作家 - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1982年3月号
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1. SFマガジン 1982年3月号

えるが、作者がその理想を前面に立てず、瑣 末な描写にページの大半を費しているので、 ペソフォ 1 ド & ェクランド著 なんだか読者にはその考えがとってつけたも ののように思われるのである。 我々人類を生み、育んだという点において ュ『もし星が神ならば』 は、星は神なのであろう。しかし、そもそも 一個人がそれを感覚的に捉えられるようにな 伊沢昭 るということが、一体どれほど価値のあるこ レ となのだろう ? 登場人物の一人は、「神が 正直言って、読みおえていささかとまどっ人間を創ったのなら、人間の窮極的な目的 は、その過程を逆にして、神を創り上げるこている以上に根はストーリー・テラーなので ている。 ハートのうち最初にとだ」と言う。これがどういう論理によるもはないかと思う。彼は理科系の作家だが、 本書を構成する五つの・ この命『夜の大海の中で』の布石の構想には目を見 書かれた第一一部〈月〉は、 ( ワーストとは言のなのか、・ほくにはよくわからない。 わないまでも ) ・ハッド・コンタクト・テーマ題の後の部分は、とても魅力的なものではあはったものだ。後半の収東カが多少弱いよう の作品で、登場人物にも作品自体にもそこはるけれど、星と同化することが主人公の見つに思ったが、の基本的な魅力を十分に備 けた結論であるとするなら、それは馬鹿げたえていたように思う。本書においても、第一 かとない気品が漂う佳品である。 ートは、わくわ 部、第二部の提示、展開の・ハ ことと言わざるを得ない。 筒井康隆にその名も『ワースト・コンタク くさせられるものがある。それが後で尻す・ほ 概して第三部以降は、宗教的な底の浅さが ト』という傑作があるが、コミュニケーショ ンのくい違いを描いた作品はやはりおもしろ目立つ。作者の基本的な立場はどうあがいてみ、あるいは見当はずれになってしまうの もキリスト教的世界の内にあって、結末も宗は、アメリカ界の土壌にもいささか問題 『ワースト・コンタクト』と違って、 7 もし星が神ならば』は、お互い善意をつく教的な発展ではなく、キリスト教からの逸があろう。あれほど脳天気なことの好きな国 サッド・ したあげくのすれ違いである。いわば″哀し脱、あるいは変形である。作中で、東洋人の民も、宗教風思索にはころりとまいってしま い接触とでも称すべきものだ。これは、皮宗教観に触れかかったが、それは単なるあこうのだ。しかもそれが東洋的な考えに立ちい 肉などという消極的なものを超越した感動をがれを表明するのみにとどまった。本書の結ったとき、本質的なものか、そうでないのか 末を得るために・は、まだまだ思索を重ねなけがアメリカ人には判断できないのだろう。小 我々に与えてくれる。 ところが、第三部以降のパートは、少し異ればと思ってしまう。東洋人の感想であろう松左京の拡大仏教理論をはじめとする日本 作家陣の宗教観をまのあたりにしている我 なったトーンが支配的となる。なんとか他者か。 ゴードン・エクランドはもちろん、グレゴ我には薄っぺらいものに見える。 の論理に同化できないかという話になる。こ ストーリー ・テリングに徹すればよかった リイ・ペンフォードという人も、世間が思っ う書くと大変高邁で美しい営為のように聞こ 、 " ネヒラ賞受賞作品 ! 。 2 小ツと : を % え霧なのど手 イ : 量、くに ( も ) をにいみ様作、・

