主義 - みる会図書館


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1. 悍 第3号 特集暴力燦燦

に応えることを通じてはじめて可能となる。そうである からには、誰の日常にも、そのような呼び掛けや尋問に 答え損ねる可能性、すなわち「自由な主体、になり損ね る可能性は潜んでいる。しかし私たちは、望むと望まざ るとにかかわらす、何者かとしてのアイデンティティを 他者に示し、それを承認され、さらには商品として自分 を売ることなしには生きてゆけない ( 資本主義社会では 「成り損ね、を標榜しつつ自分を売ることも一部では成 立するようだが、圧倒的に多くの人間にとって「成り損 ねる」ことは生きることの困難に直結する ) 。ある社会 において形成される主体の在り方は、その時どきの資本 の蓄積体制の要請 ( たとえばフォーディズムの終焉と言 われるような事態 ) に応じて変わりもするだろうが、売 れる ( であろう ) 主体と売れ残る ( かもしれない ) 主体 との分割は、資本主義が資本主義であるかぎり決定的な 境界線として残りつづけるだろう。日常の瞬間瞬間にお いてそのような決定、承認、売買、決済は行われ、その 効果は蓄積される。そのような決定と承認の効果をもは や意識することがなくなるまでに蓄積した人間は晴れて しかし「自由な主体 「自由な主体」となるわけだが、 たる「私たちーには、必ずや「他なる力」「他なる声」 が外からやってきて「私たち」の蓄積を問いただすだ ろう。その力を感知し、声を聞き取ったときはじめて、 ( 2 ) 東京や京都、福岡その他全国で「インディー ( 独立 ) 系メーデー」 (http://mayday2009.alt-server.org/) を自称 しつつ、ゆるやかな共闘関係網を発展させてきた諸団体の主張や活動には、いまだ部分的潜在的にであれ、首 都圏青年ュニオンや「反貧困キャンペーン」などとは異なる「ニュアンス」が見出せる。 例えば東京のフリーター全般労働組合やフリーターユニオン福岡らの「インディー系労組」は、街頭におけ るサウンドデモなどのインパクトを運動を広げる重要な手段としてきた。そこには既存の運動の定型化され たデモや政治的主張を、もう一度自分たちの足元から直接的・公共的に形成しなおそうとする欲望と創意があ る。そのような新たな表現の持つインパクトは警察による弾圧の格好の材料ともなり、運動内部に国家権力 との敵対関係を鋭く意識する契機をもたらした ( 「自由と生存のメーデー 2006 」 http://mayday2006 ・ jugem ・ jp/ 、 麻生政権に対する団体交渉要求という発想を含んでいた「リアリティーツアー」 http://asoudetekoiq.トlog8.fc2. com/に加えられた逮捕・弾圧など ) 。 また、「インディー系労組」発足の経緯のなかでは 2003 年前後のイラク反戦運動に参加した若者らのイニシ アテイプが目立っ ( 「新たな社会運動としてのフリーターユニオン」「人民新聞」 1299 ・ 1300 号 http://www・ jimmin ・ com/doc/0930.htm)o 戦争と労働との接点は古くて新しい問題である。日雇い労働運動が手配師の背後 に右翼・国家権力を敵としてえぐり出したような認識 ( 山岡強ー「山谷やられたらやりかえせ」現代企画室 ) は、インディー系労組を含む運動のなかに受け継がれ、私たちは現在のフリーター労働という現実を戦争・国 家の問題とともに再定義しようとしている ( たとえば 2005 年「 " 敗戦 60 年 " でいいのか ? 戦時下の「靖国・ フリーター・戦場死」を問う 8.14 -15 集会・行動」へのフリーター全般労働組合の賛同などの動き h [ tp : / 市 log. livedoor ・ jp/n02yasukuni/archives/50083362. html, また「季刊運動〈経験〉」 21 号掲載の反天皇制運動連絡会主催 の 8 ・ 15 集会記録における日野直近氏のフリーター労働運動の視点からなされた発言など ) 。 ーに ' 、、く簡略的に素描した「インディー系労組」のもつ「ニュアンス」は、しかし、いまだ金光翔の言う 「若年者の労働運動」の中にあって明確な輪郭線を描いてはいないし、これらの契機を明確化するための論議 はこれからの課題であろう。 ( 3 ) 「国民」としての主体性は「労働者」としての主体性などよりも自明なものと見なされやすいが、それは国家 権力が、人間の生活のあらゆる領域に渡って「領民」を統制・支配するためにもっとも強力に「国民化」の諸 装置を稼働させつづけている結果である ( 国民化の作用は「労働力化」とも大幅に重複するが同じではない ) 。 アルチュセール「再生産について」 ( 平凡社 ) を参照。 「フリーター」から「民衆」へ ( 小野俊彦 )

