き合っている一言葉の運動は、個々の作品にいつばいある。結 がない部分もあるとは思いますが、そこら辺は、今後、本当 にどうなっていくのかわからない。 局、こういう形で議論して、この十五年間の暫定的な文学史 を我々がつくる以外に、今はない気がしますよね。文学賞が 清水やつばり作家が食っていけない時代なんですよ。だか それにどの程度関与しているのかはわからない。 ら、芥川賞をもらうとベストセラーになるというのもそうだ けれども、作家を有名にして食わせていくという一種の生活 佐々木文学賞は、新人賞と、そうじゃない賞と、大きく二 種類あって、新人賞は基本的に文学業界への参入のためのも補助みたいな装置としての部分が、文学賞には絶対あると思 うんです。現に今、本が売れない時代で、村上春樹のような のだから、すごく重要だと思うんですね。 人を別にすれば、純文学と呼ばれる本なんて、本当に一万部 松浦イニシェーション儀式みたいなものですよね。 出ないですよね。貧乏な生活しか作家が送れないとなった 佐々木そうですね。そういうことで一言うと、僕は普通に一 ら、文学自体も成り立たないわけです。 読者として、つい最近も幾つか文芸誌で新人賞が発表されま したけど、すでに似たタイプが何人もいるような代替可能な ・ニ十一世紀の「政治と文学」 書き手が新たに入ってきても面白くないなと思うから、どう いう意味であれ、今まで読んだことがないような小説を選ぶ 清水今まで出てなかった話題を一言うとすると、二〇〇一年 という規範を、新人賞は持っているべきだという気もするん ですね。それはわかんないですよ。極端なケースもあるか 以後の日本の情勢というのは、同時多発テロがあったり、途 ら、いろんな価値判断の仕方があるとは思いますが、基本的中でリーマンショックの影響があったりして、また今、安倍篇 に文学の書き手の量がある程度担保されないと名著だって生政権下のアメリカ寄りの右傾化した政治状況がある。結局、文 アメリカ追従型の国家の中に我々はいるわけで、二〇〇一年 まれてこないだろうし、この後、文芸誌がなくなっていくか 著 からイスラム教文化との対決のようなところに放り込まれ もしれないということを考えると、新規のイニシェーション 名 て、世界情勢が非常に読めなくなったというか、東西冷戦の定 儀式であることが新人賞の一番重要なことだと思う。 の 芥川賞というものは、文学というジャンル自体に注目を向ときのような文脈がはっきりした世界構造ではなくて、いっ 紀 けさせるための装置として機能している部分はもはや否めな何が起こって、どういう災難に見舞われるか、誰にも予想が世 できない。そういった世界情勢の不透明化も、この十五年の いと思うんですね。実際に期待以上にパズったりすると、み んなこれを繰り返していこうみたいな感じになるのはしよう大きな変化だと思うんですね。
としない作家が多いですよね。表現言語として英語を選び センシアは奇妙な反復が多い。あくまでイメージなのです 取った彼らと英語の関係って、どういうものなんでしよう が、彼らは、材料はそろったからあとは焼くだけ、というよ か。今世界文学を見てみると、多一一一一口語的な状況で書いている うな段階に至っても、もう一遍こね回す : ・・ : というような形 作家が増えていて、ロシア文学、フランス文学、英米文学と で英語に接しているんじゃないでしようか。明らかに英語を いうように国民文学としてくくれなくなっている気がするん ちょっと別物にするという発想をしているんです。 ですよ。 野崎今のお話は非常に刺激的ですね。つまり、素材として 藤井千差万別ではあるんですが、作家になった経緯からし あったものをもう一度作り直すような過程があるんじゃない て、やむにやまれぬ選択だったというのがひとつ。アメリカ かと。ある種の翻訳のプロセスというふうにも感じます。そ は大学の創作学科を経て作家になるケースが少なくないので のことによって、英語が別の顔を帯びているというか : すが、そこでは当然英語でトレーニングを受けるわけです。 