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検索対象: ニューギニヤ探検 改訂版
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1. ニューギニヤ探検 改訂版

内外、各企業當り平均ニ〈クタ 1 ルとなり、古々椰子、珈珈の外、食料作物として陸稻、玉蜀黍、一 タピオカ、甘藷、豆類が收穫せられてゐる。 保健と衛生 = ュ 1 ギ = ヤの衞生从態は如何、マラリヤは最も普遍的でマンべラモ ( 一九一一〇ー一九一三年 ) 及びヂゴ 1 ル河 ( 一九二八 ! 一九二九年 ) の探檢には、兩地方とも相當高い罹病率であった。マラ リヤに對し。ハプアは小供の死亡率が高く、成人した者は抵抗が大きい爲か、死亡卒は低い、然し 々罹病すると危險な黑水熱を誘發する。マラリヤを媒介するアノフェレス屬は、ニュ 1 ギニヤ では十四種が知られ、就中」き p 、 ~ e ミトミミ、ミミま var ・。 c ミ ~ は重要で、幼虫は陽光の當る 水中に繁殖し、原始林中では發見せられない、然し樹木を伐り開き、陽光が射入する様になると 發病率はのぼる、父大河の沿岸にある森林中には、アノフェレスが多いから注意せねはならぬ、 醫者は豫防藥として毎日、鹽規〇・四ー〇・六グラムの服用を奬めてゐる。 脚氣は探檢中、。ハプアが白米やサゴのみ食すると發生するが、ヴィタミンの缺乏であるから その豫防は容易である、梅毒、淋疾は比較的少い。一九一〇ー一九二〇年、マリング族の間には 鼠蹊肉芽腫ミ ~ ミをミ ~ きミミミ父は、や。き ~ をミミ e が猛威を逞しふしたことがあり當局 者は一家宛の仕宅を奬勵した爲か現在は著減した、現在、多いのはフレッドリック・ヘンドリッ ー 342

2. ニューギニヤ探検 改訂版

類以下 ) の RENDLE(Urt. ), Id きき GIBBS ( MO m. ) ミミミミき oe GIBBS (Aral•) 、 0 ogy ミ BAK. f. (Melast.), の四新屬と一百の新種を發表した、なほ一新科を創設したが、この科は後に至り、他科に入れら れ消失した。その探集標本の數に比して新發見の種類が如何に多いかを窺ふことが出來る。 我々の今囘の探集は、ギップス女史と殆ど同一の行路であったと思はれるが、當時と今囘とは、 旅行の難易に格段の差があり、從って採集に全力を盡すことが出來た。印ち吾等の探集標本種數 六十で、ギップス女史の二倍牛以上に當って居る。 今囘アンギ地方探集の結果、次表の如き同地産新記録屬を得たのみならす Hamamelidaceae に 屬する」 5 ミ一 3 きミの新屬を發見した。同表中ミ b Oc ミミ、及び新屬」ミごきま はニュ 1 ギニヤの固有屬であり、父 c . ト 96 》 P ミ 0 ミ des は今囘の採集により ニュ 1 ギ = ヤの新記録屬となった。なほこの地採集品中、木本の新種は相當多數に上る見込み で、後日の發表にまっことにする。 ー 261 ー

3. ニューギニヤ探検 改訂版

はタ餉の仕度をして哭れた。夜に入って雨の音が 烈しくなった。 四月十日 ( 森林のビ 1 ・ 五時牛に起ると兵隊はもう食事中で、苦カ達は べッドの片付け、辨當の準備を終へ、六時牛出立 の用意がキチンと出來上がった。 ・と同 ノ 1 ス・ポ 1 ルの小屋からの歸り道は往路 じで私達の感興は少かった、ミス・ヌックの急坂 も一息に登った、峠で暫く腰を下ろし冷い風に當 りながら再びこの美しい湖水の眺めを恣にした 後、歸途を急いだ。 平地林を歩いて急坂に差しかゝると陽を斜に受けた山道は春の様な閑かな暖さで、眼前にラン シキやワ 1 レンが現はれ、過日遊んだルンベルポン島が海上幽かに浮んでゐた、乂右手の海ハ へ 1 ルフィンク鸛に滑ふ山々は紫紺に霞み、無名の高山は鋸の齒の様に巍峨としてその頂を雲間 9 に見せた。 No. 149 前景の柿物はランダイワラビ ( 其二 ) ( 金平 )

