ィールだ。さあ、老人、名乗れ」 蜘蛛という単語が老人の注意をひいた。老皇帝は顔をあげ、玉座 「わしは白亜宮に住まう黄金帝国のさいごの皇帝、コルラ・サーンにすわり直し、赤く光る目で王子を見ながらしわがれた声でしゃべ 2 だ。わしの前にパロスはひざまづき、永遠の忠誠を誓ったのだ。闇り出した。 王国ーーー闇王国、わしは聞きおぼえがないそ、痴れものめ ! 」 「蜘蛛というたか。蜘蛛はどこにおるな。あれはわしの伜じゃ。わ 「ききおぼえはなかろう。黄金帝国は数百年前減び、地上から消えしのあととりじゃ。かわいい王子じゃよ。わしはジェイナスにだま た。おぬしの領土は大原生林に姿をかえた。黄金帝国はパロスの昨された。偉大な皇帝コルラ・タルスの皇后 / ラは不貞をはたらき、 日を支配した。闇王国は。 ( ロスの今日に君臨するのだ。コルラ・サ姦通によってサーンをみごもったと噂された。それゆえわしの体に ジェイナス ーン、おぬしは数百年前に死んでいるのだ。双面神のしろしめす黄タルスの血が流れているかはさだかではない。気高い血をうけつが 泉へもどれ、亡霊 ! 」 ぬ者が王座にすわったときジェイナスはいかづちを下すという。わ 王子は手をあげて、なにかアルカイックなしぐさとルーンのことしは畏れた。わしはタルスの血がほしかった。それゆえ、臨終の彼 ばとを、伝説の老皇帝へ投げつけた。老皇帝は白い髪と髭をゆらめの咽喉をきりひらき、彼の気高い血を一滴あまさずったのじゃ。 かせて、ほのぐらい玉座に立ちあがった。 王子よ、ジェイナスはわしを皇帝と認めおった : ・ : いかづちではな 「なるほど、そちは王子じゃ、気高い血のものじゃな、少年よ。そく、 黄金色の炎がわしをつつんだ。わしは帝国を統治した。だがジ ちの額には王家の金冠がはめられている。そちの肌は王家のやわ肌 = イナスめはわしを受け入れておきながら復讐しおった・ : : ・わしが じゃ。そしてそのルーン語のまじないはジ = イナスが祭司たる王家奴隷娘ミナを愛し、皇后とし、ミナがわしの最初の子を生んだと の者にさずけるものじゃ。そちは真実を語っている。 き、そやつは人間ではなかった : : : 奇態な、黒い毛を全身にはやし それでは時はまことにわしをとりのこして流れたのか ! 黄金帝た異形のものだった。蜘蛛を人間に模したような、なんという神の 国の栄光はくずれ去ったのか ! わが版図は踏みにじられ、荒てはおそろしい悪戯だったかーージ = イナスめはわしの奸計に、かくも てたか ! わしはこのきららかな、むなしい廃墟にとりのこされ悪夢で報いたのじゃ。ミナは狂って死んだ。蜘蛛めはやがて宮殿を て、時に忘れ去られたのか ! 」 徘徊しはじめおった。人々はおそれて逃げまどい、群臣はもはや宮 老人は細長いツメののびた指で白髪頭をつかんでうめき、ゆっく 殿に出仕せず、国民は黄金帝国を逃げおちていった。だが双面神は りと、白い・ほろのかたまりのように玉座にくずれおちてしまった。 まだわしをその復讐の手からはなしてはくれなんだ。わしはコルラ 「おい、コルラ・サーンは蜘蛛になったといったではないか」 ・タルスの臨終の血を袋って以来、人の生血の素晴しい味が忘れら カルスはささやいた。王子はふりむきもせずささやきかえした。れなくなっていた : : : それは甘く、わしの老いたからだに不死の生 「伝説やロ誦は、真実を象徴するにすぎぬ」 命を一滴ごとに涌きあがらせてくれる。わしは奴隷や後宮の娘の血 「だがあの蜘蛛は : : : 」 をすすっては渇えをみたした。だがそれは不満足な代用品にすぎな
