9 剣刻の銀乙女 2 「はいはい、わかったから次はエステルを探すわよ。あの子のことだから、どこか目立っとこ ろにいると思、つのだけれど 「ルチル ! 君は人の話を訊いてるのかっ ? 」 「ええ、聞いているわ。私がしてあげた補講を、あなたが静する程度には」 「まるで聞いてないってことじゃないか ! 」 : へえ ? 私の補講、あなたはまるで聞いていなかったというのね ? ひきよう 「ひ、卑怯だー ヒースをエストレリヤ学園に招いたのは、ルチルだった。 それゆえか、まるで授業についていけないヒースに、彼女は貴重な時間を割いて直々に補講 を行ってくれている。 えんたく 彼女は学徒の身ですでに騎士の称号ーーそれも円卓の騎士のひとりに数えられており、その 上生徒会長まで兼任している。その激務からヒースの勉強を見るだけの時間を捻出するのは、 相当な苦労だろう。 でも、俺の頭にはそれを理解するほどの力は残ってないんだよ : 日中の授業ですでに脳がカ尽きているヒースだ。ルチルがせつかく厚意でやってくれる補講 も・つろう も、意識が朦朧として理解できていない。 ヒースが青ざめていると、遠くからまた別の声が響いてくる。 せ ち う 0
128 「だから止めたのに・ : 。私たちは食事に行くから、あとのことは頼むわね ? 」 「見捨てたー 小隊長、部下を見捨てるんですか ! 」 「小隊活動は完了しているわ。もう、あなたたちの自由にして良い時間よ ? 」 えんさ 笑顔で離れていくルチルに、ヒースは怨嗟の声を漏らした。 それでも、エステルも空腹なのは空腹らしい 数分後には五人揃って町へ繰り出していた。 「ねえねえヒース、あそこのお店ってなんで石ころ焼いてるの ? 「石 ? : ああ、違うよ。あれは貝だよ。オレッハ貝。見たことないの ? 」 「ないよ ? エステルが興味深げに飛びついたのは、金網の上で焼かれる巻き貝だった。オレッハという 名で、食用としては一般的なものだが、 ; 調味料を流し込んで殻ごと焼かれている光景は、町中 では見かけないものだろう。拳ほどの大きさで、確かに石に見えなくもない。 ほ、つろう 彼女は学園に来るまで、道化師として各地を放浪していたのだが、どうやら内陸の地方ばか うみさち り回っていたらしい。海の幸を見るのは初めてのようだ。 たぶん、北の大地に戻る方法を探してたんだろうな。 けんこく けんこく 剣刻戦争が始まったことにより、《剣刻》には王都から一定距離を離れると引き戻される魔
Ⅷそれは、あの騎士姫とは思えぬほどか弱い声だった。 ルチルは子供のように腕を振り回すと、そのまま地面にへたり込んでしまう。 なんだ ? オーメン 普段のルチルならば、剣を封じられたくらいであんな取り乱し方はしない。冷静に〈占刻〉 なり体術なりで対処できたはずだ。 とまど 戸惑いながらも駆け寄ると、ヒースよりも速く男の顔面を蹴撃が襲った。 「ぶがっ ? 我に返ったエリオだった。 「ヒース、ルチル姫を ! 」 「あ、ああー おび ルチルを助け起こすと、彼女は明らかに怯えた様子で竦み上がった。 「ルチル ? 声をかけても、ルチルはまるで動こうとしなかった。ヒースにすら法えているように見える。 くら けんこく そうこうする間にも、《剣刻》に目が眩んだ人々が次々と襲いかかって来る。 ど、つする ? 剣を抜いて撃退することを考えた瞬間、エステルが駆け込んできた。 「マナ、エリオ、つかまってー すく
