くもマイナ ー・リーグでやってた。時々は どの傾向の r-o が好きとかいうのはなか た。作家になるとか、そういう予定をして いたわけでもないんだけれど : : : 勤めてい の話もしていたけれど、あとはなにをつたけれど、新しいようなのがやつばり好 きで、ニュ る間は、のファン活動なんかもしてな やっていたのでしよう。 ( 笑 ) ・ ・ウェー・フが出てくるとニュ かったし。 ・ウェー・フが面白くなってくる、という 研究会″といっても遊びの団体だった。個 高知放送を受けたのは、実家に帰るよう 人個人はに対する思い入れはあるんだ 具合で : : : でも、読むのと作品として出て くるのは別だと思っていたし、大学の頃なところもあったし、放送の仕事をやって けれど、付合う部分は遊びで、チラッチラ みたかったからね。やってるうちは面白か ッと本音を言ったりするのは機関誌とは別 は、幻想小説というか妄想小説を書いてい ったんだけれどね。三十歳近くになった にいつばい出してた個人誌だったりして : た。自分の見た夢をヒントにしたりして : ・ : あの頃のことっていうのは、全体像をつ : ・文章で気に入っていたのは随筆の串田孫時、やめようと思うようになって : : : 作家 になろうというよりも、作家になれたらい かまないと、なにをやっていたかわからな 一さん。中学三年の頃に、山の関係もあっ いなあ、と思ってて、これが自分の書いたも いだろうね。 て、同じ本を何度も読んでいた。 のだ、と言えるようなものを作っておきた 影響を受けたといえば、あの頃、みんな その頃、森下青年は、自分の ひとっ欲しい、と思ってたんだ。あん に影響を受けていた。伊藤典夫さん、谷口 個人誌『いし』や他のファンジンに 高夫さん、佐藤正明さん、川又千秋さん、 まり年をとって、世間の荒波にもまれてし 作品を載せていた。ポツリ、ポツリ まうと、そういう志を忘れてしまうから。 横田順彌さん、鏡明さん : : : そういう、 と発表される小品は、まるで雪のひ 緒にやってきた人たちが、。フロとして立派少し貯えもあったから、じゃ r-nv-k を書いて とひらのようにあわく儚いものだっ にやっていったのが一番影響を受けたんじみよう、と。書くにあたっては、伊藤さん た。それが『コスモス・ホテル』の やよ、 とか川又さん、谷口高夫さんとかのアドヴ / . し、刀↓ / 解説で、当時からの友人、川又千秋 アイスもあったんですよね。全く ()n 仲間 が彼を″秘密の作家″と命名した所 と連絡が跡絶えていたわけじゃないんだよ そして、高知放送へ入社して 以である。私事だけれど、そんな中 ね。 に、「暗い胸の少女」という彼の忘 会社をやめてから書きはじめて : : : ディ 当然、就職はするつもりだったんだけれ れられない一篇も含まれている。 ックとかハインラインとかの好きな TJ 以 ど、そんなに長く勤めるつもりはなかっ SF NEW GENERATION„ 9
立レヒッウ ながらデビューの遅れつづけた作家も珍し 解説にもあることだからくりかえさない が、彼は本当なら、「旧・宝石」ですでに若 き鬼才としてデビューをはたしおえていた。 さらにマガジン・コンテストで、そして 「幻影城」で、何回でも彼はもうすんでいる はずのデビューをくりかえさねばならなかっ た。しかし彼は、誠実に「新人」でありつづ 中島梓 けたーー彼の作品は、いかなる意味でも、こ これは近来まれに見る美しいすぐれた短篇うした「セミ。フロ」作家のキャリアをかさね てゆく人にありがちな、「佳作入選ずれ」のれてしまうとしたら、それはあまりにも惜し 集である。そう云いきってさしつかえのない 、やみを感じさせない。そして、ついに、彼 一冊にあうーーーそれはなんとまれな、そしてし 、という気がする。こんなみごとな短篇の は私たちの前にその全容をみせた 喜ばしい、輝かしい一瞬であることだろう。 「竜神書き手は最近のの新鋭作家の中にない。 それは美しくリリカルで、しかもそっとする 作家というものには、二通りある、という戦士ハンニ・ハル」によってである。 しかし、もとより「大魔界」はすぐれた仕ほど恐しい。この短篇集を読んだすべての人 気が、このごろしている。