がタイタンの周囲に存在したらしい 局果たせぬ望みだった。地球上の諸設備がほとんど破壊されてしま タイタンは地球のすぐ内側をめぐる軌道にのせる予定だったが、 った以上、宇宙船を製造するわけにはいかなかった。もとからあっ スクラップ タイタンが新しい軌道にのった時、地球はそのごく近い位置にあっ た宇宙船は、ほとんど屑の山だった。それに、百人千人ならとも た。人類の新開地を地球の人々に真近にみせようという演出だった かく、生き残りの人類が、地球を大挙脱出したとしても、行くべき のだ。しかし、偶然地球のあった位置に重力のエアポケットのよう場所は、太陽系のどこにもなかったのだ。それでも、多くの人々が なものが発生したらしい タイタンは軌道にちゃんとのったのだ脱出していった。それらの人々がどうなったか、これも私は知らな が、地球は一時的に太陽の重力が働かないような状態に陥った。地 球はいきなり接線方向に投げ出され、太陽系外へ向って進みだし残った人々は、地球脱出の意志を捨てるとともに、放浪惑星と化 た。地球の公転速度が太陽系の脱出速度より速いことは、御存知とした地球上で生きのびるチャンスが、どれくらいあるか、計算し始 思うが : : : 」 めた。だが、人々の祈りもむなしく、計算の結果は非常に悲観的だ 「信じられない」 った。すなわち、資源の枯渇した地球では、生き残った人類は、絶 ポーは呟いた。。こが、。、 ナホーの下意識は、それを事実として知って対に生身のまま生存することは出来ない、というのだ。 トップ この事実が明らかになって、生き残った人類の首脳部は、一種荒 「天体規模での重力制御が可能だったら、地球を元の軌道に引き戻唐無稽ともいえる、ひとつの計画を実行するための、決断を迫られ ホーー・プロジェクト た。すなわち″放浪者計画″なのた。 すことだって不可能ではないだろう ? 」 「それは、事故によって発生した損害の大きさを考えに入れなけれ " 放浪者計画の骨子は、地球がふたたび恒星の力学系内に突入す ばの話だ。地球上の人類の三分の二以上が死亡した。太陽系諸惑星る時まで、すべての人間を凍結状態で保存することだった。地球 でも、その被害はすさまじく、とても地球を引き戻す計画など、立は、大規模重力制御装置を駆使して、進行方向を多少とも調整でき てられる状態ではなかった。ようやく復旧した時には、何もかも手る、一種の宇宙船のようなものに、変化させられた。また、それは 問題の恒星系内に入った時に使われる、着戦道装置といったもので 遅れだったというわけだ。 後に残された太陽系諸惑星が、どのような経過を辿ったか、私はもあったのだ。 さまよ 一方、人間は次々と凍結状態に入って行った。凍結状態とはいっ 知らなだが、彷徨い出した地球では、生き残りの地球人たちが ても、低温睡眠ではなく、物理的方法による分子静止法を応用した 生存のために知恵のかぎりを尽していた。太陽の熱は次第に遠のい ていく。 遠からずして、地表は凍てついた氷雪地獄となり、生き残ものだった。分子静止法は低温睡眠にくらべて格段に保存性が高い った地球人もすべて、死減の一途を辿ることは確実だったからだ。 が、中枢神経系をもっ動物に使用した場合、その記憶内容を完全に むろん、太陽系に帰ろうと考える人々もいた。しかし、それは結破壊してしまう。従って、人間に応用するにあたっては、精神パタ 7
少年の洗脳は、殺意に満ちた攻撃性を破壊 するだけでなく、べートーベンの音楽への 強迫的な愛情に象徴されるような彼のうち に深く根ざす人間性をも抹殺してしまう。 これはザミャーチンやオーウェルのアンチ ・ユートビアの伝統を踏んだアイロニカル な小説である。 パージェスの他の S F としては『見込み ない種子』 The 確 4 厩切産 & 記 ( 1962 ) が あるが、これはあらゆる手段を用いて人口 爆発をくいとめようとする人間たちの直面 するディレンマを扱った、もうーっのディ ストピア小説だ ( 人口過剰 ) 。また、近 作のショート・ノヴェル『ビアドのロー マの女たち』お ' 5 0 川 0 れ確 0 ( 1976 ) でも、ファンタジイ的な要素と含 蓄は明らかにうかがえる。ローマで亡妻の 超自然的な出現 ( および繰返される電話の ベル ) につきまとわれる独身作家のメラン コリーな物語。