見つめ - みる会図書館


検索対象: 描きかけのラブレター
52件見つかりました。

1. 描きかけのラブレター

「父らしいことなど、何もしなかった父です。恋人のそばに行きたい、 くなんて、できないよ」 円の父は笑って言った。 「でも、最後の一年ぐらい、娘といっしょに過ごしたいんだよ」 うそじようだん 円のオヤジさんは、それから僕を真っ直ぐ見つめた。嘘や冗談を言っているようには見えな かった。きっとそれは、全部本当のことなのだろう。だからこそ、わざわざ円の父はここまで やってきたのだ。嘘なら電話で済む。 きつぶ わた それから、僕に切符を渡した。 「これ、円に渡しておいてください」 僕は・ほんやりとその切符を見つめた。なにか言おうと思ったけど、言葉が出なかった。 タ「円のどんなところが気に入ったんだい ? 」 ちゅうとはんば レ けんめい ・フ僕は真剣に考えた、中途半端な答えじゃ、よくない気がした。一生懸命に考えたけど、気の のきいた答えは見つからなかった。結局、もごもごと僕はロの中で呟くだけだった。 「綺麗で : き 描「あの子は僕に似ている。娘は父に似るっていうけど、そっくりだ。いろんな意味でね。きっ と苦労するよ」 うまく一一 = ロ葉にならなかった。オヤジさんは立ち上がると、僕にペこりと頭を下けて言った。 きれい つぶや という娘を縛り付けと

2. 描きかけのラブレター

かばんさ 鞄に差した白い五百円のビニール傘を見つめる。こいつで予備校に行ったら、きっと、つく 頃には服を着たままプールに飛びこんだようになるだろう。 ためら 駅は僕みたいに外に出るのを躊躇う人で溢れている。 そんな人ごみの中に円の姿を見つけた。 , 彼女はうんざりしたように腕を組んで、じっと駅の 外を見つめている。 円の家がこの駅にあったことを思い出した。駅を降りて、海側にずっと行った所に、円の両 親が経営する旅館がある。ここから歩いて、二十分はかかる。 円は傘を持っていなかった。 わす 家を出るときに忘れたのだろう。あいつ、意外にアホだな、と思った。 円がこっちを見た。僕に気づいて、一瞬、目を丸くした。 一それから唇を噛み締めて、駅の外に再び目を移した。 レ 僕は急に気まずくなって傘を鞄からぬいた。 ふ あ k 台風が吹き荒れる街へと飛び出した。予備校まで駆けるつもりだった。 たた け・おおつぶ 大粒の雨がばちばちと音を立てて、僕と傘を叩く。 描いきなり後ろから、誰かが僕の傘に飛び込んできた。一瞬、予備校の友達かと思った。違っ こん せいふく た。白いシャツに、紺のフレアースカート。僕の学校の制服。 円だった。 すがた 力さ いっしゅん こ うつ うで

3. 描きかけのラブレター

262 僕が部屋にあがると、橋本と美智子は僕に言った。 「おかえりなさい 「ただいま」 「ユキオ、 いいニュースが二つあるんや」 「なあに ? 」 もど おれ 「一つ目。俺、明日から自分の部屋に戻るわ」 「そりゃあ、よかった」 僕は美智子のほうを見た。 「で、美智子はどうすんのフ じようけん 美智子は橋本の部屋を使っている。自分のア。ハ ートを見つけるまでという条件で、橋本が自 分の部屋を貸しているのであった。 橋本が、自分の部屋に戻るということは、美智子はやっとアパートかマンションを借りるだ けのお金を作ったのだろうか ? 「部屋、見つかったの ? 」 たず 僕は美智子に尋ねた。 みよう 美智子は、首をかしげた。その仕草は、なんだか、妙にいろつぼかった。 「二つ目の いいニュースや」橋本が、代わりに答えた。

4. 描きかけのラブレター

のだろうか。 「もう、あんな落書き、すんじゃねえそ」 先輩は、そう言い捨てると、行ってしまった。殴られた頬が痛み出す。 すがた そのとき、円の姿を見つけた。 みつ この前、僕が絵を描いていた場所に立ち、彼女はじっと僕を見詰めている。 くちびるか 唇を噛み締めて、とても悔しそうな顔をしていた。 彼女の顔が、そんな風に歪むのを見るのは初めてだった。 むぼうび 泣きそうになっている円はとても無防備に見える。誰かに助けを請うような、そんな顔。 もど いっしゅん でも、そんな風に見えたのはその一瞬だけで、円はすぐにいつもの顔に戻った。 「気が済んだか」 僕は円にむかって言った。 「彼氏を使って復讐かよ」 「あの人は彼氏しゃないよ。それにわたしがやれって言ったわけじゃない」 「いい気分だろ。俺が殴られて」 ためら 躊躇うように首を振ったあと、円は僕のほうに近づいてくる。 まゆよ 上向いた眉を寄せて、 かんちが 「勘違いしないでよ。わたしは、冗談で言ったんだよ。ユキオ君が、わたしのマンガを描いて す し ふ ほお