生まれながら作家 で「ある」人と、作家に苦労して、あるいは事で、よく売れたし、評判もよい、そのこと が、あるこの上もなく愛されている作家のあ は実にうれしいことだが、だがそのことでる作品集の名を思いうかべることを私は信じ 幸運にも「なる」人とだ。むろん後者の方が 多い。前者はまた、必ずしも自分が作家で 「夏の旅人」の、「さすらい」の田中文雄て疑わない。その名とはージャック・フィニ 「ある」ことを知らない。むしろもともとのが、ヒロイック・ファンタジイの影にかくさイの「ゲイルズ , ーグの春を愛す」なのだ。 作家ではなかったゆえに作家に憧れ、そして 恐怖と幻想、と云いきってしまうことはや 「なる」人のほうが、早く芽が出、売り出し さしいが、田中文雄のそうした一連の短篇に てしまうことがある。しかし、作家で「あ は、それ以上の何かがある。そしてそれが、 る」人は、結局埋もれておわることはない。 他の若手作家中堅作家にはなかなか見られぬ ハート / いっか、何らかのおどろきと発光の瞬 ものなのだ。彼の幽霊には心がある。そして 間とをもって、必ずや人びとの前にまぶしく 彼の恐怖には哀愁が、そして詩情には、非情 立ちあらわれる。 な現実認識が、必ず裏打ちされている。名作 田中文雄ほどに、すぐれた才能と、書くこ 「さすらい」の栗原夫人 1 ーーこれほど、実在 とへの純真な熱意と、ゆたかな着想とをもち 感をそなえたキャラク々一ーを生み出しうるの 田中文雄著 『夏の旅人』 旅雄 夏田レ = 。 , 320
1 川川川Ⅲ川Ⅲ川Ⅲ川ⅢⅢ川ⅧⅢⅢⅢⅧⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢ川ⅢⅢⅧⅧⅢⅢ lll ⅢⅢ川ⅧⅢⅢ川Ⅲ川ⅢⅢⅢⅢ川間Ⅲ川ⅢⅢⅢⅧⅢ川ⅧⅢⅢⅢⅢ川川川ⅢⅧ川川Ⅲル Caverns Below ”の題名で ; 1957 ; 図 Ca せ召 03 ) といった、ほぼ同時期に 発表された長篇にも、同じ長所と欠点が見 受けられる。たとえば丑記 d Ⅳ は、諷刺的な地底世界もので描写は興味つ きないが、登場人物はまったくのはりぼて である。 U れイ訪に Triple Su ( 195 の のような後期の長篇においても文体の向上 は見られず、評判もかんばしくない。 〔 J C 〕 コグスウェル、シオドア・ R COGSWELL, THEODORE R(OSE) ( 1918 ー アメリカの作家で大学教師。スペイン市 民戦争で人民戦線側の救急車を運転した。 S F 界への登場は、 1952 年、 A S F 誌に発 表した "The Specter General" で、これ は現在まで彼の最も成功した作品のひとつ である。この楽しいショ ト・ノヴェル は、のちにキース・ローマーが自家薬籠中 のものとする作品傾向に似て、銀河保護領 の忘れ去られた補修部門が退廃した宇宙海 軍にカツを入れる顯末を描いている。 2 つの短篇集 The VVall み rou d World ( 團 1962 ) と The T ん Eye ( 團 1968 ) には、彼がこれまでに書いた ほとんどの作品が収録されている。彼の作 品は洗練され、愉快で、ファンタジーと S F のフォーマットを忠実になそっていると はいえ、楽しんで書いているという雰囲気 が感じられる。 「壁の中」 "The Wall Around the World" ( 1953 ) は、彼の作品中で最もよ く知られたもののひとつである。一見魔術 が使えるかに見える土地に暮らす少年が、 その世界の真実の姿を見出すというこの短 篇は、認識の変革をテーマにした物語の原 型ともいえる。彼は SF アンソロジーにひ 387 んばんに顔を見せ、ヘンリー・カットナー やウィリアム・テンとならんで、短篇に優 れた才を発揮する作家だが、長篇に関心を 示さないという理由で軽視されているきら 〔 J C / P N 〕 いはあるかもしれない。 その他の既訳作品 《スター トレッ ク ( 宇宙大作戦 ) 》関係の / ヴェライゼー ション『スター ・トレック救世主の反乱』 S ゑ 0 醢ん ! ( 1976 ; チャールズ・ A ・スペイノと共作 ) 。 コリア、ジョン COLLIER, JOHN ( 181 ー 8 の イギリスの小説家、詩人、短篇作家。