サイエンス・フィクション - みる会図書館


検索対象: SFマガジン 1982年6月号
21件見つかりました。

1. SFマガジン 1982年6月号

ュは評論集 The e 〃 4 れイ ( ウィリ アム・アセリング・ジュニア名義で出版。 1964 ) で、シオドア・スタージョンに よって 1951 年に提案された定義を紹介して いる。「サイエンス・フィクションとは人 間をその中心にすえ、科学的な内容があっ てはじめて起こり得るような人間的問題と 人間的解決とで作り上げられた小説であ る」 ( スタージョンは後に、これはあらゆ るサイエンス・フィクションをカバーする ものではなく、良いサイエンス・フィクシ ョンの特徴を表現するよう意図したものだ ったと指摘した ) ナイトは、評論集 & 4 なんⅣ 0 れイ ( 集 1956 ) で、そのラベルが不適当な呼び 名であるとかたづけ、定義の問題から身を かわしながらも、次のようなコメントを残 している。「われわれがサイエンス・フィ クションから得るものは・・・・・・主流小説を価 値あらしめているものと違いはしないのだ が、表現方法が異っているのである。われ われは既知の事物の小さな島に住んでい る。われわれを取り囲む神秘に対する衰え ることのない驚嘆の心が、われわれを人間 たらしめている。サイエンス・フィクショ ンの中で、われわれはその神秘に近づくこ とができる。小さな、日常的シンポルのみ ならず、宇宙や時間のような大きなシンポ ルを通じて」 ノくジル・ダヴェンポートの序文つきで出 版されたシンポジウム T んに Science 刃 / はれ 0 て司 ( 1959 ) には、シカゴ大学 で行なわれた講演が収められている。ロバ ート・ハインラインはそこで、一種の写実 小説としてジャンルの弁護を行ない、もと もとレジナルド・ブレットナーが気 0 r 〃 & れ化 / 0 〃 ( 1953 ) で提出した定義 を、次のように言い直した。「 ( SF とは ) 作家が科学的方法として知られる人間の行 動の本質と重要性を意識し、かっ、その行 269 動によって集積された人間の知識の体系を 意識することによって、科学的方法と科学 的事実が人間に与える影響、将来与えうる かもしれない影響を小説の中に取りいれた ものである」僕典 分野外の人間による S F についての最初 の長篇評論は、英国で書かれた。 パトリッ ク・ムーアの Science 〃イ五 / c 〃 0 れ ( 1957 ) とキングズリー・エイミスの『地獄の新地 図』 Maps 研丑 ( 1960 ) である。 ムーアは定義の問題を避けて通ったが、ェ イミスは次のように述べた。「 SF とは、 我々の知る世界にはおこりえない状況、し かし人類のものと地球外文化のものとを問 わず、科学や技術、あるいは擬似科学や擬 似技術のなんらかの革新を基礎として仮想 された状況を取扱う散文的物語の分野であ る」昭 ) 個々の作者やテーマに関する非常に多く の歴史的・伝記的研究を著したサム・モス コウィッツによる定義は、さらに漠然とし ている。「サイエンス・フィクションとは 自然科学、空間、時間、社会科学、哲学に 関する空想的思索から生じる一種の科学的 信憑性のムードを利用して、読者の、、自発 的な不信の停止″を容易にさせている、と いう事実で識別できるファンタジイの一分 野である」 同様に漠然としたものだが、大変良く似 た定義が、古くからのファンで出版者のド ナルド・ウォルハイムによって、 The U 〃れ , 催記ー 4 を ( 1971 ) の中で述べられ ている。「サイエンス・フィクションはフ ァンタジイの一分野であり、現在の知識で は真実といえないが、いつか未来のある 日、あるいは過去の不確かなある時代には 実現するという科学的可能性を読者が認識 することによって、もっともらしく見える ようなものである」 ( この定義が実際にな された日付は 1935 年にさかのぼる ) 。 III

