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検索対象: SFマガジン 1981年11月号
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1. SFマガジン 1981年11月号

一 2 晉 辺で留めておくが、前半の現実的な展開からフなかったように見えた。 アンタジー・ワールドへ、じわじわと気づかぬ五五年夏、行商人グレッグ・スティルスン うちに引き込んでゆく力量にはただただ感服。 は、アイオワ州ェイミス西部のとある農家で車クリープスミルズ、七〇年十月 ( ロウインの 読み終って八百ページあった 宵。高校教師ジョン・スミスは、同僚のサラー とはとても信じられない。残 ・プラックネルとのデートの帰り、「幸運の紡 念ながら、前作の『シャイニ ぎ車」と称するルーレット遊びで大当りするが ング』に比べて完成度の点で ( それが彼の特殊能力によることを彼自身知ら 欠けるが、それでもキングの ない ) 、そのときサラーは突然腹痛を訴え、ジ 新局面を見せたカ作であった ョニ・ーは彼女を家に送る。そのあとタクシーを し J い、よ、つ。 拾い彼のアパートに戻る途中、センターライン その後キングは、『デッド を越えてつつ走ってきた暴走車に激突されて、 ・ゾーン』 TI ミし代ミ 7Z0 、ミ 彼は投げ出され再び頭を打って意識を失う。 『ファイア・スタ ( 1979 ) 、 深夜一一時、百五十マイルほど離れた所に住む ジョニーの父のところに、州警察から事故の知 ( 198e 、 C ミざ ( 1981 ) と、 らせがはいり、翌朝長時間に及ぶジョニーの手 年一冊のペースで長篇を発表 術が行なわれた。しかし彼の昏睡状態は続き、 し続ける一方で、誌 目覚めるようすはなかった。 にも連作中篇を載せ、さらに 十一月、初雪の頃、キャッスルロック市の路 昨年はエッセイしミ ~. ミ 皿上で娘が暴行され惨殺された。 0 ン cab 、べを発表するなど、 N 一年が過ぎ、七二年になって彼は眠り続け 驚異的な活躍ぶりであり、今 た。その年の初めに、サラーはウォルト・ やアメリカで、最も売れてい レットと結婚した。ーーーその頃、グレッグ・ス る作家のひとりとなってい ティルスンはニュ ーハン・フシャーで愚かな振舞 る。 いに狂じていた。 では最後に、彼の第五作、 七四年ハロウインの夜、サラーに男の子が生 『デッド・ゾーン』を紹介し まれた。同じ頃、キャッスルロックでは四人目 ておこう。 の女性の惨殺死体が発見された。 翌七五年五月十七日、ジョニーの隣の患者に 一九五三年一月、六歳の少年ジョン・スミスを停めた。一匹の犬が彼に吠えついた。その途付き添っていた看護婦の背後で声が聞こえた。 は、ダー ( ムでスケートを楽しんでいた最中端、彼の表情は見る見るサディスティックに変それはジョニーの四年半ぶりの目覚めの声だっ に、ホッケーの選手に激突して頭を強打する。わり、大を力いつばい蹴りとばし始めた。痛みた。ーー眠りから覚めた彼は、体が思うように 幸い、目の上にコ・フを作ったほかは特に異常はでうずくまる大を、何度も何度も、息絶えるま動かないことと、サラーが結婚していることを リ物・ で。 6