ア メリカに住み、映画脚本も書いている。彼 の名を高らしめているのは、時として凝 りすぎの感はあるものの、洗練された短篇 群で、その大半は苦いオチをきかせてい る。幻想味の強い作品が多く、その中に は、長篇というほどの長さはないがⅣ 0 Tra 眦〃 e s ( 1931 ) と短篇集 The Devil イみ〃 ( 1935 ) が含まれる。後 者には特にその種の短篇ばかりが収められ ている。最もよく知られた短篇集厖加 / 4 れ d G00 イ g んな ( 集 1951 ; 圜 0 / Demons 4 れ d Da れ e 英 ) は、ぞ劭たツ g 気イ 00 んツ e ( 1941 ) と The Touc ん 4 eg ( 19 ) から抜粋した作品と、 新作とをまとめてある。これは後の The 面んれ Co 売 r ( 1972 ) ととも に、多彩な短篇を集め、彼の持ち味を伝え る手ごろな書となっている。器用で、厭世 的で、辛辣で、しばしば空疎な、雑誌向き の高度に洗練された小説ーーそれがコリア の作品である。 4 れれ G00 イ g んな は第一回国際幻想文学賞を受賞した。 彼のよく知られた作風とはっきり一線を 画すのは、デイザスターの後の世界を驚く ほど迫真的に描く長篇 T 。 5 み - C 。 / イ ( 1933 ; 圜記 I Circle 米 ) である。 19 年代、原因の明らかにされない破減がイギ XIII
気取らずに、自分の生の声での評論みたい なものを、いっかやってみたい。論を やってみたいんだよね。まだまだ勉強が足 らないから無理だけれど。 好きな作家というと、昔からカート・ヴ オネガット、フィリップ・・ディック、 ハ】ト・・ハインラインが気に それにロ。 入っているんだけれど、最近はトマス・ ・ディッシュが一番いいんじゃないかな。 それとマイクル・コーニイとか、まだ紹介 されている作品は少ないけれど、エド・プ ライアントが面白そう。「ジャイーアン 。をー ( 湫ト」というのは面白か 0 た。 ( 本誌八一年 い形式じゃないかしらん。がなんなの七月号掲載・ネビ = ラ賞受賞作 ) ガチガチ しまうんだけど、全部がジュヴナイルだと か、だんだん分らなくなるというか、薄れの ( 1 ドじゃなくて、昔、寄妙な味の は言わないけれど、は子供の読み物だ 小説、早川書房で″異色作家短篇集″て出 てくるっていう : : : でも、最初の、読みは と思う。その子供の読み物を、年とってか ら読めるというのが、また素晴しい。大人じめた時は、確かにというなにかがあてたでしよう : : : ああいう肌ざわりを持っ た作家に魅かれるのね。だから自分ではシ の人は、インインメッメッというかリアル ったのは忘れないのね。それがなんだった な話を読んで身につまされればいいのであか、というのは、なんとなしに分らなくなオドア・スタージョソというのは、おれ好 0 て、は少年小説です。あと、絶望的ってくるんだけれど、でも、そういうものみの作家に違いないと思っていたんだけ ど、違うみたい。実体の薄い、 ( ッタリが と自分でも思う なものでも、少年の絶望というのは、ものがあるなにかを書きたい、 から、こだわって書くんだと思う。それを多い作家は好きじゃない。 ( インラインが すごく深いからね。 好きなのは、少年の心意気というか、そう ってのが、一番、読んでアキがこな考えてみたいという気はあるね。あんまり SF NEW GENERATION 0 丁 0 義
森下一 続々登場するこのコ 第一回は、そのあま リリカルな作品世界一 ' 秘密の作家。と呼ばわ 森下一仁氏の登場です 第 1 回」、一 同人誌時代こま