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た、在日朝鮮人・中国人、そして女性や被差別部落出身自分の強者性に無自覚であるということは、自分を強 者を含むマノリティー問題への応接をもって一九六八年者として成立させている力の作用を自覚できないという 後の新左翼の分水嶺とする本誌編集委員経秀実の主張な ことである。私たちは普段「自由な主体」としてものを どもそのような歴史的文脈の中にある。私は経秀実の論考え、振る舞っている。しかしそれは、ある政治的なカ 調なども、本質的には「佐藤優現象ーにすら親和的なあの作用によって「自由な主体」として存在させられてい る傾向にからめとられていると思えてならないのたが、 るに過ぎない。 その政治的な力の作用は「自由な主体」 その疑念に関することは後述する。私は「若年者の労働自身によっては意識されないが、「自由な主体ーになり 損ねた人間には鋭敏に感覚されるだろう。「この国」と 運動」の傍流的位置から金光翔の声に答えつつ、「フリー ター労働運動」が資本制天皇制国家に抗う運動となりう いう枕言葉を意識せずに使える人間とその言葉の意味を る根拠を間おうと思う。 何のストレスもなく了解する人間はその分自由である。 ニッポンジン現実主義 いちいちひっかかってし 「この国ってどの国だよーと、 無自覚な強者のニヒリズム まう人間は不自由である。「来年は別の仕事をしてみた 国民主義Ⅱ排外主義の基盤はニヒリズムである。「佐い」 と言える人間は自由である。「明日仕事があるだろ 藤優現象」を背後から支える「左翼の瓦解」として金光うか」とつぶやく人間は不自由である。「この国」「仕事」 翔が指摘するものもまたニヒリズムの一つの現象形態でというひとつひとつの言葉が対象を指示するとき、すで にある力が作用しているが、その力を意識せずに対象を あろう。私がここで問題にするのは「無自覚な強者のニ ヒリズム」とでも言うべきものであり、強者であること認識できるのは自由な主体の特権である。そのようなカ を自覚できない日本人の意識を根本的に規定しているニはしばしば差別として可視化され、「自由な主体」にな ヒリズムである。そしてそれは、いかなる意味でも「民り損ねた人間を襲い、あるレッテルの中に閉じ込める。 「自由な主体」としての地位は、生まれによる絶対的 衆」の可能性を信じることができなくなったか、あるい は度もそんなものを信じたことがない「左派・リべラ決定や運命でもなければ、一回の試験にパスすることに よって安定するものでもなく、社会が「私たち」にむ ル」たちのニヒリズムである。 かって日々「呼びかけ」を行い、尋問し、私たちがそれ

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適合した生産物よりはむしろ変形して主て持なの無存主。 れ ( つのは後く 的的る久 た主体が、限りある対象よりはむし ら高と象で最開駆代れ光 げ至に形け、て先近ら本 の知 民主主義が意味するのは死も生もそれ自体としては価値がないというろ無限の主体が現われるのだ。 上、統いわはし 山 りは伝なる義お義家 ことだが、しかしそれは、民主主義が、その真のーーそして無限の 主に主国で一 練てのかい でつこはて主性商はとシ このプラクシスは、異議申し立てまと、つれ民限重で一 一。当存在の意味に対してと同様、最終的な意味の不在に対して晒されている からに有 以上のもの、反抗以上のものを 限り分かち合われている実存のみが価値があるということだ。 至統ので取逆なえしク に伝も的け。全唱 6 奨 を推亠 民衆が至高 ( 主権 ) であるとすれば、バタイユが至高 ( 主権 ) 性は何あらゆる改革、あらゆる調整、あら トのの倒受る十 説いを ッこそ圧こあ ものでもないと書く時に彼が抱懐するものを引き受けるのは民衆の責ゆる慎重な管理以前にーー・・開始しう ミ、践の物でれ量」り = ュり実そ真のそ る唯一のものである。すなわち、一 任である。この至高 ( 主権 ) 性はいかなる人格においても託されはし 幣家女 ジ シまの 比個魔 っこかー ) 、ら 十 / ーし いかなる輪郭においても表現されず、いかなる墓碑においても般的な対等性の上台を取りはずし、 る ル。叱体ずカく はたで真 一いカ自、ムよあ それはただ単に、至上のものなのだ。それ以上の何ものその偽りの無限性を問題化すること 建立されない。 カし命蛯ズで」れ方の イでもない。神でもなければ支配者でもない。 