2. SFマガジン 1982年6月号

ⅢⅢ hlll 川ⅧⅢⅢⅧⅢⅢ川ⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅧⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅧⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢリ に属すべき文学作品の範囲を定め、中に入 る権利がないと思われる作品を締め出すた めの戦略的な境界線を引く試みは、これま で数多くなされ、様々なものが存在してい る。それらはしばしば互いにくい違い、時 には矛盾する資格規準を示している。通常 の用法では、この用語はあまりにもいいか げんに使われているため、一般的に認めら れるような単一の定義を定めようとして も、とうてい不可能だろう。 S F に類似した一部の文学作品を定義し ようとする試みが、何人かの作家 ( ェドガ ・アラン・ポー、ウィリアム・ウイルス ン、エドガー・フォーセット ) によってな されている。しかし初期の思弁的な作家た ちは一人一人が独自の声明を持っていた。 アメリカで S F のパルプ雑誌が出るように なってはじめて、合意のためのものさしと なるものが出現したのである。この領域 は、まずヒ ューゴー・ガーンズバックによ って、、、サイエンティフィクション〃とし て分離された。アメージング・ストーリー ズ誌創刊号のエデイトリアルで、彼はそれ をこう表現している : 「わたしが。サイ = ンティフィクションという日葉によって 表わすものは、ジュール・ヴェルヌや H ・ G ・ウェルズ、そしてエドガー・アラン・ ポー的な小説ーー科学的なファクトと予言 的なヴィジョンが混ざり合った、魅力的な ロマンスである。 これらの驚くべき物 語は大変におもしろい読み物であるばかり でなく一一一常にためになるものなのだ。そ れは知識をもたらしてくれる・・・・・・まことに ロあたりのよい形にして。 ・・サイエンテ イフィクションが今日描く新発明が、明日 現実とならないとも限らないのた。 史に残ることが約束されたたくさんの偉大 な科学小説が、これから書かれていくだろ う。・・・・・・後世の人々は、それらが単に文学 や小説にとどまらず、文明の進歩の上にも 新たな道しるべを残したと指摘するだろ SF を同時代の知識にしつかりと基礎を 置く教訓的で予言的な文学としてとらえる この考え方は、ガーンズバックの主張のい くつかを放棄した他のパルフ。雑誌編集者に よって、すぐに修正された。新たな宣言 は、 1940 年代にこの分野を支配した雑誌、 アスタウンディング・ストーリーズ誌のた めに、ジョン・ W ・キャンベル・ジュニア によって提案された。彼は S F を科学それ 自体に類似した文学的メディアとして考え るべきだと提言する。「科学的方法論は次 のような主張を含んでいる。すなわち、よ く構築された理論は、単に既知の現象を説 明するのみならず、新しい未知の現象をも 予測する。サイエンス・フィクションは、 それに良く似たことを行なおうとする そして、小説の形で、もしそれが機械に対 してばかりでなく人間社会にも同様に適用 されるなら、その結果はどのようなものと なるのか、書き表わそうとするのである」 いったんこの出版カテゴリーが確立する や、読者や批評家はこの名称をそれ以前の 作品に対しても使いはじめ、その資格を備 えていると思われるあらゆる小説を集めは じめた。この分野の祖先に関する最初の主 要な研究は J ・ 0 ・べイリーの登 / ゞ T ん加″ g ん S 第 4 化の Time ( 1947 ) によ って着手され、そこで彼は、題材を次のよ サイエ / ティフィック・フィクショノ うに認識していた。「科学小説 とは、自然科学における空想的な発明や発 見、およびその結果としての冒険や体験の 物語である。 ・・・それは科学的な発見でな ければならないーー少なくとも著者が科学 によって可能だと説明できるようなもので なければならない」 戦後、何人もの批評家がこの分野に現わ れた。最も有名なのはジェイムズ・プリッ シュとデーモン・ナイトである。プリッシ 270