ー特別企画・連載⑩ー THE ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION SF 工ンサイクロべティア ピーター・ニコルズ系扁 浅倉久志・伊藤典夫監修 鎌田三平訳 Copyright ◎ ROXby Press Limited 1979 1 . 邦訳のある作品には邦題を添え、未訳作 品は原題 ( または英訳題名 ) のみ記した。 2 . 原題のうちイタリック体で表わされてい るのは単行本、引用符 (" " ) でかこんで あるものは短篇。 3 . 邦題も 2 にならい、単行本は「』で、 短篇は「」でかこんだ。 4 . シリーズ名は、未訳のものも含めて日本 語で表記し、《》でかこんだ。 5 . 作家名の中には、あえて慣例に従わず、 原音に近い表記をとったものがある。 ( 例 : ヴァン・ヴォート ) 6 . 本文中のポールド書体は、本事典中に項 目の立てられている見出し語。またポール ド書体の年号は、初版発行年。 7 . 映画および TV ドラマについては、日本 で公開された作品には邦題を『』でかこ んで添え、原題をイタリック体で示した。 未公開作品は原題のみを示した。ポールド 書体の年号は、本国での製作年。 8 . コミックは《》でかこんだ。 筆者 P N : ビータ ー・ニコ / レス J C : ジョン・クルート 9 . 略語および記号 A S F : アスタウンディング・サイエン ス・フィクション誌、および ( 後 年の ) アナログ誌。 F&S F : ファンタジイ・アンド・サイ 工ンスふフィクション誌 TWS : スリリング・ワンダー・ストー リーズ誌 NW : ニューワールズ誌 : アンソロジー 圜 : 版による題名の異同 匝 : 加筆 國 : 改訂版 集 : 短篇集、またはひとりの作家による 長篇のオムニス版 : 複数の短篇を加筆改訂し、長篇のか たちに統合したもの 前 : 戦前にしか邦訳のない書名 扨 : 抄訳 * : 訳註 : 参照 J S : ジョン・スラデック B S : プライアン・ステイプルフォード クラーク、アーサー・ C CLARKE, ARTHUR C(HARLES) ( 1917 ー イギリスの作家、 1956 年以来スリ・ラン カ ( セイロン ) に住んでいる。サマーセッ ト州マインヘッドに生まれ、グラマー・ス ~ ~ よ 399
とに異常なまでにとりつかれ、少年を子細 に調査することから起こる。 ひとっ明記しておかなければならないの は、シオドア・ L ・トーマスとケイト・ウ イルヘルムの共著 The Clone ( 1965 ) が、現在の言葉の意味合いからすれば、ま ったくクローン小説ではないということだ ろう。下水の中でひたすら成長を続ける怪 物を描くこの楽しい物語には、今や時代遅 れとなった、、クローゾ / の辞書による定義 がェヒ・グラフに使われているが、不思議な ことにこの物語はこの定義に則したもので はない。 もうひとりの自分一一分身あるいはドッ ベルゲンガー の概念には、人をひきっ けてやまないものがあり、オカルト・ファ ンタジイや心理学にはしつこく登場してい る。人間のクローン再生に関する最新の理 論は、その行きつく先を深く詳細に思弁す る機会を SF 作家たちに与えた。この思弁 に予言的価値があるとは思えないが、心理 学的興味は尽きない。 クルート、ジョン CLUTE, JOHN ( 1940 ー ) 〔 B S 〕 カナダの作家、 S F 評論家。 1 % 9 年以来 イギリスに在住。 S F 第一作 "A Man Must Die ” ( 1966 ) はニ ーワールズ社に のり、その後も大部分同誌に発表してい る。評論の一部は F & S F 誌にも掲載さ れている。その評論の基本は、 SF の語法 ( くりかえし現われる隠喩そして / または 物語の構造 ) を、 S F 批評においてはか って前例のないほど重要視するもので、そ れは有益と見える反面、ハードコア SF フ ァンの中には異を唱える者もいる。彼は本 事典の副編集者でもある。長篇小説 The のⅳれん″ g ぞår ( 1973 NW 誌 ; 囲 1977 ) は S F ではない。 〔 PN 〕 XII コプレンツ、スタントン・ A C OBL ENTZ, STANTON A(RTHUR) ( 1896 ー アメリカの小説家および論客肌の伝統主 義詩人。英文学の修士号を取得後、 1920 年 代の初頭からニ ーヨーク各紙の書評や詩 集 T ん住 T んツたれイ 0 ~ 襯 s ( 1923 ) などで活動を開始した。その作家歴 を通じて、相当量のノンフィクションも発 表している。 彼は The Su ねー仏 0 イ ( 1928 アメー ジング・クオータリー誌 ; 1949 ) を手はじ めに SF を発表しだした。