そこでは、一人の男が突然変異を誘発する 放射線を浴び、ウェルズの描いた百万年後 の未来人のステロタイプとなるが、そこか ら退化しはじめ、ついにはアメースとさし てかわらぬ原形質になってしまう。このよ うに人類の長期にわたる進化の見通しにつ いてパルプ SF は執拗なペシミズムを抱い ており、それはたとえば J ・ B ・ S ・ホール ディンの "The Last Judgment" ( 19 ) 、 オラフ・ステープルドンのん 4 立 0 れイ耘立 Men 等の見通しと比べると、奇妙なほど 対照的で、その理由を説明するのは容易で ない。ジョン・ W ・キャンベル・ジュニア の「薄暮」 "Twilight ” ( 1934 ; ドン・ A ・ スチュアート名義 ) でも、進化は機械への 過度の依存 ( ディストピア、オートメー ション ) を通して衰退という考え方に結び ついている。しかし、こうした発想の結 びつきはとうてい普遍的とはいえない。 キャンベルの作品「最終進化」 "The Last Evolution" ( 193 ので、 S F 作家が究極の ( 望むべき ) 進化の果てとして考えだした 、、純粋意識体〃に最後に進化するのが、創 造主ではなく機械であるというのは意味 深長だ。ショーは『思想の達し得る限り』 で、こうした段階への人類の進化を運命で パルプ S F でこの命題 あると描いたが、 が明確に打ち出されたのはかなり後のこ とーーーエリック・フランク・ラッセルの "Metamorphosite ” ( 1946 ) の中である。 S F 雑誌の作家たちは、同時代人の標準タ イプに非常な信頼と信仰を寄せており、逆 にジャンル外の作家、たとえばホールディ ンなどは、進化論的図式として、人類に大き な変化の起こるさまを描いている。クロー ド・ホートンの作品 T んなⅣのん 0 T れま ( 1935 ) の主人公は、いったん未来の人類 の光景を見てしまった以上、時代遅れの同 時代の様式が消えるまでじっと待っておれ なくなってしまう。オラフ・ステーブルド 268 さいにどんな内容かほとんど知らなかった ものの、突然変異というアイデアには過度 に触発された ( ミュータント ) 。突然変 異を誘発する放射線が、進化をかなり激 しく加速するという作品がつぎつぎと現 われた。ジョン・ティンの Seeds ん 1951 ) 、『鉄の星』 The 。れ ( 1931 ; Star ( 1930 ) 、エドモンド ・ / 、ミノレトン ) "Evolution lsland ” ( 19 ) などがこれに 該当する。この発想はばかげたものだが、 彼らの想像力に力強い手がかりを与えた点 『宇宙水爆戦』 ハミルトンの作品はま は否定できない。 た、退行的進化 ( 退化 ) という擬似科学 アイデアに根強い関心を見せているが、 れはすでにジョージ・アレン・イングラン ドの Da おゞ 4 れイれ ( 1914 ) でけば けばしく取り扱われ、さらにオラフ・ステ ープルドンの 4 立 4 れ d 窺立れ ( 1930 ) でも、一部分に登場している。このアイデ アの具体的なイメージは、 ハミルトンの 「進化した男」 "The Man Who Evölved" ( 1931 ) にいちばんうまく描かれている。 IV
り、その結果これらはすべて小説上の装置 としてのみ残された。 ミクロコスモスへの旅の人気のある一変 種は人間の体内への旅で、映画『ミクロの 決死圏』ⅵ c Voyage はこれを扱 い、同題 ( 1966 ) でアイザック・アジモフ により小説化された。しかし、空想旅行記 ( S F および純粋ファンタジイ双方で ) の 舞台として手つかずのまま長い間残されて いた重要な想像世界は、、、内宇宙″であ る。精神への旅の物語を書いたパルプ S F 作家の一人は L ・ロン・ハバー ドで、その 作品はアンノウン誌に載ったファンタジイ "Typewriter in the Sky" ( 194 のと "Fear" ( 1940 ; 1957 ; だ Ty. ゑ ew だ 切 Sky 1951 ) である。この面でのハ ードのパイオニア精神は、後年彼を SF を書くよりももっと利益のあがる事業に 進ませることになる ( ダイアネティック ス ) 。