は、みんな欲求不満だと思ってるのかしら。まあ、わたしも若い頃はそう思ってたけど」 学校では決して見せない態度と一一一一口葉遣いで、京子さんは言った。二人っきりで、感情が高ぶ きら ったときだけ、京子さんは俺にこんな顔を見せる。それは嫌いじゃなかった。 「あのね、これでもモテたんだから。学生時代は。、 しや、今だって、モテないわけじゃないの よ。少なくとも、あんなガサツな子の、百倍はモテるわよ」 「そうだと思いますよ」 百倍はさすがに大けさじゃねえのか、と思ったけど、俺は相槌をうっておいた。 「でも、誰とも付き合わなかったけど」 おどろ 俺は驚いて、京子さんを見つめた。 「なによ。いけない ? 」 、や、そうじゃなくって : 、その、六年間も ? 」 「そうよ」 京子さんは、当然でしよ、と言わんばかりに俺を見つめ返した。 「そんな。ハ力な」 「ハカじゃないわよ。わたしをなんだと思ってるの」 「六年は長いっすよ」 「確かに、短くはなかったわね」 あいづち
そんなときの京子さんは、イヤになるぐらい綺麗に見えた。 しゆみ 兄貴と俺はやつばり、趣味が似てる。オ ート・ハイの趣味もそうだし、女もそうだ。きっと兄 貴は、京子さんのこんな目に、唇に、横顔に惹かれたに違いない。 もし、こんなに綺麗な京子さんを手に入れたら、兄貴を超えたと思えるだろうか ? きより ちぢ 今以上の関係より、もうちょっと距離を縮めることができたら、兄貴との距離も近づくだろ 、つ、刀フ・ どんな方法でもいい。少なくとも、この 245 をオ ートバイですっ飛ぶよりは、マシで素晴 らしい方法に思えた。 俺の中で、京子さんとの距離を縮めることが、 245 でタイムを縮めることと同じように、 はず 兄貴を超えるための目標になっていった。傍から見ればバカらしい、ネジの外れたような理由 だと思ったが、京子さんを手に入れたくてたまらなくなった。 女 ゆる 彼 そして、京子さんは兄貴と俺を比べてる。それが許せなかった。 の イ 俺は兄貴じゃない。生き残った俺に兄貴を重ねあわせるのは、そっちの勝手だけど、それを マ 俺に押し付けないで欲しい。 遠そんな怒りが俺の中で、膨らんでいった。 そんな怒りと劣等感が入り混じったから、俺はとんでもないことを京子さんに言ったんだと 思う。 ふく くら はた
親友だと思ってた啓介にだって、冷たく対していたのかもしれない。思えば、こいつはいっ おぼ つもバイクの整備をやってくれてたのに、俺は礼一つ言った覚えがない。 だから、京子さんにあんなことを言ったんたと思う。 「テストで十位以内に人ったら、キスしてくれ」なんて。 「兄貴とはしたんだろ ? 」なんて。 ばくだん 優しい一一一一口葉どころか、爆弾じゃねえのか。それって。 とにかく俺はべッドの上で反省した。 ポキポキに骨折した惨めな下半身を見て反省した。 はず 腰上のギブスが外れたら ( 足のギブスは当分外せない、らしい ) 、 リハビリが待っている。 医者は「まあ大丈夫だろ」と言っていたので、歩けなくなるということはないらしい。少し安 、 , い 1 しこ 0 女 彼べッドから出られたら、なんだろ、挨拶ぐらいは笑顔でしようか、と思う。 イ おはようの『お』、ありがとうの『あ』、オアシス運動ってやつだ。素晴らしい マ 遠そんなこんなでべッドに人っている今日は、八月の二十八日。 すず あと四日で九月になり、新学期が始まる、そんな日だ。開け放した窓からは、ちょっと涼し むだ い成分を含んだ夏の終わりの空気が入ってきて俺の顔をなぶり、一夏無駄にしたことを教えて こっせつ はんせい
