3 バイヨンの浮彫り ☆浮彫りとアンコール生活 ・ハイヨン廟の第一回廊・第二回廊の壁面には、浮彫りがぎっしりと彫られている。アンコー ル・ワットのそれとは違った性格の浮彫りで、興味ぶかいものである。 まずテーマである。ワットのようなインド神話や物語でなく、アンコール時代そのもののでき ごとや生活が描かれている。習慣・生活様式・娯楽・労働風景 : : : などが、深刻がらずに、いき いきと自由に明るく描かれている。見ていて微笑が湧いてくる場面もある。 なぜ寺院に、このような浮彫りをしたのか ? この第一回廊は外部に壁を見せ、庶民の目にふ れている。依教を盛んにし、・ ( ラモンの階級制を減亡させつつあったジャヤ・ヴァルマン七世の、 庶民に対する一種のデモンストレーションの仕事だったのかもしれない。 浮彫りのなかから当時の生活を拾ってみよう。 ☆第一回廊 南回廊東側アンコールの一般生活は、決して楽ではなかったはずだ。短期間の間に、石の 大殿堂を次々に建造するためには、人海作戦による大規模な労力が必要だからだ。奴隷は連日、
Ⅱ 8 ☆概観 五〇の塔と、一七二の巨大な顔が林立しながら、大ぎな岩山となっていゑ ( イヨン廟は、アン コール・ワットとともに世界的な芸術建築遺跡である。この・ ( イヨン廟 ( ・ ( イヨンとは納骨堂の 意味 ) は、ジャヤ・ヴァルマン七世 ( 一一八一ー一二一八 ? ) の建立にかか狂暴なチャム族 を追いい、祖国の平和を回復した王が、戦死者の霊をとむらい、永遠の平和と勝利を祈願して 建立したものである。祖国に帰る英霊たちは、「死者の門」 ( 東門の別 ) をくぐり、まっすぐそ がいせん の突き当たりの ' ( イヨン廟の観世音の顔の林立するなかに、凱旋して休息するのである。 ☆ ' ハイヨン廟の構造 第七章で述べるが、熱帯樹は石の建築を喰い荒す。・ハイヨンはその手ひどい被害を受けた。一 番外側の第一回廊は見るも無惨で、天井ははぎとられ、若干の柱と浮彫りのある壁が残っている にすぎない。しかし・ ( イヨンの奇観は、そこからきているのではない。構造自体が複雑で不可思 議なのである。無謀であり、不合理であり、建築学を無視している。それは反面、天才的奇観と して成功した。 ハイヨン廟
ⅱ 0 から少し離れた南西よりのところに、 ' ハブオン寺院を建て、ここを王都の中心とした。また、東 の大人造湖が涸れ始めたので、西の大人造湖の大建築工事をなしとげた。 しかしこの第三大王都は、第二大王都の改変であって、抜本的なものではない。 第四次王都これが現在残っているアンコ 1 ル・トムで、ジャヤ・ヴァルマン七世 ( 一一八 ー一二一八 ? ) の建設。 王の即位前の戦乱で、王都は惨めに焼かれたり破壊されたりしていた。それまでは軽建築が多 かったから、焼失・破壊を免かれ得なかったのである。新王は、旧王都を整備し、石による難攻 不落の王都と、絶対不燃焼の寺院を計画し、建設した。しかし戦災後の財政逼迫のため、王都の 面積を思いきって縮小した。新王都の中心に、・ハイヨン廟が見事に建立された。 アンコール・トム ( 大 ) というが、実際は過去の王都より縮小されている。その結果、新王都 の城壁外に、追い出されてしまった寺院も、いくつかある。しかしながら、石材を惜しみなく使 って再建された新王都は、その豪華さと美観において、まさしくトム ( 大 ) であった。 この第四次王都アンコール・トムは、一辺三キロの・正四角形都市である。周囲にラテライト ( 紅土 ) の城壁をめぐらせ、五つの門をもつ。正方形の中心に ' ハイヨン廟がそびえている。クメ 1 ル寺院は、かならず寺院の外囲をもっているが、・ハイヨンにはそれがない。王都の城壁そのも ひっーく