精神への旅を描く S F 作品が現われ だしたのは、彼から少し後のことである。 有名な作品としては、ビーター ・フィリッ プスの「夢は神聖」 "Dreams are Sacred ” ( 1948 ) 、ダニエル・ F ・ギャルイ "Descent into the Maelstrom ” ( 1961 ) 、そしてフ ィリッフ。・ K ・ディックのクラシック 2 長 篇『宇宙の眼』 Eye 切 the Sky ( 1957 ) 、 『ュービック』 U 房ん ( 1969 ) がある。 こうした想像世界の開放は、 S F 作家の 物語づくりの能力に果てしない領域を与え たと言えるだろう。物理学、生物学、社会 学、形而上学、いずれをとっても S F の約 東ごとを使ってうまく作品化できない思弁 はない。どんなことでも、すべてが起こり うる流動世界への旅 - ーーそこでは登場人物 は、混沌もしくは神のような創造者の無力 ないけにえとなる一一一を想像することがで きる ( 例、ウォード・ムーア "Transient ” 1960 、 M ・ K ・ジョーゼフ『虚無の孔』 The 〃。ん切加 1967 ) 。数学的抽象世界 XIV への旅さえ可能である ( 例、 / ーマン・ケ イガン「数理飛行士」 "The Mathenauts ” 1964 ) 。 こうした可能性は他のどんな分野 にも存在しない。 S F だけがそれを使える 約東ごとの枠組みと、小説上の装置として の語彙をひきだすことができたのである。 それは、 SF 作家がさまざまな理由でこれ まで展開されることを強く禁じられてきた 潜在力によるものだ。彼らは一一・いろいろ な落ち度はあれ一一とにかくこうした領域 に最初の標識をうち立てたのである。 空想旅行記はいちばん簡単な形をとる と、挿話的なビカレスクになり、その機能 はバロック風の異様な設定の中で一連の冒 険物語をただ展開するものとなる。けれど も、これより志の低い形式をもっことはま れである。たいていの場合、空想旅行記は 探求の形式をとる。 20 世紀に書かれたもっ とも有名な例は、 J ・ R ・ R ・トールキン のファンタジイ 3 部作『指輪物語』 The ん 0 the Rings ( 1954 ; 1954 ; 1955 ) だ。探求の対象は、個人のこともあれば、 物体のこともあり、場所のこともある。し かし、さまざまな土地、あるいは宇宙をぬ けていく行為によって、ふつう主人公の心 には一種の成熟もしくは受容への成長が同 時に見られる。これが自覚という面に向 け、ジャンルの心理学的な様式を使ってな されるのが J ・ G ・バラードの『沈んだ世 界』 The D 加記Ⅳ ( 1962 ) であ る。作品中で植物の繁茂する光景は主人公 の状態そのものの象徴と化している。哲学 的な認識を目ざす作品には、ディヴィッド ・リンゼイの『アルクトゥールスへの旅』 がある。主人公は、肉体、意志、さらには 精神的変容への熱望を、罠として見るよう になる。現実とは、厳しい、苦痛にみち た、ロマンチックにはほど遠いものなので ある ( 詳細は形而上学 ) 。世界の外的な 本質や、世界の仕組みを理解するための新 258
よ ー -1 ー 1 ー 1 ー -1 ど 、そ 。赤 ど蛙 り ど涙 八そ う 手 か よ の に の いん 穴投 。抱 蛙 のな しは 日 に ! 蛙意 にげは れ の きたぎ い 投こ な どた フ 地 あ く げん わげ がて り よ だ た と と に う ら : 地 る わ な 。私し ん わ 右 し 、に 。る 赤 手そ はた る の ん く しな 思 の を の らだな か わで わ ずあ し っ ら し、 よ ール・コーリン (Vladimir Colin) は ウラジミ て て刺 と 叫る か 1921 年プカレスト生れ。アドリアン・ロゴズ , イオ ら て し い ョ ん み なや た た わ ア で ン・ホノくナと並んで現代ルーマニア SF の草分け三 力、 の た ナ つ た 羽烏の一人である。ルーマニア作家の例にもれず詩 った し 0 よ た でデビューし , 雑誌記者となり , やがて「フラーカラ の けよ び や 」誌や「ヴィアツツア・ロムニャスカ」誌の編集長 く か を勤めるかたわら , 戦記を書き , ついでメルヘンの ど も り も あ あ 創作や再話に専念する。 