地震 - みる会図書館


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1. SFマガジン 1979年11月号

ほかならない。 ち、上顎から二本の立派なひげを生やしてい カナズは、地震を予知するか 0 男 ヒヒこれは、古くして、新しい問題である。 る。長い尻びれは、そのまま尾びれにつなが 2 ム月 り、それをくねらせながら、ゆらゆらと泳ぐ姿 〃古いというのは、日本では、ナマズと地震のところでナマズというとき、私が第一に思い 関係が、昔からいろいろに取沙汰されてきたか出すのは、ナマズ川のことである。 は、幼魚とはいえ、他の魚にはない風格のよう の らだ。 子供の頃、見渡す限りの田んぼに囲まれて、なものがあって、少年にとっては素晴らしい魅 下 ズ たとえば、 蛙の声ばかりがしきりの生家の近くに、小さな力であった。 マ「地下の大ナズが暴れると地震が起こる」 川があったのだ。 もっとも見飽きた後は、たいていニワトリの A 」カ、 ナ 三河平野を灌漑する明治用水の一支流であっ餌になるのが、小ナマズたちの運命ではあった 「ナマズが騒ぐのは、地震の前ぶれだ」 て、稲田の間を縫い、東海道線の土手下を二本が : ・ 。ともあれ、そんな少年の私に、 と、いった類いである。 の太い土管でくぐる何の変哲もない小丿ナ 日・こつ「地震が起こるのは、地下に大ナマズが棲んで 昭和の初期の、私の子供の頃には、 た。が、どういうものか、ナマズの幼魚がウョ いて、暴れるせいなんだよ」 知 「地震の主は大ナマズである」 ウョいたのである。私の考えでは、昼なお暗き と、初めて教えてくれたのは、慶応一一年生れ という俗説は、 この土管の中に、たぶん大ナマズたちの棲家がの祖母であった。私はむろん、にわかには信じ 一震「まさか、そんなことがあ 0 てたまるか」 あったにちがいない。 難かった。が、隣りの市場のおやじが、タライ という思いが一方にありながらも、ごく自然私は、よくこの川へ、一人でポンツクに行っの中を一周り半するほどの大ナマズを捕えてき に受け入れられているというふうなところがあた。ポンツクという語が、どういう意味をもって、それが水中から横に広い大口を開けて天を った。はっきりしたことは分からないのであるていたのか。いまでも、そんな言葉があるのにらみ、悠々と身を横たえているさまを見たと か、どうか。残念ながら、故郷を離れて数十年きには、一種、畏敬の念に打たれたものであ 「ナマズが地震と深いつながりをもっている」 ・ : 以来、私はナマズの虜になってしまっ になるいまの私には、すべては闇の彼方に沈んる。 という考えは、一片の真理をふくむものとしでしまって、皆目見当もっかない。 たといっていい。 て、子供たちの世界では、容認されていたよう が、要は小型の網の一端を夏草の生い茂る川 に田 5 、つ 0 縁につけ、数メートル先から、ドンドンジャプ室町時代の画家如拙の『瓢鮎図』という有名 そのナマズが、近頃は、東海大地震など、今ジャ・フと、勢いよく川底を足でたたきながら、 な画には 川の中に大ナマズがおり、それを 後発生する確率が高いと思われる地震を予知す魚を追いこむのである。 川岸に立った男が、ひょうたんを持って、押え るためのセンサー ( 感知器 ) として、注目されすると小ブナやモロコなどに混って、体長一こもうとしているさまが描かれている。 るようになってきた。 〇センチくらいのナマズの子が、二、三匹は入瓢は、ひょうたん、鮎はいまのアユではな く、ナマズのことである。そしてこの画は、ナ ナマズについての古くからの言い伝えや迷説っている、という寸法だった。 を整理し、地震予知という、いまの科学でも最私はナマズを見ると相好をくずし、ポンツクマズが暴れて地震が起こるのを必死に防いでい も困難な問題に役立てようという風潮が、脚光はすぐにやめてしまい、急いで家に帰る。そしるものと解されている。 を浴びてきたのである「 てタライに入れて、いつまでも、しげしげと眺魚博士の末広恭雄氏によると、宝暦元年 ( 私が冒頭で、ナマズと地震の問題を、古くしめ人るのが常だった。 七五一年 ) に、大垣城下十カ町が八幡神社に献 て新しい問題といったのは、まさにこの意味に彼らは、平たくて黒味を帯びた大きな頭をもじた山車も、地震とナマズの関係を表わした面 でん

