「稍小さな孱弱な身體は長く、 弱い脚と、大きな翼を有ってゐる、頭部は異常に發達し、瞽しく 大きな島冠で「、レえ 万 ) と巨大にして強力な尖端の鏡い釣从の嘴を以て武装されてゐる、森の低い處 を一羽父は多くとも一「三羽で、音もなくゆっくりと飛 【を。琳翔する、僅の傷でも死ぬる、カナリュムの樹を最も好 み、重い槌で叩いても割れぬ様な堅い實を巧みた方法で 食べる」。 私達がこの島をナビレの山奥で見たことは前の日記に も記した、その頭部の冠毛を立て、颯爽として枯木の枝 に止まった雌雄が互に戲れてゐたのは壯観であった。 この他、羽毛が白色で黄色の冠毛を有する體の大きな 島 ( Cac ミ ~ ミミを ) は到る所に多く、朝夕、森のあち っ 1 照久土人 こちに騒がしい大きな嗄聲で飛んでゐた、父羽毛が五色 に彩られたルリ島はその種類多く、特にヘ 1 ルフィンク 灣の北部にある島々には人眞似の巧な種類を産するので有名である。 乂インコの大形のものは學名をミま 2 。 ctora (ST. MUELL ・ ) と云び、その羽毛の濃赤色な一 317 ー
植物園の D 「 . c. G. G. VAN STEENIS 氏は顯花植物一一三四科、一一五〇〇屬、二萬種 ( 蘭科植 物、五、〇〇〇種を除く ) と概算してゐる、從って = 1 ギ = ャ植物の實在種數を一萬ニ千内外 とするのは正當であらう。 次に = = 1 ギ = ヤに産する植物中最も多くの屬を含む科を掲記すると次の通り。 三三屬 Palmae ( 椰子科 ) Orchidace ae ( 蘭科 ) 二五屬 Sapindaceae ( ムクロジ科 ) 四八屬 Compositae ( 菊科 ) Melastomataceae ( ノボタン科 ) 一一一屬 四七屬 Rubiaceae ( アカネ科 ) 文最も多くの種數を有する科は次の通り。 二六四六種 Orchidaceae ( 蘭科 ) Gesneraceae ( イハタバコ科 ) 一八〇種 一七九種 Ericaceae ( シャクナギ科 ) 屬のうち最も多くの種類を含むもの次の通り。 7 ) き ( ぎぎ m ( 五七五種 ) トきさ ( 凡八〇種 ) 固有植物 ミ 6 ミ ( 五五〇種 ) ( 以上蘭科 ) さミ ( 凡六〇種 ) ( 以上シャクナゲ科 ) Myrtaceae ( テンテンクワ科 ) 一七一一種 Zingiberaceae ( メョウガ科 ) 一五 O 種 ー 233
科に於ては隣接の濠洲に Cepha10taceae' Tremandraceae' B 「 unoniaceae 等多くの固有科を有す一 るに反し一一コ 1 ギニヤには一つも固有科が無い。 屬では六八七屬中、固有のもの八一を算し一一・六 % の割合となる、若し準固有馬ニ五を加へ ると一〇六屬で一五・四 % となる。之れをヒリッピンの一、三〇八屬中、固有三五を有するに 較べるとニュ 1 ギ = ヤのフロラの固有屬は遙に高卒であり、夂ポルネオの一一五二島中、四七 の固有屬に較べても = ュ 1 ギニヤはその卒が高い。 種では固有種四、六一四で、既知種の八四・七 % に當り、ヒリッピンの七六・五 % ( 七、六ニ 〇種中、固有種、五、八三一 l) に比し是亦高率である。 顯花植物の一科に含有する平均屬數は一一・三五、種數は九ニ・七、一屬に含有する平均種數 は八・一六である。 次に近接地域との類縁關係を見るとアジャ大陸系が第一位で、この區系の植物は低地のみなら す、高地帚にも多い。之れに亞ぐは太平洋系、遙に下って濠洲系が第三位を占めてゐる。 一一ユ 1 ギニヤのフロラが地理的に最も近い濠洲に近縁關係が薄く、却てアジャ系が強く出現して ゐる事實につき、ラム博士は A. WEGENER の大陸移動詭に賛する S ミ日 S 【 BINGA の假定説を引 用し次の様に明してゐる。 ー 234
