かってはポヒ。ュラーだったが、今では時 代遅れとなった理論に、オル / く一ス 学 ) のいい出した、アステロイドは大昔何 者 らかの宇宙的災厄によって粉々に砕かれた 惑星の破片ではないか、というものがあ る。 50 年代の寓意的な作品のいくつかは、 原子戦争が原因だったと示唆している。 の説はジェイムズ・プリッシュのスリラー T ん住 F ” Year ( 1957 ; F 記んれ & 。わ に顕著に現われており、一方その仮説的な 戦争が、レイ・プラッドベリの「睡魔」 "As1eep in Armageddon" ( 1948 ) では、 時を越え、人間の宇宙飛行士の心の中で続 いている。 アステロイドへの植民 ( 宇宙植民 ) は、 あまりポヒ。ュラーなテーマにはならなかっ た。ジャック・ヴァンスの“ I ' 11 Build Your Dream Cast1e ” ( 1947 ) には、アステ ロイド不動産の一連の取り引きが出てくる が、そこに関係するテラフォーミングの離 れわざを信じるにはかなり抵抗が伴なう。 チャールズ・プラットの Garbage Ⅳ 0 d ( 1967 ) では、アステロイドが惑星間娯楽 リゾートのゴミ捨て場となっているが、 れはあまりまじめにとるべきではない。広 く散らばった、タフな精神をもつアステロ イド・ベルトの社会、、ベルター″は、ラリ ーヴンの《ノウンスペース》シリー は、古いアナロジーにおおむね満足してお ーヴン ズで重要な役割を果たしている。 は、 "Barnacle Bull" ( 196 のがあった。 最も新鮮な最近のアステロイド小説とし ては、古い伝統をたくみに再使用して、新 しい生物学的、心理学的アイデアと混ぜ合 わせた、ジェイムズ・ティフ。トリー・、 ュニアの "Mother ⅲ the Sky with Diamonds" ( 1971 ) がある。 アイザック・アジモフがある思弁的な記 事で示唆しているところによれば、小さな アステロイドは中をくりぬいて、宇宙船の 穀とすることができる。だがこの好奇心を そそるアイデアが、小説の中で使われた例 はあまりない。 〔 B S 〕 、、くノレタ ″を精神面では過去の西部 植民者と同様とみなしている。彼らは探鉱 夫なのだ。このテーマのメジャーな作品の ひとつに、ポール・アンダースンの T 記ぉ 0 工 6 Flying Mo ″れ / ( 1963 ー 5 ASF ウ インストン・ P ・サンダース名義 ; 1970 ) がある一一アステロイドの文化の発達を、 その端緒から独立に至るまでたどった、挿 話的な長篇である。初期のサンダース名義 の作品でアステロイドを舞台にしたものに 269 アスタウンティング・サイエンス・フィク / ョン誌 ASTOUNDING SCIENCE ー FICTION アメリカの雑誌。 1930 年 1 月一 1941 年 12 月パルプ判、 1942 年 1 月一 1943 年 4 月べッ ドシート判、 1943 年 5 月一 1943 年 10 月パル プ判、 1943 年 11 月一 1963 年 2 月ダイジェス ト判、 1 3 年 3 月一 1965 年 3 月ペッドシー ト判、 1965 年 4 月からダイジェスト判とな って現在に至る。最初パフ・リッシャーズ・ フィスカル・コーポレーション社より創刊 され、後にクレイトン・マガジンズ社 ( 1930 年 1 月一 1933 年 3 月 ) 、ストリ ート・アン ド・スミス社 ( 1933 年 10 月一 1962 年 1 月 ) 、 コンデ・ナスト社 ( 1 囲 2 年 2 月一 ) に移っ た。編集ハリイ・ペイツ ( 1930 年 1 月一 1933 年 3 月 ) 、 F ・オーリン・トレメイン ( 1933 年 10 月一 1937 年 11 月 ) 、ジョン・ W ・キャ ンベル・ジュニア ( 1937 年 12 月一 1971 年 12 月 ) 、ペン・ポーヴァ ( 1972 年 1 月一 ) 。 ASF は、 パルプ雑誌の出版業者であっ たウィリアム・クレイトンが、おかかえ編 集者のひとりハリイ・べイツに、新しい月 刊時代冒険小説誌の企画をもちかけた時、 世に出ることとなった。彼が出版している すべてのパルプ雑誌の表紙を一度に印刷し III
