〕 1 ド当ョ 砂卩 . れ第一 . 、・滝懸第 ~ 羅を
はつかめた。思ったより狭い、そして手でさぐってみたところなんスも悲鳴をあげまいとくちびるを噛みしめて、弱々しくドールの呪 6 いを呟いた。地獄の生物がいるとしたら、まさしくこれに違いな 2 だかひどくやわらかな、絹か毛皮でもはりつめた婦人の小室のよう な感触がったわった。 突然カルスの全身に戦慄と緊張が走った。ひとつのひそやかな、 それは悪夢のような青白い、ぶよぶよとしたくちなわで、その白 不吉な音がちかづいている ! おそろしいほどの沈黙の重みは彼のさは死人の肌のようで冷ややかなまぶたのない青い目がふたっ、カ 神経にこたえたが、このような音で破られるならば沈黙にうちひしルスをまっすぐに無感動に見入っており、そのロは地上のくちなわ がれて気が狂ったほうがまだよい。それはなめらかなやわらかい壁と異なり、蛭かなにかのように吸いっき、吸いとるのに適した円筒 面をなにかやわらかい大きな軟体動物が、ずるつ、ずるっと身を這 になっていた。邪悪で生気ない目を魅入られた男にすえて、わずか いすすんでくるぶきみな物音だった ! づつ、ゆるゆると、確実に、死を彼に近づけるため這いずると、そ カルスは殆ど心臓も止めんばかりに、すべての動きをとめた。全の青白いぬるりとした腹はずるつ、ずるっと気味悪い音をたてるの 身の感覚を異常にとぎすまして、耳と心でちかづいてくる怪物に探だった。少しも威嚇をこころみないのがかえって獲物を絶望と狂気 りをいれた。上か、下か、横か、それともーー上だ ! においやる効果があったが、それは単にこの妖蛇のロは吠え声にも ずるつ、ずるっという音は規則正しく近づいた。地底に住むあやうなり声にも封じられているという事実によるのだった。 かしの類と暗闇で対決したら ? いまはだが験したり度胸のよさを カルスは疑う余地のない邪悪な意図をあらわして這いおりてくる 楽しんだりしているひまはなかった。カルスの頭は狂気のように働妖蛇と、心細い戦いをするために剣を握りなおし、さらに口をつか いた。かれの手はまだ火打石を握っていた。いきなりひと思いにマ ってまた布を引きさき、いまにも燃えっきようとした松明から火を ントをひきさくと、それに火をうっそうとしばらく格闘した。火のうっすと、用心して身構えながら、燃えかすの熱い布を妖蛇に投げ つかぬうちにとびかかられたら ? 無限に思われた時間ののちにぼつけた。妖蛇は身をゆるがせ、反射的に全身をのばしてカルスにお っと間にあわせの、だが用はなす灯がカルスの手に握られたとき、そいかかってきた。カルスは瞬間身をひるがえし、ひらめいた剣が かれは冷たい汗にまみれていた。 ぶよぶよと濡れたような蛇の太い胴にうちおろされる。ばさりと気 火がかれに写しだしてみせたのはそっとするような光景だった。持のわるい手応えとともに、蛇は怒り狂って身をよじる。カルスの かれの立っている床と周囲の壁とは、なかばすきとおったゼリー状中に急激に落ちつきが戻ってきていた。どんな悪夢に似つかわしい の物質で、さだかならぬその厚い層をとおして、そのむこうからじドールの使者であれ剣で切りさく肉のあるものを彼はおそれはしな っとこちらをうかがうなにものかの影がほとんど無数といっていい かった。第二撃が妖蛇の胴をカまかせに両断した。ゆらぎ、くすぶ・ くらいに群れあつまって見えた。そしてカルスが油断なく上を見たる火の下で、カルスはどろりとした液が切り口から流れ出、半分に とき、頼りない松明のゆれるあかりに見えたものに、さすがのカル された頭のほうと尾のほうとが、共に沈黙の怒りに身もだえしてす
