那、自らも棒を投げすてたイシ、トヴァーンの足にからめ倒されて「もう、わかったろう。ともかく、おまえは傭兵で、マリウスは吟 8 マリウスは仰向けざまに倒れた。イシ = トヴァーンはすかさずその遊詩人なのだ。公平な勝負とはいえん。おまえは戦うのが、商売な 2 さあ、マリウスをはなしてやれ」 胸に馬乗りになり、片手でのどをしめつけざま、もう片手にキラリのだからな。 「はなしちゃうの」 とナイフがひらめいた。 「つまんないわ」 女どもが風にゆれるアシのようにさわぎたてた。 マリウスはあえいだ。 「じゃ熊、こんどはあんたよ」 「くそーツ ! 殺せッ ! 」 「そうだわ。こんどは、この二人が戦って」 「殺せといってるわよ」 「あたしたちは、勝った男のものよ」 「殺してしまって」 「おい、おい、おい」 「血をみたいわ」 雲行きがあやしくなったのをみて、イシュトヴァーンは顔色をか 「あのきれいな若い男ののどを切りさいておやり」 えた。 「殺すのよ ! 殺すのよ ! 」 まわりで見守っていた、興奮しきった女たちが口々にわめきたて「なんて無責任なことをほざくあまどもだ。おれにグインをけしか けるな。とんでもねえツ、ラゴン族のドード ーを二本の腕で頭より たかくもちあげる化け物に、このやさ男のおれさまがどうできるつ 「おい、ああ云ってる・せ」 てんだよ」 イシュトヴァーンはケタケタ笑いながら、マリウスの髪をつか 「つまんないわ」 み、勝ち誇ってのぞきこんだ。 女たちは声をそろえた。 「ご要望にこたえねえとーーわるいんじゃねえか」 「つまんないわ」 マリウスは何もこたえなかった。彼は ( ともかくも、イシュトヴ「さあ、もう、余興はおわりだ」 アーンよりは、彼がひとまわり小柄で、細身にできていたことも云少しも動・せぬグインが云った。 「そろそろ日もくれた。家にもどるがいい」 っておかなくてはならないが ) すっかり打ちのめされ、髪を乱し、 まっさおな顔で、馬乗りになったイシ = トヴァーンをはねのけるこ女たちは、不平屋のカラスのようにギャ ] ギャー云いながら、し かしあえて逆らおうとはせずに、おとなしくイシュトヴァーンにか とがでぎずに、ナイフを見つめてハアハアと喘いでいた。 「おい、イシュトヴァーン。ばかなことはよせ」 けより、英雄をたたえながら、家にもどりはじめた。みごとなくら グインがおもむろに立ちあがった。 誰もマリウスの方にふりむこうともしない。 る。
「一人は熊よ」 グインの目がするどくなった。 「ヴァルキューリだと ? 」 「おお、熊でもいいわ。熊男でも男だわ」 「きれいな男 ! 」 彼は、マリウスにとも、イシュトヴァーンにともなくふりかえっ て、 「若い男 ! 」 「ずっと待っていたわ ! 」 「ヴァルハラという国はあるが、たしかそれは、もっとずっと北、 「なんてすてき ! 」 文字どおり人の足をふみ入れたことのないさいはての国だと聞き及 「ああ、あの肩、腕ーーさわりたいわ」 ぶ。また、ヴァルキューリとは何だ ? 」 「こっちへきて。早くこっちへきて」 「ヴァルキューリは私。私がヴァルキューリ」 がやがや、がやがや 彼の鼻面にキスした女が云った。 ひと 女どもは、いっせいにさえずりはじめ、マリウスとグイン、それ「熊じゃないわ。「まあ、みてよ。この男は熊じゃない にイシュトヴァーンをとりかこんだ。 黄色と黒の毛皮。まあ、私、この獣が大好きょーー」 「ひええ ! こいつあネリックの迷いこんだという女護ヶ島だぜ」 そして、女は、彼の手をとり、自分の胸にあてさせた。 イシュトヴァーンは抱きっかれ、キスの洗礼をあびせられ、酒を グインは短くうなってその手をひっこめた。 さし出されて、早くも相好をくずしてグインをふりかえる。 しかしふりかえると、もともとお世辞にも女に強いとは云い難い 「こいつあまた・ーーけっこうなところへ迷いこんだもんだ ! 