2. SFマガジン 1981年11月号

ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ・ヨナ . イユ . ・ン 0 ス・トヒ。ック川ⅢⅡⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 「エンケの間隙」のリングは、カープしている役割をするという仮説が、やはり立証されなかの共鳴により衛星内部に潮汐力が働き、摩擦に よって熱が生ずると説明する。共鳴するのは、 ったことだ。ミニ衛星があると、この引力によ にもかかわらず、近くにミニ衛星はない。 って、内側の構成物質は加速されて内側へ追いディオネとエンケラダスだという。 このためスミス博士は、自説の撤回を余儀な やられる。そして外側の物質は減速されてさら実は、この説は 1 号の木星観測により、衛星 くされた。 イオに噴火が発見されたときに立てられたもの に外側にはじき出されるというものである。だ もう一つ、仮説が敗北するケースがあった。 が「カッシーニの間隙」や「エンケの間隙」をである。公転周期が一対二のエウロー。 ( との共 それは、リングのすき間は、そこにミニ衛星が いくら調べても、その中にミニ衛星が見当たら鳴現象によって、内部に摩擦熱が生じ、噴火を あって、氷塊を押しわける「砕氷船」のような 起こす熱源になっているという。木星に続き土 、な、かっ亠 20 リング上にスポーク状の縦ジ星でこの説が実証されたという。 このほか、台風の目やジェット気流の模様な マがあるのもナゾを呼んでい 様 る。 2 号でも見つかり、リングど土星の気象状況も詳しくわかった。木星では 匁上にただよう細かいダストの雲アンモ = アの雨が降っていると推定されたが、 ではないかというが、ナゾのま土星は、太陽から遠いためさらに極寒の惑星で ポ あり、しかも雲の高度が高いので、アンモニア まだ。 ス の雨というよりアンモニアの雪が降っているの リングは土星のほか、木星に 上もあることがポイジャー 1 号にではないかと推定された。 また、ポイジャー 1 号は地球上より千倍も強 グよって発見された。海王星にも い稲妻を観測した。ところが 2 号は、それより 九つの細いリングがある。リン グはどうしてでき、その形状をも強い稲妻をキャッチ。その強さは地球の稲妻 レを決める原因はーーそれを説明すの一万倍から十万倍位にの・ほるという。 一九七七年九月五日に打ち上げられた 1 号 る統一理論を立てなければなら は、七九年三月に木星、八〇年十一月に土星に なくなった。 衛星についても、まだ名前の接近、任務を終えて太陽系外へ脱出するコース ついていない七個の衛星の写真をたどっている。姉妹機の 2 号は、 1 号より早 。る撮影に成功した。衛星は十七個く七七年八月二十日に打ち上げられ、途中 1 号 に抜かれた。七九年七月に木星に接近し、今度 あり、このうち八個がまだ名前 写て の土星訪問となった。 度似がなく数字の番号で呼ばれてい 2 号はすでに四年の宇宙大航海をはたしてい 像にるが、うち七個の素顔を明らか 解デにした。いずれもサイズは小さるのに、さらに天王星、海王星へ向かう。天王 く、直径は十五キロから三百一一星は八六年一月二十四日、海王星へは八九年八 スガ十キロ程度で、隕石の衝突など月二十四日に近づく。はるかかなたの惑星で、 地球からの望遠鏡ではよく見えない神秘な星 ダ星によりひどく変形している。 ラ衛 衛星では、エンケラダスの詳だ。そのペールをまたはがし、宇宙へのロマン ケの ン星しい写真によって、内部熱で地をかきたててくれるだろう。 それは、これからさらに五年、八年先のこと 3 工木殻変動が起きたり、氷が融けた 8 りしたことがわかった。その熱である。楽しみだ。 源について、土星と二つの衛星