か 0 たのじゃ : ・ : ・わしが求めた本当の仙薬は、あの素晴しい生命の「消えろ、下司め。汚らわしい下賤の血を持つ者よ ! 皇帝コルラ ・サーンのもっとも神聖な儀式を汚す罪は、永劫の炎のなかの死で 飲物は、気高い血じゃった : : : 王の血、王女の血、王子の血じゃー ー宮殿は荒れはて、わしは蜘蛛めの徘徊する黄金帝国をすてて地下っぐなわれるのだそ。わしと、美しい若い王子との時をさまたげる にくだり、そこにわが永遠の宮殿を築きあげた。ここでわしは地下な ! 」 に棲むけものや、影や、吸血鬼、食屍鬼どもを統治して生き、時を皇帝は傲慢な身ぶりで手をさしのべた。 忘れ、時からも忘れられた。わしははかり知れぬ時のあいだ渇えて「影どもよ ! 」 いた。そしてこれからもかっえておらねばならぬと信じておった」 不意にカルスの立っていた床がばっくりと彼を呑み込んで、閉じ た。皇帝はしやがれた毒々しい笑いをうつろな広間にひびかせる 老皇帝はふいに大きくなったように見えた。赤く輝く目が、ぎら ぎらと邪悪な情熱に燃えて闇王国の王子を射すくめた。カルスでさと、おもむろにかがみ込み、餓えた眼で少年をながめまわした。 えこの白い影のような老人にふいに充ちあふれたある力にうたれ こ 0 4 「おぬしは若く美しい。おぬしは気高い、高貴な血が流れている。 今日の支配者の王子よ、昨日を支配するもののもとに来い ! 」 カルスが衝撃に気が遠くなっていたのはわずかなあいだでしかな 老いしなびた細長い手がのびて、ゆるやかに招いた。王子は突然 かった。我にかえると同時に彼の口から傷ついた獅子のような荒々 全身をこわばらせ、何か強大な力に抵抗しかねてもがくふうで両手しい呻きがもれた。かれの目は深いはてしのない暗黒しかうっさな をあげた。カルスはおどろき、王子に手をのばしたが、その瞬間電 かったからである。カルスは失明したのかと息を呑んだが、すぐに 気にふれたように王子のからだはカルスの手からのがれ、目に見え気をとりなおした。たぶん地底のおとし穴のなかならばこの暗さも ぬ力に引きよせられてサーンの玉座の足もとに倒れ伏した。吸血皇うなずける。彼は剣がしつかり自分の手に握られているのが何とも 帝はものすごい笑いをうかべ、尖がった歯がやせほそった顔を鬼の心強かった。そこからカが彼に流れ込んでくるようだ。 ように見せ、殆ど情欲にひとしい渇望にあえぎながら王子のからだ広さも、高さもない、濃密なねっとりとからみついてくるこの闇 のなかで、カルスは何とか何かさぐろうと頭を回転させた。王子の に長いツメをくいこませた。 「化けものめ ! その手をはなせ ! 」 やわらかな白い咽喉に吸血鬼のナイフがうちおろされる光景がなま なましく目に見えてくる。カルスはふいに狂気のようになって、脱 五体がかなしばりになるような呆然自失からようやく身をもぎは なしたカルスはわめきながらとびかかろうとした。すでに彼の手は出の方法を求める。手で全身をくまなくさぐり、腰の袋から火打石 しつかり幅広の愛剣をふりかざしていた。老人ははじめて彼に注意を見つけ、夢中でうちあわせた。瞬間的に火花が生じるばかりであ 5 ったがそれでも何度もこころみたのでおぼろなこのおとし穴の輪郭 をむけ、紅く燃える目に嘲笑と苛立ちがうかんだ。
