体 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1981年9月号
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1. SFマガジン 1981年9月号

や、灰色がかった白い冬や宮廷のむっとする熱気の中ですごした陰の粗いレースの袖にくるまれていて、肌ざわりが悪く異和感があり 気で無ロな娘たちと同様にあたくしに責任はありませんでした。そましたドこういう首を白鳥のようなと形容するのでしようが、その 3 2 して、ここで、陛下のおそばで起ったことにもあたくしには責任が首の上に不自然さを感じさせない、畏敬の念を起させる威厳をもっ ございません。そうではないでしようか、あたくしはあたくし以外た頭が載っておりました。編んだ髪の下からのそいている耳、可愛 のだれでもないのですから。あたくしに責任があるとすれば、重大らしいふくよかな耳たぶには耳飾りもついていなければ、どういう わけか穴もあいていませんでした。額と頬と唇にもさわってみまし な責任があるとすれば、それはあたくしがなにもかも承知してい て、それがごまかし、虚偽、あぶくであると思っており、自分の秘た。それがどんな表情をしているか指先で感じとると、ふたたび不 密の深淵に達したと思っていながら、おりていくのが怖く、目に見安が募ってまいりました。 - 期待しておりましたそれとはちがった表 えない障害が道を塞いでいることを、恥かしいことですが感謝して情をしていたからです。ぜんぜんちがっておりました。でも、どう いるという、そのことたけでした。ですからあたくしの魂は堕落しして狂気や病に蝕まれていない別の自分が存在しえるのでしよう ていると同時に潔白でもあったのです。それ以外にまだなにかあるか ? でしようか、見落しているものはないでしようか ? そうでした、 お伽噺にすっかり魅入られてしまった無邪気な子供がやるよう また残っているものがありました。あたくしの体です。そこであたに、おずおずと手首のほうへ、そして肘のあるべきところへ手を伸 くしは、腕のいい刑事が犯罪現場を調べるように、自分の体に触ばしました。ところが伸ばした手が出会ったものは腕ではなく、な にかわけのわからないものでした。神経と血管がなにかで締めつけ れ、暗い閉ざされた箱の中で体を探ってみました。それにしてもな 裸の体を探っておりますと、指られてでもいるように、指先の感覚がすっかりなくなっておりまし んて奇妙な捜査なんでしようー た。ふたたび心が疑惑から疑惑へと駆けめぐりはじめたのです。こ 先にかすかなしびれを感じたからです。それは自分を恐れていたか らかもしれません。でもあたくしは美人でしたし、体は張りがありのことをどこから知ったのでしよう ? どうして解剖学者かなにか しな 嫋やかでした。手で自分の腿を強くみました。まるで他人の腿ののように自分の体を調べたりなどしたのでしようか ? こんなこと ように、自分の体をそんなふうに扱う人はいないにちがいありませは、アンジェリータや金髪の躾係りや詩的なトレニックスのような ん。ぎゅっと力をこめて掴みますと、馨しい香を放っているなめら娘たちがやることではありませんでした。ところがそれと同時に、 かな肌の下に、長い骨があるのを感じました。でもどういうわけかむりやり気持を鎮めようとしてそっと暗示をかける声がしました。 手首と肘のあたりの内側には怖くてさわることができませんでしこんなことはごくあたりまえのことよ。自分に驚くことなんかない わよ。あなたは気紛れで空想にばかりふけっているお馬鹿さんよ。 、懸命にその恐怖感を克服しようといたしました。いったいそこに少しぐらい気分がすぐれなくても、じきによくなるわ。約東した逢 なにがあるのでしよう ? 腕は首のところまで、いくらか手ざわり引きのことを考えるのよ、さあ : : : でも肘は、手首はどうしたんで こ 0

