ロシア - みる会図書館


検索対象: 20200404/群像 2016年1月号
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1. 20200404/群像 2016年1月号

という印象があるんです。 ろう、などと思ったりして : 沼野おっしやる通り、今のロシアは危機的状況にあると思 沼野クルコフは民族的にロシア人で、母語はロシア語なん います。ウリッカヤやポリス・アクーニンなど反体制的な発ですよ。でもずっとキエフに住んでいて、独立心の強いウク 言をする作家は、プーチン政権下でさまざまなヘイトスピー ライナ人の立場を支持しています。つまり、西ヨーロッパ的 チに日常的にさらされています。特にウリッカヤはモスクワ価値観を共有しに入りたいと考えている人たちと気持ち に住んでいるので、身体にも危険が迫る恐れがある。本当に を同じくしているんですね。だから彼の立場はとても微妙で 心配です。 す。ロシア語で書くことによってウクライナ人からは親ロシ メディアも当局の統制下にあり、自由な報道ができませ アと思われる恐れがあるし、逆にロシア人からはウクライナ ん。そのような状況で作家はどうするかというと、亡命の道の味方をしている、と裏切者扱いされてしまう。 を選ぶのが一つの方法としてあります。事実アクーニンはイ ではどうしてウクライナ語で書かないのかと聞かれて、ク ギリスとフランスに家を買ってあって、今はそのどちらかで ルコフは、今はマスコミが厳しくコントロールされているせ 暮らしています。ロシアに帰ると危険ですから帰りたくても いで、ロシア語は侵略者の言葉としかウクライナの人たちに 帰れない。半ば亡命しているような状態です。 は思ってもらえない。攻撃、爆撃、暴力、そんな印象の付き それからミハイル・シーシキンは、作品で政治的な主張を まとう一言語になっている、でもロシア語というのは、世界の するわけではないのですが、大変厳しく政権を批判していま どの言語もそうであるように、文学を語ることができる言語 す。先日もという大会のシンポジウムでたくさ でもある、それをわかってもらいたくて、ウクライナにいな篇 芸 文 んの聴衆を前に、苛烈に体制を批判しました。彼も今スイス がらロシア語で小説を書き続けるんだ、と言っていました。 に住んでいて、ときどきロシアと行き来はしているようです野崎小野さんがウクライナの作家ならどうしますか。やっ海 著 がほば亡命状態ですね。作家に限らず、若い優秀な頭脳がど ばり口シア語で書く ? 名 定 んどんロシアから流出しているようです。 小野僕はアルメニア語で書きます ( 笑 ) 。 暫 の 野崎文学の言語としてのロシア語という観点からもうかが 紀 ■言語という壁ゆえに 世 いたいのですが、先ほどもお話に出たアンドレイ・クルコフ はウクライナの人ですよね。僕は彼の『ペンギンの憂鬱』が 小野文学の一一一一口語という側面から藤井さんにもお聞きしたい 好きなのですが、彼はどうしてウクライナ語で書かないのだ のですが、アメリカ文学の書き手には、必すしも英語を母語

