ナル』編集部に、一時の安らぎの期間が訪れた。 かな、と思って」 山下は自分のデスクに頗杖をついて、・ほんやりと鉛筆が削れるの みのりは、ばっと瞳を輝かせて室内にかけ戻り、あっという間に を待っていた。となりの机の上には、サトルが乱雑に積みあげら 帰ってきた。 わ、気持ちよさそうに居眠りしていた。たしかにもう春なのだ。 「はい ! 」 空気を吸いこむかすかな音をたてていた、コンビ = ーター付き鉛 銀色のサッカー・ポールを両手で差し出す。 筆けずりのパイロット・ランプが、パチンと赤から青に変わった。 「本当にいいの ? 」 きれいに修復された鉛筆の芯を見つめ、次号の企画を考えなきや 「貰ってもらえて、とってもうれしいわ」 いかんなと、山下は思った。 「じゃ、ありがたく」 山下は、それをトランクの上に置いて、みのりに笑いかけた。 その時、手元の電話のベルが鳴った。 「はい ? 」 「じゃあ、また」 「山下さん ? 外線から電話よ。女の子」 ふくみ笑いをしながら、社の交換嬢が電話を切り替えた。 「元気でね」 「もしもし ? 」 「よい。 山下さんも」 「うん。じゃ」 「あ、山下さん ? あたし、豪田みのりです」 「はい」 息せき切ったみのりの声が、受話器からとび出してきた。 タ陽の中を、大きなトラソクをひきずりながら、山下は去ってい 「大変なんです ! 」 「どうしたんだい。サトルを元に戻す方法が見つかったのかい」 った。一度だけふり返ってみると、はるか遠くなった猫ヶ丘の長い 長い坂の上で、みのりがまだ手をふっていた。大きく手をふり返し「ううん。残念だけど、それはまだ : : : 」 「じゃあ、一体 : : : ? 」 て、山下は私鉄の駅へと通じる角を曲がって、見えなくなった。 「実は、実はうちのドア・ベルが、また故障しちゃったの。ねえ、 お願いだから山下さん、直しに来てちょうだい。お願いー いてるの ? 山下さん」 山下は聞いていなかった。 山下は黙って電話を切り、静かに頭をかかえこんだ。人生、とい う言葉をふと思った。 机の上では、電話がまた鳴り始めていた。 記事は大評判だった。 なにしろ、あのヤ・フ編集長が、わざわざ彼をテスクまで呼んで、 こう言ったくらいだから。 「ご苦労さんだったな」 その月の号も出て、売れ行きも順調ということで、『猫又ジャー 聞 ー 73
と、山下は懇願した。 舞台は応接間に移っていた。低いテー・フルをはさんで山下とみの りがソフアに腰かけ、サトルは二人のまわりをぐるぐる回りなが 5 「どうか豪田博士に会わせて下さいな」 . し 「だから : ・ ら、写真を撮りまくっていた。 みのりは自分のつま先を見つめたまま黙ってうなずいた。 娘は、いっそうニコニコしながら、気をつけをしてみせた。笑う 「すると、ご両親とかは と両方のほっぺたに、えくぼができた。 山下が黙っていると、娘はつま先でくるりと一回転してみせ、そ「父と母は、あたしが生まれてすぐに、タイムマシンの実験中に事 故を起こして : : : 」 れから、しきりにモジモジしながら、上目遣いに山下を見あげ、く すくす笑い、髪に手をあててつんと気取ってみせ、しまいには、あ「お亡くなりに ? 」 まり山下が長いこと何も言わないもので、半分ペソをかきながらス 「ううん ( と、かぶりを振って ) 、次元漂流者になっちゃったの。 カートをいじり始めた。 だから、今もどこか別の世界を、二人でさまよっている筈よ。 不吉な予感に頬をひきつらせながら、山下はかすれ声で肌ねた。新婚旅行にしては、ちょっと長すぎると思わない ? 」 「ま、まさか、あなたが 「はあ」 山下は機械的にうなずいた。 娘は元気一杯こたえた。 「でもね。たまーに、二人の時間線がこの世界のそれと交差するこ 「あたし、豪田みのり。十八歳。 とがあるらしくって、そういう時は必ずあたしを訪ねてくれるわ。 マッドサイエンティストです ! 」 あたしがどんな風に育ってるか、きっと心配なのね。この前なん 、あらっ ! 