彼の最も純粋に SF らしい 作品としては、短篇「詩神」 "The Muse' ( 1 8 ) があげられる。知覚の変化と時間 旅行の物語で、シェイクスヒ。アが一行たり とも詩文を書き散らさなかったことについ ての驚くべき説明がなされる。同作品は ・ハリスン編集の The 工 / g ん ハリイ Fantastic ( 乞 1971 ) に収録された。 〔 M J 〕 『 M F 』 MF その他の既訳作品 ( 1971 ) 、『聖ヴィーナスのタベ』 The E ℃℃ 5 ”な 5 ( 1964 ) 、『アパア パ』スみろ 4 , みみみ ( 1977 ) 、『 1985 年』ノ 985 ( 1978 ) など多数。 バローズ、エドガー・ライス BURROUGHS, EDGAR RIC E 〔 1875 一 195 の アメリカの作家。ミシガン陸軍士官学校 で教育を受け、短期間だが合衆国騎兵隊に も服務した。彼の人生の前半は、いくたの IV 見込みない事業への着手とその失敗とで彩 られている。 36 歳で小説を書きはじめたと き、彼は鉛筆削りの行商をしていた。「火 星の月のもとで」 "Under the Moons of Mars" ( 1912 ) は、まさしくそうした 欲求不満と白日夢の生みだした破天荒な作 品であり、オール・ストーリー誌にノーマ ン・ビーン名義で連載された。後に『火星 のプリンセス』ス C055 ーの・ 5 ( 1912 ; 1917 ) として再刊され、パルスー ム ( 火星 ) を舞台とするシリーズの第 1 作 となる。続いて『火星の女神イサス』 The Go 赤研気イ 0 ” ( 1913 オール・ストーリー 誌 ; 1918 ) 、『火星の大元帥カーター』 The 幵祕 0 鑽イ 0 ア Ia ( 1914 オール・ス ーリー誌 ; 1919 ) でも、ジョン・カータ ト ーの偉業が再現され、彼はさまざまな緑色 人、黄色人、黒色人らと闘い、赤色人 ( 卵 生 ) のプリンセス、デジャー・ソリスの手 に勝利をもたらす。主人公をいろいろ代 え、パローズはさらに 8 冊の《火星》シリ ーズを書いた。『火星の幻兵団』 T ん , , 記 0 工イ 4 ( 1916 オール・ストーリー ・ウィークリー誌 ; 1920 ) 、『火星のチェ ス人間』 The C 5 れ可、ハな ( 1922 ) 、 『火星の交換頭脳』 The Ma 立催 M イ研 Mars ( 1928 ) 、『火星の秘密兵器』み F なん切 Man M 5 ( 1931 ) 、『火星 の透明人間』の活 M 5 ( 1936 ) 、 『火星の合成人間』ん c Men Ma ( 1940 ) 、『火星の古代帝国』ん I の協 イ G ん ol ( 1941 アメージング誌 ; 區 1948 ) 、 『火星の巨人ジョーグ』面厩朝 r Mars ( 1941 ー 3 アメージング誌 ; 1964 ) である。最後のものには、おそらく息子が 書いたと思われる模作「火星の巨人ジョー グ」 "John Carter and the Giants 0f Mars" が含まれている。《火星》シリー ズのストーリーテリングとアイデアの水準 は高いと言ってよい。中でも『呷チェス人 268
だ。この作者は非常なアイテアマンで、小 「スペリオル・サェクルム」は、思弁小説 出しのアイデアもふんだんにあるのたが、 であると思うのだが、気になったのは、主 おしゃべりにすぎるのではないか、という人公と相手の視点が、時々入れ替ってしま 気もした。 うことだ。そうした点が読みづらい印象を 「かれらの見たもの」は、きわめて順当に与えている。それに、ここに出てくる用語 書かれていて、形としては非常にいいのだ は、ちゃんと使われてはいるものの、これ けれども、こういう時はえてして落し穴が だけの未来世界でもそのまま使われていし ある。作品が退屈になってしまうのであものだろうか、という気がする。それか る。それに、小説としての構成、公式はき ら、末尾の部分は主題とあまり関係がない ちんと踏んでいるが、第三回コンテストに のではないだろうか。