204 「明日も予備校あるし」 それから円は、ちょっと俯いた。 「なんかさ、疲れちゃった」 「疲れた ? 」 「うん。毎日頑張ってるのに、なかなかうまくならないし。先生にも言われた。このままだと、 ごうかくきび さいのう ちょっと合格は厳しいって。わたし、才能ないのかもね」 「そんなことねえよ」 たし あらけず 僕は言った。円は確かに荒削りだけど、下手じゃない。 「学校、何個受けるの ? 」 さと 気乗りがしない声なのを、悟られないように、努めて明るい声で言った。それが成功したか どうかは、よく、わからなかった。 円は、。ほっ。ほっと、いくつかの美大の名前を告げた。最後に、僕が通ってる美大の名前を一一 = ロ 「でも、あんたのところは、ムリかも ちゅうけん 僕の通っている美大は、中堅で、割と人気がある。決して、簡単に合格できるようなところ じゃない。 りつ 「 : : : 合格率、どのぐらいだって ? 」 っこ 0 うつむ かんたん
いが、メールは可愛らしい。メール、顔文字や、機種依存の絵文字が多い。なんとなく、円ら しくない。 ないよ、つ ロ ? と思うような感じだった。とにかく、今日あったことを報告 円のメールの内容は、日記 よび してくる。昼飯になにを食ったとか、絵の予備校で、描いた絵のこととか。腹が立っことがあ った日の、内容は長い。そこは円らしい のらねこと デジカメ付きのケータイなので、メールに写真がついてくることもあった。野良猫を撮って、 了一ま タイトル『ネコ』、本文『三毛猫』で終わっていたりする。コメントに困る。それでもなんと とたん か感想を送らないと、途端に円は不機嫌になるから、『可愛いネコだね』とか、そんな内容の メールを送る。 するともっと写真を送ってくる。タイトル『たくさんのネコ』、本文『集会中』だったりす タる。ほんとにコメントに困る。返事をしないと円は途端に不機嫌になるから、『ネコも集まる さび レ ・フんだね。寂しがりゃなのかなあ』とか、そんなどうでもいい内容のメールを送る。 わす の うつかり返事を忘れた場合、円は不機嫌になる。円は基本的に意地が悪いので、不機嫌にな け がぞう かると、ヘンな画像を送ってくる。どこで集めたものか、グロい画像だったりする。僕は基本的 描に気が弱いので、もう、それだけで落ち込む。落ち込んでも、とにかくそれに返事をしないと、 電話がかかってきて、なじられる。大抵、円は言いたいだけ一言うと、がっちやり電話を切る。 そのあとかけなおさないと、もっと不機嫌になって、メールを寄越さなくなる。円はとにかく きほん
ヤマグチです。この作品は初め、読みきりという形で始まった作品です。ほんとは一話で終 れんさい わるつもりで書いたのですが、なんやかやで、連載を続け、こうして一冊の本にすることがで よろ きました。大変喜ばしいことです。 たんと、つ ふつうれんあいしようせつ 一番初めに担当のさんとお話をしたときに「とにかく普通の恋愛小説をやってみたい」と りきせつ いうのを力説されておられて、なんちゅうかそれは僕のやりたいことでもありました。 「胸がね」 「キュンとするやつです」 き「キュンとするやつですか」 カ 「はい。キュンキンさせたいじゃないですか」 と へんしゅ、 2 つよう あそう言ってうっとりした顔つきをするさんは、今やファンタジア。 ( トルロイヤルの編集長 じようねっ 様だそうで、なんか、大丈夫なの ? とか思うんですけど、そういった清熱は大事です。僕も おかげさまでその情熱にあてられ、筆が進んだと思います。 むね 亠めとがキ」
112 「誰呼んだの ? 「伊東ー 一時間ほどして、外からホンダのエンジン音が聞こえてきた。アパート ビニのビニール袋を持った伊東が現れた。 「酒、買ってきたそ」 橋本は無言で、ビニール袋を受け取り、中からビールを取り出し、僕に投げた。 うるわどうせい 「麗しき同棲生活のスタートに乾杯や」 それから僕らは、朝まで酒を飲んだ。橋本は相当に飲んだ。飲んで、呪文のように何度も同 じ話題を繰り返した。 「女なんていなくなったほうがええ。そう思うやろ ? 」 酔った頭で、円のことを思い出した。 あいづち 「そうだね」僕は相槌を打った。 「何がそうだね、や。気取るんやないで」 「気取ってないよ」 「まあ飲め」 「飲んでるよ」 空が白み始める頃、橋本は寝てしまった。伊東も大口をあけて寝ていた。 くろ ころ あらわ じゅもん の扉が開いて、コン
「あの子も父親に似て、頑固な性格ですから。東京って、そんなにいいんですかねえ」 せ なんとも言いようがなくって、僕は困ってしまった。母親の口調は、ある意味、僕を責めて しるようにも聞こえた。 よび 「円さんは、予備校にちゃんと行ってますか ? 」 たず そう、尋ねてみた。 「ええ。行ってるみたいですよ」 「そうですか」 「あの子が東京に行くことになったら、よろしくお願いしますね」 母親は、、 月さい声で言った。 タ「あの子、あなたから電話がかかってくる時間になると、用もないのに上から降りてくるんで となりすわ ざっし レ プすよ。電話の隣に座って、雑誌なんか読んでるんです」 の「あ、は、はい」 僕は間の抜けた声をあげた。 描「親に似て、ワガママな子ですけど、仲良くしてやってくださいね」 母親はそう言うと、電話を切った。 なるほど。、 しつつも円が出るのは、そういうワケだったのかって思った。僕はなんだか明る ぬ がんこ せいかく 、」ま お