2. SFマガジン 1982年3月号

するからだよ。シリルとでは意見の一致が う苦言を読者からもらうよ。 矢野誰かの作品を翻訳する時に一番めん 多すぎる。 たたし、そんな場合、読者は他の作家のどうなのは、原作の香りなり文体なりを日 を読めばいいのさ。 本語に移し変えることなんです。ご承知の ように、・ほくは自分でも小説を書くから、 作者にとって自分の作品が忠実に矢野翻訳者の伊藤典夫や浅倉久志も言っ ているんですが、・ほくはハインラインの作なめらかで美しい日本語を書くのは、・ほく 再現されるかどうかは、きわめて 品を訳す時より、あなたのものを訳す時の にとって実に容易なことた、と自分では思 重大なことだ ほうが苦労しているというんです。 っている。ところが、あなたやハインライ ンやロ・ハ ポール昔、《ギャラクシイ》誌を編集し 】ト・ネイサンの小説をどれも同 ていた頃のホレス・ゴーレド・、、 ノカ同じよう 矢野あなたの文体が簡潔で無駄がない、 じ日本語で訳してしまっては、これは一種 の嘘になるでしよう。 という意見にはぼくも賛成です。・ほくもそなことを言ったよ。わたしは、かれの手が の点が一番気に入っているんです。・ほくのけている他の作家の誰よりも、密度の高い ポールイタリアには「翻訳は裏切り」と 翻訳はたいてい評判がいいんですが、『」 文章を書くというんだ。だからわたしの小 いう言葉があるよ。わたしも、翻訳という のはしよっちゅう嘘をつくものたと思って 』とかその他の小説でばくさした人も説は手を入れにくいと文句をいうんだよ。 いましたよ。あなたの英語は、、 / インライわたしはこう言ってやった。「それはあり いる。きみがわたしのことで嘘をついてい ンなどと比較すると、、短く引き締まってい るかどうかは、 がたい、わたしはきみに手を入れてもらい 判断できないがね。 て、むすかしいですね。 たくないもの ! 」 矢野作者も翻訳者も、自分たちの仕事が ポールわたしもそう思うよ。わたしは作ーー ~ ( 【 どうあるべきか明確な意見を持たなければ 家としてある種の長所を持っているつもり ならないでしような。 だよ。作家として大きな欠点もいくつか持 ポールそれも大事なことたね。作者にと っているがね。自分が持っていると思いた 仁 0 ては、自分の作品が忠実に再現されるか い長所は、簡潔に、一行の文章の中で、そ どうかは、きわめて重大なことだと思うん こいらの作家より多くのことを述べる才能 だ。なんといっても、作者はなにごとかを だね。それが常に利点となるかどうかはわ 伝えたかったわけなんだから。ただ読者に からないがね。そいつが翻訳者にとっては とってみれば、なにか愉快で楽しいものが 頭痛の種になることは確かだ。時には読者 読みたいだけなんだ。読んでおもしろいも にとっても頭痛の種になるだろう。わたし のかどうかを気にするほどには、原作に忠 の文章が簡潔すぎる、もうちょっと余裕が , ・・実かどうかを気にかけてはいない。たか 8 欲しい、小説にもうすこし開放性を、とい ら、ある点までは、きみがわたしを裏切っ

3. SFマガジン 1982年3月号

矢野 シリル・コーンプルースとの共同作たからね。ただ、わたしは思うんだが、シ 8 業があんなにも長続きした理由はなんです リルと二人して書きあげた作品には、わた かれたって作家としての欠点も持ってい 7 、刀っ・・ したち二人の長所が混在していたし、二人る。かれは自分の小説の登場人物があまり ポール そう、シリル・コーイフルースとの欠点もいくらか残っていただろうね。 好きしゃあないんだ。シリルがひとりで書 わたしとで力を合わせると、どちらか一人矢野二人の長所というのは、どんなとこ いた小説を調べてみれば、ほとんどすべて だけでできる以上の、すくなくともあの当ろですかっ・ の作品で、主要登場人物は一人残らず怖ろ 時にできる以上の、優れた作品を造りあげポール シリルはね、世の中をユーモアをしい死に方をするのがわかるよ。シリルは ることができたんだ。だが、シリル自身に ましえた視点で見るんだよ。すべてを諷刺 かれらを罰し、皆殺しにするんた。登場人 ついては、そうも言い切れないな。あの当と反抗の見地からながめ、小説の中でそい 物を好きになるのは、かれよりわたしのほ 時でも、かれはすばらしい短篇を書いてい つを迫真的に感しさせることができるんうが優れている。わたしのほうが作中人物 への思い入れは深い、つもりだね。 矢野あなたがた二人は似た性格だと思う んですが : ポール多くの点でとてもよく似ている。 ただし、シリルのほうが、わたしより意地 が亜いよ。 矢野あなたのほうが知的で、穏やかで、 上品で ( 笑 ) 。 ポールわたしは穏やかで、優しく、親切 だよ。当然のことさ。誰でも知っている 矢野 ・ほくはあなたのエドスン・マッキ ・フレデリック・ポールとレスター・デ ャン名義 ( ル・レイとの合作ペンネームのひとっ "Preferred Risk" が好きなんですけど、 デル・レイと共作してた時に、かれを殺し たくなったそうですね。 ポールそう考えたよ、本気でね。レスタ 1 ・デル・レイは昔からの友達だし、とて や - 」 0