」 胸を張って敬礼してみせた後で、みのりはペろりと舌を出して首か、ちょうどあたしの誕生日に : をすくめた。いたずらつぼく笑って言う。 みのりが不意に大きな声を出したので、山下はびくっとした。彼 うふ D 」 「と言っても、まだ仮免許だけど。 女のただでさえ大きな目が、さらに大きく見開かれ山下の背後を見 つめている。 その笑顔に、軽い目まいを感じて、山下は壁に片手をつき、深い 深いため息を吐き出した。記事の失敗が目に見えるようだった。 カメラから顔をあげたサトルが、そっちを見るなり、ぎやっ と叫んでひっくり返った。 3 「お、お化け、 ( ・ ! 」 机の下に頭をつつこんで、ガタガタふるえ出す。 決死の勇をふりしぼって、山下はふり返った。 男の幽霊が、壁からにじみ出すようにして、出現するところだっ 「そうですか。おじい様の豪田篤胤博士は二年前に : 山下が沈鬱な声で言った。
る、あんな広いところか。 「除雪功労章ですね」 「叙勲は明日だ。創立記念式典で行なわれる」権藤大尉は煙 いちばん多く出されるやつだ。殉職した同僚が受けているし、生 草を灰皿におき、立ち、制服を直し、敬礼した。「おめでとう、天きている隊員のなかでも、受章した者はけっこういる。もっとも、 田少尉」 下っ端の作業員が受けたという話は聞かないが。下っ端は死なない ともらえない。 天田少尉は反射的に敬礼を返し、そして突然、内容を理解する。 ところが、天田少尉のその言葉に権藤大尉は首を横に振った。 「なんですって。ちょっと待って下さい。あの、おれに、勲章 ? 」 「そうとも。なにを勘ちがいしていた」 「ちがう。そんな安物じゃない。マース勲章だ。武勲章さ。最高位 大尉は腰をおとし、吸いかけの煙草をとった。所内の五、六人のの。おれはそんな勲章に触わったこともなければ、見たこともな 隊員がみんな、立ちつくしている天田少尉を見つめた。どこかのデ 。胸につける記念章があるだろう、あのお飾りさ、偉くなると切 スクでインターコムが鳴ると、沈黙し、張りつめていた空気がもと手かはり絵みたいにごたごたつけてる、そのなかでも、マース勲記 にもどる。 章なんかめったに見つけられない・せ。正式な勲章は純金の六角形 「どういうことですか。なにかの間違いでしよう」 で、最新鋭戦闘機を形どったレリーフが刻まれているそうだ。現在 「おれもそう思ったさ」大尉は率直に言った。「信じられなかったの最新鋭機というと、シルフィードだな。戦術空軍の虎の子さ」 ね」 天田少尉は、無意識に手をかいている。しもやけで痒いのだ。除 天田少尉は大尉の態度に別段腹も立たなかった。信じられないの雪隊員のなかには、足の指がない者がけっこういるな、凍傷でやら は自分のほうだと思った。勤務状態を振り返ってみても、他の同僚れて、などと思う。 たちと比べて、とびぬけて成績がいいとは思えない。天田少尉は尻「コーヒーでもどうだい」権藤大尉はデスクの上のコーヒーポット ポケットに手をやって、ウイスキーの小壜をたしかめた。飲んだくをとって、天田少尉の返事を待たずに、紙コップに注ぐ。「熱いや れの同僚と・せんぜんかわらない。標準的なーー雪かき屋だ。カス野つをやれよ。暖まる。外はひどかったろう。きみらが出ていってか らひどくなったからな」 郎とさげすまされている人間の一人だった。その自分がどうして、 と天田少尉はいぶかった。かつがれているのではなかろうか。それ「大尉には外の寒さはわからんでしよう」 とも聞きちがいか。妄想か。いや、それほどいまは飲んじゃいな天田は用意された椅子に腰をおろした。コーヒーを受けとり、す ちゃんと立っていられるのだからな。大尉はなんて言ったっする。コーヒ 1 よりはウイスキーを飲みたい気分だった。マース勲 章がどういう人間に授けられるか少尉は知っていた。屑人間に授章 け ? 勲章。おれが受章するんだって ? たしかそう言った。 しいじゃないか、天田少尉は思った。くれるというんだからもらされるものでは決してないのだ。華華しい活躍、フェアリイ空軍が ってやろう。どうせ、師団から出される小さな賞なのだろう。 あるかぎりずっと語りつがれ、伝説になるような、そんな英雄が受