4. ニューギニヤ探検 改訂版

けは今もなほ。ハプアが擔送して居る筈、毎日四十臺の飛行機が短距離ではあるが、六千呎の山を越 えて往復してゐる様は壯觀であった、此飛行機に より當時ですら金鑛その他の貨物一ヶ年六千噸、 金 一萬人以上の乘客を運搬してゐた、その運賃は一 九一一八年頃、一人の往復賃金三〇磅、荷物は一封 度、十ニ。ヘンスであったが現在はその三分の一位 になって居る。 プロロ川の金鑛が開發せられて以來、その探査 飛 のは益々活淦な動きを見せ、現在はセビック河とフ ウライ河の分水嶺が有望視せられ、多くの探檢隊が ワ入込んで居ることは前にも述べた、反之、蘭領側の 鑛物探査は甚だ振はない、その原因の一は鑛業法 の不備と不適當とに起因する、「砂金の土を皿に人 れて洗っただけでも罰せられる」と云はれる位や かましい法律は、鑛業を奬勵、助長させるのでは一 331 ー

5. ニューギニヤ探検 改訂版

綱、澁壜、野帳、荷札及び番號札、採集袋、胴亂。 キャン・フ用ランプ、石油鑵、燭、懷中電燈、救急藥、キナ鹽、アテプリン、繃帶、檢温器、メンンラ 類、蚊取線香。 寫眞器類 ( シネコダック共 ) 、フィルム、最高最低寒暖計、 る氏 磁石、防水布。 着替の下着、シャツ、靴下及び毎日使用する化粧具 進類は一纏めにしてプリキ鑵に入れた。 これ等の荷物はその大きさと重さとを參酌して分配 し苦力の持分を決定した後は、探檢中終始、當がはれ た荷物を既に搬することに夬めた。 携苦 出」ま川、」 ) 物を分配した後、象行の爲め各自 の荷物を擔いで歩かせて見た、その結果、多少の加減 をなしつゝ不公平の無い様にしこ。 私逹一行の一番心配したのは雨であった。熱帚地の豪雨は想像も出來ぬ位烈しく降る、防水布 など直接雨に當っては何にも役立たぬ、着類や白米、新聞紙その他濡れて困るものはプリキ鑵

6. ニューギニヤ探検 改訂版

した、私は只默々とム君の後を追ふた。 雨が止み室がれかゝった頃、湖畔の密林迄下った、倒れた樹に腰を掛けて元氣を取り戻し持 參の辨當を開いた、時計は一一時を過ぎてゐた。 湖畔の密林を過ぎ草原に出た、路傍の樹の頂に美しい深紅色の花を密生した一本のフカノキ 2 ミミご ) が立ってゐた、兵隊は劒を拔いて直ぐ切り倒して哭れた、 私達が女湖の美しい景色を左に見ながら山の裾 を進むと水面に數羽の鴨が遊んでゐた、鰐岬と呼 一はれる湖水に突出した岬を迂廻して藺の茂る濕地 をザブザプと歩き、前に泊ったノ 1 ス・ポ 1 ルの 宿營地に着いた、陽は大分酉に傾いて居た。 湖 今夜泊る小屋は瞬く間に出來上った。雨が父や ン って來た。 今日の行程は私に取っては一番の難行路であっ d た、然し初島君に取っては收穫の一番多い日であ った。標本の整理が相當忙しいのにも拘らす同君

7. ニューギニヤ探検 改訂版

に入れ、 食料の罐詰はリックに詰めた。アルコホ 1 ルの鑵入は失敗した、苦力が坂道を上下する一 と必十岩や樹の根に鑵を打ち當てるから直ぐ穴を穿つ、鑵の四隅に竹を割って當るか、或は寧ろ 察壜に詰めて運搬した方がよい。 社って明日の準備を了し、タは充分の睡眠と休養を取る爲 ら 400 ト , 行め早くべッドに人った。 のダルマンへの探檢 のニ月ニ十セ日バイヤ ) ・ ( 矗、【」し ' 物宀び」民 ~ こ出愈《ダルンに出立する日を迎〈た、往復十六日間の な豫定で計晝が進められ、その日程が出來た。 朝、雨島の鳴聲が森から聞えて來た、五時半起床、 ンと珈琲の朝食を濟ませ、宿舍の前に集合した、四十七 : - 人の苦カ達も隊を揃へて吾等と一所に進發する筈でわっ ュして仕舞った、途中で落合ふのであらう。私達の探集道具は小供達に持た たが何時の間にか出 ~ 、 、世話をしてゐる様はいちらしく せた、此の小供達の母親が見送くりに來て何かと注意をしたり 0