3. SFマガジン 1981年11月号

ー△△△△△、 、△△△△△ー 0 飄・ すっかり 王 ? リザリゾ王 ? これは ? ・ だ年 らのま 十五年後 ントーカ 殺される , ントーよ 死なないー

4. SFマガジン 1981年11月号

の終わりをつげるには効果的な作品でもあ った。 1937 年 9 月、彼はアスタウンディン グ・ストーリーズ誌の編集長に指名され ( 彼はこのポストを死ぬまでたもった ) 、 以後の創作量は極端に減ったからである。 キャンベルは編集長の地位につくにあた り、自らの作品の成功のもととなった豊か なアイデアを持ちこむと同時に、雑誌 S F の文章と思考の水準を高める決意をした。 その結果、新人作家たちは勇気づけられ、 アイデアを注入され、目ざましい成功を収 めることとなる。 1939 年までに、キャンペ ルをよアイザック・アジモフ、レスター・デ ノレ・レイ、ロノ、一 ト・ハインライン、シオ ドア・スタージョン、 A ・ E ・ヴァン・ヴ ォートらを見出した。 L ・スプレイグ・デ ィ・キャンプ L ・ロン・ハハー フォード・シマック、ジャック・ウィリア ムスンらの既成作家も、やがてキャンベル タジイ雜誌アンノウンを創刊した。これも 1939 年の誕生から、 1943 年 ( 紙不足によ る ) 時機尚早の廃刊まで、同様に大きな影 響力をもった。 A S F 誌支配の時代は、 1949 年ファンタ ジイ & サイエンス・フィクション誌、 1950 年ギャラクシー誌の登場によって、突然の 終わりを迎える。この頃になると、キャン ベルの編集長としての存在は専横的で、刺 激を与えるよりも制限を加える傾向が見 え、 1950 年以降、彼の雑誌でキャリアをつ む大物作家は比較的少数となった。その興 ェデイトリアル 味とニネルギーはやがて論説に向けられ るようになるが、その多くはあまり魅力の ない右翼的政治姿勢を表明したものにすぎ なかった。この一部は COI ん c イ E 市おな 工のルスれ記 og ( 1966 ; ・ハリスン ハリイ 選 ) として刊行されている。彼はまた、さ まざまな擬似科学をもてあそびはじめた。 の、、厩舎″に加わった。 ・カット 有名なものには、 ードのダイアネティ ナーと C ・ L ・ムーアは 1942 年以来常連寄 稿者となった。これらの作家たちが、キャ ンベルの駅黄金時代″の核となったーーーそ の時期は、大ざっぱに言って、第二次大戦 と重なりあっている一一一そして、 A S F 誌 がこのときジャンルを支配したような形 は、 S F 雑誌界では空前絶後のこととな る。この作家たちの多くは、そして他の作 家たちも、キャンベルが自分たちのキャリ アに及ぼした大きな影響は認めており、彼 の与えたヒントがもとになった古典と認め られる SF 作品は、数え切れないほどあ る。その影響力の浸透度をはかる驚くべき 例が、 The Space おイ ( 197 のにあ る。これには未発表のキャンベルのノヴェ ラ“ A11 ”が収録されているが、何とこの 作ロロはロバート・ハインラインの & ェ Co ん襯れ ( 1949 ) の基部をなしているので ある。 ASF 誌に加えて、キャンベルはファン 257 ックスがあり、これは ASF 誌の記事を通 して疑いを持たない小世界に広められた。 しかし、雑誌自体は人気を失うことなく、 商業的には成功をおさめ、キャンベルの編 集下で 7 回ヒューゴー賞に輝いている。彼 が 1971 年に死亡するや、前例のない記念行 為熱がまき起った。彼の名を冠した賞が二 つも新設され、記念アンソロジーが編ま れ、彼についての論文集がオーストラリア で出された。こうした大騒ぎも当然のこと だろう。後年こそ、 SF の発展の主流から 退いていたとはいえ、最初の 20 年間の彼の キャリアは、まず何よりも作家として分野 の最前線に立ち、ついで編集者として見事 な手綱さばきを見せたのだから。他のだれ よりも、彼は現代 S F の形成を助けたので ある。 〔 MJ E 〕 その他の既訳作品 『月は地獄だ ! 』 T ん M00 れな〃〃 ( 1950 ) 。 XV

