帰っ - みる会図書館


検索対象: 描きかけのラブレター
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1. 描きかけのラブレター

180 で、橋本がどうしたかというと、当然といった顔で、僕のアパートにいついた。住まわせて けんきょ くれ、とか、世話になる、とか、謙虚なセリフの一言さえなかった。 りつば 橋本は文字通り、一言の断りもなく、僕の部屋にいついたのたった。なんかもう、立派とし か言えない。 いばらき よくじっ 円を茨城に帰した翌日、コンビニから帰ってきたら、橋本が僕の部屋に布団をしいて寝てい た。朝起きると、飯を作っていた。それを食べて、二人で学校に行った。 げんじゅぎよう 橋本より、その日一時限授業が長かった僕が帰ってくると、橋本は先に帰っていて、テレビ かんべき を見ていた。伊東に相談すると、「俺ンちは実家だから」と、完璧に押し付けられた。 うるわどうせい そんなわけで、橋本と僕はいっしょに生活していゑ麗しき同棲生活だ。もう十一一月になる ので、ほ・ほ六か月以上、橋本と暮らしている計算になる。 かぶ 橋本が言うには、努力の甲斐あって、橋本に対する美智子の株は上がりつつあるらしい ・ : 橋本がそう思っているだけかもしれないけど。世の中はそんなに甘くない。 まあ、問題は山積みだが、橋本も美智子も、望んだ方向に、少しずつ動いている。 : でも、その結果、僕がワリを食っている気がする。ちょっとは気が引けるのか、橋本は いつも飯を作ってくれる。そしてたまに無言でお金をくれる。五千円とか、一万円とか。 っしょにファミ ユキオに似合うかも、と言って、気に入っていたはずのコートもくれた。い レスに行ったりすると、セットのデザートをくれたりする。気持ち悪いからいい、と言っても、 か あま ふとん

2. 描きかけのラブレター

円は、肩に置かれた僕の手を、右手で外した。椅子から立ち上がると、帰る、と言った。 幻『帰ろう』じゃなくて、『帰る』だった。 さび なんだか、もどかしくて、何にも解決していなくて、僕はとても寂しい気持ちになった。 ふきげん 家に帰ると、冷たくなったご馳走と、不機嫌な母親が僕を待っていた。僕の電車の時間を聞 いていた母は、僕の帰ってくる時間を予想して、食事を作っておいてくれたのだった。 どこに行ってたの ? と聞かれたので、「学校」と答えた。 「学校って、あんたが通ってた高校 ? 「うん」 「なんで家にも寄らずに、そんなところに行くの ? 」 「いや、ちょっと」 「夏にも帰って来ないから、気が変わったんじゃないかって、お父さんと心配してたんだよ」 おどろ 母がそう言って、僕を睨んだ。父は新聞を読んでいる。僕は父に、駅前が寂れていて驚いた 話をした。 「不景気だからな」と、市内で洋品店を経営している父は新聞から目を離さずに言った。 もう 「ほんとに、この街は不景気でどうしようもないの。たから、ウチも全然儲からないの。だか ら、仕送りはあれしか送れないけど。あんた、大丈夫だろうね」 にら ちそう だいじようぶ さび

3. 描きかけのラブレター

びとく シフトを入れざるを得なくなってしまった。頼まれると断れない性格は、僕の美徳であり、弱 点でもある。 「で、自分、いっ帰るん ? 」 「二十六日」 橋本は、ヤレャレといった顔になっこ。 「クリスマスって、これは、女にとっちや一大イベントやで ? ダイヤに匹敵するキラキラや。 帰ったれや」 「あいつ、クリスマスにどっか行くなんて、嫌がるに決まってる」 「そんなことあれへんて」 「いやあ、だって、円だもん」 橋本は円をよくわかってない。円に「クリスマス、どっか行こうか」なんて言ったら、鼻で プ笑われるに決まっている。「あんた、一人で行けば ? あたしは神社にお参りしに行くから」 のぐらいのことは言いそうだ。でもって円のすごいところは、ホントに行くところだ。僕はそう か思ったから、『二十六日に帰るよ』とさきほどメールで報告した。 描「そのこと、彼女に言ったんか」 「さっき、言った」 「 : : : アホゃなあ」 ことわ せいかく ひってき