4. SFマガジン 1982年3月号

面白いよって言ってくれるわけ。でも、も ったんで、その後調子にのっちゃって二、 , ーー何本くらい推理小説に挫折したの ? っと徹底的な事件がありまして、母親が、 三本、二百枚とか二百五十枚平均なのを書 「何本もしてますよねえ。だってクイーン ほっといたわたしの原稿読んでね、″これ が好きだったから、私もシリーズを作りた はつまらない。実につまらない″て言うん そのね、中学校時代が終る頃に、一回コ かったわけ。最初に″エラリイ・クイーン ですよね。あの、どれを見せてもつまらな ケてんの、雰囲気的に。あの、なんていう に捧げる犯罪〃みたいのを書こうと思っ 、て言うわけ。で、これはわたしの書い のかな、進路調査、自分が将来なにになり て、その後、クリスティ】もいいなあ、すた原稿だから、差別をしているに違いな たいんだい調査、というのがあったわけ。 ると″アガサ・クリスティ 1 に捧げる犯 と思ったんですよね。じゃ、こういうで、こう、作家になりたいんです、とはい 罪″ : : : と、だいたい推理作家の数くらい のどうかって、その頃読んだ星さんのショ うものの、どうやったらなるのか判んない できるわけ。″ディクスン・カーに捧げる ートショ 1 トを適当に粗筋だけダーツ と話でしよ。で、なれるかっていうとなれない 犯罪″だったら、密室にしなければいけなしたの。母親がそんなのつまらないって言でしょ : ・ : と思ったのね。じゃ、作家にな りたいのは夢だとして、現実にはなににな でも、密室なんて絶対書けないですってくれれば、自信が持てたの。だけど、 よ。キャラクターとか設定とかは考えて、 ″素子、それは面白いよ、書いてごらん″ りたいかというと、なりたい商売がなかっ 謎を解いちゃった結末と初めだけ書けるん て言ったの。 ( 笑 ) ヒジョーに傷つきましたんですよね。で、作家やりながら編集や です。あと肝心の本文が全然書けないとい て、二度とショートショートなんか書くも りたい、作家やりながらマンガ描いてみた んか ! と思って、突如、長篇型になった いとか、出版社を経営してみたい、そんな んです。 で、中学生になるわけですよね。 のしかないのよね。 ( 笑 ) これではいけな 「星 ( 新一 ) さんのショートショ 1 ト読ん 一作目は百五十枚くらいのやつを、唐突 。作家をやりながらではない商売を発見 でワ 1 ッとなって、ショートショ 1 ト書き に思いついて書きまして。今度はロコツにしなければならない、 と思ったんですよ だして : : : 。何本か書いたんだけと ・、いた平井 ( 和正 ) さんなんですよ。狼男だの猫ね。母親がうるさかったわけ。作家志望と く評判が悪くって。へタ 0 すぐネタがば女だの吸血鬼だの、その手のたぐいが一切 いうのは絶対に挫折するものだという信念 れる、どこがオチなんだ、というのがだい 合財まとめて出てくるという : これは があって、″よくない〃 とばかり言われま たいの評判でして。友達はそれでも、まあ完成して、友達に見せたらわりと評判よかして、で、そうか、よくないんだな、と思 SF NEW GENERATION