8. ニューギニヤ探検 改訂版

るのは監し當然である。 一九四〇年、和蘭の王立地質協會は數年前ウィッセル氏により發見せられた Wissel 湖の探檢 を行った、ア 1 チボルド探檢の影響もあったことゝ思はれるが、水上飛行機により湖面に着水し て周圍の調査をした、爪哇、 : オ植物園の Dr ・ J ・ EYMA がこの探檢に參加して多數の植物標本と材 鑑を持ち歸った。私が探檢から歸ったばかりの同氏にポ植物園で面會し、その標本の多數を見せ て貰ったことは前にも述べた。 ニ植物界 植物文獻 ニュ 1 ギニヤの植物文獻に就きては Dr. H. J. LAM が "Blumea"I, 一 934 に列記する様に相當 。、、特記すべきものは次の如きであらう。 「 NovaGn 一 uea 」は前にも記した様に蘭領ニュ 1 ギニヤの研究に無くてならぬ文獻で各部門に分 れて居る、今參考の爲、左にその書名を掲記する、 一九〇三年度探檢報告 (Prof. ARTilUR W 【 CKMANN) 第一ー一一卷ニュ 1 ギニヤ發見史 Entdeckungsgesichte von Neu-Guinea ( 1909 ー 1912 ) ー 223 ー

9. ニューギニヤ探検 改訂版

此黒膚の人種は = 、 1 ギ = ・ヤ特有では無く、南濠洲の一部にはエチオピヤ人に似た濠洲ネグロ、 北方比島のネグリトの如き、黒書の人種が僅少ながら存在する、是等の種族が五に血縁を有する や否や不明だが、専鬥學者の診明によると、膚色、毛髮、頭顱の形妝等は同一の種族内では不變 性のもので、ある程度迄は區リ ) 毀 とすることが出來ると云ふ點から察す れは、是等諸地方の人種には何等かの よ關係があるのかも知れない。 アフリカのネグロは一に「黒人」と 、、「 = 《ワの呼ばれ。 ( プアに對し「西の黒人」とも云 はれるが、之れは全くの純黒で「黒世 界」の名を有するに反し、 = ュ 1 ギニ ヤの。ハプアは黒人ではない。乂ネグロには白子が少いが、ニュ 1 ギ一一ヤの士人には屡々白子が發 アルビニズム 生する、學者の説によると、こい白化症は一つの遣傅であり、その遺傅はメンデル式單劣匪に和 當し、血族結婚者聞に多いと云はれる ) 私は山中の苦力の中にも、海岸の部落や港の埠頭でも 度々白子に出會した、その發生の割合は相當高いのであらう。此白子の皮膚はバラ色の多數の黄一 アルピ /

10. ニューギニヤ探検 改訂版

進言に基き = ュ 1 ギ = ヤの南部、西部、北部並にマンべラモ河流に探檢を行った、その主目的は ナ地質、人種、人類學的探究で厖大な報告となって現はれた。 九三六年 その後は飛行機を利用して探檢することが計畫せられ、一 十二月 WISSEL, COLIJN, Dozy の三人は通路を空中から偵察して置 き、豫め適當な地點に食糧を投下することにより、最高のカ 1 ルステ ンツ峯の頂上を極め、探檢史上、エボックをつくった。 か様に一一ユ 1 ギニヤの内部は次第に明くなったが全然未踏査の地域 がどの位あるかと云ふに政府の報告によると、蘭領ではその全面積三 上八九八〇〇キロ平方米のうち山地三七二〇〇キロ平方米、低地一六八 同〇〇キロ平方米、合計五四〇〇〇キロ平方米が人跡未踏で、印ち全面 積の凡一四 % に相當する。乂濠洲領ではその全面積の四一三三〇〇キ ロ平方米、そのうち高地四〇五〇〇キロ平方米、低地二一五〇〇キロ 平方米、合計六一一〇〇 0 キロ平方米が未踏査地で全面積の凡一五 % と なってゐる。 夫に蘭領 = = 1 ギ = ヤに於ける植物方面の探檢及び採集は如何、是は可なり早くから行はれて一 No. 158 213 ー