自由な兄貴の手伝いでバイクをイジる内に、自分でも乗ってみたくなったらしい。そんで十六 になったときにすぐ、免許を取った。 「ねえケン。言って。なんであたしに内緒でバトルしたのよ」 俺は眉をしかめた。・ハトルて。殺し合いじゃねえんだから。あんなん結局は遊びの延長だ。 れっとうかんてんびん ちょっとばかし命と劣等感が天秤にかかってるが、そんだけだ。たかが公道でレースごっこを ぎようぎよう するだけなのに、なんでそんな仰々しい言葉を使わなきゃならない ? 気持ちが悪い。そうい みよう う一一一一口葉を平気で一言うやつは、絶対レースごっこに妙なロマンを感じてる。ほんとにレースがし たけりゃあ、サーキットに行けばい、。 俺 ? 俺は違う。俺は兄貴に勝ちたいだけた。誰が速 いとか遅いとか、ほんとにどうでもいし : : : のだろうか ? 自分でもよくわからない。 でも、そんな葛藤、カオルに言っても始まらない。俺はカオルに言わなかった理由をオ・フラ 女 彼 ートに包んで説明した。 の レ 「だって、お前に言ったらめんどくさいことになりそうで : イ マ 「めんどくさいことって、例えば ? 」 さんせん 遠「お前、客のバイクを勝手に持ち出して参戦するだろ」 啓介が困ったように言った。 うで ごうぜん 「悪いの ? 」カオルは腕を組んで、傲然と言い放つ。 こま かっとう ないしょ えんちょう
まち さび こんな寂れた街でこんなアホウな車に乗るのはいったいどんなャツなんだと思いながら、運 こぎれい かっこう Ⅱ転席を見た。なるほど、いけすかない小綺麗な格好の若い男だった。 ひにくま でもって、そんな男の車の隣に座った女は、さてどれほどいい女なんでしよう、と皮肉混じ りな気分で、視線をずらした。 の その瞬間、俺はうっと息を呑んだ。 はず イタリアンレッドのドアの向こう、助手席に座った京子さんがいる。俺に気づいている筈な のに、恥ずかしげに顔を赤らめ、こっちを見ようともしない。 風のようにイタリア製のオープンカーは、走り去った。 っ まうぜんた 俺は呆然と立ち尽くしたあと、大声で怒鳴った。 「なにあれ ! 」 「え ? 今のオープン ? あの車ってイタリアの車でしよ。やつば、、ハイクも車もイタリアよね。 うなず イタリア製のオー ト、、ハイ、ドカティが愛馬のカオルは、うんうんと頷いて言った。 「車じゃねえよ ! 乗ってた人 ! 」 「あれでしょー。最近、国道沿いにたくさんファミレスとか電気屋とかできてきたじゃん。お しょ , ってん力い はくしゃ かげで商店街が、寂れに拍車をかけている、という」 「電気屋 ? 」 しせん ぞ
「大人なんか、どこにもいないわ。みんなフリしてるだけ。たまにポロも出る」 京子さんの顔が頭をよぎった。なんとなく。 「あなたってお兄さんとそっくりね。笑っちゃうぐらいに、ね」 やさ 「顔だけですよ。俺は、兄貴みたいに頭もよくないし・ : 、その、人望とか、優しさとか : : : 」 せの くだもの 「違う。中身も同じよ。せいいつばい背伸びして、木の上の果物を取ろうとしてる。ただ、や り方が違うだけ」 どうよう 俺は動揺した。その言葉は、。、 くしっと俺の中に入ってきて : : : 、激しく揺さぶった。それま でしがみついていたものを、一気に否定された気分で : : : 、消化不良を起こしたのだった。 「そんなこと言われたの、初めてですよ」 やっとのことで、それだけ言った。 女柊先生はそれから、ゆっくりと脚を組む。女優みたいに。 が「大学行きたいんでしょ ? 」 うなず イ 俺は頷いた。 マ みと 「認められたいから ? たず 遠俺は頷かなかった。代わりに、尋ねた。 「森崎先生は・・ どんな人だったんですか ? 」 「高校生の頃フ ころ ひてい じよゅ、つ
「嘘です」 顔を真っ赤にして、京子さんは俺を睨んだ。 「怒るわよ」 「そんな風に、昔みたいな顔を見せたほうが、人気が出ると思うけどな」 京子さんは真顔に戻って、ぼそりと呟いた。 「あのね、こんな成績取っといて、先生をからかわないの。ったく、お兄さんはあんなにでき たのに : 不意に兄貴と比べられて、かちっとスイッチが入っちまった。俺はぷいっと振り向くと、歩 き出した。 「あ、こら。魚住くん」 慌てた調子で京子さんが呼び止めたけど、俺は無視して歩き去った。 女 彼 ちょっと期待した自分に腹が立ったせいもある。 の みんなてまえ 初日は皆の手前もあったし、あんまりなれなれしくできなかったけど、今なら平気。久しぶ イ マ り、大きくなったね。元気だった ? そして天使のような、笑顔。 遠出会った初日に冷たくされた分、優しくされるなんて想像した。 俺、死ね。 はら やさ にら ひさ
