で言った。 「レジアだ」そっけなくそう答えて、彼は背を向けかけた。 ミスター・インドラシルは、長いあいだまばたぎもせず彼を睨ん だがぼくはこのまま別れてしまうのが心残りだったから、重ねて 6 でいた。そして、この出来事全体のなかで、そのそっとするような 問いかけた。「サーカスに関係していらっしやるんですか ? お見 目のなかにあったミスター・レジアへの恐れと、それといりまじっ受けしたところ、あのーーーあのひとをご存じのようだから」 た気ちがいじみた害意 ( または殺意 ! ) 、それを見まもることほど かすかな笑いが薄い口もとにただよい、暖かな光が、つかのま目 薄気味の悪いことはなかったと思う。 のなかにきらめいた。「いや。まあ警官だとでも思ってもらえばい それから、ミスター ・インドラシルはくるりと背を向け、大股に い」そう言い捨てて、ぼくが答えるひまもなく、彼は周囲の人込み のなかに姿を消した。 歩み去った。 ぼくはミスター・レジアのほうに向きなおった。「ありがとうご 翌日、ぼくらはテントをたたんで、つぎの興行地に移動した。 ざいました」 ・レジアは言った。それは、「自分に 「礼なんかいらん」ミスター その後ぼくはダンヴィルでまたミスター・レジアを見かけ、さら 礼を言う必要はない」ではなく、「礼なんか言うな」であったっ に二週間後、シカゴでも見かけた。そのあいだ、なるべくミスター まり、謙遜ではなく、文字どおりの命令だったのだ。そして、一瞬・インドラシルを避け、檻を一点のしみもないほどきれいにしてお なんなら共感と言ってもいいが とともくよう心がけた。セントルイスにむけて出発する前の日、・ほくはチ の直感のひらめき オハラとに、 ップス・べィリーと赤毛の綱渡り曲芸師、サリー・ に、ぼくは彼がその言葉でなにを言おうとしているかをさとった。 ・レジアとミスター・インドラシルとはおたがい知合いなの ぼくは、彼ら二人のあいだで長らくつづいているにちがいない戦いスター のなかの、一個の歩でしかないのだ。一個の歩としてばくは、ミスかとたずねた。彼らが知合いであることはまずまちがいなかった。 ・インドラシルではなく、ミスター ・レジアに取られたというというのも、ミスター ・レジアが・ほくらのすばらしいライム・アイ ことなのだ。ミスタ 1 ・レジアは、ぼくに同情したから猛獣使いをスを食べたくて、サーカスを追いかけて歩いているとはほとんど考 留めたのではない。それがいかにささやかなものであろうと、彼らえられなかったからだ。 サリーとチッ。フスとは、 ) コーヒー 二人のあいだの私的な戦いにおいて、自分に強みをもたらせばこそ ・カップごしに目を見あわせ そうしたにすぎないのだ。 た。それからサリーが言った。「だれもあの二人のあいだになにが 「お名前をうかがわせていただけますか ? 」ばくはたずねた。歩だあるか、はっきり知っちゃいないのよ。でも、それが長くづづいて いることはたしかねーーたぶん二十年ぐらいも。ミスター・インド とわかったからといって、いささかも気を悪くしてはいなかった。 ラシルがリングリング・・フラザーズから移ってきて以来ずっと、ひ すくなくともその点において、ミスター・レジアはぼくに正直だっ よっとするとそれよりも前からかもしれない」 たのだから。
のぎびしさたるや、それをくらったものは、恥ずかしさと恐ろしさ荒しい、野性そのものの吽び。かれは全世界にむかって挑戦を発 にふるえあがったものだが。 し、抑圧された憤怒を発散しているようだった。 ほくがライオンの檻を掃除したあとは、それらはいつだって一点チップス・・ヘイリーは、、 しっとも知れぬむかしからファーナム & のしみもないほどきれいになっていた。にもかかわらず、ミスター ウィリアムズにいる男だが、彼が ' ほくに話してくれたところによる ・インドラシルの罵言まじりの怒りを浴びせられたときの恐ろしさと、かってミスター・インドラシルは《グリーン・テラー》をも演 は、いま思いだしても膝ががくがくしてくるほどだ。 技のなかで使っていた。ところがある夜、虎がふいに待機用の台の ぞっとするのは、主として、その目だったーー大きくて、黒く上からとびかかり、ミスター・インドラシルが檻の外にのがれでる て、そしてまったくうつろな目。