2. 20200404/群像 2016年1月号

・ウイドウ』の上演があるとなれば劇場にわざわざやっ接続させる。この『ミランダ』の音楽的アイデアは世界地 てくる。世界に広く報道されていました。ヒトラーといえ図の上で現にヨーロツ。ハと日本のあいだにロシアが大きく ば『メリー・ウイドウ』。だからバルトークが笑い飛ばそ存在していることを思い出せばまことに腑に落ちる。そん , っとしているのはレハールではなくレノ 、ールに象徴される なことについても、もう一一一一口及しました。 ヒトラー。『管弦楽のための協奏曲』はアンチ・レハ でも、それはあくまで山田耕筰風、リムスキーコルサ ではなくアンチ・ナチスの音楽なのです。 コフ風、プロコフィエフ風、スクリャービン風という話で さて、戸田邦雄の『ミランダ』を特徴づけるのは、やは す。「風」というのはそういうスタイルを踏まえてやって り引用の手法です。『ミランダ』が、一九六八年の「明治 いるということであって、山田耕筰やリムスキー日コルサ 百年」を記念した三島由紀夫の台本によるバレエ音楽であ コフやプロコフィエフやスクリャービンの特定の作品が具 ること、文明開化期の日本青年の代表の清吉と彼を受け入体的に引用されているわけではありません。それとは別に れるイタリアのサーカス芸人のミランダとの愛に東西文明 具体的な既成の音楽の引用が『ミランダ』にはたくさんあ の融和を夢見た物語であることは、すでに触れました。そ るのです。引用が音楽による「語り」の大きな部分を占め こで作曲家は、ミランダをあらわす響きに、明治の日本の るのです。「語り」というのはこの場合、「喚起」を超えて 生んだ代表的作曲家、山田耕筰の初期のオーケストラ音楽「説明」を含みます。『ミランダ』は純粋なバレエ音楽であ を模しているかのような柔らかい音遣いを充てた。清吉は り、歌手や合唱を伴いません。言葉はありません。音はオ ロシアのリムスキーⅱコルサコフの交響組曲『シェヘラザ ーケストラの楽器だけ。ということは『ミランダ』の音楽 は一言葉を語ることはない。にもかかわらず極めて具体的に ード』のサルタンのモットーを思わせる旋律で表された。 音楽が語るのです。言葉を語るのと同等の説明能力をオー ミランダと清吉を結びつけるサーカスの世界はやはり口シ アのプロコフィエフのバレエ音楽の調子で一杯にされた。 ケストラが持ってしまう。それを可能ならしめる仕掛けが そうすると日本とロシアとロシアの組み合わせのように見引用です。既成曲の引用によって、仮にバレエによるバン えるけれど、ミランダの山田耕筰風というのはロシアのス トマイム的演技を伴わずとも、物語の展開がある程度まで クリャービンの立日に通じているから、要するにミランダも 一一一一口語化できてしまう。そのような水準で『ミランダ』は引 清吉もサーカスもロシア的な音調で表現されていることに 用を駆使し、日本のクラシック音楽の歴史の中に「引用に よるナラティヴで雄弁な音楽の範例」としてそびえている なる。日本とヨーロッパをロシア的なるものを媒介にして 286

3. 20200404/群像 2016年1月号

になって話が進むんですね。軍隊の新聞の編集者が、前線の ごくショッキングなんですね。個人的には、こういった作品 兵士から送られてきた短篇小説を読んでみたら、目もくらむ に積極的に肩入れしていきたいなと思っています。 ほど素晴らしい出来だった。ところが兵士が死んだというの野崎ちなみにこういう作品はどうやって発見するんです で、その編集者が自分の名義にして発表したら、死んだはすか。 の兵士から恐ろしい数の短篇が洪水のように送られてくる、 藤井メジャーなものを排除していくだけです。アマゾンで なんていう話もあります。アメリカから見れば「他者」にあ レビューがほとんどないものを進んで買ってみるとか ( 笑 ) 。 たる、イラクの日常や人々が生活しながら感じている暴力の 小野正しいアマゾンの使い方だ ( 笑 ) 。 気配や不条理さが生々しく描かれていて、読んで本当にびつ野崎ロシア文学の翻訳についてもうかがってみたいのです が、僕が気になるのは、沼野先生のようなロシア文学を他国 くりしました。イラク戦争前後のイラクの姿ならアメリカ人 作家もたくさん書いていて、それを読んでいるとなんとなく で翻訳されている方の立ち位置についてなんですよ。先ほど 分かった気になってしまうのですが、やつばりそれは偏った クルコフの話をうかがいましたが、日本のロシア研究者だっ 見方にしかならないと思う。 て、ウクライナを支援したらロシアとは葛藤が生まれるん エレーラも、アメリカの じゃないかと思うんですね。 ほかにも、三つ目に挙げたユリ・ 沼野おっしやる通りで、翻訳という行為そのものも大なり 外から見たアメリカを描いてくれる作家です。これは、弟を 捜しにメキシコの村から密入国していく女性の話で、いざ弟 小なり政治的な要素を含むものですよね。ロシアに限らずど が見つかったらメキシコ生まれの移民のくせに、アメリカ軍この国でもそうでしようが、特にロシアは政治的な磁場が非 に入隊しているんですね、いろいろ事情があって。時事的な常に強いので、訳す作品によって翻訳者の立場が表れること篇 文 になります。 問題を扱ってはいるものの、それだけの物語という印象もあ 外 私自身について一一一一口えば、もともとはウリッカヤの作品に惚海 るんですが、面白いのはアメリカへの旅が冥界への旅と重ね 著 れ込んで翻訳したいと思ったわけで、彼女の反体制的な政治 合わされているシーンやイメージがたくさんあることなんで 名 す。アメリカから見たら、メキシコの方がいわば「死の国」的立場で判断したのではありませんでした。でも、いまだに定 ですよね。死者の日はあるし、物騒なニュースは日々報道さ続けてウリッカヤの作品を訳したいと思っている。それは彼の 世 ハラモ』がある女のことを作家としても一人の人間としても尊敬しており、 れるし、国民的文学の代表として『ペドロ・。 し。だからこそメキシコから見たらアメリカが冥界に見える政治的な立場も含めて全面的に支持しているからです。また という感覚って、アメリカ的な文学や感性に慣れているとす偶然ですが、私はアクーニンも訳しています。ウリッカヤと