天国二人の青年の方は、彼のことばなど耳に入ったのか入らぬのか、す ね ! 坊やのいうとおりだ。天国だあ」 つかりやに下って耳の上や胸に花などさして貰い、ニタニタしなが 「まあ待て」 ら女の胸に手をあてたり、女のロうっしに注ぎこむ酒をのみほした グインは首っ玉にかじりついてくる女をおしやった りしているのだった。 「女。ここの村は何という。タルーアンの氏族か」 「イシュトヴァーン ! 」 「きいて ! この熊男はロをきくわ」 うかつに、中味もあらためずに酒をのんだりするなーーーそう、グ 金髪娘は叫び、グインの鼻にキスした。 インはどなろうとした。しかし、彼も、まわりをとりかこんで押し 「ここはヴァルハラよ。ヴァルキューリの宮殿よ」 まくるしなしなした肉の壁に、じりじりと、家々の方へ押しこまれ てゆきつつあったのである。 「宴よ ! 」 赤毛が叫んだ。 「焼き肉。魚。木の実に草の実。木の実の酒に草の実の酒」 「ヴァルハラ ? 」 3 ふしぎな ー 48
「そうですか , ーーかわいそうに : 無人の、その水面を波立てるものもないしずけさの中ーー・ふるよ 「天はいつだってゞいちばん弱いものから奪い給うのさ。ばかじゃうな星が影をおとしている。 あったが、やさしい子だったにね」 ( リンーーどうしたのだろう。たった二回、それもほんのゆきがか りに口をきいただけの娘ーー薄倖な、知恵おくれの : : : ) 「ポルテは見つからなくてーーー天馬祭は、どうなるのです ? 」 とこかか 「中止してしまや、わしらは来年がないかもしれない。・ ( ぼくはーー ) ら、白馬を買ってきて、まにあわせるさね。どっちみち、アルゴス どうしてリン・メイに何もしてやらなかったのだろう。きれいな とカウロスが戦争になるというし、皆の心も荒れてる。あんないい 布をやったり、その目をほめてやったり、花をつんでやるだけでさ リンを殺した奴がつれてったかもえ 馬をみつけて放っとく奴はない。 しれないねえ。あんたも夜、ひとりで歩かないことだ。やつらがま ( 何もしていない。ぼくはまだ、何もしていない ) だうろついてるかもしれないよ」 レムスは、泉のほとりに伏して声もなく涙を流した。 そのときー、ー・リンリンリンリン・・・ : ・という音が、どこからともな アーアーアーと背後におこる悲哀の詠唱をききながら、重い足どくきこえ 、ツと顔をあげたレムスはとびあがった。 りで、レムスは教えられたリン・メイの墓へむかった。 「ポルテ ! 」 草原の民は、決まった墓どころをもたぬ。ほりかえされた草の間 い、小さな土まんじゅうがあった。石も、しるしも何も闇にふわりとうかんだ白い、白いもの に、ま新し ない。半年とたたぬうちに草がそれをおおいつくし、もうどこに埋 それがリン・メイの翼ある馬であることを、レムスはかけてもよ めたとも、誰にも見わけはつかなくなってゆくだろう。 いと思った。 ( 草原は淋しい。忘れられた死者でいつばいだ ) 「待って。待って、ポルテ ・ほくが探しにきたのはこんな こんな土まん ( ちがう。リン 行かないでーー、手をのばしたが、すいと風に吹きけされたように じゅうなんかじゃない ) 白いものが消え : このままでは、どうしても戻れなかった。何かが心の中でこわれ「誰かいるそお」 てしまったかのように レムスは胸が苦しかった。 「馬追いのガキだ」 ( そうだ、天馬の泉へいこう。リンはーーーきっとリンはポルテを殺 ハッとする間もなかった。 すのがイヤで二人で逃げ出した。それをかくして、部族のものはう「面倒だ。やってしまえ」 そを云ってるんだ : : : ) 「そーら、踏み殺すぞ : : : 」 天馬の泉は、闇の中にしずまっていた。 ギラギラ光る目 ーーくさい息、汚いひげ面、歯をむき出した野馬 0 5
