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検索対象: SFマガジン 1981年6月号
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1. SFマガジン 1981年6月号

ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 池見照二 カット / 島津義晴 最近、ホワイトカラー、・フルーカラーに対しの利用は日本が急。ヒッチで進んだ。現在、世界 「スチールカラー」という言葉が登場してきの産業ポットは約十万台だが、そのうち約七 た。スチールカラーとは、工場で労働者に代わ万台が日本にある。まさにロポット王国であ って働く産業ロポットのことである。その数る。 ーいま日本で約七万台にもの・ほる。世界一の自動車メーカーの溶接、電気メーカーのハン 数を誇り、ロポット王国だ。マイクロコン。ヒュダづけをはじめ、樹脂加工、金属加工などの分 ーターの人工頭脳によってコントロールされ、野で使われている。初めのころは、製品や部品 熟練工並みの精度で溶接、組み立てなどの作業の搬入や搬出など簡単な作業の繰り返しだっ をこなす。人間と違ってペアの要求もせず、年た。しかし、最近はマイコンやセンサーの開発 に伴って、高度の仕事をする高級ロポットが開 中無休、二十四時間の連続勤務もいとわない。 大企業ばかりでなく、小さな町工場でも導入発されつつある。利用分野も、原子力、医療、 が始まり、日本の産業を支える大きな力となっ福祉、農林、土木、建設、運輸などに広がって いる。省力化ばかりでなく、安全確保、単純作 てきた。一九八〇年は「ロポット普及元年」と いわれ、一九八〇年代に本格的普及が急・ヒッチ業や悪環境からの労働者の解放、製品の品質や で進むものとみられている。十年後には、スチ精度の向上などがねらいである。 これまでは、大企業への導入が中心だった ールカラー軍団は各職場に多数入り込むだろ う。工場はこれまでの「自動化」から「無人が、中小企業でもロポット使用が広まってい る。昨年春、中小企業へのロポット普及をはか 化」へ向かって動き出すことになった。 日本に産業用ロポットが導入されて十年余りろうと、ロポット・メーカーなどが出資して日 になる。ロポット発祥の地はアメリカだが、そ本ロポットリース会社が東京に設立された。約 サイエンス・トヒック スチールカラー軍団 一年たったが、人気は上々だ。これまでに約百 五十台のロポットが、塗装、。フレス、溶接など 0 の中小企業に導入された。一台四百万円から一 千万円。一千万円のロポットをリースする場 合、リー ス代は一カ月二十万円。「べアやポー ナスの要求はないし、年休もなし。二十四時間 ロポットがロポットを作る富士ファナックの本社工場。