2. SFマガジン 1979年11月号

会」を開催する計画が科学など世界各国から百五十人を越し、国際色豊か装置の規模や、加速粒子が到達する最高エネル 技術庁で進められており、実現すれば、新都市である。 ギーでは世界第五位であるため、スケールアッ の整備は一段と進むものとみられている。 約三千五百人の教職員、九千三百人の学生をプを計画中だ。主リングを現在の八倍にしよう さて、新都市に集まった研究、教育機関は、有する筑波大学ーーこれこそ筑波研究学園都市というもので「トリスタン計画」と呼ばれてい 質、量ともに日本の研究開発をリードするものの中核的存在であり、一一十一世紀を指向したわる。この計画が実現すると、世界第一級の加速 ばかりだ。それらが一堂に会し、研究交流センが国初の新構想大学として、大きな期待を背負器を有することになる。 っている。 ターなどによって他機関との情報交換やディス 理論物理では、湯川秀樹、朝永振一郎という カッションが活発化するため、研究開発の効率研究機関の中で、主なものをみると 一一人のノーベル賞学者を出し、続いて江崎玲於 化がはかられるものと期待されている。 文教系の高エネルギー物理学研究所。直径約奈博士がノーベル賞を獲得して以来、。ハッとし なかでもユニークな存在なのが、筑波大学で百八メートルの主リングを持っ百二十億電子ポない日本の物理学界だけに、ここで大型加速器 ある。同大学は、東京教育大学が移転するのをルトの陽子加速器が自慢の装置だ。わが国最大を手にして、輝かしい素粒子研究の成果をあげ 機に新しい構想に基づく新しい大学として四十で、一つしかない素粒子実験装置ではあるが、 てもらいたいものである。 八年十月に開学した。一般の大学にある籌第 建設系では、国立防災科学技術センターが知 学部や講座制を廃止して、学生は「学 " ・ られる。同センターでは、地震のさまざまな揺 群」に、教職員は「学系」に所属して、 れを再現し、耐震性の研究をする世界最大の大 講義を受け、研究活動を進める新しい仕 型耐震実験装置がある。また、大雨を降らせて 組みをとり入れている。 地滑り、山崩れなどの発生メカニズムを解明す る世界最大級の大型降雨実験装置があるのも特 また学内外に開かれた大学で、新しい 大学自治を行っているのも特色だ。大学 徴だ。地震、台風、洪水などの自然災害に悩む のキャン。ハスをへだてるヘイや門はな第 日本ならではの研究施設といえよう。 市理工系では、国立公害研究所、気象研究所、 クく、訪問者は道路を進むうち、気がっか一、 ッ ないでキャン。 ( スに入ってしまう。地域 園機械技術研究所、電子技術総合研究所などさま 学ざまな研究テーマの研究所が顔をそろえてい ピ住民との関係を重視して地元の開発、環 ~ 究る。人工衛星を打ち上げるとき追跡、管制のか 境保全のための研究や協力を進めるとと物 なめとなり、打ち上げ前に宇宙空間の環境下で もに「公開講座を積極的に開いて大学の一 ( ・知識や技能を地域社会に還一兀するよう努 望部品のテストをしたりする宇宙開発事業団の筑 を波宇宙センターも四年前から活躍中である。 スカしている。夏休み中に開かれる少年、 山生物系では、果樹試験場、畜産試験場、蚕糸 ン婦人などを対象としたスポーツ教室もそ・ の一つだ。すでに参加者は千五百人を越 試験場、植物ウイルス研究所、農業土木研究所 エ・ した。陶芸、書道、絵画、外国語などの などがある。国立科学博物館筑波実験植物園で 教室も好評である。 は、熱帯降雨林の植物やサ・ハンナの乾燥地帯植 物を植えて研究をする屋内実験植物園が建設さ サ国際的にも開かれた大学として、国際 交流を推進し、現在、大学で教育や研究 れ、日本ではみられない珍しいさまざまな植物 をする外国人教師は四十人位にのぼって がある。屋外実験植物園では、日本の十二のタ イプの植物相の植物を植え、形態や生態の変化 いる。外国人留学生も、大学院に多く、マ アメリカ、台湾、韓国、マレーシア、べ を観察したりする。これらは、研究に支障がな トナム、タイ、フランス、アルゼンチン い場合、一般に公開されている。