その目と、そしてもうひとつ、七までに、あやうく彼の首をその鋭い爪でひきちぎりそうになったの 頭もの油断のないライオンを、小さな檻のなかで自在にあやつれるだとか。そう言えば、ミスター・インドラシルは、いつも髪を長く 男というのは、彼自身、ある意味で、獣性を持っているにちがいなして、それでうなじを隠すようにしていたものだ。 いという感じ。 その日、ステュ ーベンヴィルで目撃した光景を、・ほくはいまでも ミスタ そして実際に、彼が恐れているものはただ二つ、 ・レジ活人画のようにまざまざと思いだすことができる。暑い、じっとり グリーン・テラー アと、サーカスにいる一頭の虎、《緑の恐怖》という名の巨大なけ汗のにじみでてくる蒸し暑い日で、お客はみんなシャツ姿だった。 ・レジアとミスター・インドラシル だからこそ、よけいにミスター ものだけだったのだ。 ~ くがはじめてミスタ ー・レジアに会ったの姿がめだったのだ。無言で虎の檻のそばに立っているミスタ 1 最初に言ったように、・ま のはステュ ーベンヴィルでだったが、そのとき彼は、さながらそのレジアは、きちんと三つ揃いのスーツを着て、顔には汗の″あ″の っぽう、いつものゆったりした絹のシャッ 虎が生と死のすべての秘密を心得ているというように、じっと《グ字も見えなかった。い と、白いホイップコードのズボンという姿で、虎と人との両方をね リーン・テラー》の檻をのそきこんでいた。 くくめつけているミスター・インドラシルの顔は、死人のように青ざめ ミスター・レジアは、痩せて、色浅黒く、物静かだった。深 ・ほんだ目の奥、緑色の斑点のきらめく深みには、苦痛と、おさえらて、目だけが気ちがいじみた怒りと、憎しみと、恐れとをたたえ うまぐし れた激しさがひそんでいて、いつもむつつりと虎をながめるとき、 て、とびだしそうに見ひらかれていた。手には馬櫛と・フラシを持っ 両手はきまって背に組まれていた。 ていて、痙攣的にそれらを握りしめている手は、わなわなふるえて 《グリーン・テラー》は、たしかにながめるにあたいするけものだ った。すこしの傷もない縞模様の毛並みを持った巨大な、美しい猛と、ふいにミスター・インドラシルはぼくに気づぎ、その怒りが 獣で、まなこはエメラルド色、太い于は象牙の犬釘のようだった。 捌け口を見いだした。「おい、きさま ! ジョンストン ! 」と、彼 かれの咆哮は、いつもサーカス場を揺るがしていたーーー獰猛で、荒はどなった。
はじめてミスター・レジアに会ったのは、サーカスがステューベ 間には、も . っと遠くへ出ていって、どなったりしなけりゃならない ンヴィルで興行しているときーーぼくが入団してまだ二週間にしかようなときだ。どなられるのは、たいがい、 ロハで木戸を通ろうと ならないころだった。ミスター・レジアのほうは、たぶんまたいっして、いろんなわるさをしでかす子供だーーぼくも子供のころによ ものようにいとくに期限のない不定期の訪問をつづけていたのだろくやったものだ。とはいえ、世のなか変わった。どうも近ごろじ う。だれもあまりミスター や、むかしみたいに子供がサーカスにつきまとうってこともなくな ・レジアのことは話したがらなかった。 あの最後の、この世の終わりがくるかと思えた夜ーーーミスター・イったようだ。 ンドラシルが消えたあの夜でさえ。 その暑い夏、ぼくらはイリノイからインディアナを巡業してまわ だが「最初からお話ししようとすれば、まず名乗らなくてはなるったが、どこでも客の入りはよく、みんなえびす顔だった。みんな 、。・ほくの名はエディ・ジョンストン、ソ 1 ク・シティで生まといっても、ミスター・インドラシルだけはべつだ。ミスター・イ れ、育った。そこで学校に行き、はじめての女の子と出会い、ハインドラシルは、けっして機嫌のよかったためしはなかった。彼は猛 ー・リリーの獣使いで、古い写真で見たルドルフ・ヴァレンテ・イノに似ていた。 スクールを卒業してからは、しばらくそこの、ミスタ 背が高くて、ととのった、尊大なおもざし、もじゃもじゃの黒い 経営する安物雑貨店で働いていた。