ィールだ。さあ、老人、名乗れ」 蜘蛛という単語が老人の注意をひいた。老皇帝は顔をあげ、玉座 「わしは白亜宮に住まう黄金帝国のさいごの皇帝、コルラ・サーンにすわり直し、赤く光る目で王子を見ながらしわがれた声でしゃべ 2 だ。わしの前にパロスはひざまづき、永遠の忠誠を誓ったのだ。闇り出した。 王国ーーー闇王国、わしは聞きおぼえがないそ、痴れものめ ! 」 「蜘蛛というたか。蜘蛛はどこにおるな。あれはわしの伜じゃ。わ 「ききおぼえはなかろう。黄金帝国は数百年前減び、地上から消えしのあととりじゃ。かわいい王子じゃよ。わしはジェイナスにだま た。おぬしの領土は大原生林に姿をかえた。黄金帝国はパロスの昨された。偉大な皇帝コルラ・タルスの皇后 / ラは不貞をはたらき、 日を支配した。闇王国は。 ( ロスの今日に君臨するのだ。コルラ・サ姦通によってサーンをみごもったと噂された。それゆえわしの体に ジェイナス ーン、おぬしは数百年前に死んでいるのだ。双面神のしろしめす黄タルスの血が流れているかはさだかではない。気高い血をうけつが 泉へもどれ、亡霊 ! 」 ぬ者が王座にすわったときジェイナスはいかづちを下すという。わ 王子は手をあげて、なにかアルカイックなしぐさとルーンのことしは畏れた。わしはタルスの血がほしかった。それゆえ、臨終の彼 ばとを、伝説の老皇帝へ投げつけた。老皇帝は白い髪と髭をゆらめの咽喉をきりひらき、彼の気高い血を一滴あまさずったのじゃ。 かせて、ほのぐらい玉座に立ちあがった。 王子よ、ジェイナスはわしを皇帝と認めおった : ・ : いかづちではな 「なるほど、そちは王子じゃ、気高い血のものじゃな、少年よ。そく、 黄金色の炎がわしをつつんだ。わしは帝国を統治した。だがジ ちの額には王家の金冠がはめられている。そちの肌は王家のやわ肌 = イナスめはわしを受け入れておきながら復讐しおった・ : : ・わしが じゃ。そしてそのルーン語のまじないはジ = イナスが祭司たる王家奴隷娘ミナを愛し、皇后とし、ミナがわしの最初の子を生んだと の者にさずけるものじゃ。そちは真実を語っている。 き、そやつは人間ではなかった : : : 奇態な、黒い毛を全身にはやし それでは時はまことにわしをとりのこして流れたのか ! 黄金帝た異形のものだった。蜘蛛を人間に模したような、なんという神の 国の栄光はくずれ去ったのか ! わが版図は踏みにじられ、荒てはおそろしい悪戯だったかーージ = イナスめはわしの奸計に、かくも てたか ! わしはこのきららかな、むなしい廃墟にとりのこされ悪夢で報いたのじゃ。ミナは狂って死んだ。蜘蛛めはやがて宮殿を て、時に忘れ去られたのか ! 」 徘徊しはじめおった。人々はおそれて逃げまどい、群臣はもはや宮 老人は細長いツメののびた指で白髪頭をつかんでうめき、ゆっく 殿に出仕せず、国民は黄金帝国を逃げおちていった。だが双面神は りと、白い・ほろのかたまりのように玉座にくずれおちてしまった。 まだわしをその復讐の手からはなしてはくれなんだ。わしはコルラ 「おい、コルラ・サーンは蜘蛛になったといったではないか」 ・タルスの臨終の血を袋って以来、人の生血の素晴しい味が忘れら カルスはささやいた。王子はふりむきもせずささやきかえした。れなくなっていた : : : それは甘く、わしの老いたからだに不死の生 「伝説やロ誦は、真実を象徴するにすぎぬ」 命を一滴ごとに涌きあがらせてくれる。わしは奴隷や後宮の娘の血 「だがあの蜘蛛は : : : 」 をすすっては渇えをみたした。だがそれは不満足な代用品にすぎな
そういわれてみるとたしかに、同じ建物を逆に辿っていたのだっ ながら王子の細い肩に投げかけた。その″王家の色の美しいマン トはまるであつらえたように王子にあい、王子の繊細な白い顏はひた。カルスは息を呑んだ。 「ここも危険だといったろう」 ときわ神々しいばかりに見えた。 「またあそこへもどっていたのか ? 」 「似合うそ ! やはりあなたは王子だけある」 「そうだったら幻術だ。たぶんちがうだろう。どちらかが幻影なの カルスがなかば本気で云った。王子はつまらなそうに肩をふつ かもしれぬ。だが、パロの双子宮の双子の塔をめぐった旅人もそう て、しなやかにまといついてくる華美なマントを払いおとした。 