3. SFマガジン 1979年11月号

ほうが、より妥当のようにも思われる。 白いものだという。 安政二年十月の江戸地震は、マグニチュード 山車の上には神主ふうの男が、 六・九で、地震の規模としてはそれほど大きく やはり、ひょうたんを持って立っ はなかったが、いわゆる直下型の地震で、その ており、そばにナマズがいる。山 ため江戸の倒壊焼失家屋一万四三五〇戸、死者 車をひくと、神主もナマズもぐる 七〇〇〇人余という、当時としては大変な被害 ぐる回転する仕掛けである。 かなめ を出した。 茨城県の鹿島神宮に、「要石」 この地震について『安政見聞誌』の上巻に といって、大ナマズを押える石 は、つぎのような意味の、興味深い事例が書か が、昔からあるのも、よく知られ れている。 た事実である。 「本所永倉町の篠崎という人が、ウナギをとり 大ナマズがはねまわるさまは、 に行ったところ、ナマズがしきりに騒ぐだけ まことに勢いがよく凄まじい。そ で、ウナギは一つもとれず、しばらくしてナマ れに日中は砂泥の底にひそんでい ズが三尾釣れた。 るが、夜ともなれば、泥煙をあげ 『不思議なことがあるものだ。とにかくナマズ て魚やカエルを食い漁る淡水の王 が騒ぐときは地震があると聞くから急いで帰ろ 者だ。 う』 そんなところから、古人が得体 というわけで漁をやめ、家に帰ると家財道具 の知れぬ地震とナズとを結びつ を庭に出して異変に備えた。女房は笑った。け けて考えたとしても、不思議では れど、その夜、突如、大地震があり、家は倒れ なかろう。 たが家財は助かったという」 なにしろ、かのギリシアの大学 これなどは、ナマズによって地震予知が行わ 者アリストテレスだって、「ウナ貴 れ、被害を最少限に防いだ好例である。この話 ギは泥中のミミズより生ず」と信 武 にはさらにオチがついていて、隣人の釣り気違 じたくらいである。ウナギについ いは、ナマズが騒いでも知らぬ顔の半兵衛を決 ては日本でも、「山芋変じてウナ めこんで釣りつづけていたところ、突然の地震 ギとなる」という諺がある。 カ 0- 」 0 そしてこのウナギも、地震予知 の引きあいに出される魚の一種なのである。 しかしながら、ナマズについては、もっと即驚いて帰ったが、家も家財もすべて烏有に帰 した後だったという。一方はナマズのお告げを とかく未知不明の部分の多いものについて時的に、 信じて助かり、他方はそれを無視したばっかり は、洋の東西を問わず、神秘的な解釈がっきも「地震が起こる前にナマズが騒ぐ」 ののようだ。 とか、あるいは何らかの異変が多々見られたに、すべてを失ったというわけである。 ために、地震とナマズとを関係づけたと考えた大正十一一年九月の関東大地震の前にも、向島 “粤

4. SFマガジン 1979年11月号

耳 0 いし C / ル C C 沢 / 7706 第 びや趣味のためではない。題して 「魚類の異常生態による地震予知 観察」の一環なのだ。 方法は二つ。ーーその一つは、 毎朝、水槽をたたいて、ナマズの 反応を調べるノック式。かの畑井 らが初めて試みて、実績のある方 法である。 たたいたときのナマズの反応 は、次の四段階に分けられた。 ①非常に敏感ーー・一応急に動い て、あとは静かになる。 ②敏感ーーわずかに体を動か す。 ③鈍感ーー強くたたくと、わず かに動く。 ④非常に鈍感 , 、ーー強くたたいて も反応がない。 畑井グルー。フは、反応が①およ び②のときは、八〇 % 近い確率 で、数時間以内に地震があったこ とを報告したのである。この実験 は、一九三一年十月十五日から三 二年五月十五日まで、七カ月間に もわたって行われた。 そしてナマズの反応にもとづいて、当時、実ったはしりである。 験室には、 では、東京都水産試験場の場合は、どうであ ったろうか。 「地震あるべし」 、二、一、〇と といった掲示が黒板に出されたそうである。 まず、四つのランクごとに三 明らかにナマズを地震予知のセンサーとして使いう点類をつけることにした。そして三つの水 ノ、 0 ノ を 槽の合計点が七点ーーーたとえば一つの水槽が非 常に敏感の一一一点。他の二つが敏感の二点ーー以 上の日をぬき出して、東京で起こった有感地震 との関係を調べたのである。 この結果は、七九年三月に開かれた東京都防 災会議の地震部会で報告された。 それによると、七七年十一一月十二日から七八 年七月二十七日までの七カ月余りの間に、七点 以上の日は一六回あった。 そしてそのうち一三回については、反応のあ った日から一〇日以内に、震度一以上の地震が 起こったのである。 たとえば七八年三月十五日には七点であった が、その翌日に父島近海に地震が起こり、東京 一一での震度は二であった。 また五日後の三月一一十日には、茨城県南西部 を震源とする震度三の地震があった。 七八年六月十一一日には、宮城県沖地震が起こ り、大きな被害を出したが、水槽のナマズたち は、六月六日と九日が九点、八日が八点という 見事な反応を示している。 さらに、昨年一月十四日の伊豆大島近海地震 の五日前の九日には、六点ではあったが、ナマ ズは「近く地震あるべし」と、そのゆるやかな そぶりで、人間に知らせていたのである。 日下実男氏へのお便りをお待ちしていま す。宛先は当誌編集部「サイエンス・ク リティック」係まで ( 住所は奥付参照 ) 。 ー 23