この意味で、民主主義は無である。 使艫リでのとて 政府主義である。しかし無政府主義 ana 「 ch 一 e は、想定され、託され、強 かでば 0 一も〔学際け主 リ - 、もす・は Ⅷ真理 はるて済に示 エノ、一」 制された統治 arch 一 e の欠如を厳密に保護するのを可能にするような諸行 : 度俶しよめ経 ) を ヴ背別フ こ求年拠 ヤにを場 要約しかっ結論づけよう。 為、諸活動、戦い、具体化へと向かうのである。この民主的クラティン なを者根 キ理践の 教世と学い的 民主主義の真理とは次のとおりでマ原実ごそ (k 「 atein 〔直接的な意味としては「打ち勝つ、征服する〕 ) 、民衆の権力、そ た。宗後こ済論 は的ののてはる経い理 たある。つまり民主主義は、古代人に Äれはまずもって統治を挫くことであり、次いでこのように明るみに出 に治有もろのれ て争の とってのありようとは違い、わけて 無限の開けを、すべてそしてそれぞれに引き受けることである。 にるのせとれが取鬚曜 わそさ。さ無 ( 者ノ制 も一政治的形態ではないというこ この開けを引き受けるとは、無限への限りある書き込みを可育 ( 一関一遂も用、受学グ主 完て借たに治ュ君 と。それはなんら政治的形態ではな することを意味する。この根底的な選択ーーー繰り返さねばならない 一性いをし局ま摯政、対 あるいは少なくともまずもってポ , な命と結、真のた絶 から、一般的な対等性の避け が、それは全体的文明の選択である レ」ノ、ス亠ま 、権も使いが え は主でのな葉こたン それゆえわれ がたい破棄がもたらされる。そしてそれは、書き込まれた無限の代政治的形態ではない。 称 ( の衆ら言うつラる唱 ガ ( わりの生き続ける際限なきものであり、肯定的な差異の代わりのわれは、その正しさないしは良き決呼高も民がのいまフれて の至何、な後とは。らめ こなはりつ ~ 取いて年知初 差異なきもの ( 無関心 ) であり、対決の代わりの寛容であり、色彩の代定を求めるのにかほどに苦労してい らうとあかのない % てを るのであり、また、それゆえ民主主かよ性がしこがお一し念 わりの灰色なのである。 と概 ずる , 味に、葉に発 こうした思考に入ること、それは既にして行動することである。それ義は、一般的な対等性およびその自い権意続く言限在権 ( 《資本主義》と名づけられる ) 適用 〉はプラクシス ( 実践 ) の中にいることであり、このプラクシスを通して、 201

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が取り得る形態のあらゆるありうべき増殖、われわれの断言の形象およめているからである。こうしたことが、ありうべきあらゆる錯誤を経て訳 いることには十分な議論がなされていない。 とい - つのも、そ - っしたこと光 びわれわれの欲望の宣言がそこに開かれうるのである。 この五〇年来芸術の領域で起きていることは、この要請がいかに現実はあらゆる要請、ありうべきあらゆる訴えを経由しているからである。山 それに耳傾けるべく努めなければならない。 的であるかを明白に示している。民主主義的な都市が自らを形象化する シ しかしこうしたことは同時に、現在の都市がこの点に関して担わなけン ことを断念し、そのシンポルとイコンをおそらくは思い切って放棄する く。この都市は、形式ないし のと同様に、その分、民主主義は未聞の形態に向かってありうべきあらればならないことについて新たな間いを開 ク ゆる熱望が現われるのを目にするのである。芸術は、《芸術》と呼ばれ物語を引き受ける必要はないし、それを免れたことに満足する必要もなエ これはまさしく、《文化的政治》の両義性ーーー・それを管理する人々 = るもののあらゆる形態と《芸術》そのものの形態ないしは観念の上で、 それ自体過剰であろうとする諸形態を生み出そうとする努力の中で身をおよびそれを求める人々の両義性が痛ましくも曝け出すジレンマであ ーレ 《答え》はない。 よじっている。ロックまたはラップであれ、電子音楽、ビデオ、合成画る。単純な答えはないし、おそらくあらゆることに 理 像、スプレーの落書き、インスタレーションまたはパフォーマンスであかし、活動しなければならないし、民主主義は活動中の ( 現に行なわれ真 義 , イれ、 ( デッサンまたは叙事詩のような ) 新たに見直された形式に対するている ) 政治を受け人れることではないことを知らねばならない 主 主 新しい解釈であれ、あらゆるものが、変換 ( 形成を超えたもの ) のさ中 民 プラクシス ( 実践 ) にある存在を新たに捉えなおす必要、昂揚した期待を示している。言わ ではあなたは、民主主義はあなたに 人は私にこう一言うだろう。 