説明して、この退屈地獄に放置しないで欲しいと懸命の嘆願をし と、そうやって言葉を侮辱することに抵抗があるのかもしれない。 た。折り返し、励ましの返事がきた。″当方としてはなにもできな いずれにしても、ここに並んだ言葉に、どうしても、主観的でもい 。我々は君の味方だ。頑張ってくれ″もちろん私は頭にきた。連 いからなにか意味づけをしたくなるのだった。スペイン人の大と庭 師の大という関係を発見してから、やっと私は次へ進むことができ中にとっては、私が編集局でぶらぶらしていようと、無残な島流し になっていようと、同じことだというわけか ! まだ私は事態の重 た。いっかスペインの庭師というようなタイトルの映画を見たこと があったのだ。よし、スペイン人 ( つまりあの庭師 ) は大を飼って大性が把握できず、首都では破局そのものとして報道されていたこ とも知らなかった。 ひったり筋が たしかに探偵は必要だ、だが知能テストの話ではなく、正にこの 日本人は探偵であるこれはまた突飛な関係だが、。 通っているぞ ! 知的で、慎重で、柔軟かっ不屈、にこにこしてい みみずく島で、アルジャーノン失踪のミステリーを解明するために るが底が知れず、柔道と柔術と空手の名手、わが日本人は探偵業にこそ必要だったのだ。研究所のスタッフの中にアルジャーノンを実 びったりだ。しかし探偵がいれば犯人と犠牲者がいるはずだな、と験用の閉鎖空間から出すなどという不注意を冒す人間がいないこと は、絶対確実と思われる。ましてや、何重ものフィルターを通過し 私は考えた。筋書が推理小説の様相を呈してくるとなるとはなはだ 面白くない。テストの解決がそんな謎解きでこんがらかってはかなてこの要塞の外へ出そうはずはない。一方、あのチャン。ヒオンねず わない。デビッドは、成績は所要時間で測ると予告した。だのに私みが独力で脱走したなどという想像は、それこそ奇想天外としか言 いようがない。全く驚いたことには、所長がせっせと一人一人に事 は無駄な枝道にばかり入りこみ、勝手に考えだした迷路の中を迷っ ているような気がする。もちろん、デビッドの招待を断ってもよかつ情聴取をしている時、デビッドは明らかに第二の仮説に傾いていた たのだが、島の滞在の延長を余儀なくされて、晴れた日にはどこまのである。施設の空調ダクトを調べ、齧歯類室の通気孔の高さ、 で行っても同じ不毛の野原を一人で散歩、雨の日はホテルの部屋のイプの位置と組み合わせ、屋外の開口部までの接続を調べていた。 壁の間に閉じこもるという境遇になったので、孤独にはあきあきし本物の探偵なら多分なにか手掛りをつかんだろうが、証拠なしの論 ていたのだった。研究所の運営規則によって、アルジャーノン失踪議はどこまで行っても空しく堂々めぐりするばかりだった。アルジ ャーノンが跡形もなく消えたことは事実である。研究所内にいない の公式確認後直ちに警戒態勢が布かれた。空路が閉鎖されて全島が 検疫隔離となり、四十日間はだれも島を出ることも外から島へ入るからには、所外にいることになる、つまり島内を自由に動きまわっ ことも許されない。その通知をあまり丁重な調子でなく私に伝えたている。島にはみみずくが多いからアルジャーノンが生き残るチャ ンスはほとんどない だがそれは、あとで私にも分かったが、い のは、着いた日にくどく尋問したあの曹長だった。抗議しても、ク ライン氏や守備隊長に申し入れしても無駄であった。本土との唯一 っそう危険なのだ。捕食した夜行性猛禽が、 (.-5 ーウイルスや、その 5 の連絡手段となった無線を通じて、私は部長に電報を打ち、事情をほか逃走中のアルジャーノンに感染した病原菌の担体になり、その
高揚するのは劣った者だけだ。しかしーーここから私の疑問が始ま果は、貧弱きわまる見本にすぎない。個体数の少なさ、人間のタイ る・ー・ーこれは、キイスが考えたようにいずれ逆行するのだろうか、 プや資質の種類の乏しさのためでもあり、比較的短期間のためでも それとも高いレベルが維持されるのだろうか ? 知能をーウイルある。全人類的規模に広がって、かつもっと長く、何世代も続いた ス免疫の指標と見なし、免疫をかっての天才の遺伝のしるしとする場合の結果はどうなるのだろう ? 一見、結構ずくめと見える。ヒ トという種の進化と結局はすべて知能増大の方向に展開してきた。 デビッドの推論にしても、この気掛りな疑問には答えてくれない。 小説の主人公と同名の我らがアルジャーノンを始めとして、感染しだからこの面での利得はなんでも歴史的展望の中で進歩の路線内に あるものとして評価される。