部分的なリストを見ればわかるように、同 誌を記憶すべきものとするに充分だろう。 1940 年「鎮魂曲」 "Requiem" ( 1 月 ) 、 もしこのまま続けば “Ⅱ This Goes On ( 2 ー 3 月 ) 、「走れ、走 路」 "The Roads Must R011 " ( 6 月 ) 、 「疎外地」 "Coventry ” ( 7 月 ) 、 "Blowups Happen ” ( 9 月 ) 。 1941 年 & 靦ん Co んれ ( 1 ー 3 月 ; 1949 ) 、「歪んだ家」 "—And He Built A Crooked House—" ( 2 月 ) 、 「帝国の論理」 "Logic of Empire ” ( 3 月 ) 、「大宇宙」 "Universe ” ( 5 月 ) 、 "Solution Unsatisfactory ” ( 5 月 ) 、『メ トセラの子ら』 M ん記なん ' Children ( 7 ー 9 月 ; 1958 ) 、「時の門」 "By His Bootstraps ” ( 10 月 ) 、「常識」 "Common Sence ” ( 10 月 ) 。同じ時にヴァン・ヴォー トの名高い『スラン』 S れ ( 1 0 年 9 ー 12 月 ; 19 ; 國 1951 ) をはじめとする 数々の作品、アジモフ 「夜来たる」 "Nightfall ” ( 1941 年 9 月 ) と、《ロポッ ト・ストリーズ》の初期のものを含む そして他の作家たちの作品があった。 1942 年にハインラインを戦争にとられたにもか かわらず、キャンベルはルイス・パジェ ット″ ( ヘンリー・カットナーと C ・ L ・ ムーア ) 、フリツツ・ライバー、アンソニイ ・パウチャーらを得た。 1 2 年 1 月、同誌 はペッドシート判に変わったーーー用紙を節 約しながらもっと多くの語数を収録するた めである一一一しかし 1943 年にはパルプ判に 逆もどりし、数カ月つづいた後、 1 3 年 11 月、用紙不足が深刻化したため、最初のダ イジェスト判 S F 雑誌となった ( その同じ ことが、姉妹誌アンノウンを死に追いやっ た ) 。ウィリアム・テイミンズがロジャー スにかわって ASF の常連表紙画家となっ 0 ASF のこの分野における指導的地位は 40 年代を通して持続した。常連作家たちの 265 大半が、その魅力を増すためによく知られ たシリーズをもっていた。アジモフの《ロ と《銀河帝国》シリーズ、ヴァン ・ヴォートの《武器店》シリーズと 2 篇の もの、ジョージ・ O ・スミスの ーナス・イクラテラル》、ジャック 《ヴィ 《非 A 》 ポット》 VII 同誌以外のところであげたのである。 ASF 代の興味深い新人作家たちは、その成果を 安定をつづけたが、全体からみれば、 50 年 強い挑戦を受けた。依然として堂々とした シイ誌の出現により、 ASF の指導性は手 ンス・フィクション誌、 1950 年のギャラク 1949 年のファンタジイ・アンド・サイエ されたかのように見えた。 改称しようとしたキャンベルの意図が実現 なく一見したとき、それはまるで、同誌を にとまらないように色づけされた。なにげ ック文字にまで縮少し、しばしば事実上目 ウンディング / / という文字は小さなイタリ 、、アスタ 紙が、この効果に寄与していた。 ポーンステルの天体画を呼びものにした表 リアスな外見を保っていた。チェズリー はその 10 年間一貫してより落ち着いた、シ ばしいパルフ。誌であったのに対し、 ASF リング・ストーリーズ誌がとりわけけばけ 作を送り出していた。けれども、スタート った。同誌は 1948 年までにかなりな量の佳 とげたスタートリング・ストーリーズ誌だ は、サム・マーウインの目ざましい発展を この優越性に対する唯一のゆゆしい挑戦 ( 1947 年 11 月一 1948 年 2 月 ; 1954 ) 。 および『レンズの子ら』 C んれ the 工ぞれ 5 襯れ ( 1941 年 11 月一 1942 年 2 月 ; 1953 ) 『第 2 段階レンズマン』 & co れイ - & 4 科学英雄冒険物語の最後のあがきだった一 シリーズーーーその最後の 2 作は ASF の超 E ・スミスの並みはずれた《レンズマン》 ェット″の《ギャラハー》シリーズ、 E ・ ズ ( ウイル・スチュアート名義で ) 、 ・ウィリアムスンの《シーティー》シリー
