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検索対象: ニューギニヤ探検 改訂版
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1. ニューギニヤ探検 改訂版

・、リ己リ 1 兄弟と共にハ 1 ゲン山東側を踏査したことがあり、その報一 到着した。氏は一九三三年前言 告は一脣正確なものとなった、印ちこの探檢によりマ 1 クハム河とピュライ河の兩源頭の西方に幻 廣く展開する肥沃の高地帚を發見したことであった。 蘭領 = ュ 1 ギニヤの探 檢史中特筆すべきは一九 一〈〇三年から一九二六年迄 こ一・イ數囘に亘り蘭印學術協會 前 の主催で蘭印政府援助の 一連景 九を光元に行はれた探檢であら 一人の でク時う、その結果は后記の 7 檢ャた 探イめ「 NovaGuinea 」となって ・囘ダ極 、三がを現はれた。 父この探嶮と時を同ふした一九〇六年、當時の蘭印總督であった VAN HEUTSZ の顧問として 一一ユ 1 ギニヤに派遣せられた Kaptain H. COL 【ジ ( 後の和蘭の總理大臣 ) は組織探檢の必要な ことを認め、その實行を總督に慫慂した結果、一九〇七年より一九一四年迄、蘭印陸軍省はその NO, 215

2. ニューギニヤ探検 改訂版

一一ヤは八千五百七十トンである、尤もこのうちには、大陸附屬の島嶼から産出するものをも加算 してあるが、大陸だけに就いて云へば、蘭領はニ千三百五十トン、濠洲領は二萬一千トンであ る。 蘭領と濠洲領との産物の種類は殆ど同一であるが多少の例外はある、ダマルは蘭領から千六百 三十六トン ( 一九三五年 ) を産出してゐるが、濠洲領は僅に四百九十四トン ( 至一九 = 一五年 ) に過き ぬ、乂濠洲領から象牙椰子の實 ( ミトまも・ ) 二十四トンを出してゐるが = 僅少の額だがⅡ蘭 領には無い、之れに對し、箙及び肉豆は蘭領から少額ながら輪出するも濠洲領は皆無である。 自一九三四年 ) 父蘭領側からは木材四百四十五トン ( 至一九三五年、マ , ソャ樹皮 ( 同上 ) 六十八トンの楡出が あるに過ぎぬ。 輪入の大宗は米と維貨であり、前者は主にサイゴン米である、この他、肉及び魚罐詰、煙草、 綿布、金屬製品、ガソリン等がある、我國からは綿布、鰯罐詰、金具類が楡出せられてゐる、こ のうち土人用の日本製製物は彼等に最も評判が惡い。 貿易が交通の發逹と、不印不離の關係にあり、濠洲領 = ュ 1 ギ = ヤが距離に於て濠洲に近く、 各地に整備した港灣を有してゐることは、自然に船舶の出入を便にし、蘭領側より遙に有利な地 7 位にある、從って濠洲の大會社 BURNS PHILIP 陸 CO. や CARPENTER Ltd ・の如き、自分の一

3. ニューギニヤ探検 改訂版

前表により一屬中多くの種數を含むものは , ( 四七種 ) 、き。、 ( 一七種 ) 、。 ~ 。を ( 一七種 ) 、ま ( 一五種 ) であった。 なほ探集植物中、一「三特記すべき點を擧ぐれば次の通り 羊齒類の採集品が最も多いのは植物の普遍性を示すものである、この標本は目下、東京帝大理 學部の伊藤洋理學博士の手によりて研究せられてゐる、木性羊山の十一種は佝れも高地帚の探集 である。 アカネ科は採集植物の中、第一一位の數を得た、木本と草木を含むが木本のものが多い。 蘭科は第三位にある、我々の採集地域では殆ど着生蘭で地上蘭は極めて稀であった、蘭科は熱 帶のフロラの重要なものであるが、 = 1 ギ = ヤの蘭は一一千五百種以上に達すと云はれるほど種 類に富んでゐる、蘭科は專門家が採集すべきであらう。採集標本は羊齒類と同様、東京帝大、理 學部、津山荷學士の許で研究せられつゝある。 タコノキ科中烏ま屬は昭和十四年、東京帝大、農學部の猪熊農學士が採集し、その研究 を私に委ねられたので、今囘の採集には甚だ役立った、猪熊學士の採集品中には四新種があった が今囘も亦、四新種が加へられる見込みである。