5. SFマガジン 1982年3月号

っと入院したとき、病院へ妻に原稿をも 。守 ) になる ) 。とりあげられた大物を ってきてもらったくらいだよ」どうし ちょっと挙げても、アシモフ、ヴォネガ て、また ? 「たぶん、子供時代に時間を ツ・ト、 - ポーレ、一アイレイニ ベスタ 奪われたという強迫観念じみたものがあ ディック、一 るんだろうな : : : 」アシモフはやがてリ ト、ムアコック、・ハラ 1 ド、シルヴァ ラックスしてくると、肌着姿になって、 ーグら三十人と要はオ 1 ルスター・キ ありとあらゆることを・フチはじめる。未 ャストというわけだ。だけど、ここでプ 来観、人口問題、民主々義、組織と個人 ラットのえらいのは、自分の気にくわな について い作家とは全然会わず ( いろいろ弁明し 以下は長くなるので省略するが、確か ているが要は女流作家連 ) 、逆にハ にこのアシモフのワ 1 カホリックぶりに ンク・スタインなぞというわけのわからプラットのポルノ小説『挑発』 は、あの多作もうなずけるというもの ぬ″大物″をちゃんと一名加えているとべき代物なのである。 ころである。本音を語るインタビュー集たとえば、アシモフ篇。ニ、ーヨーク 収録してある二十九本、とても完全に ( ポストンではない ) のど真中、セント は、やはりこういう筋が一本通ってない は紹介できないので、あとはこちらも。フ ークを見下す高層建築のペント と、総花的になってちっともおもしろく ラットに習って印象をひと言ずつで片づ ハウスへとプラットはまず引っぱってい かれる。「ここがわたしの仕事場だよ」けていってみよう。 そう思いながら最初のインタビュ トマス・ディッシュ 小説と同じく ら読みだし、アッと驚いた。これは、普とアシモフに一つの部屋に案内されて彼 シリアスなタイ。フ。こういう人はインタ いずれはア然。中央に安つぼい机が一つ、前に 通のインタビュー集でもないー も一時間から一時間半の会見記なのだは窓に・フラインドが下してあり、装飾品ビーより、作品を読むに限る。やや失 が、それを通例の質疑応答形式でうめつはほとんどなく寒々しい。資料・本だっ望。 インタビュ カート・ヴォネガット くしてはいないのだ。プラット自身によて他の作家より少ないくらいだ。「人工 る、作家の履歴紹介にはじまって、その照明の方が良くてね」アシモフはこう言ー疲れか、出枯しのようでもう一つ。ヴ オネガットの母親が自殺していたとはじ いながら、自分が書かずにはいられない 作品に対する感想、生活環境の紹介など が、どれも端から延々つづく。そして、性質であることを説明する。「前に妻がめて知「た。息子 ( 麻薬中毒 ) の不幸と 力なり切実さ あのユ 1 モアには、、 じっさいの質疑応答でもちょっとした部仕事を年に半分にして、旅行しましよう 分には、必ずゾラットの感想がはさまと言った。わたしは賛成したが、結局旅があるのを実感。 ハンク・スタインーー・意外にもメチャ る。いわば、同書は『チャ 1 ルズ・ゾラ先でもタイプを叩くことになりそうなの ンコおもしろい。最近の有望新人をクン ットの作家対話感想文集』ともいうでやめてしまったんだ。去年も暮にちょ ゖ 6