もちろん、この伝染病に有害な副作用 たマウスたちに今までのところ退化の徴候はない。だが″黄金チー ム″のキャップは、これを人間にあてはめて結論を出すことはできがなく、 ch ーウイルスは、発病力のある状態においても知能の励起 ないと考えている。しばしば、『アルジャーノンに花東を』を読めしか起こさない、それも安定した非退行性の持続的なもの、という と言った日のデビッドの異様な眼の色を思いながら、私は自問しことが完全に保証されればの話である。研究室でデビッドの直接の た。ことによると、私がかくしおおせたと思っていることを彼はよ指揮下に行なわれている研究もそういう保証を生みだすにはほど遠 く知っているのではないか、ことによると、私が感染したと考え い、それは承知している。でも、必要な保証がすべて確認された場 て、私の感受性を傷つけないように遠回しに、私自身の認識の壮挙合を仮定してみるのがいけないということはない。さて、この理想 しゅうえん に劇的な終焉が訪れるかも知れないと警告したのではないか。こう的なケースにおいてすら、果たして人類総感染が望ましいことであ したもろもろの懸念は、一刻一刻をできるかぎり賢明に使おうといろうか ? 抽象的な個人にとって利益であるものが、現実の個人個 う私の切望をいよいよ強めた。私は思ったのだが、もし本当に感染人にとってもまちがいなく利益だと言えるだろうか、ましてや社会 性の ()5 ーウイルスを持っているなら、かりにあのゴードンと似た運全体にとっては果たしてどうだろうか ? 命になるのだとしても、私の前に開かれた特権的な道をとにかくで ヒューマニズムの理想に息づき、本気で人間間の平等を実現しょ きるだけ高く登りつめる方がいい また、もし危険がないとすれうと決意した世界 ( わが地球はなんとそこから遠いことか ? ) にお ば、世界から見放されたこの片隅での無意味な寄生生活に対する抵いても、不平等な遺伝形質に由来する明白な不公平、特に知能の個 抗を続ける方が得なのに決まっている。 人差に基づく不公平が存在し続けることは避けられまい。精薄者と 時折、私は長い思案にふけり、科学の名で専門家を束縛する指標天才の間ばかりでなく、抜け目のない人間といくらか鈍い人間の間 や限界を無視することによって自由気ままに夢の領域に身をゆだねにも、完全な平等は絶対にあり得ない。しかも、創造の観点からば るのだった。たとえば、もしもなんらかの形でみみずく島から伝染かりでなく、享受・吸収の面でも同じだ。人類の最も貴重な産物、 病が広がったら、もしも全世界に拡散するに至ったらどういうことすなわち文化的価値、科学、芸術、哲学上の財宝からの恩恵の浴し になるかと想像してみる。自分が検疫隔離下の集落で観察できた効方にも個人差があるということははっきりしている。我々は知能と
わすか数分のうちに私は各陳述を一連の確定文脈の中に位置づけ、れはもちろん私としてはあまり愉快なことではない。私がひとりで 五人の住人の国籍および職業、五軒の家の色、四種の家畜、四種の危ぶんでいるだけでたくさんだ。その間に、時間をもっと活用しょ 飲み物の組み合わせを、いささかも疑問の余地のない形で確認しう、この強制された滞在の間に、願ってもないデビッドの指導と説 た。あとはおしまいの二つの質問に答えるだけだ。それでテストは明をできるだけ利用しようという意欲が具体化した。私をここへ派 解決となる。″ビールを飲んでいるのはだれか ? 。もちろん、左端遣した人たちに対して、私が今までの記事の欠陥を悟ったという証 の家に住むノルウェー人だ。フランス人は紅茶を飲み、イギリス人明となるであろうこの変則ルポルタージのアイデアが生まれたの はミルクを飲み、日本人はコーヒ , ーを飲み、スペイン人はトマトジもやはりそのころだった。不思議なことには、仕事に対する例の嫌 ースを飲むのだから。″ゼ・フラを飼っているのはだれか ? ″もち気は一掃されていた。 ろん、四軒目に住む日本人だ。ノルウェー人は狐を飼い、フランス新しい友に勧められて読んだ本の中で、ダニエル・キイスの小説 人は馬を飼い、イギリス人は猫を飼い、スペイン人は大を飼うのだ『アルジャーノンに花東を』は別格の位置を占める。私は、しばし から。前夜の迷いは子供じみたものに思われ、みんなが面白がってば、このアメリカの小説家が描いた状況とみみずく島の私自身の状 くれた脱線のすべては、今となると、愚劣とまでは言わなくても、況の類似点と相違点について思いめぐらした。