4. ニューギニヤ探検 改訂版

氣候温和な地にはアフリカ、ケ一一ヤの様な高地帶農業が出來るに至るであらう。 一一ユ 1 ギ = ヤに如何なる農業が適するかは、その土地の環境により決定せらるべきものである が、一應の試驗をする必要がある、蘭領 = ューギ一一ヤでは獨領時代に於てニュー・プリテン島、 ラバウルに一大植物園を設け、有用植物の栽培試驗と繋殖とに力を入れた、濠洲委任統治領とな ってからはその近郊ケラバットに可なり大規模の試驗場を設け、ココア、油椰子、コ 1 ヒー、果 樹類、藥用植物等の試作を行ってゐる、然るに蘭領側に於ては、前記ランシキの宜營ゴム園以外 に何等の試驗場がない。ニュ 1 ギ一一ャ開發の先驅は何よりも先づ試驗場の施設が急務 0 ある。 勞働問題 。ハプア人凡三十 次ぎは勞働間題である、蘭領ニュ 1 ギ一一ヤの面積はスマトラ島と稍等しく、 萬、一平方キロにつき一人未滿の稀薄さであり、勞力不足は一番の大きな惱みである。 隣接の濠洲領一一ユ 1 ギ = ヤは蘭領とほゞ同一面積で、。ハプア人三十萬餘 ( 推定なれど。ハプア領 では二十七萬、ニュ 1 ギニヤ領では十五萬人 ) で蘭領に比し多いが、白人以外の勞働者の移仕を 禁止し、その勞力は全部。ハプアに依存して居る。その産業は蘭領に比し格段の差があり、年産七 百萬トンのコプラ、一一百萬磅の産金の外、林産物も海産物も著しく多い。 濠洲領 = ュ 1 ギ = アが蘭領に比べて開發の進んだ原因の一つは、前者は契約勞働者を使用する一 339 ー

5. ニューギニヤ探検 改訂版

植物園の D 「 . c. G. G. VAN STEENIS 氏は顯花植物一一三四科、一一五〇〇屬、二萬種 ( 蘭科植 物、五、〇〇〇種を除く ) と概算してゐる、從って = 1 ギ = ャ植物の實在種數を一萬ニ千内外 とするのは正當であらう。 次に = = 1 ギ = ヤに産する植物中最も多くの屬を含む科を掲記すると次の通り。 三三屬 Palmae ( 椰子科 ) Orchidace ae ( 蘭科 ) 二五屬 Sapindaceae ( ムクロジ科 ) 四八屬 Compositae ( 菊科 ) Melastomataceae ( ノボタン科 ) 一一一屬 四七屬 Rubiaceae ( アカネ科 ) 文最も多くの種數を有する科は次の通り。 二六四六種 Orchidaceae ( 蘭科 ) Gesneraceae ( イハタバコ科 ) 一八〇種 一七九種 Ericaceae ( シャクナギ科 ) 屬のうち最も多くの種類を含むもの次の通り。 7 ) き ( ぎぎ m ( 五七五種 ) トきさ ( 凡八〇種 ) 固有植物 ミ 6 ミ ( 五五〇種 ) ( 以上蘭科 ) さミ ( 凡六〇種 ) ( 以上シャクナゲ科 ) Myrtaceae ( テンテンクワ科 ) 一七一一種 Zingiberaceae ( メョウガ科 ) 一五 O 種 ー 233

6. ニューギニヤ探検 改訂版

6 貿易 一一ユ 1 ギ = ヤの産業はアジャ熱帶中最も開發が遲れ、特に蘭領 = ュ 1 ギ = ヤは濠洲領 = 1 ギ = ヤに比し、遙に立ち遲れの妝態にある、一 九三六年、蘭領ニュ 1 ギ = ヤの楡入は百三 ョ六萬三千盾、蝓出九十四萬九千盾、合計一一 百三十一萬二千盾、之れに對しー 、、シへ再ニュ 1 ギニヤは輸入百二十一萬八千磅 ( 一九三 四年 ) 、楡出二百六十三萬六千磅 ( 同上 ) 、合 ト三百八十五萬四千磅で、過去三十年間 蘭領は七割を坿加したのみであるに對し、 濠洲側は凡十倍の躍進振りを示し、このう ち前獨領 = 1 ギ = ヤが、坿進の大部分を 占めてゐることは注意すべきである。 コプラは = ュ 1 ギ = ヤの最も軍要な産物で、蘭領は四千五百八十六トン ( 一九三五年 ) なるに 1 ギ = ャ ( 前獨領 ) は五寓六千ニ百五十一ト ( 至一九三五年 ) 、。 ( プア・ = 1 ギ 1 三ロ

7. ニューギニヤ探検 改訂版

年、和蘭の探檢隊により發見せられ、一九ニ 一年一蘭人が始めてこの湖水を踏査した。 探檢隊の一行はアメリカ側の外に蘭印側 から昆學者、山林技師を始め一名の醫 」〕。 , 、》 4 」 . . 、隊師、四名の士宜等で、これにセレベスやア ンポン人の兵隊五十二人の外、ポルネオか ら態々連れて來たダイヤク族の苦力、爪哇 , 、 ~. 〉 = 、、 , ) 一、〉」 ~ ご【、 0 囚人 = 一十名等、合計 = 百人」達しⅡ之 等の人々に對する三ヶ月分の食糧そっ他の 必要品が室楡によりハッペマ、 、 ; 、」ッ ( オの森林をり弗って數ヶ所に々 テントを張りその一つは病舍に當てた。探 檢隊はウイルヘルミナ峯の恒雪線まで探集 し、後マンべラモ河の上流べリエムに移り 1 イデンプルグ川を採集しつゝ下ったら

