246 今の緋水には、ミラルカを看取った記憶がない。だか、何も言っていないことだけはわ かる。 ひざ 怪我をして、膝をすりむいて、ミラルカが吸血鬼の本性を垣間見せたときーーあの後、 気にしてない、そんな簡単な一言が一言えなかった。 ずっとずっと、一一一一口えなかった。 死ぬまで、一一一一口えなかったのだろう。 「だから、今でもお前は悲しんでるのかな ? 」 もう一人の自分に向けて、緋水は切なげに問う。 れいな 玲奈と同じだ。 自分が不甲斐ないから、眼前のドッペルゲンガーに、重いものを背負わせている。 や、二人でも抱えきれない , 「お前も : ・・ : だろ ? この気持ちは、一一人分 : : : い もう一人の緋水が一言う。 目に宿る深い悲しみ。 こんな気持ち、このまま忘れた方がいい けれど。 もど 「戻ってこいよ、そろそろ。マジ死にそうだし、忘れたままってのは、どーもキツイ」 ふが みと ほんしようかいまみ かか
もしんねーけど : : とにかく、愛してたよ。マジで」 よ、つやく言えた。 ミラルカのいない世界で。 言っても意味がなくても、ようやく。 もう一人の緋水は、悲しげに笑い、それを受け止める。 「言ってて、恥ずかしくないか ? 」 だま 「うるさい、黙れ。恥ずかしいと思ったら、お前も恥ずかしいんだよ」 「俺が戻ったら、きっともっと辛いぞフ 「わかってる。けど : : : 思い出せないのは辛い。ミラルカだけじゃなくて : : : ルシュラの 、」レ」 1 も 「俺が、ミラルカがいなくなった後もやっていけてんの、地味にアイツのおかげじゃねフ もう一人の緋水は答えない。 びしよう 答えぬまま、微笑して前に進み出た。 - ) ・つさく 交錯し、重なる、二人の緋水。 制服姿の緋水が、本体たる緋水に触れた瞬間ーー彼らは一つに戻った。 しゅんかん
「あれで : : : よかったの ? 」 れいな 不良の溜まり場になりそうな、暗い路地裏に、玲奈はいた。 正確にはもう一人の彼女 : : : ドッペルゲンガー しゅうしん 本体たる少女は、すでに帰宅し、もう就寝していることだろう。 だが、もう一人の彼女は、明らかに補導の対象となる時間帯でありながら、制服姿で出 ア歩いている。 はんかがい ュ さらに、繁華街の路地裏で、人と会っている。 キ いや、相手は人ーーなのだろうか ? さまよ レ」 長身の黒い影は、夜の街を彷徨う自分に声をかけてきた。 架 ほったん + そして、あの自分を生み出した発端である、薬を預けた。 銀命じられたのはただ一つ : : : 紅城緋水にこれを嗅がせろ。 それだけだ。 しり・し 従ったのは、彼の内に秘めた本性がどんなものか、あのルシュラの尻に敷かれ、時折遠 しず 沈んだ。 ほんしよう 0
振り返ったその顔は・ : 緋水そのものだ。 しかし、目には深い悲しみを宿し、いつもの彼とはまるで違、つ。 アンチドラグ 反吸血鬼モード . の体質と、この一年の記憶を持っ緋水のドッペルゲンガー かか それだけではない何かを、彼は抱えていた。 「どうして : : : 俺がここにいるとわかった ? 「俺の考えることだし、な」 「ミラルカが、体育祭つつーか、運動会的なものを観戦するときは、ここからだった。あ アまり人目につきたくないし、日傘差してる女なんざ、ビデオカメラ抱えた親御さん達には、 ロノじゃま : こっからでも充分。どうだ、当たりか ? ュ邪魔だしな。視力は無茶苦茶よかったから : 防「ああ。さすが、俺だ」 じちょう と もう一人の緋水は、自嘲気味に答える。口調も、カがない。 架 字 : 問題は、なんでこんなとこにいるかってことなんだけど ? 」 の 銀「わかってるんじゃないか、お前なら ? 」 もう一人の緋水は、じっと自分自身を見つめる。 あお 緋水は塔屋の壁にもたれかかり、天を仰ぐ。 かべ ひがさ おやご
、つ い目でどこかを見つめる少年が、自分のことをどう思っているのかーーーそれが知りたかっ たから。 もちろん、仮に彼のドッペルゲンガーが生まれたところで、それが自分にとって都合の しい存在とは限らない。 たよ 不確かな現象に頼っても、生まれるのは不確かな成果だけで、けして自分のプラスには ならない もう一人の自分なら、常に他者を思いやる本体様なら、けしてこんなことはしないだろ だから、私がしてやった。 「君は、少々破滅的にすぎるな。よほど、本体がよくできた人間のようだ」 「ほめているの、それフ ようえん 妖艶な声に、玲奈は気だるげに答える。 かわ 優等生の口調というより、夜の街にたむろする、渇いた水商売の女に近い すいじゃく 「君はいずれ消える。しかし、本体に戻らなければ、君の本体も遠からず衰弱する。ドッ ベルゲンガーとは、そういうものだ。もう一人の自分が明確な自我を持てば、二人の自分 やみ よくせい が消、 んる。さりとて、本体に戻れば、君はまた深い闇の底に沈む。抑制の効く本当の君は、 0 はめつ