版社としてしつかりした基盤のあるストリ ート・アンド・スミス社に買い取られ、 6 カ月の空白期間の後、 1933 年 10 月に復刊 し、月刊に戻った ( 以来現在までそれを維 持し続けている一一他のどんな雑誌も及ば ない記録である。アメージング誌でさえか なわない ) 。デズマンド・ホールはしばら くの間編集陣に残ったが、新編集長には F ・オーリン・トリメイン ( 偶然にも以前ク レイトン社に勤めていたが、 ASF には関 は毎号「実に多くの作品でおろそかにさ れ、見過ごされてきた」と彼がいうところ のアイデアを、展開してみせる作品を掲載 する、と。そういう小説の第一弾がナット シャクナーの "Ancestral Voices" だっ 、、異なった発想〃政策は同誌の一貫した知 的な企図だったというよりも、むしろ宜伝 文句にすぎなかったが、にもかかわらずト リメインとホールは、 1934 年の間に、 ASF をその狭い分野において、明白な優位に立 たせたのだった。同誌の原稿料はかっての 半分にすぎなかったが、それでも競争誌の 倍ちかくあり、そのうえ支払が迅速だっ た。 ASF は当時の指導的な作家に原稿を 依頼し、 1934 年には他の作品とともにそれ が呼びものとなった。ドナルド・ワンドレ イの「巨像」 "Colossus ”、( 1 月 ) 、ジャック ・ウィリアムスンの "Born of the Sun ” ( 3 月 ) 、および『宇宙軍団』 The ん g あれ 可、 ac ( 4 月一 9 月 ; 1947 ) 、ラインス ターの「時の脇道」 "Sidewise in Time" ( 6 月 ) 、 E ・ E ・、、ドック〃・スミス『ヴ ァレロンのスカイラーク』 S んの・ん 0 工 佐ん ro れ ( 8 月一 35 年 2 月 ; 1949 ) 、 C ・ L ・ムーア "The Bright lllusion ” ( 10 月 ) 、ジョン・ W ・キャンベル初めての、、ド ン・スチュアート″名義の作品「薄暮」 "Twilight ” ( 11 月 ) 、レイモンド・ Z ・ギ ャラン「火星人 774 号」 "Old Faithful ” ( 12 月 ) 、そしてキャンベル『 100 万光年の 死闘』 T ん M / g ん々・ e 立 c ん e ( 12 月一 35 年 4 月 ; 1947 ) 。チャールズ・フォートの ノンフィクション加 ! ( 1931 ) もまた連載 ( 4 月一 11 月 ) されたし、表紙画ではハワ ード・フ・ラウンの目を見張らせるような作 品が呼びものだった。また 1934 年の間に 同誌は 2 度分量を増やした。最初ページ数 を増し、つづいて活字を小さくすることに よって。この分野への君臨はその後何年も ジョン・Ⅵー・キャンベル 係していなかった ) が就任した。トリメイ ンが編集した最初の 2 冊は、 SF とオカル トとストレートな冒険小説の不安定なノくラ ンスの上にあったが、 1933 年 12 月号をもっ て同誌は SF 雜誌としての再確立をはじめ た ( ストリート・アンド・スミス社に身売 りされたことにより、誌名は再びアスタウ ンディング・ストーリーズになっていた ) 。 その号で、トリメインは、、、異なった発想″ 政策の明確化を宣言した。すなわち、 ASF 267