びしつー 首の笑顔にひびが入った。 ( 恐ろしい予感 ) 「えっ : ・ : ・て、まさか : : : 」 声をふるわせて、サトルは言った。 「まさか、みのりさん : : : 」 張り裂けんばかりの目で、みのりを見つめる。 ( 恐ろしい予感 ) きよとんとして、首を見つめ返すみのり。 無邪気で、可愛い、驚きの表情。 ( 恐ろしい予感 ) 見つめ合う二人。 ( 恐ろしい予感 ) 凍りつく時間。長い長い一秒。 サトルの心に、それが滲み込んで来る。 ゆっくりと。しかし、確実に。 恐ろしい事実が : サトルの顔から、すうっと血の気が引した 唇がわなわなと震え出す。 と、不意に、瞳がひっくり返って、まぶたの裏にかくれてしまった。 白目、である。 声ひとっ立てずに失神してしまったらしい。まあ、無理もないが。 「お嬢さん ? 」 すっかり十八歳の少女の顔に戻ってしまったみのりに、山下は優 しく声をかけた。 「あたし、どうしましよう」 サトル サトル LL マガジン・インデックス 販売のお知らせ 石原藤夫編集による CDLL マカ ) ンンの総目録ガ完 成しました。 第日本 (J)LL 史の歩みを如実に伝える (DI-L マガ ) ンン の一号ガら一〇〇号まてと、一〇一号なら二〇 〇号まてとを一一巻に収録しました。 第内容作者名インテッワス / 作品名インテッワ ス / 翻訳者名インテッっス / ノンフイワション インテッワス / 各号表紙写真 / 詳細な原典調査 ・付図・付表 / さらに CDIL アート・マンカ・イ ンテッワスなどを新説・他 第体裁判 4 〇〇べー ) ン 第頒価 37 〇〇円 ( 送料包装費共 ) 第あ求め方法 (J) ー IL 資料研究会 ( 鎌自市七里ガ 浜東 1 ー 3 ー 1 ) 振替 ( 横浜 2 ・ 16 〇 59 ) へ現金書留ガ郵使振替てあ申し込みください。 崧以下の書店の店頭てもあ求めになれます。 ー 2 ー 4 丁 東京大盛堂書店 ( 渋谷区神南 1 2 1 LLJ 」 463 ー〇 51155 ) 、三省堂書店神田 1 ー 1 丁 LLJ—JC\]CY) 本店 ( 干代田区神田神保町 3 ー 331255 ) りーぶる天神 ( 福岡市中央区天神 4 ー 4 福岡 ー們福岡ショッハースフラザ (OI-L k—lLJ—j 〇 92 ー 721 ー 5411 )
としたとき、霧の中から言葉が飛んできた。 モーネの顔が緊張でこわばっている。 「キリイ、これはとても危険なことなのだけれども、あなたにもつ「あわてないで、キリイ。心配いらない。あなたは、今、私の中に いるのだから」 いてきて欲しい」 モーネがキリイの目を見つめながら言った。キリイは、わけがわ モ 1 ネの声だった。いや、声ではなかったのかもしれない。だ からないままにうなずいた。 が、それがモーネのものであるのは明らかだった。 モーネの手が伸び、キリイの両手を掴んだ。そして、そのままへ 「おまえの中にいる ? 」 ダスの額にその手を置く。モーネの目が閉じた。モーネの熱い手と「そうよ、今、そちらに行く」 冷えきったへダスの額がキリイの手を上下からはさんだ。何が起き その声が終らぬ内に、目の前の霧の中からモ 1 ネが現われた。気 るのかと緊張していたキリイは、とりたてて何の変化も感じなかっ がつくと、自分の身体も戻っている。モーネが微笑んた。 たために、ほっとして、全身の力をゆるめた。 「ほら、心配することなんて、ない」 そのとき、モーネが目を開いた。キリイの目を見つめ、キリイも そのとき、キリイはモーネが見かけどおりの存在ではないことを 見つめ返した。突然、手の先から暖かさ以外の奇怪な感覚が這い上知った。どう言うべきか、モ 1 ネは一人ではなく、その背後に何千 がってきた。