6. SFマガジン 1982年3月号

安田均のアメリカ SF 情報 ミソにけなし、よい編集者がほしいと熱をきかせた、いかにもベスターらしい感を受けたという点と、いちばん書きたか 弁。に対して階級意識論を・フッてい じがでている。「コンビュータ・コネク ったのは『火星のタイム・スリツ。フ』だ るのは、このスタインと、あとはディッ ション」には何かが欠けていると自分でったという点にうなすける。 ク、ムアコックぐらいか。 分析。次作は傑作らしいが : いくつかとばしたがこれでよ ハリイ・マルツバーグ いちばん楽アルジス・ ' ハドリスーーリトアニア出うやく半ばをすぎたところ、そのポリュ しめた。作品とはうってかわって、こん身という経歴から語る内容も一風変って 1 ムにも納得してもらえただろう。他に なオモロイ人も珍しいんじゃなかろう いる。『無頼の月』がヒュ 1 ゴー賞を取も、・フラッドベリの楽観論をからかって か。開口一番「わたしはね、実はノーべれなくて、頭にきて界から去ってい みたり、『デューン』を読まずにハー ル賞がほしかったんだよ」にはじまり、 たというのは、どうやら真相らしい ( だ ートに会いに言って徹頭徹尾環境論で逃 青年時代の文学修業 ( どこにも売るとこけど、そのときの相手はミラーの『黙一小げまくったりと : フラットの面目躍如た ろがなかった ) を経て、に開眠した録三千百七十四年』なんだよ ) 。 る部分もあるのだけれど、今回は省略。 一アイツ フィリップ・・ディック ( ノーマン・ケイガンの作品から ) いき ひと言でいえば、他の類似のものよ さつが語られる。今度は作家になり クはどうやら″佯狂″という感じがふさり、かなり各作家のなまの雰囲気が出て たくて、リテラリ・ エージェンシーに勤わしい。この中でも陽気にふざけちら いるのは事実だろう。じっさいに驚かさ め、コネをつくると同時に必死にをし、精神科医に聞いたら、「あなたは感れるのは、作品と作家のイメージが逆な 書く。一九六八年から六年間に、書きも情が豊かすぎて偏執狂にはなれない」と場合が多いこと。作品に近いといえば、 書いたり、長篇二十五冊と短篇二〇〇言われてガックリしたなどと述べる。一 ディッシュくらいであり、いまさらなが 篇。そのあげく、に失望して、引退部に自作をしゃべる部分があり、ヴァンら小説とは″虚構″のワザであ を宣言。いまでは借りもののキャデラッ ・ヴォートの『非の世界』に強い影響ると再認識させられた。 クを乗り回し、好きなヴァイオリンを弾 1 ミ 3 ミ Sc ~ ミ ~ 。 きながら、。フラットとチェスを楽しむ姿 さて、そうした。フラットに期待が寄せ には、てらいを通りこしてポエジーすら られる中、件んの評論誌は予告どおり刊 行された。誌名は「パッチン・レビュ エド・・フライアント 金がない、才 。・ハッチンというのは、彼の住んで 能がないと自分で奐いているところは立 いるパッチン・・フレースという地名から 派。文学的インポ ( 長篇が書けない ) と とられている。創刊号は三十六ページの いう言葉は、あまりにも痛列な自己批判 小冊子で、何の飾りもない表紙がすがす がしい。で、肝心の内容のほうだが、・ハ アルフレッド・ベスター リイ・マルノ・、ーグ、 ーラン・エリス C ーを、 0 三をに第 0 も 2 ロ 7