次に服装に就き一言し度い、熱帶は寒帚の様に周到な準備は必要が無い、だが陽光の強烈な高一 温で多濕の地方を旅行するには之れに適應するものでなくてはならぬ。 野外では上着を必要とせぬが餘り薄地のシャツだけでは光線を透し易く、發汗すればその蒸發 を促進するから不可である、厚地の純綿布がよく、理想的なのは薄地の純毛製のものであらう。 履物は一番大切である、一行の多くはゴム底のカンバス靴、乂は地下足袋に卷ゲ 1 トルを用ひ た。然し私は終始、皮靴と革ゲ 1 トルを使用した、固より各人の好みによるが靴、革ゲ 1 トルは 河川の渡渉にも、叢林や草原の跋渉にもエ合がよく殊に革ゲ 1 トルは毒蛇や山蛙の防禦となり、 夂一度水に浸っても直ぐに乾燥するから好結果であった。 宿營用具としてテント、折疉式べッド、毛布、金巾製蚊帳、炊事道具一式を揃えた、テントは エジプト綿製のものでない限り役立たなかったことはアンギ旅行で經驗した通りであった、炊事 器具のうちカンバス製バケツは非常に役立った。 食糧品は米、砂衛以外は殆ど内地から持參したが、實際と計畫とは違ひ、不足の品と剩餘の品 とが出來た。 救急藥も一揃持參し、マラリヤ豫防のキナ、アテプリンは爪哇で求めた、メンソレタム、絆創 膏、繃帶類は豫定以上に消費が嵩んだ、蚊取線香の持參も助かったが森林中では不思議なほど必 ー 230
一一ユ 1 ギ一一ヤの植物が濠洲と共類縁が薄弱であることは前にも明したが、反之、動物は濠洲 と極めて近似する。共多くは古い型のもので新しい型は少い、哺乳動物中、猿類、有蹄類、食虫 動物、齧齒類を缺き、猛獸が棲息しないことは共特徴である、古い型にはアリクヒと云はれるハ 細長い嘴を持って居 リモグラ ( こき》 Za ミま ) 及び有袋類がある、前者は體に刺があり、 る。ニュ 1 ギ一一ヤに有袋類の多いことは濠洲と同一である、此内カンガル 1 ( 土名ラウラウ ) はそ の尾を支へとして直立する不思議な姿態が、古い昔から知られて居た、その種類は甚だ多く、今 囘の探檢旅行でも數匹を射止めた、樹上に棲息する有袋類は特にその種類に富む様であり、有名 なクスクスもその一つである。面白いことには、我々が植物標本を探る爲、大きな樹木でも伐り 倒すと、土人は直に稍の方に走って行き、樹の枝に隱れて居るであらう此有袋動物を探す、捕へ て來れは彼等はタ餉の食料にする。此樹上の有袋類には鼠位のものが多い、所謂、袋鼠かも知 れぬ、この類の一種を私は内地迄持ち歸った、その袋は極めて小さく、幼兒がこの袋に這人り得 るものとは考へられぬ、或は退化したのかも知れぬ、果して然らは同じ有袋類でも袋の中に幼兄 を入れるものと、入れぬものとがあるのでは無いか、今もなほ疑問に考へてゐる。 匂鳥 禽島類は最も人目に着き易く興味も亦深い、その種類は甚だ多いに違び無い。島類學者の説明一 305 ー
色のツリフネサウが喰き亂れてゐた。 湖畔の濕原を岸に滑ふて一キロばかり進んた、珍しい大きな蝶が只一つ空を飛んてゐた。此湖 日 ~ りがよく風當りが少いので 畔の稍々凹人した岸邊にノ 1 ス・ポ 1 ルと名づくる地點がある、 、 5 出 = を、↓ , 1 ,. った、私達は先づに腰を下し今日の 屡々十ャンプの場所となり、さやかな苦カ小屋が一 ) 疲れを休めた。 ー 166 ー
