の料理屋の池では、ナマズがやたらとはねたと迂闊にも私は、地震に気をとられて、中ナマてんぶらにして出すところもあるが、どうも私 2 いうし、埼玉県川口市や川崎市の川などでは、 ズといえども、恐るべき夜のギャングであり、 にはいただけない。ナマズはやはり、かばやき 2 小ナマズのうようよしているのが見られたとい金魚などはその哀れないけにえになることを等に限ると思っている。 閑視していたのである。 子供の頃から、ナマズ川で遊んだ私は、長ずところでその関東や東海地方などでは、この 地震とナマズの関係について、初めて科学的るにおよび、大ナマズの蒲焼が大の好物となっところナマズの小売りの値段が上がる一方だ、 な研究を行ったのは、動物学者の畑井新喜司、 た。未だ生家のある安城市周辺で、大ナマズがという。 小久保清治の両氏でる。 とれた頃は、たまに帰る私の顔を見れば、母が農薬などにやられて、ドジョウと同じく、ナ 昭和六年から七年にかけてのことで、両氏は何はともあれ黙って、ナマズの蒲焼を出してくマズが近年、めつきり減ってきたことは確かで 東北大学浅虫臨海実験所で、一〇センチ前後のれたものである。 ある。おかげで私は、近ごろ安城へ帰っても、 ナマズを水槽で飼いならした。そして日に三 ウナギほど油こくなく、そうかといってコイナマズの蒲焼を口にすることなど、まるででき 回、水槽をのせたテープルを、人差指の曲り角ほど淡味でもない。まさに中庸を得た味だと、 なくなってしまった。 で軽くノックしたのである。 私は思っている。ところが東京では、これを食ナマズのかばやき党としては、これほど無念 するとノックに敏感に反応するときは、それわせるところがない。 なことはない。しかしながら関東や東海地方 から一五、六時間以内に地震計 ( 五 Q 倍 ) に感先年、日本海事広報協会の三枝義雄さんと会で、需要が急に増したのは、どうやら数が減っ ずる地震があった。が、ノックに鈍感なときったとき、私がこの話をしたら、 たためだけではなく、地震とからんでナマズの は、同じ時間内に地震がまったくないという驚「浅草の駒形のどじよう屋の主人が、小学校時人気が上昇し、ナマズを飼う家や会社などがふ くべき事実が判明したのである。 代のガキ仲間で遊び友達だったから、ひとっ頼えたためであるらしい しかもノックに敏感なときの地震予知の的中んでみようか」 そのために、ナマズの値段が上がっていると 率は、七九・六 % という高さであった。いった ということになった。駒形では、ナマズをぶいうのだ。 、ナマズたちは、何をもって地震を予知しうっ切りにして割下で煮るナマズ鍋を出している東北大学の畑井新喜司らが、ナマズの地震予 るのだろうか。 というが、こんなものは、どだい私の食欲とは知について、先駆的な観察を行ってから半世紀 畑井氏らの一応の結論は、 無縁である。 近くをへて、ナマズの不思議な能力が、ふたた 「地震の前に起こる地電流の変化を感知するのそこで特別注文ということで、予め電話をかび世の注目を受けることになったのである。 であろう」 けておいて出かけたら、とにかく蒲焼風のもの東京都水産試験場では、三個の大型水槽 ( 長 ということであった。 が出てきた。が、どうも味付からして、私の好さ一メートル三〇センチ、高さ、幅とも六〇セ さる日、私も地震予知を試みようと思って、みには合わなかった。第一、頭をちょん切らンチ ) に、一〇匹のナマズを入れて、昭和五十 一尾の中ナマズを水槽に入れ、観察していた。れ、大小不そろいの哀れな身だけになっていた一年度から飼っている。 日中は藻の影に隠れて、寂として動かない。とのも気に入らない。愛知県の尾張南部では、い 一つの水槽には、体長五四センチの大ナマズ ころが翌日になると、どういうものか金魚やタまでもナマズの蒲焼が名物料理になっているが棲み、他の二つには、平均二四センチくらい ナゴの幾匹かが、霞のように消え失せているのが、あの立派な頭ごと出すのである。 の中ナマズが六匹と三匹に分けて入っている。 関東では、ナマズは白味の魚だというので、 むろん、お役所でやっていることだから、遊 ミ」 0