4. 20200404/群像 2016年1月号

教育』などはどうだったんでしようね。『ポヴァリー夫人』通語だったから、フランス文学を原語で読む層も広かった。 フローベールの場合も、国内外問わず熱心な読み手がいたと の刊行はスキャンダラスなものとして裁判沙汰にもなったわ 考えられますね。もしかしたらフローベールが想定していた けですが、そういう事件とは関係なく、フローベールの作品 読者層は、現代の作家よりずっとユニバーサルだったのかも は刊行されてしばらくしたらすでに「名著」、「傑作」として しれない。ハッピー・フューでありながら、同時にユニバ 広く認知され、そのような評価が途切れることなく現在まで サルな層。 続いているのでしようか。 沼野先ほど小野さんがドストエフスキーの名前を挙げてく 野崎フローベールは当時すでに文学の神のごとき存在とし ださいましたが、ドストエフスキーはデビュー作の『貧しき て崇められていたんじゃないでしようか。モーバッサンやゾ ラから、ロシアのツルゲーネフまで、さまざまな作家たちがフ人々』からして、べリンスキーという批評家に激賞されまし たから、かなり早くから有名だったと言えると思います。ま ローベールを師と仰ぎお手本とした。それが一つのムープメ ントを作っていったという感じですね。つまりそれら意欲的た、雑誌に社会評論等を連載していて、それを『作家の日 記』という本にまとめて出版していますから、多くの一般読 な作家たちをはじめとする、少数の高度な読者たちがまずは 者も得ていたのではないかと思います。 熱烈な敬意を寄せる。以後、その尊敬の念が消えることなく、 ただ先ほど野崎さんがおっしやったような「ユニバーサ 広まっていって今日に至っているというところでしようか。 ・・クツツェーが「 What オ a ル」かどうかということを考えると、ロシア語はやはりマイ 小野面白いですね。 ナーですから、英語やフランス語のように外国人に読んでも篇 Classic? ( 古典とは何か ? ) 」という講演で、バッハを例に 文 、。ドストエフスキー自身は、ユニバ らえるとは考えにくし 。ヾッハは死んでからしばらくの間、ド 挙げているんですよノ 外 サルな読者というのはまず想定していなかったのではないか海 ィッの主要な音楽シーンで完全に無視されていた。けれど、 著 と思います。 先ほど野崎先生がおっしやったような一部の高度な知識を 名 定 それからロシアにも後の時代に再発見・再評価されるとい 持った専門家たちがいて、彼らが絶えずバッハの作品を演奏 の う例がもちろんあって、典型的なのはフヨードル・チュッ し続けていたらしいんですね。そのおかげで今日まで残った 紀 んだ、と。 チェフという詩人です。一八〇三年に生まれた、プーシキン世 とほば同時代の詩人ですが、生前はほとんど評価されません 野崎フローベールが活躍した十九世紀半ばには、ヨーロッ でした。けれど十九世紀末に登場したロシアのシンポリスト パからロシアまでの広い範囲でフランス語はまだ文化的な共

