俺はおかしい。そう思う。どうかしてる。わかってる。 でも、じゃないと兄貴には勝てない。頭のどっかのネジを緩めないと、天才には敵わない。 普通じゃ勝てない。だったら俺は他人になんと一一 = ロわれようがネジを緩めてやる。 なにせ、六年前に死んだ兄貴は誰からも愛される存在。俺はそうじゃない。いてもいなくて も、あまり変わらない。ネジを緩めて死んだって、誰も惜しんではくれない。皆、俺と死んだ 兄貴を比べたがる。比べて、兄貴じゃなくて俺が死ねばよかったのに、そう思っている。 ひがいもうそう 被害妄想 ? 違う。 ふとん せいざ 兄貴の通夜、母は・ほんやりと兄貴の横たわった布団の前に正座をしていた。俺が部屋にはい かた っていっても、気づかなかった。十一歳の俺が肩を叩いたら、振り向いた。そしてぼつりと とが 「なんであんたじゃなかったの ? 」と呟いた。そまこ を冫いた父がすぐに母のその言葉を咎めた。 あやま 彼母はあとで俺に何度も謝ったけれど、その言葉は耳にこびりついて離れなかった。 兄貴はなんでもできた。スポーツ、勉強、遊び : : : 。兄貴はかっこよくて男にも女にもモテ マた。俺は兄貴に似ているけれど、顔だけだ。兄貴がなんなくできたことを、俺は何一つまとも くにできやしない。そんな自分がイヤだった。嫌いだった。 かみがた 兄貴みたいになりたくて、兄貴が履いてたコイハ ースを買った。兄貴と同じ髪形にした。兄 めんきょ 貴が免許を持ってたから、俺も一一輪の免許を取った。兄貴のモーターサイクル、兄貴の作った くら つぶや きら そ・ごい ゆる かな
兄貴と俺は違う。死んだって誰も泣きやしない。誰も惜しまない。初めから、こうだったら よかったのに。 けっこん 最初からこうだったら、京子さんも傷つけずに済んだ。今頃は兄貴と結婚して、幸せにやっ なが つぶや ていたかもしれない。海を眺めて「いろんなことがいつばいあったからね」なんて呟かずに済 んだに違いない。 けいれん 痙攣したようにまぶたは開いたままなので、星空がいつまでも見えた。死ぬときに、あんな 綺麗なものは見たくねえと思った。 冷たくて、悲しくて、でも涙は出なかった。 そのままじっと寝転がっていると、車のヘッドライトが近づいてきた。横たわった俺の隣に 止まると、ドアが開いた。 誰かが降りてきて、俺の隣に立った。首が動かせないので、誰だかわからない。 「生きてる ? だったら聞いて。死んでたら、しようがないけど」 京子さんの声だった。学校で聞くような冷たい声だった。 「どこに行ったんだろうと思って捜してみれば、こんなとこで寝てるなんて、よっ。ほどバカな のね。あんたのお兄さんも、よくこの道でレースしてたわね。わたし、それがだいっきらいだ った。なんでそんなとこだけ似てるのよ」 ねころ
六月。 ぎよこう 海沿いの国道 245 線。漁港に通じる交差点の信号の前。時計を見る。メーターパネルの真 はず うでどけい ん中、ベルトを外した腕時計がはつつけてある。時間は深夜の一時三十九分。ズズドコズズド わり かな コと、ホンダのツインが、低く、割とおとなしめなアイドリングを奏でている。この音が好 あにき おれ きだ。死んだ兄貴の趣味だけど、俺もうるさいマフラーは好きじゃない。 またが 時計も、俺が跨っているこのホンダのモーターサイクルも兄貴の形見だ。けど、兄貴はモー まぬ 彼ターサイクルで死んだわけしゃない。もっと間抜けな事故で六年前に死んだ。 くも 吐く息でフルフェイスメットのシールドが曇る。走り出せば風で曇りは消えるだろうから気 となりなら ちょ , つはっ マにしない。ぶおんとやたらとでかい音を立てて、隣に並んだカワサキが俺とホンダを挑発する。 きっさてん だれ 工業高校の三年生。昼間、たまたま同じ喫茶店の隣同士のテーブルに居合わせた俺たちと誰が こうろん はやおそ 速い遅いの口論になり、夜中にこうやってレースをする羽目になった。 悪いけど、兄貴のホンダをおろしてから俺はこの 245 で負けたことがない。見かけはマフ 第一章真夏のレース しゆみ はめ
カオルはそう言ったけど、メットの奥の俺の目の色に気づいて、びくっと体を震わせた。 「ケン ? 」 「啓介が心配してる。後でなんでも言うこと聞いてやるから、今日は帰れ」 めずら しんみよううなず みよう おそ カオルは珍しく神妙に頷いた。俺の妙な迫力に恐れをなしたらしい 佐藤が俺に怒鳴った。 今日は負けねえ」 俺は黙って前を見た。アホが。お前と勝負するわけじゃない。 「今日は俺も死ぬ気で行くからよ」 かんたん 死ぬとかなんとか、そんな簡単に言ってくれるな。たぶんここにいる連中の中で、本当に死 きず ねばよかったのは俺だけだ。そうすれば誰も傷つかずに済んだ。 はいきおんと 隣で佐藤がカワサキのエンジンを思い切りふかした。夏の夜空に、二台の排気音が溶ける。 女 つな 彼 スターターが振り上げた両手を下ろす。スロットルをふかすと同時にクラッチを繋ぐ。押し出 の すようにスロットルを開いていく。兄貴のホンダが、俺を乗っけて加速した。 イ マ 俺は兄貴に勝っ方法を何一つ知らない。 遠自分を庇って死んだ人間に、詫びる方法を知らない。 兄貴が俺に残してくれたものは、このホンダと胃に突き刺さるような劣等感。絶対勝てねえ と思わせる、果てのない劣等咸。 ノ【ン、 わ ふる