キイスの小説の主人 無意味に見えてくる。私は気がついた。あの時も迷路の鍵をみつけ公はーー、ねずみのアルジャーノンも、日記の形で事件全体を物語る ・ゴードンもーー知能の発達を目的とした実験的外科手 かかっていたのだが、私の眼にはぼんやりと霞がかかり、実質のなチャーリー い言葉のあやの絡まりから脱けられず、袋小路の枝道や堂々めぐり術を受け、実際に、おのおのの種の限界内で驚異的な成果を挙げ る。この島でも、異常な状況の結果として超知能が出現した。一方 の罠を避けることができなかったのである。 は、メスで直接大脳を手術し、他方は、あるウイルスを遺伝子に結 皮肉なことには、テストが解けたーーーしかもあっと言う間に 喜びよりも、私の心は前夜の情ないざまに対する自己嫌悪の方が先合させるという手段をとっている。しかし差違は技術ばかりではな しト説の方で扱われるのは一つの孤立した運命であり、一つの個 に立った。急いでデビッドに知らせて勝利のラッパを吹き鳴らすど ころの話ではなかった。テストのことはロにしない方が利ロだと考人である ( 小説のねずみと人間とは、分析して行けば結局一個の実 えた。その後、伝染病の経過とデビッドの仮説を知ってからは、し 体を構成する ) 。私のルポルタージの現実では、集落全体に影響 よいよもってデビッドに打ち明けるべきいわれはないと見た。話せが及んでいる。別の面から見ると、ゴードンの孤独は ( 初めは精薄 者として、次には全能の天才として ) 彼の孤立した運命の直接の結 ば、当然、私は彼の患者の一員とされ、観察と分析の対象となり、 ーウイルス汚染の儀牲者かもしれないと見なされるだろう。とい果であるが、この島では集団の運命が人々をコミニケーションへ うことは、私が免疫のない側に、境界線以下の、低能者の側に属す向かわせており、またこの集落の予防隔離は人類全体の運命に対す 3 るのかもしれないという疑いが我々の間に生じることになるーーこる責任感の結実にほかならない。チャーリーのケース同様、知能の
問題に直面しているのだ、という思いが私の頭を離れなかった。遠部長は、細かい丹念な字でびっしり書きこんだ便箋を抜いたあと いといえばアルジャーノンは巣箱に監禁されていたという点だ。その封筒を、放心したように、裏返し表返ししていた。 うして、私だって結局はこの呪わしい迷路の出口を発見できないは 「なあ、どうも引っかかることがある。フィリップはいつまでたっ ずはない、という説明しがたい確信を捨てなかった。わが友デビッ ても例の平板な学者調が抜けなかったんだ。知っているだろう、あ とちらにしても、私にウイルスがあるかないか調べておくのれを出張させたのは、ここに彼が自分で書いている通り、私の机の も悪くなかろうと言ったが、私は無駄なことだと答えた。たとえ結周りをうろうろするのを見たくないからだったよ。契約切れまであ 。さあ、これが一つの説明だ ! 」 果が陽性と出てもこの計画をやめるわけにはいかないのだから。危と数週間だ : 険は曹長が準備している齧歯類の大侵入にくらべればはるかに小さ「では部長はこれが絵空事だとでも、頭角を現わす最後のチャンス 。また、結果が陰性の場合でも、やはり本土に着いたら厳密な防に賭けてこれをみんな創作したのだとでも ? 」 疫処置を施さないわけこよ、 ~ ーしかない、検査の時から島を離れるまで「そうかもしれん。だが意図だけでは物にはならない。かりにこの の間に感染の可能性があるのだから。というわけで、一緒に、そ事件がまるまるでっちあげだとしても、この見事な筆力はあいつの の防疫処置として必要な項目を確認した。そのあとまた私たちは苦及ぶところじゃない」 心惨澹して知恵をしぼったけれども、残念ながら成果はかんばしく 「でもこれは彼の字です、彼の文章です、くせで分かりますよ : なかった。もう別れる方がいい、二人の散歩になにか嫌疑をかけら れてはまずい。また連絡をとろうと約東して、私はホテルに戻っ 部長はまだ封筒を引っくり返している。 た。ロビーで待機していた一人の兵士が私の身分証明書を検査し 「その通りだ、くせだ、全体としてこの文体は : : : 」 て、同行を求めた。数分後、私は守備隊の営舎の中の身であった。 