「あいよ」 レイクは凶悪な笑いを浮かべた。手を伸ばし、黒の王を一マス動かす。 「これで詰みだな。白の駒を動かすこと、なんて条件はなかったたろ ? 」 女騎士は苦笑したようだった。 「おめでとう。思ったより早かったね。去年はこれでかなり時間を稼げたのだけど 「盤遊戯で俺をからかおうなんてまだ甘いね」 一方、バルトはいまだ騎士の両手を観察していたが、不意に、失礼とつぶやいて騎士の右手 をとった。 手の甲にロづけをするかどうかというところまで顔を寄せたかと思うと、何もせずに離す。 「 : : : 何のつもりかな ? さすがに騎士は呆れた顔でバルトを見る。バルトはそれを無視して言った。 「鉄貨は右手にある」 おや、と騎士は驚いたようにつぶやいた。右手を開くと、そこには確かに鉄貨があった。 「どうしてわかったのか、参考までに教えてもらえる ? 」 勲「鉄の匂いがした」 まなざ 騎 この返答には、騎士だけでなくレイクも驚嘆の眼差しを向けた。確かにこの鉄貨は通常の金 の 銀貨や銀貨よりもひとまわり大きいが、しかし、手の中に包まれたその匂いを嗅ぐことができた とい、つのか シャトル
彼女は左のてのひらを上に向けて、二人にさしだす。そこには一枚の鉄貨があった。 「よく見ていて」 せつな 那、腕を交差させる。二つの握りこぶしを二人に突きだして、言った。 「どちらに鉄貨が入っていると思う ? あててごらん」 「一つずつ解かなくちゃならないのか ? 焦りをにじませて尋ねるレイクに、任せるよと女騎士は笑った。 「急いでなければもっと楽しい話をしたいんだがね : : : 」 騎士に向かって、レイクは憎まれ口をたたいてみせる。それからバルトを振り返った。 「おっさん、そっちは任せた。俺はこっちゃるから」 返事を待たずに盤上を覗きこむ。黒側、王の駒はすっかり囲まれていたが、よく見ると確か に、あと数手は逃れることができそうだった。 レイクは腕を組み、一つ一つの手を検討しはじめる。時間をかけてはいられないのだが、た かが盤遊戯と言っていられない。もし間違えたら、それこそかなりの時間を失う。 ーーー全然騎士向けじゃないが、いや、だからこそか。こいつはきついぜ : レイクはしばらくの間腕を組んでしかつめらしい顔で盤上を眺めていたが、騎士を振り返っ て尋ねた。 「美人のおねえさん、もう一度設問を訊いていい ? ー 「いいよ。駒を一つだけ動かして、黒側を詰みとすること シャトル
小さな空間の中央には、短い金髪の女騎士が立っていた。彼女の背後には椅子ぐらいの高さ の、厚い敷布をかけられた何かがある。さらにその向こうにはさきほどまでと変わらぬ平原が 広がり、スルム河の水面が白く輝いていた。 「威勢がいいね。今年の連中は レイクはいまは涙を呑んで無視することにした。 女騎士が笑いかける。美人だと思ったが、 一つ数えるだけの時間ですら惜しい 「それじゃ課題を出そうか。一つはこれ」 楽しげに、彼女は背を向けて敷布を取り去る。出てきたものは砂時計と、盤遊戯の置かれた 長机があった。盤上の駒はすでに配置されている。 「駒を一つだけ動かして、黒側を詰みとすること。間違えても失格にはならないが、二回目か らの挑戦には、この砂時計の砂が落ちきったあととする」 「これ、騎士になるのかどうかに関係があるのかよ ? 呆れた顔でレイクが訊く。 「知恵や運を試す問題だと思ってくれればいい。 機転や機知といってもいい」 勲「この試験内容は共通のものなのか ? 」 騎 ハルトが淡々と問うた。女騎士は首を横に振った。 の 銀「騎士ごとに違う課題を用意している。壁の向こうから聞こえるでしよ。手合わせをしている 騎士もいるよ。あれにくらべれば、私のは楽な方じゃないかな。さて、もう一つはね・ーー」 シャトル
「そうでもない。ただ、ここまで進んできたのだから理解できよう ? 持ちこまなければ明か りがないからな。下手をすれば迷って出られなくなる」 ここから、と左上に突き出ている線をファリアは指さし、蜘蛛の巣の中をほほ直線に通って、 左下に突き出た線までたどっていく。 「これが連中の通る道と考えて間違いない。戦神の丘の北側から南側まで一気に行くことがで きる。私たちは南側に出る通路の手前で待ち伏せするわけだ」 それからさらに二人は進み、ちょうど丁字路のつきあたりに来たところでファリアは足を止 めた。壁に触れ、さぐるように表面を撫でていたが、 ある箇所を押す。すると、そこを中心に 壁の一部が回転した。光灯石を持った手を中に差し入れながら、目を丸くしているカインに回 転した壁の奥を見るよう空いた手で指示する。覗きこむと、ばんやりとした明かりの先、天井 にくつつくように設置されている石造りの階段が見えた。 「あの階段を上ると茂みに覆われた丘の麓に出る」 卿もやってみろ、と言われ、カインは数度、壁を回転させた。納得する。 ファリアは壁を戻すと、よりかかって座りこんだ。カインも彼女の隣に腰を下ろす。 勲「卿がいてくれるから、かなり助かるな。手順としてはこうだ。連中が来る。私と卿が足止め 嘘する。その間に応援が来る。私の唯一信頼している騎士だ」 銀「騎士は使えないって言っていなかったかい ? 」 「嘘ではない」 ルーメン ふもと