同じ建物にもどってしまったと」 「こんなところにはどんな奇妙なことも起こり得る。あのマントが思うかもしれない 人を締め殺す道具かもしれないし、この財宝にさわると住人が目を「だがおれたちは地下へもぐっていったのではないか ! 」 行こう。王座のある広間に蜘蛛がいた。もし同じ宮殿 さましておそいかかってくることだってあり得る」 王子は素気なく云うと、敷きつめられた毛皮の床を踏んで、小部なら、あそこにまた座っているかもしれぬ」 王子の細い手がっと触れただけで重々しい石の扉は恭々しく開い 屋の戸をあけてみた。 た。カルスはあわててどんどん踏み込んでいく王子を追った。すこ 「だれもいない。さあ、行こう」 しおくれた彼は、「そなたはだれだ」というりんと張った王子の声 「どこへ ? 」 をきいた。 ここも危険だ」 「わたしの考えたとおりならば 「そちこそ名乗るがよいーー無礼な侵入者よ ! 」 王子の頬にかすかな冷たい微笑がうかんだ。二人は戸をくぐり、 しわがれた声が答えた。 塔のらせん階段を無事に降りて、細い回廊を歩き出した。何を考え カルスは広間にとびこんだ。玉座に老人がうずくまっていた。白 ているのだとヴァン・カルスはきいたが、王子は眉をしかめてみせ ただけだった。 い髪、眉、髭ーーーあまり年とっているので、死ぬのを忘れてしまっ 回廊をいくどか曲がり、また曲がった。しだいにカルスの心にもたように。白い波うつ髪には王冠がいただかれ、白銀色のガウンを まとい、白い長い眉の下で侵入者をぬすみ見る目は赤く光ってい 疑念がわだかまってきた。何かおかしい。 回廊がついに尽きて白い大きな扉がふたりの前にあった。それをた。 見たとき、カルスも奇怪さにうたれた。 カルスは広間を見まわした。さきほどとまったく同じ金色と白で 飾られた広間は、しかしあの広間を汚していた人骨のかげもなく、 「待ってくれ。ここは、一度来たことがあるな ! 」 「おろかなことを。ここは、さきほどあのカローンの蜘蛛に追われただはかりしれぬ空虚だけがこの奇怪な老王に統治されているかの ようだ。 て走った回廊だ。この扉のむこうがあの大広間だ」 「わたしはパロスの闇王国の王子ーーージェイナスの申し子たるゼフ 「あ ! 」 3 2
プ亭ノ・デア イ 1 ぃ ノし
「だってほかに云いようがない。それより、どこか一室のほこりを の効果についてはごく疑いぶかくなっていた。この剣はジェイナス 払って、食事をし、休息をとろう。持ってきた食料ののこりは、あ に対しても、人間や獣にと同じ力があるものだろうか ? 大昔には貴族や奴隷たちやさわぎたてる謁見をゆるされた民衆ですかあさってじゅうにリ = アの町に着くはずだったのだからあまり にぎわったであろう、円柱の林立するテラスをとおりぬけ、天井の多くないが、先のことは先のことだ」 「カルス、その態度は愚かもののようだー この宮殿のどこに何が 高い、うすぐらい回廊へふたりは入っていった。ひんやりして、か びくさい空気がカルスの鼻を打った。回廊の左右にはいくつもの部あるのか見定めないうちは安全ではないのだそ。さあ、ひととおり 、わたしひとりで行く」 屋があったが、みな白大理石の床もさむざなしく、人の子ひとり見見てしまおう。いやならいい カルスが少しためらうあいだに、王子はさっさと廊下のかどを曲 えぬ。床には埃がつもり、古い昔につけられたらしい足形をぼんや りと見せる。部屋はどれも、美々しく広かったが冷たい死の気配ががってしまった。カルスは首をすくめると、さきほど見たなかで、 よどんでいた。