232 ヒースは声を上げるべきではなかった。 ヒトと罪禍の、どっちの都合を優先するかーーーあたしは罪禍の方を優先しちゃうーーー エステルはそう言った。 だか、こう尋ねていたなら、彼女はどう答えただろうか ? ーーー自分とヒースたちなら、どちらを優先するか 振り返ったエステルの顔には、わずかな焦りの色が浮かんだ。 シュンツ 紅い円環が弾け、エステルの姿が消失する。 つかまって」 怒りに身を任せても、エステルはヒースたちを見捨てられなかった。 「俺たちはいいから、早く逃げーーー 「ーー・ひははっ ! 隙だらけだよー そのわずかな隙に、エリオットが頭上に飛び上がっていた。 ほとばし そして、その脚甲に蒼の光が迸る。 「消し飛ばせーー《フィッシェ》 空から、蒼の光が降り注いだ。 〈門〉を開いたエステルは、ヒースたちの後ろに移動していた。 さいか
194 うぶげ スラリとした肌は純白で、産毛が生えているかすら疑わしい。本当に女性ではないかと疑い たくなるほどだった。 「私は、見たんです。本当に : : : 」 うろた 狼狽えるラリに、エリオはやんわりと切り出す。 「話を、聞いてもらえるかな」 緊張を孕んだ声で、エリオは言う。 「彼女 : : : ラリさんは、見間違えたわけじゃないんだ」 「 : ・・ : ど、つい、つことかしら ? 「ボクはーーー」 「ーーアフナール様 ! さえぎ エリオの声を遮るように、ひとりの男子生徒が駆けてきた。 「あとにして。今はそれどころではーーー」 「た、大変です ! 一年のマナ・ベルグラーノが ! 」 その名前には、ヒースだけでなくルチルもエリオも顔色を変えた。 「マナかどうしたと ? 「ゆ、誘拐されました ! 」 チラリとエリオに目を向けてから、ルチルが問い詰める。
123 剣刻の銀乙女 2 「ははは、ずいぶん寛大じゃないか」 乾いた笑みでそ、つ一一 = ロうと、エステルは自慢げに大きな胸を張った。 「王たるもの、それくらいの度量は見せないとねー 「道化師じゃないの ? 」 「んー ? 本当だ、なんか、こっちは道化師のあたしじゃないみたい」 そう言って、エステルはまたケラケラと笑った。 そうか、エステルは道化師だけど、魔王でもあるんだよな。 ヒースは、彼女の道化師としての顔しか知らない。 しかし今見せた表情はーーー思えば本日はいくどとなく見ているーーー魔王としての顔だったの ではないだろうか。 危ういのは、こっちもいっしょだなあ : それを恐ろしいと思う気持ちは、確かにある。 だが、それゆえにそばにいたいと想うのも、事実だった。 ヒースとエステルが部屋を出ると、外はすでに陽が暮れようとしていた。 そこでちょうど出くわしたのは、マナだった。 「あ、お兄ちゃん、エステル先輩も。ちょうどよかった」
「エリオ、あとは俺がーーー」 さいか ヒースは槍を構えるが、罪禍の方がわずかに速かった。 武器を失ったエリオに、罪禍の爪が襲いかかるが ゴリツーー・罪禍の顔面を、靴の踵が抉っていた。 エリオの、回し蹴りだった。 「ーーーヒュッ 鋭く息を吐くと、そのまま地面に打ち下ろす。 罪禍を、蹴り飛ばしたっ ? 地面に叩きつけられた罪禍はすぐさま身を起こすーーーはずが、ガクンともう一度倒れる。 まるで手足の使い方を忘れたようなもがき方から、ヒースはその原因に気づいた。 のうしんとう 脳震盪 ? きようじん 蹴りと地面で一一度も頭を揺さぶられ、脳震盪を起こしているのだ。強靭な肉体を持っ罪禍に しよらリき それを引き起こすとは、一体どれほどの衝撃だったのだろうか。 だが、蹴りを入れたエリオもグラリと体勢を崩していた。 かかとえぐ
そうだよな。エステルは、あくまで誰とでも笑い合える魔王になりたいんだ。 決して、ヒトとして生きたいわけではない。罪禍の在りようを変えたいのだ。その線引きを、 間違えてはならない。 思わす沈黙する中、エスエルは苦笑を浮かべる。 「ーーーなんだけどさ、昼間のこと、覚えてる ? 「昼間って : : : 罪禍討伐のこと ? 「うん、それ。あれもさ、あたしが知らない子たちだったじゃないか ? そういう罪禍の事情 は、どう考えたもんかなってね : : : 」 言いながら、ふと思い出したように目を向けたのはーーー・青ざめた顔のエリオだった。 ヒースとルチルは同時に声を上げた。 そういえば、エリオはエステルが罪禍だって知らないんじゃ : 一日行動を共にしていて、エステルはその事情をあからさまにロにはしなかったが、隠そう ともしていなかった。そして今の言葉は、明確に自分は罪禍だと口にしたようなものだ。 乙 銀 エリオほどの男が、エステルが罪禍側の視点でものを語っているとわからぬはずはない。 の 剣 ルチルがエリオに負けず劣らず、オロオロした様子で声をかける。 「エリオ。あなた、今、とても困惑していると思うのだけれど、落ち着いて聞いてほしいの」