てふりかえってみた。いまや嵐は荒れ狂いはじめ、密林は激しい雨 王子は舌打ちすると、カルスのところへ行きルーン文字をとなえ に煙っていた。ところがこの石の庭には、小さな水滴ひとっ落ちてた。カルスはまた動けるようになったがもう験してみる勇気はなか は来ないのだ ! 「王子 ! 王子 ! 」 「イリスの女神よ ! 彼女の薔薇色の胸にかけて、なんというとこ カルスはあわただしく王子を呼んだ。王子の注意は石の庭のほ・ほ ろへ迷い込んでしまったものだ ! 」 中央にはめこまれていた何やら彫った石に集中されていた。カルス 「雨宿りには、これにまさる場所はないな」 はとんでいった。 王子は皮肉に笑った。 「王子、ここは化け物の家だ、雨が、ここにだけ降らぬ ! 」 「とにかくこうしていても仕方がない。中へ入って、何かこの呪い 「ジェイナスの御心だ」 の謎をとく手がかりをさがしてみよう。謎がとければ呪いをのがれ 王子は冷たくカルスを見上げて答えた。カルスはぼかんとしてしるすべも求められる。ジェイナスの御名によってなされたことでよ まった。 かった。ジェイナスはジェイナスの祭司たる王家のものを見捨てる ト 1 ルの呪いだったらわれわれは本当におしまいだっ 王子は興味なさそうに首をすくめた。いま調べていた石の面を指ことはない。。 さす。 た」 「この石にはルーン文字でこう彫ってある。ーー外界はこの宮に触 トル 1 スの貴族はぶつぶつ云ったが、もう云いかえすだけの元気 れることを止めよ。万象はこの宮を侵すを止めよ。この宮に立ち入は残っていず、おとなしく王子のあとについて庭を横切り、林立す りしものは再び出ることあたわず。ことジェイナスの御名においてる円柱のあいだをぬけて主殿の中に踏み込んでいった。不信でいっ なされしことなり」 ばいの、不遜な草原の民の末裔だったが、さきほど禁忌にいどんだ ときに五体をつかんだ衝撃を思い出すと、結局この時代の人間であ 「王子 ? 」 「鈍い男だな。つまりわれわれは禁忌の場所に足を踏み込んでしまるカルスは、もう不馴れな領域に首を突っこんでいく元気をなくし てしまっていた。 ったのだ。もしかするともう二度とこの庭から外へは出られない これはゼフィ】ル王子の領域だった。指に魔道士の指輪をはめ、 黒髪の額に王家の細い金冠をはめ、ルーン文字をあやつる、人智で 「そんな、馬鹿な ! 」 ははかり知れぬほの暗い神秘に親しく通じているごの王家の少年 ヴァン・カルスはむせた。かれは庭の隅へとんでいった。ヴェー 、別におそれるふうもなく、今度はヴァン・カルスの先に立って ルのように庭の外をおおいつくす雨の中へ足をふみ出そうとして、 かれは動きをとめてしまった。何かがかれの頭脳を電流のような激大理石の建物に入っていく。カルスはそのすんなりしたうしろ姿に 5 眉をしかめて見せ、愛剣の柄を握ってついていったが、いまではそ しさで麻痺させ、動くなと命じたのだ。
であり誠実な魂の持主だったが、ゼフィ .1 ルのような神秘的能力を大鳥が舞いもどってぎた「王子ののばしてやった腕にとまると、 持ってもおらず、その領域と親しくもなかったので、予知、予感、 くちばしをひらいて幾声か鳴いた。王子が肯いてやると飛び去っ 感応なその不思議の力がこの美しい高貴な連れをとらえるとき、すた。王子がヴァン・カルスをふカかえると、かれは不遜にもにやに やしていた。 でにこれまでの旅でその確かさを経験していたにもかかわらず、 つも少々当惑と不信にとらわれがちだった。少くとも、ダールの大「一ゾットほど前方から、何か建物の屋根が見えるそうだ。行こ 原生林を左手に見おろして進むこの道の行手の空は淡い青紫に澄う、ドールの巣だったらそのときこそ剣をふりまわせばよい」 み、天候の荒れるきざしだに見られなかったのだ。 二人は先を急いだ。山腹をめぐっているこの街道はくつきりと赤 「カルス ! 」 くうつくしいリポンのようにはるかにかれら旅人の前とうしろにの それと見てとって王子が鋭く云った。 びている。山すそにははてしもないダールの大密林がひろがり、そ 「危険はおかせぬ。ここで嵐に見舞われたら、魔神のえじきのようの上に青くかすむ山脈はカラクダイの神秘な山なみだ。ヴァン・カ なものだ。