ヨーロッパは今、とてつもない数の移民が押し寄せていて あとは幼少期に母国を出てしまったせいで、母語が子供の言大変なのですが、アメリカはその経験を既に経ているんです 語で止まってしまっていて、小説の言語にならないという人よね。つまり、今になって越境文学が出てきたということで もいますね。 はない。フィリップ・ロスだってユダヤ系移民の息子ですし、 小野なるほど、カズオ・イシグロの日本語と一緒だ。 そういった、それぞれの母国の匂いのついた英語で育てられ 藤井ほかにも、例えばアレクサンダル・ヘモンという作家てきた作家たちがアメリカ文学を作ってきたんでしようね。 は、アメリカ滞在中にポスニアで紛争が勃発してサラエボが 僕はフランスのことしか分かりませんが、フランス文学は 包囲されたためアメリカに残ったのですが、ポスニア語で書そもそもフランス語が移民化されるのを好まないところがあ いても母国とのつながりを表現しきれないと、ある種誠実な るような気がする。方言の表現もないし。 答えとして英語で書くことを選んでいます。彼の作品を読ん り野そうですね。バトリック・シャモワゾーのようなカリ でみると、英語がかなり異質になっているという印象を受けブ海フランス領出身の作家が、クレオール語から出てきた表 て興味深いです。これはヘモンに限った話ではなく、英語を現を使ってフランス語を少したわめていますが、英語はどで 表現一一一一口語として選んだ作家の誰にも言えることですね。へモ はない。最近コンゴ共和国出身で一九九五年に亡くなったソ ンの場合は、普通のコロケーションでは出てこないようなイ ・ラブタンシの再評価が進んでいるのですが、彼のフ メージがポロポロ詰め込まれているし、サルバドール・プラ ランス語って本当は破格なんですよ。標準的なフランス語か 0
た。このような悲劇的な現実に対して文学は何ができるかと ロレンス・ダレルの『アヴィニョン五重奏』に、どこかの いうより、現実をそのまま描くこともまた、今求められてい 売春宿に行ってきた登場人物がものすごいドンチャン騒ぎか る文学なんだと思わされました。 ら帰ってきて、まさにアメリカ小説的な暴力と体液の宴だっ たよ、というようなセリフを一言うシーンがあるんですね。す 沼野実はノーベル文学賞がアレクシェーヴィチに与えられ るかどうかというのは、ロシア語圏文学の研究者の間で話題ごく的確に言い表しているなあと感心しました。アメリカの になっていたんです。彼女の作品をジャーナリズムと捉える本流であるところの大きな小説って、合衆国の現実を描き切 か、文学のジャンルのひとっと考えていいのか、と。これま ろうという野心に支えられているので、情報が半端なく詰め でジャーナリストはノーベル文学賞を取ったことがないそう込まれていて、リアリズム中心で、ジャーナリズム的な側面 ですね。だから今回のノーベル文学賞は、スウェーデン・ア もかなり大きくて、読むほうもかなり体力を必要としますよ ね。 カデミーの英断だと思います。 辛島ここまでロシアの状況をうかがってきましたが、アメ アメリカでは、作家が雑誌にお金を出してもらって、ノン リカはどうなんでしようか。 フィクションの取材に行き、それを書くというケースがたく さんあるんですよ。カレン・ラッセルや、ジョージ・ソウンダ 藤井アメリカ小説の本流は、今ジョナサン・フランゼンが ースなどさまざまな作家に「」という雑誌のアメリカ版 一人で背負って立っていると思います。小野さんがリストに 『フリーダム』を入れてくださいましたが、見た目にも重量がよく依頼している。アメリカ小説のひとつの特徴ですね。 級の大きな小説ですね。アメリカをパワフルに描き切るとい 野崎今の藤井さんのお話は非常に興味深いですね。ノン篇 う試みを、「偉大なるアメリカ小説」を合言葉に長いこと作フィクションという一つの地盤というか、柱というか、そう文 家は続けてきているわけですが、実はこういうコンセプトを いうものがしつかりあることがアメリカ文学の根幹を形作っ海 著 ているのですね。 