1960 年代に入ると盛んに思 げ そ う 弁的な S F を発表して西欧で注目を集めた。「蛙」は そ 掌 ぼ り る れ 自選短篇集「クロ 出 も う 以 し ノスの歯』 ( 1975 日 上 て の 年 ) におさめられ た 皮 駆 け ているから , 作者 としても気に入っ ね た作品の一つであ はだ に と う ら で どそちなけな 言消ち ョ る ろうが彼の本領は 、いる 毋 ら ア ん し、 の は むしろ該博な歴史 ナ な 。ど 、しは で寝 ら と は夢 、苦し て都や の知識と哲学思想 すを翌 く 右 日 、会め つは の枠組を基礎に神 ま見朝そ も た 、腕 人て じそ 話的な想像世界をま ゆれナ を は しぶ きだ死て ら出 う と かか 構築する長篇作家 肩 し掌 ら ら っ ん ん に し、 というところがル と 軟 てただ赤 と て 、か を ーマニア S F では貴重な存在である。 、か ョ く す 。よ み いさ 蛙げ掌 ア疥 く う よ を た 1967 年の『ペンタグラマ』は寓話的 , 神話的な長 ナ癬 てがわ 塗 め ゃ 篇で , 永劫不変の神話的マトリクスのもとに継続し 眠 と つを た し、 シ し、 指て連み る た 変動する世界という思想の証明を試みている。ロゴ のや れの ツ ヨ ズはすでに第一線を退き , ホノくナも作家同盟書記の て蛙 て何や . 皮 ア っ の 仕事に忙しく実作から遠ざかっているが , コーリン い回枕膚た 家 ナ がたか 。に カ を は 1978 年のレくべル』で健在ぶりを示した。この最 そ入と の寝 / し を 近の長篇は息を呑むばかりの場面転換 , 節を追って り の よ 力、 、聞 高まる神秘感 , 3 人のヒーローの鮮かな対照にスト どを 日 っ っ 冫こ 掌し さ ては ーリー・テラーとしての円熟を示すソフィステイケ ゆ 力、 っ わ いかをた ートされた作品で , 一方にマッド・サイエンティス う 、て ゆ るた ア か 寝 さ ル ら トを置いて人格の尊厳を問いながら想像力の自己実 い の し、 返だた へ 力、 コ に ( 訳者 ) 現をテーマにしている。 り か よ ツゆ ナこ は を で う ま ド し、 ノレ 94 解 説 人と作品 ウラジミール・コーリン 市 m か C 加
ンのん立れイ窺 r 立 ( 1930 ) は、お そらく SF でもっとも雄大な進化論的展望 を描いた作品であり、今後 20 億年にわたる 人類の未来の進化を正面から予測してい る。そこにはときとしてぎこちない文章も 見うけられるが、人類が神に近づく究極の 調和状態への情熱にみちた思いがのべられ ている。単純な楽観思想には決して陥らず ( あらゆる災害や進化の袋小路が物語のい たるところで待ち構えている ) 、なおかっ 同書は、ダーウイン説による進化のメカニ ズムが、生物工学や遺伝子工学とある程度 組み合わされて人類を前進させ、もっと神 学的な作家ならエデンの園と見なしたかも しれない場所へ人類を導いていくと、信念 をもって示唆しているのだ。もっとも、保 守的なクリスチャンは、これが神の導きな くして達せられるのを見て、腹を立てたに ちがいない。ただ、ステープルドンは直接 に神の名を出していないけれども、ある種 の究極的に慈悲深い宇宙的な基本計画もし くは運命を信じていたような節がある。 うしたテーマは彼の作品の大半に現われ る。 SF でこれほどダーウイン理論に忠実 に、その可能性を純粋に ( ときとしてナイ ーフ・に ) 賛美した作品は、他に見出すこと ができない。 1940 年代のパルプ S F 作家は、進化思想 への取り組み方を著しく変えはじめた。お そらく何人かはステープルドンに影響され たのだろう。そして、進化のイメージも目 に見えて変化した。ウェルズ型の未来人 は超人類 ( スーバーマン ) におきかわっ た。新しいタイプの進化した人類はまった く旧人類と変らぬよう見えるが ( ときどき 何本かの触毛とか、禿頭とかの例外はある にしても ) 、精神面に新しい能力をひそま せている。これが人類の進化のつぎの段階 への必然的発展であるという発想は、 J ・ B ・ラインの ezv ho 加研気ツ d 267 ( 1937 ) で一般化した。