さらに、この未来世 入選した山田好夫さんの「地球エゴイズ界に残っている者がどのようにして残って ム」や・フラッドベリの作品を連想させてマきたのか、ということが、長さの制約はあ イナスだった。結局、ストーリイとしては るにしても説明不足の感はまぬがれない。 ありきたりである。 「真夜中のカーニ・ハル」は、としては ぼくの選んでいた三作についていうと、 軽というもので、幻想小説になるだろ う。いわゆるとしての厳密さとか構成 となると難はあるが、書いている文章が自 分の文章で、慣用句を使わずに黙々と精一 杯書いているところと、あくまで″自分の ものである″という″自分のもの意識″の 氏中で書いているところが、全般的な暗い感 じとあいまってうまく成功している。 村 「放浪者目醒めるとき」は、最終選考に残 眉 った作品の中でも主人公、登場人物の性格 設定、会話など実に小説らしく書けてしつ かりしていた。話自体は筒井俊隆さんの 「消去」を思いださせるところもあるが、 現実が消えていく話の中に、現実主義的な 最終候補作品のあらすじを ( 順不同・掲載作はのそく ) 「ふたご」 ( 佳作第一一席 ) 艸上人 ( 九三枚 ) サキは悪夢から目覚める。この悪夢は南半 球連邦が「選択機」と呼ばれるコンビューメ ・ネットワークを使用するようになってから、 人々にまとわりついていた。な・せなら、「選 択機」は内部に現実世界の人間と同じモデル を持ち、シミュレーションによって意思決定 をしているのだが、そのモデルと人間とにテ レバシーが働くらしく、悪夢が生じるのだ。 サキは「選択局」に勤務するのだが、ある時 「選択機」が変調をきたし、悪夢は覚醒して いる人間までをも襲う強烈な効果を及・ほす。 しかも、「選択機」そのものが過負荷の状態 になる。やがて「選択機」は突如停止し、人 人は悪夢から解放されるかわりに自身による 判断を余儀なくされる。 「真夜中のカーニバル」 ( 佳作第三席 ) 所与志夫 ( 九一一枚 ) マネキン会社の勤めを終えて、アキオはい つもどおり倉庫へ恋人ュミを迎えにいく。二 人は夜の散歩に出た。だが、酔った二人の警 官にからまれたユキオは殴り倒され、ユミは 首を抜かれてしまう。彼女は実はマネキンだ った。ユキオは警官を一人射殺し、ユミの首 3 を抱えて逃げだす。追われる二人は、図書館 4
部屋のどこかに仕掛けられたスビーカーから、すぐに応答があっ 「納得がいったかね」 と、ドリーム・キ 1 、ーは言った。 「次の人が目を醒ますまでに、何時間ある ? 」 「では、君のオフィスに案内しよう」 「そう。君が経験したとおりの、事情説明をすませるには、三時間 はかかるだろう」 俺は、回転椅子にもたれて、机の上に足を上げたまま、あたりを「それまでの間に、一度地上に出てみたいんだが : : : 」 ドリーム・キ ー。、ーは、驚いたようだった。 取り囲んでいる様々な用途のディス。フレイ群には目もくれず、部屋 の天井を眺めていた。 「不可能かね ? 」 俺は、あの荒野のことを想い出していたのである。ありとあらゆ「不可能ではない」 る生命を拒否し続け、およそ遠慮会釈のない人間の侵略にも、断固と、ドリーム・キ 1 ・、ーは答えた。 として反撃し、ついには目的を達したという、あの荒野のことを : 「現在、地表では、大気はほとんど凝結して存在しないから、通常 の服装では無理たが、特殊装衣を着用すれば : : : 」 あの荒野は、この宇宙では、ごくありふれた土地だったのかも知「では、頼む」 れよ、。、 しや、むしろ人間に好意的だったのかも知れないのだ。昔「それは、君の仕事に必要なことかね」 の地球という、信じられないほど住みやすい揺り籃の中に保護され「ああ、是非とも必要だ」 ていた頃の人間には、理解できないかも知れない。だが、俺にはわ と、俺は熱意をこめて言った。 かる、というより、肌で感じるのた。人類とは、いやそもそも、生「私には理解できないがともかく手配はしよう。君の仕事に必要な 命というものは、この広大な無機質の宇宙では、庫あくたにも等しら : ・ : ・」 いちつぼけな異端者なのである。 「君のような、人間通の機械にも、理解できないかね」 だが、それがどうだというのだ。結局のところ、生まれてしまっ と、俺は笑った。 たものは、どこまでもしぶとく生きつづける他はあるまい 「二億年もの間、飽きもせずに人間たちの夢を覗いていたんだろ 俺は計器盤の時計に目をやった。人間向きに作成された資料のフう。 アイルを、俺が受取るまでには、時間があった。それまでは仕事に人間というものは、置かれた環境をこの目で確認しなければ、先 かかれない。 へ進めないものなのさ」 「ドリーム・キー 一時間後、俺は、大時代な宇宙服のような、特殊装衣を身につけ と、俺は呼びかけた。 て、地表から数キロメートル垂直に掘り下げられた、縦穴の底にい 6 7