ほんの二、三年前のことだ・ : ときどき、思いだしたくもないほどむかしのことのように思えるこ髪。そして不思議な、憑かれたような目ーーー・まだ・ほくはあれほど気 とがあるけれど。といっても、ソーク・シティがそれほどひどいとちがいじみた目を見たことがない。たいがいむつつり黙りこんでい ころだというわけじゃない。暑い、けだるい夏の夜、にんやり玄関て、ミスター・インドラシルから二音節の言葉を聞けたら、まず長 のポーチに坐っているのが性に合うやつもいるだろう。だがに まくに広舌の部類にはいった。サーカスじゅうの人間が、心理的に彼を敬 とってはそれが、おなじ椅子にいつまでも坐りつづけているよう遠するだけでなく、物理的にも距離を置いていた。なにしろ彼の怒 に、なんともいらいらさせられることに思えるのだ。そんなわけでりのすさまじさは伝説的だったから。仲間うちでひそひそ語られて ・まくまミスター・リリー いることに、ある特別にむずかしい演技のあと、彼がわれとわが手 の雑貨店をやめ、ファーナム & ウィリアム にコーヒーをぶちまけた話や、みんなが駆けつけてミスター・イン ズ・オール・アメリカン 3 リング・サーカスにはいった 0 たぶん、 汽笛ォルガンの音色にいくらか判断力を曇らされ、ついふらふらとドラシルをひきはなす前に、あやうく彼に殺されかかったある若い 雑役係の話などがある。その話についてはぼくは知らない。知って そんな気になったのだと思う。 いるのはただ、自分がだんだんミスター・インドラシルを恐れるよ まあそんなわけで・ほくは雑役係になり、テントを立てたりばらし たり、床におがくずをまいたり、動物の檻を掃除したりして暮らすうになったことだけだーー・むかしハイスクール時代に、冷たい目を ようになった。ときには綿菓子も売った , ー・・・・正規の売り子が、マラした校長のミスター・エドモントを恐れていた以上に。あるいはミ や、厳格は親父も恐れていた以上にーー、親父の叱責 リア持ちのチッ。フス・べィリーにかわって外で呼びこみをやり、合ス . ター・リリー
そして《グリーン・テラー》は立ち止まった。 宙的な力の前では、・ほくなんかただの一匹の蟻、一片の塵、保護さ ・レジアを 7 かれはその大きな頭をねじむけて、ほとんどミスター れていない一個の分子にすぎなかった。 ・レジアかえりみるようなしぐさをしたあと、またゆっくりとミスター・イ そして《グリーン・テラー》の檻のそばには、ミスター ンドラシルのほうに向きなおった。空中に、ほとんど触知できるほ が立っていた。 それはさながらダンテの詩から抜けでた一篇の活人画のようだ 0 どのカの感覚がみなぎ 0 ているのがー、ー虎を中心にして織りなされ た。トレイラ 1 の輪のなかの、ほ・ほから 0 ぼにな 0 た空地。無言でたたがいにぶつかりあう意志の網の目がひろが 0 ているのが感じ 睨みあ 0 ている二人の男。吹きすさむ強風にはたはたと鳴る彼らのとれた。そしてそれらの意志は、互角のカで渡りあ「ていた。 しもと ・ほくの思うに、結局その天秤を傾けたのは、《グリーン・テラ 服、乱れる髪。頭上で沸きたっている空。魔王の笞の前に首うなだ 1 》自身の意志。・ーーかれのミスター・インドラシルへの憎しみでは れる地獄の亡者のように、後景で風に伏しなびく小麦畑。 ・レジアなかったろうか。 「いよいよ時がきたようだな、ジェイスン」と、ミスタ 1 虎はまたじりじりと前進しはじめた。そのまなこは、めらめらと が言った。彼の言葉が風に吹き飛ばされて、空地じゅうを駆けめぐ ・インドラシ っこ 0 燃える恐ろしい狼煙だった。それと同時に、スター ・インドラシルの激しく吹き流される髪が、うなじに走ルの身にも、ある不思議なことが起こりはじめていた。彼の身体 ミスタ は、内側へむかって収縮し、崩壊し、折りたたまれてゆきつつある る鉛色の傷痕をあらわにした。こぶしが握りしめられたが、彼はな にも言わなかった。その身体を中心にして、彼の意志、彼の生命ように見えた。絹のシャツは形を失い、黒い、はたはたとなびく髪 力、彼のイドが凝集しつつあるのが、ほとんど感じとれるような気は、その衿にかぶさった無気味な毒きのこと化した ~ ミスタ レジアが、彼にむかってなにか呼びかけた。