同書では S P は すでに存在しているが、意識されず、潜伏 しているのかもしれないとしている。誰も が自分ではまだ気づかないが超人かもしれ ないというこの発想には強い説得力があ り、ラインの人気を長期間保っと同時に S F で進化の恩恵的側面がますます強調さ れる助けとなった。おもしろいことに、 S F 雑誌外の小説分野では、ちょうどこの頃 から進化に対する興味が失せはじめてくる 『人間以上』 のである。 は、アーサー・ C ・クラークの『幼年期の れらは例外とする ) 。いちばん重要な作品 のような作品はそれまでにもあったが、そ プテーマの小説 "Evolution's End ” , 1941 に扱ったロバート・アーサーのアダムとイ か生まれてきた ( 循環する歴史をナイープ の核にした作品がはじめて SF にもいくつ メカニズム ( 生得の運命を含めて ) を発想 にもそれ相当のフ・一ムを生み出し、進化の 心の高まりは、 S F のこのサフ・・ジャンル 第二次大戦後の精神面の進化に対する関
うになったけれども、無知から作り上げら れたステロタイプのイメージにおきかわる までにはいたらなかった。 S F にはまだ、 ェコロジーや進化、共生 ( 寄生と共生 ) といった概念を、せいぜい良く見ても興味 ある隠喩として、最悪の場合にはぼんやり とした抽象論として扱うような傾向があ り、それは最近かえって強まっているのか もしれない。他の星での進化のパターンも ( 宇宙生命 ) 、論理的というより楽園神 話的な方法で述べられることが多く、これ は生物科学にじゅうぶん精通した作家の作 品においてさえも事実なのである。 異星人の生活系の進化的説明には、通常 宇宙植民といったテーマが結びつけられる ことが多く、二足動物優位説その他を説明 するためにありふれた収斂理論が適用され る。遺伝の継承のシステムがちがうため に、われわれのそれとは異なる原理に支配 されているような進化過程を想像しようと いう試みは非常に数少ない。ラマルク説的 な進化をとげた異星の生物界を想像した作 品はいくつかあり、 ・ペイ リーの "Mutation PIanet" ( 1973 ) はそ れに含まれる。しかし、そうしたべつの進 化の過程が可能な遺伝機構を考案しようと した作品は、唯一、フ・ライアン・スティフ・ ルフォードの "The Engineer and the Executioner ( 1975 ) だけと言えるだろ う。根本主義キリスト教徒は、まだアメリ 力の学校でダーウイン説を教えるのに抵抗 しようとしているが、進化論についての議 論は SF では決着がついてしまっている。 そして、自然淘汰説の空想的な道具立て は、主に他の優先事項によって形づくられ る諸解釈を正当化するための補強論理とし て使われている。進化はもはや S F では思 弁を刺激する重要な要素ではなくなり、単 遠未来や宇宙生命の紋切型のイメージを ある程度正当化するための特殊用語と化し 265 〔 B S / P N 〕 ている。 工ーヴェルス、ハンス・ハインツ EWERS, HANS HE INZ ( 1871 ー 1943 ) ドイツの作家。フランク・プラウン という人物の登場する数冊の長篇で名高 い。そのうちの何篇かは SF で、 Der 加″市んれ g 〔魔法使いの弟子〕 ( 1 7 ) などが含まれる。代表的な作品の一つは 『アルラウネ』み I 4 れ e ( 1911 ; 1908 , 19 , , 30 , 52 と 5 度映画化 ) で、プラウンは 女性アンドロイドを造るが、彼女は自分の 有害な影響からフ・ラウンが死ぬのを防ごう として自殺する。他に『吸血鬼』佐襯がだ ( 1922 ) も有名である。彼の作品は基本的 にゴシック小説の伝統を受けついでいる。 〔 J C 〕 地球外生命体 EXTRATERRESTRIAL SF 用語で、地球もしくはテラ以外の非 人類生命体 ( 一般に知性をもつ ) をさす。 しばしば E. T. ( ィーティーと発音 ) と 短縮される。 ( 異星人、宇宙生命 ) 〔 PN 〕 フアビュレーション FABULATION もともとフアビュレーターとは、物語を 寓話もしくは神話風に語る人間のことであ ったが、 19 世紀までにこの語は一般に使わ れることがなくなり、ロ / く一 ト・スコーノレ ズが The おみ 4 ね ( 1967 ) でフアビュ レーションの概念を導人するまで、文芸批 VII
