312 「傷も大したことはない。あの女医に、もういたくないって言って、出てきたんだしな」 どんな謝罪よりも、今のこの表情が、モルトにとってはたまらなく嬉しいものだった。 かぶ 。むしろ謝るのは被ったま だから、もういい。大丈夫。わかっている。謝らなくていい ま出てきた俺の方。 : : : そんな気持ちを込めてモルトは微笑みながらリツツの頭を撫でた。 目と目、手と頭、けれど、それで言葉以上に伝わる気持ちというものがある。モルトは : リツツの表情が氷のように固まった時には、確信もした。 そ、つ思い・ リツツの視線が明らかにモルトではなく、その後ろを見ており : : : 彼女の温かかった心 が急激に冷え切っていくのか、モルトには嫌というほどわかった。 すみか 「どうしたのだ、モルト。この建物か、お前の住処は。早く案内するのだ。いい加減この つら 服とやらを着続けるのも辛くなってきた : : : ふう」 ーとと、つい、つ 「 : : : モルト、説明をしてもらえる ? その地下から連れてきたストリッパ 関係なのか。 先程まで赤らめつつ不満げだったリツツの顔は、今や冷静な色を取り戻し、冷たい視線 をモルトに向けている。 モルトはリツツの視線に耐えきれず、逃げるようにして背後を振り返る。ェビーザがす でに病衣を脱ぎつつあった。
あわ しょ・つげき きようれつ 慌てたモルトの腹部に衝撃が走る。強烈な打撃のようなそれによって、モルトは思わず 00 しりもち 尻餅をついた。視界を覆っていた黒が消える。 「モルト何して : : : まずいリ逃げられーー何」 サシャの声を聞きつつ、モルトは体勢を立て直すと共に反射的に長柄刀を拾い上げ、即 その時はすでに目の前には闇が広がっているだけだった。 座に構える。だが、 「サシャ、何だ、何があった」 「走ったんだ、モルト。お前の魔光棒の光が布で覆われたからはっきりとは見えなかった まちが が、間違いなく走っていた」 「 : : : ど、つい、つ意味だ ? 」 「二足歩行していた。あいつ、黒い布かロープのようなものを纏っていたのだが : : : 何だ かばんかか か、鞄を抱えていたような : : : 」 ・ペット、だよな・ 不意を突かれたとはいえ、それなりに警戒していたモルトに一撃を打ち込んだのだ。街 のチンピラ程度ならどれだけ酒が入っていても対処できる : : : そんなモルトに、だ。 ただのペットじゃない、少なくともモルトはそう判断した。 「そもそも考えてみればこんな危険地帯である下水道の入り口がほっかり開いている場所 まと
218 モルトには見えた。 一二歳とはいえ、それでも段々と女性的な体つきになりつつあるのだと、胸はともかく、 その腰のラインを見てモルトは察した。朝に五年は : : : と言ったが、それは訂正した方が さび いいかもしれない。もう、くびれもある。お尻の張り具合も、まだ寂しいものの、一人前 だと言いたげではある。 だから、モルトは言った。 「似合ってるって」 リツツは顔をまた真っ赤にして、俯いてしまった。 「 : : : ありがと モルトの手の中にある、まだ子供つほさを残す小さな手がきゅっと握り返してくる。 「あ、晩ご飯、モルト、もう食べた ? お祭りだから、ママが今日料理多めに作ってたは ずだから : : : その・ : ・ : 」 えーっと、と、モルトは安美亭での約束を思い出すものの : : : 俯いたまま、とほとばと モルトにくつつくようにして歩くリツツの横顔を見て、ため息と共に首を振った。 「相変わらず無一文だよ。あとは察してくれ」 「なら、さ : : : 」 しり・