ほかならない。 ち、上顎から二本の立派なひげを生やしてい カナズは、地震を予知するか 0 男 ヒヒこれは、古くして、新しい問題である。 る。長い尻びれは、そのまま尾びれにつなが 2 ム月 り、それをくねらせながら、ゆらゆらと泳ぐ姿 〃古いというのは、日本では、ナマズと地震のところでナマズというとき、私が第一に思い 関係が、昔からいろいろに取沙汰されてきたか出すのは、ナマズ川のことである。 は、幼魚とはいえ、他の魚にはない風格のよう の らだ。 子供の頃、見渡す限りの田んぼに囲まれて、なものがあって、少年にとっては素晴らしい魅 下 ズ たとえば、 蛙の声ばかりがしきりの生家の近くに、小さな力であった。 マ「地下の大ナズが暴れると地震が起こる」 川があったのだ。 もっとも見飽きた後は、たいていニワトリの A 」カ、 ナ 三河平野を灌漑する明治用水の一支流であっ餌になるのが、小ナマズたちの運命ではあった 「ナマズが騒ぐのは、地震の前ぶれだ」 て、稲田の間を縫い、東海道線の土手下を二本が : ・ 。ともあれ、そんな少年の私に、 と、いった類いである。 の太い土管でくぐる何の変哲もない小丿ナ 日・こつ「地震が起こるのは、地下に大ナマズが棲んで 昭和の初期の、私の子供の頃には、 た。が、どういうものか、ナマズの幼魚がウョ いて、暴れるせいなんだよ」 知 「地震の主は大ナマズである」 ウョいたのである。私の考えでは、昼なお暗き と、初めて教えてくれたのは、慶応一一年生れ という俗説は、 この土管の中に、たぶん大ナマズたちの棲家がの祖母であった。私はむろん、にわかには信じ 一震「まさか、そんなことがあ 0 てたまるか」 あったにちがいない。 難かった。が、隣りの市場のおやじが、タライ という思いが一方にありながらも、ごく自然私は、よくこの川へ、一人でポンツクに行っの中を一周り半するほどの大ナマズを捕えてき に受け入れられているというふうなところがあた。ポンツクという語が、どういう意味をもって、それが水中から横に広い大口を開けて天を った。はっきりしたことは分からないのであるていたのか。いまでも、そんな言葉があるのにらみ、悠々と身を横たえているさまを見たと か、どうか。残念ながら、故郷を離れて数十年きには、一種、畏敬の念に打たれたものであ 「ナマズが地震と深いつながりをもっている」 ・ : 以来、私はナマズの虜になってしまっ になるいまの私には、すべては闇の彼方に沈んる。 という考えは、一片の真理をふくむものとしでしまって、皆目見当もっかない。 たといっていい。 て、子供たちの世界では、容認されていたよう が、要は小型の網の一端を夏草の生い茂る川 に田 5 、つ 0 縁につけ、数メートル先から、ドンドンジャプ室町時代の画家如拙の『瓢鮎図』という有名 そのナマズが、近頃は、東海大地震など、今ジャ・フと、勢いよく川底を足でたたきながら、 な画には 川の中に大ナマズがおり、それを 後発生する確率が高いと思われる地震を予知す魚を追いこむのである。 川岸に立った男が、ひょうたんを持って、押え るためのセンサー ( 感知器 ) として、注目されすると小ブナやモロコなどに混って、体長一こもうとしているさまが描かれている。 るようになってきた。 〇センチくらいのナマズの子が、二、三匹は入瓢は、ひょうたん、鮎はいまのアユではな く、ナマズのことである。そしてこの画は、ナ ナマズについての古くからの言い伝えや迷説っている、という寸法だった。 を整理し、地震予知という、いまの科学でも最私はナマズを見ると相好をくずし、ポンツクマズが暴れて地震が起こるのを必死に防いでい も困難な問題に役立てようという風潮が、脚光はすぐにやめてしまい、急いで家に帰る。そしるものと解されている。 を浴びてきたのである「 てタライに入れて、いつまでも、しげしげと眺魚博士の末広恭雄氏によると、宝暦元年 ( 私が冒頭で、ナマズと地震の問題を、古くしめ人るのが常だった。 七五一年 ) に、大垣城下十カ町が八幡神社に献 て新しい問題といったのは、まさにこの意味に彼らは、平たくて黒味を帯びた大きな頭をもじた山車も、地震とナマズの関係を表わした面 でん