2. SFマガジン 1981年9月号

後輩たとかいうアシスタントは、今日はお休みらしい あ、しいてあげるなら、メンドリがその任にふさわしいだろうけ 「仕事 ? 悪かったかな」 ど、これもあまりアテにならない。 「なーに、かまやしないよ。ちょうどコーヒーが飲みたいなーと思 「たまごだな。ーー作りものか ? 」 ってたところだ。そこらへんに、適当に座っていいよ」 俊一は、それをとみこうみしながら、恭兵に訓ねかけた。 俊一は、あっさりとエアコンプレッサーのスイッチを切って、サ「良くわからん。俺の体から出てきたんだ」 イフォンの準備を始めた。机の上には、半分できあがったメタリッ「体 体つて、体のどこから ? 」 ク美人が、超ビキニで微笑んでいる。 恭兵は一瞬、言葉につまった。 「う : 「ポスターかい ? 」 つ、つまり : ・ ( えいくそ ! ) 肛門、からだ」 「こ 1 もん ? 」 「プールさ。夏だからな。それより一体どういう風の吹き回しだ ? 会社はどうしたんだい」 俊一は、その言葉の意味をはかりかねているというような顔付き 「ちょっと、ね」 で、しばらく眉を寄せていたが、不意に目を見開き、ひゅうと音を 「おやおや。こいつあ、いよいよただ事じゃないらしいな。良子さたてて息を吸いこんだ。口を二、三回パクパクさせて恭兵の顔を見 つめ、次に、目玉を落っことさんばかりにして、掌の中のものを凝 んと喧嘩でもしたか」 コーヒーカツ。フを間に置いて、恭兵のむかいにあぐらをかいた俊視した。恭兵は、今朝のいきさつを、かいつまんで話してきかせ 一は、大げさな表情で目をむいてみせた。コ 1 ヒーを一口すすってた。 「ーーーというわけだ」 から、恭兵は切り出した。 「実は、相談したいことがあってね : : : 」 「どう思う ? 」 「ほう 「これなんだ」 「やつばり、それ、何かのたまごだと思うかい ? 恭兵は、ポケットからたまごをとり出し、俊一に手渡した。恭兵 が、このヒゲ面のいとこに相談する気になったのには、幼なじみの 気安さということもあったが、俊一が時々、小さな雑誌に妙な マンガを載せていることを知っていたし、つらがまえからして、 かにもこういう事態の専門家らしく思えたからである。もっとも、 落ち着いて考えてみれば、手前の尻からたまごが出てくるなどとい う馬鹿気た事件に、専門家もへチマもある筈はないのだが : ・ 「おい」 「俊ちゃん ? 」 。ま恭兵は台所に立ち、コップに水をくんで戻ってきた。少しの間た それとも : 0

3. SFマガジン 1981年9月号

た。小さいのを選んだのは、恐怖からと言うよりむしろ美的理由かると胎児の手足のように折りまげた , ーーベンチのように細いーー四 らです。 肢があたくしの体の中へ入っていくのが見えました。不意に、それ いままさにわれとわが身にナイフを突きたてようとしているわたがそれではなく別のものだということを理解いたしました。やはり しの姿が鏡に映っておりました。それは細部の最後のひとつまで、それもあたくし自身だったのです。だから、庭の小径のしめった砂 統一された様式を保っている劇的なまでに完璧な光景でしたーーー天の上を歩いたとき、あんなに深く足跡がついたのです。だから、あ 蓋つきの広い寝台、二列に並んだ蝋燭、手にもった金属の輝き、蒼のかたが不意に部屋へ入っておいでになったとき、あたくしはこん 白な顔ーーー体は死ぬほど怯えきっていましたし、膝は萎えそうでしなに強いのだ、こんなに強いのがあたくしだと、繰り返していたの たが、メスを持った手だけはしゃんとしていて微動だにしませんでです。 うつかりしていたので ドアに鍵がかかっていませんでした した。強く押しても屈しない卵形の抵抗物がいちばんはっきりわか る、胸骨のすぐ下のところへ、深々とメスを突きたてますと、一瞬す。あのかたは愛人と密通するときのように忍びこんでこられまし 痛みを感じましたが、それはただそう思っただけで、傷口から流れた。言いわけと盾の代わりに、赤いスラの大きな花東を差しだしな 出た血はたった一滴でした。肉屋のような技を見せることはできまがら。あたくしが恐怖の叫び声をあげて振り返りましたから、あの かたはご覧になりましたーーーでもおわかりになりませんでした、理 せんでしたから、ゆっくりと解剖学的な慎重さでもって、歯をくい しばりしつかりと目を閉じて、ほとんどおなかのところまでまつぶ解されませんでした、できなかったのです。あたくしが両手で銀色 たつに切り開きました。とてもそれを見るだけの気力はありませんの卵を体の中へ押し戻そうとしましたのは、驚いたからではありま でしたが、まだ立っておりました。でももう震えてはいませんでしせん。息がとまるほど恥かしかったからです。でもあまりにも大き た。ただ、体は氷のように冷えきっていました。耳ざわりなまるですぎましたから、さらに切り裂いてようやく押しこみました。 あのかたの表情、声にならない悲鳴。そして逃げだされました。 喘息の発作を起したような息遣いが、どこかほかのところから聞こ えてくるみたいに部屋中に満ちていました。切り裂かれた白い外皮どうかこんなことを告白するのをお許しください。あのかたはあた がめくれ、銀色に光るなかば体に埋まったものが鏡に映っておりまくしの許しを得ることも、招かれることも期待できなかったもので した。それはあたくしの体内に隠されていた胎児が、血のでない。ヒすから、花を持って訪ねてこられたのです。ところが家にはだれも ンク色をした肉がふたつに裂けたひだにつつまれているようでしおりませんでした。あたくしがしようとしたことをだれにも邪魔さ 非のうれたくありませんでしたから、召使いたちを全部外出させてしまっ た。こんな姿を見るとは、なんて恐ろしいことでしようー ちどころがないみごとな銀色の表面にどうしても触れることができたからですーーほかに方法がありませんでした。おそらく最初の疑 ませんでした。小さな柩のような楕円形をしたものが、縮んだ蝋燭惑は、あのかたのお心にもすでに芽生えていたと思います。前日、 の炎を映して輝いておりました。あたくしは身動きをしました。す干上った河床を二人で渡ったときのことを思いだしました。そのと 239