グインは足をいそがせながら説明した。 その下に渦巻く黒い、不吉な水がはつぎりとみえた。かれらは青 「この水は氷よりももっと冷たい。そこにおちれば、たちまちのうざめて、顔を見あわせた。 ちに心臓はちぢみあがり、止まってしまう。ヴァラキア生まれの水「こりゃあわたれやしないよ、グイン。迂回しよう」 練の上手も役には立たぬ。 せめてものなぐさめは、スヴェンも「ああ。しかし急ぐんだ。どうも、この一帯の氷がうごき出してい あのヨッンヘイムの若者も、きっとさほど苦しむひまもなく息がとるようだから」 まったろうということだ」 かれらはあわてて裂け目にそって走り出した。ョッンヘイム人た ちもあとにつづいた。 「冗談じゃないね」 しかし、いくらも走らぬうちに、かれらはもっと大きな裂け目ー 低くイシュトヴァーンは呟き、いっそう足もとに気をつけた。 ーこんどはさっきの裂け目を直角に走っているーーーにぶつかったの ョッンヘイム人たちにとってもそれはやはり、ただならぬ異変で あったらしい。かれらは、ざわざわと何やらしゃべりあいながらグである。 インたちにおくれぬよう急いでいた。・ ふきみに氷には黒っ。ほい亀裂「イミール が入り、ゴゴゴゴ : : : という音がひっきりなしにきこえ、そして、 ョッンヘイム人たちはよわよわしく呷ぶと、すっかり観念した、 とおくで氷山がゆっくりと氷塊のあいだをすべり出るのがみえた。 というように、そこにすわりこんでしまった。イシュトヴァーンは 「なんてこった ! 」 刻一刻ひろがってゆく、いのちとりの冷たい海を眺めながら、幼い 子どものようなふるえる声を立てた。 イシュトヴァーンがうめいた。 「氷の下がぜんぶ海だなんて。 やつら、ヨッンヘイム人は、海「グイン ! 丨ーああ、グイン、どうしよう : ・・ : 」 の下に住んでるのかい ? 」 「すわりこんで泣くひまはない。 こうしてるうちにも、亀裂がひろ 「そうではない。このへんは、海がおそろしく入りくんで入りこんがり、望みは失われるんだ」 グインは手荒にヨッンヘイム人たちをひきおこした。 でいるのだろうーーーこれまでは、上を氷がひとしなみにおおってい 「さあ、ついて来い ! 」 るのでわからなかったが。それにしても、急ごう。思ったよりも、 彼はさっきの裂け目へひきかえした。そこは、さっきよりまた少 異変はひろい範囲にわたっているようだ」 かれらはいよいよ緊張して先をいそいでいった。しばらくは、裂しひろがったように思われた。 け目にゆきあたっても、ひと思いにひらりととびこせるていどのも「どうするんだよ、グイン のしかなかったが、やがて、かれらは愕然として立ちすくんだ。お「ここで立往生しても死ぬのは同じだ」 よそ二タール近くもある裂け目が、 云うなり ばっくりと口をあけていたので あるー グインは少しうしろにさがってじゅうぶんに助走をつけるなり、 250
をつく。 に若者一人をのこして、逃げまどう群れをおって氷山をソリですべ 彼の日々は、こんなふうにして彼女に埋められ、彼女に満たされ りおりていた。 てつづいていたのであり、彼は、時も、外の世界も、何もかも忘れあいかわらず、空はくらく、そして暗灰色のとばりにとざされて いる空には、ときたま極光がはためいた。人々は誰しも、地下から 去ってここに呪縛されてしまったかのようにみえた。 イシ、トヴァーンはそういうマリウスをばかにして、ろくろく近地上へ家て来たというよりは常昼の光の中から、たそがれのさなか づこうともせずに彼なりにいろいろなことをして日を送っていたへと下ってきたかのような思いだった。 、刀 、グインの方はそうではなかった。彼は、その何ものをも見のが「そらつ、そのでかいやつはおれがひきうけたそ」 さぬ、するどい豹の目でもって、おそろしくさまざまなことを見て イシュトヴァーンはしずかな地底都市での生活の無聊を一気に吹 とっているようにみえた。 きとばすように大声をあげ、槍をふりかざして追いすがった。シカ しかし、彼は、マリウスに何も云おうとしなかった。