「だから、卿には期待できるのだ。卿が槍をかまえていれば、連中はおいそれと前進できまい ? 武器だって、どうせ試験で支給されるのは模擬戦用のものだからな」 「君の言いたいことはわかるけど、でも、僕には少し不自由だな」 しゃへいぶつ 横に払うような動作がきかない。それに、遮蔽物がないから万が一飛び道具があれば、今度 なすべ はこちらが為す術がないだろう。 曲がり角にさしかかる 「そうだ。卿は明かりは持ってきているな ? 」 「あるけど、それがどうかしたのかい ? 」 「何があるかわからぬからな。もし私とはぐれたら、とにかく曲かり角をさがして歩け」 言いながら、光灯石を天井にかざしてみせる。カインはそのあたりを見上げた。 「 : ・・ : 何か、彫ってある ? いびつ 天井に、奇妙な図が彫られていた。内側にいくつもの線が交差している歪な七角形。ある一 点に小指の爪ほどの大きさの黒い石がうめこまれており、また、図の外には四本の線が伸びて いる。できの悪い蜘蛛の巣みたいだ、とカインは思った。 「この地下道の図面だ。この黒い石が現在地。外側に出ている四本の線は、それぞれ皇宮、 せんじん ラム家、戦神の丘につながっている。この図面は曲がり角にはすべて彫ってあるから、これで 確認すれば迷うことはない」 「ここは、そんなに迷いやすくできているのかい ?
232 「健闘せよ . こしじよう 最後の言葉は非常に短い。後ろに下がった皇子は再び輿上の人となる。 アトル 数人の男が一振りの巨大な旗を担いで現れた。旗の中央には帝国の象徴たる聖蛇が大きく、 アーグレヴァドムス 四方の角には麒麟、朱鳳、蒼竜、黒亀の四つの聖獣が描かれている。風が吹いて、まっすぐに 立った帝国旗は強くはためいた。 志願者だけでなく、観衆までが息を吸いこみ、吐きだして合図を待つ。 旗が振り下ろされた。 せつな 刹那、轟音が大気を震わせる。一千を超える軍馬が、五百を超える戦車が、ほば一斉に地を 激しく撃ち叩き、観衆の、悲鳴とも怒号ともとれる絶叫がそれに重なる。観衆の中には興奮の あまり倒れる者まで出る始末だった。 戦車の軍勢が最初の斜線を描いていたのも束の間のことでしかなく、隣り合った戦車同士が 攻撃をはじめて、場の乱れは加速する。レイクの駆る戦車にも、右隣から一台の戦車が少しず っ近づいてきていた。 あきら 御者席にわずかな衝撃。どうやらバルトが相手の戦士役を倒したらしい。それでも御者は諦 めずにこちらに迫ってくる。 仕方ねえなあ。声には出さずにつぶやいて、レイクはすばやく片手を懐に突っこむと、手首 をひるがえした。投じられた小石は相手が操る馬の尻を直撃する。 不意の打撃に馬は驚き、大きくいなないた。御者の男はあわてて馬を落ち着かせようとする ふところ
ける。なんとはなしに門を仰ぐと、門の頂に立てられているルメリウスの像がレイクたちを見 下ろしていた。 「乳皇帝陛下がご覧になっておられるぜ」 バルトの反応はなく、レイクは肩をすくめる。この場にいたら複雑な表情を浮かべただろう 友人を思い浮かべて、苦笑した。 角笛の音が鳴り響いた。門のそばで人の波が大きく割れて、皇子であるハイラムⅡアズモー ド日ファルメインⅡ ーラントが輿に乗って姿を見せる。装飾の少ない、しかし上質の絹で織 がくかん られた長衣に身を包み、額には銀色の額冠。一目見て誰もが認めるだろう美男子だった。 似てねえ兄妹だな。ああ、いや、そうでもないか。 なんとなく視線が似ている。ファリアもそうだったが、 笑顔でいても、それはつくっている だけで視線は冷静に周囲を観察しているということが何度かあった。 ハイラムに続いて輿に乗って現れたのは、大神官職に就く老人だった。大神官は帝国中のす べての神官の頂点に立つ者で、実質的な権力こそないものの、皇族に次ぐ権威を認められてい る。 まず、大神官が前へと進みでた。一歩踏みだすごとに、観衆のざわめきは少しずつ小さくなっ ていく。小柄な老人が足を止めたときには志願者たちも沈黙し、風と、馬の小さないななきの みが空気を揺らしていた。 ろうろう 大神官は帝国の歴史を、老人とは思えぬほどの大音声で朗々と語った。 あお いただき