4. SFマガジン 1981年9月号

はじめに闇、冷たい炎、尾をひく唸り。それに、火花を散らす長が、ひょっとしたらそれは夢だったのかもしれない。 い紐が巻きついた黒焦げのおびただしい鉤。それが私だ 0 たものを眼が覚めたときのことはなにも覚えていない。だが、不可解な衣 遠く〈運んでいた。そして、身をくねらせている金属の蛇。ロ吻にずれの音と冷えびえとした薄闇に包まれていたこと、私た 0 たもの 似たその平らな頭がその私だったものに触れると、そのたびに電光の中で、広い光の帯が粉々にくだけ散って無数の色彩に変っ・ていく なかに世界が忽然と出現したことは覚えている。そしてさらに、敷 のような激しい、甘美ともいえる戦慄が走った。 円ガラスの向うからじっと見つめていた深味のある眼が、じよし居をまたいだときの自分の行動にひどく驚いたことも。上から強烈 ょに遠ざかっていった。だが、ひょっとしたら動いていたのはこちな光が、さながら色彩の坩堝のように色とりどりの垂直体の群れに らであって、私だったものが、麻痺と長敬と恐怖を呼び起す別の目注いでおり、それらの物体の上に球体が載っていた。そしてそれに が見つめている視界の中へ入っていったのかもしれない。どれくらはこちらを向いている水に濡れた一対のボタンがついているのが見 い、仰向けになって旅を続けていたのか、それはわからない。そうえた。あたりを圧していた暄騒がびったりと鎮まった。その不意に さすら して漂泊っているうちに、体が膨らみ自我意識が生れ、己の限界を訪れた静寂につつまれて、私だったものはさらに一歩、そっと足を 探し求めたが、いつになったら自分の形態を把握できるようになる踏みだした。 そのときだった、体の中で絃を粥く、耳には聞こえない、感覚で のか、それをはっきりつきとめることも、どこで膨脹がとまるの か、その場所を知ることもできなかった。そういう状態のなかで、 それとわかる音がして、あたくしは自分の体内に不意に性が漲るの 唸りと炎と闇に満ちた世界が始まったのた。そのあとすべての動きを感じました。それがあまりにも強烈だったものですから、眩暈が がとまって、私だったものを送り渡し、そっと持ちあげ、ペンチのして、まぶたを閉じてしまいました。そうして目をつぶって立って 手に引き渡して、火花で縁どられたロの中に押しこんだ非常に繊細 おりますと、周囲からことばがどっと押し寄せて . まいりました。性 な触手も姿を消した。しかし、私だったものはまだじっと動かずにといっしょに言語も身についたからです。目を開けて、につこりと ほほえみ、進みはじめますと、ドレスがいっしょに衣すれの音をた 横たわっていた。その気になれば自分で動くこともできたのだが、 まだその時ではないことがよくわかっていたからた。そうやってなてました。張りの入ったスカートにとりまかれる中を、あたしは威 にも感じないまま体を斜めにしてーーそのときは、傾斜した平面の厳をもって歩いてまいりました。自分がどこへ向かっているのか存 上に横たわっていたからだ・ーー私だったものは、最後の充電、吐息ひじませんでした。でもかまわず歩きつづけましたのは、それが宮廷 くちづけ とっ聞こえない聖餐式、戦く接吻に体を緊張させた。それは、行動舞踊会だったからです。ほんのちょっと前、頭を球と、目を濡れた ボタンと見間違えたときの、あの勘違いを思いだし、馬鹿なことを を起し、明りひとつない円い穴の中へ這いこめという合図だった。 そして私だったものはなんの抵抗もなく、冷たく滑らかな凹面に触した女の子のように思え、おかしくなりました。だからクスッと笑 ってしまいました。でもそれは自分だけの忍び笑いです。耳を澄ま れ、その上へ石のように無感動な安堵を感しながら横になった。た 2 ー 7