川川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川日ⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ つづいた。キャンベル風の超科学英雄冒険 物語は大体において影をひそめ、、、スチュ アート″のよりムーディな作品が人気を得 ていった。スタンリイ・ G ・ワインポーム は 1935 年 ( 彼の没年である ) を通じて常連 寄稿家であった。 H ・ P ・ラフ・クラフトの 作品が 1936 年に現われはじめた。トリメイ ンの意志である、 ASF を月 2 回刊にする こと ( 1935 年 1 月号で宣言された ) は実現 しなかったが、同誌は繁栄し、そして 1936 年 2 月号では重要で象徴的な一歩を踏み出 し、ページの端を切りそろえて、一挙にそ の外観を粗野な他誌とくらべはるかにスマ ートなものにした。 ASF に登場した他の 画家には、エリオット・ドールド、チャー ーマンカ ; いる。ジョン・キャ ノレス、・、ンユ ・レイは論説を寄稿し ンベルとウィリ た。 L ・スプレイグ・ディ・キャンプとェ リック・フランク・ラッセルがデビュー作 を載せた。注目すべきことだが、その同じ 時期に ASF の競争誌は弱体化していた。 アメージングもワンダー・ストーリーズ も、 1935 年には月刊から隔月刊に切りかわ り、翌年ワンダー・ストーリーズが売却さ れ ( スリリング・ワンダー・ストーリーズ と改称された ) 、そしてアメージングも 1938 年には同じ運命に脅かされた。トリメイン が 1937 年の終わりにストリート・アンド・ スミス社の編集局長に就任し、ジョン・ W ・キャンベル・ジュニアをその後継者とし て指名したとき、彼は順調で成功した事業 を手渡したのだった。 編集長となった最初の 18 カ月間、キャン ベルは同誌に大きな発展をさせることはし なかったが、それでも 1938 年にはレスター テル・レイと L ・ロン・ハハードの S F デビュー作を掲載し、クリフォード・ D ・ シマックを再登場させた。 1938 年 3 月にな って、彼は誌名をアスタウンディング・サ イエンス・フィクションに変えた。彼の意 VI 向は、、、アスタウンディング〃という彼の 嫌いなことばを徐々にぼかし、最終的にサ イエンス・フィクション誌に改称すること だった。しかしながら、 1939 年に同名の雑 誌が出現したため、それは実現されなかっ た。彼はしばらく異なった発想″の変種 である、 ータント〃号 ( これは ASF の一一そして S F 全体の進歩の方向に重大 な変化を示すだろう ) や、ソヴァ〃小説群 ( それは「基本的なテーマ以上に、その表 現法において斬新である」 ) をもてあそん こういった新エ夫はすぐに忘れ去られ た。 1939 年 3 月、彼は ASF の姉妹誌とし て成功した、ファンタジイ専門誌アンノウ ン誌を創刊した。 キャンベルのあの SF の黄金時代が始ま ったのは、 1939 年の夏だと厳密に指摘する ことができる。その 7 月号の ASF には、 A ・ E ・ヴァン・ヴォートの S F デビュー 作「黒い破壊者」 "Black Destroyer ”とア ジモフの "Trends" ( 処女作ではないが、 キャンベルへの売り込みに成功した最初の 作品 ) が掲載された。 8 月号にはロ / く一 ・ハインラインのデビー作「生命線」 ト "Life-Line ”が、 9 月号にはシオドア・ スタージョンの最初の S F 小説 "Ether Breather ”が載った。同じ時期にヒュー ート・ロジャーズが ASF の主要な表紙絵 画家として世に認められた。キャンベルの 活動的な編集者としての個性が、彼が世に 出した作家たちによって、しばしば証言さ れている。たしかに彼はアイデアを提供は したが、戦時中の ASF に SF 界における 目ざましい支配的地位をもたらしたのは、 多作で想像力豊かな作家たちが、同時発生 的に輩出したことによる一一その時代、 S F 雑誌の出版フ・一ムは、まず第一にかって より以上の竸争誌の存在を意味していたの である。 1940 年と 41 年の中心人物は、ハイ ンラインだった。彼の作品だけでも、その ギミック 266