あの原生林を見るがいい 。その謎はほんのわずかしか解ルスはあやしんだ。この荒れはてた森林地帯に住むようなものはろ ぎあかされてはいない。 ここはパロスの平原地帯、ジェイナスの神くなしろものではなさそうだ。むかしこのあたりを大密林がおおい つくす前には黄金帝国と呼ばれるゆたかな国の版図としてパロの中 の見守る沃野ではないと、何度云ったらわかる ? 」 カルスは苦笑した。そしてむきになって黒い目を輝かしている、原地方におとらぬ繁栄を見たと云いったえるが、それは数百年も昔 ほっそりした、愛らしい姿に和解を求めるまなざしをむけた。 のことだ。カルスは腰につるした長剣をまさぐって少し心強さをお 「雨宿りの場所はあるのか ? 」 ばえた。それは家宝になるような素晴しい名剣で、鏡のようにみが かれており、柄には青い宝石でルーン文字の聖句を象嵌し、ジェイ 王子が眉をひそめた。ふたことみことルーンのことばをとなえ、 しなやかな手を空にさしのべると、その上に大鳥が舞いおりてきてナスの火で浄められてできあがったもので、これを勇敢な貴族を殺 ばさばさと羽づくろいをして、なにかふしぎなことばで語りかけるして奪った大盗賊ヴァン・カンの洞窟で血を流してあがなってから 王子に首をかしげていたが、やがて飛びたっていった。 というもの、この剣によって数えきれない生命の危機をカルスはぶ 「あれが見つけてきてくれる」 じに切りぬけてきた。黄金帝国の廃都に何が巣くっているにせよ、 王子は云うと、カルスの疑い深い表情に目をとめて肩をすくめよしんばそれが悪の源ドール自身だとしても、これまでどおりこの た。トルースは。 ( ロスの南部の草原地帯の国で、草原地帯の人間は愛すべき剣がかれを守ってくれる。ところでかれの連れは、高貴で 都市の人間、海辺の人間とくらべて神と悪魔とにちかしくない。か華奢な、魔術とたわむれるのが好きな美しい王子のほうはもしかれ れらは自分の力を信じるからだ。それはそういうふうにできているがいなかったらいったいどうやって身を護れるというのだろう ? / ロの中 のだ。仕方がない。 ヴァン・カルスが王子ゼフィ 1 ルの連れとなったのは、。、 ドール 2
ー 0 ー 0 ー朝一 0 ート 3 ハ 十五月 イラストレーション 錦織正宜午 加えて言うなら大口のセックスはクン していることを示します。早い話が出し ビッグマウス たクソをまた食っているということなのまみれのセックスです : : : 失礼。 大口 です。エサをとることで若干の内容物の大口のメスはケス河の河底でオスとビ 大口という生物はノスフェラスに接し変化はありますがクソと呼べる範囲を出ッタリ口をくつつけて交尾、いや交舌を いします。オスはこの時メスから卵をもら て流れているケス河に棲んでおりましません。エサのない時なんかは質の悪 て、その名のとおり大きな口だけの生物クソを一日中、クチャクチャやっているって、オスのロの中で受精させ、卵がか えるまでの間、それを口にほおばって過 であります。もう少しくわしく言いますのです。私たちはこの大口をスカトロジ ック・アニマルと呼んでいます。 ごします。この期間オスはエサをとるこ と全ての器官を大きな口の中にそなえて いて、外からは大きな口だけの生物に見不都合はそれだけではありません。くとも河の中を移動することもできずにど えるということです。大きな皮付きのサどいようですが大口の全器官は巨大な口んどん衰弱してゆきます。春過ぎたころ にケス河の河底で動かず、ものほしそー メの入れ歯が水中でパク。ハク泳いでいるの中にあります。全器官というからには 姿を想像していただければ、ほ・ほそれに当然、生殖器もその中に含まれるわけでな顔をしている大口がいれば、それはオ す。つまり彼等はセックスをする時、ロ スの大口だと思ってまず間違いはありま 間違いはありません。 身体の全器官を口の中に納めているとを使うのです。 ( ヒワイやなー ) キスしせん。やがて夏になり口の中の卵がかえ いうことはいろいろな不都合が生じまただけで赤ちゃんができちゃうのです。った時、オスはしずかにその一生涯の幕 ! ) うれしいやら、はずを閉じます。中には外道な奴がいて、ほ ( この方がいし す。 かしいやら、なさけないやら、大口っておばっていた卵や生まれた小大口を飲 つまり、ロと肛門が同位置にあるとい うことで、このことは消化器系がルー。フ本当におもしろいですね。 み下し、力をたくわえて生きのびようと 生物図説 つなしさっき こビッグマウス
いろな歌を、物語を、夜が明けるまで」 た。キタラ弾きはやがてカウンターをぐるりとまわって、灰色の目 「よろしゅうございます」 の船乗りのところへやってきた。 キタラ弾ぎは、楽器を膝の上に置いた。 「行ってくれ。そっとしておいてくれ」 心をうつ話、奇怪な話、耳を楽しませる話 「お話しましよう 船乗りは呟いて小銭をさぐる。キタラ弾きは快活に笑いをうかべ を。。ハロの町はご存じか」 「私の歌は心を癒やすためにある歌です。それが必要な人のために「知っている」かれはひるんだ。 「パロは美しい町です。パロスの闇王国の国王とその眷族たちの住 歌います。聞きなさい、そしてその目から傷ついた思い出を消しな な双子宮をその北にいただいて。王子ゼフィール、美しい魔術つか さい」 船乗りはキタラ弾きを悲しい目で見た。キタラ弾きは調弦し、澄いの王子ゼフィールの話をきいたことはおありかな ? ゼフィール んだ音をたてると、古いやさしい歌を弾き歌いはじめた。船乗りはと、草原の国トルースの貴族、ヴァン・カルスの物語を ? 」 「話してくれ」灰色の目の船乗りの声は、ほとんどささやきになっ 耳を傾けた。それは美しい不実な恋人を持った娘が真実の愛を語っ こ 0 て恋人をとりもどす歌だった。 澄んだキタラの音とやさしい低い声は居酒屋の喧に呑まれがち「話しましよう。これは長い物語です。ゼフィール王子は絶世の美 だったのだが、いっか深く目をとざして耳を傾けていた船乗りの心貌と魔道の天稟をそなえていたが、人智を超えた秘蹟をときあかし ジェイナス たばかりに、双面神の怒りにふれ、パロスの平原地帯を追われて贖 には、やわらかく、甘く忍び込んでいった。 さすらい キタラ弾きがさいごの和弦を弾きおえると船乗りは小銭を与え、罪の放浪をせねばならなくなったのです。だがまず火酒の盃を満た してください。夜あけまでにはまだ長い」 かれの技倆をほめた。キタラ弾きはにつこりした。 「何か語り物はいかがです : : : 古い伝説、神話、新しい物語、歴史そうして、キタラ弾きは語りはじめた。 「そうだな」 と船乗りは呟いた。天色の目は要心ぶかく伏せられて無表情にな 王子ゼフィールは苛立たしげに美しい眉をひそめて、連れをふり 「語ってくれ。なにか心をまぎらすものを。夜がくると俺に昼はかえった。 まぎらわせている痛みがよみがえるので俺はひとりで酒を呑む。夜「ヴァン・カルス、風がかわった。ーー・嵐が来よう」 は長く、俺の心は淋しい。今夜おまえの歌をきいて、俺は倖せだつ「嵐が ? 」 トルースの冒険児ヴァン・カルスは六尺豊か、健康で有能な剣士 たころを思いたした。もっと歌ってくれ、そして話してくれ、いろ
「だってほかに云いようがない。それより、どこか一室のほこりを の効果についてはごく疑いぶかくなっていた。この剣はジェイナス 払って、食事をし、休息をとろう。持ってきた食料ののこりは、あ に対しても、人間や獣にと同じ力があるものだろうか ? 大昔には貴族や奴隷たちやさわぎたてる謁見をゆるされた民衆ですかあさってじゅうにリ = アの町に着くはずだったのだからあまり にぎわったであろう、円柱の林立するテラスをとおりぬけ、天井の多くないが、先のことは先のことだ」 「カルス、その態度は愚かもののようだー この宮殿のどこに何が 高い、うすぐらい回廊へふたりは入っていった。