両手が、広がりはじめ、モーネの手とへダスの額の間何万という人間の存在が感じとれたのだ。そして白い霧の彼方に で実体を失っていくのを感じた。その手の先から、自分がモーネのも、おそるべき数の人間の存在が潜んでいるのがわかった。 手の内に吸収されていくようだ。キリイは両手を引こうとした。だ「気にしないで、キリイ。彼らの存在と知識が、私にこれを可能に が、凄まじいカでおさえつけられ、僅かにも動かすことができなさせてくれているのだから」 その途端、キリイは、それらの存在が肉体を持った人間ではな モーネの目が、動かないでと言っているのがわかる。キリイはカく、シタルたるべく育てられてきたモーネがこれまで教え込まれて きた知識がそのような形をとっているのだということに思い当っ を抜き、目を閉じた。どういうことになるのか、想像もできない た。だが、そのことについて深く考えている余裕はなかった。それ が、ここはモ 1 ネにすべてをゆだねるよりない。 どれほどの時間が経ったのだろうか。キリイは、突然、自分がヘらの存在の中から、凄まじい勢いで、殺意に似たものが吹き出して ダスの部屋にいるのではないことに気付いた。周囲を白い霧のようきたからだ。キリイは、思わず腰の剣に手を伸ばし、そこには何も なもので囲まれている。足の下にも、床はなく白い霧があるだけないことに気付いた。というよりも、キリイの肉体は一枚の布さえ だ。一瞬、恐慌状態におちいり、もがこうとして、自分がもがくべもまとっていなかったのだ。 き手も足も、肉体さえも持っていないことに気付く。何だ、これ「落ち着くのよ、キリイ。私が支配しているかぎり、誰もあなたにに は。どうしたことだ。キリイが錯乱しかけた頭で事態を理解しよう手を出せないわ」
! 」と、あえぐように、「ぎみにものを見る目さえあ を見たまえ。幸福そうじゃないか。子供たちの顔が幸福そうで、しオクスレ 1 ド かもそれに気がついていることは、おたくにも否定できないだろればな ! 」真顔にかえり、「いまのような信仰にはうんざりだ」と う」 苦々しくつぶやいた。どうやらわたしは彼の心を乱すのに成功した エストラーデスは答える代わりに砂浜の小石を見つめ、からみつようである。 いた黄緑の海草を靴の優美なかかとで除けた。そしてすばやくかが「なぜその男を殺した ? 」 み、細長いがっちりした指で何かを取りあげた。「子供は不平はい エストラーデスは遠い何かを見て微笑した。いまでは太陽は雲間 わん。子供は一生成長しないままに終わるということかね ? 」こび からすっかり現われている。埠頭では小規模のオーケストラが、ギ レ・、 りついた海草を指で不快げにはしき、古い三ペンス銅貨を見せた。 ートとサリヴァンのオ。ヘレッタからの曲目を演奏していた。 どうしたものかキラキラしており、銹びもない。いつごろから渚に 「この薄ばかュ ート。ヒアにエンド・ マ 1 クを入れてやろうと思うん ころがっていたのだろう。「この中にだって魂はある」格言めいた だ」と彼は静かにいった。「そのためには、きみが必要だ。きみの 口調でいうと、投げとばしたーー硬貨は桟橋の影の中からとびだ組織の代表という役目でしかないにしても。ただし計画が成功する し、薄れゆく光のもと一瞬きらめいて消えた。 まで報告を送ってくれては困るーー尾行者も邪魔つけだった」じっ わが友よ ? 「あの散歩道で続いているのは、凡庸の祭りだ。容認の宴だ。車椅とわたしを見つめて、「どう答える、オクスレード、 子の芸人で満たされた空虚だ」っかのま群衆を見つめたのち、関心対立していたのでは、おたがい才能を浪費するばかりだそ」そし っしょに来 もなさそうにこうたすねた、「今朝〈高速道〉で殺された男、あれて、わかりきった返事をする間も与えず、「そうだ、い が何者か知りたくないか ? 」ただならぬ表情がわたしの顔に浮かんれば、計画を阻止することだってできるじゃないか ! 何という大 だにちがいない、エストラーデスは勝ち誇った笑みをうかべて向き手柄 ! すべてが水泡に帰したあと、きみは事件の驚くべきレポー なおった。