「いんちきじゃないという何よりの証拠ですよ ! つまり、確かに 私に足りないのは巣箱だけだったが、今度はそれも揃った : ルポルタージュです」 「これを本当に書いたとすれば、当の本人がこの妙ちきりんな天才 伝染病に感染していたことになる : : : 」 「確かにー 「きみもそう思うか ? それにしても分からんなあ、まだ検疫隔離 中なのに、一体どうやってこの封筒が編集局まで届いたのだろう 7 改めて消印を念入りに調べた部長は、その時ようやく気がつい 9 た。その分厚い封筒は、ほかならぬこの首都で投函されていた。 「君、フィリツ。フが送ってきたレポートをどう思うかね ? 」 「今読んでいたところです」 「さあ : : : いけるんじゃないですか : : : 」 「それどころじゃない、妻いそ。連載が成立する。大スクー。フだ。 ″みみずく島からの手紙″だ ! 」
の水滴のように、私の右の耳から左の耳へ抜けて消えてしまった。 率直に言って気が進まないのはお互い様だった。デビッドの方で は、なぜ今ごろ新聞記者が来たのだろう、例の発見は二年半も前の ことで、その後報道しつくされ、書かれすぎたほどなのに、と思案 デビッドは、いっかアルジャーノンというねずみの迷路学習が出 していたし、私の方では、ここへ急派された理由をどう考えてみて てくる小説を読んだことがあったので、その名をつけたのである。 も、部長が飽くまでも私を干そうとしてまたやってくれたな、とい あとになってクライン氏が記者に打ち明けてくれたのだが、実はこ うこと以外に思い当たらないのだった。ルポルタージ、の中でこん んな命名を承認したものかどうか、迷ったのだそうだ。第一に、当 な記者当人の職場関係などに触れるべきでないということは承知し のその小説は失敗した実験の物語だということで、それでは自分た ているけれども、これを言っておかないと、後日の私の変化を十分 ちの研究にとって縁起がいいわけはない。第二に、それは意図的に 理解してもらえそうにないから、万やむを得ず、あえて定石無視の 奇をてらった名のように思われた。だがクライン氏は、およそいか 危険を冒すとしよう。それに、どうせ定石外れなら初めに楽屋をさ なる意味でも独創性とは無縁なタイプとして通っている。第三に、 らけ出す方がいいというものだ。 こんな妙な名にはなにかいかがわしい裏の意味がありそうだ。そん なものがこの研究所にまぎれこんでれ「きとした存在となり、定例近ごろ、取材に出るたびに、部長は私の顔を見たくないばかりに つまらぬ仕事をくれるという気がして面白くない。そうして長時間 報告にも顔を出すとなると、面白くない事態を招きかねない、 の誠実な努力の結晶の原稿はいつも没である。初めはどういうこと うわけだ。しかし、ウエプスター辞典を引き合いに出して、デビッ ドがこの名は古フランス語の巴 g 「 enon に由来し、《ロ髭のあるなのか分からず、デスクから声がかかるのを待ち構えていた。記事 は。 ( スか没か、なにか注意があるか、書き足しが必要か、それとも もの》という意味であると鮮やかに説明したので、クライン氏もそ 削れと指示されるか、と。だが空しく日々は過ぎ、紙面に出るのは れならまかりまちがっても左翼的な解釈の生まれる余地はあるまい と安心した。そこでクライン所長はついに反対を撤回し、所員の間他の同僚の署名ばかり、そのうちに次の取材と来る。こちらから原 ではとうに既成事実として通「ていた名を正式なものとすることに稿のことを尋ねると、部長はその度になにかと掲載延期の理由を述 べる。あるいは長期気象予報の発表のことを言い、あるいはラテン 同意したのである。 ・アメリカの最近のクーデターのことを仄めかす。出張から出張 のちに、私も自分でダニエル・キイスのその小説を読んでから は、いや、読む気にな 0 た時にはすでに、このみみずく島で進行し〈、来月から再来月〈と延期はどんどん長びき、そのうちに、新し いデータを入れなければ使い物にならないと認める羽目になるか、 ている事態について目が開けていた。けれども、研究所へ着いてす ぐデビ , ドの説明を聞いた時には、彼の話は ( それはいかにも気がさもなければ、次長が念入りに赤鉛筆で " 没。と書いたゲラ刷りが 進まないといった丁重きわまる調子だった ) 、焼けたオープンの上机にあってどきりとすることになる。そこで頭に来て、辞表を叩き 9 7 一