2. SFマガジン 1981年6月号

ⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢ聞Ⅲサイエン、ス・トヒ。ックⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧ ぶつ続けで働かせても文句一ついわない。一人る職種転換に理解を示している。ロポット導入盤にかけ、加工が終わると、つかんで元へ戻 の従業員をやとうより安いものだ」と、経営者期が、ちょうど高度経済成長期に当たり、人手す。 たちは語っている。 不足が深刻化していたことも幸いした。また低十三台を使う労働者はたった三人。ロポット このように日本にロポット導入が進んだ理由成長時代を迎えても、・フルーカラーは依然としの調子をみたり、部品の補給をしたりするだ として、まず第一に挙げられるのが、日本の経て不足しており、非人間的な単純作業や劣悪なけ。汗と油にまみれたプルーカラーの姿はどこ 営者が技術革新に積極的で、ロポットを導入し労働環境からの救済という意味から、ロポットにもない。「終夜運転中」のオレンジ色のラン たことだ。そして、日本の労働者も、欧米の職導入は歓迎されている。また人件費が上がる中。フをつけて、ロポットだけが徹夜で働くことも 種別労働組合と違い、企業別組合で終身雇用制で、ロポットの能力が向上、ロポットの方が安ある。 をとっているため、ロポット導入によって生ずくなってきたことも理由の一つだ。 同社は昨年、富士山ろくに、ほ・ほ無人のロ・ホ こうした日本の企業風土によって、ロ ット新鋭工場を完成した。縦百メートル、横二 ポットは今後もますます各職場へ進出の百メートルの工場をたった百人で操業する。従 ら 見通しである。このため百五十社に及ぶ来の工場の五分の一の従業員数である。文字通 かで 台ク日本のロポット・メーカーは、新しい口り口ポットがロポットを作る近代工場から、毎 ポットの開発、生産にしのぎを削って、月百台のロポットが生産され、四三 % が海外へ 作ナ 輸出されている。 のア活気づいている。 日本産業ロポット工業会の調査による数値制御 (ZO) のロポットとしては世界の 」右士 きが富と、一九八〇年の日本の。ポ , ト生産高ト , プレベルの技術を誇る同社は、全従業員八 は六百億円だが、十年後の一九九〇年に百六十人のうち研究開発に一一百人をあててお ポすは六千億円と実に十倍に躍進する予測り、研究開発に力を入れている・これまでにア ロトだ。一九八〇年はロポット普及元年と呼メリカ zo 協会のジョセフマリージャカート賞 いばれ、八〇年代は本格的普及時代になるや日本機械学会賞など数多くの賞を受けてい る。 とみられている。 活気づく口ポット・メーカーの一つ、 同社の稲葉清右衛門社長は「機械ですむこと 一ド東京の北の郊外にある富士ファナ , ク本を人間にやらせることは、一番の人間疎外を生 ネの 、〕ク面社工場では、ロポットがロポットを作るむ。人間を機械の下働きにさせてはならない」 というのがモットー。 ッ正という異様な光景が展開されている。 のみュリ、スミレ、キクなど花の名前がニ人間には機械のコントロールなど、もっと高 」かックネームとして付けられた十三台のロ度なことをさせよ。作業員は、みんなエンジニ メっ ヤをポットが、ロポット作りに黙々と励んでアであるとの自覚を持てーーーという。 ロロいる。ここで活躍するロポットも、やは ロポットの大量進出により、今後十年間に日 り腕ロポット 6 ロポットのわきの台に積本の職場は、大きな変革を遂げようとしてい まれた鉄の部品をつかんで、ドリルや旋る。

3. SFマガジン 1981年6月号

ロポット医者はすぐにやってきた。医者がハチの刺し傷をみよう「あなたが存在しているとは思えない」ケミングズが言った。「あ とした時、ケミングズが口を開いた。「じつは、鳥を殺した罰に刺のことをあなたが知っているはずはない。ぼくは、まだ冬眠してい 6 シッ されたんです」 て、船が埋れた記億にエネルギーを供給しているんだ。知覚の刺激 : ないとぼくの精神が衰弱してしまうからだ」 「ほんとうかね ? 」ロポット医者が尋ねた。 「たったら、きみが旅行を終えた記憶を持っているはずはない」 「・ほくが大切に思っているものは、なんでも持っていかれてしまい ました」ケミングズは答えた。「マルチースも、ポスターもー・・・・・ーそ「じゃあ、これは願望充足だ。まあ、どっちでも同じことさ。これ れにワイン貯蔵庫のあったあの小さな古い家も、ばくたち二人は、 から、それをきみに証明してやろう。ドライ・ハーを持っているかい なんでも持っていました。でも、いまじゃ、なんにも残っていませ ん。マルチースは、鳥のせいで出ていってしまいました」 「なぜかね ? 」 「あのテレビの背板をはがすのさ。まあ、みていたまえ。あの中に 「きみが殺した鳥のせいだって言うんだね」ロポット医者が言っ こ 0 ーツも、シャ】 はなにも入っていないから。コンポーネントも、 「神様が・ほくを罰したんです。ぼくが罪を犯したので、神様は、・ほシもーーとにかくなにもないさ」 くが大切にしているものを全部持っていってしまいました。あれ「ドライ / ・、ーは持ちあわせていない」 ーキ 1 のせいじゃありません。ぼくのせいなんです」 「それじゃあ、小型ナイフでい、 。きみの外科用器具入れの中にあ 「だが、きみは、ほんの子供だったじゃないか」ロポット医者が言るのを見たそ」そういうと、ケミングズはかがみこんで、小さなメ っこ 0 スを取りあげた。「これでけっこう。自分の目でしかと見たら、き 「どうして、そんなこと知っているんですか ? 」ケミングズは、ロみも信しるかね ? 」 ポット医者の手の中から自分の手をサッと引っこめた。「なにかお「テレビのキャどネットの中になにもなくても、それは : : : 」 かしい。あなたが、そんなこと知っているはずはない」 ケミングズは、テレビのところにしやがみこむと、背板をとめて いたネジをナイフで抜き取った。背板がはずれると、かれはそれを 「きみのお母さんが教えてくれたんだよ」 床においた。 「母はあのことを知らなかったはずです ! 」 ロポット医者が答えた。「お母さんは、察しをつけたんだと思 キャビネットの中は空だった。だが、カラー・ホログラムは、あ う。きみの助けなしで猫が鳥に跳びかかれるわけはないからな」 いかわらず、 . 部屋の一角を占め、ニュ 1 スキャスターの声は、その 「じゃあ、ぼくが大きくなるまで、母はずっと知っていたんです三次元の映像から流れ出ている。 シッイ・ ね・でも、そんなこと一言も言わなかった」 「さあ、白状したまえ、きみは、船だろう」ケミングズはロポット 「気にする必要はないさ」ロポ 1 ト医者が言った。 医者にむかって言った。