3. SFマガジン 1982年6月号

より新しい作家たち、とりわけアカデミ ックな批評家によってジャンルがより注目 を集め始めたころに SF 評論に関わり出し た作家たちは、単にジャンルの内容ばかり でなく、その目的や哲学についても定義し ようという試みにおいて、より大胆でもっ たいぶったものになる傾向がある。ジュデ イス・メリルを例にあげると、キャンベル の趣意宣言を反復しつつ、ハインラインに 先取権のある用語を借りて、、、サイエンス ・フィクション〃を、、スベキュレイティヴ ・フィクション″の名で置き替えている。 「スベキュレイティヴ・フィクション : そ れは投影法、外挿法、類推、仮説や思考実 験により、宇宙や人間、そして、、現実〃の 本質を、探究し、発見し、、、学習″する目 的で書かれた小説である・・・・・・わたしはこ で、、スベキュレイティヴ・フィクション″ ということばを、特に、伝統的な、、科学的 方法論″ ( 観察、仮説、実験 ) を利用して 、現実の仮定的な近似値のあるものを考察す るような小説形式の表現に用いている。 連の任意の変化ーー架空の、あるいは新発 明の一一一を、、既知の事実〃の日常的な背景 に導入することによって、登場人物の反応 や理解がその発明や、人物や、あるいはそ の両方についての何かを明らかにするよう な環境を作り出すものである」 最近では初期の定義の大半が陥った、、科 学〃ということばの強調が、よく批判され るようになった。怪談が幽霊のためのもの てはないように SF も科学者のために書か れるものではない、というフ・ライアン・ W ・オールディスの言葉など、その一例であ る。 J ・ G ・バラードは 1969 年に次のよう に批評した。 「アスタウンディング誌、あ るいは今の呼び名でいうとアナログ誌のよ うな雑誌が、科学となんらかの関係がある という考えはばかげている。ネイチャー誌 とか、あるいは他の科学雑誌でもちょっと IV 取り上げて見さえすれば、科学というもの が全く異なった世界に属していることがわ かるだろう」プライアン・オールディスは 『十億年の宴』お襯 / 。〃丘“ S. 第尾 ( 1973 ) の中で、この問題をまったく別の角度から 攻撃した。「サイエンス・フィクションと は、人間と、宇宙におけるそのありかたに たいする定義一一現代の進歩した、だが混 乱した知識の状態 ( 科学 ) のなかでも変質 しない定義ーー・を追求するものであり、特 徴としては、ゴシック、あるいはポスト = ゴシック小説の ~ 形式を継ぐものである」 ) ( ゴシック ) 実際、何人かの他の作家たちがデーモン ・ナイトに従って、、、サイエンス・フィク ション / / という用語は誤解を招きやすいと 述べている。お気に入りの代案は、 ノ、イン ラインの、、スベキュレイティヴ・フィクシ ョン″である。 SF という魔法の頭文字を 残したその他の提案には、、、スベキュレイ ティヴ・ファンタジイ″ ( アレクセイとコ リイ・パンシンによる ) 、アカテミックな 、、ストラクチュラノレ・フアビュレーション ( ロハート・スコールズの創案による ) な どがある。 1970 年代は S F に対するアカデミックな 興味の非常な増大を見た ( 学校教育にお ける S F)O これはとりわけ合衆国におい て顕著だったが、そのことにより、当然な がら、 S F を単にその主題から見て定義す るたけでなく、その文学的様式や戦略的な 見地からも、既に他の文学批評の領域で構 造主義者をはじめとする批評家たちが発展 させた語彙を多用しつつ定義しようとす る、より精密で堅苦しい試みが行なわれる ようになった。 1972 年にダルコ・スーヴィンは S F を次 のように定義した。「文学ジャンルとして の S F の必要十分条件は、異化と認識とが 相互作用を持ちつつ存在していることであ 268

4. SFマガジン 1982年6月号

MAGAZ I NE scrence speculation & fiction fantasy . ん d 化 D り G ′。ヮ G. が⑥ 198 。 . ムろ川 ael り R 。な & / 怩 g ◎ / 。 M a' ヮ 2 石ゞ . VOL. 23 NO. 6 JUNE 1982 ファンタジイ & サイエンス・フィクション志寺約