8. ニューギニヤ探検 改訂版

最近一一ユ 1 ギニヤの開發が急に喧しくなり、蘭印政府もその必要を知りつゝ、前大戰後の財政一 不如意その他の關係で、今なほ積極政策を取るに至らぬ、政治機關を一暼しても解る様に、此厖人 な地域を一一分洲となし、僅に副理事官各一名宛を駐在せしむるに過ぎぬ、而してこの分洲を監督す るのはアンポン駐在の理事官であり、アシポン島からニューギ一一ヤに至る定期艢は、一ヶ月一囘で、 他は官船が隨時に往復するに過ぎぬ、隣の濠洲領 = ュ 1 ギ = ヤに比べると誠に雲泥の差である。 然しニュ 1 ギニヤは最近、その開發の必要が盛んに叫ばれる様になった、前記「ニュ 1 ギニヤ」 の大著が、出版せられたのもその結果の一であらう、本書の結論の一節には、 = ュ 1 ギ = ヤが蘭印 の防衞上、重要な位置にあることを述べ、日本の南進政策は幻想であり、日本が有史以來今日まで へゲモニー 國民の生活上、南洋には何等依存しなかったにも拘らす、今や南洋を「生命線」として共「覇權」 を主張することは平和と秩序を紊すものであると述べてゐる。 このことは最近に於ける蘭印一般の通念であるかも知れぬが、由來和蘭は學術を奪重し、乂そ の衿特を有する國柄であり、學術探檢に對しては理解と同情とを持って居る、今囘、私達の = ュ 1 ギ = ャ探檢に對し、當路の人逹が出來得る限りの便宜を提供し、父援助をして哭れた。 私達は、今囘多くの資料を持ち歸へることを得た、この貴重な資料を基礎として「暗黒の地域」 を幾分でも「開明の地域」たらしむべく努力し度いと考へてゐる。 ー 346

9. ニューギニヤ探検 改訂版

無く禁止させてゐると云ふても過言でない、然し何時迄もか様な从態に置くことはニューギ = ャ一 開發の聲が高まるにつれ、識者間にも問題となり、遂に一九三一一年、和蘭、蘭印の有力者が〈 1 グに會し「ニュ 1 ギ一一ャ委員會」を組織し、翌年から資源の調査を開始し、英濠シンジケ 1 トは 金、石油その他を探鑛し、ニュ 1 ギニヤ石油會社 ( スタンダ 1 ド四〇 % 、セル四〇 % 、アトラン チック二〇 % ) は石油を試堀することになり、現在タナ・メラとバブとが發堀せられつ、あるが その産額は不明である、兎に角、最近石油は蘭領側に於て、頓に活氣を呈するに至った。 = ュ 1 ギニヤは、内部の交通が長い間、閉されてゐる、故に地質調査が未完成であるのは已むを 得ない、 D 「 . J. Tw1ERzycK 【の調査した、蘭領 = ュ 1 ギ = ヤ、百萬分の一の地質圖は、一九三〇 年出版せられてゐるが、未調査の白地の部分も少くなく、又多少の誤謬があるにしても良くも遂 行したものと云はねばならぬ。この地圖の解説書によると鑛物資源にも一言し、石油、石炭、金 、銀、銅、燐鑛等賦存するが現在の處、石油を除いては有望のものは少いとなし、石油は構造地 質學上の見地から、本島の南斜面 ( 中央山脈以南 ) のみが經済的價値を有し、ヒ 余面では地脣が 直立してゐる故、構造上石油の噴出は望み薄たと云ふ、尤もこの調査以來、各地の事情が明かに なってゐるから、このが今日もなほ、成立っと云ふ譯のものではないであらう。 鋓は濠洲 = ュ 1 ギ = ヤの東南、ポ 1 ト・モレスピーに近いアストロラベ山から産出し、一九ニ

10. ニューギニヤ探検 改訂版

褐色のエッキスと温い牛乳とを盆に載せて持って來る、各自はその好む濃度に牛乳を加減して混 ぜる、香りが高く亦味もよい、然しその容器が大きく一杯飲むと朝の食欲を抑制する。 島影が少しも見えぬ、海の色が次第に美しくなって來た、小波が立ち、凉しい役風が吹く爽々 しい朝た。 私は今食堂の一隅にあるデスクで此日記を書く、スラバヤから放送の音樂が美しいメロデーを 送って來る、會々、艢長が私の儚に來た、 私「お早う、船長、この船は = ーギ = ャ通ひの結としては立派ではないですか」 艢長「いや、もう古い船なんです、廿六になった老孃なんです」 と答へた。私は私の乘った船名の Van lmhoff や Van Be 「 lange はどんな名かと訊くと 船長「蘭印總督の名をとって付けたんですが、近頃の新しい船にはつけません」 と説明して央れた。 今日は久しぶりに家信を書く、私の傍には夫妻の乘客がその可愛い娘と戯れてゐる。和蘭人の 乘客と云へば何れも偉大な體格を持ってゐるのに氣付く。一「三十年前頃は和蘭人は一般に運動、 スポ 1 ツを好ます、朝は起きぬけに。ハジャマのまゝの珈琲、八時に朝食、午食後は二時頃から四 時まで午睡、そうして茶をすますとヴェランダで大きな籘椅子に横はり新聞を見る、七時に食前