5. SFマガジン 1981年11月号

$ 様 C 打儷 図②フラースの宇宙船 乗員区画 核発電装置 回転方向 ト第 飛行方向 一回の爆発の規模を小さく 術者で、一八九〇年代にダイナマイトを使は存在しない。 う方法を発表したが、ほとんど注目されるし、代わりに回数を多くした方が機体の設 計としてはずっと楽だ。この場合、ドカン ことはなかった。 パルス推進が初めて真剣に取り上げられドカンよりは、ドドドドドッと言った感じ ソ プたのは、人類が核エネルギーをーーー兵器とになる。 一九六〇年代後半、グラム単位の核融合 いう不幸な形ではあったがーー手にしてか ク ッらだった。アメリカの核兵器開発に加わっ物質に強力なレーザーや電子ビームを当て シていた・ウーラムは一九四六年に核爆弾て核融合を起こさせる手法が提案されたこ を用いたパルス推進を思いっき、それに刺とから、この核融合パルス推進の構想もに 激されたやはり核兵器開発者のテッド・テわかに実現の可能性が増した。 イラーは、核分裂パルス推進宇宙船の計画核融合パルス推進宇宙船の構想を最初に を一九五八年にアメリカ国防省の高等研究打ち出したのは、多分アメリカの・・ 計画局に売り込んだ。このフラースだろう。彼が一九六九年にまとめ 構想はオライアン ( オリオン ) 計画と名付た ( 発表は一九七一年 ) 研究には、レーザ けられて、空軍、からーを利用した核融合で推進される宇宙船が 予算を受け、研究が進められたが、一九六登場する。この細長い宇宙船は一端に乗員 五年に様々な事情から研究は打ち切られ区画を、もう一端に核発電装置 ( 二基 ) と た。オライアン計画の顛末については、こ の連載でいっか紹介する機会があるだろ う。 ( 図① ) 核分裂を起こさせるには臨界量以上のウ ラニウムやプルトニウムが必要だか ら、一回のドカンの規模は一定以下にはで きない。激しいショックと放射線から人間 や機器を守るため、核分裂ハルス推進は大 がかりで重いものにならざるを得ない。 しかし核融合には、理論上爆発力の下限 0 4

6. SFマガジン 1981年11月号

0 十一月の予定になっているが、前出のクロニ ' 画アカデミーが、第八回映画賞を発表し 4 ・クラーク、突然のカムバック ! クル・不ンタビュトでクラ、ークはこれをまっ た。主な受賞作は次の通り。 『楽園の泉』を最後に、もう当分はを書こうから否定し、作品完成は契約によれば一 〈映画部門〉 かないとが引退宣言″をしたはずのアーサー九八三年六月までとなっていると述べてい 「スター・ウォーズ帝国の逆襲」 ・ O ・クラークが、このほどバランタイン / る。 〈ファンタジイ映画〉 デル・レイ・ブックスと新作出版の契約を結 一体全体どうなっているのやら : ・ 「ある日どこかで」 んだ。これだけでも大ニュースだが、その上 ・『タイムスケープ』キャンベル記念第も受 〈ホラー映画〉 この新作というのが「二〇〇一年宇宙の旅』 「シャイニング」 の続篇で、『二〇一〇年・オデッセイ 2 』 第九回ジョン・・キャンベル記念賞がこ〈海外映画〉 「スキャナーズ」 / 2 ミ 0. ・ 0 Tzvo というのだから驚のほど発表された。これは国際的な八人のメ きである。さらに、クラークはこの契約で百 / ・、 、 / ーによって構成されている委員会によっ この他、主演男優はスター・ウォーズのマ 万ドルを手にしたというから、・ますます開い て選出される賞で、詳しい説明は「アワード ・ハミル、女優は「殺しのドレス」のア たロがふさがらない ・ア・ラ・カルト」でご存知の方も多いと思 シー・ディッキンソンなどとなっている。 / どうしてクラークが突然 ( としか思えなわれるので省かせていただく。 ・新作ニュースなど い ) カム・ハックを果たしたかは、もう一つは 七月十七日アメリカのカンサス大学で受賞 つきりとしない。クラークはクロニクル作発表が行なわれ、・グレゴリイ・謇ンフォー ・ラリイ・ニーヴンが『リングワールド』の 誌のインタビューに答えて、これは前々から・ドの『タイムスケしフ』が賞を獲得した。二続々篇を書く契約をデル・レイ・・フックスと 彼の考えていたもので、キ = ー・フリックに不席はオーストラリアの作家、ダミエン・プ交わした。題名は T eS ミ。き g ・で、 満を抱いていた彼が映画とはこうあるべ ーデリクのし r きミ g しき g 。ラ、三席が出版は一九八三年後半の予定。 きだというアウトラインをいくつかエージェ ジーン・ウルフの、 7 ミ S ad 。さ of the ・・ハインラインが新作を完成 / ントに送ったところ、その一つを長篇化する T ミ・、ミべ r となっている。いかにも質重視した。フォーセット・ブックスから出る予定 ことになったのだ、とそのいきさつを説明しのキャンベル記念賞らしく渋いセレクションのこの作品には、 F 、・という仮題がつけ ている。それが結局「二〇〇一年 : : : 」の続となっている。いずれもポケット / サイモンられている。ハインラインは七月七日に七四 篇という形になったわけだが、どうもハデに & シャスター社から出ているというのが面白歳の誕生日を迎えたばかりである。 / 引退 ( というか休筆 ) 宣言をした割には説得いところである。 ート・シェクリイがオムニのフィクシ 力のないカムックのしかたである。 べンフォードの『タイムスケー・フ』は、こ ョン・エデイターを辞任。作家業に専念する 某誌のインタビューでよ、、 ーしつか書くことれでネビュラ賞、賞、デイトマー ためのようである。現在長篇を執筆中。 もあるかもしれない、とほのめかしてはいた賞、そしてキャンベル記念賞と四つの栄冠に ・ニーヴン & ・ハーネルが新作 The 、。。、を ものの、その〃いっか 4 がこんなに早く来て : 輝く作品となった。ヒューゴー賞に / ミネー フォーセットに売り、六〇万ドル ( 推定 ) の しまうとなんともシラけてしまう。ここは一 トさえされていないのが「 , ますます奇妙に思アドヴァンスを手にした。これはクラークの つはっきりとクラーク自身に釈明してもらい えてくるのである。 新作のラュースが突然入ってこなければ、カ たいところである。 1 ル・セーガンの小説に次ぐ史上二番目 ・映画賞決定 なお、『二〇一〇年ー・・ー』の出版は、ラ のアドヴァンス額となるはずだった。 ソタイン / / デル・レイ側に、よれば一九八一一年アメリカの・ファンタジイ・ホラー映 ( 島田武 )