5. SFマガジン 1982年6月号

その辺りは、こちらより まで、必すどこかに顔を出し、それゆえ 集中豪雨的とはじめに書い Ⅱ にこちらも彼こそ作家であると信じ た各誌の書評や、作家 てきたのだ ( 馬鹿な書評家の中には、ウ たちの推薦文を並べたほう ルフを r-o 作家でないと匂わす輩もいた がよいかもしれない。 からだ ) 。もちろん、〈新しい太陽の書〉 旧嶬 「ジーン・ウルフは、まさ 五部作がファンタジイであっても、その 0 に魔術師であり、拷問者だ。 こと自体について文句をつける筋合いは 0 ないし、ファンタジイはぼくの好きな分 それも、驚くべき、心はず第 む ! お断りしておく、こ rn 野でもある。 れは魔法のような作品だ。 納得がいかないのは、この作品をアメ まったく独創的で新しく、 リカ界が賞めあげる全体主義的な姿 比すべきものもない。何か偉大なもののつの面を見せてくれる : : : 傑作にまちが勢である。・ほくには、完全にファンタジ 始まり、新世界探訪記の第一部た ! 」 イの枠組におさまるとしか思えないこの いない」 ( サイエンス・フィクション・ ( アーシュラ・・ル・グイン ) 作品を、あくまでとして強引に自軍 レビュー誌 ) 「ル・グインやムアコックの最良の作品 なるほど。なるほど。 陣営に引きずりこもうという意図が、透 に比すべきサイエンス・ファンタジイ。 だが、それでも・ほくにはどうしても納けて見えるような気がするのだ。それは 暗く、驚異に満ち、完全に納得がゆく」得のいかない点があった。ウルフのこれ逆に言えば、このところの何だか面白さ ( トマス・ティッシュ ) までの作品の背後には、じつはそうしたのよくわからぬファンタジイ ( あん なものスベキュレイテイプ・フィクショ 「私はこの作品を強く推す。これを読ますばらしい文学的洗練味などの他に、ら ずに、あなたがの発展上画期的な作 うしようもなくファンである彼のンでもない ) の大洪水を、正当化してし 品を見逃してしまわないように : : : 文芸 《志向》とも言うべきニオイが隠さまおうという魂胆も働いているように思 作品としてみても、まったく本書はすばれていたはずなのだ。それは彼の「異星えてしかたない。 らしい力に満ちている。セヴェリアンほ さすがに一誌たけ、イギリスの評論誌 の石」 "Alien Stones こといったガチガ どの幅と深みのある登場人物にで出チの 「ファウンデーション」は、レビュ 1 の ハード ( ! ) から、サイエンス 会ったことはない : ・ : 」 ( アルジス・ と幻想の見事に混淆した「ケルべロス第巻頭でこの作品をとり上げ、小説的完成 ドリス、 & 誌 ) 五の首」「アイランド博士の死」「アメ度を高く評価しつつ ( これには・ほくだっ 「本書を読めば、あなたは巨匠の手の中 スーザン・カルヴィンとキ リカ七夜物語」といった諸篇、さらにはて賛成だ ) 、″ にとらわれたと感じるだろう。『拷問者「カ 】・シニスター」「デス博士の島ンメリアのコナンをかけあわせたらどう の影』はダイヤモンドのようなの一 」といった小品ファンタジイに到るなるか ? ″と、皮肉たつぶりに評してい 、い : ◆し 6

6. SFマガジン 1982年6月号

ー特別企画・連載⑩ー THE ENCYCLOPEDIA OF SCIENCE FICTION SF 工ンサイクロべディア ピーター・ニコルズ編 浅倉久志・伊藤典夫監修 大野万紀訳 C 叩 yright ◎ RoxbY Press Limited 1979 凡例 1 . 邦訳のある作品には邦題を添え、未訳作 品は原題 ( または英訳題名 ) のみ記した。 2 . 原題のうちイタリック体で表わされてい るのは単行本、引用符 ( “” ) でかこんで あるものは短篇。 3 . 邦題も 2 にならい、単行本は『』で、 短篇は「」でかこんだ。 4 . シリーズ名は、未訳のものも含めて日本 語で表記し、《》でかこんだ。 5 . 作家名の中には、あえて慣例に従わず、 原音に近い表記をとったものがある。 ( 例 : ヴァン・ヴォート ) 6 . 本文中のポールド書体は、本事典中に項 目の立てられている見出し語。またポール ド書体の年号は、初版発行年。 7 . 映画および TV ドラマについては、日本 で公開された作品には邦題を『』でかこ んで添え、原題をイタリック体で示した。 未公開作品は原題のみを示した。ポールド 2 刀 前号より続ぐ J C : ジョン・クルート ー・ニコノレス P N : ヒ。ータ B S : プライアン・スティフ・ルフォード 筆者 8 . コミックは《》でかこんだ。 書体の年号は、本国での製作年。 9 . 略語および記号 A S F : アスタウンディング・サイエン ス・フィクション誌、および ( 後 年の ) アナログ社 ルじ、 0 F& S F : ファンタジイ・アンド・サイ ェンス・フィクション誌 TWS : スリリング・ワンダー・ストー リーズ誌 NW : ーユーワールズ誌 : アンソロジー 図 : 版による題名の異同 : 加筆 國 : 改訂版 : 短篇集、またはひとりの作家による 長篇のオムニバス版 : 複数の短篇を加筆改訂し、長篇のか たちに統合したもの 前 : 戦前にしか邦訳のない書名 : 抄訳 * : 訳註 : 参照 M J : マクシム・ジャクボウスキー MJ E : マルカム・ J ・エドワーズ の気まぐれによって左右される。この分野 ルであり、その使い方は編集者や出版業者 は出版物を分類するためにつけられたラベ サイエンス・フィクション〃という名称 DEFINITION OF SF S F の定義