マリウスが はやわらかいひずめで氷をけって、白い粉を舞いあげながら必死に どのようなつもりでいるのかと 、いただすことさえも、あえてし逃げてゆく。 なかったし、おのれがどうするつもりだといいもしなかった。彼は 「そらつ、そっちだ、そっちだ」 ただ、二人の若者を、片方は苛立ち、片方は我を忘れて溺れている暗いオーロラの空の下に、時ならぬ叫びがひびきわたった。 ままにそっとしておいた。彼はいずれ何かがおこることを、はっき「追いつめたぞ、グイン」 りと知っているようであり、そしてまた、その何かは、ほんとうに 「よし、ひきうけたーーこ この時に忘れられた世界をおとずれてきたのである。 グインがまわりこんでイシュトヴァーンの追いたてるシカに、 頭の豹と化しておどりかかる。 4 そのとき 大地が鳴動した ! いや、このあたりは、海の上に氷が何タールもはりつめ、氷山と それは、例によってマリウスはおらず、グインとイシュトヴァー ン、タルーアンのスヴ = ン、そしてョッンヘイムの数人の若ものと氷山がかさなりあってできている陸地である。大地、といっては云 で、地上にのぼってゆき、長い毛と巨大なツノをもっシカの一種をいすぎになったろう。 追い立てているときだった。 氷山が激しくゆれた。ビッ、ビッとぶあつい氷にひびが入り、足 このリポーというシカは、ヨッンヘイムの人々のいちばん好む肉もとの地面がさながら天に舞いあげられるかと思われた。 でもあり、また珍重されるなめし皮にもなる。すでにグインは投け「うわあーツ ! 」 槍で一頭をしとめており、人々は、手早く皮をはいで処理するため「イシュトヴァーン ! 」 とこ 247
からうつつにひきもどされた思いに、すっかりおどろいたのたっ間じゃないよ。 いいかね , ー・ーわしらは、ノルン山脈の彼方、ノーマ ンズランドにその足をふみ入れたのさ」 「もうついたのか、モルフキノ ? 」 「ノーマンズランド ? これは終始冷静なグインが声をかけた。 「わしらはそう呼んでる」 「いんにや」 「そりや、何か人間界でないところなのか ? 」 モルフキンはふりむきもせずに、 イシュトヴァーンがひそかに魔よけのまじないをしながらきい 「ここから、少しようすがかわるので、さっきまでのようには走れた。そういえば、あたりの光景は何ともあやしい逢魔が刻のかぎろ ないのだよ」 いをおびていた。モルフキンでさえ、ゆうべともちがって何か奇怪 「おや」 な、いかにも怪物じみた生物に思われた。 「違う」 マリウスはまわりを見まわし、あらためておどろいた。 いつのまに、そんなに時間がたったんだろう」 「もうタ方だ。 しかし、モルフキンは元気よく一言のもとに否定した。 マリウスがおどろくのもムリはなかった。 「あんたのいうのは、それは″黄金の国″のことだ。そこは北極の あたりはいつのまにか、かれらがソリを走らせはじめた明るい朝 、南極の南にあって、そこでは時も流れず、生も死もともに存在 とはまったくおもむきを一変していた。 しないという ノーマンズランドはちがう。ここは、すべての北 すでにそこはたそがれひと色でつつまれた世界であった。うす墨の国々から見はなされてる辺境で、住むものもないのだが、しかし の色濃い闇が、空と、木々と、雪原とを重くそめあげ、そして地形それはヨッンヘイムの入口でこそあるものの、地上の時も、神の手 もとどくところだよ。まったく、こわがることはないさ」 もまたかわっていた。 かれらはずいぶんと山の方へ近づいてきたらしい。両側には氷と「こわがってなんぞいやしないがーー・それじゃなぜ、夜にもならな 雪にいろどられたけわしい山々がせまり、もうどこにも、地平まで 、ってのに、こうも暗いんだい、 このあたりは」 も見晴らせる、ひろびろとした雪原のひろがりはなかった。 「ノーマンズランドは、一年のほぼ半分のあいだ、つねに夜の薄暮 山々の彼方にはまた山々がつらなり、そのはては氷河となってゆにつつまれてるのだよ。