ネオシーン 多の高い山が聳えてゐる、この大山脈が新生界時代に出來た褶襞であることはその當時の有孔蟲 の多くが傷くか、或は破壞を受けてゐることにより證明が出來る、これを同一成因により出來た アルプスやヒマラヤに比ぶれば遙に新しい。 中央山脈によりニつに兩斷せられた南北の兩地帶のうち、北部は山岳多く、南部は一般に低濕 地であり、フライ及びヂゴ 1 ル河は八字形をなし口を夫々、東、西に開き海に注いでゐる。 北部海岸では濠洲領にセピック河あり、蘭領にマンべラモ河がある。マンべラモ河はその源を恒 メャアラ〃ト 雪山脈から發し、東西三百キロの湖原に於て東から流れ來るイデンプグ河と西より流れ來るル 1 フェャ河とが一直線に合流し、海岸に平行して走る山脈の間を拔け、ロンべバイ湖に水を分った後 海に注。 、く、此河は北部 = ュ 1 ギ = ヤの最も重要なもので水利により將來の開拓が期待せられる。 = ュ 1 ギ = ヤの氣候は大體無風帶であるが、何時でも鏡のやうなことばかりは無い、モンス 1 ン の期間には風波があり、大きな船も動搖する。 一年中の氣温は變化がなく普通は攝氏一一五ー一一七度で特に北部は濕氣が多く蒸し暑いが、南部 のメラウケ及びポ 1 ト・モレスビ 1 では乾燥するので凉しい、尤も、北部では日沒後、氣温が下 がり夜間は凌ぎ良く、朝方になると濕度は飽和从態にまで達する。 高地帚の氣温は海拔一五〇〇米までは、一〇〇米毎に、〇・六度宛低下し一五 0 〇米以上の高さ一 209 ー
比し餘りにも立派であったのに一驚した。尤も北部海 頭岸の。 ( プアは南海岸の者に比して悪いのではあるが、 一般に女は幼時によく發育し、成人すると惡くなり、 矛男女とも胸が著しく厚味を帶びてゐるのが目につく。 ネ山身長は一六〇糎内外で、マレー人と大差は無い、腰部 以上の筋肉が逞しく發逹してゐるに對し、脚部が細く 鶴の様なの が少くな い、學者によると、彼等は海岸や低地で絶えす丸木舟【「第イ〕 で往來する爲だと明するが、山中に住む。ハプアも殆 ど同様なのは不思議で、彼等は鶴の様な細い脚で、狹 い山路や樹林の間を巧に潜り、如何にも身輕な足取り で坂道を上下するのを見ると、寧ろ山地居住に適する 爲、脚が細くなったのかと思ふ様であった。 - 一ユーキ - 一ャ保信 No. 183 マネキオン婦 ( 金 ) ー 289 ー
へ旅行するんでお訣れせねはなりません、園内は一つこれから私が案内しましゃう。」 と、着替への爲め奧へ這人った、私は室内に列べてある標本を眺めた、園長が室に歸ると氏は 棚の上から大きなへウタンの様な實を取り上げ、「これを御存知ですか」と中から一つの種子を取 り出した、種子には大きな膜質 。元な 一根樣の堯があった、その種子を口元 」丸 ) に近づけブットと吹いて手から を 3 み樹平 、し 離すと種子は見事に空中滑走し 砲 第 ) 産を物 た。私はこの不思議な種子は何 」一カ序 。フらであるかと尋ねると・ 0 ー - ら第ン、幹け nonia ミ a 0 ミきと云ふ大きな イ・ , こ 0 近をツルであることを敎〈て樊れ た。 園長は自分で車を運轉し園内を案内した、園の手入れがよく行き屆いて居ることは昔と變りは 無い。園の東にあった藪はすっかり切り拂はれて靑々とした廣い芝生となり、止の上には氣のき いた。ハビリョンが出來て居た。
る。 四月ニ十日 ( 滯在 ) 睛、最後の荷造りをした。 農場の岩田君から一一ユ 1 ギニヤの土人彫刻五體を贈られた、素朴な出來で珍しい參考品であ 乂かねて依賴中のルリ島が手に入った、人語を眞似、頻りに喋べる可愛い島である、この島は ニュ 1 ギニヤ本土にも居るがヤッペン島産が一番よく馴れると云ふ、これも日本まで携へ歸った。 ・ハプア語を喋り特にその笑聲の眞似が迚も上手であったが、これ亦氣候が凉しくなったある日の こと急死した。 四月ニ十一日 ( 滯在 ) 未明に起きた、一點の雲の無い室に滿月が西の山に懸ってゐた。 朝食後、農場員の野球仕合があった、賴まれるまゝに私がそのアン。ハイヤ 1 、炎天下の芝生の 上で競技は元氣刺として行はれた。 夕、私は滯在中の厚意を謝する爲め農場の若い人建を招じて會食した。 ー 196 ー