「きみの部は幹部の動向には特に気をつけているようだ トを提出するのだ。またまた昇進だそ。ィーシャーの静かな裏庭 な。今朝殺したのは、きみの援護要員だよ。″すべて順調″と無線に、もっとたくさんの蘭が咲き乱れることになる」 で報告を送っていた。だから二度と交信できないように殺した。き「どこへ行く ? 」 みから話すか ? 」 「中部地方さ。〈神の道〉伝いに」 「援護要員がいるなどという話は聞いていない」わたしは慎重に言 「あんたの計画は、冒濱的という以上に絶望的だ」わたしは背を向 葉を選んだ。「無実の人間を殺したのじゃないかな」 けた。 「とすれば、きみはおそろしく事情にうとい男だ。あの土手にいた エストラーデスは、わたしが桟橋の影を出るまで待ち、呼びかけ やつらの中に、無実の人間なんそいないよ」わたしがばかんとした た。「電話ポックスにたどりつく前に、きみを殺すそ、オクスレー 顏でいるのを見ると、彼はけたたましく笑った。「オクスレード、 ド」わたしは海岸を見わたした。例のユダヤ人、アイゼン・ハーグ 7 2
暴力沙汰に移行するきざしがあらわれないうちは、凄めるだけ、妻ガーフトの好戦的気分はたちまちふっとんでしまった。 「ま、おさえて、おさえて」顔色をうかがいしいしい彼は言った。 むつもりだった。 「そうカッカしなさんな。おれってさ、ロわるいんだよな」 「とっとと出てったらどうなんだよ」彼は言った。「おまえには、 もううんざりだ。悪口ばっかぬかしやがって。キザなペテン師野ラーリーンの方は、もうちょっと骨があった。恐怖の表情と嫌悪 の表情が顔の上で追っかけっこを演じたのちに、あごがぎゅっとひ 郎」 ロビンソンは完全に逆上した。それはけっして気持のいい見ものきしまった。ふかく息をすいこむと、彼女は呪文をとなえはじめ ではなかった。悪魔の人格は、人間ならば最も恥ずべきものとされた。 る特性から成っていて、その本質的ないやしさはけっして、良心の ビビルとアシュコ・フとニュールの名によって 呵責や上品な衝動によって希釈されることがない。邪悪さといって もロビンソンのそれは崇高な威厳ある邪悪さではなかった。ミルト けだものよ、汝の穴にもどれ ン風の重厚さなどみじんもない。定期的に人間どもを苦しめる巨大 もといた穴にもどり再び現れること勿れ な悪の機関を動かしているのは彼ではなくて彼の支配者だったし、 何びとかに救い出されることなき限り 多くのスターリンや毛沢東やヒットラーたちを、そんな世の偉大な 最後の審判のその日まで る怪物どもを鼓舞するのも彼ではなくてミルトンのサタン、か、そ のそっくりさんなのだ。ロビンソンや彼の仲間たちはそれとはちが ロビンソンも含めて全員が、あっけにとられて彼女を見つめた。 う。彼らのは、もっとうらぶれた、あぶらじみた邪悪さだった。け最初に我にかえったのはガーフトだった。 ちくさい横領やこそこそした倒錯行為、無垢なものへのいわれなき「ばかな ! ラーリーン」彼は言った。「これ以上、あの野郎を怒 残忍さ、精神的な臆病さ、かんしやくもちのわがまま勝手、故意のらせるんじゃない」 卑劣さ、思いやりのない冷笑癖などのもっ邪悪さである。 ラ 1 リーンは答えなかった。ロビンソンを見つめていた。つかの こうした悪魔が発作的激昻におそわれると、そばでみている者たまその顔にかがやいていた期待にみちた表情が、やがて徐々に消え ちの心に、ほ・ほおなじ割合で恐怖と嫌悪とをひきおこす。テ】・フル失せていった。ロビンソンはにやにやした。 の三人には、突然あたりの空気が鋼のような死の冷気と糞便の悪臭「おどろいたな」と彼は言った。「この婆さん、まじないを知って をおびたように思われた。絶望が、まざまざとおそろしい実感となるつもりだったらしいぜ。よっ婆さん、気分はよくなったかい ? 」 っておおいかぶさってくる。白イタチみたいなロビンソンのこしゃ ビリイもびりびりして、「いったい全体、何をやったんだ、ラー リーン ? 」 くな顔の背後で、紫がかった、歯をむき出した何かが身をよじりあ 「こいつの言ったとおりさ。呪いをかけてやったのさ。あたしだっ えいでいるのに彼らは気づいた。 3 7