【Ⅱ 通りにはまだ朝の涼気がたゆたっていたが、ルメリウス門のそばまでくると、もはや空気は 一変していた。門の周囲は観客であふれ、おもわず顔をしかめるほどの異様な熱気につつまれ ている。人の群れはさらに、町並みに沿って横に長く、厚みのある列をつくっていた。 勲騎士登用試験は、帝都市民にとっては年に一度の重要な祭事の一つなのだ。衛士たちが声を 騎張りあげて列をつくり規制をかけなければ、場はもっと荒れているに違いなかった。 銀 この場に来るまではなるべく平静を保っていたレイクだったが、それらの光景を見ていると、 やはり緊張と高揚感が抑え難いものになっていく。 ファリアはもう一つ光灯石を取りだし、暗闇の中に歩を進める。 通路の幅は、一人半といったところか。ォルガーさんのような大柄な身体の持ち主だったら 一人が限界だろうな、と思う。 それにしても、ここだけ冬なのかと思うほどに空気が冷たい。前後左右上下に至るまで完全 ルーメン に闇に閉ざされており、明かりは自分と彼女が持っている二つの光灯石だけ。左手に光灯石を 持ち、右手で壁をつきながら、ファリアは少しずつ進んでいく。 カインは光灯石を掲げるように持っと、前にいるファリアを照らして、彼女の姿を見失わな いように気をつけながら歩みを進めた。 ルーメン ルーメン がた ルーメン
その彼女の仕草がどこか叱られてうなだれる子供のようで、カインはおもわず苦笑した。 「君なりに気を遣ってくれたのには感謝するよ。でも、イングリドはバラムさんのことが好き で、自分の仕事についても誇りっていうのかな、そういうものを持っている。生活費云々とい うのはともかく、彼女はそういう生活そのものが奪われたことを怒っているんだ。そのあたり はわかってくれないか ? ファリアは黙りこんだ。返答をせずに、前に向き直って大股で歩みを再開する。気まずい雰 囲気を感じて、カインは困惑した。これからこの二人で地下通路の出口を守らなければならな ( しし言葉が思いっかなかった。 いのに、この状態はいいとはいえない。かといって、カインによゝ、 やがて、バラム家に到着した。 「入るぞ」 ファリアの言葉は短く、やや険がある。門を開けて、庭の中の小道に足を踏みいれた。カイ ンも彼女に続く。ファリアが鍵を取りだし、両開きの扉を開いた。 が飾られている。バラ 床の要所要所に絨毯が敷かれ、壁にはさまざまな絵画やタベストリー ムさんは立派な人なのだなあと田舎者のカインは素直に感心した。それからかすかに埃が積 勲もっている様子に、イングリドは怒るだろ、つなとも思った。 騎 ファリアはそれらには目もくれず廊下を突き進み、つきあたりにあった地下への階段を降り の かばん ルーメン 銀ていく。腰に下げた小さな鞄から光灯石を取りだすと、頭上に掲げた。 地下室は、これが、と思うほど狭い。大人が二人寝転がったらそれでほとんどいつばいになっ
幻イングリドがザガンに引き取られた場合のことを、カインは想像する。 イングリドは、カインが帝都に来ることをバラムから聞いて知っていた。生真面目な彼女の ことだから、屋敷の扉に書き置きを残しつつ、カインが来ていないかどうか屋敷の様子を見に 来ただろう。 そうなれば、カインも財布をすられたとしても、今日までのような労苦はなかったはずだ。 まあ、悪いことばかりじゃなかったけれど。 そして、ファリアが自分たちに金貨二枚を渡した理由も理解した。事情を話すべきか彼女は 迷い、黙っておくことにしたのだ。だから、あのように押しつけることしかできなかった。 オあの侍女があれほど強情だとは正直思わなかった。人 「確かに私の好意は押しつけだ。、、こが、 : 。卿は卿で、黙って眺めているだけときたものだ」 形みたいな顔をしているくせに : せりふ 自分の台詞で、さらに感情を爆発させているかのようだった。カインはうろたえながら、人 形面は言いえて妙だという気もするが、でも、皇女の言葉遣いとしてはどうなのだろうかと、 ど、つでもいいことを考えたりした。 オあのときの僕はそこまでの事情を知らなかったんだ。君も教えてくれ 「すまなかった。ごが、 なかったし」 なだめるよ、つに一言、つと、ファリアもさすがに思、つところがあったのか怒りをおさめる。 ずさん 「結局は、私が杜撰すぎたのだ。不正についても話さなければならなくなるとはいえ、何もか も黙っていたことはすまなかった。あの侍女にも詫びねばならぬな」 じじよ