くまさにこのみみずく島で、この真理がおごそかに確認されることい。自分の非合法な所業がいずれあばかれる日が来ることは不可避 になった。ある朝、デビッドがいつもより早くホテルに訪ねてきだと読んでいる曹長は、おそらく研究所が唯一の切札だと気づいた 9 た。一目見て、彼がひどく惑乱しているのに気がついた。彼は散歩のだ。クライン氏に伝達された命令は次のことを疑問の余地なく立 しようと言い、私は理由も聞かずに後に従った。何か重要な話があ証している。曹長は、政府ないしは全世界に圧力をかけるために、 って、絶対だれにも立ち聞きされたくないのだと分かったからであ少なくとも威嚇手段として、感染マウスの大群の形をとった恐怖の る。彼は研究所長のクライン氏と話し合ったことを語った。所長遺伝子兵器に訴えるつもりなのである。一体、処罰されずに脱出し は、 ()5 ーウイルスに感染した大量のマウスをできる限り速やかに用ようと思っているだけなのだろうか、それともさらに野望をたくま しくしているのだろうか ? 意せよとの命令を受けた。その命令は例の曹長が出した。 施政権を掌握してから曹長は正直正銘の独裁者に変身した。少し私は、デビッドと二人で、当面の状況と可能な方策とをじっくり でも彼の指令に違反すれば厳しい処罰を適用し、守備隊の営倉は監検討した。一つの解答は、言うまではなく、研究所がなんらかの方 獄と化し、日々に拘禁者の数がふえる。最近、数件の極刑宣告まで法で指令の達成をポイコットすることだったろう。だが所長はそん あった。最大の不幸は、本土では全く何も知らないことだ。検疫隔な危険な責任をとることを拒み、作業が指令どおりに運ぶように身 離がまだ解除されていないし、常時監視下に置かれた放送局から無を入れて監督せねばなるまい、とデビッドに警告したのだ。ほかの 線で送られる島の一竃ースは巧妙に粉飾されているので、針の先ほ道は、研究所の破壊にしてもマウスの抹殺にしても、さらには島民 どの嫌疑もかかっていない。もちろん、この状態が無限に続くはずの手による独裁者排除にしても、こう監視が行き届いている状態で は、行動を組織することも、いい結果を得ることもむずかしい。一 はない。食糧備蓄には限りがある。いずれいっかは、中央当局が何 らかの形で介入するだろう。完全な隔離は永久には続かない、そう見最も空想なアイデアが、結局のところ二人の心を一番強くとらえ して曹長はそれをよく心得ており、予防措置をとろうとしているのた。曹長が凶悪な脅喝手段を手に入れないうちにみみずく島の実情 だ。デビッドは、あの小独裁者自身 (.-5 ーウイルスの感染者だというに関する情報をなんとかして本土へ届けるというアイデアである。 可能性がある、と繰り返し注意をうながした。クーデターが終始あだれかが脱出しなければならない、当人がウイルスの媒体となる危 まりにも巧妙に仕組まれていた、検疫のための警戒態勢と隔離があ険はあるけれども。かりに脱出不成功の場合を考えると、デビッド まりにも抜け目なく利用された、一連の結果があまりにも厳密に計 はほかの解決策をさぐるためにここに残る方がいいから、私は自分 算されつくしていた、これは到底、憎悪と傲慢におぼれた粗野ながやろうと申し出た。私たちは島を離れる可能性のあれこれを一緒 心、知性の閃きの片鱗もない野蛮で狭量な精神として知られてきに分析したが、多少なりと実現性のある方法を見つけるのは並み大 たこれまでの曹長の仕業ではない。こうした土壌に播かれたからに抵のこととは思えなかったと認めざるを得ない。アルジャーノンが は、あの奇妙な種子からの悪の天才が生えても驚くにはあたらな研究所から逃げる時に解決しなければならなかった問題と全く同し
は、今観察している現象に対する筋の通った見事な説明であると思軒目でもない ( ここではコーヒーじゃなくミルクを飲んでいる ) 。 われた。 右端も緑ではあり得ない ( その右にはもう家がないのだから緑 9 そうして、もう少し正確に言うと、私はこの現象の単なる観察者でいいのは四軒目だけだ。五軒目は「緑の家の右になるから、白 ではなかった。この島の滞在を延長させられているということ自だ。さらにその続きも簡単きわまる。イギリス人の家は赤いと言う 左端はノルウェー人だし、ほかの家は 体、私も巻きこまれていることを示している。それに加えて、どんのだから三軒目以外にない。 なに私が自分自身に甘くても、私がここの住民と同じ危険にさらさみんな別の色だから。次に、ノルウェー人は医師にちがいない。と れていることを認めないわけこよ 冫。いかない。例の知能の高い者の免いうのは、医師の家は黄色であり、黄色でありうるのは、つまりま 疫という仮説にも全然安心はできなかった。