= ダヤ人のアイゼン・ ( ーグがとっぜん顔をうつむけ、すすり泣き神は人間から何を奪い、代わりに何を与えたのか ? = ストラー を始めた。 = ストラーデスは呆然と見つめた。「なんてこ「た、オデスは、知「ていると公言するーーしかし彼は遠いむかしに、おの 3 クスレード ! 」と叫んだきり、あとはわたしの聞きとれない「ジャれの絶望に打ち砕かれてしま「た男だ。巨大な昆虫、ルカヌス・ケ ルカスス・ケルヴスはクワガタムシの一種。オ ール族の方言が続いた。リポル・ ( ーを抜き、何か理由があるのだろルヴス・オム = ポテンス ( ) の姿 ムニポテンスは「全能の」を意味するラテン語 う、わたしにむか 0 て激しくふりはじめた。その間アイゼン・ ( ーグを見上げたまま、わたしは、何かそれ以上のものがあるにちがいな は泣き、声を詰まらせ、ひざまずこうとしていた。その動きをエス いと確信していた。その確信はもはやない。なぜなら、、 ℃まのわた トラーデスが認め、蛇のように近づいた。「いいかげんにしろ ! 」しには、何もかもが信じられなくなっているからだ。 と息を殺した声で、「箱を開けるんだ、アイゼン・ ( ーグ ! やつを アイゼン・ ( ーグが大口をあけ、嘔吐した。手の甲でロをぬぐうと 捉えたんだそ ! 」しかし視線は、理解を絶した〈謎〉というか幻影笑いだした。「あれは虫だぜ ! 虫けらでいやがる ! 」 = ストラー に釘付けのままであり、命令に従わぬアイゼイ ( ーグにも気付いたデスはびくりとし、一瞬足元を見つめたが、彼もまた笑いだした。 ようすはなかった。 二人は泣きながら抱きあい、不器用なダンスでもするように体を前 神をどう形容したらよいものか ? 後にゆすった。「急ごうぜ ! 」叫ぶなり、アイゼイ ( ーグが体を引 いまもなお神は、永遠にうずくまるその姿のまま、わたしの記憶きはなす。「急ごう ! 」ポルト・カッターをつかみ、箱のふたをこ に焼きつけられている。その一部は、空を背にした黒いプロフィー じあけにかかった。二人とも土気色の顔をし、震えている。箱の上 ル。張り広げた六本の脚のあいだには十平方「イルの大地が横たわにかがむと、入り組んだ着色ワイヤと機械装置の調節に取り組みは っている。広大な黒い外皮の表面では、虹色の光がおどっている。 じめた。あわてるあまり、 いっとき唯一の道具、小型のドライ・ハー さやばね その光ゆらめく鞘翅の下に隠れた翅を、もし神が広げたとしたら , ・ の奪いあいがあった。アイゼン・ハーグが勝った。 さしわたし百ャードはありそうな一個の複眼が、わたしたちのうか エストラーデスは肩越しにふりかえり、身震いした。「およそ五 がい知れぬ領域をひたと見据えている。上空一「イルの高み、かた「イルだな。そのくらいにセ ' トしておけ」 い触角と動ぎのない長大な顎のあたりでは、大風が空しく吹き荒れそこでわたしの視線に気づいたらしい。「自由だそ、オクスレー ている。細長い腹部の影が落ちるあたりでは、大工場群も玩具と見ド」とつぶやいた。「自由が手に入るんだ」身震いの発作がおそ「 かけは変わらず、月の裏側から降臨したとき真空も引き連れてきた た。前方では、巨大な形がますます近づいてくる。 かのように、空は寒々とした明るい光に染ま 0 ている。神の脚が地「余裕をと「て一時間一一十分」とアイゼン・ ( ーグにいう。「むこう 上におりたあたりには、受け皿の形をした深いくぼみが見え、くぼに着いてしま「たら、何が起こるか予測はできんそ」 みの一つ一つから幅広い亀裂が放射している。世界は神の重みを、 「本気で実行するつもりなのか ! 」わたしは思わず叫んでいた。三 うめき一つあげず耐え忍んでいるのたろうか ? 人をとらえていた。 ( = - ックを表現する言葉はない。ほとんど生理的 はね
