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検索対象: SFマガジン 1982年12月臨時増刊号
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1. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

いうことだ。陽光にはふしぎな力があって、謎と暗黒にみちたドー くったような妖しく美しいこの光景に目をむけ、軽々した足取りで ルの領域であるこの密林でも陽光のとどくかぎり物の怪も妖魅ども カルスのあとにつきしたがっていた。カルスの長靴をはいた足につ もその力をほしいままにはできないが、いったん嵐になったら : づいて王子のかろやかな足が踏んでいったあと、草は腹立たしげに ようやく木のあいだをすかして白い建物の輪郭が見えはじめ 起きあがり、ざわざわ揺れた。あざやかなエメラルド色のその草は 踏まれると、瞬間血のような色に変わり、苦しげにこまかく葉先をて、カルスがあえぎながらいくぶん足をゆるめたとき、最初のひと 荒れがはじまった。いまはびゅうびゅうとたけっている風に乗っ ふるわしていたのである。 どのぐらいのあいだ道なき道をたどっていたか、しだいに空気がて、さまざまな猛獣どもの魂を凍らすような咆哮、闇の領域のぶき 冷たくなり、視界がさらに暗さを増してきた。風が出てきて、なまみな住民たちのすすり泣きゃあざわらいが聞こえてくる。草のあい だに、草とそっくり同じ色で紅い目をした毒蛇がずるそうにぬるり ぐさい音で梢をざわめかした。稍はまるで邪悪な歓喜の叫びのよう な音をたてる。風のなかには、何か不吉な意図がひそんでいた。相と頭をもちあげる。いよいよ雨が降りはじめた。 ごしにカルスが見あげた空は、やわらかな青紫からどすぐろい血の カルスはさいごの藪を押しわけ、まぶしげに、突然ひらけた視野 にあの宮殿を見た。ためらいなく足を白大理石の庭の一隅におろ 赤に変わっていた。 「おどろいた。嵐が来る ! 」 し、踏み込んだ。王子をおろしてやり、肩で息をする。 カルスは声をひそめた。王子はかれをやりこめる面倒をはぶい 「ああ、やれやれ、密林よさらば こ 0 見かえると、密林の木の葉も草もざわざわと鳴り、目前でとりに 「急ごう。たぶんもうすぐあの宮殿に着く筈だ」 がした獲物を惜しんで腹を立てているかのようにカルスには思われ カルスの足取りははやくなり、しまいに駆けるようになった。草た。カルスはぶるっと身をふるわせ、首をめぐらせて、当面いやで どもは不安げにさわさわと囁きあい、火烙花はしぼみ、周囲からうも宿にせねばならないあやしげな宮殿を見あげた。 かがっている邪悪な光をひそめた目の数はしだいに増え、時として 2 なにか黒くぼんやりした影がふたりの前をかすめた。風は水滴をふ くんで激しくなって来る。 「宮殿へ ! 」 その建物は、すべて白大理石だけでできていた。光り輝くような カルスはいきなり王子の腰に腕をまわしてかかえあげた。夢中できよらかな威容を誇る主殿、奇怪な白い彫像どもが円柱をかざり、 走り出した。かれらの前をおどすようにいきかうものの影は、いよ広い前庭には垣がなく、直接密林につづいていたが、幾何学模様の いよ数を増してきた。街道でさえ嵐に見舞われるのは敬遠すべきなモザイクをし、四隅に守護神の双頭の獣をすえた石の庭には草の葉 のに、ダールの大密林のまっただなかで嵐になったら、それは死とびとっ落ちていず、ーーふいにカルスは息を呑んだ。そしてあわて 4

2. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

った。グインは何も不平を云わずに岩にとりつき、小人のくれたす足をふみ入れたのである。 るどい先のとがった氷の・ほりのつるはしをうちこみ、それを足がか りにしてじりじりと上ってゆき、何回かすべりおちそうになったが 第三話三つの試練 たくましい筋肉のカでもってとうとうやりおおせて頂上に立った。 それから彼はすべりやすい頂上に足場をほり、用意のロ 1 プをたら し、ぐんとふんばって、他の二人をひきずりあげてやった。 いまや三人は伝説の巨人の頭のてつべんに立って反対側を見おろ「おい していたのである。これまで見えなかったそちらの側は、それまで足が地につくかっかないかのうちに、イシ、トヴァーンが云っ のたそがれの地帯をすぎて、夜の地帯に入ったというように暗く、 た。小さな声であったのに、まわりが囲まれた谷であるせいか、そ そしてせまい谷となっていた。谷はゆきどまりで、その先は道ひとれはおそろしくよくひびき、云った当人が首をすくめるくらいだっ こ 0 つなくびったりと山々にふさがれている。 「あの谷をずっと下ると、つきあたりにせまい洞窟ーーガルムの洞「その、フルゴルってのは何かい、人間をとり殺しでもするのか 窟がある。そこがヨッンヘイムの入口だ」 モルフキンが云った。かれはいつのまにか、三人の足もとにちょ 「とり殺しでもするのかい」 こんとうずくまっていた。 「するのかい」 「この谷こそはフルゴルの谷間で、だから人々ーー・・・ここを知る人々 いんいんとこだまが答えた。 はみな、ここを神々にならって『死のかげの谷』と呼びならわしま「とり殺しはせんが」 すわい。しかし、ここが、ヨッン〈イムにいたるたったひとつの道モルフキンは下りようかどうしようかと迷うように、一人だけま なのでな」 だのこっていたグンデル岩の上から云った。 「それでは、ここを行くしかあるまいな」 「何というか、そのーーー生きながら食ってしまうのだ。その霧にと グインは云い、それから注意して、ひきあげたロー・フを足場のつりかこまれると、息ができなくなる。そして、肉がとけて、骨だけ るはしに結び、谷ヘロー・フをたどってすべりおりた。二人もそうしになるまで霧怪ははなれないのだ。鳥であれ、けものであれ、人で た。ロー。フはたらされたままだったーーーそれは、かれらが再び死のあれ」 国から生の国へとかえってゆくための、たったひとつの手がかりだ「どうやらそのようだな」 っこ 0 グインが重々しく云い、手をあげて、谷の先のほうを指さした。 ひんやりした空気がかれらを包んだ。かれらはフルゴルの谷間へ見ると、そこには、闇におぼろに白く、明らかにけものの骨とお・ほ 円 4

3. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

じっさいには グインがそのおちついた、何ものも見のがさぬ目ですべて見ぬい 木剣がふれあったとたん イシ、トヴァーンは、するどく目をほそめ、おもしろそうに唇をていたとおり、剣のもちかたから足さばきまで、ま「たく自己流、 無手勝流の傭兵にすぎぬイシ = トヴァ 1 ンより、ちゃんと一流の剣 わずかにねじまげた。 士として、基礎からみっちり叩きこまれた足さばき、剣さばきのマ ( これあ : : : ) リウスの方が、技術的には数段上だったはずである。 イシュトヴァーンとて剣ひとつに、何年も身と生命を托してあぶ しかし、マリウスには、剣をすてて久しいという負い目のみなら ない橋をわたってきた手練れの傭兵である。 あいての強さ、技術、欠点、それを一瞬に見ぬくのは、生きぬいず、重大なある弱点があった。 てゆくために、いやが応でも身につけなくてはならぬ必要不可欠の それは、気迫、といってもよいし、性格、といっても正しかった 能力であった。 かもしれぬ。 ( こいつあ、なかなか , ーー ) マリウスはもともと、吟遊詩人をえらぶほどあって、剣の道に向 とみていたが、なかなかどうして なま白い、かよわい歌うたい、 いておらぬ。彼は争いごとの嫌いな、心やさしい、歌と女を愛する 足さばき、手さばき、目のくばり、ちゃんと正規の剣の道をならっ逃亡者なのである。 た腕らしいとみて、たちまちイシトヴァーンはわれとわが心をひ たとえ、技倆で数倍まさっていても、侮辱をうけて怒りにもえた きしめた。 っていてさえも、マリウスのその闘志は、傭兵を稼業に、戦場にわ が身をさらして生きぬいてきたイシ、トヴァーンの、食うか食われ その目つきやものごしからも、むやみとあなどる色が消えた。 しかし、嘲弄の笑みはなお、その唇からはなれない。それが、マるかの争いに馴れた気迫に遠く及ばなかった。 リウスをカッとさせることをわきまえている。 マリウスは、半合ほどのあいだ、たしかにその腕前でもってイシ = トヴァーンをどんどんあとずらさせ、優位に立つかとみえた。 「おのれ ! 」 が、それからは、しだいにイシ = トヴァーンの剣先が力がこも 案の定、マリウスはがむしやらに突進し、木剣を縦横にふるって り、ロからほとばしる気合に圧倒され 何とかイシ、トヴァーンを追いつめようとあせった。 「ああッ ! 」 「きさまなどに、ばかにされてたまるか。きさまなどに : イシ = トヴァーンがあざやかにふところにとびこんで思いきり棒 「おっとっと。おツ、こいつは、強い強い」 をはねあげたとき、 「ばかにす , るか。ばかに 「フッ カシーン、カシーン しびれたマリウスの手から棒がたかだかと舞いあがり、つぎの刹 木刀がぶつかりあってははねあげられる。 27

4. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

( 違う。あたしはシレーヌ。あたしが待ってたのは、あなた。さ何もかもが、ひどく現実ばなれしてみえた。一歩中に入ると、そ 8 こには天井の高い巨大な広間があり、美しく贅をつくした調度がし 6 あ、来て、ここへーーそしてあたしを : : : ) つらえられてあるようにみえたが、しかしまばたきした一瞬の中で 「その、丘の上の宮殿のようなものの中にいるのか、お前は」 ( そう、あたしはここ。そしてあたしはシレーヌ。待っていた、長はそれは妙などす黒い、えたいのしれぬかたまりをごたごたとつみ い長い長いこと、そしてあなたは来たーーーさあ、早く : : : その足をあげたにすぎぬようにもみえ、また、次の一瞬にはそれは、ぼろ・ほ ふみ出して、あたしのもとへ来て ) ろの調度とかわきはてた人骨をつみかさねた廃墟にもみえた。何ひ 「よし」 とっさだまらぬ、えたいのしれぬあやしさがその中には漂ってい グインは決然と云った。もしかしたら、彼はすでに、何かあやして、とうていおのれの目のみるものを信ずるわけにはゆかなかっ い催眠の術にでも、かけられて、しかもそのことをおのれ自身では そして、そこに、シレーヌがいた 気づかずにいるのかもしれなかったのだが。 「おお ( さあーーー ) 誘う波動はいっそうみだりがわしさを増し、彼の頭のなかは、殆なまめかしい、かすれたような声が彼を迎え、みだらな吐息と情 どえたいの知れぬもやでおおいつくされようとしていた。 欲の匂い、ほてった空気がやにわにグインをおし包んでその呼吸を つまらせた。 ( さあ、早く : : : ) あやしく、みだらに、手をさしのべていざなう女のすがたがうつ ( これは ) 「シレーヌ」 すらとうかぶような気がした。 グインは立ちつくしていた。 「よし、シレーヌ。俺はお前のところへゆくぞ」 奇怪なーーー この世のものともおもわれぬ女がそこにいる。 彼は云い、剣の柄に手をかけたまま、おもむろに谷の出口にむか って足をはやめた。 彼女は美しかったーーほとんど、あしいまでに美しいとさえ云 ってよかった。ゆたかな上半身は裸で、その濃・ハラ色の乳暈が二つ くだんの建物の入口は、ばっかりとあいたうつろな黒い口のよう にみえた。グインはもはやためらわず、決然としてその中に足をふの瞳のようにグインを射た。乳房は重そうに垂れ、その上に、それ み入れた。 自体生あるもののようにうねりくねる、黒くふさふさとした重たげ とたんに、何か、えもいわれぬいやなにおいが彼を包んだようなな髪がもつれかかっている。 気がした。しかし、彼がそのにおいの正体をつきとめるまでもな その髪はうなじや頭頂で、宝石のビンでとめてあるのだが、それ 、それは、むせかえるような逸楽的な甘いにおいにねりこめられでもとめきれずにこぼれおちているのだ。 てしまった。 腕にも、のどもとにも宝石がキラキラ輝き、そして女の双の眸は こ 0

5. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

その少し前あたりから、ふいにあらわれた血のような色の崖が、 一歩一歩進みながらグインはつぶやき、そして、ふと、鼻をびく りとさせた。 そこに到って、ぐっと両側にせり出し、人のとおるには、ごく細い 道しかのこされていなかった。崖の上には、まるで死んだ女の髪の ( 何の匂いだ、これは ) ようになびく、気味のわるい色の細い草、そして天を指さして嘆く気まぐれな風向きが、ひょいと変わりでもしたかのように、ふい にも似た枯木が見上げられるのだ。 に、グインのすぐれた嗅覚に、異様な臭気が吹きつけてきたのであ どこからともなく、ヒュウウ、ヒュウウ、という、業病病みの、 る。それは、からからになった骨ではない、まだかわきはててはい 死をまえにした咳のような風の音がきこえてくる。 ない人の死骸のくさり、くちはててゆく特有の甘ずつばい、何とも いえぬ臭気であった。 そして、グインが、目を細め、剣の柄に手をかけ、注意ぶかく一 ・フラギドウーラがにわかに、赤い口をいつばいにひらき、クワー 歩一歩すすんでゆくにつれて、細い道の左右には、えたいの知れぬ ツ、クワーツ、と声高く二声啼いたと思うと、グインにまっすぐゅ けものや人のものとおぼしい白骨が、何かをつかもうとする手のよ うなうつろな肋骨、なかば砕けながらじっと侵入者を見張っているけとさし示すようにくちばしを前に向け、そのまま、おじけづきで 頭蓋骨、そして、静かな砕け散った大腿骨などがなかば砂からあらもしたかのように、舞いあがり、まっしぐらに来たほうへととびも どっていってしまった。とどめるいとまもなく、グインは一人にな われ、なかば埋もれているのだった。 グインの足がふんでゆくたびにその足もとでかわいた音たてて砕った。生命の杖も、おそましげにざわめいている。 ( その悪魔の女とやらが、人間の男を食って大きくなる、といって けるのもまた、そのかれらの仲間であり、かっては生命あるものだ いたな、お婆は ) った無言の洗われたような骨のかけらだったのである。 グインは心をひきしめた。両わきの谷はいよいよけわしく迫り、 ( なんとおびただしい骨の谷だ ) おそましい腐臭は鼻をついて息をもつまらせんばかりになった。 グインは呟き、なおも気をゆるめず進んだ。 大烏プラギドウーラは、谷に入ったあたりから、ひどく神経を立 ( これは : : : ) グインがふいに足をとめ、足もとをのそぎこむようにする。 てはじめていた。かれは、しきりにクワーツと空啼きしたり、パサ ・ハサと羽毛をさかだてたりし、何回も「杖の上からいまにもとびた彼の足がふんだのは、何やらぐにやりとした、そっとするような ちそうなようすをみせたりした。いや、・フラギドウーラばかりではやわらかいものだった。彼はのそきこみ、そして、首のうしろの毛 ない。グインの手につかまれている、生命の木の杖は、風もないのをさかだてて嫌悪のためにひくく唸った。それは、くさってとけか に、不安にたえかねたかのように、ひっきりなしにザワザワと葉をけた、気味のわるい白骨のあらわれた人間の腕だったのである。 ざわめかせていたのである。 なかば白骨化し、なかばとけた肉から、白い指の骨がのそいて宙 「この先に、何があるのだ ? 」 をつかんでいる。それは、そのような姿になってから、そんなには 6 6

6. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

「さあ、出かけよう」 トカゲ一匹、花ひとっさえない廣野がひろがっていた。グインは再 永遠の黄昏のなかでグインは云い、 そしていずくへとも知らぬ一び、もう何年もこうして黙りこくって歩きつづけているような、つ 6 歩を踏み出した。 い一分前にランタン婆に別れをつげて、この荒野に足をふみ入れた 道案内の大烏プラギドウーラは、バサバサと飛び立って、青灰色にすぎないような、そんなあやしいめまいにとらわれていた。俺は の空に輪をえがくようにしながらグインをうながし、少しとんでい 夢をみているのか、そうかもしれぬ、そう彼は独語した。 ってはまたとびもどり、ときどきどこへともなく姿をけしては、何俺の名はグイン、ケイロ = アの騎士。かっては辺境の怪異の地乙 か食ったらしくもどって来て、杖にとまって勿体らしく羽づくろい スフェラスにあって未開の蛮人の王となり、かっては中原の。ハロの をするのだった。 双児の王子と王女の守護神としてそのかたわらにあり、そしてま ほんの一モータッドもゆかぬうちに、グインがふりかえるともは た、うら若い陽気な吟遊詩人とともに、長い長い旅を、死の都ゾル やそこにはランタン婆も、その棲家も、濃くなりまさる灰色の地平ーディアから東方のキタイ、そして誰も知らぬ大魔道師アグリッパ にとけこんだかのように、何ひとつうしろには見えなかったのであのゆくえをもとめてつづけたこともある。 る。 ( あれはいつのことであったろう。そして俺は、いっから、何故に ( あの婆め何ものだろう ) このようなところへさまよいこんでしまったのか ) グインは心中に呟いた。 その名すらおぼっかなくなった、紫の瞳と銀色の髪の少女がとお 一歩一歩、ふみしめる足の下で、。 ( ッとときどき天色の砂とも埃と くにいて、早くかえって来るようにと、かすかに手招いているよう もっかぬものが舞いあがり、そして白い三日月は永遠に鎌のようにな気がした。 枯木につきささっていた。巨大な岩は見ようによっては、永劫の悲 ( これは、何かの呪いだろうか。それとも、俺は大いなる魔法のう しみに身をよじり、声にならぬ嘆きの声をたてつづける、ありとあちにいるのだろうか ) るふしぎな生物のすがたともみえた。茶褐色のコケは、さながら古烏の・フラギドウーラがクワーツと啼いて、グインの注意をうなが びた血の染みかとみえ、歩み入ってゆくにつれて、その静寂をひとすように、にわかに羽根を・ハタつかせはじめた。 きわっよめる、オーオーオーオーという声でない声、叫びならぬ叫グインは顔をあげ、物思いからさめーーそして、足をとめた。 びがまわりから、かげろうのようにゆらゆらと立ちのぼるかと思わあたりのようすは、いつのまにか、まったくかわってしまってい れた。 たのである。 その中を、グインと大烏の・フラギドウーラとは、黙りこんで歩い それは、何という、あやしい、おそましい光景であったことだろ てゆくのだった。 う。あたりはもはや、灰色の、たそがれの荒野、生きたもののすが どこまでもどこまでも景色はかわらず、どこまでもどこまでも、火たとてない静寂の地平でありはしなかった。

7. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

ふたりは円柱の林立するテラスをくぐり抜け、回廊を足音をこだ にほどけていた。帰路はさして時間もかからず、まもなく王子が、 まさせて、幾何学模様のモザイクをした広い前庭に出た。はてしな あげぶたに手の触れたよしを告げた。 い長い時間のように思われた闇の中の冒険のあとでは、嵐をのがれ 「王子、蜘蛛は大丈夫かな ? おれが先に出よう」 カルスが言ったが、王子は気にもとめずに細い手でふたを押しあてこの庭に足を踏み込んでからいったいどのぐらいの時間が経った げ、見お・ほえのある、ディヴァンを積んだ小室に軽快にとびあがつのか、ふたりにはわからなかったが、嵐はやみ、庭のむこうのダー こ 0 ルの森の木の葉や花弁はみずみずしく濡れて輝き、そろそろ夕暮れ が近づいた、雨のあとの空は紫の色を濃くして美しく澄んでいた。 「大丈夫か ? 」 カルスが、剣を手にしてあがってきた。王子は首をすくめて説明「あああ ! 明るいというのが、こんなに美しいとはな ! 」 まぶしい目に濃淡さまざまの紫に輝く日暮れ前の空を見あげて、 した。 カルスが嘆声をあげた。 「わたしは、もう蜘蛛はおらぬと思う。あの怪物は、コラル・サー ンの罪業ゆえに下されたジ = イナスの罰だったのだ。サーンがほろ「日がおちてしまうまでにまた街道にもどらぬと、この庭で夜明し することになる」 びたいま、蜘蛛も消えているだろうと思うのだが」 「いや、この目でたしかめるまではわからん、どこにもあのいやら王子はあくまで冷静である。 だが、出ら しい化物がいなくて、この胸糞のわるい場所から無事に出られると「そうだった。長い思わぬより道をしてしまった。 れるのか ? 」 わかるまではな」 王子は立っていって、庭の中央の神託を彫ってあった石を見た。 カルスは抜いた剣をおさめなかった。 だが王子はそれを見出せなかった。ルーン文字の彫刻は消えていた 「好きにするがいい」 のだ。 いくぶん高慢な口ぶりで王子は答え、小部屋の戸をあけた。 だが要心ぶかい捜索の結果、蜘蛛はもはやこの建物の中にはいな「結界は解かれた。行こう」 王子がうながし、カルスはおそるおそる庭から森へ足を出した。 いらしいのがわかった。大広間にはもはやうつろで純白の人骨が、 むなしい姿をそこここにさらしているばかりで、底知れぬ空虚な、何事もおこらない。 しかしやすらぎにみちた虚無が宮殿にひろがっていた。カルスの生カルスは素速く森の下生えの中に足を踏み入れ、石の白亜宮から き残りを呼んだ声も、むなしく白大理石の壁と円柱のあいだをこだ出た。王子がつづく。木々の梢では風が幸福そうにうたい、冷たい ました。蜘蛛に封じられていた奇怪な罪業はついに解きはなたれ、露が砕け散って雫をカルスたちの上に光の砕けるように散らした。 許しと永遠を得たのであろう。白亜宮を浸す沈黙は、ついにあるべ空気には甘くさわやかなリンゴの匂いがした。 ものの数フィートもいかぬうち、ふりかえったカルスはおどろき き姿にかえることのできた廃墟のやすらぎを秘めていた。 3 3

8. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

「蜘蛛 ! 」 苦しい息で聖句を唱える。しゅうしゅうという蜘蛛のたてる音、 侏儒はとびあがると、ちょこちょこと部屋の反対側の戸をあけて 2 蜘蛛のからだの毛が宮殿の大理石の床をすべるシャツ、シャッとい う規則正しい音が、ふたりを死ぬほどおびやかしていた。蜘蛛は足走り出た。王子をかかえた男もディヴァンをとびこえてあとを追 で走るより、なかば腹這いになって八本の手足で這い走っていたのう。侏儒はひとつの小部屋に入ると、二人を訴えるような目で見上 だった。人間の本能的な恐怖に心臓を冷たい手でしつかりつかまれげながら、床に膝をつき、大理石を一枚もちあげにかかった。カル て、こみあげる悪感に身をふるわせながら、カルスと王子は回廊をスが手をかすと、それはなんなくひらき、ばっかりと暗い地底にむ まがっては走り、走ってはまがりつづけた。、心臓が酷使されてあえかって、細いたよりない金のはしごがおりている抜け穴があらわれ た。侏儒はするする這いおりていく。 いだ。王子の足はよろめきはじめ、とかく遅れがちになってぎた。 しかしさしもの化物も出しぬかれたか。しゅうしゅう、シャッシャ カルスは先にたよりなげな細い棒をつたって暗黒の中へ身をおろ ッという不吉な音が遠のいた。カルスはふりかえった。 した。つづいて王子がすべりこんでから、カルスがふたをおろし た。かれらはかろうじて間にあったのだ。ふたがおりきったとき、 「もうー・・ー追って来ん : : : ようだ」 カルスがうなるような声でいった。王子は呼吸も苦しくくずおれ邪悪な蜘蛛の近づく音と、小部屋のドアの砕ける音がして、蜘蛛の 、か、か「 00 ・カ 失望のあまりあげたしゅうしゅうという叫びがかすかにきこえてき 「だめだ ! あの音だ」 カルスはいきなり王子をひったくるように脇に抱くと、全力で走「蜘蛛はここまでは来られませぬ。わたくしも、旅の途中うかつに もこの宮殿に好奇心をそそられて立ち入って、仲間はひとりのこら 右にまがり、左にまがり、突然カルスの足がすべった。と思うずあの化け物の餌食になり、私ももしこの抜け穴を偶然見出さなか と、横の部屋の戸に身をささえようとしたかれと王子はその部屋に ったら蜘蛛に食われているところでした。入ることはかなうが出る ころげこんでしまった。人がいるー ことができない場所なのです。コルラ・サーンーー血に飢えた皇帝 死の宮殿に住人がいるとは、だがその部屋の住人はもっとおどろコルラ・サーンの呪いによって」 いたようだ。緑色の服を着たあわれつぼい侏儒が、積みあげたディ 侏儒がはしごを下りながら云った。ヴァン・カルスは興味をそそ ヴァンのうしろから立ちあがり、震えながら手をあげてあわれみをられた。 こうた。 「なぜ皇帝はのろったのだ、侏儒 ? 」 「おお、カローンの蜘蛛よ ! 」 「酔狂な男だ。いまそんなことを云っているときか」 王子が上の方から嘲笑をあびせた。 「おれたちも追われているのだ。教えてくれ、逃げ場はないか、そ 「だがどうしても知りたいならわたしが話してやろう。皇帝コルラ こに蜘蛛のやつが追ってくるのだ」 っこ 0

9. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

き、いくつかのへやのようにわかれているその内部をよこぎってど「あんたは死んでいたのか , ーー・」 んどん入っていった。 「どうしてですか ? 」 そして、さいごのへやで足をとめた。 すぐに、やさしい、やわらかい声でいらえが頭の中にひびいた。 こうし それ以上進むことができなかったのだ。非常なおどろきと、そし「わたくしは生きています。あなたたちと同じように てふしぎな感動とが三人をともにとらえ、その足をくぎづけにしてて、この氷の中にとじこめられてですけれども。わたくしは自由に しまっていた。 動きまわることこそできませんけれども、わたくしの心は自由にと びかけることができます。わたくしはヨッンヘイムの巫女でしたわ 「どうしたのです」 千年もの昔、この地下の都をつくった人びとは、わたくしをこ やざしい声がうながした。 ここがわたくしのすまいでの都の魂として封じこめ、そのかわりにわたくしを永遠にこの都の 「さあ、もっと近くへお寄りなさい 女王としたのです」 「なんてーーーああ、なんて : : : 」 おお 三人のなかで、マリウスがもっとも激しく、その心をゆさぶられ ョッンヘイムの女王、クリームヒルドは、そこにいナ いちばん奥まったへやのまん中に、も 、くぶんななめになった、氷ているようにみえた。 の祭壇のような場所があり 彼ははじめのおどろきがすぎると、その氷の美女のところに走り より、驚嘆と、信じがたい神秘にうたれた目で、ほとんど涙をすら 彼女はそこにいた。 うかべながら彼女を見つめつづけていた。 氷の中に 「ああーーーなんてふしぎなーーーなんて美しい グインでさえ、ロをぎくこともできず、ただじっと見上げてい 「なるほどな。さっきの幻影は、女王の心がわれわれに会おうとの ぞんだのでーーーだからこそ、岩の中でも、どこにでも存在できたと 彼女はーー彼女の本体はーー氷の中にとざされていた。 いうわけか」 さっき、闇の中でかれらが見ていたとおりのすがたで、しかし、 生き生きと、ま・ほろしではなく、たしかな実体として。その長い髪グインが云った。 はきらめき流れてそのからだをおおい、その手は胸で組まれてい 「そうですわ。少なくともこのヨッンヘイムのなかならば、わたく た。ふしぎなルビーの瞳はとざされ、彼女はやすらかに眠っているしはどこにでもあらわれることができます」 ようにみえた。 「あなたはーーーあなたはそこから出ることができないのですか」 「あんた準ーーこ マリウスは夢中で云った。 グインはどもった。 「何てことだーーーあなたのような人が、永遠に氷の中にとじこめら こ 0 230

