死ん - みる会図書館


検索対象: 遠く6マイルの彼女
38件見つかりました。

1. 遠く6マイルの彼女

俺はおかしい。そう思う。どうかしてる。わかってる。 でも、じゃないと兄貴には勝てない。頭のどっかのネジを緩めないと、天才には敵わない。 普通じゃ勝てない。だったら俺は他人になんと一一 = ロわれようがネジを緩めてやる。 なにせ、六年前に死んだ兄貴は誰からも愛される存在。俺はそうじゃない。いてもいなくて も、あまり変わらない。ネジを緩めて死んだって、誰も惜しんではくれない。皆、俺と死んだ 兄貴を比べたがる。比べて、兄貴じゃなくて俺が死ねばよかったのに、そう思っている。 ひがいもうそう 被害妄想 ? 違う。 ふとん せいざ 兄貴の通夜、母は・ほんやりと兄貴の横たわった布団の前に正座をしていた。俺が部屋にはい かた っていっても、気づかなかった。十一歳の俺が肩を叩いたら、振り向いた。そしてぼつりと とが 「なんであんたじゃなかったの ? 」と呟いた。そまこ を冫いた父がすぐに母のその言葉を咎めた。 あやま 彼母はあとで俺に何度も謝ったけれど、その言葉は耳にこびりついて離れなかった。 兄貴はなんでもできた。スポーツ、勉強、遊び : : : 。兄貴はかっこよくて男にも女にもモテ マた。俺は兄貴に似ているけれど、顔だけだ。兄貴がなんなくできたことを、俺は何一つまとも くにできやしない。そんな自分がイヤだった。嫌いだった。 かみがた 兄貴みたいになりたくて、兄貴が履いてたコイハ ースを買った。兄貴と同じ髪形にした。兄 めんきょ 貴が免許を持ってたから、俺も一一輪の免許を取った。兄貴のモーターサイクル、兄貴の作った くら つぶや きら そ・ごい ゆる かな

2. 遠く6マイルの彼女

兄貴と俺は違う。死んだって誰も泣きやしない。誰も惜しまない。初めから、こうだったら よかったのに。 けっこん 最初からこうだったら、京子さんも傷つけずに済んだ。今頃は兄貴と結婚して、幸せにやっ なが つぶや ていたかもしれない。海を眺めて「いろんなことがいつばいあったからね」なんて呟かずに済 んだに違いない。 けいれん 痙攣したようにまぶたは開いたままなので、星空がいつまでも見えた。死ぬときに、あんな 綺麗なものは見たくねえと思った。 冷たくて、悲しくて、でも涙は出なかった。 そのままじっと寝転がっていると、車のヘッドライトが近づいてきた。横たわった俺の隣に 止まると、ドアが開いた。 誰かが降りてきて、俺の隣に立った。首が動かせないので、誰だかわからない。 「生きてる ? だったら聞いて。死んでたら、しようがないけど」 京子さんの声だった。学校で聞くような冷たい声だった。 「どこに行ったんだろうと思って捜してみれば、こんなとこで寝てるなんて、よっ。ほどバカな のね。あんたのお兄さんも、よくこの道でレースしてたわね。わたし、それがだいっきらいだ った。なんでそんなとこだけ似てるのよ」 ねころ

3. 遠く6マイルの彼女

六月。 ぎよこう 海沿いの国道 245 線。漁港に通じる交差点の信号の前。時計を見る。メーターパネルの真 はず うでどけい ん中、ベルトを外した腕時計がはつつけてある。時間は深夜の一時三十九分。ズズドコズズド わり かな コと、ホンダのツインが、低く、割とおとなしめなアイドリングを奏でている。この音が好 あにき おれ きだ。死んだ兄貴の趣味だけど、俺もうるさいマフラーは好きじゃない。 またが 時計も、俺が跨っているこのホンダのモーターサイクルも兄貴の形見だ。けど、兄貴はモー まぬ 彼ターサイクルで死んだわけしゃない。もっと間抜けな事故で六年前に死んだ。 くも 吐く息でフルフェイスメットのシールドが曇る。走り出せば風で曇りは消えるだろうから気 となりなら ちょ , つはっ マにしない。ぶおんとやたらとでかい音を立てて、隣に並んだカワサキが俺とホンダを挑発する。 きっさてん だれ 工業高校の三年生。昼間、たまたま同じ喫茶店の隣同士のテーブルに居合わせた俺たちと誰が こうろん はやおそ 速い遅いの口論になり、夜中にこうやってレースをする羽目になった。 悪いけど、兄貴のホンダをおろしてから俺はこの 245 で負けたことがない。見かけはマフ 第一章真夏のレース しゆみ はめ

4. 遠く6マイルの彼女

カオルはそう言ったけど、メットの奥の俺の目の色に気づいて、びくっと体を震わせた。 「ケン ? 」 「啓介が心配してる。後でなんでも言うこと聞いてやるから、今日は帰れ」 めずら しんみよううなず みよう おそ カオルは珍しく神妙に頷いた。俺の妙な迫力に恐れをなしたらしい 佐藤が俺に怒鳴った。 今日は負けねえ」 俺は黙って前を見た。アホが。お前と勝負するわけじゃない。 「今日は俺も死ぬ気で行くからよ」 かんたん 死ぬとかなんとか、そんな簡単に言ってくれるな。たぶんここにいる連中の中で、本当に死 きず ねばよかったのは俺だけだ。そうすれば誰も傷つかずに済んだ。 はいきおんと 隣で佐藤がカワサキのエンジンを思い切りふかした。夏の夜空に、二台の排気音が溶ける。 女 つな 彼 スターターが振り上げた両手を下ろす。スロットルをふかすと同時にクラッチを繋ぐ。押し出 の すようにスロットルを開いていく。兄貴のホンダが、俺を乗っけて加速した。 イ マ 俺は兄貴に勝っ方法を何一つ知らない。 遠自分を庇って死んだ人間に、詫びる方法を知らない。 兄貴が俺に残してくれたものは、このホンダと胃に突き刺さるような劣等感。絶対勝てねえ と思わせる、果てのない劣等咸。 ノ【ン、 わ ふる