明確に掲げているのは、アメリカとオーストラリアだけらし 名 定 いんですよ。恐らくどちらも歴史が浅いから、自分が今書い 辛島フランスでは、あまりそういうことはないんですか。 暫 ている小説が古典になるチャンスがあると思っているんじや野崎ジャーナリズムといわゆる純文学は、明確に区分されの ている気がしますね。僕がリストに挙げたミシェル・ウエル世 ないかな。同じ英語圏でも、イギリスだったらすでにシェー クスピアがいるし、その後にも例えばデイケンズが控えてい べックの『服従』も、もしもフランスにイスラム系大統領が るわけですからね。 誕生したらという社会的な問題を描いた作品だけれど、すご
です。そのときから未来への一種の下方修正というか、未来 ・ニ十一世紀とは の幻想が崩壊したというのか、そういう失墜感とともに時間 を過ごしてきた気がします。 佐藤一一十一世紀の暫定名著を話し合おうというのは気が早 今でも僕は二〇一五年とか二〇一四年という日付を見る い話で、たとえば百年前の一九一五年に二十世紀の名著を決と、現実には思えないんですよ。カレンダーの記号としては めようと話し合ったところで、百年後に漱石の「こころ」や頭に入っているんだけども、一九九〇年代ぐらいのときまで 芥川の「羅生門」が教科書に入っているなんて誰も予想でき実感として持っていた、今はこの時代だという意識がどこか なかったでしよう。一九一五年というと、小島信夫はまだ赤 にふっ飛んじゃって、数字だけの幻想的な世界を生きている ちゃんです。活躍する人も出揃っていません。 ような気がして仕方がない。歳のせいだと言えばそれまでな んですけど。 二十一世紀の渦中で語る点は面白いとは思いますが、余り に途方もないので、まずは二十一世紀に入ってからのここ十 そういう日々を振り返ったときに、今でも記憶に残ってい 五年の日本文学を振り返っていただき、そこから末来を占う るというか、あの場面はこうだったなということがありあり 形で「名著」的なお話もできたらなと思っています。 と回想できるような作品を僕としては「暫定名著」に選んだ 清水私は一九五四年生まれで、二〇〇一年という年号が、 つもりです。次から次へと移ろいゆく記憶の中で割としぶと 子どものころの気持ちから言えば、もう完全に未来社会なん く残ってきた作品ということになるかと思います。高橋たか ですね。『 2001 年宇宙の旅』がありましたし、鉄腕アト 子の『君の中の見知らぬ女』とか、吉田知子の『日本難民』、 ムが誕生したのが二〇〇三年という設定でしたかね。『バッ 平出隆の『鳥を探しに』などは、必ずしも有名な作品じゃな ク・トウ・ザ・フューチャー 2 』や『新世紀エヴァンゲリオ いんですが、僕にとっては忘れがたい痕跡を残している作品 ン』の時代設定は二〇一五年でした。それまで漠然と思い描です。 いていた未来社会の象徴的な年がそのまま、この十五年に含 松浦僕も清水さんと同じ一九五四年生まれで、今のお話は まれている。 非常に腑に落ちましたし、同じような非現実感を共有してい では、実際に迎えてどうだったかというと、その未来の最ます。二〇〇一年とか二〇一五年というのは、ふと立ちど 初に我々が直面したのがアメリカの同時多発テロだったわけ まって考えてみると、現実とは到底思えないという感じがあ
ます。さぞ絶望しているはすです。それは大変に胸が痛みま に向かって平和な旅をしているはずです。そしてクリスマス す。 までには赤ん坊はアンドレ・ジャピーに逢うことができま 時計を久美子さんに渡してくれましたか ? 受け取ってく す。すでにもう、名前もあります。神戸のあの花のような部 れないのではと心配していますが、ツャ子さんからであれば屋で産まれたのでフローランスという名前です。とても美し 受け取ってくれると信じます。あの時計は大変大事です。必 いです。そしてその名前はアンドレにとっても良い名前で、 ず渡してください 。