7. SFマガジン 1982年6月号

川聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢ川 1975 レスター ヴァン・リ ーン名義 ) と、人口過剰テー デル・レイとエリック イトの筆名でロケット・ストーリーズ誌の を引き継いだ。 ( それ以前にはケネス・ラ 死後、 1974 年にはアナログ誌の書評コラム ミラーの 関係していた。 P ・スカイラー・、 た 1960 年代の短い期間はギャラクシイ誌と ンス・フィクション・アドベンチャー。ま 1952 年から 53 年にかけての一時期はサイエ ス・サイエンス・フィクション誌、そして トというハウスネームを使って ) 、スペー ストーリーズ誌 ( ウェイド・ケンプファー ンタジイ・フィクション ) 誌、ロケット・ の雑誌にかかわった。ファンタジイ ( ファ デル・レイは編集者としても、いくつか る。 て発狂すると知った男の苦境を扱ってい 知るとともに、サイ能力をもつ人間はすべ ( 1971 ) で、自分にサイ能力があることを る。彼の最も新しい代表作はの そして ~ だな 0 れ s S 第化 ( 1968 ) であ ( 1 6 ; 図 T んー 4 れⅣ″ん 0 4 刊の、 T ん加″ g ん T / 襯 ( 1966 ) 、 Siege ~ 6 lo ( 1 5 ) 、『タイムトンネルの秘密』 Tu 〃 I げたロポット』 T ん 4 れ 0 み ル・フェアマンが書いたものだった。『逃 はデル・レイの長い下書きをもとに、ポー の名前で発表された数篇の長篇は、実際に 掲載している。 1966 年から 68 年にかけて彼 1963 ; 単独の本として 1976 ) の改訂版を 1974 ) と、 Badge 研 1 の ( 1959 ; 國 ィールド名義 ; 國 1963 ; 単独の本として 名でポールと合作、チャールズ・サターフ 五 4 〃切 g ( 1954 、 "No More Stars ”の題 掲載された、二つの中篇、 The Sky な & 召記 1 可 4 〃 ( 1963 ) は、雑誌に ス″の第 2 号となった The Sky な記〃れ g 短命だった、、ギャラクシイ・マガフ・ツク Co 襯襯 0 〃イ襯 e 厩 ( 1962 ; 國 197 のがある。 マの初期の長篇である T ん E て℃れ 259 書評を担当したことがあり、また彼自身の 名前でも、ときおり数種の雑誌に書評を書 いている。中では 1968 年から 5 年間、イフ 誌に連載したものが有名 ) 。彼の四番目の 妻、ジュアイ = リン・べンジャミンは、ギ ャラクシイ誌とその姉妹誌のスタッフだっ たが、 70 年代半ばにバランタイン・ブック スの S F 部門編集者になった。デル・レイ もまた 1977 年には同社に入り、それより同 社は S F とファンタジイの路線をデル・レ イ・フ・ツクスの銘の下に出しはじめた。 デル・レイは多才だがややムラの多い作 家であり、初期の期待を充分に満たしてい るとはいえない。彼の最良の作品は短篇集 〃イ Some Were 丑 4 襯 4 ( 1948 ; ペ ーパーパック版では "Nervres ”が抜けて いる ) と GO み d GO ん襯 ( 集 1973 ) に 収録されている。興味深い自伝的ェッセイ が The E の・な del 火 ( 1975 ) にあ る。彼は児童向け S F のアンソロジイ The Y だス工だ To 襯 0 な 03 ( 図 1954 ) を、 セシル・マーチャット、カール・カーマー と共に編集し、また 7 ' んに召 e 立 & 〃 c c 0 れ & 0 ん Y' ぉ ( 5 巻 ; 1972 ー 76 ) のシリーズを編集した。彼はガーラ ンド・プレスの再版 S F シリーズ 45 巻を 1975 年に選定し、またれ地立な & たれ化 c れみ” ( 1975 ) 全一巻の編集をして 〔 B S 〕 その他の既訳作品一一 ( 以下はすべて児 童もの ) 『火星号不時着』 M 。記。〃 Ma ( 1952 ) 、『宇宙の選手』 oc をこ 面 c を ( 1952 、フィリップ・セント・ジ ョン名義 ) 、『謎の大陸アトランティス』 スな 4 工襯み〃 t な ( 1953 ) 、『水星基 地 S 0 S 』お 4 なん 0 〃 M 翩 ( 1953 、 リック・ヴァン・リーン名義 ) 、『なその惑 星 X 』 T んに My 立 / 0 ″刊れ ( 1953 、ケ ネス・ライト名義 ) 、『人工衛星第一号』 & 2 ね the & 4 ( 1954 ) 、『消えたロケ XIII