5. SFマガジン 1981年9月号

どの窓も黒い口をばくりとあけ、なにも映っていない。中もしんと かったからだ。わからないと言えば、自分がここへやってきたのは 静まり返っていて、まるで長いあいだ死だけがそこに住みついてい救済者としてなのか、それとも殺人者としてなのか、その点もだっ るような感じだった。よく見ようとして、私は夜間用視覚を作動さ た。そのとき、かって経験したことのない、私にとってはじめて せ頭を石の部屋に入れ、触覚の先端の明るい眼を開くと、そこからの、まったく説明のつかないなにかが眼を覚まし、それが乙女のよ 奥にむかって燐光が流れた。正面には、ざらざらした石板でこしらうな恥しらいに満ちた不思議な感情で、私の戦きのひとつひとつに えた、煤だらけの暖炉があり、その中に何本かの薪と、焦げた枯れ意味をもたせ、圧倒的な歓喜となって私に襲いかかった。その激し 枝がとっくに冷えきって転がっていた。ほかには、壁ぎわに腰掛いよろこびの感情に私は驚き、それが私を創った者たちの分別のあ け、錆ついた道具、くしやくしやにしわになったべッド、 部屋の隅らわれではなかろうかと訝った。しかし、自分が救済と殺害の両方 に転がっている、石のようにこちこちになったパンらしきものもあ ができる無限の力を選べるように創られているのかもしれないが、 った。侵入を妨げるものがなにもないことがわかって、ショックそうだと断言する自信が私にはなかった。不意に、短い反響がし、 をうけた。無人の部屋が私を手招きしているのが信じられなかっそれに続いてつぶやくような声が下から聞こえてきた , ーーもう一度 た。部屋の反対側にあるドアは開いていた。だからよけいにそれが鈍い物音。それは重い物が倒れるような音だった。あとは静寂。屋 罠らしく見えた。だから入ってきたときのように音をたてずに外へ根から這い下りはじめた。腹を半分に折らんばかりに体を曲げ、上 出ると、また上へ登りはじめた。かすかに明りが漏れている窓があ体で壁にびったりと張りついていた。後足と針の鞘はまだ屋根の端 ったが、それに近づくことなど思いも及ばなかった。ようやく屋根のところにあったが、やがて緊張のあまり頭を震わせながらぶらさ の上へ這いの・ほったが、そこは一面雪で覆われていた。番大のよう がったまま、開いている窓のほうへ近づいていった。 に腹這いになって、夜が明けるのを待っことにした。二人の声が聞床の上に落ちた蠑燭は消えていたが、燈芯はまだ赤く光っていた こえてきたが、なにを喋っているかまではわからなかった。身動きから、夜間用の視覚を使ってテーブルの下を探ると、そこに人間の もせず体を横たえ、敵におどりかかってアルルホデスを解放する瞬体が見えた。それは明りの加減で黒く見える血を大量に流してい 間を熱望すると同時に、恐怖を感しながらこちこちに体を緊張させた。体内でしきりに跳びかかりたがっていたが、まず空気を嗅い て、針で止めを刺す格闘の推移を無言で想い浮かべていた。一方でだ。すると血とステアリン酸の臭いがした。それは知らない男だっ は、心の底で自分が、そこに意志の源を探し求めているのではな た。と言うことは、ここで格闘があり、アルルホデスが私より先に く、たとえどんな小さなものでもいいから、殺す相手を一人にすべこの男を殺ってしまったということだ。いつ、な・せ、どのような方 きかどうかを明確にしてくれる証をしきりに求めている姿を見てい法で、といった疑問はまったく感じなかった。なぜなら、人けのな た。いつ、その不安な気持が去ったのか覚えていなかったが、ま いこの建物の中にいるのは自分と彼だけであり、彼は生きており、 だ心がきまらないまま腹這いになっていた。自分で自分がわからな今は私たち二人だけだという事実が落雷のように私に衝撃をあたえ とこ 254