4. 描きかけのラブレター

今は夏だ。円んちの旅館は、東京や栃木辺りから海水浴に来た客で溢れているに違いない。 きっと、駅に娘を迎えにくるどころじゃないんだろう。 「ほんとに、あんたって意地悪ね」 わがまま 「お前が我儘なんだろ」 「じゃあ、 しいよ。濡れて帰るから」 どろみずは 円は、歩道に飛び出した。いいタイミングで、タクシーが円にむかって泥水を跳ね上げる。 「なによ、もう ! 」 しようがなく、僕は円を傘に入れてやった。 「ありがとう」 かわい 円は、僕を見ないで、そう言った。どうして、こいつはいつも、僕に可愛くないところばっ かり見せるんだろう。 台風は弱まらず、僕と円は散々に濡れた。家に着くと、円はちょっと待ってて、と言い残し て旅館の中に消える。 かわら りつば せんとう 円の家は瓦屋根の立派な日本旅館で、銭湯にちょっと似ていた。 げんかんもど タオルで頭を拭きながら、円が玄関に戻ってくる。 「あがって。お母さんがお風呂に入っていきなさい、だって」 むすめ ふろ とち

5. 描きかけのラブレター

僕は随分長い間、そうやって円の肩を抱いていた。 幻しばらくすると、落ち着いたのか、顔を伏せたまま、円が。ほっりと言った。 「ごめん」 「いいよ。俺も、悪いんだ。きっと」 「ちょっと、最近、ブルーになることがあってさ」 「フルーフ・ 「うん。もしかしたら、わたし、東京、行けないかもしれない」 なんだか、イヤな予感がした。 「あいつ、倒れちゃったんだ」 「あいつって、お父さん ? 」 「うん。二週間くらい前。それまで調子悪かったらしいんだけど、全然知らなかった。ほとん よび ど顔も合わせないから。予備校から帰ってきたら、入院したって、お母さんから聞いた」 そ、つぞ、つ 僕は、夏に会った円の親父さんを想像した。思えば、あのときも、随分ムリをしているよう むちゃ さわ に見えた。もしかしたら、そんな無茶な行動が、体に障ったのかもしれない、と急に心配にな っこ 0 かいよう 「胃潰瘍だって。だから、倒れたっていっても、たいしたことないらしいんだけど。でも、そ もんく れまで、東京に行くことに、文句つけてなかったお母さんまで、反対を始めてさ」 ずいぶん たお

6. 描きかけのラブレター

ルが空くまで他の客と身を寄せ合う僕らは、さながら難民のようだった。 テーブルが空いて、僕らが通されたとき、円の機嫌は目に見えて最悪だった。前菜が運ばれ てきて、僕らはそれを食べた。 さ っ フォークの先にトマトを突き刺して、円が言った。 「ねえユキオ」 「うん ? さいのう 「ただ野菜をきって並べるだけの料理がここまでまずいってのは、一種の才能ね」 むすめ したこ 味が値段に比例しない場合があゑよくある話だ。円は旅館の娘だから、舌は肥えているの がまん だろう。一食七千円のコースだった。僕はこの日のために、プレイステーション 2 を我漫した。 もちろん、円はそんなことは知らない。でも、頭にきた。 「じゃあ食うな」 僕が低くそう一言うと、円はテーブルの料理を僕に押しやった。僕は無言で全部食べた。円は 何も言わずに僕の分のデザートを奪って、二人分食べた。 だま レストランを出たあと、円は帰るかと思ったらそうじゃなかった。黙って、僕の後ろをつい しようちん てきた。気まずかった。気合を入れたはずのデートが空回りして、僕は意気消沈していた。 なんとなく僕らは夜の街をと・ほと。ほ歩き : : : 、僕はどうしてこんなことになったのだろうと、 そればっかり考えた。 ねだん よ なんみん

7. 描きかけのラブレター

202 「一言ったろ。バイトが入っちゃったって。でも、そのバイト代で買えたんだから、 えかよ」 「プレゼントより、帰ってきて欲しかったよ」 円はぼつりと言った。そのセリフにぐっと来た僕はじっと円を見つめた。こころなしか疲れ ているように見えた。毎日、絵の予備校に行ってるんだろう。イヤなことでもあったのかもし れない。絵が、上達しなくて、悩んでいるのかもしれない。 でも、予備校のことは聞きづらかった。そうすれば必然的に話題は、進学のことになるから けつろん おやじ だ。僕は、まだ、円の今後の進路について、結論を出せないでいた。親父さんを思えば、円が じようたい 引っ込む。そりゃあ、普通の状態なら、円の側に立って、何がなんでも東京に来い、と一一一一口える むすめ 冫したいという のだけど、円の親父さんに残された時間はあとわずか。その間、娘といっしょこ、 願いは無視できない。 「うまくなったのか、とか、聞いてくれないのね」 円は、よどんだ声で言った。 「いや、聞こうと思ってたけど」 もごもごと、僕は一一一口った。 「『けど』ってなに ? 『けど』って。あんたさ、わたしに東京に来て欲しくないのフ 「そんなワケ、ねえだろ」 こ なや よび しいじゃね