「「「ぶほっ ? 」」」 エステル以外の全員が咳き込んだ。 女 乙 銀 どうやら他の席でも聞き耳を立てていた生徒がいたらしい。咳き込む者はまだマシな方で、 の もた やけど 刻 気管にスープの侵入を許して悶える者、熱い料理をひっくり返して火傷しかける者、他者が噴 剣 あびきようかん き出した喰いカスをかぶる者、食堂が阿鼻叫喚となった。 「将来が約束されてるって、なんか壮大だよね ! 」 「壮大なのは君だけだろ、つがよおっ 涙ぐむヒースを見て、エリオもおかしそうに笑った。 「君たち、本当におもしろいね . ぐうっと呻いていると、エステルが存外に真面目な顔でうつむいた。 「エステル、どうかしたのか ? 」 : 。将来を誓、つって言って思い出したんだけどさ。ちょっと、みんなに聞きたいこと 「、つん : があるんだ」 深紅の眼差しで三人を順番に見つめると、エステルは思い詰めた表情でこう言った。 「ーー恋ーーーって、なんなの ? うめ
どこを、見てるんだ : カタリーナの瞳は、ヒースを見てはいなかった。それどころか、光の失われたそれは、意識 があるよ、つにすら見えない きやしゃ 首の出血に目を向けると、華奢な首に小さな穴がふたっ、刻まれていた。 「カタリーナ、先輩 : : : ? 」 あぜん 唖然としてその名を呼ぶと、カタリーナの瞳がわずかに揺れた。そして真っ青な唇から、震 える声を絞り出した。 「お、願 : それは、間違っても裏切り者の言葉ではなかった。 操られてる : そうぼ - っ あらが うつ あふ 虚ろな双眸から、涙が溢れる。こんな姿になっても、彼女は抗おうとしているのだ。 怒りに我を忘れたとはいえ、こんな少女を疑った自分が、恥ずかしくなった。 乙 銀「 : : : すみません、先輩 , 刻 彼は、足手まといにしかなりません 初めて会ったとき、カタリーナはヒースをそう評価した。
ヒースが呼びかけると、男子生徒は足を止めた。 声をかけて気づしたが、、 : 、 ' すしふん綺麗な顔をした少年だった。背もヒースより頭ひとっ分低 ようし く、体の線も細い。少女と言われても疑わないだろう容姿である。だが、服装は男子のものだ。 : だったよな ? ええっと、確か転入生のエリオット・グリート : ヒースの少しあとに転入してきた生徒だ。転校生仲間ではあるのだが、当時のヒースは 今もそうだがーー・自分が授業に追いつくのに必死で周囲に目を向ける余裕はなかった。 ほとんど口を利いたことはないが、 癖のある碧い髪だからヒースも名前を思い出すことがで きやしゃ きた。華奢な身ながら騎士科の生徒で、剣の腕もかなりのものだったはずだ。 男子生徒ーーーエリオは気を遣、つような目を向けて来る。 せんさく 「安心してくれ。ボクは詮索するつもりはないよ」 「そうじゃないよ ! 俺が補習を受けてるのは知ってるだろう ? 」 うなず そう説明すると、エリオは納得したように頷く。 「二人っきりの教室で間違いが起こったとしても、ボクはおかしなことだとは思わないよ 「違、つって言ってるだろうよおおっ ? 涙を浮かべて叫ぶと、エリオはカラカラと笑った。 「ははは、冗談だよ。ベルグラーノくんにそんな度胸があるとは思ってないよ」 ぶじよく 「それはそれで俺を侮辱してるとは思わないのつ ?