6. SFマガジン 1981年9月号

く・ほか方法がなかった。逃亡者たちも同じことをしていたが、一直跡を探しまわると、やっと小さな穴の中にそれを見つけた。そのと 線ではなくジグザグに跡を残していた。だからしよっちゅう岩からき不意に、岩が崩れて白っぽく見える斜面に、逃亡者の一人が転落盟 這い降り、岩のまわりをぐるぐるまわって、空中で震えている臭いのしたらしい痕跡が目に入った。崖縁から体をのりだしのそきこんで 分子をとらえなくてはならなかった。こうして連中が登った絶壁のみると、山の中腹あたりに小さな人影が横たわっていた。私の鋭い しぶき ところまでたどりついたのだ。やつらは攫ってきた男の手をここで視覚は、石灰岩の上に黒ずんだ飛沫がとびちっているのまでとらえ は放したにちがいない。だが彼が連中と行動を共にしたことにべっ た。それは、倒れている男のまわりにしばらく血の雨が降った感じ だん驚きはしなかった。引き返すわけこよ、 冫 ( しかなかったのだから。 だった。ところが他の二人は屋根づたいに立ち去っていたのだ。こ 克明な足跡と、あたたかい石の表面に残っている三人の臭いを追っれでアルルホデスを護っている敵は一人になってしまったと思う て登っていった。岩角や溝、割れ目を手がかりにし、垂直によじ登と、がっかりした。なぜなら、これまで一度も、これほどまで自分 らなくてはならなかった。逃亡者たちは足がかりになるものだったの行動の重要性を感じ、これほど醒めていると同時に陶酔状態にあ ら、切り立っ絶壁の割れ目にしがみついている苔のかたまりだろうる闘争のよろこびを味わったことがなかったからだ。私は斜面を駆 と、東の間でも足を支えてくれるならばどんな小さなくぼみでも利け下った。逃亡者たちは、断崖の中腹に死人を置きざりにしたまま、 用していた。や 0 かいな場所で頻繁に登るのを中断し、先へ進む道そちらの方角に向 0 ていたからだ。きっと連中は急いでいたし、転 を調べなくてはならなか 0 たが、連中の強い臭いが残っていたから落した男が即死だったことがは「きりしていたからだろう。巨大な すぐ道はわかった。しかし、岩肌に触れないかぐらいのたいへんな 門柱しか残っていない大きな教会の廃墟のような門。側壁。光って スビードで駆け登っていったのだ。そして体内で鼓動が激しくなっ いる空を背に、ひょろっとした弱々しい木が輪郭を浮かびあがらせ ていき、見事な追跡を続けるのに合せ、それが音楽を奏で歌って、 ているたったひとつの窓に近づいていった。その木は、風がひとに た。かれらこそ私にふさわしい連中だったからだ。そして、かれらぎりの埃の中へ播いた種から成長したのだが、それがどんなに英雄 にたいする賞賛と同時によろこびも感じた。なぜなら、いくらかれ的な行為であるかまるで自覚していなかった。石門のむこうには高 らがこの命がけの登攀をやりとげようと、それは三人が組になって いところまで延びている別の山峡がはじまっており、その一部はも 行動し、鋭い岩角に麻の臭いを残したロー。フで体をつないでやったやに隠れ、かすかに光る雪を降らせている低くたれこめた雲におお ことだが、私はたった一人でらくらくとそれをやりとげたからだ。 われていた。櫓のような岩が影を落している近くで、小石が崩れ落 それに、この宙にかかった小道から私を叩き落せるものなどいはしちる音がしたかと思うと、それが雷鳴のような轟音に変り、地滑 ない。頂上では、ナイフのような尾根を吹き渡ってくる強風が待ちり が起って岩が斜面をがらがらと転がり落ちはじめた。私の脇腹か かまえていた。だが、眼下に空気で青くかすみ、地平線まで拡がつら火花がとびちり、煙が立ちのばるほど激しく石が体に当ったが、 ている景色を振り返って眺めてみることもせず、尾根を往来して臭肢を体の下に引っこめて石の下の浅いくぼみにとびこみ、そこで最