れるような小説の《危機》があるとすれば、それは、今や大文字の〈歴 とって政治的ではないと公然と宣言するわけですね ! それとともに、 史〉を奪われたわれわれの歴史の新たな物語を作り出さねばならないか トらである。そしてまたボディ・アート 血に至るまでの、苦痛に至るあなたの言う《無限》に気を紛らわせながら、行動、参加、闘争の手立 までのーーーがあるのは、われわれの身体が別の形で理解されることを求てを奪われたわれわれを置き去りにするのだ : プレ全共闘 ( 三派全学連 ) 世代の高 疾風怒涛の年革命を駆け抜けた 当 ( 、校生 ( 予備校生 ) が、東京を主戦場 青春グラフィティ。 に、縦横無尽に疾走する、反戦・反 物「 , 安保闘争のアナザ 1 ・スト 1 リー。 砂川、羽田、王子、三里塚・新宿・ ザこ九六八町 寺を : , 東大・早大 : そして組織の分裂 / 解体、再興 : 府川充男【編著】 ☆ 2800 円 白順社 4 1 99

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三の友人である」と正反対の説を東を装ってきた。 ない全人民の国家になった ) 全めようとする。まず中国封じ込め 唱えた。劉少奇は新民主主義革命 一九五三年スターリンが死亡人民の党 ( ソ連共産党は労働者政策を続けているアメリカに急接 が勝利した後に、資本家と労働者し、紆余曲折の後、権力を握っ階級の党から全人民の党になっ近し米ソの友好関係を誇示する。 が共存する平和と民主主義の時代 たフルシチョフが一九五六年第た ) との新説のことだ。 一時国境問題で中国とインドが戦争に が続くと考えていた。建国後実務二〇回共産党大会でスターリンのは日本はじめ多くの国の左翼に受なると、ソ連はインドに武器援助 を取り仕切っていた劉少奇は急速独裁を批判する秘密演説をおこな け人れられ、左翼内に一派を形成を行う。中ソ国境でも紛争が頻発 に官僚をとりまとめて大勢力にな た。これに呼応するように中国するほど国際的影響があった。 する。さらに技術援助協定を一方 新中国建国当時から出でも、その年の九月に開かれた第毛はすぐさま「われわれはマル的に停止しロシア人技術者を本国 発点が違うのだから、毛沢東と劉ノ 「、回党全国大会で鄧小平が個人崇クス・レーニン主義の一連の基本 に引き物げる。追い打ちをかける 少奇派は政治、経済、外交などの拝を批判し、暗に毛沢東を非難し原則で、フルシチョフ同志との間ように原油の供給も打ち切ってし 方針を巡ってことごとく対立すた 党規約から毛沢東思想の文字に意見の相違がある」と書簡を送まう。深刻なエネルギー不足に陥 る。だが毛は反対派の存在を不思を削除する改定も行われた。フル り、マルクス・レーニン主義の大った中国は、その他の国内の原因 議とは思わなかったし恐れもしな シチョフはその後、新しい共産主義を懸けた論争を挑む。これが後と相まって、五カ年計画の実施が かった。毛は、矛盾はあらゆる事義の概念を次々に打ち出す。中国 ) 「中ソ論争」とよばれ、各国の不可能になり、建国以来の経済危 物の発展の過程に存在するし、ど はこれを「三和二全」と漢字四文共産党が「ソ連派」「中国派」に 機を迎える。 の事物の発展の過程にも始めから字で表現した。三和とは平和共存分裂するきっかけになった。フル 毛は中ソ論争の過程で、一九六 終わりまで矛盾の運動が存在する ( ソ連を中心にする社会主義圏と シチョフは中国共産党をトロッキ三年から六四年にかけて、自らが と主張した。とすれば、中国共産アメリカを中心にする帝国主義圏スト、分裂主義、セクト主義、左主宰して「ソ連共産党中央委員会 党という事物にも矛盾は存在し、 は平和的に共存すべきである ) 、翼冒険主義だと声高に非難する。 の公開書簡を評す」という論文を 党誕生のその日から党が死滅する平和競争 ( それらは平和的に経済毛はソ連側の非難論文をすぐさま九編書き上げている。その論文集 まで矛盾が存在する。毛は党内の競争する中でお互いの優位性を示中国語に翻訳し全国に配布した。 作成の中で、毛は以下の結論に達 矛盾によって党が発展すると考えすべきである ) 、平和移行 ( 資本毛は国際共産主義運動にも矛盾がする。ロシア革命成功直後から党 た。ここがスターリンと毛の違う主義から社会主義への移行は暴力あり、この矛盾が共産主義運動をと国家の官僚層は高給をはみ、大 ところで、スターリンは党内に矛革命ではなく、議会を通じて平和発展させる原動力になると考え、衆と遊離し、堕落した生活を送る 盾があってはならないと考えてい 的に実現すべきである ) 、二全と論争を積極的に展開する。怒った 特権階層が形成された。彼らの基 た。そこで意見が違うものは容赦は全人民の国家 ( ソ連はプロレタフルシチョフは、論争の範囲を超礎の上にフルシチョフらはマルク なく粛正して、一枚岩のような結 リア独裁の時代が終わり、階級のえて具体的な行動で中国を追い詰 ス・レーニン主義の原則をゆがめ