ューン・砂の惑星』怩となった ; 196 の "Dune 、 vorld ” ( 1963 年 12 月一 1964 年 2 月 ) 、 "The Prophet of Dune" ( 1965 年 1 月一 5 月 ) によって記憶されている。 いずれも、 60 年代に同誌の常連アーティス トに加わったジョン・ショーンハーによっ て、すばらしいイラストがつけられてい た。しばしば寄稿するようになった他の作 家には、クリストファー・アンヴィル、ハ ・ハリスン、マック・レナルズがい リイ る。 同誌は 1961 年、 1962 年、そして 1964 年に もさらにヒューゴー賞を受賞した。 10 万部 以上の部数を維持していた ( 最も近い対抗 ' をの停ちかい数である ) けれども、ゆっく ルじ、ロ りとマンネリ化への道を下りつづけてい た。ところがキャンベルが 1971 年 7 月に死 去し、編集長の地位はべン・ポーヴァに取 って変わられた。ポーヴァの手による最初 の号は 1972 年 1 月号である。驚くにはあた らないが、 34 年間ほとんど唯一人の人間の 下にあった後、新しい編集長を得て、同誌 はかなりの活力を獲得した。キャンベルの 雜誌には居心地よくなかっただろうよう な、ロジャー・ゼラズニイをはじめとする 作家たちが登場しはじめた。編集方針は伝 統的な SF を志向していたが、一方よりリ べラルな態度が優勢となり、ジョー・ホー ルドマンやフレデリック・ポールの作品に は抗議する読者も現われはじめた。それら は同時代の水準からすれば穏健なものだっ たが、一部の古くからの読者には、 ASF 上で見たいと思わない種類のものだったの である。ホールドマンやジョージ・ R ・ R ・マーティンといった新人作家たちが世に 認められた。アーティストの幅が広がり、 ジャック・ゴーアンの参加や、リック・ス ターンバック、ヴィンセント・ティフェイ トの発見があった。ポーヴァはヒュ 賞の最優秀編集者 ( それは最優秀雑誌にか 263 わって授賞されることになった ) に、 1973 ~ 76 年の 4 年間、 4 回とも選ばれた。同誌 の部数は非常な高水準を保った。 ジョン・ W ・キャンベルは ASF から集 めたたくさんのアンソロジーを編集した ( 彼の項目を見よ ) 。他にも多くのアンソ ロジーが、同誌から幅広く作品を得た。事 実、最初のメジャーな S F アンソロジーで ある、レイモンド・ヒーリイと J ・フラン シス・マッコーマス編の『時間と空間の冒 険』 d 眦れ r お切 T / 4 れ S 第 4 化 ( 1946 ) は、 35 篇のうち 3 篇をのそいた残 りすべてが、 ASF に初出なのである。 2 巻本のハリイ ・ハリスンとフ・ライアン オールディス編 The A 立 0 ″れ必ツ g - れ記 og イ ( 1972 、 1973 ) には、 ASF の歴 史に関する有益な研究が載っている。べン ・ポーヴァ編 The みれ og み〃れ″を ( 1976 ) は、同誌の当 3 月号″として予定さ れたオリジナル作品の短篇集である。 ASF のはじめの 20 年間の雰囲気は、批評的では ないがノスタルジックに、アルヴァ・ロジ ャーズの A に″ん襯工 br み 0 ″れ市れ g ( 1964 ) によってとらえられている。 〔 MJE 〕 航宙 ASTROGATION 字義的には、星による導き。 SF 用語と しては、航海の宇宙版であり、航宙士 (astrogator) といえば、ふつう宇宙船の 最も重要な船員のひとりを意味する。たと えば、ハイバースペースを越えるジャンプ の後など、航宙士がいくつかの星を、たい ていは分光分析によって同定し、三角法で 自分の位置を確認する必要がある。〔 PN 〕 天文学 ASTRONOMY アリストテレス的地球中心説 ( それは教 IX
