250 「なに言ってるのよ。もうキスだってしたのよ」 「ほんと ? 」 「無理やりだよ。っていうかあんなのキスのうちに入らないから。安心しろ、佐藤」 べんかい 俺は佐藤が憐れで、思わず弁解した。 でも佐藤はもう、しどろもどろである。カオルはすまなさそうに呟いた。 「だからムリ。ごめんね」 佐藤はほんとにがつくりきた様子で、頭をかきながら出て行った。啓介がまいったな、とい った調子で頭をかいた。 それから啓介はカオルに向き直った。 「なあカオル 「なによー」 「少しは、気を遣え」 啓介は、そんな風に言った。カオルは首を振る。 「どうしてあたしが佐藤に気を遣わなきゃなんないのよ」 啓介は、ちょっと考え込んだ。それから、言った。 けっこう 「お前、結構好きだろ。実は」 「な、なに言ってんのよ ! 」 あわ つぶや
「俺、ちゃんと教師目指してみます。だからありがとうございました」 そう一言ってペこりと頭を下げると、京子さんは居心地が悪そうにもじもじした。 「だから、もう安心してください。京子さんを振り回すことももうありませんから」 また泣けてきた。 「俺 : : : 、一人で大丈夫ですから : : : 」 京子さんは頭をかいて、参ったな、と言った。 「それ、本心なの ? 」 冷えた怒りを含んだ目で、京子さんが睨む。俺はワケがわからなくなった。 「そりや、本心じゃないですけど : : : 」 女「あんたさ」 のぐいっと、京子さんは身を乗り出して、俺の目を覗きこんだ。 「は、はい」 マ おぼ 「わたしになんて言ったか覚えてないの ? 」 遠「あなたを一番に考えます、って : ・ 「それ、嘘なの ? 「嘘じゃないですけど : : : 」 。あなたの幸せが、ぼくの幸せとか、そういう」 にら い 1 」こち のぞ
290 いわ」 「すいません」 「その上、北村さんにレースなんか申し込んで。こっちは寝耳に水だわよ。柊先生から電話が あったときは、ほんとにびつくりしたわよ」 「ほんとにすいません」 何度謝っただろう、と思いながら、俺は頭を下げた。 「もういいわよ。謝られると、腹立つわ」 しんみよう 俺は最後に、神妙に頭を下げた。 「あの・ : ・、森崎先生 , 「なによ ? せわ 「ほんとにお世話になりました」 けげん 京子さんは怪訝な顔で、俺を見た。 「俺、やっと吹っ切れました。もう、あんなレースは卒業します。バイクも卒業です。啓介に 返します。森崎先生に教わったんです。あんなことしたって、何にも変わらないってこと。き れっとう ちんと未来を考えること : : : 、結局それがどうしようもねえ劣等感に打ち勝つ、たった一つの 方法だって」 「そうかもね」 ねみみ
「大人なんか、どこにもいないわ。みんなフリしてるだけ。たまにポロも出る」 京子さんの顔が頭をよぎった。なんとなく。 「あなたってお兄さんとそっくりね。笑っちゃうぐらいに、ね」 やさ 「顔だけですよ。俺は、兄貴みたいに頭もよくないし・ : 、その、人望とか、優しさとか : : : 」 せの くだもの 「違う。中身も同じよ。せいいつばい背伸びして、木の上の果物を取ろうとしてる。ただ、や り方が違うだけ」 どうよう 俺は動揺した。その言葉は、。、 くしっと俺の中に入ってきて : : : 、激しく揺さぶった。それま でしがみついていたものを、一気に否定された気分で : : : 、消化不良を起こしたのだった。 「そんなこと言われたの、初めてですよ」 やっとのことで、それだけ言った。 女柊先生はそれから、ゆっくりと脚を組む。女優みたいに。 が「大学行きたいんでしょ ? 」 うなず イ 俺は頷いた。 マ みと 「認められたいから ? たず 遠俺は頷かなかった。代わりに、尋ねた。 「森崎先生は・・ どんな人だったんですか ? 」 「高校生の頃フ ころ ひてい じよゅ、つ
かり転がってて、出た目で行動を決めてるんです、と説明したかったが、京子さんは聞く耳を 持っていないようだった。京子さんは頭に血が上ると、人の話を聞かなくなる。きっと進路指 導もそうだったんだろう。 「最低」 そういうと京子さんは黙ってしまった。そこまで言われて、俺も黙ってられなくなった。 「最低はそっちじゃないすか」 「なによ。どゅこと。言ってごらんなさいよ。誰が最低なのよ」 ふんいき 「雰囲気に流されてキスされるより、百倍もマシですよ。少なくとも、あいつは俺のことを好 きだって言ってんだから」 「しかたないじゃないの」 女京子さんは。ハツが悪そうに頭をかいた。見ると、スーツ姿のままである。学校からの帰りだ ' のったんだろう。 「くらっと来たんなら、まだいいけど」 マ 俺は言った。 「なによ」 「兄貴の代わりとか、横顔でちょっと思い出してとか、そういう理由だったら絶対許さない」 「許さなかったらどうするの ? 」 ころ すがた