評ではまったく使用されなくなっていた。 同書は、写実主義以後、ロマン主義以後の 文学を研究したものであり、ロレンス・ダレ ル、カート・ヴォネガット・ジュニア、ジ ョン・ノく一スらがとり上げられている。端 的に言えは、フアビュレーションとは、 語面や形式面の構造がきわだっているか、 あるいは、前面に押しだされている小説を さし、自意識的な遊びや喜びの効果をしば しば用い、多くは説話文学で架空世界を創 造する過程に固有の典型的な寓話に似た要 素をむき出しにしようとする意図をもって いる。フアビュレーターはモラリストにな りがちで、その作品は諷刺であることが多 い。もっとも、彼らはジョナサン・スウィ フトらのような先達とは根本的に異ってい るはずである。彼らの作品は、イギリスで は第一次大戦まで支配的だった写実主義小 説の大きな伝統そのものと対決し、それを 超えねばならないからである。フアビュレ ーションは、、、現実″を直接描く ( 模写 ) よりも、小説を意識した作品として故意に 自らに注意を魅きつけるため、伝統的な写 実主義の規準から見れば、グロテスクでお そましいと思われる世界を描くことがしば しばある。多くのフアビュレーションは、 〔 J C 〕 不条理 SF の項で論じている。 フェアマン、ポール・ W FAIRMAN, PAUL W. ( 1916 ー 77 ) アメリカの作家・編集者。最初に発表し た S F は "No Teeth for the Tiger ” ( 195 ので、以後の数年間、本名のほかにロ リー、マロリー・ストームといっ た筆名、および E ・ K ・ジャーヴィス、クリ ・ガースン、ポール・ローマンなどのハ ウスネームで、ジフ・ディヴィス社系雑社 、ルじ、 の常連寄稿者となった。彼はイフ誌が 1952 年 3 月に創刊されたとき初代編集長となっ たが、 4 号でその地位を譲り、ジフ・ディ VIII ヴィス社のスタッフに加わった。ジフ・デ イヴィス社を 1954 年にいったん去ったが、 1955 年 12 月には同社に戻り、 1956 年 5 月か らはアメージング誌とファンタスティック 誌の編集長として、 1958 年 9 月号までその 地位に就いていた。 1957 年 2 月にはジフ・ ジョーゲンセン名義の雑誌作品の一篇、 が、その名で何冊かの長篇を出している。 ーゲンセン名義を使った作家の一人だ 出たにとどまった。彼はアイヴァ ルドの編集も行ったが、同誌はわずか 3 冊 ディヴィス社の別の新雑誌ドリーム ・シ・ ・ワー 264 〔 BS 〕 しれない。 ( レスター・デル・レイ ) S 加 ( 1968 ) だが、他に何冊かあるかも Ma れⅣ″んな 4 ~ / の肥り、ぞ 50 e ハ研 ( 1966 ) 、 & g ~ ″ 0 ( 1966 ; 図 The 火 0 み砒 ( 1965 ) 、 Tu れ励 ug ん Time は『逃げたロポット』 The ″ 432J けである。これらのうち、判明しているの ル・レイはただフ。ロット段階に加わっただ れたまぎらわしい作品が何冊かあるが、デ はまたレスター・デル・レイの名で出版さ Go み 2 ど ( 1959 ) も書いている。彼に ミルトン・レッサーとの合作長篇 T ん などがある。アダム・チェイス名義で、 〃尾お 0 ″ 0 襯 / んに & 4 に基いている ) 『原子力潜水艦シービュー号』 g ね と海底都市』 City Under 訪 & ( 1965 ; 召 0 れイの一ェヒ。ソード ) 、『シービュー号 The World Gra ろ” ( 1964 , 0 れに & ゆ ヴェライゼーションであり、それらには れている。作品の何冊かは TV 用脚本の / 研に〃 C 肝ぉ ) として映画化さ 研 S の尾」売 ( 1955 ; 図て豆 0 ” いる ) もまた、『暗闇の悪魔』 va れ Cosmic Frame ” ( 1953 ; 本名で書かれて ( 1954 ) として映画化された。 "The "Deadly City ” ( 1953 ) は Ta だ get Ea れん !