と同時 がした。それは怪しい光輪のように彼の周囲に集まりつつあった。 ・レジアが ミスタ に、《グリーン・テラー》が跳躍した。 と、そのとき、・ほくは突然の恐怖とともに、 《グリーン・テラー》の連結通路をはずそうとしているのを見てとそれからあとはぜん・せん覚えていない。つぎの瞬間には、吹き飛 ったーーーそして檻の後部はあいたままなのだー ばされて仰向けに倒れ、その衝撃で、ちょっとのあいだ息が止まっ ぼくは思わすやめろと叫んだが、その声は風に吹きちぎられてしてしまったからだ。ほんの一瞬、異様に傾いた巨大な、天を摩すば かりの竜巻が、ちらりと視界をよぎったが、それもっかのま、すぐ まった。 巨大な虎はひらりと檻から出ると、ほとんど流れるようにミスタに目の前に暗黒がたれこめた。 ・インドラシルの身体が ・レジアのそばを通り抜けた。ミスター 揺れたが、彼は逃げだしはしなか「た。むしろ首を前につきだし気がついたとき、ぼくは、あらゆる貯蔵品の倉庫に使われている トレイラーのなかで、穀物容器のうしろの狭い寝棚に寝ていた。全 て、虎をねめつけた。 のろし
チッゾスがうなずいた。「あのレジアってやつは、ほとんど毎こき使い、なかでも・ほくを目のかたきにした。・ほくだって気が立っ 年、おれたちが中西部を巡業するころになると姿をあらわして、最ていらいらしているのはおなじだったが、それでもせいいつばい笑 後にリトル・ロックでフロリダ行きの列車に乗りこむまで、ずっとって受け流していた。気ちがいを相手に言い争ってもはじまらない おれたちのあとをつけてまわるんだ。おかげであの″豹男″が、例し、ミスター・インドラシルが正気でないことは、すでにぼくのな のでかい猫めに劣らずびりびりしやがるって寸法さ」 かで百パーセントに近い確信になっていたからた。 「ぼくには警官だって言ってたけど」と、ぼくは言った。「いった だれもがほとんど眠れなかった。そして睡眠不足は、サーカスの いこんなところでなにを捜査しようっていうんだろう。どう思う、演技者にとっては破減のもとである。睡眠不足は反射神経を緩慢に ひょっとしてミスター・インドラシルが し、緩慢な反射神経は危険を生みだす。インデベンデンスでの興行 の空中からナイロン・ネット チップスとサリーはまたしても奇妙な目くばせをかわし、それかで、サリー・オハラは七十五フィ 1 ト ら二人とも、いまにも背骨を折らんばかりの勢いで立ちあがった。 のなかに転落し、肩の骨をくじいた。裸馬曲芸師のアンドレア・ン 「ちょっと行って、あたしの使う釣合いおもりがちゃんとしまわれ リエンニは、リハー サルちゅうに馬の背から落ちて、走り過ぎるひ ているか、見てこなくちゃ」と、サリーが言った。そしてチッ。フス づめに頭を蹴られ、人事不省に陥った。マラリア持ちのチッゾス・ も、自分のトレイラーのうしろの車軸の調子を見にゆくとかなんとべィリーは、細工の仮面のような顔をして、両のこめかみに冷汗 か、あまり説得力のない言い訳をつぶやいて立ち去った。 を貼りつかせ、ただじっと高熱に耐えていた「 そして大体において、ミスター・インドラシルまたはミスター そしてミスタ ー・、インドラシルは、多くの意味で、だれよりもい レジアに関する会話は、いつもこのような終わりかたをするのだっちばんむずかしい立場にあった。猫たちは気が高ぶって、怒りっぽ た・ーー・あたふたと、むりにこじつけられた山ほどの一言い訳とともくなっていたから、ビラの宣伝文句にある《悪魔の猫の檻》にはい に。 るたびに、彼は命がけの危険を冒しているわけだった。いつも檻に はいる直前に、彼は多すぎるほどの生肉をかれらに与えていたが、 ぼくらはイリノイと別れるのと同時に、快適さとも別れを告げこれは、世上信じられているのとは反対に、ふつう猛獣使いはめつ た。まるで・ほくらが州境を越えるのを見すましていたかのように、 たにやらないことである。彼の顔はやつれてひきつり、目は熱に浮 かされたようにぎらぎらしていた。 殺人的な暑さが襲ってきて、それから一カ月半、のろのろとミズー リを横切り、カンザスにはいるぼくらにとりついて離れなかった。 ミスター・レジアはほとんどいつもそこ、《グリーン・テラー》 動物たちも含めて、みんなが不機嫌に、怒りつぼくなった。そしての檻のそばに陣どって、虎をながめていた。そしてそれが、ますま うまでもなく、ミスタ そのなかには、し ー・インドラシルの責任で・すミスター・インドラシルの鬱屈をつのらせたことはいうまでもな 6 い。ミスタ」・インドラシルが通りかかると、」サーカスじゅうの人 ある大きな猫たちも含まれていた。彼は情け容赦なく囃役係たちを