1 川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日Ⅲ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢ ll イ・ギルモア ( べイツとホールの合作ペン ネーム ) で、その《ホーク・カース》シリ ーズは、 ASF スタイルのスペース・オペ ラを縮図的に示している。 1931 年 2 月、誌名がアスタウンディング ・ストーリーズへと短縮されたが、 1933 年 1 月にはまたフルタイトルが復活した。 1932 年後半、クレイトン・チェーンが財政 難にぶつかり、同誌は不定期刊となった。 1933 年 3 月、クレイトンはビジネス界を去 ていた紙の、余白を埋めることが主な目的 たった。べイツは逆に、アスタウンディン グ・ストーリーズ・オフ・・スーパー・サイ ェンスという名の雑誌を提案した。提案は 容れられ、 1930 年 1 月、第 1 号がその誌名 で出版された。べイツが編集長となり、副 編集長にデズモンド・ W ・ホール、編集顧 問にダグラス・ M ・ドールド ( 彼は 1931 年 に短命なミラクル誌の編集長となった ) が 就任した。先輩格のアメージング・ストー リーズ誌と違い、サイエンス・ワンダー ストーリーズ誌とェアー・ワンダー・スト ーリーズ誌が、どちらかといえばふつうの パルフ。雑誌以上の線をねらい、よりまじめ な体裁を装って、ヒューゴー ガーンズ / く ックの、、、サイエンティフィクション〃を 通じて科学への興味を引き起こそうという 伝道者的志向から生まれたものであったの に対し、 ASF はむしろ臆面もなく冒険活 劇パルフ。誌であって、、、サイエンス〃は単 に刺激を増し、そのすさまじいメロドラマ にもっともらしさという薄い化粧板をつけ 加えるためにだけ存在していた。その風味 とは、次のような宣伝文句から連想される ようなものである C"The Pirate Planet ” チャールズ・ W ・ディフィン作、 1931 年 2 月号へのもの ) 。「地球と金星の地下世界の 協力により、ロにするもおそましい人間も どきトーグへ下される、正義の大攻勢」 クレイトン社版 ASF の表紙絵は、すべ てハンス・ウォルデマー・ウェソロウスキ ( ウェッソ ) の作品で、代表的なもの は、男 ( あるいは女 ) が、巨大な昆虫や一 ーキング・コングを先取りしたーー巨大な 猿に脅かされているというものだった。常 連寄稿者には次のような名前がある。マイ ルズ・ J ・フ・ルーアー、レイ・カミングス、 ポール・エルンスト、フランシス・フラッ グ、 S ・ P ・ ーク、ヴィクター・ルソー 最も人気のあった作家のひとりはアンソニ 「アスタウンディング・ストーリーズ・ オフ・・スーパー・サイエンス」 1930 年 1 月号 ( 創刊号 ) り、同誌は休刊した。この時期の大半の作 品が当然のことながら忘れ去られているに もかかわらず、 ASF は創刊当時強力でか なり成功した雑誌であり、原稿料が競争誌 より格段に高かったので ( 発売時かそれ以 後に 1 語半セントではなく、入稿しだい 1 語 2 セント ) 、マレイ・ラインスターやジ ャック・ウィリアムスンといった作家たち を引きつけたのだった。 同誌の出版権は、パルプ・チェーンの出 268 IV
川ⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅡⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢ の 1950 年 5 月号は、 ードのダイアネテ ィックスに関する論文を掲載し、それは後 にサイエントロジーとなる擬似科学を創設 した。これはキャンベルの、 S F のアイデ アが実現するのを見たいという高まる願望 の前兆で、それはスペースドライヴやサイ オニクス装置の裏庭発明家たちに対する実 りのない擁護運動に、彼を引きずり込んで ゆく。彼のエデイトリアルは一一風変わり で、効果的に計算され、独断的なうえ、時 には不愉快なほどェリート主義的でほとん ど人種差別主義者に近いほどのものだった かって作家たちにアイデアを提供し が ていたエネルギーの大半を吸い取ってしま った。そのエデイトリアルで提起された考 えの多くは、ランドル・ギャレットやレイ モンド・ F ・ジョーンズをはじめとする、 いつもの常連作家たちの一団によって、し かるべく小説に反映した。 