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よ確 命令、契約、そして無条件の危険となるあの定式「人 年思想》なるものはあったためしがなかった。それは《知識人》の遊びは、 るて ファンタスム し 間は無限に人間を超出する」によってこの時代を打っこと ないしは幻想ではなく、やはり、公衆の心性と精神を貫いていた感情、 て介い本 によって、そうなのである。こう考えると、《主体》、自己しをな ートスであった。少なくとも党派や 傾向、さらにはハビトウスまたはエ 山 , っ体ら ートスは、権力の生産的・自己形成的・自己目的的な自立的存在と仮定されそ自な一 組合のある種の代表に対する不信感に加えて、このエ がればシ 」《主体》、その固有の前提および固有の予測をもった主ウそれ 行使ないしは獲得という月並みな枠組みの政治的行動ーーー選挙によろう ナ イ動け か蜂起によろうが 、および範型または教説 ( やがて《イデオロギー》体、なるほど確かにこの主体はーー個人的であろうと集合 デ行なク ハ的れ 的であろうと 既に諸事件によって乗り越えられたこと と呼ばれることになる ) に関わるものであり、 ( つまり ) 言葉の新しい 治さュ ン政示 疇意味で言えば、もはや現実とは逆の反映ではなくて思想の布置、思考のが露わとなっていた。 一フる相 ン さてこの主体は、民主主義の中心にあったものである。 、てしジ 一一一身体を浮かび上がらせようとする , 。 ) とに関わるものである。 れと さまざまな形ーー・きわめて異なった、さらには対立した形ーーーで、《概代議制にせよ直接制にせよ、民主主義は未だ明瞭には、そ りさ実理 よ解事真 念形成》の制度 ( 主体の概念形成および概念形成の主体、行為の支配おの代理、意志、決定を支配する主体の前提から自らの《諸 う理うの イよび支配の行為、ヴィジョンと前ヴィジョン〔予測〕、人間およびその概念》を明らかにしてはいなかった。それゆえ選挙行動に とマと主 る一件主 関係の投影と生産 ) は、もう一つ別の思考の制度を開くために剥ぎ取らついても《世論調査の民主主義》についてと同様、その最 あ工与民 れていた。 せいせいが近のありようを訝るのは当然のことである。これは、政治でシ一 つまり、もはや、言わば既に形成されていた 的の第 《進歩》やら自由な理性の名のもとに事態の流れを臨検することが可能的代理を財産か市民 ( たち ) の運命の呈示によってーーっ歩争の 進闘れ て的わ たという一般的なモチーフで予め形成された それ自体歴史的与件をまりは課税によってーー無造作に置き換えるべきだという し典れ トなぞることを負わされた形式的生成ではなくて、客体的なものそれ自体ことではない。 と古わ 今日では、民主主義の現実的すなわち偽りの自己批判に が原理的な超出 ( 《人間》あるいは《ヒューマニズム》、《共同体》ある 仮がは いはコミュニズム、《意味》あるいは現実化 ) へと露出することである。関してはかなりの曖昧さが生じうる。実際、われわれは民 主主義的諸原理を自分に投げ返すことも、また、あまりに すなわち、前ヴィジョンが、それが無限を現働化するがゆえに汲みつく ム も明瞭な脆弱さを利用して《人権》を歪めることもありう しえぬであろうものへと ( 露出すること ) 。 ズてと ニし説 るのだ、ちょうど、宗教的態度へと向けられた批判を《人 思考に関わるこの時代の現実と重大さには、皆がそう繰り返したがる ュと仮 ミ件的 ような、どんな力と客体の仕掛けかわからぬものによる、主体のいかな種主義》と規定する場合とか、あるいはまた、政治的に《正 コ与治 《の政 る危機化ないし不安定化もありはしなかった。これについては既にパスしい》《多文化主義》の名の下に、女性の従属性を正当化 えっき カルがきわめて明瞭に理解していたことに関わる《主体》の「開け」がするために手はずを整える場合などのように。さらにもっ れにす そう認 と狡猾には、迷信的催眠状態の下にある教育と文化生活の 夙にあったのであって、パスカルは、この《現代的》なーーーあるいは 人がそう名づけたがるであろうように 時代の創始者なのだが、それ保守・維持のせいで、自由な表現はその根本から歪められ 191

