9 小部屋の砦パンテアイ・クディ アンコール・トムの大門塔と同じ様式の、観世音の四面像塔門が、東向きにある。その塔門を くくり長い参道をゆくと、 いくつも小部屋のある建物がある。小部屋は、抜けても抜けても続い とりて ている。そこから、小部屋の砦、・ハンテアイ・クディの名がきたのであろう。細長い大きな建築 であるのだ。入っていくと、おどろく広さである。 しかし、十二世紀の末、今まであった・ハラモン教の建物を僧院に改造したこの寺院には、統一 も雰囲気もない。過去の建物を回廊で結びつけ、小部屋を数多くとったからである。改造したの は、ジャヤ・ヴァルマン七世である。 本堂近くの南寄りの暗い一室に、ギリシア彫刻のような美しい女のトルソーがある。顔も両手 もない。胸と胴をほとんど露出した姿で、首までの高さ一メートル半ほどの立像である。 熱帯樹の暴力の標本タ・プロム 一般の場合、アンコールの遺跡は発見されると、建物を守るため、建物の中にねじり入るよう 3 にはえ繁っている熱帯樹をとりのけ、修復する。ぼこぼことゆるんだ石の列は、修復によって、 たがをはめられたように、びっちり締まる 0
西回廊南側西向きのこのあたりの壁 ここへの風雨は西から来 の破損はひどい。 るのであろう。砂岩を材質とする壁面は、 。長い間の風雨に黒く汚れて、流れる雨に浮 彫りの角も漆けてくるのだ。 回廊の中にできている狭い小部屋の中に、 石ヴィシュヌ神をたたえた部屋がある。その こ部屋の右側璧に、寺院建築工事の図がある。 石を綱でく男。梃子の原理を応用して、 石を持ちあける者、やぐらを紲んで石を積 ・しかしこの図は、ちょうど む作業員・ : 同じ西回廊南側にある第一回廊の現場図に 比較すると、こせこせとして不自然である。 ヴィシュヌ神をたたえるいろいろな光景の、 回一コマとして彫られた場面であるからたろ ヴィシュヌ神は、上からこの工事を見下
の間、がある。左甚五郎作の泣き龍式に、 手を拍っと、石の小部屋が、陰にこもった 不気味な反響をこだまさせる ) 。 回廊は内側が浮彫りの壁、外側が二列の 柱が並ぶ複廊で、外部に開いている。昔、 第一回廊から内部には入れなかった一般庶 民も、この華麗な壁は外部から参詣できる る仕組になっていたわけである で塔門わきの小部屋の窓と窓の間の壁には、 一群の天の舞姫ア。フサラの彫刻がある。微 ノな . 笑と豊かな乳房 = = = 。来訪者は、みんな触 新。ってゆくらしい。舞姫たちは、乳房だけを か坊とくに、つるつるに黒くひからせている。 柱彫 第一回廊西側と第ニ回廊との間 廊甄の回廊の間は、約四五メートルほどある。 回ま 一口西側は東・南・北側よりもやや広い。その 第壁 代わり、ここにだけ型の建物 ( おそらく
9 小部屋の砦バンテアイ・クディ 熱帯樹の暴力の標本タ・。フロム 碧玉塔タ・ケオ 貶トム・マノンとチャウ・サイ・デヴォダ 昭女の砦・ハンテアイ・スレイ 入墨サムレ族の砦 ' ハンテアイ・サムレ アンコール王都の前奏曲 ' ハコン プラ・コオとロレイ 第七章アンコールの滅亡 1 アンコール凋落の原因 2 熱帯樹の暴力による破壊 あとがき 一一 0 三 一一 0 三 一莫 一一 0 六 一一 0 七 三五 一 = 三 一一三四
暗い小部屋の女人トルソー 岩でつくられている。しかも階段式になっていて、水の中に段々で降りていける。水底も石だた みという豪華さである。 西岸にあるテラスは、クメール獅子の石像に、大蛇の欄干があり、欄十の大蛇の頭の上には、 小肥りの半人半鷲ガルーダが馬乗りになり、ふんぞりかえっている。 静寂な水の美しさは、スイスのレマン湖を連想させる。しかし人工的に造ったこの池と、自然 の湖レマン湖の間には、印象の相違がある。レマン湖はロマンにあふれている。北国の光は感傷 にみちている。しかし、熱帯地方のま昼の光線の下に、感傷はない。ぎらぎら厳しく光る詩情だ。
163 9 十二基の小塔、我判所 王宮前広場をこして、群象テラスと対い合う場 所に、等間隔の距離をもって小塔の列がある。正法 確に言うと、十基の小塔が一列に並び、中央の五そ そ・ 番目、六番目の小塔の後方東側にあと一基ずつ、 合計十二基の小塔が並んでいる。この塔を、。フラ塔 ット・スオール・。フラットと呼ぶ。 十三世紀の中国人周達観の記述によれば、この分 塔群が裁判所で、各塔は法廷である。国王は、最右 . 、 高法官の地位にあるから、裁判は国王の住む王宮 の前で、堂々と行なわれるのだ。係争者は、塔の刎 中の四 , ート ~ 四方の部屋に入る。ここで相手と二 0 & 睨み合い対決する。 裁判は、解決するまで続行する。いわば、容疑 者・係争者はこの塔の中に釘づけにされるのだ。 一日たっ、二日たっ、三日たっ : 。一種の苦行