秀才と凡才の境界は明だ色の決まっていないのは一番左のノルウェー人の家だけだから。 らかでないし、いわんや、個々の人間がその境界に対してどのあた ところで医師の隣人ーーっまり二軒目の住人、ノルウェー人の唯一 りに位置するかという絶対的な基準はーーーそんなものが仮にあるとの隣人ーー、は馬を飼っている。一方、イギリス人の隣人は大工であ してもーーー分からない。実は、はなはだ歴然たる事件が ( 理由はある。ここでは二つの選択がある。大工をイギリス人の左隣とするか とで述べるが、私はその事件をデビッドには話さなかった ) 、曹長右隣とするかである。左隣の青い家の住人としてみた。するとうま のクーデターの翌朝に起こったのである。賢明なる読者各位は記億く行った。続いて、弁護士はトマトジュースを飲むのだから五軒目 しておられよう、だれがゼプラを飼い、だれがビールを飲なかを解の住人だ。なぜと言うに、左端は医師で、二軒目は大工で、三軒目 明して見せることができないうちに集会がお流れになってホテルへはミルクを飲むし、四軒目は コーヒーである。弁護士とトマト 帰った時、私は紳士のエチケットを破ってアルジャーノンをクライジースという二つの条件を同時に満たすのは五軒目しかない。さ ン氏に売り渡した。さて、興奮していたにもかかわらず、私はすぐあ、着々とすべてはっきりして行く。 ″日本人は探偵である″まだ に眠りこんだ。珍しくぐっすりと安眠したらしく、朝目が覚めると職業不明の家は二つ、三軒目 ( イギリス人の家と分かっている ) と 頭は申し分なく爽やかで、夢と目覚めの境を越えたばかりにしては四軒目だけだ。とすると日本人は四軒目の住人だ。″スペイン人は これまで味わったことがないほど冴え切っていた。突然、沈めてお大を飼っている″さて、国籍不明の家は二つしか残っていない。二 いた物が浮力に負けて水面に頭を出すように、前夜のテストが頭に軒目 ( ここは馬がいると分かっている ) と五軒目。つまりスペイン フラン 浮かんだ。左端はノルウェー人の家だ。二番目の家は青い。真中、人は五軒目となる。″フランス人は紅茶を飲んでいる ス人といえばもう二軒目しか住む家はない。″ 技師は猫を飼ってい つまり三番目の家ではミルクを飲んでいる。ここで私は行き詰まっ 大工の隣人 たのだった。だがその先は明々白々じゃないか。四番目の家は、コる″ーー技師といえばもう三軒目しか住む家はない。″ は狐を飼っている″両隣のうち、片方は技師で、これは猫を飼って , ーヒーを飲んでいるからには、緑だ。左端の家は緑ではあり得ない いるから、狐はもう片方、左隣の家の医師が飼っていることになる。 ( 右隣が白ではなく青だから ) し、二軒目でもない ( 青だ ) し、三
潜在的知能が育って十分に発揮されるためには創造的な領域での知ってくれ、本や雑誌を貸してくれ、分からない点を説明してくれ 識の集積と、それに適する社会環境が伴わなくてはならなかった。 た。私たちの話の主要なテーマは、もちろん、 (5 ーウイルスであっ 9 ともあれ書店は急激な売上増を記録したし、図書館は閲覧者数が急た。わが顧問は、みみずく島を汚染しているこの奇妙な知能苹新熱 増したという点は見のがせない。 にかかった人々の細胞を分析した結果、その多くにーウイルスの ところで、やがて別の徴候が現われた。例の数学万年追試生徒の存在を突きとめていた。彼の見解によれば、担体となった細箘の遣 試験のショッキングなケースは、あたかも伝染するように見えた伝子との結合およびマウスの組織を経過したことによる変成の結 ( 事実、それは伝染病だったのである ) 。中や下の生徒の多くが素果、ーウイルスは感染性を獲得し、人間集団に伝染病を起こせる 晴しい成績をとり、それまで安定していた序列がめちやめちゃになようになっていた。そうして、たまたまアルジャーノンが脱走した り、先生たちは途方に暮れた。先生たちの間にも、一一夜にして自分ために、島民は結果の見通しのない実験にまきこまれることになっ が傑出した教師たる素質に恵まれていることを発見する者もあったのだ。マウスを使ったこれまでの研究からは、新しい状況に対す た。ほかの場所でも進化は不連続になっていた。ある郵便局員は辞る十分なデータは出てこない。その毒性、明白な伝染性は、まさに ヒトに発現しているのである。そして一方、原ウイルスは潛在性 表を出して、大勢の家族の嘆きをよそに毎日絵を描いて過ごしてい る 9 ある床屋は声楽のレッスンを受け始め、夜中まで歌っているので、自然には人類にだけ存在していた。