ルシュラは候補から外れ、皆、できれば自分以外の無難な相手を見つけようとする。 たんきよりそう セオリーでいけば、陸上部の短距離走選手の男子。 が、緋水のクラスには、陸上部の生徒はいても、短距離走が専門の男子生徒はいない 学年単位で見ても足の速い男子生徒は何人かいるが、そのうち一人は早々と最初の走者 に決まっており、候補から抜けている。当の本人もアンカーへ移る気はないらしく、特に まどぎわ 話し合いにも関心を示さず、窓際の席で、外を見ていた。 後は残る候補からアンカーを選ぶしかないが : : : 皆、やりたくなさそ、つな顔をしている。 す 緋水も人のことは言えないが、極力アンカーという重圧は避けたい : : : そんな真意が透 けて見える。 そんな中、黒板に近い、最前列に座る男子生徒が、ロを開く。 くろた しゅんそく 名前は、確か黒田ーー野球部で、俊足で知られている。アンカーに、 最も近い者の一人 だろう。短く刈り込んだ髪と、浅黒い肌が印象的だ。 「なあ、そもそも、男子に限らなくていいんじゃね ? 男女混合だし、アンカーだけで順 位が決まるわけでもないし。委員長、女子からも候補出してくれよ」 「それは・ 「さんせ 5 い。何も、男限定でなくても」 かみ さ
とにかく、彼女は笑顔を作る。 しゅんかんっ その瞬間、憑き物が落ちたかのように、もう一人の玲奈から、カが抜けた。 りんかく 体も輪郭を失い、そのまま倒れ込むように、自分へ身を投げ出す。 それを、玲奈が受け止めた。 重なる体ーー一つに戻る肉体。 気がつけば、もうそこには玲奈一人しかいない 「わた、し : ぽ・つよう 足を押さえた玲奈が、茫洋と緋水を見上げる。 Ⅳ 言憶が混濁しているのか、彼女は現状を理解できていないようだった。 ア ュ ただ足を押さえ、ふらついて地面に蹲っている。 キ ラ「ちょっと、何があったの卩 しなやかな足取りで、ジャージ姿の蘭月が近づいてくる。 架 + 見回りの最中、匂いでも嗅ぎ取ったらしい 銀「ちょうどいいところに、悪い、委員長を保健室へ。一応、ドッペルゲンガーは戻った」 : あなたは ? 」 「ホント卩それはいいけど : 「心当たりを当たってみる。俺がいそうなところへ . にお えがお たお
放課後、緋水はえるると共にいつもの空き教室へ向かった。 かいむ もっとも、排水には空き教室だの、部活に関する記意は皆無だ。 ゅうれい ただ、あの幽霊だの生徒会の副会長だのが色々と自分のために動いているらしく、その 結果をそこで聞くーーということだけ、えるるから聞いている。 ルシュラは : : : 来ないらしい そして、いわば犯罪者に近い立場の彼女には芽依の監視がつくため、結局二人共来ない そ、つだ。 記憶がないのに、特にルシュラの方は : : : 何か引っかかる。 おび ア自分が吸血鬼化したと認識したときの、あの怯えた表情。 7 身内以外の吸血鬼に会った経験は少ないが、きっと、あんな顔をする奴は一人もいない キ ラだろ、つ。 A 」 仮に、自分がこの一年で身に着けたという体質が絡んでいたとしても : : : 吸血鬼が、獲 架 字もの 十物に対してあんな顔をするはずないのに。 の 銀まとまらない考えのまま、頭を掻く。 たど 辿り着いた教室の引き戸を引いて、中に入ると め から
196 きゅうけつき 吸血鬼のくせに 「ワケわかんねえ : じようきよう ぼうようつぶや 茫洋と呟いて身を起こし、あらためて自分の置かれた状況に目をやる。 病院での検査の後は、えるるの自宅に連れてこられた。 やたらと高級そうな高層マンションで、しかも一人暮らしらしい。 すねけ ・ : とドアの前で思案していたら、脛を蹴られて、そ そんなところに入っていいものか : たた のまま中に叩き込まれた。 あっか 「俺は、普段からあんな扱いされてんのかな ? 高校に入ってからは、やたらと女性に縁ができたらしいが、どうにも腑に落ちない そもそも、どこで知り合ったのかフ 首を傾げつつ、広いダイニングに向かう。 事前に、冷蔵庫のものは、好きに飲み食いしていいと言われている。 うるお とりあえず喉でも潤したいところだが、一人用の冷蔵庫の佛にある、もう一つの冷蔵庫 に興味が移った。 大きさは一人用の半分、それこそホテルにでも置いてありそうな簡易な品が、設置され ている。 かし のど えん ふ
いない、世界そのものを と・つと・つ 滔々ともう一人の緋水は語る。 さび おも 悲しげに、寂しげに、もういない女性への想いを。 : ようやく立ち直って、高校受験。心機一転つつーか、昔のこと引きずらない ように、あんまり知り合いのいない 、この高校を選んだ。ダメダメな志望理由だな」 「いーんじゃねーの ? っーか、あんまり自分を卑下すんな。俺が悲しくなる」 苦々しい顔で、緋水が目を伏せる。 じぎやく 何せ、相手は自分だ。悪口も、自虐も、全て自分に返ってくる。 ア「仕方ないだろ、一番へコんでるときのお前が、俺だ。昨日まで、すっと街中フラフラし ュてたよ。形見ミラルカと行ったことのある場所をな。マジダセェ」 もう一人の緋水が、寂しげに笑う。 と 無論、緋水は笑えない。 架 十笑えるはずがない の 銀「わかってるんだけどな、アイツはも、ついないって。けど : : : やつばり思、つ。何も言って 5 なかったな、って」 「 : : : だな。それはわかる。ありがとうとか、そ、ついうのも、何も」 ひと