7. SFマガジン 1981年11月号

さと ( イ・テクノロジーの無機質さが入りまじり、モダンな感結局、那珂良二についてぼくが知り得た書誌的な情報はこれ 覚にあふれた好篇になっている。ところがその後、那珂良二はしかない。しようがないから、さっそく作品紹介に移ってしま なぜかこれ一篇をもって沈黙してしまう。そして、次に彼の名おう。 前があらわれるのはこの十二年後、太平洋戦争が始まって二年ますは『非武装艦隊』から めの昭和十七年のことになるのだ。 現在ぼくが確認している那珂良二の著書には、昭和十七年十舞台は蘭印ⅱ蘭領東印度。すなわち、現在のインドネシアの 一一月奥川書房刊の『非武装艦隊』と昭和十九年三月釣之研究社ことだ。時は蘭印に日本軍が進攻する昭和十七年前後。主人公 刊の『成層圏要塞』の二冊がある。このうち『成層圏要塞』のの日本人スパイ三木加太郎は、インドネシア人力タロ・ミキと 名を変えてバタビア市のパイテンゾルグ植物園に園丁としても 巻頭には著者略歴が付されているので、引用してみよう。 ぐりこみ、現地人相手の宣撫・牒報活動にたずさわっていた。 福岡工業学校機械科、早大政経科、日大国文科等に学ぶ。 パイテンゾルグ植物園のローレンツ博士は、″植物の呼吸作 陸軍科学研究所、炭坑、工場、教壇、新聞生活を経て現在用と新陳代謝機能に就いて″という題目のもとに、ある特殊な 聖戦技術協会常務理事。 研究を行なっていた。それは、植物の葉緑素を代用血液として 科学小説、科学記事等を執筆す。 人体に注入し、水だけで生きられる「葉兵」と称する不死身の 著書「海底国境線」「非武装艦隊」「珊瑚島公路」等。 サイボーグ兵団を製造する ( ! ) ことなのだ。葉兵の機密書類 を持った博士は日本軍の進攻直前に飛行機でオーストラリアへ この簡単な紹介文と、先にあげた「イサべラの昇天」およびと渡り、アメリカ軍に協力して実際に計画をおしすすめてい 二冊の著書だけが、・ほくが那珂良二について知るすべて。以前る。 「日本古典主要作品年表」を作る際もかなりしつこく調べ いつぼうアメリカ軍には、葉兵の他にもう一つ別の秘密計画 まわったのだが、これ以上の資料はとうとう発見できなかっ がある。その計画こそは、アメリカが対日本戦に絶大な自信を こ 0 持つ新兵器「非武装艦隊」だった。では、非武装艦隊の実体と 前身は技術者で、後に「科学小説、科学記事等を執筆す」と はどんなものであろうか ? なりわし あるからには文筆を生業とした人なのだろうが、そのわりには 雑誌・単行本などでついそ名前を見かけない。また、〈聖戦技 非武装艦隊に所属する各艦には、一門の大砲、一門 術協会〉がどういう組織なのかもわからない。出身校の線であ の魚雷発射管も装備されてゐないと云ふ。高射砲など完全 らってみようと思ったものの、ただ「早大政経科、日大国文科 に抹消されてゐる。 等に学ぶ」だけで卒業年が不明では、校友会名簿に頼りようも 従って砲塔もなければ司令塔もない。甲板の上には ない。経歴は詳細不明、作品も入手困難ーー。とにかく謎また 薄野原の様に無数にアンテナが立ってゐる。被弾の場合を 謎の″幻の作家″なのだ。 予想して数多くのアンテナ予備軍を集めてゐる訳である。 4