ひんやりして、か びくさい空気がカルスの鼻を打った。回廊の左右にはいくつもの部あるのか見定めないうちは安全ではないのだそ。さあ、ひととおり 、わたしひとりで行く」 屋があったが、みな白大理石の床もさむざなしく、人の子ひとり見見てしまおう。いやならいい カルスが少しためらうあいだに、王子はさっさと廊下のかどを曲 えぬ。床には埃がつもり、古い昔につけられたらしい足形をぼんや りと見せる。部屋はどれも、美々しく広かったが冷たい死の気配ががってしまった。カルスは首をすくめると、さきほど見たなかで、 よどんでいた。壁に金銀のタベストリをめぐらした婦人のらしい愛さまざまな毛皮をはりつめた婦人室がいちばん居心地がよさそうだ ったのを思い出し、そこを当座のかくれがにするためにひきかえし らしい部屋、鎧をつけた白大理石の彫像を四隅にかざった、真中に 大きなテ 1 プルといくつもの背の高い椅子をすえた威厳にみちた部た。王子がもどってくるまでに埃を払い、やすらかに眠れる寝床を つくっておいてやろうと思って。 屋、どれもはるかむかしに使われなくなったようだった。 王子はかすかに笑った。立ちどまり、一室の入口にかかっていた 3 古代文字の標札を指さした。 「これは昔の黄金帝国の文字だな。やはりこの宮殿は古代の帝国の 王子は結局ひとりのほうが気が楽だった。薄暮は王子の心だった 廃墟か、でなければ : : : 」 し、禁忌も神秘も王子に親しいものたちだ。太陽にちかしい草原の 「その亡霊だろう」 ヴァン・カルスは苛立たしげに口を出した。いやにうすぐらいこ民たちの心にはまだ真昼の輝きがのこっていても、地球はすでにた の宮殿のなかはどこからどこまで大理石なので、声がいんいんと反そがれのときを迎え、はかり知れぬ昔人類の黎明とともに闇に封じ られた妖魅や魍たちが長い時の果てに再びその力を回復しようと 響して無気味だ。 「ここはカローンの白亜宮だ。黄金帝国の偉大な皇帝コラル・タルしている。冷たい永劫の夜にむけてーー王子はその薄暮の申し子な のだった。 スが建てた」 なにやらルーン文字をとなえて手をさしのべると、ほっそりした 「地獄の一丁目さ」 カルスは吐きすてた。が、すぐ後悔して、怒ったようすの王子を手の上に青い鬼火が生まれ、王子の灯火になった。王子はほほえん 見た。 で、探険をつづけた。昔の栄華をうっす、華麗な、むなしい部屋部 6
「ありがとう、おまえのおかげで今宵はまぎらすことができた。出 の声をあげた。王子もふりむいた。 4 白亜宮は急速に年を経ていった。かれらの目の前で、凝縮された航までまだ数日ある、そのあいだできたらまたここに来ようから、 3 速度でったがのびていき、白い壁をおおい、雑草が石の庭をおし割そうしたらまた歌い、語ってくれ。その金貨はとっておいてくれ。 って生えいで、屋根はくずれて苔を生じた。いまや黄金帝国の宮ああ、夜がもう明けるようだ」 殿、カローンの白亜宮は、あの端正なたたずまいも幻影のように、 キタラ弾きと肥った居酒屋の主人、それに酔いつぶれもせずキタ 数世紀を経た、そのあるべき姿にもどっていこうと時を急いでい ラ弾きの物語に耳を傾けていた幾人かの客は、飄然として立ってい こ 0 く黒髪の大男のうしろ姿に、なにやら解せぬものを感じて見送っ 「日のおちぬうちに、カルス。まもなく苔が大理石をおおいつくそた。この男はありきたりの船乗りと、容子がなにか違っていた。 う。奇妙な夢を見たものだな」 船乗りが扉をくぐって外に出て見あげると、もう夜は明けかか 王子が優しく言い、そしてかれらはまた向き直って進みはじめり、東の空はほのかな美しいうす紫にその色を変えていた。船乗り た。ほどなく赤い街道に着く。そしたらあと幾日もなくニアの町に は深い息をついた。 到着するだろう。 「おれはあのころどんなにか幸せだったことか ! 