こうして、私たちは、暗くて暴発しやすい野獣ーーー性エネルギーを そしてショーウインはセックス・コントロール理論をつくりだし てセクソロジストの祖となった。ショーウインの性理論は、人間に飼いならすことに成功し、それから自由になったのよ。清浄主義者 とってセックスというものが、『個の孤独』ときわめてつよく結びは , ーーそうね、清浄主義者は、性 = ネルギーをもたないわけではな いわ。ただ、それ以上に、他人への恐怖がつよかったり、あるいは ついている、という基礎のもとにたてられている。もちろん、その 他多くの要因、接触欲、支配欲、たくさんの異ったものが入りこんもともと無意識に性 = ネルギーを他の = ネルギーーーー仕事や、その でいるけれどね。しかし、たとえば無精子症などで生殖能力を失っ他のものへ転換するのがうまかったりするの。あるいは意図的に、 た人間が、性欲を失うかといえば、そうでないことなどから、『性』性エネルギーの拡散剤をのむものもいるし。しかし性をおそれる必 とわたしは思っています。それは人類にとって、はし というものが人間にとって、自我とかかわるきわめて大きなファク要はない ターであることは明らかだし、人間特有の・ ( ラ = ティにとんだ異常めからあ「たものだし、ときには有益な結果さえもたらすものよ。 たた、管理していさえすれば : : : それを自然な状態しゃないという 性愛や、深く信頼しあって契約関係を成立し、現実に愛しあってい るートナーでさえ、きわめてしばしば『浮気』の誘惑にかられるものもあるけれども、では、赤ん坊のときは人間は食欲を抑制でき ないでしよう ? それが大きくなると、自己管理できるようになる ことの説明はこれでつくというわけね。 ーウインは、この性 = ネルギーを他のもので発散、あるいはわ。それを、自然な状態じゃないから赤ん坊のころのようにもどす 代行させることができないかどうか、いろいろとためしてみた。しべきだ、という人がいるかしら ? それと同じように私たちは長 、長いこと性と、それのもたらすもののために苦しみ、混乱し、 ーウイン一派は実 かし結果はどれも『ノー』だった。そこで、ショ どんな悲惨な 験の結果、どのぐらいの期間性 = ネルギ 1 を解放すれば、人間は昇破減し、ふりまわされ、愚行を演じつづけてきた 犯罪が、どんなにたくさん『性犯罪』として行なわれてきたかきい 華されるかを理論づけた。 しかし、いまようや フラスコから生まれ、ホモ・テストチ 1 ヴの末裔である私たちたら、あなたはびつくりするでしようよ 私たちは性にたいして『ものごころがついた』のよ。なぜな には、したがって、自発的に性衝動をセックス行為に結びつける何 かが欠けているわ。それで、放「ておけば、破壊行動に走 0 てしまら、いまや、私たちは、性と、そして生殖、そのどちらをも管理す うことになる。しかし性ホルモンを投与すると、私たちは一時的にることに百。 ( 1 セント成功しているのだから。 どう ? これで、『な・せ性の管理が必要か』というあなたの 性行動への志向をもつようになり、そして行為によって性エネルギ 1 を昇華しうる。この期間もひとによって異るしー・ーーだからパートアドレス・テーマのお答えになったかしら」 でも」 「完璧に、マリア。 ナーとの性エネルギーの絶対量がちがうならば、セクシャリストの ・ほくは、いつのまにか、のみものを手にしたラウリがもどって お世話になるか、あるいは自分自身がセクシャリストになればい きて、話のしやまをせぬよう、じっとすわっていたことに、そのと 5