8. SFマガジン 1981年11月号

ポーは、ロをあんぐりとあけた。トーストのかけらが少し、ロかゆえに、人類はその結果に警戒を怠ったともいえる。 らこぼれた。 問題の計画とは、土星の衛星タイタンを土星をめぐる道から切 7 りはなし、ほぼ地球近傍まで移動させて太陽をめぐる新しい軌道に 「二億年もの間、俺は眠っていたというのか」 ュュー・フラネット・・フジェクト のせることだった。これは″新惑星計画〃と呼ばれ、タイタ 「そう、君の考えている期間より少し短いが、ほぼそのとおりだ。 これからの私の話を、歴史の講義だと思って聞いていただくことンで成功した暁には、木星の衛星ガニメデ、カリスト、海王星の衛 星トリトンなど、多くの巨大衛星が、新しい戦道に乗せられること にしよう。その方が理解が早いはずだ。 惑星ラヴァで、人類が二度目の最寒期を迎えようとしていた時、になっていた。 すなわち西暦二一〇三年から、およそ千年後、正確には三〇八八年人類は、太陽から離れすぎているために居住に適さないこれらの だが、ひとつの天文学的規模での人災が起こった。これが、すべて巨大衛星を、新しい居住圏としなければならないほど、人口増加に 悩んでいたのだ」 の発端だった。 「だが、あんたは他恒星系植民計画が廃止されたといった。続けて その前に、他恒星系植民計画のその後について、話しておこう。 いれば、相当の人口を送り出せたろうに」 植民計画はその後、しだいに縮小され、のちに廃止された。事故が ポーは、一方では夢物語を聞かされているような気がしながら、 起きた三十一世紀後半には、人類は地球上に百八十億、ほぼ同数の 人口が、太陽系内諸天体に分散し、わずかに残った他恒星系の惑星一方ではその話に聞き覚えがあるような感じを抱いていた。 植民地も、地球とは没交渉になってしまって、その盛衰は明らかで「その頃の人類の意識では、他恒星系はあまりにも遠すぎたのだ。 なくなっていた」 人類は、ついに超光速・推進法を開発し得なかった。いわんや、恒 ポーは、食べ終ったべ ーコンエッグズの皿を、じっと見つめてい星間即時通信など夢のまた夢だった。 話を戻そう。 ″新惑星計画″は見事に成功した : : かに見え た。タイタンは土星をめぐる軌道を離れ、二年九カ月かかって予定 「本当なのか : : : 」 の軌道に達した。微妙な惑星間の重力バランスをかいくぐっての離 「事実だ」 事故はそういう時に起こった。もとはと言えば、それは人類に多れわざだった。だが、タイタンを新しい就道にのせるという時に、 とんでもない齟齬が起こったのだ。 大な恩恵をもたらすはずの超技術の使用だったのだ。 人類は自らの居住圏を拡大するためにある計画を実行した。重力何が原因だったのか今でもわからない。ただ、そのときタイタイ 制御はすでに五百年前に小規模な応用が開始され、理論的にはともに設置されていた重力制御装置の出力にあるパタ】ンで出力欠損が かく実用的には安全性が確認されていたが、このときはじめて天体あったことが観測されている。あるいは人類の知らない副次効果が 規模での応用が実行されたのだ。もっとも日常的な技術であったが重力制御法にはあったのかもしれない 0 観測できない重力の遮断域