7. SFマガジン 1981年9月号

いで見つめておりました。あのおかたに息があるあいだは、一息ご たからだ。それと同時に、花嫁であり殺人者であるあたくしは、そ の体が最後の息を引きとるようにビク。ヒク痙攣するのを、まばたきとに体から血がなくなっておりましても、あたくしは自分に自信が なかったからです。でも、あたくしの義務は、あのかたが最後の息 しない眼でとらえ、身震いしました。あのかたと対面するよりは、 一対の眼と二対の眼が合うよりは、このままこっそりと雪山の世界を引きとられるのを見とどけることだということはよくわかってお へ立ち去ってしまうほうがいいのかもしれません。言いかたを変えりました。なぜかと申しますと、国王のくだされた判決は、たとえ ますと、あたくしがなにをやりましても、滑稽でおどろおどろしくあのかたが断末魔の状態にありましようとも執行されなくてはなら なかったからです。ですから、まだ息があるとすれば危険を冒すわ 見えるよう運命づけられていたのです。そこで蔑みと冷笑をあびた ときの感覚が秤を傾け、それがあまりにも強烈に襲ってきたものでけにはまいりませんでした。だからと言って、では自分があのかた すから、あやうく体がずり落ちそうになりました。それでもまだ待・を生き返らせたいと思っているのかと言われても、それもよくわか ち伏せをしている蜘蛛のように頭を下にしてぶらさがっておりましりませんでした。もしあのかたが、そこで眼を開けられ意識をとり た。そして、窓枠に腹板がこすれて軋みましても、そんなことは気もどされて下からあたくしを見上げられましたら、きっと、他人の にしないで素早く弧を描いて死体を跳び越え、ドアのところへ駆け子を孕んだあたくしが、祈るような恰好をしておずおずと自分を殺 そうとしている姿を、これは結婚式だろうか、それともあらかじめ 寄りました。 いつ、どのようにしてそれを押し開けたのか覚えておりませんで企んだ無慈悲なそのパロデイだろうかと思われるかもしれません。 しかし、ついに眼を開け意識をとりもどされることはありません した。敷居をまたぎますと、そこに螺旋階段があり、その上にアル ルホデス様が首をうしろへ捩り、擦り減った石に頭をもたせかけてでした。あたくしとあのかたの間に、かすかに輝く雪が一陣の風と 倒れておいででした。二人はこの階段で争 0 たにちがいございませともに窓から吹きこみ、夜明けの明りが射しこみ、建物全体が吹雪 ん。だからほとんど物音が聞こえなかったのでしよう。あのかたがで泣き声をあげはじめたとき、あのおかたは最後にもう一度うめき 声をだされ、息を引きとられました。やっと安心しましたあたくし 足許に横たわっておいででした。そして肋骨が動いておりました。 ええそうなんです、裸だ 0 たのです。それは、あたくしには未知は、ご遺体にび 0 たり寄り添い抱きかかえ、しつかりと抱擁したま の、あの最初の夜に舞踊会の広間で想像しただけの、あのおかたのま、昼も夜も、吹雪が溶けないシーツであたくしたちをつつんでく れた二日間、そこに横たわっておりました。そして三日目に、太陽 裸体でした。 苦しそうに息をしておられました。瞼を開けようとなさっているが昇ってきたのです。 ようでした。やっと眠を開けられましたが、最初は白目だけでし た。あたくしはうしろへさがり腹部を起し、捩れて上を向いている お顔を見下したまま、あのかたに触れもしなければ、後込みもしな 255