エコヴジスト うのではあるまいか。最寒期のこの荒野で苔が生存するのかどう は、四年ほど前、夏の始め頃に仲間に加わった生態学者のハーヴだ か、それは決して答える者のない疑問たった。ポーたちの来る以前 に、最寒期に北方荒野に足を踏み入れた人間はいなかったからた。 ポーは、指先で苔を弄びながら、三日ほど前に共同牧場の食堂で 最寒期には死減し、春になって南方から胞子が風にのって運ばれて行なわれた論争のことを想い出していた。 来る、というライフサイクルもあり得ないことではあるまい。 それに、オウルそのものが最寒期の気候に耐えるのだろうか。ポ事の起こりは、苔状植物の生態を研究していたハーヴが、ラヴァ グラードの植物生態研究所から送られてきた資料を受取ったことた 1 の頭に、何度も繰り返された疑問が、ふたたび浮かび上った。 オウルは胴体は河馬に似ているが、脚は八本ある。ラヴァの赤道った。その資料の中に、ハ 1 ヴと同じテーマで研究を続けていたあ 地方に分布する多脚哺乳類の一種である。性質は牛に似ておとなしる研究員の実験レポートがあった。その要旨は、苔状植物を北方荒 く、その肉は脂肪を多く含み、味もよい。本来は、この北方荒野よ野の最寒期をシミュレートした環境へうっすと二週間で死減した、 りかなり南の地方に、原産する動物である。 ということたった。その研究員はハーヴへの手紙で、苔状植物は必 この獣が広大な北方荒野での放牧に適していると考えたのは、共ずしも北方荒野で越冬するものではなく最寒期には死減または胞子 と個人的にコメントをつけ加 同牧場の創立者であり、現在の指導者でもあるポークだった。 / 彼形態でのみ存在するのかもしれない、 は、ラヴァへ植民して来た最初の最寒期、つぶさにオウルの生態をえていた。 これをハーヴがポークに見せたことから、夕食時の食堂は騒然と 観察した。何度か北方への探検も試み、遭難しかけたことさえ、あ よっこ 0 るという。 その結果、オウルが北方荒野に分布しないのは、主として最寒期 ーヴとその同調者は、この実験結果から越冬の危険性を指摘 には餌が少なくなるため、移動能力に劣るオウルが越冬に充分な餌し、オウルを最寒期が来る前に処分するか、あるいは全部南方へ移 をとることができないからであると、結論した。 すことを主張した。人間たちは全員ラヴァグラードに避難して最寒 そして、人間がその機動力をもってオウルの餌を確保してやれ期の終りを待つべきだ、というのである。 ば、オウルは北方荒野で充分越冬が可能だ、と主張したのである。 「地球でも、極地民族のある部族には、冬がやってくると村を捨 ポークの考えは、一部の動物学者たちに支持され、ポークは植民て、気候のおだやかな土地へ移住すゑということを毎年繰り返し 庁から多額の補助金を引き出すことに成功した。若い頃、シベリアている人々がいました」 開発に従事していた彼のキャリアが評価されたのである。 ーヴは、頬のこけた顔から吹き出る汗を神経質に拭いなが こうして開設された共同牧場であるが、冬が近づくにつれ、仲間ら、言った。 の中にも越冬の危険性を論じる者が出始めた。中心となっているの「我々も、そのまねをするわけこま、、 ~ 。しきませんかね。幸い、ラヴ 3 5
SF レヒッウ の本道がそちらにうつっていったということ気がする。の価値観は何だかみな「面白第 . ) , 、 ( ・・。・ ではなくて、本来の狭義の以外のがい」方へいってしまったようだ。「面白い」 ふえたということにすぎないのだ、というこのと「、 しい」のは少しちがうと思うのだがー とを我々ははっきりわかっていなくてはなら ーこの「伝説」という作品をよみながら、そ ない。そして、がであるゆえんとんなことを考えた。「 , 」も「私を月ま は、あくまでも「狭義の」の中に純粋にでつれてって ! 」も「伝説」も、みんな、 見出されるのだ、ということもだ。 「いい」話だったからだ。 ( 『伝説』 / 著者 水樹和佳のこの二作は、、、 松左京のかって日水樹和佳 / 一八八頁 / \ 三六〇 / 集英社 ) 精力的に書いていた多くの短篇を思い出させ た。そして、少女マンガとについて話し 三浦雅士著 ていたとき、ある人が私に、「少女マンガの ものが、明確に名指すことのできない空白の 中むに化してゆくほかない には光瀬龍の影響がも 0 とも多く見られ『私という現象 る」という意味のことをいった。 