8. SFマガジン 1982年6月号

ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ川ⅢⅢⅢⅢⅢⅱⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ日ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ聞ⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢⅢ レスリ ードラーは S F の神話は 黙示録の夢だという。「人類の終末、人間 の超越あるいは変容の神話 - ーーそれは核爆 弾によるわれわれの種の絶減というよう ステレオタイフ・ な、原型というよりはむしろ紋切り型と いえるヴィジョンとは、まったく異なった ものである」 ( パーテイザン・レビュ 誌、 1965 秋号 ) 。ディヴィッド・ケッタラ ーーは、自著ézv Ⅳ br / み工 0 だ 0 : T ん 20C 第 c 1 ag / 0 れ , Science な〃 0 れ のみ襯なれん″ era 尾 ( 197 のでフィ ードラーの見解を大きく拡張し、 S F を ( それに伴う外挿の種類に従って ) 三つの カテゴリーに分けたうえで、その三番めの ものに注目する。「哲学指向のサイエンス ・フィクション、それはわれわれの膨大な 無知を背景としたうえで、既知の事項を外 、パースペクティフ・に 挿し、根本的に新しし 人間を置くような、驚くべき素材、あるい は根本原理を提供するものである」これを 彼は、、黙示文学″のサフ・・カテゴリーと見 る。それは「異世界の創造に関心をもつも のであり、その異世界は、文字どおりのレ ベルで、、、現実′ / の世界と ( 合理的な外挿 と類推、あるいは宗教的信念のいずれを基 礎にしているかを問わず ) 確かな関係をも ちつつ存在しており、それによって読者の 脳裏にある、、現実″世界の隠喩的な崩壊を 引き起こすものである」 新しい SF の定義が示されるたびに、新 しい専門用語や隠語が闘技場に登場すると いう、苛立たしい傾向があることは明らか だ。例えば、ジョン・フ・ラナーは 1 9 年 に、特に名を秘すが才能のある友人が次の ようにいったのを引用している。「 SF 作 家は、科学のアポロ的真実の発見によって 激変した環境にマッチするような、適切な ディオニソス的真実を創造しようと試みて しかし、プロの S F 作家でありながらア アーキタイフ・ VI カデミックの世界に入ったジェイムズ・ガ ンは、彼の同原たちの多くと対照的に 簡潔な定義を述べている ( A 〃 na ル orl み : The 刀ん立 r 記〃 / 立 0 Science 窺あ〃 1975 ) 。「サイエンス・フ イクションでは、ファンタスティックな事 件や展開が、合理的に考察される」しかし ながらこれはあまり厳密なものではなく、 むしろ S F は「世界が変化するという信念 の上に基礎を置いている」というような何 げないコメントの方がより有益だろう。 れは彼がアルヴィン・トフラーの、現実の 世界が変化する速度の増大を考察した『未 来の衝撃』厖尾。 c ん ( 1970 ) を論じ たくだりでいったものである。トフラー自 身は 1974 年に S F が「通常考慮されない可 能性一一一 I F の世界、もうひとつのヴィジ ョン一一を扱うことによって、変化に対す るわれわれの可能な対応のレバートリーを 広げる」と書いている。これは SF をその 本質的な性質よりもむしろ社会的な機能と いう見地から定義しようとした始まりであ り、マーシャル・マクノレーノ、ンカ ; 『メディ アはマッサージ』 T んイ e 市 4 な the Ma ( 1967 ) でより早い時期に書い た次のようなコメントより、いくらかソフ イステイケートされたものである。「 S F は今日、新しいテクノロジーの可能性を われわれに理解させるようなシチュエーシ ョンを提供している。かっては、省力化の 新しい形態を発明することが問題であっ た。今日では、その逆が問題である。今や われわれは発明するのではなく、順応しな くてはならない。われわれは技術革新と共 存して生きることが可能なような、そんな 環境を見い出さなければならないのであ 良い定義の試金石が、対象を定義するの に使われる用語が明快で、容易に理解で き、それ自身が厳密に定義されうるもので 266

