を始めました。 ですから、のんびりした・ほくが人なみに仕事をするよ 。・うになった原因はあなたなんです。いま改めて、・ほくに ん。 お休みなさい、福島さん 矢野徹 5

8. SFマガジン 1976年6月号

恥に非常に近いところにいるとしれません。たぶん、この分野は一つのカしかし、私の小説のいくつかは翻訳 思っていながら、このジャンルをけなす作テゴリーに入れられない方がよかったのでされていますよ。たしか早川書房のミステ ー家達について、どう思いますか ? しよう。まったく、彼らが正しいんです リ・マガジンに発表されていると思います そうですね、たぶん彼らはこのジャ よ。この種の作品が一部の立派な文学者たが。 ンルの枠の中におさまらなくなったと感じちに受け入れられていないのはまったく不矢そうです。ミステリものがいくつか Ⅷているんでしようし、事実そうなのかもし幸なことです。一般的にいって、彼らはそね : : : あなたの小説は日本の読者をよろこ 叩れません。また、世間の人々がこの分野にれをまじめに受け取らないんです。そしばせる種類のものじゃないんです。大変残 対してゆがんだ見方をするかもしれず、そて、評価を下す段になると、いちばんひど念だとは思いますが。 の結果は、彼ら自身の作品の価値をもゆがい作品の例をもち出してくるのです。だい 御存知とは思いますが、テッさん。 ⅶめられて見られるかもしれないと考えてる たい、評論家はくだらないという前に、読もし本気で私の小説の翻訳をやりたいとい Ⅲんでしよう。事実そうなのかもしれませんみもしないんです。私自身、ずいぶんそんう人がいたら、数年前に書いた割に良い本 がね。私自身、二十年前ほどには、をな思いをしました。 があるんです。 "Mutiny ln Space ・ ) とい 楽しめないんです。それは作品自体が昔ほ矢でも、あなたの作品が非常にすばらしうタイトルのかけねなしのスペース・オペ ど良くないからかも、あるいは私が昔の いことはわかっていますよ。ただ、訳すのラなんです。これは私の小説のうちで出版 川ようでなくなったのかもしれません。それも大変むずかしいんです。 社が再版しようとしている一冊だという意 味で言ってるんです。 とも、たんに好みが変ってーーー第第ー ~ 舅ー 00 ( 、ミ調第、ーー第、第 ( 、、 しまったのでしようか。私を一ー第 ~ 《 Z 「一′個人的には、あなたの作品はみん はほとんどを書いては な翻訳されるべきだと思うんですが : ・ : ・当 いないし、読んでもいない 分はジャンルわけみたいなものが幅をきか Ⅷけど、特別、この分野をけ せていそうなので、残念ながらむずかしい ”なしはしませんよ。ほかの みー第でしようね。 分野と同様にね。かって、 編界での活動は、もとはファンとし ヒューゴ 1 ・ガーンズ・ハッ 、 ( ・を ( ( 物 ( 一て始められたんですか ? クがアメ 1 ジング・ストー ~ な ~ ( 十代になる前からファンでしたよ。 リーズを創刊したときに、 十二か十三のときには、今はありません が、″サイエンス・フィクション・リーグ〃 ⅶ排他的なサイエンス・フィ クションという文字を刷り第 ~ という組織に所属していました。それはヒ 込んだことを、迷惑に感じデヴィッドスン氏の作品。一ご ( 一九六五年、バークュ 1 ゴー・ガ 1 ンズバックが組織した最後 のものの一つだったと思います。そんなこ ている人達は正しいのかもレイ )