4. SFマガジン 1981年6月号

ⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ 行本で活躍した。昭和二十年に戦火を避けて北海道へ疎開し、 戦後も文筆活動を続けたが、昭和二十七年に没した。 作品は現代もの、史話ものなどの小説の他に、科学史、科学 解説なども多い。著書は『宝庫千島』『日本科学者物語』『馬 蹄一万五千粁』など、戦前だけで三十五冊もある。 残念ながら木原氏の『北海道文学史』には寺島のについ ては触れられていない。・ほくが調べたところでは、その第一作 は白木陸郎名儀で〈日本少年〉昭和九年八月 ~ 十二月号に発表 した「極北の怪工場」のようだ。 これはソ連の秘密軍事工場で強制労働させられている一日本 少年が、老科学者とともに地底戦車で脱出しようとする冒険 で、スト ーそのものはさほどきわだった作品ではない が、物語中に登場するさまざまな新兵器の現実性と、科学的描究が進められているそうだ。さだめし山中峯太郎先生も彼の世 で驚いていることだろうね ) 写の具体性に新鮮さを感じる。 この作品がかなり好評だったらしく、寺島は続いて〈日本少 ( 新兵器ウンヌンで思い出したが、三月七日付の東京新聞によ ると、レーガン新大統領就任にともなうアメリカ再武装で、レ年〉に次のような作品を発表している。 ーダー反射防止技術を生かした「見えない飛行機、の開発・研「冒険科学長篇小説人造人間。昭和十年二月号 ~ ? 「大冒険長篇小説幽霊船」昭和十二年八月号別冊付録 月 「無敵大飛行機小説空の荒鷲」昭和十二年十一月号別冊付録 「科学小説飛行潜水艦ー昭和十三年一月 ~ 十月号 和 「怪奇大冒険小説海底の魔城」昭和十三年六月号別冊付録 昭 「怪奇冒険長篇小説海賊船」昭和十三年九月号別冊付録 城 最後の「海賊船」だけ未見だが、あとは全てだ。たとえ 魔 底子供向けでも、この当時たて続けに中・長篇のばかり書い 海 ている人も珍しい。に対する指向性とでも言うのだろうか。 昭和十年の「人造人間」は題名どおり口ポット・テーマの作 著録 史付品。シベリヤに根拠地を持っ秘密結社に捕えられた科学者の 柾冊 島別 「・ほく」が、従者のロポット・君の活躍で難を逃れるとい 寺号 ーで、ものも言わすに命令どおり暴れるロポットが 附月六年少本日 寺島柾史着 寺島柾史著『怪奇人造島』 7