9. SFマガジン 1982年6月号

小ん だけです。心臓の鼓動が週に一回とか。しかし、その間も老化現象「元の人間と寸分たがわぬクローン人間がつくれたと仮定して、そ は緩慢ながら進行します。考えてもみてください、アイスポックスの人間の記憶までそっくり受け継ぐかね」 もうロルフ・エリクセンは、うっすら汗をかきながら思案して、 に何年も何世紀も入れられて、前よりよくなるわけがありません。 たとえもういちど生涯をくり返すにしても、蘇生したときはリ、ウようやくこたえた。「それはありません。クローン人間は、だれに マチで腰がまがり、千しスモモのようにしわだらけでしよう」 もある最も原始的な本能を持つだけです。たとえば、落下にたいす 「そうか、ではそれじゃなかったんだな、かりに時間逆行の説明がる本能的恐怖といったようなものです。失礼ながら、いまわたしが グレゴリー・ジェフリーズのクローン人間としゃべっているとした ついたとしても」わたしのつぶやきにエリクセンは目をむいた。 「クローン人間はどうだ」ときくと、その目は机の奥のわたしめがら、あなたは本物のグレッグとわたしが先週、あなたが流感にやら けて、とびだしてくるかと思われた。「現在どのていどまで進んでれる前に、どんな話をしたかわかりますか」 いる」 「先週か。ヒューストン診療所用に開発中の、新型分光分析装置の フィード・ハック問題じゃなかったかな」 彼はなまつばをのみこんで、「同型同大のカエルやアスパラガス を大量におのそみなら、ほ・ほ完成したといっていいでしよう。ク 「そうです」ロルフはこたえて、あっさりいいそえた。「あなたは ン人間についてよ、・こ、・ をナしふいいかげんな話が出まわっていますクローン人間じゃありません」 が、世界をグレゴリー・ジェフリーズでいつばいにすることを考え ておいでなら、そいつはまだまだサイエンス・フィクションの領域ルビーがきて、マイクルマンが遅れたコビーを持って到着し、一 です」 同わたしだけを待っていることをつげた。わたしは彼女と会議室人 「月着陸だって、十年前はそうだったそ。しかし、クローン人間は 口に立ちどまり、長い縞材のテー・フルをかこむ男女の顔ぶれをなが 不可能事ではないんだな」 め渡した。ジェフコの幹部連、テクストロンのフォーブッシュ、マ 「そりや、不可能事なんてものはありません。昔オッペンハイマー イクルマン、キャララなど、どの顔もすぐわかった。ほかに二、 がいったことですが、科学知識の量は七年だかで倍増するんです。人、テクストロンから下っ端が出席していたが、それらは名前を気 にとめたこともない連中だから、思いだせなくてもふしぎはない。 これは幾何級数的ーー」 「西暦二〇〇〇年には、クローン人間技術はどこまで進んでいるだ「ホイット・ べイカーがいないな」わたしはそっとルビーにいっ ろう」 「なにぶん細胞核とと培養液が相手で、エレクトロニクスじ彼女はおどろいた顔で、「出席しないといっていたじゃありませ ゃありませんからね。いずれにせよ、まだまだでしよう。ちょっとんか」といし それからちょっと困惑ぎみに、「最終調印にはカリ 見当もっきません」 フォルニアから帰るといっていました。でも、自分は : : : ジェフコ 6