9. SFマガジン 1981年11月号

シオダはだまってうなずいた。 シオダはうなずいた。 ヒノもそれでお喋りをやめた。 「ぼくたちは″オリオン腕″にそってやってきた。一直線に来たわ ヒノは沈黙したまま、操舵パネルに腕を這わせた。 けじゃない。だから、進行方向がちがっていて、気がっかなかった 、″ダンプ ″ヒノシオ号″はしだいに伴走状態からはなれ、母船の″プラ のだ。もし銀河の腕を横断して一直線にとんだとすると 号″への帰投ルートに乗った。 ル人″の行く手には、たしかに太陽系があるんだ ! 」 スクリーンに映ずる″ダンゾル人″の長大な『恒星間ラムジェッ ヒノはまたまた涙ぐんだ。 「彼らは何も言わなか「たが、自力で太陽系に達し、そこで地球人ト』の姿はしだいに小さくなった。 ヒノは、ふだんの彼に似合わぬ小さな声を、そのスクリーシに投 と交流して自分たちの文明を進化させようと考えたんだな : : : 」 「ぼくの計算では、あの加速だと、太陽系につくのに四〇〇〇年かげかけた。 ″ダンプル人″たち ! 」 かる。その間には、ひょっとすると″ダンプル人″の方が進歩して「がんばってくれよ、 しまっているかもしれないぞ。なにしろ、 . ″われ宇宙人に頼らず シオダも、低い声で言った。 ″というあの気迫だからな」 「無事に航行してほしいなあ : : : 」 「ううむ、おれたちの超技術の援助をことわったときの言葉なん背後のアールも、しぶい錆び声で言った。 か、迫力あったものなあ。われわれもがんばらなければ。しかし四『″ダン。フル人″と一緒にのりくんだ″枯れ木型″のロポットくん 〇〇〇年というと、何十代も宇宙船の中ですごすことになるわけだ たちも元気で地球に着いてくださいよ。人間とちがってわたしは四 ろう ? だいじようぶなのかね : : : 」 〇〇〇年たっても生きていて迎えてあげますからね : : : 』 やがて、″ダンプル人″の『恒星間ラムジェット』はスクリーン 「いやそうではないようだ , ーー」シオダは調査ノ 1 トをめくった。 ヒノが出発の準備をしている間に「地球にいる女房のス 1 ザから姿を消した。 ヒノもシオダも、名状しがたい感慨を覚えていた。 ンに連絡して調べてもらったんだが、ああいう身体構造をもった宇 ヒノもシオダも、太陽系にもどれば、恋女房との・ハカンスが待っ 宙種族というのは一般に長命で、一万年以上生きることもめずらし くないらしい。だから、一代の間に到着してしまうんじゃないだろているし、アールも休暇を楽しむことができるのだが、それすらも 頭にうかばないほど、それは深い感慨だった。 うか・ : : こ 三人とも、あと四〇〇〇年の内、太陽系文明が″ダイフル人″に 「うーむ、そうか、すると彼らは、われわれの子どもの子どものそ のまた子どもの : : : 代の地球人と遭遇するってわけだな。これはよまけずに平和裡に進化をつづけることを、心の底から祈る気持ちだ ったのである。 ほどちゃんとした記録をのこしておかなければいかんな : : : 」 253