」 もうふたりはふりかえらなかった。古いいにしえの幻影は時の裁船乗りの口から長いため息がもれる。 きの前に消え去り、そして越えて行くべき幾千の町、幾万の街道と「あれがおれの青春の日々であった。美しい魔法使いの王子ととも はてしない原始林とが、かれらの行く手にひろがっていたからだ。 に剣を手にいくたの冒険をたたかってきた日々が。いまおれの傍ら に王子の姿はなくおれは長い夜をもてあまして酒に慰めを求めてい ェビローグ る。 だがもう云うまい。夜が明ける、次の夜再びあのキタラ弾きに語 キタラ弾きは語り終え、キタラの弦をひと撫でしてやさしい音をらせるまでの時間を、船にもどっていることにしよう」 たて、かがみこんで灯火をかきたてると、赤いガラスの足の長い酒 かれはそうひとりごちて、肩にかけた長い革のマントにからだを 盃をうけとり、ジェイナスをめでてひとしずくを床にたらしてからゆったりとくるんだ。明けそめる日の光は、おぼろげに、マントに 飲んだ。まわりでいっか聞きほれていた居酒屋の客はかっさいした豊かな体驅をつつみ、黒いこわい髪を銀冠でとめ、革ベルトに長剣 が、キタラ弾きのとなりに座っていた天色の目の南の国の船乗りー を下げて革の・フーツをはいた逞しい姿を照らしている。 ーその顔は灯火のかげに注意ぶかくかくされてなごみ、なにかいと万感をこめてひとつ大きく肩をすくめると、ヴァン・カルスは彼 おしいものを思う光が目をうるませていたーーは銭をさぐり出しての船の碇泊する埠頭にむかって、ゆっくりと歩きはじめた。 カウンターに置くと、立ちあがった。
りつめるまでの時間は永劫にも思われ、塔の小部屋の窓からのがれもはや信じられぬほど小さくかたまりはじめた宮殿の残骸を見お 出るより先にこのぶきみな宮殿がふたりをそのゼリーの罠にくわえろしてカルスが云った。王子が答えた。 こんでしまったらという危惧にカルスの脇の下に冷たい汗が流れ「わたしにも推測することしかできないが、きっとこの建物は真の た。ようやくのぼりつめて、あえぎながら美しい宝物のみちあふれ物質でできていたのではなく、皇帝コラル・サーンの呼び出した地 る最初の小部屋にとびこむと、カルスは天井に頭をつけぬために背下に棲む霊が形を変えていたのだろう。だからコラル・サーンが死 をかがめなければならなかった。ひとことも言わず、彼は王子を窓ぬと役目をはたして消えてしまったのだ。カルス、広間の床がふた から押し出した。つづいてのり出しながら、彼はきゅうくつなゼリ つに割れておんみを呑み込んだろう ? あれは生命なき物質にはで ーにかわった窓を苛々とっかみ砕いた。 きぬことだ。だからこの宮殿はすべて、地霊の化けた、仮りの姿だ 屋根におりたってふたりは見まわした。宇宙そのもののような暗ったのだ。コラル・サーン自身も、わたしは思うが、真に生きてい たのではなかったのだろう。サーンはみずからに定められた人間の 黒、さきに下りてきた金のはしごはここから円屋根ひとっへだてた むこうにあゑ気ばかり焦って、走り出そうとした王子が足を踏み寿命をおえたときに人間でなくなり、そのあとの数百年以上の年月 すべらせた。低い悲鳴をあげた王子のからだが屋根をころがりおちかれを動かしていたのは影の生命だった。 て永遠の暗黒におちていこうとする。カルスの力強い腕が王子をあ ひとの生血はほんとうに不可思議な魔力を持っている。かれの ゃうく救いあげ、脇に抱きかかえて、慎重に道を急いだ。足の下でった生血がかれにまがいものの生命を保たせつづけてきたのだ。 だが、先をいそごう。わたしの思ったとおりならば、もうわれわ すでに屋根がぶよぶよと縮みはじめているのが革靴をとおして感じ られる。屋根からはしごにとびうつれぬほどこの宮殿が縮んでしまれはこのジェイナスの封宮から出ることができる」 「そうであってほしいものだ。もうこのいやったらしい場所と闇に うのをおそれて、気をつけながらカルスは足どりをはやめた。 