10. SFマガジン 1982年6月号

フランスの作家。彼の初期の SF 小説 『カシオペアのグ・』 & 4 「ゞ 0 な / C の豆 ( 1854 ; 英訳 & 2 だ 1975 、序文 ヒ。工ール・ヴェルサン ) は、ヒマラヤにお ける、異星生命に関する情報のいつばいっ まった樽の発見を描いている。生物学と人 類学についてのスベキュレーションは興味 深い。文章は無味乾燥で、アイデアが裸の まま、劇的要素もなく放り出されている。 〔 J C/ P N 〕 ディフォード、 ミリアム・アレン DeFORD, MIRIAM ALLEN ( 1888 ー 197 の アメリカの作家。長い間新聞記者をして いた。おそらく彼女は後期に書かれた S F によってよりも、数多いミステリの短篇 ( 何篇かは賞を取っている ) によっての方 がより広く知られているだろう。彼女には また The I お 0 れれの C な ( 1968 ) のようなノン・フィクションや、 ーマニスト誌の論文編集者として の仕事もある。彼女はミステリ的要素をも った S F アンソロジー S ゑ 4 Time 4 れ d Crime ( 乞 1964 ) の編者だった。自身 S F 作家として、三十篇以上を一一 -- ・マガジン誌の "The Last Generation" ( 194 のを手はじめに一一何種類かの雑誌 に発表しているが、彼女の二冊の短篇集、 Xe れ。 g おな ( 集 1969 ) と E な ew ん e 尾 , E な ew E な訪。在 , ( 集 1971 ) に収録さ れた作品の大半は、 F& S F 誌に初めて掲 載されたものである。核兵器の惨害や性の 役割といったテーマに対する彼女の考察 は、歯切れのよい、明快なスタイルで処理 されており、時として優美さに欠けるが、 決して活力を失うことはない。 〔 J C 〕 ディレイニ 、サミュエル・ R DELANY, SAMUEL R(AY) VIII ( 1942 ー アメリカの作家、評論家。彼には二つ の、非常に異なった文化的背景がある。彼 は黒人であり、 ョークのハーレムで 生まれ、育った。したがって、黒人のゲッ トーを熟知している。しかし彼の父親は富 裕な葬儀社の経営者で、一家を特権的な中 流の上の環境で育て上げた一・一ディレイニ ーは進歩的で金のかかる私立学校ダールト ン校で教育を受け、ついで名門のフ・ロンク ス・ハイスクール・オフ・・サイエンスに進 学した。しかしながら、彼はわずか一学期 間在籍しただけで、カレッジを去った。こ の二重の文化的背景は、彼のすべての作品 において明白である。 ディレイニ ーは SF の若き天才のひとり として名を上げたが、彼の鋭敏な知性は出 版活動に入るずっと前から明らかで、 12 才 の時にイオリンのコンチェルトを作曲し たりしていた。普通とは違い、彼が初めて 出版した SF は長篇で、彼が 20 才の時のこ とだった。『アプターの宝石』 T んにな み。だ ( 簡約版 1962 ; 1968 ) がそれで、 後の版でははじめェース・フ・ツクスの編集 者によって削除されていた三分の一が復元 されている。これに続いて三部作 Ca. がお the 〃尾 ( 1963 ; 圜國 0 研 the の d City 1966 ) 、 The T03 s 研 To 加れ ( 1964 ; 國 1966 ) 、 City 研 4 T ん 0 4 れ d 翫 ( 1966 ) を出した。この二篇は一巻 本 The 記 L 可、に T03 s ( 1970 ) と しても出版されている。その他の初期の長 篇には T んにお 4 〃 4 イ研召 4 2 ( 1965 ) がある。 初期の長篇には疑いようのない類似性が あり、その中で手をつけられたテーマのい くつかは、ディレイニーの作品でいつも繰 り返されるものとなっている。フ。ロットの クエスト 構造はほとんど決まって探索、あるいは一 種の空想旅行記の形をとる。肉体的、精神 264