「逃がした ? 」 クラウンに関してはヒトか罪禍かも定かではなく、ヒースが見た幽霊のような姿が本体だっ たのかも疑わしい。 ただひとっハッキリしているのは、それが死体を操る死霊使いだということだ。その力を以 けんこく て、次から次へと体を取り替え、《剣刻》を奪い合うように人々をそそのかしたのだ。 「うん。あのとき、ヒースを引っ張り出したあと、あたしが仕掛けたのは気づいた ? エステルの魔術は〈門〉を開く。紅い円環を扉として、場所と場所を繋ぐのだ。 ヒースが自爆を仕掛けたとき、エステルはそのカで救ってくれたのだが、よくよく考えると そのとき展開された円環の数は妙に多かった。攻撃を仕掛けていたのかもしれない。 「殺すのが難しそうだったから、〈門〉に閉じ込めようとしたんだけどね、失敗したんだ」 「それじゃあ、あいつは今もどこかで動いてるのか ? 難しい顔をして、エステルは首を横に振った。 「ううん。あっちも結構手酷くやられてたから、しばらくは動けなかったと思うよ。でも、あ れからずいぶん時間も経ってるし : また、クラウンが動きはじめたのかもしれない。そういう、ことだった。 全員が思わす沈黙すると、独り話に取り残されていたエリオが手を上げた。 ホクたちはどう行動すれば良いのでしようか ? 」 「あの、よくわからないんですが、結局、 : さいか
おうか 術がかけられている。《剣刻》を媒体にしたそれは、皇禍たるエステルですら逃れられるもの ではないらしい。 もっとも、彼女の場合は本気で逃げるつもりがない、という理由もあるのだろうが 貝が食べ物であることを説明すると、エステルは感動したように目を輝かせ、即座にひとっ 注文していた。 「いっただっきまーす ! 」 「ち、ちょっと待ってエステル ! それ、そのまま食べるものじゃないからー あわ 大きく口を開けたエステルを、ヒースは慌てて止めた。まさかそのまま食べるとは思わなかっ た。いっしょに手渡されたサジを取り、貝の中を掻き出す。 「ほら、こうやって中身を掬って食べるんだよ 「へええ : : : あ、美味しい ! 」 「知らなかった。そうやって食べるんだ : かいが うなず 甲斐甲斐しくエステルに教えていると、隣で感心したように頷いたのはエリオだった。 「エリオ、海のそばに住んでたんじゃなかったの ? 」 乙 銀「えつ、いやっ、見たことないわけじゃないけど、いつも殻ごと食べてたから : 少女じみた外見とは裏腹に、野性的な男だった。 剣 「これ、そのままでも食べられるの ? すく
敵から得物を奪った最高の好機。 右足を下げ、筋肉が断裂するほどに上体を引き込み、渾身のひと突きを体ごと叩き込む。 エリオットは両手を交差させ、素手で槍を受ける。 えぐ 踏みしめた足で地面が抉れ、数セルカに渡ってエリオットの体が押し出される。 「そんな、ものかー 《シュタインボック》は、確かにエリオットの腕を抉った。 つらぬ 抉ったが、 貫いてはいなかった。 常人の目にはほば同時に見えただろう、神速の三段突き。それをエリオットは受けきった。 「その槍じゃ、僕には届かないんだよー それはエリオットのカではない。 エステルの力だ。 けんこく おうか 魔王級皇禍ふたり分の魔力に守られたエリオットには、《剣刻》のカですら届かない いや、届いたー 槍を引き戻し、ヒースは飽くことなく突きを穿つ。 剣を作る余裕なんか、与えないー エリオットはそれをも腕で防ぐが、紅い膜がまたひとっ欠けて肉が穿たれる。 うが
258 同年代の相手にするものではないかもしれないが、ヒースには自然な行動だった。 「あいつをぶん殴らないといけない理由が、もうひとっ増えたんだ」 「ーー兄貴ってやつは、妹を泣かしちゃ駄目なんだよ」 ヒースにもマナとい、つ妹かいる 泣かせてはならない、大切なものだ。 おうか 「なに言ってるんだヒース ! ヒトが皇禍に勝てるわけがないだろう ? 配下の罪禍だってあ んなにいるし。ルチル姫、君も見てないでヒースを止めてよ」 すがるように目を向けるエリナに、ルチルはため息を返した。 「エリナ、あなた、ひとっ勘違いをしているわー そう言って、ルチルもヒースの隣に並んだ。 「ヒトが皇禍に勝てないなど、誰が決めたの ? そう言って、騎士姫は騎士然としてこう告げた。 「あなたたちは、ヒトを見くびっている」 その姿で、ヒースは彼女がエステルを相手に勝利を収めていることを思い出した。 さいか