「 : : : そっか」 「お父さんが、よくなるまでは、家にいなさい、なんて言い出して」 はず よくなるまで。それはない筈だ。円の父は、彼が自分で言ったとおり、夏までもたないかも しれない。 円の母も、自分の夫の死期が近いことを知り、夫の望みをかなえてやりたくなったんだろう。 それが人情というものだ。でも、円はそんなことは知らない。父親に対する愛情もないから、 そろ じゃま 二人揃って自分の進路を邪魔しているようにしか、見えないのだろう。 「なんでカンケーないやつの、カンケーない病気で、邪魔されなくちゃならないの」 冷たい調子で、円は言った。円は父親を嫌っている。義理の父だと思っている。ほんとうは、 血のつながった親子であることを、円は知らない。 ちよくせつ 僕は知っている。夏に、円を迎えにきた父から直接聞いた。なんともややこしい話だった。 レ プ僕はなんとなく、気になって、円に聞いてみた。 の「お見舞いには行ってる ? 」 案の定、予想した通りの返事が返ってきた。 き 描「行くわけないじゃない。顔も見たくない」 「行けよ」 ちょっと強い調子で、たしなめるように僕は言った。 むか きら ぎり
らしい。 「円は ? 僕は尋ねた。 「いっしよじゃなかったの ? 」 「うん」 「買い物から帰ってきたら、誰もいないから。いっしょだと思ったんだけど」 それから、美智子は僕の後ろに立った橋本と伊東に気づいた。 「あんたたちもいたの ? 「いて、悪いんか ? 」 トゲのある声で、橋本が言った。美智子が困った声になった。 タ「そうは言ってないじゃない」 レ ・フ この二人は、電車の中で言い合いをして以来、うまくいっていないのだ。橋本は美智子が好 こい のきなおかけで、美智子の恋の相手のワタナベさんの悪口を言ってしまった。 それ以来、こんな感じなのだ。美智子は美智子で、橋本が自分のことを好きなことに勘づい 描ているから、余計にギクシャクしている。 5 「とにかく、あがってよ」 美智子は、まるで自分ちのような気安さで、そう言った。 - 」ま
「人は変わるよ」 さと むしよう その、まるで年下の男を諭すような物言いが、無性に癪にさわった。酔っていた所為もある あら かもしれない。僕は声を荒げた。 「わかったようなこと : : : 」すると、僕のその声が、美智子の大声に重なった。 「わかったようなこと、言わないでよ ! 僕と円は、前を見た。 さっきまで、楽しそうに話していた三人の空気が、変わっていた。 「一言わせてもらうわ。お前の性格な、勝手すぎるわ」 「わたしのどこが勝手過ぎるのよ」 こ、つろん いつのまにか、橋本と美智子の間で口論が始まっていた。 すわ 「なんでユキオの家に、のほほんと居座るねん。あいつな、彼女が遊びにきとるんやで ? 気 レ プ 、きかせろや ! の「だって、他に行くとこないんだもん ! それに、ユキオがいいって言ってるんだから、 かじゃない ! 」 描他の客まで、こっちを見始めた。伊東が「やめろお前ら」と言ってとりなしているけど、一一 人は口論をやめなかった。どうやら、お互いに、触れてはいけないところに触れてしまったら ・ : 酔った勢いで。 ほか せいかく
動いた。 げいのうじん どこかで見た芸能人によく似ていた。その芸能人の名前が思い出せなくて、僕はまじまじと 彼女の顔を見つめてしまった。 「どうしたの ? わたしの顔になんかついてる ? 」 しいやその : きおく どうしてここに寝てるんだろう、と僕は思った。昨日は随分と酔っていて、教室からの記憶 ぎもん がなかった。彼女が笑いながら僕の疑問に答えてくれた。 「昨日の夜ね、あれから大変だったのよ」 「ええ : 「キミは酔ってつぶれちゃうし : : : 、周りの子に聞いても、キミの家を誰も知らないし」 なんと答えていいかわからなくて、僕は頭をかいた。 レ 「すいませんでした」 の橋本と伊東はどうしたのだろう、と思った。きっと、あいつらは酔いまくって僕のことなん かか忘れてしまったに違いない。 おおさわ 描「みんな、二次会だーって大騒ぎでどっかに行っちゃうし。放っておくワケにもいかないから、 タクシー使って帰ってきたのよ。キミを引きずってね」 めいわく 「いやもう、ご迷惑をおかけして : : : 」 ずいぶん
そんなある日、美術室のドアが開いて、円が姿を見せた。反射的に「何かされる」と思った みがま 僕は身構えた。 でも、円は僕を見ても、悪戯をする前の笑みは浮かべなかった。 「あの、ユキオくん : ・ めずら 円は珍しく、『くん』付けで僕を寧んだ。 「なんか用か」 かた 円が近づいてきて、僕の肩に手を置いた。 思わず、その手を振り払った。円は、。 ひくっと震えて、頭を下げた。 「その、今までごめんなさい」 と、つレ」っ いきなりの円の謝罪だ。唐突なので、僕は面食らった。 「熱あんのか ? 「ないよ。ただ、今までわたしがユキオくんにしてきたこと、謝りたいの」 「いきなり、なんだよ」 「学園祭だし。だから、ちょうど、 しいかなって」 しいかなって、と言って、円は真っ直ぐに僕を見た。やつばり、綺麗だった。 「 : : : ま、いし 、けど」 ろん 円が、そんな風に下手に出るのなら、とくに僕に異論があるはずもなかった。円が差し出し しゃざい はら いた子・ら すがた ふる はんしゃ あやま きれい