7. SFマガジン 1982年3月号

ととと辷と三 ″われわれは現在、突然宇宙にあらわれた裸の 特異点の調査を行っている。わたしとしては、 >•< 線嵐や重力波に長時間エンター・フライズ号を さらしたくはないのだが、この正体を突きとめ ミスター・スポック るまでは仕方があるまい は観測室にこもりきりでこの現象を分析してい るを テレビならさしずめこんなカーク船長の語り で始まりそうなのが、今回紹介するヴォンダ・ Z ・マッキンタイアの初のスター・トレック小 説『エントロピー効果』ミきトミ ~ ミで す。 本誌八一年五月号の安田版スキャナーを読ん でギャッと驚いたのは私だけではないでしょ 1 ー・ , 「レッ う。あのマッキンタイアが「スタ ク」ノヴェルを : : : うーん。まわりの連中は、 これを聞いても「ふーん」という感じだったの ですが、こうなるとますます読みたくなるのが ひねくれているところ。 マッキンタイアは、短篇「霧と草と砂と」で ネビュラ賞を受賞したアメリカの女性作 家。この作品はマガジンに翻訳が載りまし た。読んでいない人には、必読の作品と言って おきましよう。七〇年代を代表する短篇の一つ です。七五年九月号に掲載されてます。彼女は いわゆる七〇年代の女流作家プームの中で出て 来た作家で、作家養成で有名な「クラリオ ン・ワークショッ・フ」の初期の出身者です。 現在までに今回紹介するものを入れて長篇が ドリームスネー 三冊、短篇集が一冊。前作「 ク』し、べミ . 6 は「霧と : ・・ : 」と同じ主人 公の話で、第一章が「霧と : : : 」にな . っていま マッキンタイア初のスタートレック小説 S F , 、・ : ・ S C A N N E R 島田武 ・ネビ す。この作品も評価が高く、ヒ、ーゴー ュラ両賞のダブル・クラウンに輝いています。 4 私も読んでみましたが、人物描写が実に細やか で優しく、 しい話でした。 このように評価が高いわりには寡作家で、 「ドリームスネーク』以降長篇が出なくて気に していたら、いきなり出たのがこの「エントロ ビー効果』だったわけです。 ここで「ス々一ー・トレック」のノヴェライゼ ーションについてちょっと触れておくと、ジェ イムズ・プリッシュが台本をもとにして書 いたものが好評だったので、オリジナル物が企 画されました。これがプリッシュの「二重人間 スポック ! 」で、以降オリジナル作品が次々と 出版されていきます。日本ではジョー ドマン、コグスウエル & スペーノ、それにゴー ドン・エクランドのものが翻訳されています。 従来この手の本は・ハンタム・ブックスが一手に 出していたのですが、今度のマッキンタイアの 作品はポケット / タイムスケー・フ・・フックスか ら出ました。タイムスケー・フはこれを第一弾と して、新たなスター・トレックのオリジナル・ シリーズを出していくつもりのようです。 さて、話を「エントロ・ヒー効果』に戻しまし よう。この小説はテレデの 1 エ・ヒソードと同じ 構成になってます。つまりテレビではタイトル の出る前にプロローグ的に事件の発端が示さ れ、一件落着のあとが入ってエピローグ、 というようにちゃんと前後に・フ料ローグとエビ ローグがあるのです。ことにエビローグなどは 典型的な「スター・トレック」式のしめくくり 方で思わずニャリとさせられます。あのテレビ

8. SFマガジン 1982年3月号

赴くタジ。その旅の類末そのものが、おびた だ。に換一 = ロするならば、さしあたりレム り多重的、失敗というより ( 間衛ととるのが正 ェビソード ・ハラレル・フールド だしい挿話とともにこの物語を構成してい が最もメルヴィル的にモダニティを以て黙一小しい。マーディの多島海宇宙とは、実は文学 ・ハラレル・アールド 的探求を料理しうる作家である。 ( 因みにこ的多重構造そのもののメタファーなのだ。い ク。ーズ・エソデッド 勿論、こうまとめてしまえば何のことはなの点ではクラークは閉鎖終結的であるからきわば一種のメタ文学を築いている点で、ジョ 、ごくありきたりの海洋冒険譚だろう。肝わめて一九世紀的な小説構造の持主と言えよイスらモダニズム小説の曙と言ってもよく、 心なのは、第一に、本作品のタテ糸をなすう ) をその一環とする現代文学の方向を予見 「探求」とその処理の特異性である。 第二に注目すべきは、作品のヨコ糸、多重するものである。意味よりも構造を 文学構造としての「探求」はさして珍しく的方法論とも呼ぶべきその技法である。 ゴよりもタマネギを ! 彼は志向したのであ 冫ないが、とりわけ『マーデイ』の場合、黙まず、象徴の多重性とともに視点の多重性った。 とりわけフォークナーとともに現代中南 示的、別世界志向的性格を備えるため旧来、が問題となろう。語り手タジは一人称から三 ート・ヒア』、デフォー・『ロビンソン・ 人称へ移ろい、更にはその区別すら曖昧化す米作家に与えた影響は大きい。ド / ソ『夜の クルーソー』、スウイフト『ガリバー旅行記』る。それに対応するかのように哲学者・ハ・ハラみだらな鳥』は明らかに『マーデイ』百七十 等と比較検討され、との関連性も言及さンジャはその三重人格性を披露し、さながら四章「一本足の島」をそのモチーフとしてい れてきた。ただし一九世紀の伝統的文学でマルチプレックスの世界を展開する。次に、 るし、フェンテスは評論「象徴としての小 は、一応「探求」のケリがついた時点、つま既成の書物のジャンルへの挑戦的姿勢が認め説」の中で『白鯨』の多重構造にその現代性 り対象確認の時点を以て小説そのものを完了られよう。そこにぶちこまれた型式は、ロマを確認している。 タローズ・エンデッド する閉鎖終結的 ( 意味固定的 ) な型が主流でンスでもあり旅行記でもあり神話学でもあり更に文学史的にふみこむならば、ポオ、ホ あったが「この『マーテイ』はちがう。「探ュートビア文学でもありはたまたアメリカ論ーソン、メルヴィルの御三家に代表される十 求」を契機としながら、やがてその合目的性でもあるという、まさしく百科全書と呼ぶの九世紀前半、アメリカ・ルネサンスの時代そ は失われ、重点は、、むしろ「探求」の過程に がふさわしい偉容である。第三に、第百八十 すぎぬはずの多島海巡りとそれにまつわる諷章「森の楽しい語らいーー全員」に至って収 ビソード 刺的挿話の方へと移される。しかも、結末に束する作品内作品批評の試みがあろう。多重 至「てなおタジは = イラアに再会できず、作的視点にせよ多重的型式にせよ、当時 0 批評 品は「探求」自体の無限の連続感で幕を下ろ家には不統一の証と映り批判に向かわせたの す。つまり、作品の結末必ずしも「探求」のであるが、これらは全て、怖らくは物語作者 オーノソ・エンデッド 結末に非ずという開放終結的 ( 意味未決定としてのメルヴィルが作中に介入し、いわば 的 ) な反定立がなされている点で、メルヴィ 創作行為そのものを手段に一種の文学論をぶ ルは一九世紀人でありながらカフカ以降の一一ち、旧制度を打破せんとした批評的創作のた 〇世紀的な「曖味」感覚を先取しているのめの方便なのであり、やはり不統一というよ 0 いレヅミついを をが宣、 : な年ッ : イ . 羅引ツ′太ト タみ鶯、ま設林すみ : ・ . : をを ラヂソ・アメ