5. SFマガジン 1979年11月号

の料理屋の池では、ナマズがやたらとはねたと迂闊にも私は、地震に気をとられて、中ナマてんぶらにして出すところもあるが、どうも私 2 いうし、埼玉県川口市や川崎市の川などでは、 ズといえども、恐るべき夜のギャングであり、 にはいただけない。ナマズはやはり、かばやき 2 小ナマズのうようよしているのが見られたとい金魚などはその哀れないけにえになることを等に限ると思っている。 閑視していたのである。 子供の頃から、ナマズ川で遊んだ私は、長ずところでその関東や東海地方などでは、この 地震とナマズの関係について、初めて科学的るにおよび、大ナマズの蒲焼が大の好物となっところナマズの小売りの値段が上がる一方だ、 な研究を行ったのは、動物学者の畑井新喜司、 た。未だ生家のある安城市周辺で、大ナマズがという。 小久保清治の両氏でる。 とれた頃は、たまに帰る私の顔を見れば、母が農薬などにやられて、ドジョウと同じく、ナ 昭和六年から七年にかけてのことで、両氏は何はともあれ黙って、ナマズの蒲焼を出してくマズが近年、めつきり減ってきたことは確かで 東北大学浅虫臨海実験所で、一〇センチ前後のれたものである。 ある。おかげで私は、近ごろ安城へ帰っても、 ナマズを水槽で飼いならした。そして日に三 ウナギほど油こくなく、そうかといってコイナマズの蒲焼を口にすることなど、まるででき 回、水槽をのせたテープルを、人差指の曲り角ほど淡味でもない。まさに中庸を得た味だと、 なくなってしまった。 で軽くノックしたのである。 私は思っている。ところが東京では、これを食ナマズのかばやき党としては、これほど無念 するとノックに敏感に反応するときは、それわせるところがない。 なことはない。しかしながら関東や東海地方 から一五、六時間以内に地震計 ( 五 Q 倍 ) に感先年、日本海事広報協会の三枝義雄さんと会で、需要が急に増したのは、どうやら数が減っ ずる地震があった。が、ノックに鈍感なときったとき、私がこの話をしたら、 たためだけではなく、地震とからんでナマズの は、同じ時間内に地震がまったくないという驚「浅草の駒形のどじよう屋の主人が、小学校時人気が上昇し、ナマズを飼う家や会社などがふ くべき事実が判明したのである。 代のガキ仲間で遊び友達だったから、ひとっ頼えたためであるらしい しかもノックに敏感なときの地震予知の的中んでみようか」 そのために、ナマズの値段が上がっていると 率は、七九・六 % という高さであった。いった ということになった。駒形では、ナマズをぶいうのだ。 、ナマズたちは、何をもって地震を予知しうっ切りにして割下で煮るナマズ鍋を出している東北大学の畑井新喜司らが、ナマズの地震予 るのだろうか。 というが、こんなものは、どだい私の食欲とは知について、先駆的な観察を行ってから半世紀 畑井氏らの一応の結論は、 無縁である。 近くをへて、ナマズの不思議な能力が、ふたた 「地震の前に起こる地電流の変化を感知するのそこで特別注文ということで、予め電話をかび世の注目を受けることになったのである。 であろう」 けておいて出かけたら、とにかく蒲焼風のもの東京都水産試験場では、三個の大型水槽 ( 長 ということであった。 が出てきた。が、どうも味付からして、私の好さ一メートル三〇センチ、高さ、幅とも六〇セ さる日、私も地震予知を試みようと思って、みには合わなかった。第一、頭をちょん切らンチ ) に、一〇匹のナマズを入れて、昭和五十 一尾の中ナマズを水槽に入れ、観察していた。れ、大小不そろいの哀れな身だけになっていた一年度から飼っている。 日中は藻の影に隠れて、寂として動かない。とのも気に入らない。愛知県の尾張南部では、い 一つの水槽には、体長五四センチの大ナマズ ころが翌日になると、どういうものか金魚やタまでもナマズの蒲焼が名物料理になっているが棲み、他の二つには、平均二四センチくらい ナゴの幾匹かが、霞のように消え失せているのが、あの立派な頭ごと出すのである。 の中ナマズが六匹と三匹に分けて入っている。 関東では、ナマズは白味の魚だというので、 むろん、お役所でやっていることだから、遊 ミ」 0