の一つですが、この作品と『レダ』にはいくつんな本読んじゃいけないだろう。売ったりした 投稿歓迎 か類似した点があります。例えば、『レダ』にら、おじさんの店が怒られるんだからね」 宛先は本誌てれぽーと係 ( 奧付参照 ) おける《上》と《下》の対比と『都市 : : : 』に結局、私はを手に入れるため、他の店 掲載分には文庫最新刊一冊進呈 おけるダイアスパーとリスの対比とか、ファー まで足をのばさなければならなかった。ま、そ ィーストとダイアスパーの総合的な都市シスこでは無事に買えたのだが、驚きだったなあ、 テムの類似、都市と主人公 ( 『レダ』におけるあれは。コンテストの一次選考に福井の名 栗本薫氏の『レダ』、とうとう終ってしま いイヴ、『都市 : : : 』におけるアルヴィン ) の関が一つもないの、わかる気がする。 ましたね。この機会に栗本薫氏の作品の多くに係 ( システム上生まれようはずもない、ユニー さて、話は変わって、私は前に書いたように おいて、また今回終了した『レダ』の中で感じクな存在であるという点 ) 等、かなりはっきり高校生です。で、夏休み、補習がある。暑いの たこと ( まだ未整理な状態なのであくまで感じと指摘できます。こういった類似点が何を意味に大変だろうと思ってほしいわけなんだが、今 たこと ) を二つばかり書いてみます。 するのか、私の今のカではまだ一種象徴的にし年の夏は割に涼しいので別に大変に思ってくれ なくともよい。 か把握できませんが、将来私、もしくは誰かが ①栗本薫氏は文章を多量に用いる これは現在の日本の若手作家一般によく見ら氏のこの壮大な宇宙史を論ずる際にこの『都市その補習で使用する現国のテキストに次のよ れる傾向で、昔の日本の主流文学の作家だったと星』及びクラークがあたえた影響というのはうな記述がなされている。 ら二、三行ですませるところに十数行も費やし重要なキーワードになるような気がします。 「問題意識をもって読もう。たとえば、主人公 たりする。栗本薫氏の場合それが特に顕著で いろいろ思うところはあるのですが結局事実の生き方とか、な・せそうなったのか、とか、そ す。これは鏡明氏が『七人の魔道師』の解説での羅列のようになってしまいました。でもこれういう問題意識をもって読もう。また問題意識 指摘しているように、彼女が「見る」作家であが栗本薫氏を理解し始める私自身の、そして誰のもてる本を読もう。・や推理小説ばかり かのきっかけにでもなれば、と思います。 ではだめである」 るためと考えられます。 いわゆる既成文学が、イメージ伝達の手段と ( 跚神奈川県川崎市川崎区京町一ー一五ー二一一私は決して「問題意識のもてる本」 ( 何を指 して主に文章を使っていた環境の中で発達して 円谷毅 ) しているんでしようね ) を嫌いなわけじゃな きたのに対し、現代の若い作家達は視聴覚全て 。も「問題意識のもてる本」も同じよう のメディアを通じてイメージを伝達することを福井という所は後進県なのか、先日、私に好きだ。しかし、「問題意識」側の、こうし 日常とする環境に生活しているため、イメージは、あの、もはや伝説と化したはずのことを体た他の文学を否定し排除しようとする態度は許 伝達の方法がクロスオー せない。 ーを起こしている。験した : ・ いったい私が栗本薫氏の『レダ』に感じたあ 栗本薫氏の場合、文章だけの特殊な世界を構築その日、私がを買うために初めて入っ してきた小説というメディアに「見る」というた本屋の中は、意外に暗く、目的の本を見付けの感動は、問題意識とは無縁なものなのでしょ まったく異質な方法論を持ち込んだ。その「見るのは容易ではなかった。店の隅でようやくそうか。 た」イメージを文章で表現しようとするためにれを見付けた私は、代金を払おうとレジにいた を愛する者として、また、「問題意識の 文章が饒舌になるのでは、と思います。この事おじさんに本を差し出した。その四十歳くらいもてる本」を愛する者として、こうした排除 実はこれまでの、そして今後の (oog.æ) 文学のと思えるおじさんは、僕から本を受け取ると、 が、「」と「」の勘違いのように笑い あり様に大きく関係する問題だと考えられる節表紙をいちべつ、「高校生でしよ」「へ ? 」と話として語られるーーーそんな時代の訪れが一刻 があり、よく考察してゆく必要があると思いま私。おじさん、「いけないよ、高校生がこんなも早いものであることを願ってやみません。 す。 本読んじゃ」もしや、と思い表紙を見るが確か『レダ』、十月号で終りましたね。早く本にし ②『レダ』と『都市と星』の関係 に暗いから見間違えたのだろうと、のて出版してください。なるべくなら文庫で。来 『都市と星』はクラークの言わずと知れた前期字をしつかりと押さえ、「なんですけど : ・ 年の夏休みの宿題の感想文に書きたいから。 二大傑作 ( もう一つは当然『幼年期の終り』 ) 」おじさん、「だめだよ。高校生がこ 涼しい夏の暑い午後に。 円 6