鉄格子のすぐ内側に立ち、ミスター・インドラシルのトレイラーを彼は興行ごとに欠かさすサーカスにかよってきたーーー殺人的な暑 かれはミスター・インさにもかかわらず、いつもこざっぱりとした、わずかに皺のよった 凝視していた。そのときぼくは直感した ドラシルを憎んでいる。憎んでいるが、それは、ミスター・インド茶色のスーツを着こなして。そしてきまって無言で《グリーン・テ よぜよら虎は、それなり ラシルが残忍または非道だからではない。オオ ラ】》の檻の前にたたずむーー一見、虎と深いところで交わりあっ の動物的な意味で、これらの資質を尊重しているから。かれがミスているように。そして彼がそばにいるときは、いつも虎はおとなし ター・インドラシルを憎むのは、虎の野獣としての標準から見てくしているのだった。 カンザスからオクラホマへ、炎暑はとぎれることなくつづいた。 も、彼は常軌を逸した異常者であるからにほかならない。彼は″は ぐれもの″だ。そうとしか・ほくには言いようがない。ミスター・イ熱射病で倒れるものがひとりも出ない日があれば、まさにめつけも ちょっと先へ行け ンドラシルは人間虎であるばかりでなく、群れを離れてさまようはのだった。客足は落ちはじめた。なりもない ば、冷房のきいた映画館があるというのに、だれが好きこのんで息 ぐれ虎でもあるのだ。 これだけの考えが、・ほくのなかで固まった。不安が胸をかきみだの詰まるようなカン・ ( スのテントの下に坐りたがるだろうか。 まあこの場合にとくにびったりする言いまわしを発明するなら し、いくらか胸騒ぎもした。・ほくは寝床にひきかえしたが、やはり ば、ばくらはみんな猫のように神経質になっていた。一座がオクラ ぜんぜん眠れなかった。 ホマ州のワイルドウッド・グリーンにテントを張るころには、だれ もがなんらかのクライマックスが迫っていることを感じとっていた 暑熱はなおもつづいた。 ・インドラシルこ、 連日ばくらはフライになり、夜は夜で寝つけないまま、汗まみれと思う。そして大半のものは、それがミスター で寝返りばかり打っていた。だれもが日焼けで真っ赤になり、些細かわるものになるだろうとさとっていた。ワイルドウッドでの最初 なことでたびたび殴りあいが起こった。だれもが爆発点ぎりぎりにの興行の直前に、ある無気味な事件が起こっていた。そのときミス ター・インドラシルは《悪魔の猫の檻》にはいって、不機嫌なライ 近づいていた。 ミスタ ー・レジアも依然としてばくらについてきていた。無言のオンたちを相手に小手調べをしていた。なかの一頭が調教台の上で パランスをくずし、台から落ちかけて、かろうじて踏みとどまっ 観察者、うわべは無表情。だがぼくは感知していた、その底に深く 流れるーー・さて、なんだろう ? 憎悪 ? 恐怖 ? 復警心 ? どれた。と、まさにその瞬間、《グリーン・テラ 1 》が耳をつんざくば かりのすさまじい咆哮を発したのだ。 と名ざすことはできない。だが潜在的に彼は危険だった。ぼくは そのライオンはもんどり打って台からころげ落ちると、起きあが それを確信していた。ことによると、ミスター・インドラシルより もしもだれかが、彼の特別な導火線りざま、銃弾のような正確さで一直線にミスタ 1 ・インドラシルに 6 も危険であるかもしれない とびかかった。狼狽の叫びとも悪態ともっかぬ声をもらして、ミス に火をつけることがあれば。