5. 遠く6マイルの彼女

京子さんの目から、涙がぼろっと伝った。 「なんであんたじゃなかったの ? 」 吐き出すように京子さんは言った。 おぼ 熱を持って、痛みが俺に襲いかかる。溺れてしまいそうなほど、苦しかった。 「母ちゃんにも一言われたよ」 「帰って」 俺は立ち上がった。 「帰って ! 喫茶店を出て、兄貴の形見のモーターサイクルに跨った。 なんで俺じゃなかったんだろう。 本気でそう思う。 残った人間を傷つけて、どうして俺は生きなきゃいけないんだろう。 そう。 かば 兄貴は俺を庇って死んだ。それ以上に間抜けな死に方を、俺は知らない。 六年前の七月 海沿いの国道 245 線。 漁港に通じる交差点の信号の前。俺と兄貴は釣りをするためにこの交差点を越えた。先を走 おそ

6. 遠く6マイルの彼女

じようだん 「冗談で言ってないよ。俺は兄貴に負けたくない」 「勝つも負けるもないでしよう。究くんは : : : 」 「死んでるよ。でも、そんなこと関係ない。京子さんだってそうでしよう ? 「わたし ? 」 「うん。俺と兄貴を比べてる。だから勉強を教えてくれた。あの究の弟なんだから、平均点ぐ らい取りなさいってね。兄貴に笑われるでしよってね」 「違うわ。違う。やだな、そんな風に思ってたの ? 「本気で違うって言えるの ? 」 京子さんは、目をつむった。いっか、海沿いの駐車場で見せた表情だった。 りふじん きっと兄貴を思い出しているに違いないと思ったら、頭にきた。理不尽だとはわかっていて も、どうしようもなかった。 女 彼「そうね。確かに君の言う通りね。悪かったわ。死んだ人と比べるなんてこと、しちゃいけな 和いわよね」 マ 「いいよ。慣れつこだし。でも一つだけ約束して」 遠京子さんは顔をあげて、俺を見つめた。 「なにを ? 」 俺は息を吸い込んで、一気に言った。

7. 遠く6マイルの彼女

俺も好きじゃねえよ。 あやま 「さて、あんたはどうしようもないバカだけど、一応謝らなくちゃね。なんであんたじゃなか ったの、なんて言っちゃいけなかった。あんたがどんだけひどいことをわたしに言ったとして もね、それは言っちゃいけないのよ」 耳から人った言葉が頭の中で意味を持つまでに時間がかかる。なにか言おうとしたが、こわ ばったロは動かない。 「だって、人の生き死になんて、わたしたちが決めることじゃないもの。そうでしよう ? から謝る。ひどいこと言ってごめんね」 どりよく 京子さんの声が、震えだした。泣いているらしい。冷たい声を出そうと努力しているらしい が、気持ちの高ぶりがそれを許さない。そんな声だった。 「あんた、生きてんでしょ ? 死んでないよね ? わたしが大好きだった人の代わりに生き残 女 彼ったくせに、こんなバカやって死ぬなんて許さない。わかってんのフ その瞬間。 イ マ ほんとにこんなときに何考えてんだろうと思ったけど。 遠俺は、ああ、この人が好きだと思った。 こんなときなのに、そう思った。 兄貴を超えたいから、この体を抱きしめたいと思ったんじゃない。 ふる

8. 遠く6マイルの彼女

過去のメロ一のなかで。 死んだ兄貴と同じ、 まった時間のなかで。 遠い七年前の町界に 京子は立ってる。 」まで、どうやった一戸 , どり着けるんだろう。

9. 遠く6マイルの彼女

呟くように、俺は言った。 「一手間って ? 」 「速くしてくれ。頼む」 「やめとけ。言ったろ ? これで飛ばしたら死ぬって。何年前のシロモノだと思ってんのフ こっとうひん 骨董品だよ」 に顎をしやくって、啓介 「頼む」と俺。 啓介は困ったように、頭をかいた。 「なにがあった ? 」 「結婚すんだって」 女「森崎先生 ? 」 がああ、と俺は頷いた。 イ「で、なんでチューニングなの」 こんやくしゃ 「婚約者とレース」 遠「本気 ? 「ああ」 「暇だね」と啓介は言った。 たの ひま あご こま たの

10. 遠く6マイルの彼女

146 先生のこと考えすぎちゃって、『好きだ』なんて言ったのかもしれない 「ワケわかんないわ」 みりよく 「そうだね。でも、京子さんより魅力的な人が、そうそういるなんて思えねえ。兄貴は舞い上 がってたんだよ、きっと」 ふる そう言ったとき、声が震えた。なんだか、妙に頭にきたのだった。京子さんにも、死んだ兄 亠貝にも : こども 「子供のくせに、ロがうまいのね。兄弟して嘘つきね」 京子さんはため息をついた。 「嘘じゃねえよ。思ったこと、そのまま言ってるだけだ。京子さんがひねくれてんだよ」 「ひねくれてなんかないもん」 子供みたいな調子で、京子さんは言った。 鐘をつくとき、毎年そんなことばかり考えてたんだろうか。 「何回っいたかな、これで」 綱をひき、鐘を鳴らす。 もう、何回っいたのかわからない。 俺も、京子さんも数えていない。 「わかんない」と、京子さんは答えた。 みよう