5. 20200404/群像 2016年1月号

イ・シャルグノフ、ロマン・センチンなどといった若手作家文学作品の主題や背景となっているわけですが、野崎先生が たちは「ニューリアリズム」と呼ばれていて、やはり一人称挙げているジョナサン・リテルの『慈しみの女神たち』は独 を特徴としています。 ソ戦の話で、これもまさに二十世紀の戦争というか災厄に真 文学に歴史や自伝性といったドキュメンタリー性が持ち込正面から取り組んでいますよね。 まれるというのは、ロシア社会自体が激変してフィクション野崎本当にそう。読むのも大変だし、翻訳した皆さんは よりノンフィクションのほうが迫力があるという事実と関係もっと苦しかったと思います。作品を支えている資料の情報 していると思います。先日、ウクライナのキエフ在住の作家量だけでも大変だし。先ほど沼野さんがおっしやったよう アンドレイ・クルコフが来日してシンポジウムに参加したの な、現代文学を大きくしていく新しいドキュメンタリー性 ですが、今ウクライナでは小説を書く人はほとんどいない、 が、この作品にも感じられますね。 作家の多くが coZc-n を使ってジャーナリズム的な発言をして 歴史を描くためには、さまざまな意味での証言を収集して いる、そのほうがすぐに読者に考えが伝わるし反応も分か整理するというドキュメンタリズムが必要になりますが、そ る、と話していました。こういう時代に物語の持っ虚構性と れをさらに別の次元で統合しないと物語として自立はできな いうのがどこまで通用するのかというのが、今のロシア語圏 い。例えばジョナサン・リテルは、絶対的な悪の刻印を押され の大きな課題です。 た「わたし」の一人称で物語を紡いだ。そういった思い切っ 小野今年スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチがノーベル た工夫によって、一気に虚構が立ち上がってくるんですね。 賞を取りましたが、ロシア語圏では書くことが政治とすごく ところで僕は今年のノーベル文学賞には感謝しているんで 密接に結びついているし、結びつかざるを得ないようなとこすよ。というのも、今回の件がなければアレクシェーヴィチ ろがありますね。 の作品にはなかなか出会えなかったかもしれないと思うから なんです。 沼野現実とどういうふうに切り結んでいくかという問題が 大きいですから。 小野恥ずかしながら、僕も彼女の名前すら知りませんでし 小野ウリッカヤはユダヤ系ですか。 沼野そうです。 野崎原発事故に遭遇した人々のインタビュー集である 小野ユダヤ系の問題というと、ナチスによるユダヤ人の大『チェルノブイリの祈り』を読んだら、最初の数ベージぐら 量殺戮が二十世紀の歴史の大きな悲劇の一つであり、多くの いでもう、驚きを禁じ得なかった。強烈な感動がありまし

6. 20200404/群像 2016年1月号

沼野私は「文藝年鑑」で野崎さんが高校生ゴンクール賞の 小野クツツェーも『マイケル』で受賞していますよね。 ことを書いていらっしやったのを読んで、フランスはすごい 辛島国籍は問題ないんですか。例えば、アフリカにいなが なと感心していたら、ロシアでも二〇〇四年に似たような賞 らフランス語で書いている作家とか。 野崎それはまったく問題ないですね。最近はそういう作家ができてびつくりしました。「学生プッカー賞」というんで すけど : ロシアの権威ある文学賞は三つで、一番大きい がかなり受賞している。 のがロシア・ブッカー賞というんですね。 ちなみに僕が個人的に注目しているのは、高校生ゴンクー 小野かなり新しい賞ですよね。 ル賞という文学賞。一九八八年に始まって、ちょうど二十一 沼野そうですね。ソ連が崩壊した翌年の一九九二年に創設 世紀に入ったころからすごく注目を集めるようになった。ゴ されました。でも残りの二つもそれ以後にできた賞で、「大 ンクール賞の候補作をすべて高校生に読ませて、本家ゴンク きな本」という意味のポリシャヤ・クニーガ賞と、ナショナ ール賞の発表より前に投票するんですが、これがすごくいい ル・ベストセラー賞です。この三つのうちのどれかを受賞し 本を選んでくる。僕はこの賞をかなり信用していて、自分で ていると、いわゆる純文学として広く認められるんですね。 も翻訳したりしています。 私がリストに挙げた作家のなかではシーシキンが三つとも受 小野すごくよく覚えています。野崎先生が翻訳されたの は、二〇〇四年の受賞作であるフィリップ・グランペールの賞しています。 辛島つまり、少なくとも文学賞は政治的なものから自立で 『ある秘密』ですよね。 きているとい , っことでしょ , つか。反体制作家とい , っことでし 野崎そうそう ! 小野さん、よくぞ覚えていてくださっ たいい本でしたよね。 沼野は、、ただシーシキンについては先ほども少しお話し文 小野僕も素晴らしいと思った。ほかにも、二〇〇〇年にア したとおり、作品によって反体制かどうかを判断することは海 マドウ・クルマの『アラーの神にもいわれはない』が受賞し 著 ていますが、あの作品を高校生が選んでいるというのがすご難しいです。小説の中で何かを声高に主張しているわけでは 名 定 ないですし、そもそも非常に難解な作品ばかりですし : 。部族戦争に参加する少年兵を書いた小説ですが、クルマ 暫 の リストに挙げた『手紙』は平易なほうなんですが。 の母語であるマリンケ語に影響された独特のフランス語で書 紀 藤井アメリカだと、ピューリツツアー賞と全米図書賞と全世 かれていて、そんな簡単なものではないですよね。 野崎そう、難解な重要作で、僕も驚きました。あのあたり米批評家協会賞ですかね。 辛島そうですね。そこにペン / フォークナー賞が入るか入新 からこの賞のキャラクターが確立された気がします。