今は役に立たないけれどこの戦争が終一七五〇年から始まったジャピー家の歴史の中でも、特別に わったときにはとても大事になります。この方法しか無かっ親しまれた夫人の名前です。 たことを理解してください。アンドレ・ジャピーもそれを強 けれどこのところ、日本はどうですか ? 私は福岡の教会 く希望しています。 で毎日恐ろしい気持ちです。満州では砂埃を噴き上げて闘い アドルフ・ポールさんとッャ子さんのおかげで、美しい女が始まりました。カントウグンという名前を毎日新聞で見ま の子が産まれたことを、神様に感謝しましよう。そして併せ す。荒々しい空気が日本のどこにも流れています。教会で神 て、この件では神様の許しを請う必要もあります。私は祈り の仕事をしている私でも、白い顔と青い目のせいですか、赤 ました。今も毎日、許しを請うために祈っています。 黒い目で睨まれます。教会に来る人でも、大きな棒に叩かれ こうしなくては、久美子さんは生きていけない。久美子さ たように絶望した笑顔の無い顔です。絶望の顔で無ければ、 んが生きていけなければ、あの子も死んでしまう。 血走った勢いで大きい声で何かを言う、耳を持たない人たち 私たちのこの心配を、久美子さんに納得してもらうのは、 が、急に増えている気がします。 ッャ子さんの役目だと考えました。ッャ子さんでなければ出 久美子さんがいまどこに居るのか、ツャ子さんは知らない 来ない。出産まで付き合いお腹の中の赤ちゃんを久美子さん そうですが、本当はきっと知っていますね。病気だと聞きま したが、・ と一緒に育てたのはツャ子さんだから、あなたのやったこと とんな病気ですか ? 心が病気なのでしようか。ア を今はどれほど恨んでも、いずれは久美子さんも解るはずで ンドレはとても心配しています。 す。 久美子さんが神戸の『花の家』から姿を消したとアドル この前の手紙にも書きましたが、 アドルフ・ポールさんの フ・ポールさんが知らせてきたとき、一番恐ろしかったのは 友人である医師は、大変善良な人間で、産まれたばかりの赤自殺でした。産まれて数日の、小さなほかほかの、卵のよう ん坊の世話も充分できます。奥さんは子供が三人います。今 な蕾が盗まれた。いえ、盗まれたのではなく安全な場所に移 はインド洋の上を四人目の子供を大事に抱えて、マルセイユ されたのですが、久美子さんは狂ってしまって自殺を考える 232
という印象があるんです。 ろう、などと思ったりして : 沼野おっしやる通り、今のロシアは危機的状況にあると思 沼野クルコフは民族的にロシア人で、母語はロシア語なん います。ウリッカヤやポリス・アクーニンなど反体制的な発ですよ。でもずっとキエフに住んでいて、独立心の強いウク 言をする作家は、プーチン政権下でさまざまなヘイトスピー ライナ人の立場を支持しています。つまり、西ヨーロッパ的 チに日常的にさらされています。特にウリッカヤはモスクワ価値観を共有しに入りたいと考えている人たちと気持ち に住んでいるので、身体にも危険が迫る恐れがある。本当に を同じくしているんですね。だから彼の立場はとても微妙で 心配です。 す。ロシア語で書くことによってウクライナ人からは親ロシ メディアも当局の統制下にあり、自由な報道ができませ アと思われる恐れがあるし、逆にロシア人からはウクライナ ん。そのような状況で作家はどうするかというと、亡命の道の味方をしている、と裏切者扱いされてしまう。 を選ぶのが一つの方法としてあります。事実アクーニンはイ ではどうしてウクライナ語で書かないのかと聞かれて、ク ギリスとフランスに家を買ってあって、今はそのどちらかで ルコフは、今はマスコミが厳しくコントロールされているせ 暮らしています。ロシアに帰ると危険ですから帰りたくても いで、ロシア語は侵略者の言葉としかウクライナの人たちに 帰れない。半ば亡命しているような状態です。 は思ってもらえない。攻撃、爆撃、暴力、そんな印象の付き それからミハイル・シーシキンは、作品で政治的な主張を まとう一言語になっている、でもロシア語というのは、世界の するわけではないのですが、大変厳しく政権を批判していま どの言語もそうであるように、文学を語ることができる言語 す。