5. SFマガジン 1981年6月号

科学冒険時代第七回〈譚海〉と〈日本少年〉 ラボラトリー 石原博士の研究室④科学雑誌のプームは " ? 。である サイ・ファイ・セット②イメージ情報の伝達マップ 野田昌宏のセンス・オプ・ワンターランド⑩ エンサイクロへディア ーターズ・ストーリイ ◇連載◇トワイライト・ワールズ 天野嘉孝 誕生④ 深見弾跖 ・スキャナー風向きの変ってきたソ連の出版状況 4 ・ スタジオぬえ ・スターシップ・ライプラリイ⑩ 0 安田均 ・アワ , ーー・ア・ラ・カルト⑤ ) アポロ賞とフランス大賞 池見照ニ ・サイエンス・トヒックスチールカラー軍団 伊沢昭 / 大宮信光 / 高橋良平 / 中島梓明 ・レビュウ 霜月象一 DIMENSION 0 ・てれほーと・ 世界情報 ( 島田武 ) : バックナンバーのお知らせ・ ローダン愛読者カード当選発表 特別企画連載 4 人類を脅かす忙しさの実体とは卩 忙ル又 ◇連載コミック◇ 銀の三角第ニ部 野田昌宏 2 ピーター・ニコルズ編 大野万紀訳 〈当津信五ロ 4 石原藤夫 難波弘之 萩尾望都 5 神林長平 2 18 215 271 ン子一責子 ョ苑象 - 陽 シ井月武 一新霜宮南 レ ト造隆之宏 ス慶嘉直 ラ淵治藤山 イ 岩佐加横 加藤直之 表紙 宮武ー貴 目次カット 扉・目次レイアウト安藤三香子

6. SFマガジン 1981年6月号

ⅢⅢⅢⅢⅢけⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ オートメーションの驚異は、ヒューゴー ガーンズバックによって非常に謳歌さ れ、彼の小説『ラルフ 124C41 十』火。ゅん ノ 24C4 ノ十 ( 1911 ; 1925 ) では、数多く の生活必需品の機械的な予言がなされた。 しかしながら、パルフ。 S F の内部にさえ、 明らかな例外的作品があった。そういう作 家としては、ディヴィッド・ H ・ケラーや マイルズ・ J ・フ・ルーアがいる。ローレン ス・マニングとフレッチャー・フ。ラットの "City of the Living Dead ” ( 193 ので は、完全に銀の電線の中に封じ込められて 暮らし、全体験は合成によって与えられる という未来人のイメージを提出している。 ジャンルを離れると、機械によって奴隷 化され、自動化された人間の強力なイメ ージが、古典的な映画『メトロポリス』 ユな or な ( 1926 ; テア・フォン・ハルポ ウによる本 1926 ; 英訳 1927 ) に描かれてい る。機械に支えられた安楽な生活という考 えは、アレグザンダー・モスコフスキーの T んどム / ぉⅣな襯 ( 192 のの中で、 情け容赦なく風刺され、ついにはオールダ ス・ハックスリーによって、『すばらしい 新世界』召 ra 膨Ⅳ or 尼 ( 1932 ) で は、恐怖小説にまでなった。 、ツクスリー の小説のような極端な例の中に内在してい る進歩の拒絶は、しかしジャンル SF の作 家たちにとっては全く受け入れ難いもので あり、また雑誌の外の、慎重さと分別のみ を訴える大多数の作家たちにとっては、非 現実的なものとみなされている。 労働の自動化における最も重要な進歩の ひとつが、 S F で予言され、それが実際に 出現した今、その小説をもとに名付けられ ている。ロハート・ハインラインの「軌道 の天才」“、 Maldo ” ( 1942 、アンソン・マク ドナルド名義 ) である ( ウォルドー ) 。 SF はまた、ロポットや自動作業装置に非 XVI 常な注目をそそいできた。ジャンル S F の 中では、そのことばを創案した倫理小説、 カレル・チャベックの『 R. U. R. 』沢 . U. . ( 1921 ; 英訳 1923 ) よりも更に慎重 な、同情深い考察がたつぶりと彼らに授け られたのだ。家庭の自動化もまた、いくつ もの小説の中で、論理的な極限にまで考察 ふつう皮肉つぼく された たとえ ば、ルイス・パジェットの「トオンキイ」 "The Twonky ” ( 1942 ) や、ウィリアム ・テンの「生きている家」 "The House Dutiful ( 1948 ) 、それにジョアンナ・ラス の "Nor Custom Stale ” ( 1959 ) などで ある。情報を蓄積し、再生するシステム や、演算機能の自動化 ( コンピュータ ) もまた、 S F が生まれながらにもつかなり 重要なテーマのひとつである一一一記憶する 機械が原因で生じる、情報の自由という問 題について考察を加えた初期の例として は、ウイル・ F ・ジェンキンズ ( マレイ ラインスター ) の「ジョーという名のロジ ック」 "A Logic Named Joe ” ( 1946 ) が ある。 ジャンル S F 作家たちの、オートメーシ ョンに対する一般的楽観性は、戦後、進歩 のもつ危険性が、突然はるかに現実味を おびて見えはじめた時、浸食されていった ( ロポット , 機械 ) 。オートメ化された 未来の不気味なイメージが、ずっと大きな 広がりをもって、相応の評価を受けるよう になった。カート・ヴォネガットの『プレ イヤー・ヒ。ア / 』なツ r / 4 れ 0 ( 1952 ) は、挫折した革命の物語であり、戦後の時 代を支配した風潮の典型的な一例である。 だが、何人かの雑誌作家たちは、それにも かかわらず、ロポットやコンヒ。ュータは責 任をもってあっかいさえすれば、人間生活 にたいへん価値あるものになるだろうとい う態度を崩さず、がんこにその立場を守っ た。とりわけ強力だった例は、ジャック・ 256