165 他はすべて・ハラモン様式である。 この遺跡群間に、相互関係はない。それぞれ勝手に外囲をめぐらせているし、大ぎさもばらば らである。その中で探りあける価値のあるものは、第一祠堂の・「大蛇」を様式化した美しいテラ ス、第四祠堂北側の小部屋にある一メートル半に達する巨大なリンガ ( 性標 ) 、建物の楯や柱の簪 草模様などである。 クレアンは、「綱渡り曲芸師の塔」の後方に、南北対称的に、二つある。南クレアンはラテライ ト造り、北クレアンは砂岩つくりである。破損度は、やはりラテライト造りの南クレアンの方が 大きい。 二つとも構造はきわめて簡単である。クレアンとは、「倉庫」の意味であるから、実際に倉庫で あったのであろう。王の謁見場所あるいは宴会場に使われたとも、いわれている。
ワットの第二回廊の外界との隔離による疎外感についてである。 しかし、もっと手のこんだ完全なトリックがアンコール・ワット建築には三つある。その第一 は、よく言 . えば飾り窓、悪ぐ言えば「にせ窓」である。 厚い壁の一部を、浅く四角に彫り、まわりに窓枠のような飾りの大ぎな縁をつけ、窓に繰形の ある縦格子を並べて、はめこんである。 ちょっと見ると、本当の窓のようなのだが、よく見るとその縦子の向こうも、壁でしかない。 このようなにせ窓である。 このにせ窓のいちばん多いのは、第一回廊と第二回廓の間の内庭から見た、第一回廊の裏側で ある。 なぜ、このような手のこんだにせ窓をつくるのか ? などと、考えない方がいい。本当の窓の ような気持ちで、眺めた方がよい。その方が、このトリックの味がわかるからだ。 人間は、高い塀のようなものセかこまれてしまうと、たしかに疎外感を感じる。このトリック は、それをなくすためなのだ。」窓であるにせよ、格子のある窓があれば、その向こうに部屋 があり、人がいるような気がする。一種の安心感がわく。塀で閉ざされた世界が、どこかに開放 されているような錯覚をもつ。 そのような効果をねらっているにせ窓であるのだ。 にせ窓は、一の錯覚による心理的トックだが、もっと心理的効果をねらったものとして、
である。 2 橙色の小ピラミッド・ ( クセイ・チャンクラン ・ ( クセイ・チャンクランとは、「翼で身を守る鳥」という意味である。かわいらしい名前である 平方の基台の上に、二層の基台と中央塔 が、祠堂も橙色で、小ぢんまりと美しい。二七メートル がのっており、 全体の高さは一五メートルある。九四八年、ラジ = ンドラ・ヴァルマン二世の建 立にかかる。 基台各層・入口・まがい戸は砂岩、神殿の他の部分は煉瓦でつく 0 てある。アンコー トなどの大建築とちが 0 て、石材の色までよく吟味してある小建築である。 橙色の美しい形態で、緑の樹の奥に謙に建 0 ている光景が、とくに晴れた熱帯の青空の下 では、美しく見える。 舞姫と聖剣の寺院プラ・カーン 。フラ・カーンとは、国の守り本尊の「聖剣寺院、の意味である。現在、。フノンペンの宮殿にあ る聖剣が、ここにあ 0 たものかどうかは、わからない。一一九一年、・ ( イヨンや王都の建設王が、 チャム軍を撃退した戦勝を記念し、あわせてチャム軍に悩まされつつ死んだ父王を祀るため、建
しかし、このタ・プロムは「発見された状態のままの遺跡ーの標本として、修理されない状態 を、保存 ( ? ) している。 ここには、人間の懸命な努力の結品たる建築と、自然のままの樹木の暴力との決闘が見られる。 碑文によると、ジャヤ・ヴァルマン王によって一一八六年に建立された。この重要な寺院の建 築には、三、一四 0 部落から七万九千三六五人が動員された。二六〇の神像が彫られ、三九の塔、 五六六の石づくりの小祠堂、二八六の煉瓦づくりの小祠堂が、造られた。ラテライトの濠の長さ ひろ は、二・七〇一一尋 ( 約四キロ半 ) におよんでいる。 寺の宝庫には、五トンに及・ふ純金の器、五一二本の絹の反物、五二三本の大日傘が蔵められて いた。寺には、十三人の僧正のもとに、聖職者は僧二、七四〇人、見習僧二、二三二人、寺院専 属の姫六一五人のほか一万二千六四〇人もの人々が住んでいた。 父王のためにプラ・カーン寺院を建てた王が、もろもろの供養とともに、今度は母を祀るため にこの寺を建てた。親孝行の王であった。 建物の中庭にゆくと、これが地上かと思われるような光景である。横幅の大きい熱帯樹フロマ ージェ ( 現地名スボアン ) が、最長径五、六メートルほどもある幹を、いくつも並ばせている。 ョット港のヨットの群の中に立たされたような感じだ。よくみると、その幹は参道の石だたみの 上にはえている。壁を半抱きにしてはえている。石群をかかえこんではえている。はえるという