先日もという大会のシンポジウムでたくさ でもある、それをわかってもらいたくて、ウクライナにいな篇 芸 文 んの聴衆を前に、苛烈に体制を批判しました。彼も今スイス がらロシア語で小説を書き続けるんだ、と言っていました。 に住んでいて、ときどきロシアと行き来はしているようです野崎小野さんがウクライナの作家ならどうしますか。やっ海 著 がほば亡命状態ですね。作家に限らず、若い優秀な頭脳がど ばり口シア語で書く ? 名 定 んどんロシアから流出しているようです。 小野僕はアルメニア語で書きます ( 笑 ) 。 暫 の 野崎文学の言語としてのロシア語という観点からもうかが 紀 ■言語という壁ゆえに 世 いたいのですが、先ほどもお話に出たアンドレイ・クルコフ はウクライナの人ですよね。僕は彼の『ペンギンの憂鬱』が 小野文学の一一一一口語という側面から藤井さんにもお聞きしたい 好きなのですが、彼はどうしてウクライナ語で書かないのだ のですが、アメリカ文学の書き手には、必すしも英語を母語
レジネフに移ろうとする、今よりもはるかに暗く不自由な時ような体験だった。イタリアの人びとの心根をしみじみ感じ 代で、外国人旅行者の行動も制限されていた。そんなモスクたり、美人を追いかける盛りだくさんのパパラッチに目を見 ワからウィーンまで電車で二泊、ウィーンにさらに二泊して , 張ったりしながらの数カ月はまたたく間に過ぎた。そして秋 町を見たあと、ふたたび夜行列車でフィレンツェに向かっ風が立っころに、わたしたちはイタリアをあとにした。 た。何日も乗り物に乗り続けていたために、降りてからも数しかし、今度は友人とふたりになった帰路の旅でも、ハプ ニングが待ちかまえていた。ナホトカまでは無事に着いた 日は身体が揺れている感じが止まらなかった。 その日わたしは、ついにフィレンツェの駅のホームに降りが、いざ船に乗ろうとするときになって、ふたりともバスポ ートがないことに気がついた。慌てて問いあわせると、モス 立った。その瞬間から驚きの日々が始まった。空路であとか ら出発した友達が先にフィレンツェに入っていて、ホームに、クワのホテルに置いてきていた。バスポートがなければ動け 日本はもうすぐそこだというのに、港に三日も足止め は彼女を含めた人垣ができていた。列車のドアがあいたとた んにわたしめがけていくつものフラッシュが焚かれ、何ごと . された。おまけに旅客船はしばらくは出ないからと、新潟港 かと思うまもなく彼女がそばに来て、「新聞社のお出迎えよ」に向かう漁船に乗せられた。往きは横浜港から晴れやかに出 発しながら、帰りは新潟港に着き、そのあと上野駅まで電車 と一一一一口った。 その夜は歓迎の夕食会がホテルのレストランで盛大に催さ ( の旅をするという、イタリア帰りにしてはかなり変わったル ートになった。 れ、わたしはそこで、仔豚の丸焼きというのを初めて食べ イタリア滞在中にお世話になった数家族のうち、二家族と た。その翌日から、記者やカメラマンに追いかけられる毎日 が始まった。まだうら若い大和なでしこのわたしたちは恰好は、半世紀が過ぎた今でもまだよい関係が続いている。トリ ノの家族は、ルキーノ・ヴィスコンティの映画『若者のすべ の新聞種になっていて、とりわけ着物姿が周囲の目を惹き、 て』に出てきそうなナポリからの移住者で、今いちばんの年 何度か紙面を賑わした。 こうしてフィレンツェで一カ月ほどを過ごしたあと、イタ下は昨年生まれたアリアンナ。ジェノヴァの家族もあれから リア中部のローマから北部のトリノまで、手紙の返事をくれ - もう三代目で、数年前に大学の建築科を出たリリアは、父親 た人たちを訪ね歩いた。どこへ行っても、誰もがまるで、愛似のすてきな彼と結婚する日を待っている。 今から五十年前のこのイタリア行きは、人間や運命やその 娘がひさしぶりに帰ってきたかのように温かく迎えてくれ た。自宅の敷居が少々高いわたしたち日本人には信じがたい他もろもろを考えさせる、わたしの人生の原点になった。 139 随筆