6. SFマガジン 1979年11月号

〈特別掲載〉現代中国 U)L-L 宗教・理性・実践 目野田昌宏のセンス・オプ・ワンターランド サイエンス・クリティック地震予知ーーーナマズの超能力 映画講座第十三回失われた地平線 ◇新連載◇銀河旅行と特殊相対論 章 0 夢と好奇心の拡大 リータース・スト ーリイ〈豊田有恒選・評〉 題名未定新コラ乙⑧ 大会レホート スタジオぬ、ん 8 ・スターシッフ・ライフラリイ⑩ ) 乗越和義 ・スキャナークラリオンの卒業生、エフィンジャー 安田均 ・アーチスト・ア・ラ・カルト ( ④スティーウン・フェビアン 池見照ニ ・サイエンス・トヒック頭脳の集団移転 亀和田武 / 川又千秋 / 中島梓 / 森下一仁 ・レビュウ 霜月象一 DIMENSION 0 世界情報 ファンタム・スポット・ ◇連載◇メチル・メタフィジーク② 星雲賞の正しい使い方 巧 7 ロ 2 てれぽーと 第六回「ハヤカワ・コンテスト」宀爆規定発表 9 吾妻ひてお 厳家其 岩辺卓浩訳 野田昌宏 日下実男に 井口健ニ 石原藤夫 4 田 2 8 90 イラストレーション 依光隆金森達 中島靖侃岩淵慶造 畑農照雄中原絛 高信太郎霜月象ー 加藤直之佐治嘉隆 宮武ー貴 加藤直之 表紙 宮武ー責 目次カット 扉・目次レイアウト安藤三香子

7. SFマガジン 1979年11月号

ⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 山 ( 八七六メートル ) を見上げる筑波町など六 町村にまたがる二万八千ヘクタール。東には霞 0 ヶ浦を控え、松林の多いのどかな田園地帯であ る。 このうち、研究所、大学、公務員宿舎などが 集中的に建設されたのは、中心部の「研究学園 地区」で、南北十八キロ、東西六キロ、面積一一 千七百ヘクタール。全地域の約一〇 % に相当 し、ちょうど山手線の内側の面積に近い。この 「研究学園地区」は、大学や研究所のある「研 池見照二 究教育団地」と、ショッ。ヒング、文化施設など カット / 島津義晴 のある「中心市街地」、それに住宅団地のある 「住宅地」の三つに分かれている。 日本で史上最大といわれる頭脳の集団大移動き。機械技術研究所の高さ五メートル、重さ四ゆったりとした用地を生かし、六車線の広い が首都圏でことしの夏からスタート、来年春ま十トンもある大型変圧器の運搬では、途中の国道路が走り、歩道、自転車道路、自動車道路が で展開されることになった。 道の三カ所の歩道橋が通れず、一時切断してク完全に分離している。コンビュ 1 ターによって 筑波研究学園都市への国立教育研究機関の移レーンでつり上げ、ようやく通すという大作戦コントロールされ無人で走る・ハスも、試験的に 転が、ことし、最終年度を迎え、移転計画で残だ。 走らせるため現在建設中。頭脳都市にふさわし っていた″最後の大物″である通産省エ業技術この移転作戦が無事終了すると、去る三十八 く、最先端の科学技術が交通システムに採り入 院の十研究機関をはじめ、運輸省の気象研究年の閣議決定によりスタートした筑波研究学園れられようとしている。 所、農林水産省の畜産試験場など合計十六研究都市造りは、六五 % できあがり、十六年ぶりに 中心部の「研究学園地区」内の人口は、最後 機関の集団移転作戦が始まったのである。 「概成」という一つの区切りを迎える。広い敷の移転組が加わる来年三月で約三万人。「研 このうち、一番大変だったのは、通産省エ業地で、静かな研究環境に恵まれ、全国の国立研究学園地区」のまわりの既存の田園地帯の既存 技術院の引っ越し作戦だ。 究機関の三分の一と、ユニークな筑波大学を結人口九万二千人と合わせると、研究学園都市全 なにしろ、同工業技術院関係の研究機関は、集した人口数十万の新都市はい文字通り我が国体としては十二万二千人ぐらいになる。将来 筑波へ移転する四十三機関の中で、すでに移転最大の科学都市である。ここは、技術立国を目は、さらに中心部の「研究学園地区」の人口が を終えた筑波大学に次ぐ大世帯。職員だけで約指す日本の将来をになう新技術を生み出す中心ふくらみ人口十万人となる見込みで、周辺の既 二千七百人で、家族を含めると約八千人にもの地になろうとしている。 存人口と合わせ二十万人近くに達するものとみ ・ほる。それだけに、移転作戦は大変なもの。小 昭和三十五年から三十六年にかけて、マンモられている。 さいものは徴生物から、大きいものは百二十トス都市東京にこれ以上人口が過密に集中するの これまでに投入された新都市造成費は約一兆 ンもある超大型計量機械まで、しめて約三十九を防ぐため、官庁の移転や大学の分散の議論が円にの・ほる。しかし、まだ新都市は「おおむね 万点。十トン積みトラックで約一万台にもの・ほ活発に行われた。その経過の中で、研究学園都完成」したという意味の「概成」段階にある。 り、移転費用も百八十億円という。 市を筑波に造ることが持ち上がった。三十八今後、さらに整備をはからなければならない。 微生物工業技術研究所のペニシリン生産菌な年、閣議で正式に建設が決定し、新都市造りが東京から筑波までを四、五十分で結ぶ高速道路 ど数万種の菌や、地質調査所の時価五億円もすスタートした。 の建設もその一つで、いま五十七年の完成を目 るダイヤモンドやサファイアなどの宝石原石を この新都市造りの舞台は、東京の北東約六十途に建設が急ビッチで進んでいる。 含む鉱物標本の運搬には、パトカーの護衛つ、キロ、四六のガマで知られる茨城県南部の筑波筑波地区では、六十年に「国際科学技術博覧 サイエンス・トピック 頭脳の集団移転

