ドムス 黒亀はすでにスルム河に到達していた。 「殿下。しつかりつかまっていてください」 ドムス 朱鳳は一度上空で大きく弧を描くと、河に浮かぶ黒亀目がけて急降下する。黒亀が立て続け ドムス に吐きだした水塊を、芸術的な動きで避け、鉤爪を振るった。黒亀も腕を振りあげる。金属同 士を叩きつけあう甲高い音が大気を震わせ、盛大な飛沫をたてさせる。朱鳳は衝撃を利用して 飛びあがり、再び空に翼を広げた。 アーミイはしのいだという思いから大きくを吐く。小さくなっていく朱鳳を見上げーーー自 を見開いた。ファリアⅡアステルが、短剣を逆手に持って落ちてくる。 とっさに、手にしている勲章をかざして防いだ。かざしながら、騎士になったときに言われ ライタークロイス たことを思いだしていた。日く 騎士勲章は同じ厚さの鋼鉄よりも硬い ファリアの短剣は狙いあやまたず勲章に突き立てられ、そして、真っ二つに割った。その瞬 ドムス せつな 間、光に包まれて黒亀が音もなく消滅し、刹那、ファリアとアーミイはそろって河に落ちた。 派手な水柱があがる。 しばらくして、半ば気絶しているアーミイを引きずって、ファリアが岸にあがる。何事かと 勲集まってきた騎士たちを睨みつけた。さらに、この騒ぎに驚いたのか帝都のほうから河を渡っ てきた回収業者を見て、手を振ってさっさと行け、と指示する。 ・ : なんで ? 勲章が・ : : ・」 半死半生の態でつぶやくアーミイに、ファリアはそっけなく答えた。 ドムス
地下道を抜けて雑木林に出た。中天を過ぎたあたりの陽光が、木々の間から差し込んでくる。 ドムス アーミイの姿は探すまでもなかった。彼は再び黒亀を召喚していたのだ。スルム河を目指し、 土を蹴立てて爆走している。 「騎士の面汚しめ。あの単純な田舎者がまた傷つくぞ」 吐き捨てて、ファリアはクローディアを振り返る。 「召喚だ。私も乗せろ」 ライタークロイス 「殿下、ご同行は危険ですー騎士勲章を取りだしながら、クローディアは首を振る。 ドムス 「水辺における黒亀は、聖獣の中でも最強を誇ります」 くんしよう ドムス 「必ずしも黒亀を倒す必要はない。やつの勲章を叩き割ればよいのだー 言いながら、ファリアは短剣を抜いた。自分の名前が刻まれた鞘を腰帯に挟み、握りしめる。 あきら クローディアは諦めたようにため息をつき「召喚ーとつぶやいた。 ぶこっ 光とともに朱鳳が現れる。身体の各所に無骨な鉄色を配しながらも、燃え盛る炎にも似た、 うた 色鮮やかな紅の羽毛に身を包んだ聖獣が、歓喜の声を高らかに謳いあげた。 すでに騎乗の人となっているクローディアの手を取り、彼女の前部にファリアは跨る。優雅 に羽ばたき、突風を巻き起こして朱鳳は空に舞いあがった。白を散らした蒼の中に、鳥の形を した紅い輝きが添えられる。 ちゅうてん さや またが
252 直後、地下道を激しい振動が襲い、眩い光が放たれた。振動は床だけでなく壁や天井に至る まで大きく揺らし、アーミイを除いた全員をよろめかせた。 「こうなっちまったら、仕方がねえ。仕方がねえよな」 光は一瞬でおさまり、ファリアを見下ろしながら、むしろ自分に言い聞かせるよ、つにアーミイ こうしよう ライタークロイス は哄笑する。その手に騎士勲章をきらめかせ、彼は巨岩を思わせる漆黒の獣に跨っていた。 ドムス 黒亀と呼ばれる聖獣。 こうら 地下の闇よりもなお暗い、それでいて溶けこむことなど決してない黒い甲羅には縁に沿って 鋼鉄の棘が並び、そこから伸びた四肢の先には鋭く巨大な爪が黒曜石のように輝いている。丸 みを帯びた頭部は黒鉄で補強され、首のあたりに並ぶ筒の先はこちらに向けられていた。 ドムス せつな 黒亀が大きな口を開ける。そのロ腔に泡が生まれ、刹那、巨大な水の塊が撃ち出された。ファ リアはとっさにその場に伏せる。水塊はわずかに髪をかすめ、それだけで後ろに引っ張られそ うになるが、身体を硬くして必死に耐えた。 壁に叩きつけられた水塊は破裂して飛沫をまき散らす。杭打ち用の鉄鎚を叩きつけたかのよ うな轟音が、大気を通して身体を震えさせた。まともにくらえば、ファリアの身体は踏みつけ あり られる蟻のようにたやすく潰れてしまうだろう。 「まとめて潰してやる。一人残らず」 ドムス 不快な音を発して両側の壁を削りながら、黒亀はその巨体を前進させた。アーミイに殺意す らこめた視線を叩きつけ、ファリアは奥歯を強くかみ締める。 またが