壁に金銀のタベストリをめぐらした婦人のらしい愛さまざまな毛皮をはりつめた婦人室がいちばん居心地がよさそうだ ったのを思い出し、そこを当座のかくれがにするためにひきかえし らしい部屋、鎧をつけた白大理石の彫像を四隅にかざった、真中に 大きなテ 1 プルといくつもの背の高い椅子をすえた威厳にみちた部た。王子がもどってくるまでに埃を払い、やすらかに眠れる寝床を つくっておいてやろうと思って。 屋、どれもはるかむかしに使われなくなったようだった。 王子はかすかに笑った。立ちどまり、一室の入口にかかっていた 3 古代文字の標札を指さした。 「これは昔の黄金帝国の文字だな。やはりこの宮殿は古代の帝国の 王子は結局ひとりのほうが気が楽だった。薄暮は王子の心だった 廃墟か、でなければ : : : 」 し、禁忌も神秘も王子に親しいものたちだ。太陽にちかしい草原の 「その亡霊だろう」 ヴァン・カルスは苛立たしげに口を出した。いやにうすぐらいこ民たちの心にはまだ真昼の輝きがのこっていても、地球はすでにた の宮殿のなかはどこからどこまで大理石なので、声がいんいんと反そがれのときを迎え、はかり知れぬ昔人類の黎明とともに闇に封じ られた妖魅や魍たちが長い時の果てに再びその力を回復しようと 響して無気味だ。 「ここはカローンの白亜宮だ。黄金帝国の偉大な皇帝コラル・タルしている。冷たい永劫の夜にむけてーー王子はその薄暮の申し子な のだった。 スが建てた」 なにやらルーン文字をとなえて手をさしのべると、ほっそりした 「地獄の一丁目さ」 カルスは吐きすてた。が、すぐ後悔して、怒ったようすの王子を手の上に青い鬼火が生まれ、王子の灯火になった。王子はほほえん 見た。 で、探険をつづけた。昔の栄華をうっす、華麗な、むなしい部屋部 6
であり誠実な魂の持主だったが、ゼフィ .1 ルのような神秘的能力を大鳥が舞いもどってぎた「王子ののばしてやった腕にとまると、 持ってもおらず、その領域と親しくもなかったので、予知、予感、 くちばしをひらいて幾声か鳴いた。王子が肯いてやると飛び去っ 感応なその不思議の力がこの美しい高貴な連れをとらえるとき、すた。王子がヴァン・カルスをふカかえると、かれは不遜にもにやに やしていた。 でにこれまでの旅でその確かさを経験していたにもかかわらず、 つも少々当惑と不信にとらわれがちだった。少くとも、ダールの大「一ゾットほど前方から、何か建物の屋根が見えるそうだ。行こ 原生林を左手に見おろして進むこの道の行手の空は淡い青紫に澄う、ドールの巣だったらそのときこそ剣をふりまわせばよい」 み、天候の荒れるきざしだに見られなかったのだ。 二人は先を急いだ。山腹をめぐっているこの街道はくつきりと赤 「カルス ! 」 くうつくしいリポンのようにはるかにかれら旅人の前とうしろにの それと見てとって王子が鋭く云った。 びている。山すそにははてしもないダールの大密林がひろがり、そ 「危険はおかせぬ。ここで嵐に見舞われたら、魔神のえじきのようの上に青くかすむ山脈はカラクダイの神秘な山なみだ。ヴァン・カ なものだ。あの原生林を見るがいい 。その謎はほんのわずかしか解ルスはあやしんだ。この荒れはてた森林地帯に住むようなものはろ ぎあかされてはいない。 ここはパロスの平原地帯、ジェイナスの神くなしろものではなさそうだ。むかしこのあたりを大密林がおおい つくす前には黄金帝国と呼ばれるゆたかな国の版図としてパロの中 の見守る沃野ではないと、何度云ったらわかる ? 」 カルスは苦笑した。そしてむきになって黒い目を輝かしている、原地方におとらぬ繁栄を見たと云いったえるが、それは数百年も昔 ほっそりした、愛らしい姿に和解を求めるまなざしをむけた。 のことだ。カルスは腰につるした長剣をまさぐって少し心強さをお 「雨宿りの場所はあるのか ? 」 ばえた。