うずくまった体をぎごちなく伸ばす。膝は痛んで動きも鈍く、両きつつ、なおも走りつづける。 双眼鏡、金網フェンス、何も「なんてこった ! 」エストラーデスは悪たいをつき、くわえていた 手は凍え、かじかんでいた。コート、 かもに微細な水滴がまとわりついている。静けさがおりたいま、内葉巻をとると、むずかしい顔で見つめた。「ユダヤ人を信ずるなか 、に加えられていた圧迫が一度に取り除かれたように、耳がすこしおれ」そして口調を変え、「自分が見たものをよく考えてみるんだ かしい。一分かそこら、わたしは両手で腰をはたき、温もりと活力な、オクスレード」と小声でいった。「イーシャーはもうきみの土 を取りもどそうとした。だが、よろめく足で下りはじめたときも、地じゃない。これがわかっていて、この先どうやって暮らしていく 意識はもうろうとしたままだった。 ? 安らかな気分でいられるか ? 」考えこみ、うなずくと、飛行ジ ャケットのポケットから小型リポル・ハーをとりだした。「わたしが 土手を下ったところで、わたしはつかのま足をとめた。静けさは ・、、、こ何でもやらなければいけないのかね ? 」と、アイゼン・ハーグのこと もはや完全なものではなくなっていたーーひそやかな動き力しナ るところから聞こえてくる。ほかの観察者たちもまた肩をすくめ、 で愚痴をこ・ほし、「やつが逃げたらすべて終わりだ ! 」いうなり、 あくびをし、小道具をしまい、〈高速道〉から立ち去ろうとしてい霧の中にふたたび姿を消した。ややあって二発の銃声が朝の大気の るのだ。朝の光が、たちこめる霧をほのかに輝かせているが、視界中にひびいた。待っていたが、エストラーデスはもどらなかった。 は相変わらずきかない。男が二、三人、低い声で話しながら、手の土手の上にいたあの哀れな男は、自分が何者に追われているか知っ 届くほどのところを通りすぎたー - ・ーその姿も見えない。そのとき流ていたのだろうか。考えながら、わたしは濡れた野原を歩きだし れる白い霧の彼方から、か細い、消えいるような絶望のうめきが耳た。わびしい帰路だった。 にとどいた。駆ける足音が、土手の頂きにそって南へと動いてゆ陽が高くなってから、わたしは自分の置かれた立場を注意深く検 く。「止まれ ! 」と何者かが叫び、さらに何かつけ加えたが、興奮討してみた。調査は進捗しており、次のような問題に要約できそう だった。観察された最高速度、時速六マイルでは、〈神の輸送車 のあまり意味は聞きとれない。 ところが日中 動きが見えないものかとふりかえる。霧が音もなく分かれ、とっ隊〉が一夜で目的地に着くことはまずありえない。 ぜんエストラーデスがかたわらに立っていた。毛皮の裏のついたレ 〈高速道〉は静まっており、その全長にわたって風と日ざしのほか ザー・ジャケットのおかげで、細い体がかさばって見える ( つぎは何も存在しないのだ。では、車はどこへ行ってしまうのか ? 奇怪 しかし部長がまだ ぎと油のしみだらけのそのおん・ほろは、どこかヨーロッパの空中戦きわまる、しかも重要な現象にはちがいない これを知っていないと断言できるか ? エストラーデスはこれに気 の勇士であった青春時代の形見らしい ) 。彼は肩で息をしていた。 わたしだとはわからぬ様子で一秒かそこら見つめたあと、あわててづいている。ほかにもいるだろう。ある一つの見方にたよりきり、 霧の中に呼びかけた。「アイゼン。 ( ーグ、そいつはまかせたーーー百不完全と見られるだけがオチの報告書をたずさえてロンドンに帰る フィートばかり先だ、行け ! 」銃声がとどろいた。走る男はよろめのは、賢明とはいえない。部長には何かほかの目論見がある・・・ーー今
王かときおり 子供のことを思い出したら / ・ 預言者が役人をつれて 忌む道という 地下の通路から 子供を つれにくる 離宮にはもうひとり 幽霊のようなものが 悲しい目て 子供をみつめる おお呼びだ 0 ) お呼び 時には城下を うろついている ロ 3