あった。一 ゾリモスは、・ヒルの反対側から、再びガラスをつき破。て現われ☆ rng 大会、テパートに進出☆☆☆☆☆ さる八月一九日 ~ 二四日、大丸百貨店大 そこには、先回りしたパトカーがパリケードを作って待ち受けて 各阪店の南館七階催場において、「フェ いた。・フリモスは八台の・ハトカーをぶつこわし、そこでカ尽きて停 のスティ・ハル」と銘うたれた催しがおこなわ まった。 一れた。 下会場では、武部本一郎、萩尾望都、天野 手に手にパワーガンをふりかざし、警官たちがどっとかけ寄って 嘉隆氏の原画展、オリジナルポスター展、 0 こ 0 0 子 アート・コンテストなどが展示される ノーズは完全につぶれ、窓ガラスも大半が割れ落ち、見るかげも ・まほか、 (.OQ ショッ。フ「ゼネラル・プロダク 大ツ」の出店がいろどりを添えていた。 ないプリモスを、警官隊は十重二十重にとり囲んだ。 また、一九日、二〇日には「未知との遭 その内の一人が銃をつき出しながら、へつびり腰でドアを引き開 長遇」「銀河鉄道 999 」の上映会がおこな けた。 神われ、多数の観客がつめかけていた。 二〇日、二一日は、このイベントの目玉 ーエル・ペダルの上 プリモスには誰も乗っていなかった。フュ ともいうべき作家講演。こうした催しには に、ぶ厚い辞書が針金でくくりつけられているだけだったのだ。 異例の眉村卓、光瀬龍、森下一仁、神林長 ネ平、大原まり子という豪華なメイハー 九日は本誌編集長による若手作家パネル・ 作ディスカッション。催場の一画に設けられ た講演会場には熱心なファンがつめか け、そこだけはデパートというより大 ン会会場といった雰囲気。もっとも、子供連 イれのサラリーマン風の姿もちらほら見うけ のられるところは、やはり会場のせいか。 簽第卓若手作家パネルは、の創作の実際、 村これからの抱負などが中心だったが、一一〇 と日の眉村氏、光瀬氏による講演は、日本 の歴史にふれた非常に興味ぶかいもの。 右 常にファンとの交流を心がけている両氏 氏 の、ツポをおさえた話しぶりに立ち見まで 瀬いる会場は、熱心に聞き入っていた。 レイクは、一人でぼんやりと海を眺めていた。足元には金のつま ったショルダー・ハッグが、無雑作にころがしてある。 時期外れのパーム・ビーチは、ひっそりと静まり返り、波の音だ けが単調に聞こえてくるだけだ。 レイクとジムは、パニック状態の・ヘイ・シテイからやすやすと脱 O O け出し、地下鉄と無人・ハスを乗り継いで、〈メリー・ウイドウ〉の 隠し場所へとやって来た、というわけだ。」 遅いな、ジムのやつ。 レイクは、砂の中から石コロを拾い出し、沖に向かって思いきり 3 8
ー博士の島』 The れ d 研 Dr. ん r ″ ( 18 ) 、ユ必 r. おんな S30 ん 0 れ 4 襯ゑ 0 ん ムれ d ( 1928 ) 、 The Cr ″刊 4 鉱 ( 1936 ) などに、さまざまな形で映しださ れている。ダーウイン哲学の非情な側面か ら導れる不吉な影は、サミュエル・パトラ ( 彼はまた、何篇かの反ダーウイン論文 を書いている ) の『エレホン』 E ん。れ ( 1872 ) や、ヒュー・マッコールのー r. & れ g な S イåc ん ( 1889 ) などに も色濃く現われている。それはまた、グラ ント・アレン ( 彼は何篇かのダーウインび いきの論文を書いている ) の思弁小説の大 半にも割り込んだ形跡が見られる。ダーウ インの考えを社会進化の理論 ( 社会ダー ウイン説 ) に不注意に移しかえたものは、 暗に政治的な意味を含んでいるため、ウェ ルズのフェビアン協会仲間であるジョージ ・パーナード・ショーは、政治的理由で新 ラマルク説の肩をもち、ダーウイン説を否 定したほどである。彼の戯曲『思想の達し 得る限り』前召 ac ん地 M ん 4 la ん ( 1921 ) は、この否定論を説明した長い序文を付け て発表された。似たような否認行為はロシ ア共産主義の名においてルイセンコによ り、またアメリカ根本主義教会の名におい てルーサー・バーパンクによってとられ た。ダーウイン説の意味するものが、かな らすしもハックスリーの表現したほど、あ るいは、俗流のダーウイン説信奉者が考え ていたほど苛酷なものではないと理解され たのは、かなり後のことである。もっと慈 悲深いダーウイン説の普及を、小説を通し て狙った興味ある一例として、ジェラルド ドの Ga ろ 4 れ d the C 4 お ( 1952 ; 図Ⅳなん g Well) をあげよう。 