それは家宝になるような素晴しい名剣で、鏡のようにみが かれており、柄には青い宝石でルーン文字の聖句を象嵌し、ジェイ 王子が眉をひそめた。ふたことみことルーンのことばをとなえ、 しなやかな手を空にさしのべると、その上に大鳥が舞いおりてきてナスの火で浄められてできあがったもので、これを勇敢な貴族を殺 ばさばさと羽づくろいをして、なにかふしぎなことばで語りかけるして奪った大盗賊ヴァン・カンの洞窟で血を流してあがなってから 王子に首をかしげていたが、やがて飛びたっていった。 というもの、この剣によって数えきれない生命の危機をカルスはぶ 「あれが見つけてきてくれる」 じに切りぬけてきた。黄金帝国の廃都に何が巣くっているにせよ、 王子は云うと、カルスの疑い深い表情に目をとめて肩をすくめよしんばそれが悪の源ドール自身だとしても、これまでどおりこの た。トルースは。 ( ロスの南部の草原地帯の国で、草原地帯の人間は愛すべき剣がかれを守ってくれる。ところでかれの連れは、高貴で 都市の人間、海辺の人間とくらべて神と悪魔とにちかしくない。か華奢な、魔術とたわむれるのが好きな美しい王子のほうはもしかれ れらは自分の力を信じるからだ。それはそういうふうにできているがいなかったらいったいどうやって身を護れるというのだろう ? / ロの中 のだ。仕方がない。 ヴァン・カルスが王子ゼフィ 1 ルの連れとなったのは、。、 ドール 2
いろな歌を、物語を、夜が明けるまで」 た。キタラ弾きはやがてカウンターをぐるりとまわって、灰色の目 「よろしゅうございます」 の船乗りのところへやってきた。 キタラ弾ぎは、楽器を膝の上に置いた。 「行ってくれ。そっとしておいてくれ」 心をうつ話、奇怪な話、耳を楽しませる話 「お話しましよう 船乗りは呟いて小銭をさぐる。キタラ弾きは快活に笑いをうかべ を。。ハロの町はご存じか」 「私の歌は心を癒やすためにある歌です。それが必要な人のために「知っている」かれはひるんだ。 「パロは美しい町です。パロスの闇王国の国王とその眷族たちの住 歌います。聞きなさい、そしてその目から傷ついた思い出を消しな な双子宮をその北にいただいて。王子ゼフィール、美しい魔術つか さい」 船乗りはキタラ弾きを悲しい目で見た。キタラ弾きは調弦し、澄いの王子ゼフィールの話をきいたことはおありかな ? ゼフィール んだ音をたてると、古いやさしい歌を弾き歌いはじめた。船乗りはと、草原の国トルースの貴族、ヴァン・カルスの物語を ? 」 「話してくれ」灰色の目の船乗りの声は、ほとんどささやきになっ 耳を傾けた。それは美しい不実な恋人を持った娘が真実の愛を語っ こ 0 て恋人をとりもどす歌だった。 澄んだキタラの音とやさしい低い声は居酒屋の喧に呑まれがち「話しましよう。これは長い物語です。ゼフィール王子は絶世の美 だったのだが、いっか深く目をとざして耳を傾けていた船乗りの心貌と魔道の天稟をそなえていたが、人智を超えた秘蹟をときあかし ジェイナス たばかりに、双面神の怒りにふれ、パロスの平原地帯を追われて贖 には、やわらかく、甘く忍び込んでいった。 さすらい キタラ弾きがさいごの和弦を弾きおえると船乗りは小銭を与え、罪の放浪をせねばならなくなったのです。だがまず火酒の盃を満た してください。夜あけまでにはまだ長い」 かれの技倆をほめた。キタラ弾きはにつこりした。 「何か語り物はいかがです : : : 古い伝説、神話、新しい物語、歴史そうして、キタラ弾きは語りはじめた。 「そうだな」 と船乗りは呟いた。天色の目は要心ぶかく伏せられて無表情にな 王子ゼフィールは苛立たしげに美しい眉をひそめて、連れをふり 「語ってくれ。なにか心をまぎらすものを。夜がくると俺に昼はかえった。 まぎらわせている痛みがよみがえるので俺はひとりで酒を呑む。夜「ヴァン・カルス、風がかわった。ーー・嵐が来よう」 は長く、俺の心は淋しい。今夜おまえの歌をきいて、俺は倖せだつ「嵐が ? 」 トルースの冒険児ヴァン・カルスは六尺豊か、健康で有能な剣士 たころを思いたした。もっと歌ってくれ、そして話してくれ、いろ
