は傷こそ負わなかったものの、強烈な剣勢によろめいて後退を強いられた。 ファリアへ歩み寄りながら、メナートスは何気ない動作で左手を己の後頭部へ持っていく。 次の瞬間、金属音を響かせて細身の短剣が跳ね飛んだ。レイクが放った短剣を、メナートスは 音だけで捉えて左手で防いだのだ。 あぜん 完全に不意を打ったつもりだったレイクは、唖然としてその場に立ち尽くす。 今度こそメナートスはファリアを斬り伏せようとしたが、またしてもカインが割って入る。 今度は、槍を振るう余裕はなかった。メナートスの剣の先端がカインの右肩に突き刺さる。 「ーーーカインー くもんうめ ファリアが悲痛な叫びをあげた。カインは苦悶の呻きを漏らす。メナートスが剣を抜くと、 のこぎり 刃は空中に細い血の尾を引いた。狂気の戦士は鋸じみた剣を振りあげる。 「まとめて叩き斬ってみるか」 そのつぶやきと、ファリアが行動を起こすのが同時だった。右手に長剣を握りしめ、左手で カインの服の裾をつかみ、金色の髪の皇女は暗がりの中へ身体を投げだす。 くぐもったような水音が響いた。メナートスは、剣を振りあげた体勢で動きを止める。そし て、レイクを振り返った。 「おぬしからにしよう」 レイクは目を見開いて息を呑む。カインたちのことも気になるが、それどころではなくなっ た。自分が、この狂戦士から逃れなければならない。 おのれ
Ⅷ噴き出す。 だが、それも一瞬で、傷口から湧き出した黒い粘り気のある物質が、たちどころに傷をふさ いだ。それは瞬く間に硬化し、身体を覆っている装甲とよく似たものになる。 さすがにファリアも戦慄を覚えた。 「貴様、本当に人間の部分とやらは残っているのか ? 直後、メナートスの剣がファリアを襲う。かろうじて弾き返したものの、ファリアの長剣は 耳障りな音を立てて折れ飛んだ。強度の違う剣の斬撃に、耐え切れなくなっていたのだ。 「ますは一人か。 とっさにカインは槍を大きく振りながら、横に跳んだ。右肩の傷が痛みを訴える。 メナートスの左腕が、カインの右肩をかすめた。焼けるような激痛を覚えながらも、カイン の腕は持ち主の意志に従って動いた。槍の穂先が、メナ 1 トスの手から剣を弾き飛ばす。 そのまま、カインはかばうようにファリアの身体を抱きかかえ、地面に倒れた。 剣は、メナートスの足元から少し離れたところに落ちる。無理な体勢からの一撃は、肩の傷 もあって充分な力が入らなかった。 男が剣を拾おうとかがみかける。そのとき、メナートスの背後から縄が投じられた。輪の形 をつくってあったそれは、見事に異形の戦士の頭部を通過して胸元におさまる。 「ーーーあばよ 一割ほどの緊張をはらんだ冷酷な声が響いた。男の首にかかっていた細縄が急速に引っ張ら
れ、締まってゆく。 声の主はレイクだった。彼は助けを呼びにいったのではなく、大きく迂回し、木から木へ飛 び移って、メナートスの背後ある木の上まで回りこんだのだ。そして、投げ縄の要領で狂戦士 に縄をかけ、自分が座っていた太い木の枝を支点として、反対側に飛び降りた。 メナートスの口から獣じみた咆哮があがる。 しかし、レイクの足は地上につかなかった。それより上のところで止まり、さながらみの虫 のように細身の身体が揺れる。 メナートスは、縄をつかんでカの限り引き寄せようとしていた。膝を曲げ、両足に力を込め あらが て、己を引き上げる重さに抗ったのだ。尋常ならざる筋力が、それを可能にさせた。 さらに縄を引き寄せようとした男の手が、止まる。 カインが槍をかまえて立ち上がっていた。 れつばく 裂帛の気合いとともに繰りだされた突きは、防ごうとした左腕ごと胸元を穿つ。男は小さく 息を吐いた。姿勢が崩れ、カが抜ける。それは一瞬よりも短い間だったが、男の身体は一気に 虚空に引き上げられた。縄が食いこみ、苦の表情に変わる。 勲硬質の、不快な音がして首が折れ曲がった。地上に降りたレイクがそれを確認して縄を離す 嘘と、力を失った異形の戦士の身体は地面に叩きつけられる。衝撃が、木を揺らした。 煌 銀 カインたちは息を詰めて、倒れたメナートスを見つめる。声には出さず、ゆっくり二十まで あんど 数えて、立ちあがってこないことを確認すると、安堵の息をついた。 おのれ ほ・つ一ッっ うが