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「かってにしなよ。きみは環境の専門家だろ」 たようだ。もしそれが起こったときジ、ビラントが悲鳴を上げなか 彼女はぼくを見た。でも彼女が鏡のような顔から表情を読みとるったら、ばくは全然気にもとめなか「たろうが。 のに慣れていたとは思えない。彼女が左胸の上に突き出た / ズルを まわすと、そこから流れ出す蒸気が増した。 当時ぼくらの家は丘のてつべんにあった。七夜年前に襲った大 「それでだいたい二十度まで下がるだろうな。およそ = 一十時間の酸地震で以前住んでいた崖の斜面が崩れてしま「た後、ぼくらがそこ 素が残る。理想的な状態での話だよ、もちろん。じ 0 とすわ 0 たま〈運び上げたのだ。そのときぼくは十時間のあいだ埋ま 0 ていたー までいるとしてだ。動けば動くほど、〈服〉はきみを涼しくするたー掘り出してもらわなければならなか 0 たはじめての経験だ。水星 めによけいに酸素を浪費する」 人は谷間に住むのをいやがる。大地震のとき岩屑で埋まってしまう 彼女は腕を腰に置いた。「ティモシー、あなた、わたしが涼しく ことがよくあるからだ。もし丘のてつべんに住むなら、崩れたとき しない方がいい 0 てい 0 てるの ? わたし、あなたのいうとおりにでも、土砂の頂上近くになるチャンスが大きくなる。そのうえ、母 するわよ」 もぼくもそこの景色が好きだったんだ。 「いや、きみは大丈夫だと思う。ぼくの家まで三十分ほどだから。 ジビラントもそれが気に入った。彼女が景色について最初の感 それにきみが重力についてい 0 たことには一理ある。たぶん休息が想を口にしたのは、家の外で立ちどまり、今渡 0 て来た谷間をはる 必要なんだ。でも手ごろな妥協としては、二十五度に上げたいね」かに見渡したときだ。三十キロ離れた山脈の頂上にーキリー 彼女は黙って・ハルプを再調節した。 ポートがある。この距離からは一番大きい建物の半球状の形がやっ と見わけられる。 ジ、ビラントは二キロメートルごとのセクションに分かれて動く ところがジュビラントは、われわれの後方にある山々の方により 交通 = ン・〈ヤなんて・ ( カげていると考えたようだ 0 た。はじめの興味をいだいた。彼女は山すその丘のひとつの背後から立ちのぼる 三、四回、ぼくらがひとつの端から降りてもうひとつのへ乗り換え輝く紫色の雲を指さし、何かと説ねた。 るたびに不平をい 0 ていた。彼女が口をつぐんたのは、地震でやら「あれは水銀洞だよ。〈逆行の夏〉のはじめにはいつもああいう風 れたセクシ , ンまで来た時だ 0 た。・ほくらはセクシ , ン間に仮設さに見えるんだ。あとで連れて 0 てあげる。きみも気に入ると思う れた滑降路をしばらく歩き、彼女は作業員が古いそれの下にひらい よ」 た二十メートルの空隙に橋を架けようと働いているのを見た。 壁を通り抜けて入ると、ドロシーが・ほくらを迎えてくれた。 家に帰り着くまでに地震は一度しかなか 0 た。たいしたものじゃ何がママを悩ませていたのか、ぼくにはは 0 きりとわからなか 0 なか 0 たが、ただ足をすべらさないよう、ちょ 0 とドタ・ ( タしなけた。彼女は十七年ぶりでジ = ビラントと会 0 て、充分幸せそうに見 ればならなかった。ジ = ビラントにはそれがあまり気に入らなかっ えた。ずいぶん大きくなったのね、ずいぶんきれいになったわね スライウェイ ′ークイヤー 2 2