9. SFマガジン 1976年6月号

ドは、数年前、アメリカ r-k 界にとっぜんわかっているので、今度は一時間近く早め 援軍きたる 現われた怪物アンソロジスト。まだ三十をに行き、最前列にすわった。周囲はまたも ちょっと過ぎたばかりなのに、書下し作品女の子ばかりで、なんとなく照れくさい。 雑誌「宝島」四月号に書いたように、シ ばかりのアンソロジイを主体に三年間に八 翌日のパネルは、定刻より三十分遅れ、 ーグは、界からの引退を宣 十一時半からのんびりと始まった。怪奇映十数点のアンソロジイを出版し、おかげでルヴァー・ハ 画とゴシック小説の同好会「カウント・ド作家たちはかなりうるおったようだが、ア言してしまったため、朗読する作品は新作 ラキュラ・ソサエティ」会員のドラキュラメリカの全体的な質はガタ落ち。エルではない。本誌にすでに翻訳されている 四方山話である。フォ ーリイが出席しなかウッドが倒れるとき、アメリカもいっ短篇「太陽踊り」と、未訳の長篇 S を 0f ったので、パネルのメン・ハーはぼくの知らしょに倒れるのではないかと、一時は危機ド 1971 の最後の数章。後者は、数億年 未来の地球によみがえった現代人の放浪の 】ない人ばかり。時間は足りず、観客は前日感をもってささやかれていた。けつきよく ・の女流作家パネルのときよりさらにすくな彼は自分の作りだした過剰供給によって墓物語・ーー自分としてはもっとも愛着のある ーいので、いっこうに盛りあがりがない。た穴を掘り、長篇の市場に移っていった作品なのに、イギリスでは出版のめどが立 ・こ、トランシルヴァニアへのドラキュラ・ ため、現在アメリカ界はやや安堵の息たず、アメリカでは初版が出たきり幻の本 になりつつあるということでシルヴァ 1 く ツアーに参加したという主婦の話が、アメをついたところ。 ト・シルヴ ーグは不満そうだった。帰国してから読ん プログラムは、代ってロ・ハ ・リカ人気質をのぞかせて愉快だった。 1 グとハ ーラン・エリスンの作品朗でみたが、ステープルドン的人類観プラス 一時からのパネル「そして今、静かに火アー・ハ エルウッ 7 中を歩め」は、主役のロジャー 読に切り換えられた。エリスンが登場する幻覚トリップという意図はわかるものの、 トが都合で出席できずとりやめ。エルウッ ときには、会場がいつばいになるのはもうこれはぼくには失敗作としか思えなかっ 好評発売中 ! 日本ノヴチルズ \ 8 一 0 スヒーディな文体がイマジナリイ・ランドに展開する冒険者の群像 ! スフィンクスを殺せ 田中光ニ 人類のあくなを辷 ! ツを第な 2 イタををンの豫界一を 一翁上製 早川書房 5

10. SFマガジン 1976年6月号

・なったのは、このころからではないかと思のか、若い女の子がたくさんいた。もちろった。 かん、男の数のほうが多いだろうが、騒がし映画 ( 内容については、来月まとめて書 う。まわりは知らない人たちばかり、し いし彼らはお互いみんな知りあいのようで、 さがちがう。そして前列は女ばかり。中こう ) は肝心の映写機の一台が故障したた 三人四人とまとまって楽しそうに話しあつに、カウポーイ・ハットに、シャツ、ジめ、一巻上映しては十分ないし十五分休憩 ハンといういでたちの若い女の子がいたという、さまにならないものになった。し ている。ぼくは一人ぼっち。前夜の上機嫌 が、彼女のシャツの背中には、 "Repent, かしそのため、かえって得をした面もある ・など、あとかたもなく吹きとんでいた。 その夜の映画特別試写には、・ほくは Harlequin!"Said the Tickt0kman と大きかもしれない。観客を退屈させまいと、休 ⅶ三十分ほど早くかけつけた。なにしろ一つな字がプリントされているのだった。い う憩の時間、原作者自身が壇上に立って、フ ⅶは、その年完成したばかりの『少 アンからの質問に答えはじめたから 年と犬』 A Boy and His Dog ーーー短篇集『世界の中心で愛を叫 ファンの質問がとぶ、「『最後の んだもの』 ( 早川書房 ) に収録さ 危険なヴィジョン』 The Last Dan ・ ・レ gerous Visions が予止口されたまま出 ・れた、ハーラン・エリスンのヒュ ーゴー賞受賞作の映画化だから ・一ンないんですけど、どうなりましたか だ。原作は・ほくが訳しているの で、いっそう愛着が深い。ところ ~ ーク「収録作品はほぼきまったんだが、 が、かなり早く来たつもりなの ( し 一ーイまだ出版社には入れていない。全部 に、本会場はすでに満員だった。 、スで六十万語。ただし、これは・ほくの 、・ナイントロダクション抜きの数字だ」 ~ 理由の一つは、これが小さな独立 2 、 ( / エリスンにやりと笑って、「イント プロの作品のため、あと二カ月待 ロダクションは長篇二冊分になるだ ⅶたないと全米で本公開されないこ 1 ラン・エリスン初のヒュろうな」 と。もう一つは、原作がアメリカ界きまでもなく、ハ 「キャーツ ハーレク ! 」これは、女の子たちの歓喜 っての伊達男ハーラン・エリスンであるこ ーゴー賞受賞作「″悔い改めよ、 の悲鳴。 ″とチクタクマンはいった」 ( 本誌 ューモアをまじえ、ドスをきかせ、立て それからの三日間、・ほくはエリスンの人六七年二月号掲載 ) の原題である。彼女が 」気のすさまじさを、この目でまざまざと見そばを通りすぎるとき名札をちらりと見た板に水の調子でしゃべりまくり、観客を飽 きさせない。どんなふうにたとえたらいい ることになった ( 陳腐ないい方だが、ほんら、レスリー・ケイ・スワイガート だろうか。そう、筒井康隆と田中光二を足 ーラン・エリスンの全作品チェックリスト とうに「まざまざ」という感じなのだ ) 。 とにかくその会場には、どこから現われたを大学の卒業研究として提出した女の子だして二で割り、やたらに派手にした感じ。 04 」 0 4