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ノよ、つつ .. 肌の下に感じたあの固い瘤のようなものは ? あれは腫たいそれは何なのでしようか ? どこから現われたのでしよう ? れあがった淋巴腺だったのでしようか ? それともカルシウムの凝あたくしの魂でしようか ? それとも愛 ? さもなければ神でしょ 3 結 ? そんなことがあるはずがありません。だって、それじゃあた しいえ、いるのはあたくしだけでした。あたくしは一人で跳びあ くしの美貌と、その完璧な美しさと矛盾するではありませんかー でもあそこには、たしかに固いものがありました、小さなものでしがり、柔かいクッションを張った壁を食いやぶり、詰めものを歯で たが。それを感じとれるのは、掌の少し上の脈搏が消えるあたりを引き裂き、乾いた粗い布地がびりびりと音をたててやぶれました。 唾といっしょに繊維をべっと吐きだし、指の爪ははがれかけており 強く押したときだけでした。そして、肘を曲げるあたりにも。 ですから、あたくしの体も独自の秘密をもっているということでました。まついいでしよう、ひどいものだわ。いったいだれにたい してそんなことをしたのか、自分にたいしてなのか、それともだれ した。それが不可解なところは、あたくしの魂が変っている点や、 自己を深く内省するときの魂の恐怖にも符合するところがありましか他の者にたいしてなのかわかりませんでした。でも、もうこんな た。体の秘密にも、真実や適応、均斉が認められました。こちらにことはいやです、いや、いや、どんなことがあってもいや : 前方に小さな蛇の頭のようになにか光るものが現われました。で あるものはそちらにも、こちらが魂であればそちらは四肢、こちら もそれは金属でした。針でしようか ? 膝の少し上あたりの腿を、 があたくしであれば、そちらはあなたがいました : : : あたくしと、 あなた : ・ ・ : なにもかも謎ばかりでした。すっかり疲れはててしま外からなにかで刺されました。それはかすかに一瞬痛んだだけで、 、その激しい疲労が血液の中に浸透し、ついにはそれに屈服せざ一度しか刺されませんでした。それだけであとはなにごとも起りま るをえなくなりました。眠りに引きこまれ、忘却の彼方へーー・ー解きせんでした。 なにごとも。 放たれていく別の闇の中へ沈みこんでいくほかありませんでした。 ところがそのとき不意に、その衝動に逆らい、閉じこめられている 優雅な馬車の箱に ( 中はけっして優雅などとはいえませんでした庭は薄暗く陰気でした。そこは宮廷の庭園だったのですーー歌を うたっている噴水、同じ高さにすっかり刈りこまれた生垣、木立と が ) 抵抗しようという固い決意がわきおこってきたのです。それは 聡明ですばらしく頭の回転が早い女性たちの魂だったのです ! そ灌木が織りなす幾何学的な模様、石段、大理石の彫像、貝殻、キュ ー。ヒッド。そしてあたくしたち二人。どこにでもいる、しかしロマ れそれが、見えないところに奴隷の烙印を押された美しい自分の肉 いったいあたくしは誰なのでしょ ンチックで絶望に満ちたカツ。フル。あたくしはあのかたに頬笑みか 体にたいして反抗したのです ! う ? あたくしの抵抗はすでに激怒に変っており、それが闇の中でけました。腿にはまだ刺されたときの跡が残っていました。あのと あたくしの魂を燃えあがらせておりましたから、実際に赤々と輝いきあたくしが反乱を試みた魂と、これまたそこであたくしが憎悪を っ感した肉体が、ここでは同盟を結んでおりましたが、あまり巧妙と ているようでした。にもかかわらず主体はまったく別でした。い

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さて、たまごを常に肌身はなさず持ち歩ぎ、暖めるためには、一 たまごなのだ。親近感も格別というわけだろう。 恭兵は、まるで新しいオモチャを与えられた子供のように、喜々体どうすればよいだろう ? もちろん動作の邪魔になるようでは困 るし、かと言ってハラまぎに入れておくなんてやり方では、外から としてノートにペンを走らせ続けた。 ゴクラク目チャッミ科に属する中型の鳥。成すぐにわかってしまう。これは、あくまでも『和泉恭兵氏のひそや 『茶摘み極楽鳥。 そう。ご 鳥は、金色の冠毛と、七色に光る長くて美しい尾羽を有し、珍重さかな愉しみ』でなければならないのだ。としたら : : : ? れる。尾羽が七色に光るのは、クリスタル製のゾリズムで構成され名答。脇の下に、 ( ンモック状の布でつるしておくのが一番だ。 始めの内は、どうにもくすぐったくて仕様がなかったものだが、 ているからで、時には二メートルの長さに達するものもあるとい う。鳴き声もまた非常に美しく、あたかも金の鈴をころがすようだ三日もすると、まるで体の一部のように、たまごはすっかり馴じん と表現されているが、その声を実際に聞いたことのあるものはきわでいた。 めてまれである。棲息圏は主に成層圏。極地のオーロラの中で、し恭兵は脇の下にたまごをはさんで、毎日会社へ通い、夜は夜で、 ばしば発見される。英名を Au 「。「 ean C 「 ane ( オーロラ鶴 ) といわひとりになれる時を見つけては、たまごを磨いたり、あるいはノー トに成長記録 ( ? ) をつけたりして愉しんだ。表面上は、以前と何 れる所似である。この種の特徴として、非常に長命であり、一万年 に一回、人間の体を借りて一つだけ卵を生む。薄象牙色をしたその変ることのない生活。しかし : ・ 卵は、九九九日間の間、ひと肌で暖めなければならず、人工孵化は 「あなた、最近変わったわね」 現在までのところ成功していない。食餌も特殊で、新鮮な処女の心 タ餉の片付けをしながら、良子はさり気ない風を装って言った。 臓を朝晩やらなくてはいけないのだが、ビニール ( ウス栽培のトマ トで代用できるという嬉野すぐる博士の研究もある。さて、茶摘みノートに『これといった変化なし』の文字が三十近く並んだ、ある 日曜日のことだった。娘のゆきえが、ごちそうさまを言って、 極楽鳥の解剖学的所見についてだが・ : の前にすっとんで行った直後である。のんびりと茶をすすっていた 恭兵は、この不意討ちにむせ返りながら答えた。 「そ、そうかな ? 」 翌日から、和泉恭兵の " めんどり生活。が始ま「た。幸いにし「そうよ。最近、ぐちを言わなくな 0 たわ」 「そうかい ? 」 て、その後たまごが出てくることはなかったから、彼の扱うたまご はそれ一個だけですんだ。恭兵自身、そのことはある程度、予感し「毎日楽しそうだし」 ていたことだが、翌朝、陶器の中を覗きこむ時には、さすがにかな それは事実だった。懐の中のたった一つのたまごが、人生にこれ りの勇気と決断力を必要とした。