ほうが、より妥当のようにも思われる。 白いものだという。 安政二年十月の江戸地震は、マグニチュード 山車の上には神主ふうの男が、 六・九で、地震の規模としてはそれほど大きく やはり、ひょうたんを持って立っ はなかったが、いわゆる直下型の地震で、その ており、そばにナマズがいる。山 ため江戸の倒壊焼失家屋一万四三五〇戸、死者 車をひくと、神主もナマズもぐる 七〇〇〇人余という、当時としては大変な被害 ぐる回転する仕掛けである。 かなめ を出した。 茨城県の鹿島神宮に、「要石」 この地震について『安政見聞誌』の上巻に といって、大ナマズを押える石 は、つぎのような意味の、興味深い事例が書か が、昔からあるのも、よく知られ れている。 た事実である。 「本所永倉町の篠崎という人が、ウナギをとり 大ナマズがはねまわるさまは、 に行ったところ、ナマズがしきりに騒ぐだけ まことに勢いがよく凄まじい。そ で、ウナギは一つもとれず、しばらくしてナマ れに日中は砂泥の底にひそんでい ズが三尾釣れた。 るが、夜ともなれば、泥煙をあげ 『不思議なことがあるものだ。とにかくナマズ て魚やカエルを食い漁る淡水の王 が騒ぐときは地震があると聞くから急いで帰ろ 者だ。 う』 そんなところから、古人が得体 というわけで漁をやめ、家に帰ると家財道具 の知れぬ地震とナズとを結びつ を庭に出して異変に備えた。女房は笑った。け けて考えたとしても、不思議では れど、その夜、突如、大地震があり、家は倒れ なかろう。 たが家財は助かったという」 なにしろ、かのギリシアの大学 これなどは、ナマズによって地震予知が行わ 者アリストテレスだって、「ウナ貴 れ、被害を最少限に防いだ好例である。この話 ギは泥中のミミズより生ず」と信 武 にはさらにオチがついていて、隣人の釣り気違 じたくらいである。ウナギについ いは、ナマズが騒いでも知らぬ顔の半兵衛を決 ては日本でも、「山芋変じてウナ めこんで釣りつづけていたところ、突然の地震 ギとなる」という諺がある。 カ 0- 」 0 そしてこのウナギも、地震予知 の引きあいに出される魚の一種なのである。 しかしながら、ナマズについては、もっと即驚いて帰ったが、家も家財もすべて烏有に帰 した後だったという。一方はナマズのお告げを とかく未知不明の部分の多いものについて時的に、 信じて助かり、他方はそれを無視したばっかり は、洋の東西を問わず、神秘的な解釈がっきも「地震が起こる前にナマズが騒ぐ」 ののようだ。 とか、あるいは何らかの異変が多々見られたに、すべてを失ったというわけである。 ために、地震とナマズとを関係づけたと考えた大正十一一年九月の関東大地震の前にも、向島 “粤
耳 0 いし C / ル C C 沢 / 7706 第 びや趣味のためではない。題して 「魚類の異常生態による地震予知 観察」の一環なのだ。 方法は二つ。ーーその一つは、 毎朝、水槽をたたいて、ナマズの 反応を調べるノック式。かの畑井 らが初めて試みて、実績のある方 法である。 たたいたときのナマズの反応 は、次の四段階に分けられた。 ①非常に敏感ーー・一応急に動い て、あとは静かになる。 ②敏感ーーわずかに体を動か す。 ③鈍感ーー強くたたくと、わず かに動く。 ④非常に鈍感 , 、ーー強くたたいて も反応がない。 畑井グルー。フは、反応が①およ び②のときは、八〇 % 近い確率 で、数時間以内に地震があったこ とを報告したのである。この実験 は、一九三一年十月十五日から三 二年五月十五日まで、七カ月間に もわたって行われた。 そしてナマズの反応にもとづいて、当時、実ったはしりである。 験室には、 では、東京都水産試験場の場合は、どうであ ったろうか。 「地震あるべし」 、二、一、〇と といった掲示が黒板に出されたそうである。 まず、四つのランクごとに三 明らかにナマズを地震予知のセンサーとして使いう点類をつけることにした。そして三つの水 ノ、 0 ノ を 槽の合計点が七点ーーーたとえば一つの水槽が非 常に敏感の一一一点。他の二つが敏感の二点ーー以 上の日をぬき出して、東京で起こった有感地震 との関係を調べたのである。 この結果は、七九年三月に開かれた東京都防 災会議の地震部会で報告された。 それによると、七七年十一一月十二日から七八 年七月二十七日までの七カ月余りの間に、七点 以上の日は一六回あった。 