大きな母は答えた。 今だ。自分の出自を聞くのは、成人した今がいい 思った。 「教えてほしいの」 「何を ? 」 大きな母は、じっとエリの顔を見つめた。エリが何を聞こ うとしているのか大きな母がすでに知っているのではないか と、レマには感じられた。 「あたしの細胞の出自」 「出自」 「どんな女だったの、元のあたしは ? 」 大きな母は、またエリをじっと見つめた。 「リエンという名だったわ」 「リエン ? 」 「そう、リエンは大きな母が大好きだったの。そして、自分 の意志をかたく貫き通したの。リエンはその生涯で子供を生 むはずじゃなかったのに、たくさんの子供を生んで、そして 死んでいった。当時の大きな母は、リエンが生んだ女の子た ちに、同じリエンという名をつけたわ。子供たちも、リエン にとってもよく似ていたから」 「当時の大きな母 ? 」 思わず、レマはロをだした。 「ああ、大きな母は、時々生まれてきて、死んで、また長い ことたってから、たまに生まれてくるのよ」 エリは 「今の大きな母は、昔の大きな母と同じ大きな母なの ? 」 今度は、エリが聞く。大きな母は頷いた。そうよ、わたし はリエンを育てた時のわたしと同じ、大きな母。肉体は違う けれど、でも、同じ。 「リエン」 エリは、大きな母に教わった名前を、舌の上でころがすよ うに、つぶやいてみる。すっと長い間、あめ玉のように心の 中で問いをころがしてきたのと同様に。 「リエンのことを、大きな母は、好きだった ? 」 エリは聞く。 「ええ、大好きだった。活発で、好奇心いつばいで、やわら かな子供だった」 大きな母は、なっかしむように答えた。 誕生日のお祝いに、エリとレマは贈り物をもらった。本を 一冊すつ。 本というものは、なんてきれいなのだろうと、レマは思み の う。大きな母から贈られた本は、表紙が革張りで、ページご とに図版がそえられ、どのページの紙からもいい匂いがした。 あ いつもレマが読むのは、モニター画面上の文字や図ばかり の で、それにだってレマはじゅうぶん満足しているのだけれ ぜ ど、本のページにふれる時のあのなんともいえない感触は、 独特のものだった。 「これは、人間の発生のさせかただね」 141
ころで、あ、そうか、読者がこの本の憑坐になるんだと。こ ■全身で書く小説の増幅 の中で読者によって増幅されて、読者がアンプになって大音 保坂「おめでとうございます」から始めるんですか。それ、 量を出す、そういう感じがしたんですよね。 なんかイヤだなという感じがするんだよね。今さらだし こういう経験というのは、普通の小説でも高揚するときは ( 笑 ) 。「おめでとう」より古川さんとこうして対談できるこ高揚するんだけど、今まで憑坐という一一一口葉を繰り返し書いて とがうれしいです。 きてくれていたおかげで、ここで憑坐という言葉に出会った 受賞が決まって、対談するので二度目を読んだんだけど、 ときに、「あ、読んでいるこの私、ここにいる私こそが憑坐 二度目のほうが面白かったんですね。小説って、一回読んだ になるんだ」という不思議な感じがしたんだよね。 ぐらいではわかんないほうが絶対面白いし 、いい小説なわけ古川普通のメタファーだと、本が楽譜で読者が演奏者だみ えみし ですね。四百ページを過ぎた「蝦夷たち」のところぐらいか たいな話になると思うんですよ。でも、今の保坂さんの話 ら、ガガガガッと面白くなるんだよね。今までがいろいろ伏は、演奏者じゃなくてアンプになると。演奏は誰かがしてい 線とい , つより : て、それを自分の中でイコライジングもかけて、ここを増幅 古川伏流ですかね。 するとか、ここを減らすとか、自分なりの音像をつくって大 保坂そうそう。そうだったものがプワッと出てきて、「本きくしていくという話をされていて、それって結構新しい本 朝はただの異朝になるぞ」というところで高揚するんだよ の立ち上がり方と体験の仕方のような気がして、とてもうれ しいですね。 