「はい、なんです ? 」ぼくはみそおちのあたりがむずむずするのを剤を持ってこい。そしてこの檻をぜんぶ磨きあげるんだ」一語一語 覚えた。おそるべき″インドラシルの怒り″が・ほくに浴びせられよに重みをこめて、ミスター・インドラシルはささやいた。いきなり うとしているのがわかり、その恐柿がぼくをしびれさせた。ぼくだ片手がのびて、ぼくの肩をつかんだ。「それからよく聞けよ、二度 って人なみに勇気は持っているつもりだし、相手がほかのだれかだと、二度とふたたびおれにロ答えなんかするんじゃないぞ」 ったら、敢然と自分を護るために立ち向かっていっただろうと思 ・ほくにはその言葉がどこから出てきたのかわからない。だが気が う。だがあいにく、相手は余人ではなかった。ミスター・インドラ ついたときには、それはふいに・ほくの口からとびだしてきていた。 シルなのだ。そしてその目は狂っていた。 「あなたにロ答えなんかした覚えはありませんよ、ミスター・イン ドラシル。ロ答えしたように言われるのは心外ですね。ばくにはー 「この檻だ、ジョンストン。これでも掃除したつもりか ? 」彼は一 ー・ほくにはそんなこと言われる筋合いはありません。さあ、はなし 本の指をつきだし、・ほくの目はその指のさすほうを追った。掃き残 された藁くずが四本、そしてひとつの檻の奥に、ホースからこ・ほれてください」 たのだろう、罪深い水たまりがひとつ。 とっぜん彼の顔が真っ赤になり、ついで真っ青になり、それから 「は、はい」ぼくは答えたが、きつばり言いきったつもりが、おび憤怒のあまりほとんど真っ黄色になった。その両眼は、燃える地獄 えた空威張りになってしまった。 への門だった。 いまこそ・ほくは死ぬんだ、そんな気がした。 沈黙。ーーちょうど雷雨の前のびりびりした静けさのような。周囲 で人びとが注目しはじめ、ミスター・レジアがその底なしの目で、 ミスター・インドラシルは、首を絞められたような不明瞭なうな じっと見まもっているのも・ほんやり感じとれた。 りを発した。ぼくの肩をつかんだ手に、万力のような力がこもっ た。それから右手があがって : : : あがって : : : あがって、そのあ 「はし、だと ? 」とっぜんミスター・インドラシルは怒号した。 ~ し、だと ? はい、だと ? この野郎、おれを阿呆たと思ってと、信じられないほどのはやさでふりおろされた。 まくの顔に命中していたら、運がよくてもぼく やがるのか ? おれをめくらだと思ってやがるのか ? においが嗅もしもその手がド げないと ? きさま、消毒剤を使って掃除したのか ? 」 は、殴り倒されて気絶していただろう。運が悪ければ、首の骨が折 「消毒剤なら使いましたよ、きのーーー」 れていたかもしれない。 だがそれは命中しなかった。 「ロ答えするな ! 」彼は金切り声で叫びたて、それからきゅうに声 を落としたが、それはぼくのに栗を生じさせた。「いいか、おれ ふいに・ほくの目の前に、どこからともなくべつの手が手品のよう にロ答えできるものならしてみろよ」いまではだれもがこちらを見に出現した。恐ろしいカのこもった二本の腕が、がきっと鈍い音を つめていた。ばくは吐きたい気持ちにかられた。いっそこの場で死たててぶつかりあった。その手の主はミスター・レジアだった。 「この坊やに手を出すな」と、ミスター・レジアは抑揚のない口調 んでしまいたかった。「きさま、いますぐ道具小屋へ行って、消毒
またしてもチップスの目が無表情になった。「もう一頭の虎と戦 身がまるで詰めものをした体操用棍棒で殴られたように痛んだ。 青ざめた顔に深刻な皺をよせたチップス・ペイリーがあらわれったあげくに、どっちも死んだ」 「もう一頭の虎 ? だけどほかには虎なんかーーこ た。・ほくが目をあけているのを見ると、彼はほっとしたように笑っ 「ああそうさ。だがおれたちは二頭の死骸を見つけたーーおたがい てみせた。「このまま息を吹き返さないんじゃないかと思ってた の血の海のなかに横たわっているやつをな。目もあてられなかった ・せ。気分はどうだい ? 」 ぜ。双方が相手の喉を食いちぎったんだ」 「こんぐらかってるよ」ばくは答えた。「なにがあったんだい ? 「どうしてーーーどこからー・ー ? どうしてここに運びこまれたんだい ? 」 「くしやくしやになってミスター・インドラシルのトレイラーのそ「だれにもわかるもんか。おれたちはただ警察に、二頭の虎を持っ ばに倒れてるのを見つけたんだ。もうすこしで、トルネ 1 ドに記念てたんだと話した。