111 アンコールトム王都内遺跡群 500m 至北門 。ヒ◇ 十この塔 癩王テラス 群象テラス 目」一つ辟亠 王王、王 ア 、ノ 。ヒ ロ ; ◇テ , プ方ナン一 プラ・パリライ 北クレアン 至勝利の門 南クレアン 至西門 至死者の門ー 至南門 のを外囲としている のだ。したがって、 城壁各辺中央の東・ 西・南・北の正門に 向かって、・ハイヨン 廟からまっすぐ、王 都を四分する枢軸道 路が放出されている。 旧王都を整備して 造った新王都である から、過去の建物そ の他も、そのまま残 っている。新王は王 都内に・ハイヨン廟、 類王テラス他を造っ たが、あとの建造物 は、狭い王都内を避 け、城外に建てた。
人墨サムレ族の砦 ハンテアイ・サムレ この寺宀は、アンコ ( 、・」、 0 あるカら とハイヨン八の ,. 卩で建てたものがも らない ( ) なんり のラテライトの、ばら色がかった美しい 、いい、こは大きな中屮 カこま と三つの小塔が建っているし ともかく、なんの目的で誰が建てたの カわからないこの院の名称が変わっ ている。・ハンテアイとは「砦」のことで あるが、サムレとはクメール古語で「入 シヴァとその妻 14
ニ各論 城壁と五つの城門 2 ・ハイヨン廟 3 ぶイヨンの浮彫り 4 王宮 5 僧院信仰仏、テッ。フ・。フラナン ( リライ 6 ~ 目をみつけた仏と。フラ・ 7 第三大王都の中心、パブオン 8 瀬王テラスと癩王 9 十二基の小塔、裁判所 0 プラ・。ヒトウと南北クレアン 第五章アンコール建築と浮彫りについて 建築材料 化粧塗りの漆喰と金泥極彩色 一話 一契 一六七
( 今はほとんど落ちてしまっている ) 。 したがって今は、二、三か所を除け ば、つやのない、雨でよごれた壁面で ある。白っぽい埃がついている。 ( こ れを、うるしの塗りたてのような壁面 の写真にするには、発電機数台による 投影法が必要である。われわれには、 その余裕がなかった。壁面を水で洗い、 撮影した。・ハイヨンの壁彫りの鮮明さ とちがって、撮影効果のよくないのは、 そのためである ) 。 構図は、二種類に大別することがで きる。おのずからの秩序があるが、意 図して分割的構図にしていないマンダ 彫ラ方式と、壁面を上下に二段・三段あ 浮るいは四段にわけた配置方式である。 後者が年代的には後で、ワット代 」ロ はちょうど両者がまざっていた。
いを , ゞ アンコール・トムの中一む寺院 , パイヨン期
第七章 アンコールの滅亡 蓮の花の上で踊るアプサラのトリオ ( パイヨン )
122 ☆塔の四面像はだれの顔か ? ・ハイヨンの林立する塔の四面像について、いろいろな説がたてられた。シヴァ神だ、いやアヴ アロキテスヴァラ ( 観世音 ) だ、いやロケスヴァラ ( 自在天 ) だ : 2 イヨン その中でも、シヴァ神説が、かっては一般通説であった。「四つのシヴァの顔」は、・、 の代名詞にもなった。樹海のなかに沈んでいたこの遺跡の顔を、破壊神シヴァのものとすること は、たしかにロマンチックである。人類に放棄され、周辺から熱帯樹に喰い荒されつつある廟を、 破壊神シヴァの百数十の顔が、にんまりと自嘲のような微笑を浮かべて見下ろしている、という 想定は、・ドラマチックでさえあるからだ。 ロケスヴァラ ( 自在天 ) 説は、妥協説である。この仏教の菩薩は、三三の化身の一つにシヴァ をもっている。依教王の建てたものであるから仏教の菩薩であろうが、シヴァ神とも言えるとい う説である。 しかし最近、アヴァロキテスヴァラ ( 観世音 ) 説が、定説として確立された。観世音が、観世 音であるトレード・マークは、冠の前面につけている阿弥陀の小さい化身である。 ' ( イヨンの顔 しだいに観世音であることを裏 たちの冠に、それらしい跡はあっても、確認でぎなかった。が、 付ける資料があらわれたのだ。 ' ( イヨン建設の王は熱心な依教徒で、彼の周辺にはインド・ナランダから亡命してきた仏僧た ちがいた。ナランダ王宮には小規模だが、観世音四面像がある。アンコール芸術に突如として四