ウェルズ時代のアメリカ小説は、進化に 大して関心をもっているようには見えない が、ダーウイン思想の影響は、エドガー・フ ォーセットの The G ん 0 立 Gu ッ Thyrle 269 ( 1895 ) に見られるし、またオースチン・ ビアバウダーの・ 0 襯 0 ん加ュイ 4 〃 ( 1894 ) は、創世記を進化の寓話として描 いた初期の試みである。おもしろいこと に、アメリカ S F で最初に目につく進化論 的ファンタジイは、エドガー・ライス・ハ ローズがくへッケルの法則〉を外挿した 『時間に忘れられた国』 The ん d T ん Time g 砒 ( 1918 ; 1924 ) なのだ。くへ ッケルの法則〉とは「個体はその ( 胎児の ) 発達段階において、祖先が進化の道筋で通 ってきたもっとも重要な形態変化を反復す る」というものである。この法則はしばし ば、多音節ではあるがより簡潔に「個体発 生は系統発生をくり返す」とのべられる。 ノ : ローズの物語では、この反復が胎児段階 というより現実の一生の間に行なわれる。 同様な図式は、シオドア・スタージョン の「黄金の螺旋」 "The Golden Helix" ( 1954 ) やジェイムズ・フ・リッシュの『悪 魔の星』み C の Co c ( 1958 ) 、異星人の生活系の説明に用いられてい る。 SF 作家をいちばん魅きつけたのは、人 類の進化だった ( 人類の過去の進化に関わ る作品はヒトの起源と人類学の部分で論じ てある ) 。ウェルズは工ッセイ "The Man of the Year MiIlion ” ( 1893 ) で、進化に よって人類が変形していくさまを空想して いる。頭は巨大化し、身体は縮み、眼は大 きくなるが、耳と鼻は退化する このイ メージは他の多くの作家にも受け入れら れ、原型となった。これは初期パルフ。 SF での常套的表現となるが、多くの作家はそ うした個体の、、合目的性″について悲観的 な見方をとり、彼らを消減する運命にある と描くのが普通だった ( たとえば、ハリ ・べイツの "Alas, A11 Thinking ! " ( 1935 ) や、映画『宇宙水爆戦』 T んなム la イ Ea れん , パルプ作家はダーウイン説がじっ 1954 ) 。 III
ー特別企画・連載④ー THE ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION SF 工ンサイクロべディア ピーター・ニコルス粡 浅倉久志・伊藤典夫監修 安田均訳 Copyright ◎ RoxbY Press Limited 1979 1 . 邦訳のある作品には邦題を添え、未訳作 品は原題 ( または英訳題名 ) のみ記した。 2 . 原題のうちイタリック体で表わされてい るのは単行本、引用符 ( “” ) でかこんで あるものは短篇。 3 . 邦題も 2 にならい、単行本は『』で、 短篇は「」でかこんだ。 4 . シリーズ名は、未訳のものも含めて日本 語で表記し、《》でかこんだ。 5 . 作者名の中には、あえて慣例に従わず、 原音に近い表記をとったものがある。 ( 例 : ヴァン・ヴォート ) 6 . 本文中のゴチック書体は、本事典中に項 目の立てられている見出し語。またポール ド書体の年号は、初版発行年。 7 . 映画および TV ドラマについては、日本 で公開された作品には邦題を『』でかこ んで添え、原題をイタリック体で示した。 未公開作品は原題のみを示した。ポールド 書体の年号は、本国での製作年。 8 . コミックは《》でかこんだ。 筆者 B S : フ・ライアン ・ステイプルフォード P N : ピータ コノレ . ズ 9 . 略語および記号 A S F : アスタウンディング・サイエン ス・フィクション誌、および ( 後 年の ) アナログ誌。 F& S F : ファンタジイ・アンド・サイ ェンス・フィクションま TWS : スリリング・ワンダー・ストー リーズ誌 ニューワールズ誌 : アンソロジー : 版による題名の異同 : 加筆 國 : 改訂版 : 短篇集、またはひとりの作家による 長篇のオムニバス版 統 : 複数の短篇を加筆改訂し、長篇のか たちに統合したもの 前 : 戦前にしか邦訳のない書名 : 抄訳 国 : ジュヴナイル向きに翻訳されたもの * : 訳註 : 参照 J C : ジョン・クルート P R : ヒ。ータ 進化 EVOLUTION 進化論の発展と S F の歴史の間には密接 なつながりがある。これは、 SF が基本的 に変化を扱う文学である以上、当然のこと だろう。進化論のない文化には、今日われ 2 刀