こういうわけだから推論の で隣近所から苦情が出る。何人もの実直な主婦が家事をそっちのけ立てようがない。重要な点は、この伝染病が住民全部に広がらず、 にして詩作に凝り、ホテルに中央紙の記者が宿泊していると聞い比較的知能の低い人だけが襲われているという明白な事実である。 て、自作の詩を携えて押しかけてくる。こちらは文芸評論家じゃなこの特性の解釈に、デビッドは、特殊な抗体が知能の高い人を免疫 いし、気の利いた助言もできはしないのに。気まぐれとはとても思にしているという仮説を立てた。免疫仮説の傍証として挙げられる えないこうした人生行路の急転に至っては、もはや行政当局の能率のは、ーウイルスに対するマウスのふるまいの経時変化である。 向上の結果と見るわけに行かないことははっきりしている。そもそ個体差はあるが、ある期間たっと、迷路学習の成果は少しも落ちな も、では、新しい守備隊長などという者はおらず、隊長更迭の命いのに、ウイルスは消失している。そうして、再度感染させること 令などはなかったのだ。警戒態勢と島の孤立状況に乗じて曹長が隊はどうしてもできなかった。ウイルスに対する抵抗力は子孫にも伝 長を逮捕し、守備隊の指揮権を掌握して戒厳令を施行したのだとい えられる。これから類推すると、人がもっすぐれた知能は、いっか ーウイルス保持者だったことのある先祖から受け継いだものであ り、その先祖が ()5 ーウイルスに対する免疫も同様にして遺伝形質に こうした話やそのほかの情報はみんなデビッドが教えてくれた。 デビッドは、あの知能テストと隊長逮捕の晩の謎めいた共謀のサイ加えたのだと推定されよう。もちろん、こうした推論はすべて、科 ンの裏づけのように何回かホテルへ訪ねて来て、何度も研究所へ誘学的データに支えられるまでにはほど遠い。だが少なくとも私に
私はしょんぼりと階段を登った。デビッドの家の集まりは、私が 本式に参加しないうちに終わってしまった。私の島滞在は検疫期間 るにん 以上に長引きそうだし、どうやら本物の流人に変わっている。曹長 の眼付きから直感的に読み取れた危険に加えて、研究所の地下から ーウイルスがみみずく島に体物の天才伝染病を蔓延させたとい 逸出した病原菌に感染する可能性もある。未来は・ハラ色とは見えな う徴候が、疑いようのない形で、日一日とその数を増して行った。 。ますいことが重なる中で、今一番辛いのは孤独であった。話を 初めのうちはだれ一人として ( 独自の見通しを立てていたデビッド したい、だれかと意見や印象を交換したい、せめて会話によってで は別だが ) 事態に気がっかなかった。初期の徴候は大体においてあ も人間的連帯の恵みに浴したいという痛切な欲求を覚える。ああ、 まりめざましいものではなく、おもに、毎日の仕事に見せる熱意の ルームメート : いたら、せめてだれか隣がいたらなあ。知能テスト 高まりという形をとっていた。だが、それまで研究所員を例外とし の文句が頭の中で響く。医師の隣では馬を飼っている。イギリス人 て島民の間に広く行き渡っていた無気力な沈滞を頭におけば、この の隣は大工である。大工の隣は狐を飼っている。私には隣がいない 程度の結構な進化もすぐ目をひいたのである。たとえば、アルジャ ホテルの客は私一人だ、そうして馬もいないし狐もいない。 1 ノンが捕まった数日あとのある朝のこと、部屋からロビーにおり キーをさしこんで回し、ドアを開き、明かりをつけた。かさりと妙た時、例のホテルマンがにこにこと私を迎え、丁重に挨拶して、そ な音がしたような気がして、振り向いたら、ペッドの真中に一匹の のあとよく眠れましたかと尋ね、さらに、もしお望みでしたら明朝か 白ねずみが見えた。まるで私を待っていたように、落ちつき払って ら朝食を御部屋へお持ちしますと言われた時、私は少なからずびつ」 私を見ている。私は入口で立ちすくみ、どうしてよいか分からなか くりした。この御仁はそれまでの態度とホテル管理ぶりをわびて、 った。私には馬はいない、狐もいない、だがねずみがいるんだー 不愉快なことに巻きこまれていましたがーーもちろん御客様には関 これはきっとアルジャーノンだ。研究所の本部へ知らせねばなるま 係ないことでーーーもう片づきましたからと説明し、今後はちゃんと い。では、この。ヒンチの瞬間に私の相手になってくれようという唯 ノーマルになるでしようと保証したのである。その言葉の通り、そ 一の存在を見捨てるのか。