5. 描きかけのラブレター

無限に感じるような時間が過ぎたあと、円はゆっくりと言った。 「わたし、寒い」 一番長い夜が過ぎたあと、雨の音で目を覚ました。べッドの上だった。 となり 円は僕の隣で寝息を立てている。 もうふ ほお 僕は円の頬をつねってみた。円が、寝ぼけながら顔を振り、毛布の中に顔を埋めた。 かくにん ゅめ 生まれてから今日までで、一番長い夜が、夢ではなかったことが確認できた。僕はほっとし 円の寝顔を見つめていると、なんだかどこまでも優しい気持ちになれる。なるほど、好きな 女の子が、隣に寝ているということは、こういうことなんだ、と思った。 タそんな風に見つめていると、円が目を覚ました。 レ 「 : : : 起きてたの ? 」 の「うん」 か円は、ぶるっと身震いした。 僕は円を抱きしめた。 「違うの。今度は、ほんとに寒い みぶる うず

6. 描きかけのラブレター

かげろ , っ すず 喫茶店の外は陽炎がたっている。喫茶店の中はクーラーがきいていて涼しいけれど、外はう しんきようそ - っぞ , っ だるような暑さだろう。この暑さの中、わざわざ東京までやってきたオヤジさんの心境を想像 僕は立ち上がって、喫茶店を出た。勘定は、オヤジさんが済ませていた。 ア。ハートに帰ってくると、円は慣れぬ手つきで料理をしていた。 僕を見ると、そっ。ほを向いて、再び野菜を炒め始めた。 「勘違いしないでね。あたしが食べたいから、作ってるんだから」 僕は無言で、円の前に、切符を突き出した。 火を止めて、円はそれを見つめた。 「なにこれ」 レ ・フ「切符」 の「切符 ? どうしてつ・ 円は怪訝な顔で、僕を見つめた。 描「今日の十一一時十五分上野発、特急」 「どういう意味 ? 」 「これで帰れ」 ふたた かんじよう

7. 描きかけのラブレター

シャツが上れて、い腹が見えている。 の上にあるの盛上がった丘を、 は腕を組 ' っと見つめた。

8. 描きかけのラブレター

ツができたら、それを隠せる円じゃないのに、 それはやつばり、離れているから、なんだろうか。 「あたしたち、何も、ないもんね」 「何もって ? 」 一」い・ひと 「恋人らしい、証拠とか」 しんぞう 円は僕を見た。僕は見つめ返した。心臓が鳴った。円は、僕に何かを要求してる、と思った。 よ 僕は勇気を出して、腕を掴んで円を引き寄せた。拒まれても、かまわなかった。 わり あず 円は割とあっさり、僕の胸に身を預けてきた。道行く人が、面白そうな顔で僕たちを眺めて いたけれど、気にしなかった。 あご 円の顎を、左手で持ち上げた。円は軽く唇を噛んで、僕を見つめた。それからゆっくり目を タつむった。 レ プ円の唇に、ゆっくりと自分の唇を近づけた。時間が止まったように感じた。 しゅんかん のでも、唇が触れそうになった瞬間、円は僕を左手でそっと押し返した。 カ 描「やつば、まだダメ」 「どうして」 「あんたさ」 ふ しょ・つこ うでつか むね か ーセントの不安が残ってしまう。 おもしろ

9. 描きかけのラブレター

118 円は答えなかった。僕の方を、見もしない。 それから、ゆっくりと机の上の目覚まし時計を取り上げ、見事なフォームで、僕にむかって それを投げつけた。 かた 目覚ましは僕の肩に当たり、床に転がった。 ひょ、つじようう 円は壁にかかった絵と同じ表情を浮かべて、僕を睨んだ。それから、僕に向かって初めて口 を開いた。 だれ 「誰 ? あの女」 ひび 転がった目覚ましが、ジリジリジリと乾いた音で鳴り響いた。 わす しかし、僕はそれを止めることも忘れ、じっと目の前の女の子を見つめた。なんだか、時間 が止まった気がした。 こいびと 円も僕を見つめていたけど、その目の中に三か月ぶりに会えたという、恋人の情感みたいな ものはない。 おこ 僕はとりあえす落ち着こうと思った。円は怒っている。怒っている円は、信管がつけつばな あっか しの爆弾みたいなもので、取り扱いがますいと爆発する。でも、僕は無事に信管を外したこと うれ あせ がないことを思い出した。冷や汗が流れた。こんなとき、ヤキモチを焼かれるのは本当は嬉し いもんじゃないのだろうか ? 僕はそう思ってた。 つくえ ゆか かわ

10. 描きかけのラブレター

168 「一年だけ、娘を貸してください」 きっさ そして、喫茶店を出て行った。 後に残された僕は、じっと切符を見つめた。いろんなことをいきなり知りすぎて、頭が混乱 きら ぎり した。円はあのオヤジさんを嫌っている。義理というだけでなく、自分をへンな目で見ている、 ′」かい よこしましせん と誤解しているのだ。邪な視線で見られて、母に嫉妬され、円は自分が嫌いになった、と言っ ていた。 でも、さっきの話を聞いた後で考えれば、それはヘンな視線でもなんでもない。円のオヤジ さんは、娘をただ愛しているのだろう。ほんとうの父と一一一一口えない分だけ、娘を見つめていたに だれ ゆず 僕は円を、誰にも譲りたくはない。 でも、そんなオヤジさんになら、一年ぐらい、譲ってもいいような気がした。 そしてそれは、なんだか、とっても正しいように思われた。少なくとも、円に嫌われたくな いばっかりに、「帰したくない , と意地を張るより、ずっと正しく、円のことを思いやった行 動じゃないかと、僕は思った。 なさ でも、円はなんと思うだろう。僕を清けないと思うだろう。言いくるめられて、自分を帰そ うとしている、と考えるだろう。それでも僕は、本当の理由を円に言うことができない。オヤ ジさんと、このことは一一一口わない、と、約束したからだ。 むすめ しっと