がら空きになった脇を狙って、鋭く突きこむ。 脇は、師匠から教わった急所のひとつだ。どのような甲冑でも、肩や腕を動かすためには脇 の部分を薄くせざるを得ない。せいぜい鎖かたびらで守るぐらいだ。ここを突けば、強力な一 撃となるはずだった。 ・つめ 男の口から苦痛の呻き声が漏れた。だが、脇をえぐるはすだった槍は、すぐに硬い感触に突 き当たる。骨かと思ったが、それにしては浅すぎた。 硬すぎる。骨とい、つよりは。 まるで鋼鉄を突いたような。 このメナートスを傷つけるか」 男が笑声を漏らす。虚勢などではなく心の底から楽しそうなその様子に、カインだけでなく ファリアとレイクも恐怖を覚えた。三人の動きが鈍る。 メナートスと名のった男は、カインたちのその反応を見逃さなかった。視線をすばやく走ら せて狙いを変える。 地面を蹴ったかと思うと、次の瞬間にはファリアとの間合いを詰めていた。振り上げた剣の きら 勲刃が、月明かりを反射して煌めく。 騎 一撃目をファリアはかろうじて打ち返したものの、それによって体勢を崩した。地面に膝を の 銀ついた皇女に、メナートスは容赦なく二撃目を叩きつけようとする。 そこへカインが猛然と飛びこんだ。金属同士の衝突が奏でる澄んだ音が虚空に響く。カイン
「ありがとう、レイク」 カインは沈んだ表情で、こちらに歩いてきた黒褐色の髪の友人に礼を述べる。勝利を、素直 に喜ぶ気にはなれなかった。そんな若者の肩を、レイクは笑って叩く。 「礼を一言うのは俺の方さ。引っ張られたときは心底焦ったからな。それと、あまり気にすんな よ。こいつは間違いなく俺たちを殺す気だったんだ」 励ましてくれるレイクに、カなくうなずいたときだった。 カインの視界の端で、メナートスの身体が動いた。 まさかと思ったときには起きあがり、カインに向かって猛然と襲いかかる。 カインはレイクを突き飛ばし、残っていた力を振り絞って槍を突きだした。しかし、その一 おかんつらぬ 撃はメナートスにたやすくかわされる。若者の全身を恐怖と悪寒が貫いた。自分にはもう異形 の戦士の攻撃をかわすだけの体力は残っていない。 動いたのは、ファリアだった。金色の髪をなびかせて、狂戦士とカインの間に割って入った 彼女の右手には、短剣が握られている。 メナートスの額から左目の間を、短剣が貫いた。 かたむ 男の動きが止まった。奇妙に傾いた顔は、信じられないという表情をつくる。ファリアは顔 色一つ変えずに右腕を振りあげた。 短剣は頭部を切り裂き、メナ 1 トスは仰向けに倒れて今度こそ動かなくなる。 ぶぜん 二人が呆然として立ち尽くしていると、ファリアが振り返った。憮然とした顔の彼女に睨み あおむ
かったはずだ。アリキーノが帝国にいる間に、よい方向への進展でもあったのだろうか。 「そういえば話してなかったつけ。ついこの間だよ。先代がばけちゃってさ これ、とリピコッコがたしなめたが、ファルファレロはどこ吹く風とばかりに続ける。 れんきん 「錬金課の課長が務まる人材が他にいなかったのさ。務まりそうなリピコッコさんは現役の『リ ピコッコ』だからね」 「そこで君が、天女の星に照らされたというわけか」 ペアテ 天女はインフェリアで信仰されている女神だ。星となって人々を見守っているといわれるこ ペアテ の女神は運命、導き、救いを司っている。天女の星に照らされるとは、運命に選ばれたという ような意味を持っていた。 「それにしても、ばけたとはどういうことだ ? メナートスは六十にも届いていなかったはず だろ、つ」 メナートス。それが先代の『ファルファレロ』の本名だ。リピコッコの問いに、ファルファ レロは観察するような視線を彼に向けた。 ライタークロイス 「まあ : : : ここにいる二人は、騎士勲章や魔物のことについても多くのことを知っているから、 いいかな。一応、錬金課のごたごたもあるので、口外はしないと約束してほしいんですけど。 ああ、あと、あまりご飯のおいしい話題じゃないですよ ? アリキーノとリピコッコは、つなずいた。 ファルファレロはしばらくジャガイモをフォークでつついていたが、頭の中でまとめ終えた ペアテ
崖から川に落ちたカインとファリアは、奇跡的に無事だった。 突然水の中に放りこまれて、驚きと焦りから必死にもがいている間にだいぶ流されてしまっ 勲たが、溺れるのだけはまぬがれた。水面に顔を出して息を吸いこみ、川の水の冷たさに意識を 士かくせい 覚醒させる。槍を手放していない自分に安心したが、おかしくもあった。 それにしても、さすが先生の槍だ。 大岩を両断するほどの剣。そんな代物と何度もぶつかりながら、穂先が砕けることも、長柄 自分の、すぐ近くの地面が。ファリアも、急な傾斜になっていると言っていたはずだ。 右目が潰れたせいか、メナートスはさきほどまでより動きが鈍くなっている。レイクはさら に異形の戦士から距離をとり、懸命に崖の下に視線を向ける。 ようやく、月明かりを反射して水が流れているのが確認できた。 高さは、それほどでもないように思える。落ち方さえ間違えなければ、多少の打撲ていどで すみそうだ。なにより、この危険な蚤物から少しでも遠ざかりたい。 メナートスが憎悪のこもった唸り声をあげた。右目に刺さった短剣を、貫いた眼球ごとえぐ りとって放り捨てる。迷っている暇はなかった。 レイクは跳んだ。 けいしゃ