洞窟の中は暗い。それに壁も床もぬめりと湿っている。不安定な足下に、足を取られたらし い。ここで転倒すれば、確実に罪禍の方が先に身を起こすだろう。 「ーーー十分だ」 倒れかかるエリオの背中に、ヒースが追いついた。ヒースたちは、小隊を組んでここにきた のだ。独りではない。 片手でエリオを腰から支えつつ、罪禍に片手突きを撃ち込む。 頭蓋を抉られ、二体目の罪禍は身を起こすことも叶わず仰向けに沈んだ。 仕留めたのを確かめて、エリオに目を向ける。腕を回した腰は、今の凄まじい蹴りを放った とは田 5 、んぬほどい。 抱えられたエリオも、キュッとヒースの胸元につかまっており、相手が男子であることを忘 れさせられそうな状態だった。 「大丈夫か ? 」 「う、、つん : うなず 頷くエリオの顔は少し赤く見えたが、そんなことに注意を割く余裕はなかった。 女 乙 銀「まだ来る ! エリオ、私の剣を使いなさい」 オーメン 刻 後ろからルチルが自分の剣・ーー〈占刻〉ではなくーーーを投げ、エリオはしつかりと受け取る。 剣 「ごめん、失敗した」
「そういえば、聞いたことがあるな。〈円卓の騎士〉はただの飛び道具ではなく、伝説にある 十二人の騎士を宿らせる魔術だって」 オーメン つむ そう。〈占刻〉で紡いだ刃に、魔神を討ったとされる伝説の十二人の騎士ーーーその英霊を呼 び出す魔術ーーそれが〈円卓の騎士〉なのだ。 その刃を握れば、術者は伝説の剣技を与えられる。 「なるほど、確かに最強だ。ヒトの身の上なら、ね 水晶球が形を変える。 いびつねじ へんぼう 球体から歪に捻れ、細く鋭く伸びていく。瞬く間に変貌したそれは、ひと振りの剣だった。 「いいだろう。君をヒトの代表格と認めようじゃないか。がんばって抵抗してみせてくれ」 エリオットが剣を振る、つ。 ほんりゅう それだけで突風ーーーいや、嵐のような力の奔流が押し寄せる。 ルチルは短剣を左手に持ち替え、右手を突き出す。 「共に立て 〈湖の騎士〉ー 呼びかけに応え、その手に収まったのは真っ直ぐな片手剣だった。 ひんばん 〈湖の騎士〉 ルチルがもっとも頻繁に使う剣であり、〈天陽の騎士〉と並んで〈円卓の騎 士〉最強と称された剣だ。 その魔術の特筆すべきは、単純な攻撃力ではない。 えんたく
『ーーー鬼ゴッコハ、モウ終ワリカ ? 』 そここ、、 。少女が逃げてきたクそれクが追いついていた。 「あ、あ、あ : : : 」 くずお あえ 喘ぎながら、へたりと床に頽れる。自分が作った水溜まりで、無様にスカートが汚れた。 恐怖で痙攣した喉は、まともな言葉を吐くこともできなかった。少女にできるのは、ただ打 ち震えることだけだ。 それでも、少女の唇は、すがるようにこう動いた。 たすけて ドゴンツーーー・その声に応えるように、すぐそばの壁がはじけ飛んだ。 『ム : : : ウ ? 』 クそれクは困惑の声を上げて退く。 壁を突き破ったのは、中庭の異形だった。 けいれん
312 「気づいて、なかったの : : : って、ヒースッ ? 」 ヒースは、目を回して昏倒した。 取り乱していたから、相手がなんなのかなど、確かめなかったのだ。 ーーーー竜だと知ってたら、逃げてたよ : 震え上がるヒースに、ルチルは苦笑を漏らした。 「あなたは、おかしな人ねー 「そ、そうかな : : : 」 おうか 「あなたは、皇禍を倒したのよ。それも魔王になりうる個体を。それを一対一で下していなが ら、どうして普段はこうなのかしら : : : 」 まるで駄目だと指摘され、ヒースが呻くとその頬にルチルの手が触れた。 「でも、それがあなたの美点なのかもしれない 「ルチル : 「あなたはギャレットさんじゃない。同じ技を使っても、似ても似つかない」 でも、とルチルはつけ足した。 「そんなヒースと、私は歩いて行きたい , うめ
242 競り負ける : 受けるまでもなく、質量の違いが理解できた。 「ーーー止まらないで ! 」 すぐ後ろから聞こえた、しかしそこで訊くとは思わなかった声に、ヒースは目を大きくした。 だが、迷わなかった。 トンーーーと、槍の後ろに支えを感じた。なにかが石突きを押してくれている。 けんこく ほんりゅう うが 《剣刻》の槍が、紅の奔流に点を穿つ。 流れを乱された閃光は、幾重にもひき裂かれて夜の空へと突き抜ける。割れた鏡に乱反射す るかのごとく。 閃光が収まると、果たしてそこには生き延びたヒースが、確かに立っていた。 「 : : : ど、ついう、つもりだ」 だが、エリオットが目を向けたのは、ヒースではなかった。 ヒースも同じことを問いたい気分だった。 「エリオが、二人 : : : ? そこにいたのは、ヒースが知るクエリオクだった。