そのほうが簡単だからな」そしてそれ以上・ほく が口をきけずにいるうちに、チップスは姿を消した。 品がわりに持っていかれるところだったんだぜ、坊や」 ミスター・インドラシルの名を聞くと同時に、あの恐ろしい記憶まあこれで・ほくの話は終わりだーーー二つだけ、ちょっとしたつけ ー・インドラシ たしがあるのをべつにすれば。 が一挙によみがえってきた。「どこにいる、ミスタ ミスタ ・レジアが竜巻の襲ってくる直前に叫んだ ルは ? そしてミスター・レジアは ? 」 そのひとつ、 チップスの目が曇って、彼はなにかその場のがれのことを言いか言葉はこうだったー・ー「人とけものとが一つの身体のなかに棲んで けた。 いるときはな、インドラシル、本能がその形を決定するんだ ! 」 そしてもうひとつのことは、いまもしばしば・ほくを夜半にめざめ 「隠さずに言ってくれよ」片肘をついて半身を起こそうとしなが たんに、こ ら、・ほぐは言った。「知らなくちゃならないんだ、チップス。どうさせる。チップスがあとでそれを話してくれたのだ んな話もあるというだけのことだが。彼が話してくれたことという しても知らなくちゃならないんだ」 なにかぼくの顔にあるものが、彼に心をきめさせたらしい。「よのは、その見知らぬ虎の頸筋に、長い傷があったということなので しわかった。しかしだ、これはな、おれたちが警察にしゃべったこある。 とそのままじゃない いや、じつのところ、警察にはほとんどな んにもしゃべっちゃいないんだ。おれたちがみんな頭がいかれてる なんて思われてもつまらんからな。とにかく、インドラシルはいな くなった。それに、あのレジアの野郎がきてたなんて、おれは知り もしなかったんだ」 「で、《グリーン・テラー》は ? 」
うの悪魔が自分を追いかけてきていると思ったことだろう。それで だ」彼はとりとめなくしゃべりつづけていたが、・ほくにはそれをさ もさいわいにして、ようやくドアはぐいと押しひらかれた。ミスタ えぎる気はなかった。すくなくとも彼の関心は・ほくからそれていた ・インドラシルが、ふらふらしながら・ほくらを睨みおろしてい から。 た。野獣めいた目のまわりにはくまができ、目玉は酔いのためにぎ「おれにあの虎をけしかけやがったーー・五八年のことだ。いつだっ らぎら光っていた。吐く息は酒の蒸留器のようなにおいがした。 ておれのかなわない力量を持っていた。ばかめが、い くらだって稼 「なんだきさまら、うるさいそ」彼は怒号した。 げたはずなのにーーーわれわれ二人で、一財産稼げたはずなんだ、も 「ミスター・インドラシル : なん 」・ほくは風のうなりに抗して声をはしあいつがあれほどお高くとまっていやがらなかったら : りあげねばならなかった。それは・ほくのそれまでに聞き、あるいは だ、あれは ? 」 読んだどんなあらしともちがっていた。吹きさらしにいると、まる それは《グリーン・テラー》だったーー・・耳を聾するばかりの叫び でこの世の終わりのように思えた。 をあけはじめていたのだ。 「きさまか」ミスター ・インドラシルは、おさえた耳ざわりな声で「きさま、まだあの虎野郎めをなかに入れていなかったのか ? 」ほ 言うと、手をのばして、・ほくのシャツの胸倉をむんずとっかんだ。 とんど裏声に近い金切り声で叫びたてると、彼は・ほろ人形のように 「ようし、きさまに一生忘れられんような教訓をたたきこんでくれ・ほくをふりまわした。 る」彼は、及び腰であらしの闇に逃げこもうとしているケリ 1 とマ「動かないんですよ ! 」・ほくは叫びかえしている自分に気づいた。 イクをねめつけた。「消えて失せろ ! 」 「どうかあなたがーー」 二人はばっと駆けだした。・ほくにも彼らを責める気はなかった。 だが彼はいきなり・ほくを突きとばした。・ほくは、トレイラーの人 言っただろう ・トーーミスター・インドラシルは狂っていたって。しか 口につけられた折りたたみ式の階段をころげおち、ずしんとばかり ・インドラ も尋常一様の気ちがいではないーー狂った野獣のよう、あばれだしに階段の下に尻餅をついた。そのぼくの横を、ミスター たときの彼の猫どものようだったのだ。 