8. 描きかけのラブレター

126 かんじん 部屋にあがったはいいけれど、肝心の円がいないので、どうにもならなかった。 「あいつ、帰ったのかな」僕がそう言うと、美智子が首を振った。 かばん 「鞄があるから」 円のポストン・ハッグが、部屋の隅に置かれている。 ′」かい 「誤解したのかな」 美智子がぼつりと言った。 「何を ? 「わたしと、ユキオのこと」 きんちょう くちびるゆが 部屋の中の緊張が高まった。橋本がつまらなそうに、唇を歪める。 「うん。お前、あいつになんて言ったの ? 」 そして、僕は頭の中で話を整理し始めた。昨晩、美智子が僕のアパートに酔ってやってきた。 しつれん ねむ 失恋したと言って泣いていた。そのうち眠ってしまったから、困って僕は橋本の家に行った。 もど 朝になって戻ってきてみれば、円がいて、美智子と話していた。 いったい、美智子は円とどんな会話をしたのだろう。 「別に : : : 。起きたら、ユキオがいなかったから、朝ご飯つくってたのね」 「なんでそんなのつくるの ! すみ ふ よ

9. 描きかけのラブレター

のぞ まゆ 眉がちょっと上向いているところを除けば、文句なしの美少女。 せいかくせ その眉の上向きは性格の所為かもしれない。 ようし きわ 激しい性格と、容姿のギャップが、際どいところでせめぎあう。それが円だった。 かみにあ 彼女は、髪と身長の。ハ 確かに円は綺麗だ。長い髪が似合う女の子は、現実にはそういない。 , ランスが、贈らしいほどに取れていた。 きず ちが とカ 円は、それまでの憧れと違った。まず、異性で、僕をキリキリ傷つけるように尖ってて、そ きより して触れようと思えば、触れることのできる距離にいた。今までの「憧れ」はどことなく・ほん ばくぜん やりと、遠く漠然としていたけれど、円は一つのかたちとしてそこにあった。 いんせき 円は僕にとって異分子だった。不意に飛び込んできた隕石のようなものだ。太古の地球よろ とり、、 のうてん 彼女は太古の隕石が しく、僕は脳天にがつんと一発くらい、結局のところ彼女の虜になった。 , せいたいけい 地球の生態系を変えたように、僕の世界を変えた。 そんなわけで、円と絵の話をする。 どっちも僕にとっては何より大事なことだからだ。 ふ げんじっ

10. 描きかけのラブレター

めずら 「どうしているのがわかったんだ ? て顔だね。円の家出は珍しくないからね。帰ってこない から、まただ、と思って、ウチのに聞いた。そしたら、君の名前を言った。迷惑かもしれない けど、君のご実家に電話して、君の電話番号と住所を聞いてね」 「遠くまで、ご苦労様です」 僕はしまらない感想を述べた。円の父は、ははは、と笑った。 「君がどんな男なのか、確かめたかったし」 僕は下を向いた。僕がどんな風にこの中年男性の目に映ったのか、それが気になった。 「安心したよ。君は悪い人間には見えない。娘の趣味にどうこう一言うつもりもない」 す 僕はほっとした。少なくとも、娘と付き合うな、みたいなことは言われずに済んだ。 ひま によう・は、つまか 「それに、たまに来るなら東京も悪くない。家のことは女房に任せつばなしだし。僕は暇なん タだよ むしよく レ どうやら無職らしい。そのくせ、引け目みたいなのがどこにもない。なんとも、変わったお のっさんだった。さすがは円の父というべきか。いや、確か、この人は円の義理の父だった。円 おさな かの本当のお父さんは円が幼い頃に死んでしまったはずだ。円の母の、再婚相手というワケだ。 きら 描そして、円はこの義理の父を嫌っていた。その話を、円の部屋で聞いたことがある。 「で、話というのはだね」 の しゆみ さいこん ぎり