10. SFマガジン 1981年11月号

カナダ CANADA 開拓期のカナダは神話、伝説、おとぎ話 などに対して、、あまりにも現実べったりな 国″と言ったのは、 1 2 年イギリスからイ ギリス領カナダへと移民したキャサリン・ トレイルである。、、空想は、この 新開地で生き永らえようにも、驚異という 食物が欠けているために飢えてしまうだろ う″し、さらに、、無教養で勤勉な〃移民た ちは、その想像力を解き放っ暇も趣味も持 ちあわせてはいなかった。その後の評者た ちも、このイギリス系カナダ文学の、モラ ルや、、現実生活″に強調をおく実直な性格 が、想像力を信用せぬ開拓地のプロテスタ ント社会の産物であることを特記した。 く最近まで、カナダ作家のファンタジイは 一般に受け入れられがたかった。 S F につ いては、他の要素にも抑えられた。特に カナダでは科学の発展がそう強調されない という特色、および英米大衆小説に市場を 支配されていたことがあげられよう。 通俗小説を書く初期のカナダ作家の中 で、カナダ外の市場を主にめざした人に、 ジェイムズ・デ・ミルがいる。彼の死後刊 行されたみ & 〃 g にーの 5 ゆ FO ″イ in 4 Co カ 2 の・ Cy 〃〃だ ( 1888 ) は、カナ ダ色のない失われた世界もの諷刺作品た。 著名なリアリズム作家フレデリック・フィ リップ・グロープは、蟻の社会を舞台にし た C 。〃 5 記砒〃砿ル 5 ( 1947 ) で、諷刺 / 哲学的な寓意物語を目ざしている。現代 の主流文学作家もまた、 S F / ファンタジ イの手法を使っている。目につくものでレ ナード・コーエンの召″ t ″ I ん 0 な XVI ーガレット・ロレンスの児童向ファンタジ ロンドンを舞台にしたマ 北アメリカが公害に苦 ーの T んん 0 な乃れた ( 196 の、スコットランド生まれのディヴィ しむ話、さらに 00 〃 ( 1972 ) ッド・ウォーカ イの 0 が 5 Quest ( 1970 ) 、アイルラン ド生まれの作家、プライアン・ムーアの C ん 0 ″ ( 1972 ) ど T ん住 G 砒な 4 れ C 。 c 砺〃 ( 1975 ) ーー同書は総督賞小説 部門を受賞ーーなどがある。 しかし、一方で未来社会テーマとして有 力なものが、ジール・ポール・タルディ ヴルによって導かれた。 1945 年を舞台とし たユートビア小説で、ケベック州の分離独 立で形成された、、ローレンシアン帝国〃を 描き、話題を呼んだな K1895 ) である。 1 % 0 年代には、分離独立運動が盛 んになったことから、これは時代に適った テーマとなり、 ドゥーガル・マクリーシュ の T ん 7 ' i 加だ G の〃住 ( 1968 ) 、マイクル ・シェルドンの Death 0 んだ ( 1971 ) 、プルース・パウ ( ェリス・ポー タル ) の Killing Gro ″れ ( 1968 ) 、リチャ ード・ローマーの『続・英国脱出』 & た の・ 4 〃 ( 1976 ) などが現われた。ローマ ーの外挿法的スリラーはこれ以外にも何作 かあり、『最後通告』 U 〃 4 ( 1973 ) と『エクソン接収』 E ェェ。砺〃 ( 1974 ) は共に合衆国のカナダ乗取りの脅威を描い ている。 戦時の輸入禁止という制限が設けられた 一時期には、何種かのパルプ雑誌が咲き誇 った。ィーリー・テールズ誌 ( 1941 年、 1 冊のみ ) 、アンキャニ ・テールズ誌 ( 1940 レ・ザヴァンチニール 年 11 月一 1943 年半ば、 21 冊 ) 、未来の ・フューチュリスト 冒険誌 ( 1949 年、 10 冊 ) などはカナダの 国産誌であり、一方、アメージング・スト ーリーズスタートリング・ストーリー ズせスーハー・サイエンス・ストーリー ルい、 ズ誌など 19 誌がカナダ版を出していた。し かし、ジャンル S F はアメリカ固有の現象 たった。たとえば、カナダ生まれの A ・ E ・ヴァン・ヴォートやゴードン・ R ・ディ。 クスンの作品には、特に目立ったカナダ的 特徴といったものは見受けられない。ま 256