「同じさ、モルト。少なくともオレはお前と一緒にいられたから : : : 楽しかったんだ」 かって相棒と言ってくれたライの言葉は、ジュクセンとは違った意味で重みがあって、 モルトは辛かった。 たよ かただ モルトは、ライの小さいくせに頼りがいのある肩を抱く。 ライもまた、モルトの肩に手を伸ばした。 言葉なく、ただ肩を組む。それでわかりあえた。十分だった。一〇〇の言葉より通じる。 おうえん 「何にせよ : : : オレは応援する。モルト、お前の選んだ道だ」 「ありがとう、ライ。何でも屋をやってくって言った時も : : : お前はそんなふうに言って くれたな」 「 : : : 相棒だろ。お前が長柄刀を置いても、それは変わらねえさ」 もど 事務作業に戻るというライの背を、モルトはそっと押した。もうそろそろロテ国の国境 カ 警備隊とリキュール自警団による定期交流会がある頃なので、その準備なのだろう。 の 市ライはモルト同様に頭よりも体を使うのを得意とするタイプだ。その去りゆく背を見れ 雄ば彼が酷く疲れているのがすぐにわかった。 「俺が一人前の女体さすりになったら : : : 特別にお前もさすってやる。相棒」 つぶや 歩み行くライに向けて、モルトは小さく呟いた。 つら いっしょ ころ
「ああ、その : : : 実は、このエビーザは : : : その、いろいろあって : : : 」 「わらわの責任を取る、モルトはそう約束したのだ。そのためこれから共に寝食を : : : 」 「へえ、責任を : : : へえ ? 「あのな、リツツ、これは : : : 」 「モルトよ、なんだ、それは ? おや、お前、先程それをたらふく喰らっていなかった か ? まだ食べようというのか」 めいわく 「 : : : あ、何だ、もうタ飯っていうか、サンドウィッチ食べたんだ。へえー。じゃ、迷惑 だったよね。ごめんね、モルト。もういらなかったよね 何故こうも冷たいクごめんねはさらりと出てくるのだろうか。先程までの言いたいし 2 ど言えないとい、つ状態のかわいい リツツはどこへ行ったとい、つのか。 へきが モルトは考える。興味のない壁画を見るような顔をするリツツの頭に乗せた手から、違 カ うんだ、これは誤解が : : : と必死に弁明の気持ちを伝えようとしつつ。 の 都しかしそんな気持ちなどいらぬ、とでも一言うかのように、リツツはモルトの右手を彅き 英飛ばし、彼の左手にぶら下がっているバスケットを奪い返そうとするのだが : : : モルトは 必死にそれだけは阻止した。 ハスケットを抱きかかえるモルトだったが、 リツツの手がそこに伸びてきて、引っ張り なぜ しんしよく
: そのせいで年頃の娘達と比べれば肌が驚くほど白いせいだろう。 けれど、不思議と彼女の顔だけは、暗闇でもはっきりとわかるほどに、赤かった。 せんこう ジュクセンから分けて貰った線香にモルトは火を付けて、灰皿に置く。麝香と何かを合 ただよ わせたような香りがそっと漂い始める。 : まずはうつ伏せに」 「それでは、新人女体さすりモルト。施術に移らせて頂きます。 あわ むなもと リツツが横になるために胸元から手を放しそうになるも、慌ててすぐに押さえ直す。困 り顔でこっちを見て来るので、モルトは忘れ物をしたかのように自然に彼女に背を向けた。 こす べッドシーツが擦れる音が聞こえてから、モルトは今一度リツツへ向き直り : : : そして はばせま モルトもまたべッドに上って、緊張で硬くなっている彼女を跨ぐ。施術用の幅の狭いべッ ドなら傍に立ったままでいいらしいのだが、普通のべッドではこうするしかなかった。 ど「大丈夫、任せてくれ。この女体さすりのプロ、モルトに全てを。 カ ノ 「新人、でしょ : : : 」 の 市その通り、とモルトは笑いつつ、 リツツの両肩へ意識を向ける。 英まずは緊張を解すところから始めるのだ。 しゅんかん 触れた瞬間にリツツの全身がびくんっと動き、全身に力が入ったのがわかった。それが 抜けるまで、モルトは肩から手を動かさない かお としごろ かた おどろ しやこう
朝だった。 あ 窓から差し込む太陽の光は勤勉だ。毎朝飽きもせずに寝ているモルトの顔を照らし、そ ねむ さまた の眠りを妨げる。 : どのみち、長くは寝ていられない。 モルトは寝返りを打って光から顔を逃がすのだが : アパート内にはいくつもの部屋があり、幾人もの人々が住んでいる。そんな彼らが全員 ワ」 無職というわけもなく、モルトのように昼まで寝ているのを日課としているわけでもない。 みな あわ ど皆、当然のように朝は荒ただしく動き回り、そして働きに出るのだ。 びんかん ふだん ・ : 今のモルトは敏感に反応せざる 普段ならば気にならないそんな朝のク当たり前クに : 都を得なかった。 雄 英 おはようございます、モルトさん。 ああ、今日も : : : お疲れ様です。ーーあら、 モルト、毎日飽きないわね。 めずら アルコ・ホール三番街では珍しい三階建てアパート、その三階の住人達である。生活リ めがみ 0 第七話『女神の座、モルトの場所』 つか