そしてのこり半分のあいだは夜になっても 日のしずまぬ白夜なのだ。昼と夜とが交替するごく短いあいだだ 。それはけわしく、心さびしい、世にも孤独で荒涼としたたそが れの世界であった。 け、このさいはての地にも夏がおとずれる。しかしそれはおどろく 「いや、いや」 ほど短く、再び長い冬、あわせて一日しかない冬がおとずれる。こ モルフキンがいた こは、どうしてか古来そういう土地なのだ。それゆえ、ここには、 だからこ 「わしらはいいところ二ザンと走っちゃいない。まだ日のくれる時勇敢な開拓民でさえあえて住みつこうとはしなかった
たもののようだった。 激しく二人をせきたてた。 「あれえツ」 「火をつけたのはお前か ! 」 「たいへんだわ」 「そうだよ。あのかわいそうな死者たちだって、魂の平安を得なけ 「イミー ルよ ! あたしたちの肉が ! 」 ればならないしーー・ーそれにどうやら、あれがこの魔女どもにとっち や、いちばん大切なものらしかったからね。あいつに火をつけてや 「大切な倉が ! 」 「あれを焼いては、この冬じゅうあたしたちは餓えてしまう ! 」 りゃあ、それに夢中になって、ぼくたちどころではなかろうと思っ たのが、まんまと図に当ったってわけさ ! 」 「水よ、早く、水 ! 」 もう これだけ云うあいだも、三人は走りづめであり、マリウスは息を 切らしていたが、足をとめようとも、しゃべるのをやめようともし 二人の男に、かまいつけようとするものは誰もいなかった。 よ、つこ 0 / ・カ 0 / 女たちは、金切り声をあげ、おろおろと手をもみしぼりながら、 火にむかってかけ出し、何とか火を消しとめようとむなしくかけず「おかげで助かった」 りまわりはじめた。 グインは短くそれだけ云った。イシュトヴァーンは、こんりんざ その間にも、紅色とオレンジ色の火は、パチパチともえさかり、 マリウスの気転に感謝の意を表そう、などという気はなかった さかんに舌なめずりしながら、つぎつぎに家々をその炎のロになめが、ものも云わずにかけつづけながら、その目には、しんそこ生命 てゆく。 拾いをしたという表情がうかんでいた。 叫喚、悲鳴、ものの燃えおちる音 どこまで走っても、女悪魔たちの金切声と、パチパチ火のはぜる あたり一帯は、ものすごい騒ぎにつつまれた。 音、そしてうしろの空をあかあかとこがす炎がかれらを追いかけて グインとイシ = トヴァーンは、むろん、ぐずぐずとこの機を逸しくるように思われた。しかし、女怪たちはたしかに火の中から、少 たりしなかった。 しでも多くの財産を助け出すことに必死になっていたとみえ、こん 「今だツ」 なふうに彼女たちの残忍な、罪深い平和な暮らしをめちゃくちゃに 「ありがてえ ! 天の助けだ ! 」 した三人の男への復讐どころではなかったのだ。 グインは木をなげすて、二人はただちに村の入口へむかって走り ようやく、街道へもどり、どうやら大丈夫と見きわめがっき 出す。 女どもの叫びも、火のよぜる音もとおくなると、三人はそのままも と、一軒の家から人影が走り出てきた。二人はギクッとして身がのも云えず、そこにへたりこんだ。 まえたが、それはキタラをぶじにとりかえしてきたマリウスで、 しばらくは、かけとおしたのでハアハ、アいう肺をなだめながら、 「さあ、早く ! 」 ひたすら呆然と、たがいの目を見かわしているだけだった。やが