かかる的確な指摘が、本書中「サイエンス ーー同時代を読むーー』 昔の小松左京の短篇群と光瀬龍ーーそれは ・フィクションまたは隠れたる神」の章にあ やはり、これ以上ないくらい「らしい 大宮信光る。私の知れる限り、このようなことを最初 」だったではないか。 ( 乱学者 ) に言い出したのは柴野拓美氏だが、界以 少女マンガが界にとってはあくまでも 外の人がアシモフのロポット三原則を、この インサイドにはないからこそ、少女マンガの アシモフの作品の根柢には人間尊重の精神ようにきちんと押えるとは、一種の驚きであ 描くが、ごくシン。フルな ( というのも変があり、そのためにフランケンシ = タインがる。ちなみに著者三浦雅士氏は『現代思想』 だが ) すなおな、てらいのない「らしもつような不気味さや暗さが払拭されているの編集長である。 旧態依然といいたいくらいになどと考えるのは、根本的に誤っている。ア氏のいうように「私という現象のありよう した作品を生み出しえて、そしてそれがシモフが意識するしないにかかわらず、むしを明らかにすることが、現在もっとも緊急な 読者の心にすなおにひびいてくるのだとすれろ逆に、人間尊重の精神、ヒ = ーマニズムこ課題」かどうかは疑問だが、すくなくとも、 ば、いったいの進化とは何なのだと問い そが狂気じみたディレンマを招き寄せるので・ほくたちが同時代を読もうとすれば、その行 直さざるをえなくなってしまう。いまだにすある。 ・ : いったいなにが人間的なのか。人為のうちに、私という現象が隆起してくるの べてのベストテンのトツ・フは「幼年期の終わ間的な行為とはどのようなことをさすのか。 は確かだろう。私という現象のありようを問 り」なのではないか。 より人間的なものをめざして、人はいったい うことのうちに、アシモフのロポットものを そういえばもうずいぶん長いこと、しみじどこへたどりつこうとするのか。そのような含めたサイ = ンス・フィクションも問題にな みと「しい」作品を読んでいないような、、 「しカけに包囲されて、人間という言葉そのっている。「私という現象」は、三つのレベ 私という現象 円 6
自分とたたかっているようにミラはそう吐きつけ・ーー次の瞬間 うずっと、人が怒るところなど、見たこともなかった。目がもえる ように赤くなり、顔色がわるくなり、息づかいがあらくなる。あまことわりもなく走り去ってい 0 た。 り、見ていて、心地よいものとはいえない。 、胎内めぐり 「おれが云ってるのは、あいつのことだよ。ラウリのな」 一語一語、まるで吐きつけるようにして、ミラはいった。 ・フロポーズ 「きさまが、ラウリをだまして申し込みさせたんだって ? ラウリ ラウリはもうず - っと長いこ は、おれにするつもりだったんだ ートナーになるつもりでいたんだそ : : : おまえは と、おれの第一。、 ・ほくは、呆然として立っていた。 他人に干渉すべからず、という第一のタブーさえ、知らないのか あっけにとられて、という方が正しいだろう。それほど、ミラの とった行動は、一から十まで、非常識、反社会のきわみだったので 「失礼だけど、それは・ほくの方が云いたいね、ミラ」 ある。いつものミラ、また彼でなくても、ほとんど考えられないこ ・ほくは冷静に指摘してやった。 「ラウリはあんたに、アポイントメントをしたわけ ? もしそうで とだった。他人に対して、あんなふうに人々が感情をむき出しに なけりや、ラウリの選択に、あんたが口を出して干渉する権利はなし、「憎んでいる」などと云いあうとしたら、このシティというも いし、もしそういうことがあったんだとすれば、それは・ほくじゃな のはまたたくまに成立しなくなってしまうだろうー しつも、自分をきらう人々をよけたり、その人びとに く、ラウリの方の問題でしよう。そうじゃないんですか、同期生ミ 人びとは、、 ラ ? ・ いずれにせよ、・ほくにいわれたところで、それは、困ること ひどい仕打ちをされないよう身を守ったりするために、他のことが のようだけど ! 」 何もできなくなってしまうだろう。まして、ラウリのようにちゃん と自分の考えも、きちんとした信念もあるアダルトのしたことに、 「ラウリは申し込みをしたかったし、するつもりだったんだ」 文句をつけるなどーー考えられないことだ。