しゅんかん ちよくりつ カオルを見た瞬間、佐藤は直立した。 じよう 「お帰りなさい。お嬢さん」 「お嬢さんってなによ ! やめてって言ってるじゃないよ ! 」 じゅうぎよういん いや、その、自分この店の従業員ですんで。お嬢さんはお嬢さんですんで」 佐藤はしどろもどろになりながら、顔を真っ赤にして言った。好きなのは、、ハイクだけじゃな くしよう いらしい。なんともわかりやすいャツだなあと思いながら、俺は苦笑した。 カオルは「お茶でも淹れてくるわ」となんだか疲れた声で奥へと消えた。いやお茶なら従業 員の自分が、と佐藤があとに続く。 あにき 「お前、あれに兄貴って呼ばれるようになってもいいのか ? 」 かぶりふ 俺がそういうと、啓介は頭を振った。 女「ま、それはねえだろ」 が「だよなあ、いくらカオルだって、趣味ってもんがあるだろうしなあ」 こま つぶや イ 啓介は困ったように頭をかいたあと、話題を変えるように呟いた。 マ 「ところでお前、足なくてこまんないのか ? 」 遠「 ( イク ? もういいよ。兄貴のはつぶしちゃったし」 「じゃあなんでウチにくんだよ」 「お前がいるから」 しゆみ つか
うわめづか 目の前でこれだけみつともないことをしたんだからと思いながら、上目遣いに京子さんを見た。 おどろ 目を見開いて、驚いた顔で突っ立っている。秋物の、軽い白いニットを着ていて、それがふわ やわ にあ ふわと柔らかそうで、よく似合ってた。 ・かいと、つ 街灯の明かりに照らされ、京子さんの体の周りに白くきらきらと光る部分ができた。ニット かがや の毛が、光を吸って輝いているのだ。 「森崎先生、行きましよう」と北村が京子さんを促す。しかし京子さんは動かない。 俺は再び頭を下げた。 「お願いします」 なんだ ? といった顔で北村が振りかえる。 「お願いします。幸せにしてあけてください」 女「きみに言われなくてもわかってるよ」 ' の「俺、大好きだったんです。すごく大好きで、大事な人だったんです。だから、だから大事に イしてあげてください : 北村も、柊先生も、そして京子さんも黙ってしまった。 遠「わかった」と、北村が呟くように言った。 俺はそこで立ち上がり、京子さんに頭を下けた。 「今までありがとうございます。その、うまく一言えないけど、ほんとに、その : : : 」 うなが
284 なみだ あれ ? って感じで、涙がポロポロ出てきた。 みつともねえな、と思うんだけど、泣けてしようがなかった。 北村が困ったような声で言った。 ったく、じゃあ、約束は約束だ。謝ってもらおうか」 「泣くなよ。男だろうが : 「北村さん ! 」 れんらく 京子さんが駆け寄る。どうしてここにいるんだろう、ああ、北村が連絡したんだろう。俺に、 やさ あきら 完全に諦めさせるために。これも一つの優しさなのかなあ、と冷静な部分で考える。 こんやくしやほ しかしやつばり、自分の婚約者に惚れている男を、その婚約者の前で謝らせると言うのは、 ひざ ざんこく ひどく残酷だなあとか思いながら、俺は地面に膝をついた。そして、ペこりと頭を下げた。 「ごめんなさい」 そう言ったら余計に泣けた。 「わかってんのか ? お前、自分がなにをしたのか」 こうふん 北村も、なんか妙に興奮した声で呟く。こういうことには慣れてないんだろう。 じよく 「お前は、僕だけじゃなく、僕の婚約者まで侮辱したんだよ」 「すいません」 俺は何度も、みじめったらしく、頭を下げた。ああ、これで京子さんのことを諦められる。 よ こんやくしゃ な あやま
「そ、そうだな。ありがと」 なんとなく頭があがんなくて、俺はペこペこと友人に頭をさけた。同じ歳でも、俺はまだ学 、そん 生、啓介は社会人。なんとなく引け目というか、ついつい言うことを聞いてしまう : はくり・よ / 、 な迫力を感じた。 どうした ? と啓介が言った。 「いや、なんかお前、年上みたいだなって思って : 啓介は「ハ力」と言うと、早く帰れとでもいうように、手を振った。 駅までぶらぶら歩きながら、いろんなことを考えた。 京子さんのこと。 兄貴のこと。 うす れっとうかん 兄貴に対しての負い目というか、劣等感というか、そういうのが薄ま 女俺はなんとなく : ・ きんえん がってきていた。俺はタバコを吸わないけれど、もし吸って、禁煙できたら、こんな気分になる レ イんじゃないかって思う。兄貴のことをあんまり考えなくなってた。 よゅう 過去のことを、冷静に眺められる余裕が出てきた。 遠京子さんもそうだといいな、と思う。 学校では相変わらず話す場所がないので、俺は京子さんと週に一度、あまり人が来ない例の あにき なが ふ
んがちょっと気まずそうな顔でついてくる。 「おや、きみ、覚えてるそ。また会ったね」 がら 俺はペこりと頭を下けた。そして、テープルの隅っこに置かれた紙ナプキンの柄を見る。 てんかい しんそう : キタムラグループが展開するチェーンのロゴが光っていた。新装なので気づかなかった。 気づいてたら来ない。意地でも来ない。 「どうも・・ : : 」 と頭を下げると、北村さんはにつこりと笑った。白い歯がこ・ほれる。 かわい 「今日はちょっと先生を借りてるよ。おや、君もデートか。可愛い彼女だね」 かがや カオルの顔が、ばああああっと輝いた。 「そうでーす。デートなんです ! ねえねえ、先生の彼氏ですかー ? 」 女思いっきり明るい声で、京子さんに話しかける。いつもはそんな声で京子さんに話しかけた のりしないくせに、調子のいいャツだ。 マ こぶしにぎし 京子さんは、答えに困るって顔で、もじもじし始めた。はっきりしろと、俺は拳を握り締め たが、京子さんがなにか言う前に、北村さんがその手を握った。 「じゃあ、またね」 そしてぐいっと京子さんの手をひつばり、店の奥へと消えた。そっちには、」 格のテープル こま すみ べつかく