いたあげくがあのみじめなざまじゃ、たしかに顔向けならねえこっ つかりとした原野のひろがりのように目にうつる。 たろうよ。ほっとけ、ほっとけ。戦士の連れにや、やつばり戦士が ざわざわと木々の梢を吹く夜風でさえ、な・せか不安と、そして孤 ふさわしいのさ」 独と恐怖をはらんで、世にもさびしい音をたてるかに思われた。 マリウスは何も云わず、ただあいてをにらみつけると、大切なキ マリウスは待った。 タラをとりもどそうとさえ思いっかぬかのようにかけ出し、村を出 どのくらい待ったろうか。 る小道をかけあがっていった。 マリウスのするどい目は、小屋のひとっから忍び出てくる大きな 姿を、すばやく見てとった。 女たちは、顔を見あわせ、どうするかとたがいを見るようだった マリウスは音もたてずに草むらの中を移動して、その影に近づ」 が、ひとりが肩をすくめてみせると、他のものも笑ってもう彼のこき、ヒュッとひくい口笛をふく。 とは気にもとめぬ、といったようすで、イシュトヴァーンをとりか「マリウスか ? 」 こんでにぎやかに笑いさざめきながら家に入っていった。 ききとれぬほどのひくい声がもれた。 マリウスは、それを見おくって足をとめしばらく考えこんでいた「ここだよ、グイン」 が、やがてそのままそこを立ち去るようなそぶりでまっすぐに坂を「そこへゆく」 上っていった。 するり、と巨体に似ぬ敏捷さで、豹頭の戦士がマリウスのかくれ ている茂みにもぐりこんだ。 日が北の海に沈んでゆき、やがてとつぶりと濃い北国の夜闇が訪「やっと、出られた」 れてくる。 低く彼はうなるように、 ホー、ホー、ホー、とどこかで、世にもさびしい声で何かの鳥が「酔いをさますといってな。女どもが、早く子種の約東をはたせと 鳴いているのがきこえる。 うるさく迫りはじめたのでーーーイシュトヴァーンは、女どもにつれ マリウスは、下の村からきこえてくるにぎやかなどんちゃん騒られて寝所へ行った。ちょっと待て、誰かあとを追ってくるかもし ぎ、もれるあかりに目と耳をこらしながら、しん・ほうづよく待ってれん」 しかし、誰も、出てくるようすはなかった。しばらく、それをた やがて北の海に青白い月がの・ほってくる。どろりと重くよどんだしかめてから、マリウスは闇の中にグインの輪郭をさぐった。 波は、その青白くつめたい、どこか中原のそれよりもよそよそしく「ねえ、グイン。どうしたの」 さえ思われる光の下で、まるで海水などではなく、もっとずっとど「うむ」 ろどろとした固いものーーーその上をずっと歩いてゆけるほどに、し グインの声は、彼としてはまことに奇怪にも、ある怯えーーー・ある
イシュトヴァーンははしたなく生唾をのんで、 イシュトヴァーンが目玉をひんむき、マリウスがニタニタしなが 「こいつあ、マリウス坊やのいうとおりだぜ。こりやたしかに、天 ら天国だというのも、まことに無理からぬことであったといわねば 国だ。目の保養、眼福ってもんだ。うわっ見てみろよグイン ! あ ならぬ。 そこに、かれらをの、ほら一番でけえ赤毛の女のおつばいのでつけえこと ! サリア よくそこんなに揃えたものだというぐらい 迎えに、満面に笑みをうかべ、手に手に花や酒の杯をさし出しながの聖なる牝牛に誓って、あんなすげえおつばいを、これまで見たこ ら情熱的に近づいてくるのは、みごとに豊満な肉体と、もえたつよともねえぞ ! 」 うな赤毛や金髪や黒髪、色白の、彫りのふかい、なやましい美女ぞ「イシ、トヴァーン。このあたりまでは、たしか中原のことばが通 じるはずだそ」 ろいなのだ。 グインがたしなめた。 しかも、彼女たちは、そのゆたかで大柄な肉体を、少しも出しお しかし、それが通じたのか、いないかにはかかわりなく、女たち しみせぬ習慣でもあるとみえた。 というのは、彼女たちはみな、片方の肩ーー右もあり、左もあっは、にこやかな笑みをたたえ、片方だけあらわした乳房をゆらせ たがーーで結んだ毛織の服をつけているのだが、意匠も、色あいもて、かれらにほとんどかけよるようにして近づいて来つつあった。 さまざまで、毛皮のふちをつけたり、あでやかなぬいとりをほどこその中の一人がグインの異相に気づき、息のとまったような顔で足 したりしてあるものの、たったひとつ、そのデザインには一つの例をとめた。 「イミールよ ! 」 外もない共通点がある。 つまりーーーそれは、片方の肩から腰へとゆったり垂れさがり、腰彼女は叫ぶようにいう。