10. SFマガジン 1982年12月臨時増刊号

さまじく床をのたうつのを見た。尾は甲斐なくもがきまわるばかり が、自分でそれに気づいてはいなかった。 だったが頭はカルスをにらみつけ、まぶたのない目は火を吹き、蛭深い悪夢の底のような中で、どれほど登ったのか、ふいにカルス のような吸口がひらいたりつぼまったりした。カルスの鼻をなまぐは背筋が冷たくなるのを覚えた。っとのばした手が反対側の壁にぶ さい臭いがうつった。彼は再び新しい灯火をこしらえると、思いっ つかったからだ。登りだしたときには壁は手をせいいつばいにのば きでそれに愛剣をかざして焼いた。性のいい鉄はほどなく真赤になしてもとどかぬ広さがあった。この穴は上にいくに従って細くなっ る。蛇が半分にされた胴からどろどろしたなまぐさい液を流しつづているのか ? だがさきほどお・ほろげな灯火で見たときには全然そ けながらとびかかってきたとき、カルスの真直ぐ突き出した剣の熱んなことは認められなかった。 ほんのわずか疑惑に心を悩ましてのぼる手を休めていたカルスが い刃はつばもとまで蛇にずぶずぶとのめり込んだ。声の出せぬ筈な のにおそろしい苦悶が音になってカルスをおそった。カルスは剣をふたたび手をのばして探ろうとしたとき、カルスの背筋は再び冷た 上に切りあげ、縦に裂かれた妖蛇の目がカルスを憎悪に狂って見つくなった。前よりも縮んでいる ! 手をのばしてしばらく触れたま め、両断された尾の方の半分はいまなお床を狂いまわっている。カまにしていると、壁が生き物のようにふるえながらわずかづつ、わ ルスは手の灯火を蛇の上に投げた。断末魔の声ならぬ声がカルスのずかづっ縮み出しているのがわかった。カルスは、こんな羽目に自 からだをゆるがせたがそれにはかまわず、剣を握ったまま彼は夢中分を追い込んだドールを罵り、その汚い尻尾を巻いて居場所の地獄 に蛇のおりてきた壁を這いのぼりはじめた。やわらかい壁に剣で足へ這いこんじまえ、というような意味のことをこれまでの放浪がこ がかりを切り込み、しやにむにのぼりつづける。蛇に投げつけた火のトルースの貴族に教えた最も品の悪い船乗り言葉で闇にむかって が燃えっきたとみえて再びおそるべき暗黒がカルスを包んだが、カわめいた。それから気をとりなおすと、これまでにも増した速力で ルスは闇の中でもう一匹の妖蛇やそのような闇の生物に遭遇する危縮んでいく穴をのぼりはじめた。この穴がどのへんまで縮むか、そ 険をおかして、灯のないまま全速力でのぼった。何でできているののときどの位まで力を出すか、賭けてみる気にはなれなかったの かゼリーのような色でしかも絹のような肌ざわりのこの壁は、剣が だ。かれの上方を見上げた目が、ほんのかすかに、錯覚のように、 切り込みを入れると腹立たしげにぶるぶるとふるえ、カルスの足が青白い光を見つけた。ずるりとおちかかる体勢をとっさにたてなお 体重をかけるとすぐずるりと崩れかかるので、カルスは一刻の猶予し、そのひとすじのかぼそい希望の糸にすべてをかけて、カルスは もなく新しい足場をつくっていかねばならなかった。まるで想像をあえぎながら剣で足場をつくり、つくってはのぼり、の・ほっては足 絶する巨大な蛇か蛭の腹中に呑まれているような案配である。汗に場をつくりつづけた。かれの強じんでカにみちたからだのすべての まみれ、あえぎながら彼はの・ほりつづけた。 筋肉は、フルにその能力を発揮していた。 「王子 ! ゼフィール王子 ! 」 しばらく夢中な時間がすぎた。いまやひとすじの頼みの光はあき あえぐ息のあいまにかすれた声でかれは被保護者を呼んでいたらかに大きな神の道しるべとなって、苦闘の終わりを彼に示してき 8 2