は、ほとほと飽きてしまった ! 」 ようやく屋根の端にたどりつく。もう屋根とはしごの間にはかな 王子は笑った。鈴をふるような笑い声が、カルスの緊張しつづけ りの距離ができていたが、カルスは一瞬もためらわず身を暗黒にお どらせると細い金ばしごにつかまった。 て疲れた神経をここちよく癒した。王子は手をふって、青い鬼火を 生み出すと、かれらのゆくてを照らさせた。 「王子、飛んで ! 」 王子のからだが宙に飛ぶ。カルスの手がその腕をとらえ、すぐに「帰りにはあかりがあってもよいだろう。いつまたコラル・サーン 自分の上に押しあげ、二人はともかくも当座は安全になって宮殿をにつかえていた地霊が闇の中からわれわれにおそいかかる気をおこ すかもしれないから」 ふりかえった。 「けったくその悪い妖怪館め。いったいこれは何だったのだろう ? ふたりははしごをの・ほった。細く長いはしごはおりるよりの・ほる 見ろ、こんなに縮んで溶けていってしまう」 方がはるかに楽で、その上カルスの心もひとまず安全になった思い やかた 2 3
わしい姿を見まいと目をとざしかけていた王子は、はっとなって思 るまでに、この化物はどんなことをしたのだろうか ? 王子はにわかにわれにかえった。蜘蛛はからだを折りまげて、くわず声をあげた。 ちばしのような口からしゅうしゅうと奇怪な音をたてながら、いや「カルス ! 」 「王子 ! 」 らしい八本の手足をゆるゆると王子のほうへのばして来るー ようやく間にあったカルスが、抜身の長剣で蜘蛛を串刺しにしょ 「カルス ! ヴァン・カルス ! 」 王子は必死に叫んだ。回廊の遠くに、かすかな返事がきこえたようとふりあげたが、王子に怪我をさせかねぬのを見ると、夢中で手 うだったが、蜘蛛はいよいよせまってくる。王子は走り出せばすぐをのばし、王子の腕をつかみ、渾身のカで王子を淫獣からひきはな にもとびかかる構えの化物から目をはなせず、じりじりと後退し、す。 回廊の壁に背をつきあたった。蜘蛛はもう獲物はとらえたとばか主子はカルスの腕の中で全身を悪感にふるわせた。蜘蛛はしゅう り、二本の円柱のあいだをすりぬけて、長い二本の腕ーー・というのしゅうと音をたてた。獲物をうばわれて腹をたてているのだった。 か、触手なのか、黒い毛におおわれたそれをくねくねとのばし、王カルスは愛剣をかまえた。王子はかれの腕をおさえ、真剣な目で見 子のむきだしの腕をつかんだ。おそましさの衝撃が走り、知らず知上げた。 らずおそろしい絶叫が王子の唇からほとばしる。魅入られたような「だめだ。わたしにはわかる。この蜘蛛は人為では死なぬ。この蜘 いや、とにかく逃げなくては ! 逃げるほかはない ! 」 ひとみが、いまやまちかに迫ったいとわしい、汚らわしい複眼をと蛛は らえた。再びぞっと王子は身体が総毛立った。その赤くまたたく ようやく自分の足で立てるようになった王子は、カルスの腕から 目玉の内には、あきらかな、獣でないものーー人間であることをし身をもぎはなし、恐怖にかりたてられて異常に素早くなった身のこ めすなにかが光っていた、それが魂の凍るような恐怖を与えたからなしで、広間にとびこんだ。カルスもすぐ追う。二人の足の下でか だ。ドールの、なんというおそろしい悪戯だろう ? このような夢わききった白骨が砕ける。かまわず、真直ぐ広間を横切ると、反対 魔の形の内に人間をとじこめるとは ? なんと残酷な呪いだろう ? 側の回廊にとびこんだ。 ゼフィールは蜘蛛の毛むくじゃらの触手にひきずりよせられ、そ蜘蛛は瞬間とまどった。それから、わさわさとからだじゅうのい のくちばしのような口が愛撫するように肌をなめずる感触に気を失やらしい黒い毛をゆるがせて、追いかけてきた。ちらとふりかえっ いかけた。それはどんな淫らな女でも不可能なほど、まざまざとな た王子は、そのくちばしのような口が威嚇の目的でか、ばくばくと まなましい、肉の感触だった。王子は弱々しく身もだえした。気の開いたりとじたりしているのを見た。そのロが肌をなめずっていっ 狂いそうな恐怖がかろうじて王子を失神から救い、また王子は魂切た、あの信じがたい淫猥な感触がまがまがしくからだにやきつく思 る悲鳴をあげていた。 いで、あえぎながら王子は走った。 なにかが一陣の風のように王子の視野に入ってきた。蜘蛛のいと「ジェイナス、ナルドール、ジェニア : : : 」 9