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部分的なリストを見ればわかるように、同 誌を記憶すべきものとするに充分だろう。 1940 年「鎮魂曲」 "Requiem" ( 1 月 ) 、 もしこのまま続けば “Ⅱ This Goes On ( 2 ー 3 月 ) 、「走れ、走 路」 "The Roads Must R011 " ( 6 月 ) 、 「疎外地」 "Coventry ” ( 7 月 ) 、 "Blowups Happen ” ( 9 月 ) 。 1941 年 & 靦ん Co んれ ( 1 ー 3 月 ; 1949 ) 、「歪んだ家」 "—And He Built A Crooked House—" ( 2 月 ) 、 「帝国の論理」 "Logic of Empire ” ( 3 月 ) 、「大宇宙」 "Universe ” ( 5 月 ) 、 "Solution Unsatisfactory ” ( 5 月 ) 、『メ トセラの子ら』 M ん記なん ' Children ( 7 ー 9 月 ; 1958 ) 、「時の門」 "By His Bootstraps ” ( 10 月 ) 、「常識」 "Common Sence ” ( 10 月 ) 。同じ時にヴァン・ヴォー トの名高い『スラン』 S れ ( 1 0 年 9 ー 12 月 ; 19 ; 國 1951 ) をはじめとする 数々の作品、アジモフ 「夜来たる」 "Nightfall ” ( 1941 年 9 月 ) と、《ロポッ ト・ストリーズ》の初期のものを含む そして他の作家たちの作品があった。 1942 年にハインラインを戦争にとられたにもか かわらず、キャンベルはルイス・パジェ ット″ ( ヘンリー・カットナーと C ・ L ・ ムーア ) 、フリツツ・ライバー、アンソニイ ・パウチャーらを得た。 1 2 年 1 月、同誌 はペッドシート判に変わったーーー用紙を節 約しながらもっと多くの語数を収録するた めである一一一しかし 1943 年にはパルプ判に 逆もどりし、数カ月つづいた後、 1 3 年 11 月、用紙不足が深刻化したため、最初のダ イジェスト判 S F 雑誌となった ( その同じ ことが、姉妹誌アンノウンを死に追いやっ た ) 。ウィリアム・テイミンズがロジャー スにかわって ASF の常連表紙画家となっ 0 ASF のこの分野における指導的地位は 40 年代を通して持続した。常連作家たちの 265 大半が、その魅力を増すためによく知られ たシリーズをもっていた。アジモフの《ロ と《銀河帝国》シリーズ、ヴァン ・ヴォートの《武器店》シリーズと 2 篇の もの、ジョージ・ O ・スミスの ーナス・イクラテラル》、ジャック 《ヴィ 《非 A 》 ポット》 VII 同誌以外のところであげたのである。 ASF 代の興味深い新人作家たちは、その成果を 安定をつづけたが、全体からみれば、 50 年 強い挑戦を受けた。依然として堂々とした シイ誌の出現により、 ASF の指導性は手 ンス・フィクション誌、 1950 年のギャラク 1949 年のファンタジイ・アンド・サイエ されたかのように見えた。 改称しようとしたキャンベルの意図が実現 なく一見したとき、それはまるで、同誌を にとまらないように色づけされた。なにげ ック文字にまで縮少し、しばしば事実上目 ウンディング / / という文字は小さなイタリ 、、アスタ 紙が、この効果に寄与していた。 ポーンステルの天体画を呼びものにした表 リアスな外見を保っていた。チェズリー はその 10 年間一貫してより落ち着いた、シ ばしいパルフ。誌であったのに対し、 ASF リング・ストーリーズ誌がとりわけけばけ 作を送り出していた。けれども、スタート った。同誌は 1948 年までにかなりな量の佳 とげたスタートリング・ストーリーズ誌だ は、サム・マーウインの目ざましい発展を この優越性に対する唯一のゆゆしい挑戦 ( 1947 年 11 月一 1948 年 2 月 ; 1954 ) 。 および『レンズの子ら』 C んれ the 工ぞれ 5 襯れ ( 1941 年 11 月一 1942 年 2 月 ; 1953 ) 『第 2 段階レンズマン』 & co れイ - & 4 科学英雄冒険物語の最後のあがきだった一 シリーズーーーその最後の 2 作は ASF の超 E ・スミスの並みはずれた《レンズマン》 ェット″の《ギャラハー》シリーズ、 E ・ ズ ( ウイル・スチュアート名義で ) 、 ・ウィリアムスンの《シーティー》シリー