ASF の新たな 寄稿者には、ポール・アンダースン、ジェ イムズ・ブリッシュ、ロ / く一ト・シルヴァ グ、ゴードン・ディクスンをはじめ とする多くの作家たちがおり、新しいアー ティストには、著名な者をあげると、ケリ ・フリーズ、エムシュ ( 工ドモンド・エ ムシュウイラー ) 、そして H ・ R ・ヴァン ・ドンゲンがいる。同誌は堂々とした中年 期にさしかかったのだ。 SF ファンの人気 は依然高く、 1953 年、 55 年、 56 年、 57 年と ヒューゴー賞を受賞している。 1960 年のうちに、同誌の誌名は徐々にア ナログ・サイエンス・ファクトサイエ ンス・フィクションへと変わり、、、アスタウ ンディング″はしだいに影をひそめてかわ りに、、アナログ″がより目立ち始めた。そ の題名の由来は、キャンベルがいうには、 S F が「新しい科学的、社会的、経済的ア アナグ イデアを考えるのに都合のいい、類推シス テム」だからである。記号は、科学的事実 をサイエンス・フィクションへと「変換す VIII る」ことを示している。 ( 1965 年 4 月号を もって、何の説明もなく 2 つの要素の順番 が入れ変わった。そこでそれは、サイエン ス・フィクションをサイエンス・ファクト へと変換することになった ) 。ストリ ・アンド・スミス社は息を引き取り、同誌 はコンデ・ナスト社に引き継がれた。これ は重要な変化だった。なぜなら、それは ASF に並みはずれた配本を ( グッド・ ウスキーヒ。ング誌といった雑誌群の一員と ダイジェスト判に戻った。大判の号は、お ていたため、 1965 年 4 月には、スマートな 出費の多い製品が要する営業的支援を欠い なべッドシート判となったが、そのような た。 1963 年 3 月、同誌は非常にエレガント しだいに増大する困難に直面しつつあっ のライバルたちは、配本と陳列に関して、 して ) 保証したからである。同じ時に、そ ョーンハーの表紙絵 「アナログ」 1962 年 6 月号。ジョン・シ もにフランク・ ートの最初の 2 つの 《デューン》連載 ( 統合されて長篇『デ 264
ひづめの球節には強烈なにおいの湿布をして。スパリーンの治療はだ人間だがおれは生きている、と。かれは古い型の生粋のヴァーカ なぜか人間よりも動物に効いた。おこりとか歯痛でヴァ 1 カラの医ラだった。人間ならいわゆる大歯のあるところに、ヴァーカラはも 術が必要なときなら、草原の遊牧民たちは、シャーマンでもある父っと鋭い猫のような牙がある。人間や家畜を治療することで、スパ 親のフレニーアや、兄のヴァイランスのところへ行く。けれども、 リーンは于がもとめる特殊なごちそうを得ていた。ロシア人を診る やられているのが馬だとなると、これはもう何をおいても、スパリ ときには、注意ぶかく牙を隠していなければならない。夜出歩き人 ーンをつかまえようとするのだった。 間の血をすする者たちをスラヴ人は忌避の目でみる。けれども、 スパリーンは、いつもそう簡単にはつかまらない。父親とロぐらタタール族とかカルムイク族といった草原の遊牧民たちは、ヴァー いききあう仲でいるうちはフレニーアのユルトにいるのだが、ロをカラの医術を歓迎したし、月々お礼として血を払いにくるのだっ きかなくなったりすると、それはけっこうたびたびあることだった のだが、山奥のサーカシアの女のところにいたり、草原のノガイ・ 今月はお礼が少なかったから、月が欠けるまでにもっとかせがな タタール族の女と一緒だったりするのだ。もちろん、ひとりでいるければならないことはわかっていた。ヴァーカラたちが″血の月″ ときだってあった。ひとりつきりで小さなテントを張り、かれが死とよぶその時分になると、渇きは狂気にかわる。幸い今夜は仕事が のような昼の眠りにおちているあいだ草をかんでいる、金色の眼を入っていた。ューセフ・べイのところの種馬が病気らしいのだ。な した雌馬だけをつれて。 おしてやれま、 。しいかせぎになるだろう。 すべて闇の子どもたちがそうであるようにス。ハリーンもまた馬の テントから鞍をひつばり出し、スパリーンは鋭く口笛を吹いた。 言葉を話したが、かれは馬以外の動物の言葉を学ぶのにも時間をか金色の眼の雌馬がやってきた。雌馬のつややかな黒い腹に腹帯をし けていた。