7. 20200404/群像 2016年1月号

んだけど、書き方のレベルで実にさまざまな工夫を凝らして 沼野今のお話がとても興味深いのは、ロシアでも「大きな 物語」が復活しているような印象があるからです。ソ連が崩 壊した一九九一年から十年間、ロシアの文壇は言わばポスト モダンの時代でした。その当時ポストモダンの代表として活 躍したのが、私がリストに挙げたウラジーミル・ソローキン とヴィクトル・ペレーヴィンです。物語は解体され、分断さ れたりモザイクみたいにつぎはぎされたり、実験的な作品が いろいろ発表されました。でも二十一世紀に入るあたりでま た物語が作られ始めました。例えばウリッカヤがそうで、彼 女は短篇、中篇と書いていたのですが、二〇〇一年に『クコ ッキイの症例』というロシア・ブッカー賞を受賞した長篇を 書き、それ以後、『通訳ダニエル・シュタイン』や『緑の天 幕』など、自分自身の子ども時代である一九四〇年代、五〇 年代から現代にかけての物語を紡いでソ連の歴史を問い直す 試みをしています。 また、若い世代の作家たちの中には自伝的な傾向の強い作 品を書いている人がかなりいて、彼らが一人称を用いている というのも、先ほどのお話とつながりますね。二十一世紀に 入ってから作家活動を始めたザハール・プリレーピンという 人が最近目立った活躍をしています。この人は政治活動もし ていて、国粋主義的でかなり問題ありなのですが、文学作品 は高い評価を受けています。プリレーピンをはじめセルゲ 英実訳、白水社、二〇一一年 / 原著二〇〇三年 ) * ダニエル・アラルコン『ロスト・シティ・レディオ』 ( 藤井 光訳、新潮社、二〇一二年 / 原著二〇〇七年 ) ・董啓章『地図集』 ( 藤井省三・中島京子訳、河出書房新社、 二〇一二年 / 原著一九九七年 ) ・ジェニファー ・イーガン『ならずものがやってくる』 ( 谷崎 由依訳、早川書房、二〇一二年 / 原著二〇一〇年 ) ・オルガ・トカルチュク『逃亡派』 ( 小椋彩訳、白水社、二〇 一四年 / 原著二〇〇七年 ) ・パトリク・オウジェドニーク『エウロペアナ』 ( 阿部賢一 篠原琢訳、白水社、二〇一四年 / 原著二〇〇一年 ) ・呉明益『歩道橋の魔術師』 ( 天野健太郎訳、白水社、二〇一 五年 / 原著二〇一一年 ) ・ミシェル・ウエルペック『服従』 ( 大塚桃訳、河出書房新社、 二〇一五年 / 原著二〇一五年 ) ☆未邦訳だが推したいもの ・ The Co Ex 、 ~ 0 ド Hassan Blasim ・ 7 ~ 7 ) 、き DeniS Johnson ・ S Preceding 、 ~ End 、 the ミ 0 4 Yuri Herrera ・ Ga きミ、 B ミ 4 Ed. Refaat AIareer ・ S ミ g き J. M. Ledgard ・ト Ter ミ ~ Jayne Anne Phillips ・、、、 est, Miroslav Penkov ・ B 、ミ Has ~ 0 So ミと ex Epstein 21 世紀の暫定名著海外文芸篇