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りⅢⅢⅢⅢーⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅡⅢⅢ ウィリアムスンの『ヒューマノイド』 T んに 〃″襯の zo / ( 1949 ) と、マーク・クリフ トンとフランク・ライリーの『ポシイの時 代』 T ん 0 ' イ 4 の・おに / g ( 1957 ; T んおのでて℃ r 〕 / 〃のである。 戦後、人間の活動と行為の最も神聖かっ 中心的な領域への機械の侵入は、 S F の現 実味あるテーマとなった。たくさんの作品 の中で、芸術家が機械にとってかわられ たと気付く ( 芸術 ) ウォルター M ・ミラーの「時代おくれの名優」 "The DarfsteIIer ” ( 195 のが有名ーーそして人 間の最も親密な関わり合いでさえも、アン ドロイドやロポットによって置きかえるこ とが、ポビュラーなテーマとなった・一一一例 としては、レイ・ブラッドベリの「歌お う、感電するほどの喜びを ! 」 "ISingthe トマス・ N ・ス Body Electric ” ( 1969 ) 、 コーシャの "The lcebox Blonde" ( 196 の がある。 極限にまで至ったオートメーション 自己扶養的で進化する、機械的生命システ ムの確立にまで一一一というアイデアは、サ ミュエル・バトラーの『エレホン ( 山脈を 越えて ) 』 E ん。れ ( 1872 ) で考案さ れ、ロレンス・マニングの "Call 0 「 the Mech-Men ” ( 1933 ) や、エリック・ツ ランク・ラッセルの「メカニストリア」 "Mechanistria ” (1942) をはじめとするパル フ。 SF へ輸入された古いアイデアである。 しかし、戦後になると、このアイデアはよ り傑出した、適切なものとなった。それが 描かれているのは、次のようなすごみのあ る作品である。フィリッフ。・ K ・ディック "Autofac ” ( 1955 ) 、スタニスワフ・レム 『砂漠の惑星』 The ツ c ん ( 1964 ; 英 訳 1973 ) 、そして辛辣な風刺小説として、 ジョン・スラデックの T んに ro イ 4 け / て℃ Sy 立に襯 ( 1968 ; 異」訪の襯米 ) 、オーロ フ・ヨハネッソン T んに T 記 0 ア the 召 255 Co 〃にだ ( 1966 ; 英訳 1968 ; 異 The G Co 〃ゆ″ r 英 ) 。このアイデアは、 兵器の進化する体系をあっかったいくつか の作品で、とりわけ不気味なひとひねりを 加えられている。たとえば、フィリップ・ K ・ディックの「変種第 2 号」 "Second Variety ” ( 1953 ) 、 トランド・ラッセ ルの "Dr. Southport Vulps' Nightmare ” ( 1954 ) 、フレッド・セイバーへーゲンの 《只ーサーカー》シリーズーーその初期の 作品は、『 / く一サーカー赤方偏移の仮面』 おのだだ ( 集 1967 ) にまとめられている などである。 オートメーションの危険性をあっかった 戦後の警世小説には、かなりな数の新しい ディストピアが含まれている。例として、 マイクル・フレインの A 君だん 4 んびに ( 1968 ) や、 / 、一ラン・エリスンの ハーレクイン〃とチクタク 悔い改めよ マンはいった」“ 'Repent, Harlequin ! ' said the Ticktockman ” ( 1966 ) がある。 いくつかの注目すべき風刺小説で、オート メーションをあっかったものには、フレデ リック・ポールの「黄金の時代」 "The Midas PIague" ( 195 の、ビーター レル・フ・ラウンの、機械化された工場内 労働者の苦悩に関するシュールな考察、 & 〃 4 〃 c ' ゞ Day ( 1965 ) 、そしてハーラ ン・エリスンのオートメ化された性の探 究、「キャットマン」 "Catman ” ( 1974 ) などがある。これらの作品においては、い ずれも、態度に基本的な二面性が存続して いる一一進行する人間生活の自動化が堕落 であるという信念の一方で、それでもなま け心にとっては避け難い魅力が存在すると いう信念があるのだ。「時代おくれの名優」 の結末で、ロポット劇場が大衆は機械化さ れた芸術を好むという事実を受け入れざる を得なくなったとき、俳優は失業する。そ して流れが変わるまで、芸の道はなんとか XVII