自分の霊獣であるかわうそのサムルをヴォルガのほとりめ、くつわのはみを緩めてやるあいだ、馬はしん・ほう強く待ってい の寝ぐらから呼び出し、シャツの衿もとに毛皮のようにまきつけるた。薬草からっくったせんじ薬と、ドイツ製の小さな綱のメス、針 ことさえできるのだった。 を二本入れた鞍袋をのせると用意はととのった。 深くすんだスパリーンのうた声は、コサックの村でうちならされ「今夜はどっち、仕事なの ? 」ヴァーカラだけにわかる馬の言葉で る大きな教会の鐘の音のようにひびく。シャーマンの父親にかわっ雌馬が聞いた。 てまじないのうたをうたったり、居酒屋で卑猥なロシアの酒盛り唄「今夜は仕事さ」ふくらんだ鞍袋をたたいてみせながら、ス。 ( リー をうたうのをきいていると、人々は何時間でもきき飽きるというこ ンがこたえた。 とがなかった。 「じや飲むのは明日だね」 誰かがかれのことをヴァンパイアーと呼ぼうものなら、かれはそ「まあな」ふと思いついたようにテントにもどると、ス・ ( の広い肩をすくめて言ったものだ。ヴァンパイアーというのは死ん山羊皮でできた酒袋をもってきて、鞍の前輪になげあげた。 こ 0 リーノよ
〈ショート・ショート・コーナー〉 憂し、立女血 ~ イ・ーし十イ角 リヴィング・インサイド・ユア・一フヴ 無垢な少年の心は幻覚の罠に : まだ地上的な天使 東結した旅 草原の吸血鬼 ぬすまれた視界 装置の故障がもたらす意識の檻 血を報酬に医術を施す彼ら きらひやかな c.n u- イメージ 種族間の憎悪を乗り越えるものは : レンケの街に迫るガイの軍勢 我、らか宀女自の日々〈連載第五回〉 1981 年 6 月号 目次 フィリツ。フ・・一アイック 6 美濃透訳 スーサン・ O ・ヒートリイ 0 4 ・ 室住信子訳 坤・兄悟 0 栗本董 . 大原まり子 亀和田武巧 2 10 1 、、ご彡
「フネ爆破シタノハオ前タチノ方ダ。私ノフネハ、オ前メチノ船ニ 私たちは二人とも、悲鳴をあげて、からだを泳がせた。 ・フッケラレテ爆発シタ」 地面がゆれているー それもまるで、私たちを放り上げ、うけとめて、叩きつぶそうと 私はまたききかえした。甘ずつばい希望がっきぬけていった。 「それじゃ、お前はあの敵船に乗ってたのかーーそして、船どうしでもしているかのように。 がぶつかって爆発して、この星へとばされたのか ? じゃ、この星私の手から・フラスターがすべりおちた : 私は立っていられなくなってうずくまってしまった。そこへいき は、お前たちの植民星じゃなかったのか」 なり、やわらかい、・フョッとしたかたまりがころがってきた。 「コ / 星 , ーー何ト云ウ星ダカ、ワカラナイ。初メテダ」 敵のからだを反射的に私はうけとめた。はるかな向こうの地平 あいては云った。 で、ゴゴゴゴーーーというようなすさまじい音とともに、大地がパ、 ワレワレハ 「オ前ノ方ガ、一対一ナラ、大キイ、カモアル。 オ前タチ / ョウナ野蛮ナ種族デハナイ、カデハ、カナワナイ。 殺シタケレ・ ( 、殺セ。コレマデ、何万人モノ愛スル同胞ヲ、ソウシ タョウニスルガイイ」 「それはお前たちのことだろう」 私はかっとなった。 「お前のような劣等種族から、野蛮などと云われることはない。お 前たちが、どんなに捕虜にひどいことをするかはよく知っている。 私の夫も、お前たちのせいで死んだ。ーー私の復讐は正当だ」 「野蛮人 ! 」 異様に小さい、血で汚れたロがゆがんだかと思うと、やつは、 きなり、ペッと私に血のまじった唾を吐きつけた。 「このーーー」 怒りにつきあげられて、・フラスターの台尻で殴りつけてやろうと 手をふりあげたときだ。 いきなり、大地が鳴動した ! 「ああっ 書泉カクマ - ト、 駿河台下角四 4-00 代 書 5 ス 4 階美術・家庭・児童 3 階辞典・参考書・図鑑 2 階王里工学・医学・農業泉月ホ 1 階雑誌・文学・文庫 地階法律・経済・社会 ク囹ツ 1 月 千代田区神田 四 5-00 闘代 階 30 神保町 1 ー 3 6 階辞典・学参・当みト て ( 火 ) ア 5 階電気・機械・建築 4 階医学・生物・理イヒ学 3 階法律・経済・就職 2 階哲学・教育・社会 1 階文学・詩歌・文庫 士也階芸術・家庭・児童 ー 45