シルはすすり泣きとも悪態ともっかぬ声をもらしながら、怒りと恐 「これでいい」ミスター・インドラシルは、・ほくを睨みつけながら怖に顔をまだらに染めて通り抜けていった。 つぶやいた。その目は耐風ランプのように燃えていた。「もうきさ起きあがったぼくは、催眠術にでもかかったように彼のあとにつ まを護ってくれる護符はないぞ。お守りはないそ」くちびるがひき いていった。ぼくのなかのある本能的な部分は、いよいよ最後の幕 つって、気ちがいじみた、ぞっとするような徴笑を浮かべた。「きが切って落とされようとしていることを感じとっていた。 ようはあいつはここにきていない、そうだろう ? われわれ二人は 一歩ミスター・インドラシルのトレイラーの陰から出ると、風の 同類なんだ、あいっとおれは。ことによると、たった二人だけ生き力は驚倒的だった。さながら・フレーキがはずれて驀進する貨物列車 残った同類かもしれん。おれの宿敵・ーーそしておれもあいつの宿敵のように、それはひゅうひゅううなりをあげた。そのすさまじい宇
《グリーン・テラー》は威嚇的にぼくを見たきりで、微動だにしな彼は十分近くももどってこなかった。いまでは風はますます勢い を増し、タ闇は深まって、まだ六時だというのに、無気味な夜がき またしても雷鳴がとどろいた より大きく、より近く、より激ていた。・ほくはおびえていた。そしてそれを認めるのをいささかも しく。空は黄疸にかかったようになっていたーーーまだぼくはこれほ恥としない。そのあわただしい、黒一色の夜空、人気のないサーカ どおそましい色を見たことがない。風魔がぼくらの服をひつばり、 ス場、まつわりついては離れてゆく激しいつむじ風ーーそれらすべ あたりに散乱したひしやげたキャンデーの箱や、綿菓子のコーンをては、この先一生、けっして薄れることなくぼくにつきまとうだろ 巻きあげはじめた。 うある思い出をかたちづくっているのだ。 「さあおいで、さあおいで」ぼくは声をかけながら、動物たちを追そして《グリーシ・テラ 1 》は、一歩たりと連結通路のほうへは いたてるのに使っている先端が丸くなった棒で、軽く《グリーン・踏みだそうとしなかった。 テラー》をつついた。 やがてケリー・ニクソンが、目を血走らせ、息せき切って驤けも 《グリーン・テラー》の喉から、鼓膜に突き刺さるような咆哮がほどってきた。「五分近くも扉をたたきつづけたんだぜ ! でもだめ とばしったかと思うと、片方の前足が目にもとまらぬはやさで動い だった、起きてこないんだ ! 」彼はあえぎあえぎ言った。 た。堅木の棒はぼくの手からもぎとられ、若木の小枝のように真っ ぼくらは途方に暮れて目を見あわせた。《グリーン・テラー》 二つに折れた。虎はいまや立ちあがっていて、その目には殺意が燃は、サーカスの大きな財産だ。吹きさらしのところに放置しておく えていた。 わけにはいかなし冫 、。・まくは当惑して周囲を見まわし、チップスを、 「おい」ぼくはふるえながら言った。「あんたたちのどっちか、や ミスタ どうしたらいい ・ファ 1 ナムを、あるいはだれでもいし つばりミスター・インドラシルを呼んできたほうがよさそうだ・せ。 かを教えてくれそうなひとを捜した。だが、みんないなくなってい ぐずぐずしちゃいられないんだ」 た。この虎をどうするかは、ぼくらの責任だった。一瞬、檻ごとト まるでぼくの言葉と符牒を合わせるように、雷鳴が一段と大きくレイラーに積みこもうかとも考えたが、ぼく自身、その檻に指一本 とどろいた。さながら巨大な手をばんばんと打ち鳴らすようだつでも触れるのはごめんだった。 ぼくは言った。「しかたがない、みんなで行って、彼を呼んでこ ケリー・ニクソンとマイク・マグレガーは、どちらが行くかをきよう。三人で行くんだ。さあ、こいよ」そしてぼくらは、ますます めるためにコインを投げた。ぼくは以前にミスター・インドラシル濃くなるどす黒い闇のなかを、ミスター・インドラシルのトレイラ 1 へむかって駆けていった。 と衝突しているので、最初から除外されていた。ケリーがお役目を ひきあて、おれならむしろあらしに立ち向かうほうがましだと言い たげな視線をぼくらに投げてから、駆けだしていった。 ばくらはどんどんドアをたたきつづけた。きっと彼は、地獄じゅ