考えられない 強情に、ミラは云い張った。 ばくは、あまりにも茫然としていたので、自分が何を感じている 「それなのに、おまえが、ラウリの気に入りそうな話をもちだし のか、怒っているのか、そうでないのかさえ、よく決められなかっ て、ラウリにとり入り、気をかえさてしまったんだ」 た。ありえないことがおこると、人間が無感覚になってしまうらし 「そんなムチャなことを : : : 」 ということがよくわかった。 「おまえなんかデイソーダーのクイアじゃないか。ラウリはな , ・せ 「おお、イヴ。どうかしたのかい ? もう〇・五しかないよ ! 」 おまえを憎んでるんだそ、・ほ おまえの方が・ほくよりいいんだ ? ・ほくのすがたを見つけて、迎えにステーションをおりてとんでき くは。おまえが憎いんだ」 に 3
わけね。『自分の』子ども、という、。フライヴァシー感覚、私意識 いったい何故か、とショ ーウインの調べた結果は、意外なものだ の延長線上にあるものと、『他人の子ども』という、私外のものと ったーー『適応』だったのね。馬とロ・ ( をかけあわせた、ラ・ハとい の明白な差別 う動物には、生殖能力がなかった、という古代の例があるけれど、 寄妙なことだけれど、まったくセクソロジストの存在しなかった フラスコ生殖に過剰適応したエンゼル・エイジ・エンゼルたちに この古代に、すでに、きわめて古くから性のスペシャリストとしてのは、すでに自己繁殖能力が失われていたの。 セクシャリストは成立しているのよ。しかし : : : それについてはま しかし、生殖科学はすでに、体のどの細胞にでも、特殊ホルモン た古代史で習うといいけれど、そうしたセクシャリストがなぜ必要の働きかけを行って、それを生殖細胞に変えさせる段階にまですす とされるか、ということについては、古代人は恐しく無自覚たったんでいたからーークローン再生は、世界紀元八三〇年のクロノ騒ぎ のね。つまり、性というものを、あくまで生殖あってのものとしてで禁止されたけれどーー・・それは何も実害をもたらさぬばかりか、わ のみ見ていたので、独立した感覚である性の存在に気がっかず れわれはついにまったくの性からの解放を手に入れた、と主張する 気がっかぬまま、その性が満たされることを要求していたのよ。 人も多かった。ところが、そのエンゼル・エイジ後期に激増した凶 ところが、フラスコ ・べイビイ・システムが成文化された世界紀悪犯罪を分析して、明らかになったのは、それが行き場を失った 元五一年になって、セクソロジーの創立者であるユスフ・ショ ーウ『性エネルギー』というものの暴発だった、ということね。これま インが、きわめて重大な研究発表をした。知ってるわねーーっまで、つねに人間は、性イコール生殖、と考えーーーふつう動物には発 り、フラスコ ・ペイビイは、それまで人間が知っていたような意味情期、繁殖期と一致する発情期があり、そのあいだに生殖が行なわ での性欲というものが、ほとんどない、 ということを : : : かれらはれ、あとはまったく性に悩まされることがない。それなのに、人間 生殖から解放されている。そしてフラスコ ・べイビイ世代が三世代だけが、第二次性徴以前からすでに前期性欲をそなえ、生殖可能期 つづいて、完全にフラスコ・ べイビイが , ーーっまりホモ・テストチ 間が終了した個体も後期性欲をそなえ、ものごころついてから死の = ーヴがゆきわたった時代になって、突如きわめて凶悪な犯罪が激寸前までずっと『性』に異常につよい関心を抱きつづける。それに 増し、調べてみたところ、かれらーーー・・ホモ・テストチ = ーヴは一世疑問をもった学者もいないではなかったけれども、それはごく例外 代めより二世代めの方が性ホルモンの分泌が少なく、三世代めには的な存在で、つねに人間の性は、生殖、そして子孫をのこそうとす ほとんど性ホルモンの分泌がない、ということが明らかになった。フる、種族保存の本能とだけ結びつけて見られてきた。しかし、この イメイルには拶卵がなく、メイルには無精子症が極端に多かった。 エンゼル・エイジ・コンフ = 1 ジョンのおかげで、明らかに生殖、 第一次性徴はあるがそこでとまり、第二次性徴がない。みな体つき種族保存とはかかわりのない、セックスというひとつの独立した情 がほっそりして肌がなめらかで、そしてやさしく、おだやかで : 動、エネルギー、方向性が人間の中に存在していることが証拠づけ いわゆる『エンゼル・エイジ』を迎えたわけよ。 られたのよ。 4