8. 20200404/群像 2016年1月号

~ 国際紛争を読み解く。鄧小平 グエスラ・・ヴォーゲレ中国研究で名高いアメリカの社会学者が、 聞き手 = 橋爪大三郎橋爪大三郎に語った鄧小平像。現代中国を つくった男は、いったい何を考えていたのか ? 五つの視座 新定価 cooo 円 978 ・ 466 ・ 2883456 現代中国を理解するために必読の一冊ー・ 宀疋価 -1 、 8 一 50 円 978 ・ 466 ・ 2586 一 7 最篠田英朗 複数の人間集団が「相容れない目的」をもっとき、紛争 が生まれる。お互いの基盤と価値観の矛盾を推し量らろ ハイデガ 1 哲学ー『存在と時間』を読む よ なぜ『存在と時間』は跚世紀を熱狂させたのか。 なければ、流血と悲惨あるのみ。国際社会の冷徹な現 る 仲正昌樹 「実存」や「存在」に関する問いかけは人生にど 実を見据える、醒めた分析力をやしなうための一冊。 のような意味があるのか。世紀最大の間題作 定価 820 円 978 ・ 466 ・ 28834 一・ 2 を攻略する入門書にして決定版ー・ さ し ロシアあるいは対立の 食をめぐるほんとうの話 る なせウコンは悪酔いを防ぐ ? 食品添加物、 え 亡並「第一一世界」のポストモダン 三大栄養素とビタミン、健康食品、サプリメン 考 ト、農薬、遺伝子組み換え、放射線 : : : 虚実 宀疋価・ 1 、「 / 00 円 978 ・ 4692586 一 6 ・ 0 乗松亨平 入り交じった情報を科学に基づき徹底整理 , ・ 2014 年ウクライナ危機、 2011 年反政府デモ、プ 1 ・ロシアとよ、、 チンによる「強いロシア」・ ( し力なる精神構 秀吉から家康へ 造を持っているのか。つねに「なにか」の対立者として自 天下統一 己を規定する存在の一見不可思議な行動の根源を探る。 「天下統一」は、いつ、どのように成し遂げら 黒嶋敏 れたのか ? 新しいコンテクストのもと、二人 の天下人によって引き継がれた「日本史上最 定価 ooo 円 978 ・ 46P288343 ・ 6 大のプロジェクト」の意義を読み直す。 ・岩崎育夫 や . 世界史の図式 〈戦前民主主義〉の五七年 村瀬 = = ロ一 い ) 帝国議会 なぜ殺し、なぜ助け合うのか 備沢へ硼士ロの朝鮮日朝清関係のなかの「脱亜」 = ・月脚達彦 0 なせ攻撃的なのに、人類は滅びなかったのか ? 選択される私立小学校 川合伸幸 なせいじめは絶対悪なのか ? 進化の過程で、 ト針誠 〈お受験〉の歴史学 選抜される親と子 気性の荒いヒトは排除されていった ! 最新の 、、、ヒャエル・エル一フー著価 0 定価 7 6 0 円 ( 知品 ) プ一フトン 978 ー 46P288344 ・ 3 比較認知科学が明かす驚きの真実ー 三嶋輝夫・田中伸司・高橋雅人・茶谷直人訳定 講談社現代新書 阿部尚樹 上原万里子 中沢彰吾 定価 7 6 0 円 978 ・ 4 ・ 06 ・ 288342 ・ 9