9. SFマガジン 1979年11月号

く怠惰なやつは放って置け。私の才能と知識減、そして私には名誉。そうとも。この研究だ。対する私は、呪法に縛られているので、 を持ってすれば、研究許可も協力者もいりはを学会に発表すれば、呪術博士の称号と昇進どれにも誠実たらんとして、心が一一つにも三 しない。と、即座に心は決まった。 が待っているはずだ。そのはずだった。 つにも引き裂かれる。私の監視人でもある同 家には亡父の住んでいた離れがある。私は 私は如雨露でたつぶり水を注いだ。日照り僚が、一方を退けるか妥協案を出すまで、地 ここで、秘かに模型を作った。日本列島を模の地方には念入りに。期待通り、次の日には獄の責苦が続くのだ。気象管理なんてするも 写するには、市販の立体投影地図に肉付けす水が落ちて来た。水だ。雨ではない。如雨露のじゃない。やっと解った。 ればよかった。問題は必要な呪文を編み出すの水滴は、直径一ミリだったかもしれない 呪術大学と気象庁では、模型にかけられた 事だ。研究は面白く、私は夢中になった。 しかし、百万分の一の模型だったのだ。一ミ呪文を中和する研究をしていゑ私の呪文は 「近頃つきあい悪いな。仕事が終わったのに リの百万倍、暗算してくれ。一キロメートル完璧すぎた。模型が傷つけば、次の日に日本 資料室通いとは、論文でも書く気か」 直径の水滴 ? 水塊が落ちてきたらどうなる列島が傷ついてしまうのだ。私は夜昼なく、 よく飲んではぐちり合った仲の同僚が、不 か。決壊せぬ河川は一つもなく、東京江東区命にかけて守っているし、同僚達も必死だが、 審そうに尋ねた。私があいまいに答えると、 など草木一本残さず押し流された。水に押し早く呪文を中和しないと物騒でいけない 「申請をしてみたか。許可が下りれば勤務時潰された町、埋まった谷、農林作物の被害は昔通りの予報の時代へ戻れるのはいっか。 間にやれる・せ。予算が出て、研究班を作れる言うに及ばず。瀬戸内海地区は、日照り転じ私が衰弱死する方が早そうだが : ・ かもな。ははん、それか。秘密にしときたい て、雨台風を数十個抱え込んだような有様。 やっ ? いけない。急げ、急ぐんだ。対抗 んだな。ま、いいさ。だけど、気象管理にだ生き残れたのは運がいい。全く、何という呪文、薬品、象徴儀礼、なんでもいい。早く けは手を出すなよ」と、言った。 幸運だ。警察の腕きき呪術刑事が、私Ⅱ犯人中和するんだ。私のためじゃない。はるかに 私は、一瞬困惑した。同僚のなんという臆を捜し出し、呪術法廷は即刻、判決を下しそれ以上の事だ。気づかなかったのか。同僚 病さだろう。協力を頼む事もあろうかと思っ た。数人がかりの呪法が、私の心を縛り、模も感じていないようだ。思い違いならよい ていたが、到底無理だ。私は彼を軽蔑した。型を命より大切に守り細心な気象管理をするが、確かに今しがた。 孤独な研究は不安だし、昼の疲れは研究へしかできなくした。何十万人もの命を奪ったそう、昨日の今頃、疲れと睡眠不足で私は の精力を削いだ。しかし、成果を一人占めで者に対して、軽すぎる罰だと思われようか。 つまづいた。先程の揺れは、百万倍となった きる可能性が励みとなった。東西の魔術や呪が、死刑より厳しい罰があるものだ。 あの時の振動ではないのか。ごくごく微かな 術の古典がうず高く積まれ、いくつもの不完今、やつれ果てた私は、模型にへばり付い揺れだった。だが、模型も一緒に揺れたはず 全な呪文が組まれてはほぐされた。 て、特製の霧吹きから細かな水滴を降らせてだ。明日は百万倍の揺れになり、模型も揺れ そして遂に、私は望んでいたものを把ん いる。気象管理の苦労は、予報の比ではなる。次の日には、その百万倍の地震となり、 だ。新しい呪文は、日本列島と模型に強い共 。各地から様々な要求が来る。日く、明日その次の日は、その次の日というものがあれ 感を築いたのだ。これで、退屈な仕事からはは雨に。日く、夜間のみ雨を。日く、三日通ば、さらに百万倍となって : ・ おさらばだ。電燈と如雨露を加減するだけ。して快晴に。これが隣り合った町から来る。 国民には快適な気候、同僚達には仕事の軽同じ町からさえ、矛盾した要求が出されるの 3 9