9. SFマガジン 1982年3月号

Z 作家たちとちがってしたたかなこ そうした中でも、一九七九年頃から自 と。表面には出てこないものの、しつか ちょっと柔い方を強調しすぎたが、プ分で企画し売り込んだ、英米の大物 りと英米の界にくつついて生きてきラットが rn 界で名を知られているの作家とのインタビュー集というのは、か ているのだ。 は、もちろんこればかりではない。むしなりのものだ。これは一昨年出版された その一つが、風セックス小説。どろ、一九七二年アメリカに渡ってからのだけれど、ファンには好評で昨年のヒ こでも食いつめるとポルノの類いを匿名は、編集活動のほうで注目される。ここ ューゴー賞にもノミネートされていた。 で書いて糊口をしのぐ連中がいるけれどで彼が行なったものには、エイヴォン・評論誌の方に入る前に、ますこれにちょ ( 現に六〇年代はしめのシルヴァしハ ・フックスの″再発掘″シリーズ ( 現在のっと触れてみよう。 ー・ハックのはしりで、ファ グなど、その代表例 ) 、プラットがやつ大判ペー。 ( ハドリスらのモダン・クラシック たのは本名で、しかも的な、そしてマ 1 や・ だいたいインタビューというのはおも しろいと相場が決まっている。建前では 傑作を書くことだった。代表例は『ガを再刊し、好評だった ) や、イラスト・ ス』 T'he Gas ( 一九七〇 ) 。秘密の細菌ブック″アリエル″シリーズ、そして、 なく本音がでるからだが、特に作家の場 兵器工場で起った事故によって人間の欲イギリスのサヴォイ・ブックスの編集コ合、文字という間接的な媒体で、それも 望が解放されるさまを描いたこの佳作ンサルタントと、目立たないながらなか虚構を作り出しているのだから、ふだん は、ついこの間再刊されたものの、また なか独創性のある仕事をこなしているのはいわば二重三重にも仮面をかぶってい もやイギリス当局の手入れをうけて押収だ。 るわけだ。そして、その作家の中でも、 され、幻の作品になってしまチャールズ・プラット 大ボラが分野の作家ともなれば、世 った。それでもこの小説、 、物人がその正体を″想像もできない″のは r-q ポルノのベスト 5 をあげろ 無理のないところだろう。そうした実体 と言われれば、いまだにハン がのぞけるスリル これは、当のプラ ク・スタインの『魔女の季 ット自身が序文で「誰でもを書いて 節』 The S ミき いるのはどんな奴だろうと思っているら などと並んで必ず上げられる しい」と述べていることからも明らか というから大したものだ。他 にも、本邦唯一のプラットの かくしてインタビュー集の題名は『誰 訳書『挑発』 ( あの富士見 が TJ v-k を書いてるのか ? 』 Who ま、 マン文庫からちゃんと出てい Sc ceF ~ ・ミ ~ ミ簽 ( もっとも、これはイギ る ! ) をはじめ、かなりの数 リス版。アメリカ版はぐっとおとなしく、 が風のそれだからおそれ ロマンチックに『夢の紡ぎ手』し「きミ