これはガラス・ ドームの都市アトランティスにユートビア ( 1935 ワンダー・ストーリーズ誌に "ln Ⅳ売だ & なん ( 1929 ) ーや〃記イⅣイ 続く。このほか、先史時代の物語 The ( 1933 アメージング・クオータリー誌 ) が および•"The Man from Tomorrow ” アメージング・クオータリー誌 ; 1958 ) 、 タリー誌 ) 、 The おん召 4 0 なれ $ ( 1931 of the lce ” ( 1930 アメージング・クオー ・クオータリー誌 ; 1950 ) 、 "Reclaimers み尹プ 2 , 000 Y ( 1929 アメージング て、しばしば重視された。第一作ののち、 ーを最も巧みに生みだす作家の一人とし 科玉条とした、あのセンス・オプ・ワンダ には、アメリカ・バルプ S F のファンが金 才能があり、 2 つの大戦にはさまれた時代 独創的な異世界 ( 異星人 ) を描く豊かな 作り手でもない。しかしその一方で彼には でもなければ、想像力に富んだプロットの るように、コフ・レンツはよどみない名文家 誌に発表した 5 つの長篇からもうかがわれ ころはある。アメージング・クオータリー ゆえに、論点のいくつかがばやけがちなと でもなく大半のユートビアの特徼である ) 描いた作品だが、語り手の愚鈍さ ( いうま と現代アメリカ人との双方を諷刺的な目で を設定し、平等主義者のアトランティス人 388
リスの ( そして、おそらくは世界の ) 人口 を激減させてのち、人類は辺鄙な土地で原 始生活をおくっているが、そうした中で、 文明を記憶する最年長の生存者たちが、若 い第三世代を教育しようとする。単純なプ ロットに、読者をまどわすけれんはない。 生まれながらの指導者である若き主人公 は、女を手に入れるため他の部族に襲撃を かける過程で、そしてまた自分の部族内で のさまざまな対立を通して、族長の資格を ついに身につけ、ひとつの悲劇を経験し、 物語の終わりでは、改善論的立場にたっ政 体の重荷をになうことに甘んじたかに見え る。コリアはこの小説の中に、文化的・政 治的思弁を大量に織りこんでいる。生まれ 変わる周囲の自然界を描く筆致はきわめて 感動的であり、その幻覚的ヴィジョンの強 烈さは、彼の他の作品にも類を見ない。間 然するところない説得力という意味では、 コリアのこの作品は、アラン・ルウェリン の T ん Strange 04 イ鉱 ( 1934 ) となら んで、リチャード・ジェフリーズのみ尹 ん。。れ ( 188 の以来の真の傑作というこ とができるだろう。 その他の既訳作品 〔 J C 〕 『モンキー・ワイ フ』〃なれんⅣ Married 4 C ん襯 2 ( 193 の。『炎のなかの絵』 け ur ぉ ( 1958 ) 。 コリンズ、ハント C OLL INS, HUNT エヴァン・一、ンター コリンズ、マイクル COLLINS, MICHAEL アメリカの作家デニス・リンズ Dennis Lynds ( 1930 ー ) のペンネーム。 S F よ りも推理小説家としてのほうが名高い。 S F はスペース・オペラのみを書き、『ルー カン戦争』ん 4 れⅣ“ ( 1969 ) と The XIV 4 なのん ( 1970 ) の二作がある。 〔 J C 〕 宇宙植民 COLONIZATION OF OTHER WORLDS これは、 S F のレッテルのもとで活動す る作家たちだけによって開発された、数少 ないテーマのひとつである。宇宙植民とい うアイデアを提唱したのはロケット研究の パイオニア、コンスタンチン・ツイオルコ フスキーだが、その提案の主眼は人工衛星 を建造し、献道上に植民することにあっ J ・ B ・ S ・ホールディンの "The Last Judgment ” ( 1 7 ) とオラフ・ステ ープルドンのん 4 立 4 れ d r 立気れ ( 1930 ) はともに、他の惑星へ移住する人類を描い ている。しかし、それは地球が居住に適さ なくなった、という理由だけによるものだ った。 