。フロローグ パロスの豊穣な平野の最南端、レントの海に注ぐロス河の河口の 港町だった。その居酒屋は、いかにもそれらしい喧騒と活気に満ち て、女たちの嬌声、船乗りたちのだみ声、乾杯のグラスがふれあっ てたてる金属音、もののこわれる音などが竸いあっている。客はあ とからあとから入れかわったので、夜もそろそろ更けようかという ころ、ふらりと入ってきた一人の船乗りの姿は、まったく誰の目を もひきはしなかった。 それは陽焼けした、屈強な男で、なかなかの男前で典型的な南の 国の船乗りの服装をしている。だがよくよく見るとその顔はどこか 強さと高潔な魂を示し、その鋭い灰色の目はかけがえのないものを 失ったような、傷ついたことのある男の眼だったが、それにしても とりたてて人目を引いてはいなかった。男はかえってそれが好まし いように、火酒を一杯注文するとカウンターの一番端に身を沈め 居酒屋のすすけた壁にかけた時計が、夜がいよいよたけなわとな る時刻をしめすころまで、店は賑わい、そしてその一隅に火酒の里 いこんもりした壺を置いて、その男はじっとうずくまっていた。灰 色の目が火酒の黄金色の輝きにすえられながらときにやさしくなご み、ときに激しく輝き、ときに深い癒えることのない悲痛にうるん でいたのは、かれをいかなる回想が浸していたからだったろうか。 反対側の隅にさきほどから黒い眼、キタラを抱いた歌うたいがう ずくまって註文を待ちながら、注意深い目でこの男をながめてい た。その精悍な、疲れた顔、その灰色の目がなにかをかれに訴え こ 0 これは私には、思い出ふかい、同時にこうして読者の目にふれる ことが少々おもはゆい作品です。 これについての由来は、実は「豹頭の仮面」のあとがきにありま す。これは、私が最初に書いたヒロイック・ファンタジーであり、 昭和四十九年のマガジン「三大コンテスト ( 編集部注・第四 回ハヤカワコンテスト ) 」に投稿してあえなく落選した作品でもあ ります。編集部がすべての投稿作品を保管しており、私の話 をきいて今岡氏が倉庫から探し出して来てくれたおかげで、この不 運で、幸連な短篇はついに日の目をみることができました。 つまり、これの書かれたのは「グイン・サ】ガ」の構想成立よ り、さらに数年まえのことです。しかしすでに中原、パロ、トル ース、などのことばが出てきています。「ジェイナス」とあるのは ャヌスの英語読みです。先に書かれているが内容的にはこの作品の 方が本篇より何世紀かのちの話ということになり、また内容的にも 魔法側の色あいがずっと濃くなっています。 この「パロの闇王国のゼフィール王子とトルースのヴァン・カル ス」のシリー ズを、私はこのほかにあと七篇、長短とりま・せて書き ました。他のものも活字になる機会があるとは限らぬので、この機 会に、そのタイトルを記しておきます。シリーズの通しタイトルは 「トワイライト・シリーズ」です。 第一話カローンの蜘蛛 第二話蛇神の都 第三話減びの島 第四話暗い版図 第五話双子宮の陰謀 第六話リリス 第七話ルカの灰色狼 第八話カナンの試練 長さは三十から百五十枚ほどまで。また、第一話の「カローンの 蜘蛛」は、その背景、展開のいずれもが、文字どおり、ある夜まざ まざと夢にみたものをそのまま書いただけのものでした。いまにし て思えば、私のヒロイック・ファンタジーは、そもそも「夢」から 発していた、ということになります。 0