ね。ここから五十ページぐらいの間がちょっと異常な感じで。 昨日ここを読んでいたときに思ったのは、本というのは、 保坂この本では、本のことも執拗に繰り返すでしよう。 感じない人が読んでも何にも感じないものなんだよね。本自古川はい。 体は、いろいろなものを内包しているんだけど、読者がそれ保坂だから、本と自分の関係というのを自然と考えるわけ をきちんと響かせないと、その本が持っている力が表にあら よ。ここで本当にい、、 説とそうでないものというのがわか われないわけですよ。 るんだけど、作者が書くのは言葉という記号なので、それ自 古川言ってみると、本に読者のほうが読まれているわけで体は音も厚みも色も持ってないわけですよ。読む人が自分で すよね。 妄想的にそれを感じた時点で、ようやっとそれがリアルに はしひめよりまし 保坂そうそう。だから、「橋姫が憑坐となって」というと なってくる、物質化してくるわけだから。 116
どあって、面積からいうと、そっちのほうが断然大きいんだ保坂もろ、そうなってますよ。 よね。それを考えると、今は中国がいろんな民族を支配して古川ありがとうございます。ただ、これができるかどう か、最初はわかんなくて。デビューしたころからすごく悩ん いるけど、中国自体はちっちゃい でいたのは、もともと持ってる専門的な知識で書いているん 国だって、国は政府なんだと考えれば、地方のはうがずつ でしようとか、自分は書けると思っているでしようとか、み と大きくなってくる。地方のほうが大きくて、地方の集合の んな僕に関して相当な先入観があって。僕、大体どういうも 上に政府という国がのっているとか、膨大な歴史、いろんな のも、思いついたとき、「これはすごいけど、誰が書くの ? 歴史がある中で一つだけ正史と呼ばれるものがちょこんと のっているだけで、危うい均衡を今に振りかえる。そういう俺かよ : : : 」と絶望しているんですよ。 保坂本が一冊あれば、本を書く前にプランの青写真がある 現代性を、この小説は持っているんだよね。 と思っているんだよね。書きながら、書く行為を通じて、そ 古川結局、僕たち、自分で現実を認識していると思ってい るけれども、それは今まで蓄積された言葉を介して自分で世れがつくられて立ち上がってくるということが本当にわから れてない。世間の人たちは何度言ってもわかんないんだよ。 界を構成し直しているという作業でしかないわけで。明らか びつくりするよね。 に自分で体験した現実よりも書物を通してプロセッシングし 古川しかも、たとえプランを持ったところで、つくり始め てきた現実のほうが大きいと思います。 ちゃうと、その細部は絶対にプラン全体を変容させちゃう。 日本で言ったら、平安時代までさかのばったところで、京 それで、もともと見えていたビジョンと齟齬ができてきたの 都という大きさ、あるいは五畿内という大きさよりも、その を、どこまで齟齬に自走させて、どこまで齟齬を統御するか 外側のほうが大きかったわけだし、ちょこんとのっているも のを支える土台である部分、あるいは周囲を包囲している部という、そのやりとりの過程が書くということだと感じてい るんですね。 分のほうが大きいんだということは、真っ当に社会で生きて そこで引きずられたり引きずり返したりしている中で初め説 いると「それは考えちゃいけないぜ」と言われちゃうんだけ て、あ、俺、この世の中のことを全然わかってなかった、 ど、もともと考えたところで「あんたが持っている考えは、 書 やっとわかってきたという感じで、一冊書くごとに、やっと 大体誰かの考えを教え授けてもらっただけなんだよ」みたい で 身 なところからスタートしないとダメで。多分、僕はそれを一 幼稚園児になれたみたいな感覚がありますね。 全 冊の本の中で徐々に体感できるようにしたくってしようがな保坂そういう感覚からの歴史観とか日本観とか国観という 感じのものが、ここでは本当に立ち上がってきている。で かったんだと思うんですね。