10. SFマガジン 1981年9月号

すると彼が言った。 それを芯に接続して、どんなにいじりまわしても結局破減を招くよ 「そうは言っても、おたくはまだ己を抑えることができるかどうか うに細工をします。そして最後に封印をしますが、そのあとはかれ 4 2 わかっておらんのではないかな。自分でそう告白したはずだ ! 」 らでも針を取りはすすことができません。つまりあなたもそういう 「たしかにおっしやるとおりです。しかし、適当な方法が見つかる状態にあるのです。また、追われている者が、別の衣裳に着替え、 と思います。今のところまだはっきりしたことは言えませんが 外観、仕種、臭いをすっかり変えてしまうこともよくあることで たぶん腕のいい職工頭が見つかり、彼が私の体の正しい回路をつきす。しかし、精神構造まで変えることはできません。ですから機械 とめて、私が自分で選択したことが私の運命になるように手直ししが上下の嗅覚を使って追跡してもうまくよ、 ーし力ないでしよう。しか てくれるかもしれません」 し魂の個々の特徴に精通した非常に優秀な専門家が念入りに作った すると修道僧が言った。 質問で、これはと思う相手を説問することができます。あなたの構 「旅立つ前に、よければ神父の一人に助言を求められるがよい 。と造もそうなっていますよ。あなたの体の中には、先輩たちが誰一人 言うのは、その神父はここへ来る前、俗世でその種の技術に精通しもっていなかった装置や、狩猟機械には必要のない記憶がやたらに ていたからだがね。今はここで医者としてわたしたちを助けてくれつまっています。つまり紛らわしい名前やことばの言いまわしに満 ている」 ちた経歴、女性の経歴が記録されています。そこから伸びている導 私たちはふたたび陽が当る庭に立っていた。自分ではそうと気づ線が致命的な芯につながっているのです。だからおたくがどういう いていなかったかもしれないが、修道僧は、まだ私を信じていない 方法で作られているのかわたしにはわかりません。ひょっとした ことがわかった。足跡は五日のあいだにすっかり消え失せてしまっ ら、完璧な機械なのかもしれませんよ。針を取りはすせば命とりに ていたから、彼は正しい方角でも間違っている方角でも、どちらでなりますから、はずすことは不可能です」 も教えることができたのだ。私は彼のすすめにしたがった。 「針は私にとって不可欠です」仰向けになったままで私は言った。 医者は、当を得た慎重な態度で私の体を仔細に眺め、懐中電灯の「誘拐された人をいそいで助けだしにいかなくてはならんのです」 、明りで腹部の縁金の隙間から体内を照らした。その際、彼よド / 冫丿「たとえおたくが渾身の力をふりし・ほっても、いま申し上げた問題 常な忍耐力と注意力を発揮した。やがて立ちあがると、修道服からの芯に取りつけてある閂を抑えていられるかどうかについては、イ 塵を払い落してから言った。 エスとも / ーとも言いかねます」まるで私のことばが聞こえなかっ 「この種の指令を与えられて送りだされた機械は、死刑囚の家族やたかのように、医者が続けた。「わたしがしてさしあげられること 友人、あるいは当局には理解し難い理由から国王の決定を無に帰そは、もちろんあなたがお望みならばの話ですが、たったひとっしか くだん パイプ - うとする連中に待ち伏せされることがよくあります。慎重なお抱えありません。つまり細かく砕いた鉄粉を件の場所の両極に管でふり 武具師たちは、それを防ぐために指令の内容をしつかりと密閉し、 かけることぐらいです。そうすればいくらかおたくの自由の境界を