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一九七一一年九月、田中角栄首相の訪中に れ、原理的に否定することの危険を回避す なせ文革なのか より日中国交正常化がなった後の身近な変 べく、毛への評価を " 功罪〃という曖昧よ 鄧小平が再復活し ( 七七年七月 ) 、華国化と言えば、中国の要人が来日するときの かたちに落ち着かせたのである。文革を否 峰が党主席辞任に追い込まれて ( 八一年六防衛 ( 警護 ) の主たる担い手が日中友好定しながらも毛を否定しないという自己矛 月 ) 、私は叫んだ。「″文革〃は何処へ行っ運動を担う活動家から警察官に替わった 盾を解決する道は、文革についても全否定 ことであったが、 たのだ ! 」 この変化を前にして中国することなく毛と同様にその " 功罪 ~ を明 大学に人学したとき、時代に押されたとの外交政策転換の意味を問うことはあってらかにすることにあったはずではないか。 しうこともあったと思うが、最初にやった も " 中国 ~ の連続性に疑問を呈するような 結局のところは、社会主義国家を守らん ことは社会科学系のサークルを選ぶことだ ことはなかった。しかし、七〇年代末から がための党ー官僚層の強化と権力集中がも った。たどり 着いたのが中国研究会だった 始まった改革開放政策については、中国国 たらした腐敗にメスを人れられないまま、 のは偶然だったが、以来、縁あって中国を家の連続性はどのように保たれるのかとい 建国前から見れば相対的には安定してきて 取引先とする書籍の輸出入に携わる会社に う、社会主義中国に関わった人々の多くが いた経済をより発展させるために、より豊 人り、途中からは出版部門の編集者として感じたであろう疑間を私ももった。 かな生活を目指して市場社会主義を導人す 長く〃中国 ~ と関わってきた。編集を担当 一九八一年六月の、文革を否定し、毛沢るが、社会主義から資本主義へという政治 した書籍は古典から現代まで、分野も歴東の功罪を説いた「歴史決議」 ( 建国以来経済の構造的転換。ーー大いなる飛躍に伴っ 史・文学・政治・語学・医学などさまざまの党の若干の歴史問題に関する決議 ) は、 て生じる諸矛盾を絶対的な存在である党の にわたるが、それらの書また著者の方たち 社会主義制度下、 ( 資本主義 ) 市場経済を「知恵」のうちに、卩 只ち党ー官僚層へのさ から刺激を受けながら志してきたことは自取り入れるという転換を選択した国家の連らなる権力集中によって乗り切らんとし、 分なりに " 中国。を見る目を揺るぎないも続性を保っために必要不可欠なものであっ権力の腐敗を構造的なものとしてしまった のにしておきたいということだった。その たのだろうが、それは誤魔化しでしかな ということではないか。文革をなかったも 思いの先に常に回帰してくるのは " 文革… 文革を否定するのであれば、当然、文のとして「歴史認識」の対象から外すこと であった。それは " 中国 ~ との出会いとな革を主導した毛 ( 日毛の思想 ) も否定され によって、国家の連続性は表面的には辛う った中国研究会で一年目は中ソ論争、二年るべきであるにもかかわらず、建国の父でじて保たれることになり、少なくとも文革 目は文革が年間テーマとされたことにも影 あり、党組織のトップにあり続けた毛の否始動期において毛が解体を目論んだ党ー官 響されているのかもしれない。 定が党の否定につながりかねないことを恐僚層もまた連続性を保つことができたのだ 1 20

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」、刀 としてのみあったのである。とはいえ、この迂回によって、こ要求が、第三帝国の大道芸人的で不吉な様式とは別の形で現実のものと の世紀半ばの主な政治的破局が不可解なデーモンの登場を介して唐突なったのはおそらく実際まさにこの時期である。それゆえわれわれは、 に現れたのではないという事実が意識化されたわけではない。支配的な平凡な人間であるにもかかわらず、この点に関してはニーチェ主義者で シェーマは依然として未開の、狂気の、裏切りの、方向転換の、あるい あったし、また依然としてそうである。つまり一言で言えば、われわれ は悪意のそれに留まっており、往々にしてそれはーー知られてはいない はニヒリズムの出口への道を開いているのだ。その道が狭くて困難なの は周知のことだが、しかしそれは開かれている。 がーーー意識してというよりは夢遊病的な形であったのだが、そのことは われわれにはいくつかの分析によって学びまたは推測することが可能で というのは、まさにニヒリズムの出口は、われわれがさまざまな概念 あった ( たとえば、バタイユまたはべンヤミンからアーレントまで、あ形成や価値形成との対決の外へ出始めた時に始まるからであり、これら るいは . : トクヴィルまで ) 。 