SF レヒッウ ルから問われている。私なりにまとめてみかわる存在としての人間への問いかけがひそ品を次々に書きかえていき、そのように時間 る。 んでいるのだ。それこそが人造人間を、未知軸にそって書きかえられた作品群全体を、賢 第一のレベル】西欧近代の社会という網目の知性体を、そして時間旅行を登場させた当治自ら「四次元芸術」と称したこと。かかる 賢治流の時間を空間化したものが、『幻魔大 のものなのである」 が結節点として、私という現象を生んだ。 第ニのレベル】人間は、他の哺乳類と違っそう、氏はそして科学を主に近代のレ戦』『真幻魔大戦』『新・幻魔大戦』のパラ ベルのみにしばりつけることによって、 T' レル・ワールドではあるまいか。また、大岡 て、あたかも胎児のまま出産されるが故に、 未完成な自己を演劇的社会 ( 意味づけられたおよび科学が、人間の条件を越え、地球の生信の言葉の劇場性は、小松左京が一個の《宇 環境 ) のなかで完成させてゆかなければなら物の領域をはみだしてしまう、そのことを見宙の劇場》であることを想起させられる。 ず、そのずれに宙吊りにされて、私という現失ってしまったのではないか。現に、「筒井ー「私は宇宙以外の部屋を欲しない」 ( 谷川 康隆と自意識の遊戯」の章で、筒井康隆を主俊太郎 ) とは、まるでファンのための詩 象が生じる。 第三のレベル】・ほくたちに見えるものは、 に第一のレベルで考察の対象にして、彼の演だ。 ・ほくたちに見えるというまさにそのことにお劇性が第二のレベルを踏みはずしてしまうこ那珂太郎における虚無・ーー「虚無を抱えこ んでしまった自己自身を相対化する視点がよ と、その超虚構性が第三のレベルを踏みぬい いて、一個の虚構であり、誤謬にすぎない。 りいっそう広大な虚無にとらわれるさま」 しかし、その虚構こそが、人間を含めた生物てしまうことに注意を向けていない。 は、光瀬龍によって、コズミックに増幅され 一般にとって、生の現実にほかならない。私また、氏は寺山修司の試みの例をあげて、 という現象も、その虚構の上に成立する。 第二のレベルで、「現代芸術が他のすべてのている。吉本隆明の表面性は、石原藤夫や田 私は、第二と第三のあいだに、脊椎動物が科学にもまして時代の核心にせまっている」中光二に共鳴板を見出す。山口昌男の言う祝 個体性を成熟させてゆく進化を入れたい。たとされている。しかし、ビアジェの業績や不祭、そこでは日常の価値が転倒してしまうの べることと、だべることとが同一の器官でな確定性原理など、現代科学は現代芸術にまさだが、横田順彌のハチャハチャ群で高ら されるが故に、私という現象に与えられた強るとも劣らず、第二のレベルの核心を射ぬかに祝われている。 烈な色あいを問題にしたいのだが、今はこれき、第三のレベルをも貫き通っている。そのなどなど、現代芸術と日本には数々の 以上論じない。 ことを認識しないからこそ、「筒井康隆にと相似が見出される。にもかかわらず、日本 さてい三浦氏は、を第一のレベルで問ってとは科学小説などというようなものは現代芸術からずれている。日本が《私 うている。「サイエンス・フィクションは、 ではない」などというような文句がでてくるという現象》の自己呪縛を解放する可能性が 科学にかかわることによって、近代そのもののではなかろうか。『ポルノ惑星のサルモネそのずれに秘められている。ずれは、が サイエンス・プイクシ第ン 科学を意識しているからこそ生じる、と私に の核心にかかわっているのである。際限もなラ人間』は、立派な科学小説だ。 く荒唐無稽に展開する物語の背後には、現代とはいえ、現代芸術の読解について教えらは思われる。 ( 敬称略 ) ( 『私という現象ー 7 9 人のアイデンティティの危機を根柢的に捉えれるところが多く、日本のことを、いろー同時代を読むーー』 / 著者日三浦雅士 / 二 ようとする視線が、すなわち、自己自身にかいろと連想させられてしまう。宮沢賢治が作三九頁 / \ 一六〇〇 / 四六判上製 / 冬樹社 )