兄貴と俺は違う。死んだって誰も泣きやしない。誰も惜しまない。初めから、こうだったら よかったのに。 けっこん 最初からこうだったら、京子さんも傷つけずに済んだ。今頃は兄貴と結婚して、幸せにやっ なが つぶや ていたかもしれない。海を眺めて「いろんなことがいつばいあったからね」なんて呟かずに済 んだに違いない。 けいれん 痙攣したようにまぶたは開いたままなので、星空がいつまでも見えた。死ぬときに、あんな 綺麗なものは見たくねえと思った。 冷たくて、悲しくて、でも涙は出なかった。 そのままじっと寝転がっていると、車のヘッドライトが近づいてきた。横たわった俺の隣に 止まると、ドアが開いた。 誰かが降りてきて、俺の隣に立った。首が動かせないので、誰だかわからない。 「生きてる ? だったら聞いて。死んでたら、しようがないけど」 京子さんの声だった。学校で聞くような冷たい声だった。 「どこに行ったんだろうと思って捜してみれば、こんなとこで寝てるなんて、よっ。ほどバカな のね。あんたのお兄さんも、よくこの道でレースしてたわね。わたし、それがだいっきらいだ った。なんでそんなとこだけ似てるのよ」 ねころ
174 隣で京子さんが、まるでその女性のマネージャーみたいに小さくなっている。京子さんも綺 ふんいき あっか 麗だけど、冷たい雰囲気がするためかあんまり人気がない。笑顔の一つでも見せれば扱いも違 かんそう っていただろうになあ、と俺はそんな感想を抱いた。 カオルはくすくすと笑った。 ひかく 「いいきみー。散々生意気言った罰ねー。自分の人気と比較して、そこで小さくなってるがい 「そういうこと言うな」俺は言った。 カオルの言ってることは違う。そのぐらいで京子さんが不機嫌になるわけがない。京子さん は兄貴の心をうばった女性を目の前にして、すつごく疲れているのだ。 しっと そう、疲れてる。嫉妬とか、怒りとか、そんなものじゃなく、一気に疲れてしまったのだ。 俺も最近、似たような気持ちだからわかる。そういうあまりにも大きなショックは、怒りとか、 、きっと京子さんはそんな そんなエネルギーも奪ってしまう。なんでわたしがこんな目に : すがた ふうに今思っているに違いない。そんな京子さんの姿を見るのはつらい ーフですか ? 「先生って、ガイジンっ。ほいですよね。 「そうじゃないわ。クオーター」 ふしよう ねんれい あっさりと、派手な美人顔の理由がついた。どことなく年齢が不詳なのはそのせいもあるん だろう。とにかくそんなわけで、柊かすみ先生 : : : 、兄貴の恋した女性は、一気にクラスの、 さ・ごんなまいき はで じよせい いっき
「なにこれ ? 」 と京子さんは「期末試験」と言った。 きよか かんしゃ 「大変だったのよ。病院で受ける許可を取るの。感謝して欲しいわね」 「左手しか動かない」 がまん 「我慢しなさい。あれだけ勉強したのに、もったいないじゃない」 すすわ 京子さんは椅子に座ると、腕時計を見つめた。 「じゃあ、名前を書いたら裏返して」 俺は。ほかんと口をあけて、京子さんを見つめた。 一瞬後、胸が熱いもので満たされる。彼女が欲しい。それはかなり困難なことのように思え むずか る。たぶん、兄貴を超えることの何倍も難しいに違いない。でも、やってやる。いっか、この 人に俺を好きと言わせてやる。 今はまだ無理に違いないけど。でも、いっか、きっと こんな素敵な彼女ができたら、兄貴を超えられるような、そんな気がした。ネジを外して 2 45 を吹っ飛ばすだけじゃ届かない、綺麗な何かに近づけるような気がした。 グレーのスーツに身を包んだ京子さんは、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか : : : 、脚を 組むと真面目な顔で言い放った。 まじめ こんなん