私の保護を頼って来たかのようなこの愛 の日のうちに掃除も整頓も行き届き、以後支配人兼フロント兼ポー くるしい生き物を裏切るのか。 ター氏はいつも丁重親切であった。まもなく、レストランでもスー 私は結局そうした。部屋に鍵をかけ、ロビーに下りて、そこから ーでもほかの公共施設でも、同じような変化が起こった。、本当の クライン氏に電話をした。十分後、研究所の唯一の公用車がホテル事情がっかめないうちは、私はそれはみんな新守備隊長の = ネルギ の前に停車し、物々しい狩猟の装備を整えた捕獲隊が部屋に突入しッシ = な活動のためだろうと思っていた ( 新守備隊長は警戒態勢下 9 た。あとで聞いたら、マウスは防護服に身を固めた人々を見ても怯における唯一の中央当局代表として島の全権を掌握していたのであ 8 えなかった。逃げる素振りも見せずに、おとなしく捕まえられた。 る ) 。あとになって私も納得がいったのだが、この類の人々の場合、 まんえん
なかったことに違いない ) 考えてみると、あの時なにを見たのかごの迷路のところへ行く番であるだが、いよいよその操作にかかろ くぼんやりとしか覚えていなかった。デビッドが私に細胞の培養をうとした時、デビッドは愕然として叫んだ。アルジャーノンの巣箱 8 トへが空つぼだ。 見せ、電子顕微鏡で染色体の花やかな映像を覗かせ、。フラスミ の合成遺伝子挿入作業に立ち会わせ、 (-) ーウイルスつまり天才ウィ ーに紹介してくれたことは確か ルスの模型を見せ、チームのメイハ だ。もちろん今ならばこの第一回訪問の模様を事細かに再構成する こともできようが、しかし、見通しの利かない霧の中で案内人の説 イギリス人の家は赤いスタートはわるくないな、と私はテスト 明もろくに耳に入らずにぼうっとしていた私の精神状態、その反応用紙を見ながら思った。そこには簡潔な文章が一行ずつずらりと並 の描写の方が、この際ずっと重要だろう。 んでいる。イギリス人がよきプリテン伝統に従って煉瓦造り風の外 私が抽象的な方面に全く暗いと見てとったデビッドは、私の取材観の家を建てることはほとんど確実なことと思われる。私はさらに の成否に対する無関心を敢て自ら克服して、もう少し直観的に分かそのイギリス人が芝生を刈るところや、テレビの前でパイ。フをくゆ る実験なら私の思考力も鋭敏さをとり戻すだろうと計算した。そこらせているところを想い描いた。この肯定命題の堅実性は明白で、 で、生合成で造り出して、ある細菌に組み込んだーウイルスの活私はなにやらほっとした。正直言うと、私は知能テストなどやって 動をどうやって確認したのかという話を始めた。その変成細菌を培みる気になったことはなく、仕事の場でも取り上げなかったし、遊 養してマウスの消化管に入れ、そのマウスの迷路学習の進み方を正びとしてもあっさり断って来た。信憑性がないと見なしていたし、 常なマウスと比較して調べたのだそうだ。話だけではびんとこない他人の慰みになるために自分の頭をひねってみても一文の得もなか だろうから、というわけで、″黄金チーム″のキャツ・フは、正常なろうにと思っていた。しかし今度ばかりは取り組まざるを得なかっ マウスと、ーウイルス感染後に全く信じられないような能力を身たのである。スペイン人は大を飼っている依然として確実性は完 とい、つ につけた偉大なチャンピオンとの競走を見物しようではないか、と全に保持されている。だがそれは表面上のことにすぎない。 提案した。そのチャンビオンこそ、デビッドの発案によってアルジ のは、なぜほかならぬスペイン人が犬を飼うのかとなるとあまりは ャーノンと命名されたねずみなのである。私たちはガラスの隔壁の つきりしない。イギリス人が飼っても少しも不思議はなかろう : ・ 前に立った。ガラス越しに同じ迷路コ , ースが二つ見え、白いマウス いけない、見当はずれなことを考えている、と私は気がつい 力しくつかのレ・ハーを動か の巣箱がたくさん並んでいる。デビッド : 、 た。この一連の気まぐれな命題に論理的な解釈をつけようとしても すと、かわいらしい齧歯類のうちの一頭が巣箱から出て、縁の高い始まらないのだ、ここでは一語一語が代数の記号のようなもので、 樋のようなものの中を通り、左側の迷路の入口の前に来た。次は、 語の意味自体は問題ではない。・ とうも私には数学的精神が欠けてい ″チャン・ヒオン〃が、同じような樋を伝って、自分の巣箱から右側るのか、さもなければ、言葉から」切の意味をは・ぎとるというこ