うまい。落ち着いた、大人の味がした。 。いいなあ、コレ。 ・ : おっと」 「、つめえ 5 よゅう モルトは一息吐くと、ようやく余裕が出てきたこともあり、対面に座る占い師を見る。 それは、実に、そそった。 かざ 占い師は肉をそのダークな色合いのマニキュアで飾った指先で摘まみ、ぶつくりとした 深紅の唇をわせていた。モルトのように摘まんでガプリとはいかす、その尖った八重歯 で肉を引き裂くようにして、喰い千切る。 唇が、脂でてかっていた。同様の指先がその唇の間に吸い込まれ、ちゅばっと、誘うよ うに音を立てる。その全ての動作がやけに婀娜つほく、モルトの視線を釘付けにした。 「あらあン、おいしいじゃない。上手ねえ、モルト」 あお かく 左手に骨を摘まんだまま《彼女もまた横を向くようにしてグラスを呷る。隠れていた白 く細い喉ゃうなじがモルトに見せつけるように現れた。 うなず つぶや うなじも、悪くない。モルトは一人胸の内で呟き、確信するように頷いた。 しすくこほ 占い師はワインを半分ほど飲み干すとグラスを置いた。唇の蝌からワインの雫が零れそ ほほえ めぐ うになるも、思いの外長い舌先でペロリと拭う。そして彼女はモルトに向かって微笑んだ。 ようえん その顔が、指先が、唇が : : : 所作の全てがやけに妖艶で、モルトはたじろぎそうになり、 あだ さそ
「あ、ありがとう、ピーちゃん。・ : ・ : 何気にいろいろできるんだな」 「フギュッ ! 」 : が、ないんだよな : 「よし、それじゃ早速俺のプーツ : : どう見てもプーツが入 モルトは鞄を壁のヒカリ苔の近くに持って行き、中を見るが : ふ - っとう っているとは田 5 えない。 というか、入っていたのは石と封筒が一つだけだった。 「例年 O 出してたけどお 5 、委員会内でモルトのプーツってえ、ちょっと武具臭くな い ? って議題になったのお。それでこれはやつばりダメってなったからあ、代わりに私 がモルトにピッタリのお、モルトらしい、如何にもモルトだなあ 5 って思えるものを入れ ておいたからあン、それをたつぶり使ってねエー チョココより』 「 : : : な、何言ってんだ、コイツそれがこの石かつて、こんなのどう見てもただ ーも どの石 : : : いや、まさか何らかの魔力が込められたもの、とか ? 」 ふつう モルトは鞄の中に入っていた二つの石を持ち上げ、魔獣に投げつけてみる。ごく普通に 市 当たって跳ね返って、床を転がっただけだった。 英魔獣さえも、どうしていいのかわからないようで、一つだけの目で困ったようにモルト を見つめてくる。 「 : : : チョココ : : : あいつ、ただの石入れやがったのかってか、なんで石が : : : 重し ゴケ ノ、さ
モルトとやら、頼むぞ。女神はモルトに声を掛けると共に、人々の視線の中、席を立つ。 さかびん 3 彼女と共に店を出ようとする際、モルトはクラツツから小ぶりな酒瓶とサンドウィッチ おそ わた を渡されたが : : : 恐らくは、事の成り行きを隠れながら見ていたグレーンからの差し入れ だろ、つと、モルトは察した。 「恐らく魔獣が出るようになったのは、辺り一帯が戦火で焼かれたせいだろう。荒れ地と なっては魔獣とて暮らせぬ。山に逃げ込み、そして神殿の中に入り込んだのだろうな」 そんな女神の話を聞きながらモルトは山の階段を上っていた。 ぼん いっしゅう やじうま 議員や野次馬達は女神に「見送りはいらぬ」と一蹴されると共に、歪んだ盆を持ったク きようはくまが ラツツから椅子に座った以上は必ず何か注文しなければ店から出さない、と脅迫紛いに言 われたがために、今は二人だけだった。 うすぎ 薄着の美女と男、モルトが手にした魔光球が収まるランタンを提げているとはいえ、暗 い階段を上り行くというのは : : : その後の展開をいろいろと考えさせるものだが、さすが に意識混濁から目覚めて数時間の今のモルトに手を出す気力はなかった。 たの