「そこまでです。ドノックⅡアーミイ りん ドムス 突如、凛とした声が後ろから響いた。黒亀の動きが止まり、ファリアは振り返る。波打っ黒 かっちゅう 髪を後ろで束ね、銀色の甲冑を身につけた若い女性が立っていた。腰に帯びた剣は、すでに抜 きはなっている。ファリアは驚きと、それに倍する喜びを含んだ声で彼女の名を呼んだ。 「クローディアー 「ファリア様、ご無事ですか」 クローディアが駆け寄り、ファリアの前に膝をついて手をさしのべる。ファリアは小さくう なずくと、その手を取って立ちあがった。 よく来てくれた。冷や冷やしたぞ」 「ど、つなるかと思ったが、 「そのお一言葉の後半については、そっくりお返しいたします。 クローディアはすました顔で応じると、皇女から視線を外してアーミイを見据える。 「横領だけならともかく、皇女殿下に対する振る舞いは大逆そのもの」 いしよう ライタークロイス クローディアの手には、朱鳳の意匠が刻まれた騎士勲章があった。それを見て、アーミイは ドムスくんしよう 情けない悲鳴をあげる。あわてて黒亀を勲章に送還すると、あまりの事態に動けないでいる志 勲願者たちをつきとばしながら逃げていった。 「クローディアは私と来い。カイン、この場は任せた。そいつらを逃がすな ! 」 銀叫ぶのと駆けだすのがほとんど同時だった。皇女と女騎士がアーミイを追って地下道を駆け ていき、取り残されたカインたちは半ば呆然として彼女らを見送る。 みす
守る鋼の色は、深紅。 くら 聖獣朱鳳である。その背に固定されている鞍へと、騎士たちは飛び乗った。 おのれレヴァ レヴァ うな 騎士団長はそれらの光景を見届けると、兜をかぶって己の蒼竜に乗る。蒼竜は低い唸り声を あげることで、喜びを示した。 ドムス 彼を先頭に蒼竜の騎士たちが進軍を開始し、黒亀の騎士たちが続く。朱鳳の騎士たちは空高 く羽ばたいて、高みから戦友らを追った。 ライタークロイス 帝国の騎士は、騎士勲章を用いて聖獣を駆る。 帝国誕生から三百年余。これまでに敗北したことはない。 レヴァ
そこには巨大な獣が、地面に座りこむように控えていた。 とかげ 体格は蜥蜴に似ている。だが、蒼銀色の鱗に覆われたその身体は、獅子や熊より一回り以上 一一うもり も大きい。身体の各所に鱗と同じ色の武具をつけ、背中には蝙蝠のそれに似た大きな翼を生や し、翼の間には鞍らしきものが据えつけられている。頭部の武具からは手綱が伸びていた。 レヴァ 蒼竜と呼ばれるこの獣は、帝国では聖獣の一翼とされる。 騎士たちの中で、前列にいる二千騎が団長に倣って呪文を叫んだ。 「召喚 ! 」 レヴァ かたわ 勲章が黒っほい光を放ち、騎士たちの傍らにも蒼竜が現れる。情愛をこめた眼差しを竜に向 けて、彼らは戦友たる聖獣に跨った。 次いで、中央の列にいる二千騎が同じく呪文を唱える。 たいく 彼らのそばに現れたのは、竜よりもさらに大きな体躯を持っ漆黒の亀だった。巨岩のごとき 一」うら 甲羅はもちろん、頭部や四肢も闇を練りあげたかのように黒い。その中で、小さな目だけが白 こうたく い光を放っている。頭部や脚を、黒曜石にも似た光沢を放っ鋼で覆っていた。 ドムス レヴァ 蒼竜と同じく聖獣の一翼たる黒亀だ。この巨亀たちにもやはり鞍と手綱が用意されており、 勲騎士たちは彼らの背に乗って手綱を握りしめる。 騎最後に、後列の一千騎が呪文を唱えた。 銀勲章から紅い光がほとばしり、朱色の羽毛に包まれた巨鳥が騎士たちのそばに舞い降りる。 おばわ その翼は鮮やかな赤であり、幾筋にもわかれた長い尾羽は金色に輝いていた。頭部や翼、脚を またが なら たづな くま まなざ