H ・ G ・ウェルズは『宇宙戦争』 The Ⅳ 4 だ the Worlds ( 1898 ) の中 で、イギリス植民地支配の歴史をアナロジ ーに使って火星人の行動を描いたが、地球 人が火星へ植民することまでは考えなかっ た。初期の作家たちの中でただひとり、 のアナロジーを人類の宇宙征服に適用した のは、ロバート・ウィリアム・コールであ り、 The StruggIe for E 襯が ( 1900 ) がその作品である。 この発想が敬遠されるのは地球上の遠隔 の地を植民する際とられる手段に対して、 多少やましい感じがあるせいかもしれな い。ウェルズが描いた、ヨーロッパ人のタ スマニア侵略と、火星人の地球侵略との対 比は厳しいものだったし、このテーマを扱 った S F では植民地政治の無慈悲さは常に 問題の焦点でありつづけてきた。ェドモン ド・ハミルトンの初期作品 "Conquest of Two WorIds ” ( 1932 ) やロバート ンラインの陰惨な「帝国の論理」 "Logic 386
れⅧⅢⅢ川川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢ川Ⅲ川Ⅲ川川ⅢⅧⅢⅧⅧⅧⅢⅢⅢⅧⅢ川ⅢⅢⅢ川ⅢⅢ川Ⅲ川ⅢⅧⅧⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢ I!I ⅢⅢⅢⅢ 丘 om the Sun ” ) と 1 2 年にネビュラ賞最 優秀長中篇賞を受賞した「メデューサとの 出会い」 "A Meeting with Medusa ” ( 1971 ) がそれだ。後者はサイボーグの調 査員が木星の大気圏内で異星の生命体と出 会う話だ。どちらもクラークの六番目で最 新 ( 再刊を計算に入れないで ) の短篇集 『太陽からの風』 The Ⅳイエ襯 the れ ( 1972 ) に収録されている。 「 281 年宇宙の旅』の成功後、クラークは おそらく世界で最も有名な SF 作家にな り、その数年後、今までどんな SF の出版 にもなかったほどの巨額の契約金で、三冊 の長篇を執筆することに同意した。そのう ち二冊はすでに出版されており借下は三冊 泉』も ) どちらもベスト・セラーとなった。 『宇宙のランデヴー』イ 045 ″ん 火 4 襯な ( 1973 ) と『地球帝国』記 ”ん ( 1975 ; 英国版では削除された一万 語が米国版には収録されている ) である。 どちらも書評は賛否こもごもだったが、 『宇宙のランデヴー』はヒューゴー賞、ネ ビュラ賞、ジョン・ W ・キャンベル記念 賞、イギリス S F 賞、ジュピター賞と、 S F 賞を総ざらいにした。この作品がどこま でそれに値するか、また、長年の沈黙に近 い状態を破って、敬愛される巨匠が SF 界 に復帰したことへの、御祝儀的な意味があ るのか、そのへんはよくわからない。同書 にはかってのクラークのテーマがすべて含 まれている。これは太陽系に侵入してきた 異星人の巨大な宇宙船と、それを探険しよ うとする地球人の一隊の物語である。異星 の文化遺物である宇宙船はほとんど神話的 意義をもつシンポルであり、謎にみち、カ 強く、魅惑的だ。この作品のなみなみなら ぬ迫力は、その描写から生まれている。 方、登場人物の性格描写はそうした高い水 準に達しておらず、むしろ作者初期の少年 向き小説を思わせる。地球と外惑星とのつ 395 ながりや、クローンの関係したこみいった 陰謀を描く『地球帝国』は、性格描写では 優るが、超絶的な余韻は少ない。そこには プラック・ホールに関する興味深い考察も 見られる。 クラークは S F ファウンデーションの後 援者である。 SF における科学に傾けられたクラーク の情熱と、ときに燃えあがる想像力の炎 ( それを反映して、特定の主要テーマ、と りわけ宇宙飛行、異星の景観や異星人との コンタクトを扱うさい、彼の筆致は急に生 気を帯びる ) からしても、彼がジャンル S F の中心人物の一人という名声をかちえた 〔 P N 〕 のは、当然のことといえよう。 その他の既訳作品 『楽園の泉』 04 れ ~ år 市 ( 1978 ) 。 クレイトン、ジョー CLAYTON, JO ( ? ー アメリカの作家。彼女の長篇 S F D 加 / 襯 the & 4 ( 1977 ) は、カ を授ける王冠と電子的に結びついた若い娘 が体験する冒険の数々をロマンチックに描 いている。