10. SFマガジン 1982年3月号

いまして、うん、もっと挫折しないでいい の。勝手に自分で話、つぎを作っちゃうんと。現在は立教大学文学部独文科に在籍す 商売につかなければいけない : : : で思いっ だもの。だから、もう五、六回読んでんだ る大学生。今までに出た単行本は『あたし かなかったんです。ほら、ト / さい時、大きけど、話の筋がよく判らない。 ( 笑 ) 自分の中の : ・』 ( 奇想天外社、集英社文庫コ くなったらなんになりたいかと言われて、 で作りすぎた枝葉末節が多すぎるものだか くルト・シリーズ ) 『いっか猫になる日ま なんか言うでしよ。やがて現実を知る歳頃ら。『狼男だよ』もそうなんです。あれなで』 ( 集英社文庫コ・ ( ルト・シリーズ日以 になると、変りますでしよ、目標が。わたんか、ヤングの犬神明さんが七、八回転校下 o ・ n) 『グリ 1 ン・レクイエム』 ( 奇 し、ついに目標が変らなかったんで、目標しちゃうし。 ( 笑 ) 、で、たまんなくなっち想天外社・五六年度星雲賞受賞作 ) 『星へ と思っちゃっ を変えなければいけないー やって、これはやつばり体質的にお話を作行く船』 (o ・ n) 『ひとめあなたに』 ( 双 たんですね。変えるためには作家志望をな らないといられないんだ、というのを発見葉社 ) 『通りすがりのレイデイ』 6 ・ rn) んとかしなければいけない、てんで、やめしまして、仕方がないから、もう一回、作の六冊。他に単行本未収録の「ネ。フチー ることにしたんです。やめたんですが、あ家志望になることにしたんです。 ン」 ( 本誌八一年一月号、傑作です ) や四 の中三から高一の初めくらいまで : : : 結 で、その頃ね、ファンタジ 1 がかった短百五十枚の「扉を開けて」 ( 奇想天外八一 局、やめられなかったんです。 篇をいくつか書いて、その後 co しゃない 年六月号 ) など、既に十六本のお話を書い その頃、半村さんの話を読み出しましドタバタコメディ風のを一本書いて、あ、 てるし、今も、せっせと御両親の勤める講 て、ものすごい感動というか、絶望をしま調子が戻った、と自分で思ったのね。そし談社から依頼の書き下し他、いくつもの仕 して。とてもこういうのは書けっこないと たら″奇想天外″で新人賞募集してて、 事を抱えている。 いうのを骨身にしみてよく判って。で、こ 〈ええいもう、一回あきらめたんだから、 職業は ? て言われたら の人が作家をやっていて、わたしが作家をダメでもともと〉てんで出したら、通っち 「学生 ! 税務所へは作家、保健所でも作 やめようとし できるわけがないと : やった」 家、学校へ行くと学生、学割取る時は学 て、しばらくやめて、また半村さんの本を それが昭和五十三年二月号に載ったデビ生、旅行の時も学生」 読みまして、そしたらダメなんですよね、 ュ 1 作、「あたしの中の : ・」だったわけ デビューから変わりました ? 書きたくて書きたくて仕様がなくなっちゃ だ。昭和三十五年八月八日生まれの新井素「変りました ! あの、原稿書いても怒ら って。『妖星伝』読んでると、もうダメな子ちゃん、都立井草高校二年在学中のこれなくなった。昔は家族の眼を盗んで、こっ SF NEW GENERATION