トリュフォー - みる会図書館


検索対象: 島耕作の優雅な1日
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1. 島耕作の優雅な1日

うな饒舌な会話シーン。映画の動 「満月の夜は狼男のスプラッタ ームービーではなくて、透明な空の部分を極力抑えて、不必要とも 気に包まれた冬のバリと、その郊おもわれる静の部分を長まわしす 外に生きる男と女の、ひとつの愛る映画的手法。『秋のソナタのべ ルイマンをほうふっとさせるカメ の形を描いた静かな映画であった。 ″愛されすぎる″ことに耐えられラワークは、ある意味では退屈だ。 メーベルヴァーグの多くの作家に ず、また新たな恋の相手を捜す女、 ルイーズが味わう恋の虚しさと挫みられるような個性的な矜持する ような特徴的方法論はない。しか 折を透徹なカメラで追い続ける。 し、このリアリズムに徹した、はしょ 奔放にふるまっているかに見え 屮のない長まわしカメラが、彼の るルイーズが、実は非常に繊細で 脆弱な一面を持った女であり、映強い表現形式だということも、よ くわかる。日常の会話は小説や漫 画の最後の部分で、棄てられた男 のメゾネットタイプの二階の部屋画のネームのように会話のエッセ ンスだけをベラベラよどみなくし から、泣きながら、こっそり別の ゃべることはしない。非常に不明 男に電話をかけるシーンは圧巻だ。 非常に哀れであり、なおかっ次の瞭で、かっくどいリフレインの連 恋の破局をも予感させるカタルシ続だ。それとそのまま写す力メラ は、それゆえに現実的であり、冷 スに溢れた名場面だと思う。 静だ。 監督のエリック・ロメールは、 ) ュック・ゴダールやフ ジャン・ を駆使したお子様ランチ ランソワ・トリュフォーと時を同的映画の早いテンボに慣らされた じくして映画活動にはいり、年齢諸兄。ここはひとっ映画とじっくり が彼らより歳ばかり上のせいも対峙する気持ちを抱いて観てみよ うではないか。メッセージ効果の あって、いわば兄貴格として慕わ れている映画作家だ。 ない白痴的映画によだれをたらし 日本では「海辺のポー て、ただ楽しむのにもそろそろ食 ぐらいしか紹介されておらず、あま 傷して欲しい。そう、ちょうど我 り馴染みのない名前であるが、フ我が映画青年だった頃、街にはア ランスではトリュフォー亡き後、 メリカンニューシネマが洪水のよ 一番の支持を受けているのだとも うに押しよせ、その中でふっと立 聞く。彼の表現はリアリズムそのち寄った名画座で観た小津安一一郎 ものだ。非常にゆったりと動くカ の作品に触れた、あの透きとおっ メラワークの中で言葉ゲームのよ た感動を思い出して欲しい

2. 島耕作の優雅な1日

2 人に女ー人。 平たく言えば三角関係の映画なのだが たどえばトリュフォーが描くような 悲しくてやるせない息苦しさの上に 構築された話ではない。 このトライアングルを通して、 ー人の女が自我に目覚め 世の中の真実を知り、恋をして 大人の女に成長してゆく過程を たんねんに描いた映画である。 ま文学的どいえばこれほど 文学的なものはないどいえるような テーマではありますな。 ヾ、 ン 台はー 9 0 7 年、イギリス そしてイタリアのフィレンツェ 主人公の女性は良家の令嬢で フィアンセは由緒ある家柄の ペダンチックな弱々しいインテリ。 そして真実の恋の相手が イギリスの古くさい階級意識に捉われない 行動派の情熱的な青年どくれば もうおおかたの想像はっこうどいうもの そう、その通りの映画なんですよ。 だ、そういうあたりまえの ストーリ ーではあるけご、決して ーレクイーンロマンスのような 映画ではない。この映画の 見るべきどころはたくさんある。 ます力メラの美しさ、 きめの細かい演出ど俳優障の確かな 演技カ ( どくにマギー・スミスが出色 ) 。 ラストに至るどころのテンボの良さ。 / そして、映画的な後味の良さなどだ。 ま、知的に洗練された 眺めのいい映画こ言えよう。 とら 5 3

3. 島耕作の優雅な1日

エリーニのアマルコルド』「トリュフォーの思春期』『泥の河』 なご古き良き時代を謳歌しながら自分の子供の頃を、 レトロスペクテイプに夢のように描いた作品、あるいはもの悲しく 描いた作品は多数あるが、この「ラジオ・ディズ』は音楽的な面で これらの作品どは一線を画する。懷かしいヒット曲が洪水のように画 面から次々ど流れてくるのだ。ウッディ・アレンの音楽面への造詣 どいうよりかなりのこだわりを持った音楽観が伺える。 の深さ 彼の好む曲は ( 今までの監督作品に挿入された曲などからも推測して ) ジャズであり、しかもスタンダードであり、どちらかど言えばマイ ナー調であり、かっ極めてメロディアスな曲であり、もう徹底的に コール・ポーターなのだ。現代のようにリズム中心の単調な音楽が 持てはやされるこどを批判しているかのように思える。大賛成 音楽どいうものは、もつど工モーショナルであるべきだ。 ( 最近私も 」 / ロうるさくなった。将来きつど嫌われじいさんになるだろう ) ウッディ・アレンの選曲が、私の志向する音楽ど重なり、上映中、 何度ヒザを叩いて喜んだこどか : 実は、ご存知の方も多いであろうが、『課長島耕作』のタイトル には、主どしてジャズの曲名をあてている。この『ラジオ・ディズ』 556 曲は出てきましたぞ。 にはそのタイトルに使った曲が 最近の風潮どして例えば純代、代のオジさんが若い 0 -J の前で 「ジャズはいいよなあ」なんてタバコを片手に眼を細めたりしよう ものなら「ケッ、このオッさんまた自慢して」などど思われるらしい なぜジャズが自慢なのかいまいちよくわからないが、高尚な音楽に 聞こえるのだろうか。などど言いながら私は自慢している。 文句あっか。