ヒロインは自分の運命の秘密を 求めて星から星へと旅し、それを発見す る。 〔 J C 〕 クレメント、ハル CL EMENT, HAL アメリカの作家ハリー・クレメント・ス タップス ( 1922 ー ) が SF 関係の著作に 使う名前。ノン・フィクションの科学記事 には姓を用い、ジョージ・リチャード名義 で絵も描いている。天文学、化学、および 教育学の学位を持ち、高校の理科の教師を している。 SF 黄金時代の絶頂期、 1 2 年 に処女作 "Proof" を寄稿以来 A S F 誌と のつながりは長い。 彼の作品の特徴は、それそれの作品の基
ーガン問題に入ろう。ホーガン作品は面白 ・フラウン、星新一ショ , ート・ショート路線をつているからなのである。自分の道を進めば これは確かだ。だが、何が面白いのか、 いいのだ。 すすめたりしてしまうのだ。 これが問題だ。ホーガンの作品は、五十年代 これが十年以上前なら、かなりキツ・ハリと と、界全体がトーフ状態にあったとこ 答えることができた。作品そのものの数もさろへ出現したのが、ジ = イムズ・・ホーガの現代回帰ではない。それ以前、ガーン ほど多くはなかった。黄金の五十年代とンの『星を継ぐもの』だったのだ。フアズ・ ( ックの、・・スミスの時代、サイエ ンス・ワンダー、テク / ロジー万歳時代なの いうものが、の核であり、日本にはこうンは喜んで受け入れ、内容からいって当然の だ。だから、その時代の長所も欠点も、全て いう作家がいて : : : と、現状の把握だってでこと、ミステリ・ファンにも評判になった。 レ きたし、ファンの人間と会えば、誰とでそして続篇の『ガ = メデの優しい巨人』、この持ちあわせている。『星を継ぐもの』は、ま も話が通じた。ノスタルジーで言うのでな『創世記機械』と、たて続けに出たホーガシだ、その謎解き仕立てで救われていた。ホー ガンという人は、シャローキアンではない 5 く、事実なのだ。善し悪しでもない。 の作品を読んでいくうちに、最近考えてい た、ある過激な思いが、固まっていった。そか、と思わせる論理の面白さで読ませる。御 そして、どこか知らない所で、ビッグ・ ンが起り、情況がファンなるものの意識れは、サイ = ンス・フィクションは、小説の都合主義的なところはあっても、論理で進ま せようとしている。それをサイエンス・フィ を追い越し、量的にも質的にも多様化、世に結構など、どうでもいいのではないか、とい クションで書こうとするから、登場人物全員 言う″拡散と浸透 4 をしていった。とい うものだ。サイエンス・アイデアを純粋にそ シャーロック・ホームズになってしま うものが、″センス・オ・フ・ワンダー〃と、 しのままの形で聞いてしまった方が面白いのでが、 う。ポケル、コミック・リリーフなど、ほと う錦の御旗を振りかざすだけのジャンルでは ーなしか、という考えだ。極論であるのは、 なく、 ' 自由。を求めるものの総称、つまわか 0 ている。五十年代のサイ = ンス・フィんど登場せず、全てが論理のために、結局 は、善良な人々、カキワリ人間が出来上が り、〃したいことができる領域久ま、永久クション・ライターには、ストーリイ・テリ 革命のようなものだ、という考え方からすれング、小説を読む面白さがあった。それが今 ば、望むべき状態になったのだ。だが、どこの作家には、いささか欠けているのではない かアトム化したような、解体された自己のよ か。別に人物を描きこめ、とか言っているの物、 うな感覚が 0 きまと「て」た。平たく言えではな人物描写なり、状況描写が、かえ一械 ば、 " 昔はよくわか「ていたが、いまはよく「て冗長になり、煩しくて仕方がないものが機 , 、 わからない。ただそれが自分にとっては、そ多いのだ。小説としての膨み、厚みを出そう うであるか、そうでないかぐらいの分別ぐら などと考えないで、そんな夾雑物など取り去 ってしまえま、 ~ しいのだ。 いはある第という、トーフ状態なのだ。しか こうしたこと全てが『創世記機械』に当て し、こうした状態というのは、要するに、自 己にとって、どうでもいいことにかかずらわはまる。一般論めいた物言いをやめ、個別ホ 323