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「あのポスターはね、結局」マルチーヌは言った。「売らざるをえ 「きれいに映るじゃない」 なかったのよ」 「いや、・ほくにはわかってるんだ」かれは言った。「ちゃんと証明 7 できる。きみ爪みがきかなにか持ってないかい ? それがあれば背 かれは眉をひそめた。 「覚えてる ? 」彼女は言った。「あなた、別れる時に、あれをわた板をあけて、なかを見せてやるから」 しにくれたでしよ。あのことは、わたし、本当に感謝してたの」 「でも、わたしにはちゃんと : : : 」 「で、いくらに売れたんだい ? 」 「それなら、これを見てごらん」背広をハンガーに掛けようとして 「ずいぶん高く売れたわ。そうねえあなたにも : : : 」と彼女は計算 いた手を止めて、ケミングズが言った。「いま、壁に手を通してみ した。「インフレのことも勘定に入れると、だいたい二百万ドルは せるから」かれは、そう言うと、右手の掌を壁に押しつけた。「い あげなくちゃいけないわね」 し、力し」 「ねえ、こういうのはどうだろう」かれは言った。「ポスターを売 かれの手は壁を通らなかった。なぜなら、手というものは壁を通 った分のお金はくれなくていいから、そのかわり、少しぼくと一緒らないからである。かれの手は、壁に押しあてられたまま、少しも にいてくれないかな ? ・ほくがこの惑星になれるまででいいんだけ動かなかった。 と ? 」 「それに、土台も腐りかけているんだ」 「いいわ、そうしましよう」彼女はいった。初めからそのつもりだ「いいから、こっちに来て、わたしのそばにすわって」マルチーヌ ったのだ。 が言った。 二人は、グラスを飲みほすと、ロポットの宇宙空港職員が運んで 「ぼくは、もう何度もこれを体験したから覚えてしまったよ」かれ きたスーツケースを携えてホテルへ向かった。 は言った。「繰り返し繰り返しこれを体験したんだ。まず、冬眠か 「なかなかいい部屋ね」マルチーヌがべッドのはしに腰かけて言っら覚める。次にタラツ。フを降りる。それからスーツケースを受けと た。「ホログラムテレビまであるわ。ちょっと、つけてみてくれない」る。時には、・ ( ーでなにか飲むこともあるし、ホテルにまっすぐ来 「つけても無駄だよ」ヴィクター・ケミングズが、洋服ダンスを開ることもある。部屋では、たいていテレビをつける。すると : : : 」 けてワイシャツを掛けながら言った。 かれは、歩いていって彼女の顔の前に手をさしだした。「ハチが刺 「どうして ? 」 したところを見てくれ」 「中には何も入ってないからさ」 「ハチの刺した跡なんかどこにもないわよ」 マルチーヌはテレビのところへ行ってスイッチを入れた。ホッケ 「それから、ロ・ホット医者が来る。・ほくは、かれからメスを借り ーの試合が突如実体化されて、部屋の中にカラー映像が飛びだしてて、テレビの背板をはずす。シャーシもなければ、コンポーネント シッ・フ きた。そして、試合の歓声が彼女の耳を襲った。 もないことを医者に証明するためだ。そして、また初めから、船が