そしてそのうち一三回については、反応のあ った日から一〇日以内に、震度一以上の地震が 起こったのである。 たとえば七八年三月十五日には七点であった が、その翌日に父島近海に地震が起こり、東京 一一での震度は二であった。 また五日後の三月一一十日には、茨城県南西部 を震源とする震度三の地震があった。 七八年六月十一一日には、宮城県沖地震が起こ り、大きな被害を出したが、水槽のナマズたち は、六月六日と九日が九点、八日が八点という 見事な反応を示している。 さらに、昨年一月十四日の伊豆大島近海地震 の五日前の九日には、六点ではあったが、ナマ ズは「近く地震あるべし」と、そのゆるやかな そぶりで、人間に知らせていたのである。 日下実男氏へのお便りをお待ちしていま す。宛先は当誌編集部「サイエンス・ク リティック」係まで ( 住所は奥付参照 ) 。 ー 23
ト梁恵子 諸君は一つの先入観を捨てねばならない。 どになる。しかし、農業をはじめ様々な面にと雨がもたらされるはずだ。医学呪術では、 世界はめったに変化しない、と感じるのは錯影響を及ぼす気象庁には、エー 丿ト中のエリ 泥人形を手術する事で病人を治す方法が、い 覚だ。この錯覚に、ニセ予言者やデマがづけ ートでなければ入れない。 くつかできていると言うのに、天気予報をし 込む。異変が起こるという予言は、はずれる うらやまれてしかるべき私の地位。だが、 ているなど、時代遅れもはなはだしい。 ことがないからだ。それ故、呪術者に求めらここでやらされた事ときたら。ナマズやカエ ところが、気負って気象管理研究を申し出 れるのは正確さ、どのような異変がいつどこ ルや三毛猫の世話、蜂の巣を突っき、骨を焼ると、上司はあっさり拒否してくれた。 で起こるのかだ。 いてひびを調べ、棒を倒し、ゲタを放り上「わからんかね。大きな対象を調べる事が大 予知自体は観察に基づく消極的呪術だが、げ、即ち、観察と記録と肉体労働だ。神経も切なんだ。我々は多くの細部を手に取って見 積極的呪術をどう介入させるかの判断に、重体もぐだぐだに酷使されている。 られる。それに対して、模型で大ぎな対象を 要な情報を提供する。注意しておくが、積極この献身は報われない。予報は当って当操作するには、危険が伴なう。常に予期せぬ 的呪術が働いている間は、予知の正確さが低然、はずれようものなら世間様が怖い。知っ細部が問題となる。君は必要な細部を全て把 下する。細部の解釈を、最も慎重にやる時だ。 ているだろうか。「気象庁気象庁気象庁」とんでいると、確信できるのかね」 呪術大学予知学講義より 唱えると、悪い物を食べても中毒しない、つ「今はまだ研究を始めてもいませんから、確 まり、当らない、と言われている。ひどい中信はできません。しかし、予知には限界が多 私は五年前、卒論「模型共感呪術における傷だ。横丁の雨が何時何分に始まるかまでをすぎます。いずれ気象管理の時代に : : : 」 現在の限界と可能性」で高い評価を受けて呪詮索しては、非難するのだから。 「ああ、君の論文は読ませてもらった。だ 術大学を卒業し、気象庁へ入った。呪術革命こんなつもりで気象庁へ入ったのではなか が、現実は理論より複雑だ。呪術は万能でな によって、科学の上を行く技術となった呪術った。天気予報だけなら、呪術的才能に乏しい事を忘れてはいかん」 だが、呪術的才能は少数に限られ、呪術大くとも観察力があればよい。気象修正も、長「そこで研究が必要なのだと思います」 卒、それも優等生となると、どの職場でも歓雨の雲を払ったり、旱魃に雨乞いをするだけ「今はだめだ。もっと多くの基礎を積み重ね 迎される。呪術者は、肉体と精神の治療、過とは情けない。な・せ気象管理をやらないのだ。てからだ。君は若い。待ちたまえ」 去の追跡、小規模の予知、隠れた物の発見な土地の模型を作り、呪文をかけて本物との間 尊大な石頭め。呪術革命以来、保守的にな どができ、呪医、警察等の捜査官、資源調に共感をさせ、日光の代りに電燈の光、雨の ったと言われている社会だが、この時、お前 査、各界の顧問、またおそらく産業スパイな代りに如雨露で水をやる。これで、本物の光もか、という激しい反発を感じた。自信がな ・今月の入選作・ 「気象庁予報呪術官」 2 9