10. SFマガジン 1979年11月号

シルフィードはフ = アリイ空軍中で最も高価な万能機たった。准空軍病院へ行き、絆創膏を張り替えてもらった。鎖骨の状態も心配 ないとのことだった。全然痛くないそと軍医は満足気に言った。こ 将が喜ぶのも無理はないと零は思った。 はがね フ = アリイ空軍・戦術航空軍団・フ = アリイ基地戦術戦闘航空団の医者は鋼鉄の鎖骨と氷の心臓を持 0 ているに違いないと零は思っ ・特殊戦航空師団・第五飛行戦隊ーーー・に所属する十三機はすべてシた。礼を言うのも早早に第五戦隊区へ向った。 フェアリイ基地は地下にある。地球への「通路」行のモノレ】ル ルフィードだった。その十三機がそろって出撃することは決してな かった。いつも一機、せいぜい二機で他の戦隊機の後ろについてゆも地下を走った。その両端の駅には憲兵隊が配備されている。名目 。至上命令はただ一つ、必ず帰還せよ、それだけだった。第五飛は憲兵隊だったが実際は「通路」からの侵略に備えている精鋭実戦 行戦隊はだから・フーメラン戦隊と呼ばれた。なにがあろうとも戦闘部隊だった。地球からいったいだれが攻めてくると軍当局は思って 記録を持ち帰ること、たとえ味方が全減しようとも地上基地では得いるのか零には見当もっかなかった。 られない生の情報を収集せよ、というのだった。ために、シルフは フェアリイ空軍はその「通路」を中心にほ・ほ同円周上に配置され 、・、ノシイとかサイレーンとか 自らを守る重火器を搭載し、哨戒機にも劣らぬ警戒レーダーを持る六つの、シルヴァンとかトロルとカノ、 ち、外部燃料増槽を抱き、その重装備の機体重量を上まわる強大な いった名のつけられた、軍団基地で構成される。全軍の総合参謀本 推力で大空を自在に舞うことができた。それを操る者たちといえ部はフェアリイ基地にある。中枢部だけに規模も大きかった。非番 ば、任務上、良くいえば冷静、悪くいえばより非人間的冷酷心を求の人間の帰る居住区は軍作戦行動施設とは別であり、とてつもなく められた。零はまさにうってつけだった。信じているのは雪風だけ大きな地下空洞内にビルが建ち並んでいた。街路を歩けば地球の地 だったから。 、。ビルの切れ目からのそく空がいつも明るく晴れて 上と変わらなし いることを別にすれば。そのいかにも人工的な空を気にとめる人間 「予備審査会の判定が下るまで自分はどう扱われるのですか。軟禁 冫。しオい。たぶん、故国の空も似たようなものだったの はこここよ、よ されるのでしようか」 だ。ときおり晴れた空から地下水が噴き出した。青い空なのに雨と 「ブッカー少佐の補佐を命ずる」 いっさいの作戦行はおかしいと思い、それであれは本物の空ではないと知るのた。 「ジャックの補佐 ? 地上勤務は当然としても、 プーメラン戦隊区は基地中枢部から少し離れている。他の戦隊機 動は禁じられたはずーー」 「いま少佐の頭を悩ませている仕事は対ジャム戦とは関係ない。詳はスクラン・フル発進を考慮に入れた配置がなされているが、シルフ 細は会えばわかる。以上だ。質問は ? 」 は箱人りだ。格納庫は手狭で、空母内を思わせた。 「ありません」敬礼。 零はその格納庫にきた。雪風がきよう工場から引き渡されるか ら、運が良ければその場に立ち会えるだろうと准将に聞かされてい 唯一の友人ともいえるジェイムズ・・フッカー少佐に会う前に零はた。