なま 「彼のことは大嫌いなんですがね。西方の訛りだか知らないけど、あの口調や話し方が気にく わない。この国ではなく、都市国家連合育ちっていう点も」 「しかし、彼はこうした任務には適任だ」 リピコッコが腕組みをして深い息を吐く。アリキーノも同意を示した。 ライタークロイス マレブランケ 「それに、騎士勲章に関わることは十二将でも四人しか知らないからな。まず私。リピコッコ さん。ファルファレロ。そしてグラフィアカーネだ」 じゅうめん 二人の言葉に、ファルファレロは渋面をつくって肩をすくめた。 「わかってるさ。リピコッコさんは他の務めで王都を動けないし、私もやらなければならない れんきん ことがあった。錬金課を束ねて課員を落ち着かせなければならなかったし、どれだけの残骸が 持ちだされたのかを調べないといけなかったー せりふ その台詞を聞いて、アリキーノは納得したという顔になる。 「だから、おまえが『ファルファレロ』になったのか」 錬金課を束ねるのにも、残骸について調べるのにも、能力だけでなくそれなりの権限、地位 が必要になる。加、んて、ファルファレ口がメナートスと仲が悪かったとい、つことも、この際は 有利に働いたのだろう。リピコッコが目を鋭く光らせた。 「ところで、メナートスがどこに逃げたのかはわかっているのか ? ファルファレロは、よく知っている道を尋ねられたかのような顔で答えた。 「彼の別荘が、東の国境付近にあります。そこでしようね
て、鉄の棒を埋めこむことで強くなろうとしたーー結局は失敗したけど」 きよう 「メナートス卿は、それと同じことをやろうとしたというのか ? 「たぶんね。わすかに残されていた書類とか、課員の話とかをまとめると、その結論にたどり つく。ことさら筋肉を刺激する位置に残骸を刺しこんだり、腕まわりを覆ったり」 「ーーーなるほど。ばけられた、か ゅううつ アリキーノは憂鬱そうな息を吐いた。 かけら 「剣や槍の欠片が体内に残ってしまった兵を見たことがある。放置しておくと肉が炎症を起こ してな。ほとんどの場合は切り落とすしかなくなる。メナートスが医師としての見識を有した ままなら、そのような愚は犯さないだろうに」 「私が言ったほけ、とは周りへの配慮が一切なくなったことについてだけどね。なにしろ後継 も定めす、抱えられるだけの魔物の残骸を持って、王都を出ていっちゃったんだから ライタークロイス その言葉に、さすがにアリキーノとリピコッコは顔色を変えた。あれは騎士勲章なみに表沙 汰にできない代物なのだ。 ガト 「おかげで刺貫の実験用の残骸もなくなった」 ぐち 章 勲 愚痴つほい呟きを無視して、リピコッコの問いは、短く率直だった。 嘘「誰が、彼を追っている ? 銀「グラフィアカーネが」 マレブランケ 十二将のひとりの名を、ファルファレロは挙げた。
「さきほどだ。目が不自由になったのでな、鼻と耳に頼ったら時間がかかってしまった」 せりふ 理解できない台詞を、当たり前のように言う。恐怖感を押さえつけながら、カインは大声を 張りあげた。 「いったい何者なんだ、おまえは」 一」・つしよ、つ 狂戦士は哄笑し、高らかに名のりをあげる。虚ろな眼窩と金属じみた眼球で、カインたちを 見据えながら。 「我が名はメナートス。人の身で魔物を倒す者よ。帝国の聖獣なぞによらずして、な」 「わかるように言ってくれよ、おっさん」 レイクは小馬鹿にするような声を放った。しかし、半ば以上が虚勢であるのが引きつった笑 みからうかがえる。まともに相手にするには、このメナートスと名乗った男は、狂気と殺気が 多すぎた。 「死にゆく者が、何を知りたいというのだ。言っておくが、死なすにすむ道はないぞ」 ファリアが長剣をかまえなおす。 「貴様が襲ったのだろう山小屋。あそこにいたのは何者だ。山賊か ? 」 勲「いかにも。国境付近を荒らしていると聞いてな。斬って問題のない輩。試し斬りには格好の 騎的と思ったが、 数だけだった。おぬしらのほうがいくらか手応えがある」 銀「もう一つ」 ぜっせん 舌戦で時間を稼ぎながら、ファリアは男の隙をさがしていた。だが、思った以上に隙がない。 うつ がんか