。フロローグ パロスの豊穣な平野の最南端、レントの海に注ぐロス河の河口の 港町だった。その居酒屋は、いかにもそれらしい喧騒と活気に満ち て、女たちの嬌声、船乗りたちのだみ声、乾杯のグラスがふれあっ てたてる金属音、もののこわれる音などが竸いあっている。客はあ とからあとから入れかわったので、夜もそろそろ更けようかという ころ、ふらりと入ってきた一人の船乗りの姿は、まったく誰の目を もひきはしなかった。 それは陽焼けした、屈強な男で、なかなかの男前で典型的な南の 国の船乗りの服装をしている。だがよくよく見るとその顔はどこか 強さと高潔な魂を示し、その鋭い灰色の目はかけがえのないものを 失ったような、傷ついたことのある男の眼だったが、それにしても とりたてて人目を引いてはいなかった。男はかえってそれが好まし いように、火酒を一杯注文するとカウンターの一番端に身を沈め 居酒屋のすすけた壁にかけた時計が、夜がいよいよたけなわとな る時刻をしめすころまで、店は賑わい、そしてその一隅に火酒の里 いこんもりした壺を置いて、その男はじっとうずくまっていた。灰 色の目が火酒の黄金色の輝きにすえられながらときにやさしくなご み、ときに激しく輝き、ときに深い癒えることのない悲痛にうるん でいたのは、かれをいかなる回想が浸していたからだったろうか。 反対側の隅にさきほどから黒い眼、キタラを抱いた歌うたいがう ずくまって註文を待ちながら、注意深い目でこの男をながめてい た。その精悍な、疲れた顔、その灰色の目がなにかをかれに訴え こ 0 これは私には、思い出ふかい、同時にこうして読者の目にふれる ことが少々おもはゆい作品です。 これについての由来は、実は「豹頭の仮面」のあとがきにありま す。これは、私が最初に書いたヒロイック・ファンタジーであり、 昭和四十九年のマガジン「三大コンテスト ( 編集部注・第四 回ハヤカワコンテスト ) 」に投稿してあえなく落選した作品でもあ ります。編集部がすべての投稿作品を保管しており、私の話 をきいて今岡氏が倉庫から探し出して来てくれたおかげで、この不 運で、幸連な短篇はついに日の目をみることができました。 つまり、これの書かれたのは「グイン・サ】ガ」の構想成立よ り、さらに数年まえのことです。しかしすでに中原、パロ、トル ース、などのことばが出てきています。「ジェイナス」とあるのは ャヌスの英語読みです。先に書かれているが内容的にはこの作品の 方が本篇より何世紀かのちの話ということになり、また内容的にも 魔法側の色あいがずっと濃くなっています。 この「パロの闇王国のゼフィール王子とトルースのヴァン・カル ス」のシリー ズを、私はこのほかにあと七篇、長短とりま・せて書き ました。他のものも活字になる機会があるとは限らぬので、この機 会に、そのタイトルを記しておきます。シリーズの通しタイトルは 「トワイライト・シリーズ」です。 第一話カローンの蜘蛛 第二話蛇神の都 第三話減びの島 第四話暗い版図 第五話双子宮の陰謀 第六話リリス 第七話ルカの灰色狼 第八話カナンの試練 長さは三十から百五十枚ほどまで。また、第一話の「カローンの 蜘蛛」は、その背景、展開のいずれもが、文字どおり、ある夜まざ まざと夢にみたものをそのまま書いただけのものでした。いまにし て思えば、私のヒロイック・ファンタジーは、そもそも「夢」から 発していた、ということになります。 0