京子さんの目から、涙がぼろっと伝った。 「なんであんたじゃなかったの ? 」 吐き出すように京子さんは言った。 おぼ 熱を持って、痛みが俺に襲いかかる。溺れてしまいそうなほど、苦しかった。 「母ちゃんにも一言われたよ」 「帰って」 俺は立ち上がった。 「帰って ! 喫茶店を出て、兄貴の形見のモーターサイクルに跨った。 なんで俺じゃなかったんだろう。 本気でそう思う。 残った人間を傷つけて、どうして俺は生きなきゃいけないんだろう。 そう。 かば 兄貴は俺を庇って死んだ。それ以上に間抜けな死に方を、俺は知らない。 六年前の七月 海沿いの国道 245 線。 漁港に通じる交差点の信号の前。俺と兄貴は釣りをするためにこの交差点を越えた。先を走 おそ
じようだん 「冗談で言ってないよ。俺は兄貴に負けたくない」 「勝つも負けるもないでしよう。究くんは : : : 」 「死んでるよ。でも、そんなこと関係ない。京子さんだってそうでしよう ? 「わたし ? 」 「うん。俺と兄貴を比べてる。だから勉強を教えてくれた。あの究の弟なんだから、平均点ぐ らい取りなさいってね。兄貴に笑われるでしよってね」 「違うわ。違う。やだな、そんな風に思ってたの ? 「本気で違うって言えるの ? 」 京子さんは、目をつむった。いっか、海沿いの駐車場で見せた表情だった。 りふじん きっと兄貴を思い出しているに違いないと思ったら、頭にきた。理不尽だとはわかっていて も、どうしようもなかった。 女 彼「そうね。確かに君の言う通りね。悪かったわ。死んだ人と比べるなんてこと、しちゃいけな 和いわよね」 マ 「いいよ。慣れつこだし。でも一つだけ約束して」 遠京子さんは顔をあげて、俺を見つめた。 「なにを ? 」 俺は息を吸い込んで、一気に言った。
俺も好きじゃねえよ。 あやま 「さて、あんたはどうしようもないバカだけど、一応謝らなくちゃね。なんであんたじゃなか ったの、なんて言っちゃいけなかった。あんたがどんだけひどいことをわたしに言ったとして もね、それは言っちゃいけないのよ」 耳から人った言葉が頭の中で意味を持つまでに時間がかかる。なにか言おうとしたが、こわ ばったロは動かない。 「だって、人の生き死になんて、わたしたちが決めることじゃないもの。そうでしよう ? から謝る。ひどいこと言ってごめんね」 どりよく 京子さんの声が、震えだした。泣いているらしい。冷たい声を出そうと努力しているらしい が、気持ちの高ぶりがそれを許さない。そんな声だった。 「あんた、生きてんでしょ ? 死んでないよね ? わたしが大好きだった人の代わりに生き残 女 彼ったくせに、こんなバカやって死ぬなんて許さない。わかってんのフ その瞬間。 イ マ ほんとにこんなときに何考えてんだろうと思ったけど。 遠俺は、ああ、この人が好きだと思った。 こんなときなのに、そう思った。 兄貴を超えたいから、この体を抱きしめたいと思ったんじゃない。 ふる
過去のメロ一のなかで。 死んだ兄貴と同じ、 まった時間のなかで。 遠い七年前の町界に 京子は立ってる。 」まで、どうやった一戸 , どり着けるんだろう。
呟くように、俺は言った。 「一手間って ? 」 「速くしてくれ。頼む」 「やめとけ。言ったろ ? これで飛ばしたら死ぬって。何年前のシロモノだと思ってんのフ こっとうひん 骨董品だよ」 に顎をしやくって、啓介 「頼む」と俺。 啓介は困ったように、頭をかいた。 「なにがあった ? 」 「結婚すんだって」 女「森崎先生 ? 」 がああ、と俺は頷いた。 イ「で、なんでチューニングなの」 こんやくしゃ 「婚約者とレース」 遠「本気 ? 「ああ」 「暇だね」と啓介は言った。 たの ひま あご こま たの
146 先生のこと考えすぎちゃって、『好きだ』なんて言ったのかもしれない 「ワケわかんないわ」 みりよく 「そうだね。でも、京子さんより魅力的な人が、そうそういるなんて思えねえ。兄貴は舞い上 がってたんだよ、きっと」 ふる そう言ったとき、声が震えた。なんだか、妙に頭にきたのだった。京子さんにも、死んだ兄 亠貝にも : こども 「子供のくせに、ロがうまいのね。兄弟して嘘つきね」 京子さんはため息をついた。 「嘘じゃねえよ。思ったこと、そのまま言ってるだけだ。京子さんがひねくれてんだよ」 「ひねくれてなんかないもん」 子供みたいな調子で、京子さんは言った。 鐘をつくとき、毎年そんなことばかり考えてたんだろうか。 「何回っいたかな、これで」 綱をひき、鐘を鳴らす。 もう、何回っいたのかわからない。 俺も、京子さんも数えていない。 「わかんない」と、京子さんは答えた。 みよう