なまりはつよかったが、じようぶんかれ らには理解できることばだった。 のところでぎゅっと皮のサッシュでしめられているのだが 彼は何者なの ? 」 そして、両腕は、それとは別に、手首から先のない長い手袋とで「あれをみて、ヴィーリ ! もいったものをはめて、肩のところまでかくされているのだが、そ「おお、イミール れにもかかわらず、その大柄な美女たちのもう片方の胸はむきだし「熊よ ! 熊がひとに化けてるのよ」 「でもいいわ。男よ ! 」 で、ゆたかな乳房がすべてさらけ出されているのである。 そしてその腰から下は、きわめてびったりした皮のズボンとひざ「たくましい男 ! 」 「もう一人はとても男前」 までのプーツというかっこうは、何だか、肌もあらわな裸よりも、 「おお、フレイヤ ! あの筋肉をみた ? あの体格、あの骨格 ! 」 もっとなまなましく煽情的にみえたし、その白いゆたかな胸は男た 「すばらしいーーすばらしい ! 」 ちの胸をまるで矢のように射るかに思われた。 こりゃあ」 「男よ。男がーー・異国の男が三人もよ ! 」 ー 47
は、色目使い専用だろうからな。どうだ、グイン、見えたか」 「大丈夫、まかせといて。・ほくのこの、オフイウスの弁舌とルアー いや、見えてきた。あれらしい」 「いや、見えん。 の美しさがあれば、どんな敵意にみちたやつだってーー少し、ここ グインはあくまでも慎重に、 で待っていてよ」 マリウスは背負っていた皮袋をおき、キタラ一つを背にかけた、 「しかし、野火や煙ということもある。漁師が野営しているのかも 身軽な姿になってその村の方へかけおりてゆこうとした。 しれん。頭から、村落だと決めこむことはできん」 が、何を思ったか、足をとめるとまたかけもどってきて、グイン 「あいつは村さ、村に決まってる。そんな気がーーカンが働くから にひそひそ声でささやく。 ね」 「おや、この人はパロの霊能者らしい」 「ねえ、グイン、・ほくのいないあいだに、あいつを殺すか、まくか マリウスが意地わるそうに云った。イシュトヴァーンはじろりとしちまってくれれば、もっと有難いんだけど ! 」 マリウスをにらみつけたが何も云わなかった。そして黙って、あれ云いすてるなり、ゲラゲラ笑いながら、かもしかのような身軽さ を見ろというようにあごをしやくった。切れこんでいる崖と海岸線で、たけの低い灰色のはいまつのこびりついている細い下り坂をか の彼方に、いまや、おぼろげな影のようなすがたではあるがはっきけおりてゆく。そのかぶっている吟遊詩人の三角帽子が、しなやか りと、いくつかの人家の屋根らしい茶色のものがうかびあがってきな身ごなしにあわせてしっぽのように揺れた。 ていたからである。 こちらではのこされたイシュトヴァーンが憎さげにそれを見送っ 「ひとをそしる奴に限って何の役にも立たねえときてるからな」 至極満足げにイシュトヴァーンは云った。マリウスはきこえない 「グイン」 ふりをして、 さながら、重大な秘密をでも打明けるような声を出した。 「ねえ、グイン。このへんなら、たぶん、タルーアンの領土内のヴ「ああ」 アイキングの村だと思うけど、念のために、ぼくが行ってようすを「前々から、いっぺん、ききてえと思ってたんだが、あん畜生がま みてこようか ? 何といってもそういうことの適任は・ほくしかいなつわりつくもんで、ーーなあ、グイン。おまえは、もしかしてー女 いようだから」 より男のほうがいいのか ? 」 「ああ、あいてが女か、男娼好みのじじいなら、特にな」 「何をばかな」 とイシュトヴァーン。 あきれかえったようすで、グインはイシュトヴァーンを見つめ 「ねえ、グイン。・ほくはグインにきいてるんだ」 「うむ、そうだな。では頼もう。タルーアンのヴァイキノグは、そ「だ、だってさ」 うむやみと人に危害は加えんはずだが、充分気をつけてくれ」 イシュトヴプ朝ンは困ったような、からかうような、。うろんなよ