の価値形成は、さまざまな自由な選択、常に多少なりと主体的なーーー一一一口 走り書き風に言うとーーわれわれは民主主義が非難・攻撃されるのはわば諸価値の普遍的なデモクラティズム ( 市民あるいは民衆主義 ) 知っているか、それ自体がさまざまな病いに晒されていたこと、また、 う形でーー・選択にのみ関わる、あるいは最終的審級においてはそのよう 自らが再発明されるのと同時にあるがままの形で守られるよう求めてい に見えるということを秘密裡に ( そして / あるいは知らぬ間に ) 共有し たことはわかっていなかった。六八年は、こうした発明を求める最初のていたのである。実際われわれは、諸選択の対決を許容する思考の制度 噴出であった。 をすべて脱臼させているところであった。というのは、われわれは《概 それまでヨーロツ。ハ左翼は非植民地闘争および当時「現実的」と称さ念形成》、世界の《ヴィジョン》または《イメージ》 ( 世界像 weltbilder) れていたコミュニズム。ーーーそしてこの現実とはコミュニスト以外にはすからさえも抜け出ていなかったのだから。われわれは、理論的パラダイ べてであった と訣別すべく運命づけられていた ( 極左ないしは社会 ムとしてのヴィジョンがまた地平線の輪郭、目標の決定、そして操作上 主義左翼の ) さまざまな再結成の探求に突き動かされていた。しかしまの前ヴィジョン〔予測〕を含む普遍的制度からは抜け出ていた。非植民 さに破壊的要求としての非植民地闘争は、しばしば自らの火急性および地化の深い衝撃ーーある時は社会主義Ⅱ革命の、またある時は社会主義 熱情によって、わき道に逸れたあるいは不十分なヴィジョンを調整する Ⅱ共和派のモデルを伴った と共に、思考および表象の構造地質学的 ルース、デリタ だけでは十分ではないということを隠蔽していた。そうした闘争は、ま な変移のさ中で、レヴィⅡストロース、フーコー さに歴史の主体を正すだけでは十分ではないということを隠蔽していた が夙にそう診立てていたように、われわれは《 ( 大文字の ) 歴史》の時 のである。 代を去っていたのたが、まさにその一方で、サルトルは大胆にも、社会 確かにこの同じ時期に、思考に関わる深い変化が始まっていた 的プラクシスという主体の思考をまた新たに捉え返そうとしていた。 だし、最も広くかっ深い、活動的でかつまた現実に即した思考という意 Ⅳ民主主義の主体について 味であって、つまりは、文明の、存在の、また価値判断の諸形態に関わ というニーチ工的な る反省意識の思考である。《あらゆる価値の転換》 ある種の人々がそう信じ、嘲弄に値するといまだに考えている《六八 1 90

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的価値からこそ出発しなければならないと言うのである。決して《すべは単なる禁欲ではないし、節制への勇気ないしは美徳ーー・これらは依然 ては等価である》ーー人間、文化、言葉、信仰ーーからではなく、常に として結局は儲けることの断念、欠如と考えられているのかもしれない へ向かうものではない。 《何ものも等価ではない》ことから出発するのだ ( 貨幣を除いてすべて さまざまな同一性およびそれらを分かち持 が常に生成しうる ) 。それぞれ・ーー一つの、二つの、多くの、民衆のそっための空間が開く民主主義的政治、しかしそれ自体は現われるべきも れぞれの単一な《一つ》 は、限りなく義務を負わせる、そしてまた のではない。それがまさしく、今日、政治的勇気が言わねばならぬこと それ自体、行為化、作品化、労働化されることを自らの義務とする単一である。 性、単数性において特異なものである。しかし同時に、厳密な平等は、 主要な同一化 それは王、「父親」、「神」、「国家」、「共和国」、「民 これら通約不能なものが分かち合う体制である。 とい , フィメージによって 衆」、「人間」、「人類」、さらには「民主主義」 ートル・アン 支えられていたものたが、しかしこの同一化の断念は、逆に、共にある 無限のために形成された空間 ー存在において場所、役割、価値ーー、測り知れないものだーーーを占める 等価ではない肯定の状態は、政治がその空間に配慮しなければならぬように万人および各人が一体化する ( 今日では《主体化する》という言 ということにおいて政治的である。とはいえ、肯定それ自体は政治的で い方が好まれる ) 可能性の意味での同一化とは矛盾しない。政治を生み それは、われわれが意味しようとするものすべてーーー存在的、出すもの、《よく生きる b 一 env 一 v 「 e 》こと ( アリストテレスはこれによっ 芸術的、文学的、夢想的、愛の、科学的、思想的、遊歩的、遊戯的、友て政治を規定する ) を生み出すもの、それは、まさこ、。 ( し力なる方法に 好的、料理の、都市計画の : : : 等々である。つまり政治はこうした一連よっても、 いかなる形象によっても、 いかなる概念の下においても決定 のレベルを何ら包摂しないで、そうしたものに場所と可能性を付与する されない一つの《善 bien 》である。したがって、ポリスの形象ないし概 のである。 念によっても同断である。このポリスは単に ( 《そこにおいて》という 政治はもはや、さまざまな主張がなされうる始まりにおける曖味さのよりはむしろ ) そこに由来する場所、そこに基づく場所であり 輪郭または複数の輪郭をしか描かない。 政治は断言しない、 それは断言しながらそこから出ることもなく、都市、民族、民衆、国家をあらゆる への諸要請の正しさを認めるのだ。それは《意味》または《価値》を担面でもつれさせる世界から出ることもなく 、あらゆる《善》が包む わない、それは《意味》や《価値》が所を得ることを可能にするのだが、無限の測りがたさに相応するような《よく生きること》をデザインし、 この場所は、政治が完成された姿として自らに求めるかもしれぬ完成さ描き、夢み、歌い、思考し、感じることが可能なそういう場所。 れ、実現され、固定的なものになった意味作用の空間ではないというこ 民主主義は形象可能なものではない。 しかも本質からして形象的では とを可能にするのだ。 結局われわれがそれに付与しうるのはおそらくこご オカ一つの意味で アソンプシオン 民主主義政治は自ら姿を現わすことを断念している。つまりそれは、 ある。すなわち、民主主義は、ある運命の形象化の受諾を、共通な アソンプシオン 誰もかそう言おうとするように、断言され、発明され、作られ、想像ものの真実の受諾を託すのだということ。しかし、民主主義は共通 された形象の増殖を許すのである。それゆえ、〈自己同一化〉への断念の空間に形を与えることを課すのであり、その結果われわれには、無限

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る「差別ーの問題を、ナショナルな枠組のなかの「格差ー とも卑劣な政治的Ⅱ統治的立場に便乗・加担している強 の問題に還元したうえで排外主義を「コントロール」す者たち ) が、「あれはダメだ」「これもダメだ」と鎮圧し べきだというような萱野の主張は、国家権力による統治てまわることよ、、日 ( ししカ減で止めさせなければならない。 のための露払い以外の何ものでもない。金光翔が言うよそしてわれわれはもう一度、他なる力、他なる声への応 ) 「〔排外主義が強まるからというような〕論理なら、答を通じて「まだ見ぬわれわれ」へと生成することを信 まだ、はじめから外国人排除を主張する連中の方がすっ じ、それを妨げる「現実」 ( 主義 ) との闘いをはじめな ければならない。 きりしている」 ( 「〈佐藤優現象〉批判」 ) だろう。「同じ 日本人」としての社会的承認によってある人間が救われ ることを肯定するときに、その論理によって暴力的に排萱野のようなインテリは「外国人労働者」と「日本人 除されている他者の存在に無感覚であるか、排除を容認労働者ーの利害の平面的な綱引きのようなレベルでしか できる萱野が「排外主義」をコントロールするなどとい 「カ」をとらえきれない。だから彼は「労働条件が悪化 うのは、一体どこまで倒錯した茶番なのであろうか。 すれば日本人は排外主義を強める」という程度の単純な 「国家は暴力独占機構」だと分析してみせることも大ことしか言えず、しかも外国人労働者の流入規制賛成な 事であろうが、私たちにとって国家の暴力とはいま現在 どのご立派な持論を披瀝するに際して「労働運動のため 振るわれつつある資本制天皇制国家の暴力なのであり、 、ことですので、僕も厭わず論争しています」な 新たな暴力が振るわれる度、「私たちーには「殺した側」 どという人を馬鹿にしきった言葉が吐ける。自分自身が としての法的・政治的な負荷が残されてゆくのだ。その単なる「利害」を越えて政治的に闘おうとしている人間 ような切迫の中で、また新たな国家・資本の暴力が準備ならば、他所で同じように闘ってきた、また闘っている されているその時に、「私たち」の存在、「私たち」のな人々の姿が見える。そして政治的な闘いとは、経済的な すことは常に問いただされている。私たちは「まだ見ぬ利害の綱引きや国家権力相互のヘゲモニー争いなどには われわれ」としての「民衆ーへと向かうのか、それとも決して還元できない、 異質な力の相克、すなわち「階級 「民衆」を嘲笑しつつ「ヤクザな現実」に屈伏するのか。 闘争ーである。そのような闘争とは無縁な安全地帯で どんな政治的立場にも関与しないもの ( そう見えてもっ『資本論』を解説などしながら「サヨク」と粘着する萱