10. SFマガジン 1981年6月号

のを、ふたたび感じていた。 。、ツク・ツアーの一団に混って、ケ 「夢をごらんになりました ? 」 ミングズが船外デッツキに立っていると、小太りの女が話しかけて やれやれ、船は独りつぶやいた。こんな調子であと十年間もやっきた。「わたしは、なにか見たような気がしますの。子供のときの ていくのか。この男にかかったら、どんな体験でも、幼時の罪意識光景でしたわ : : : もう一世紀以上も前の : : : 」 で、救いようもなく汚染されてしまう。かれは、妻が自分のもとを「ぼくは、記憶に残るような夢は見ませんでしたね」ケミングズは 去ったのは、四歳の時に、猫が鳥を捕えるのを手つだったからだと答えた。かれは、一刻も速くホテルにつきたかった。シャワーを浴 びて着更えをすれば、心のモヤモヤが一気にふきとぶような気がし 思いこんでいる。こうなったら、残る手段はただひとつ、マルチー ナとうやったら、わたしにそんていた。な・せだかわからないが、心がもうひとっ睛れなかった。 ヌに戻って来てもらうことだ。・こが、・ なことができるだろう ? 第一、彼女は、もう生きてはいないかも「あら、ガイドがきたわ」年配のご婦人が声をあげた。「ホテルま シップ しれない。しかし、と船は考えなおした。生きている可能性だってで案内してくれるのね」 同じくらいあるわけだ。そうだとしたら、前夫のために一膚脱いで「パック料金に入っているんですよ」ケミングズはそう言ったが、 くれるってことも充分考えられる。人間というものは、概して、非 依然として、気分は沈みこんでいた。ほかの乗客たちはみな、元気 常に建設的な一面を持っているものだからな。それにしても、これ いつばいで、生気があふれているように見える。しかし、かれだけ から十年間、この男の正気を守ってやるーーというかむしろ、回復は、倦怠感がいつまでも体に残り、打ちのめされたような感覚が心 おおごと してやる、ーーのは大事だそ。とにかく、とてつもない努力が必要だ にのしかかっていた。まるで、この植民惑星の重力がかれにとって ろうな。わたしひとりでは、とてもじゃないができそうもない。 は強すぎるかのようだ。おそらくそのせいだろう、とかれは考え とはいうものの、船にしてみれば、やはり、目的地につく願望充た。しかし、パンフレットによれば、ここの重力は地球のそれにほ シッ・フ ・ほ匹敵するという。それが、この惑星の魅力のひとつなのだ。 足夢を繰り返し見せる以外に手はなかった。こうなったら、と船は 心を決めた。かれに到着を経験させたあとで、いったんそれを意識戸惑いながら、かれはタラップを一段一段手すりにつかまってゆ 的記億からきれいに消し去り、またもう一度同じことを初めから繰つくり降りていった。本当は、ぼくなんか、新しい人生をやり直す り返すほかはない。この方法の唯一の建設的な面は、と船は考え資格なんかないんだ。ぼくは、ただ、やり直すふりをしているだけ : 。ほかの人たちとは違う。・ほくには、どこかおかしいところ た。わたしのなすべき仕事ができることだ。おかげで、こちらが気で : がある。なんだかはっきりはわからないけれど、とにかく、どこか が狂わずにすむ。 冬眠状態ーーといっても不完全な冬眠状態 , ーーに置かれていたヴおかしい。このたまらなく苦しい感じ、自分が無価値な人間だとい イクター・ケミングズは、船が着陸し、徐々に意識が目覚めてくるう気持は何なのだろう。 「やれやれ」ロポット医者はつぶやいた。 シップ