9. 20200404/群像 2016年1月号

アクーニンはともに「反プーチン」を堂々と表明している作 はいけないという意識も作家たちには働いているでしよう制 家で、現在ふたりともヘイトスピーチの標的にされていま し、文学が背負っているものは相変わらずとても大きいです す。こういう作家の作品を訳しているということはおのすね。 と、どういう立場の翻訳者かということを物語ることになり ■文学賞の現在 ます。 ソ連時代、木村浩さんというロシア文学者は、反ソ連の代 小野先ほどの藤井さんの話を聞いて僕は自分が恥ずかしく 表のような作家であるアレクサンドル・ソルジェニーツイン なったのですが、翻訳ものを読む基準としてどうしてもメ の作品を次々に訳されていました。だから彼には、ソ連に行 ジャーなものを選んでしまうんですよね。それこそ、有名な くビザが出なかったんです。 文学賞を受賞しているとか。 小野えつ、そこまでの事態になるんですか。 辛島でも同時に、文学賞はひとつの目印になりますよね。 沼野そうなんです。木村さんは、本当に覚悟を決めて翻訳野崎なりますね。フランスにおける権威ある文学賞は、ゴ されていたんでしようね。 ンクール賞、フェミナ賞、メディシス賞、それからルノード 小野でも一方で、ソ連時代にソルジェニーツインの翻訳者 ー賞。どうしてもこのあたりのものから読んでしまう。 にビザが発給されなかったというのは、それだけ文学が大き とりわけゴンクール賞が圧倒的なプレゼンスを放ってい な役割を担っているという認識があったということですよ て、その一年に刊行された作品のなかで最も優れたものに与 ね。 えられるということになっています。一九〇三年に発足して 沼野全くそのとおりだと思います。 以来、古いところではプルーストも『失われた時を求めて』 小野現在もやや独裁的な雰囲気が漂っていますが、体制側 で受賞していますし、昨年ノーベル賞を受賞したバトリッ は自分たちを批判する文学の一一 = 口説に対して神経をとがらせて ク・モディアノや、今日名前の挙がったシャモワゾー、リテ いるんでしようか。 ル、ンディアイ、ウエルべックも受賞しています。 沼野ソ連時代ほどではないかもしれませんが、ロシアは伝辛島それらはノミネートされるために、国籍や一一一口語など縛 りがあるんでしようか。 統的に文学中心主義の国なので、権力者は作家の言説を気に しているのではないでしようか。今は昔に比べれば文学の地野崎フランス語で書かれた作品が対象ですが、フェミナ賞 位が下がってきているように思いますが、ジャーナリズムが には外国文学賞というのがあって、日本だと辻仁成さんが受 すごく抑圧されているので、その役割を文学が果たさなくて賞されていますね。

10. 20200404/群像 2016年1月号

た。このような悲劇的な現実に対して文学は何ができるかと ロレンス・ダレルの『アヴィニョン五重奏』に、どこかの いうより、現実をそのまま描くこともまた、今求められてい 売春宿に行ってきた登場人物がものすごいドンチャン騒ぎか る文学なんだと思わされました。 ら帰ってきて、まさにアメリカ小説的な暴力と体液の宴だっ たよ、というようなセリフを一言うシーンがあるんですね。す 沼野実はノーベル文学賞がアレクシェーヴィチに与えられ るかどうかというのは、ロシア語圏文学の研究者の間で話題ごく的確に言い表しているなあと感心しました。アメリカの になっていたんです。彼女の作品をジャーナリズムと捉える本流であるところの大きな小説って、合衆国の現実を描き切 か、文学のジャンルのひとっと考えていいのか、と。これま ろうという野心に支えられているので、情報が半端なく詰め でジャーナリストはノーベル文学賞を取ったことがないそう込まれていて、リアリズム中心で、ジャーナリズム的な側面 ですね。だから今回のノーベル文学賞は、スウェーデン・ア もかなり大きくて、読むほうもかなり体力を必要としますよ ね。 カデミーの英断だと思います。 辛島ここまでロシアの状況をうかがってきましたが、アメ アメリカでは、作家が雑誌にお金を出してもらって、ノン リカはどうなんでしようか。 フィクションの取材に行き、それを書くというケースがたく さんあるんですよ。カレン・ラッセルや、ジョージ・ソウンダ 藤井アメリカ小説の本流は、今ジョナサン・フランゼンが ースなどさまざまな作家に「」という雑誌のアメリカ版 一人で背負って立っていると思います。小野さんがリストに 『フリーダム』を入れてくださいましたが、見た目にも重量がよく依頼している。アメリカ小説のひとつの特徴ですね。 級の大きな小説ですね。アメリカをパワフルに描き切るとい 野崎今の藤井さんのお話は非常に興味深いですね。ノン篇 う試みを、「偉大なるアメリカ小説」を合言葉に長いこと作フィクションという一つの地盤というか、柱というか、そう文 家は続けてきているわけですが、実はこういうコンセプトを いうものがしつかりあることがアメリカ文学の根幹を形作っ海 著 ているのですね。 明確に掲げているのは、アメリカとオーストラリアだけらし 名 定 いんですよ。恐らくどちらも歴史が浅いから、自分が今書い 辛島フランスでは、あまりそういうことはないんですか。 暫 ている小説が古典になるチャンスがあると思っているんじや野崎ジャーナリズムといわゆる純文学は、明確に区分されの ている気がしますね。僕がリストに挙げたミシェル・ウエル世 ないかな。同じ英語圏でも、イギリスだったらすでにシェー クスピアがいるし、その後にも例えばデイケンズが控えてい べックの『服従』も、もしもフランスにイスラム系大統領が るわけですからね。 誕生したらという社会的な問題を描いた作品だけれど、すご