そう言って、少女は小さく頭を下げる。 「ですけど、それでも、私はあなたを恨みます」 唇を噛んで、言った。カインは一気に呼吸が苦しくなる。 「あなたは、騎士なのですか ? 」 いえ、と首を振る。 「ですが、いっか騎士になるつもりです」 言ってから、怖くなった。騎士になるな、と言われたりしないだろうか。強制力があるわけ ではないが、 、いに重いものは残る。 「それでは、あなたの望む騎士になってください。兄がそうしたように」 みは カインは目を瞠った。 「たぶん、兄はそう望んでいると思います。だからこそ、あなたに自分の槍を貸したのだとも」 そう一言われて、カインは王都ヴェルギルを発ってから考えこんでいたのだ。 僕の望む騎士とは、なんだろうか。 レヴァ オ、そういうものではないのだろ と田 5 、つ。、、こか、 強くありたいと願っている。聖獣は蒼竜がいい 勲う。正義の騎士、友情の騎士、忠誠の騎士、清貧の騎士 : : : どれもしつくりこない。 騎 この考えは、結局戻るまでまとまることはなかった。 の 銀 【Ⅱ
252 。ものを買ったと思わせるためでしょ 「これは私の考えだから正しいかはわからないけど : うね。お金だけだと、一方的に取られたと思ってしまうから、代わりとなるものを押しつける ことでごまかすわけ」 ごまかしという単語を聞いたとき、マルチナの甥の顔がイングリドの脳裏に浮かんだ。 「あと、誰かを誘うことができなくても、五枚の鏡をすべて売ることができれば多少の利益は 出る、と別方向からの誘い文句ができるわ。たまたま鏡だったというだけで、商品として扱え そうなものであれば、たぶんなんでもよかったのよ 説明を終えて、アウレリアはまた一息にお茶を飲み干す。陶杯を突きだし、イングリドはそ れを受け取ってお茶を淹れ、差しだした。 「それでは、マルチナさんは誰かを誘って入会させないかぎり、取られ損なのですねー 「そうね」 あっさりと肯定し、アウレリアは訊いた。 「それがわかったところで。イングリド、あなたはどうしたいの ? 」 「私はーー」 イングリドはうつむいた。自分はただの侍女だ。日々仕事をこなすのがやっとの、それ以外 に取り柄のない人間だ。そんな自分に何ができるのか 「できるかどうかはあとで考えるわ。ますは、やりたいことを言ってみなさい 内心を見透かしたような言葉。イングリドは顔をあげてアウレリアを見た。彼女が奥様と慕 じじよ
232 この緑茶を飲むのは。 ど、つかしましたか、といった屋訝そ、つな表情をイングリドが向けてくる。カインは少し照れ たように笑った。 「帰ってきてこのお屋敷を見たとき。それから君の淹れてくれたお茶を飲んだらね、帰ってき たなあっていう気がしてきた」 イングリドは何度か瞬きをして、それから口元にほんのかすかな微笑を浮かべる。おかえり なさいとあらためて言った。 すぐに微笑は無表情の奥に隠れてしまったが、それすらもカインには微笑ましく思える。ふ と、カインは彼女に聞いてみたくなった。 「突然、変なことを聞くようだけど、君はどんな侍女になりたいとか、そういうことを考えた ことはある ? 」 彼女の答えが、なにかしらの参考になるのでは、という淡い期待もあったが、イングリドの 考えを、知ってみたかった。 イングリドは少しの間、首をかしげて考えこむ様子を見せたが、 「私は、いまの生活を続けていくことができれば、それで充分だと思っています。パルスさん の質問に答える形としては : : 旦那様や奥様、パルスさんに喜んでいただけるよう務めること ができる、そういう侍女でありたいと思います」 明確な返答がきて、カインの方がかえって反応に困った。 じじよ
圏肩を叩く。 「で、だ。問題はこれからどうするかだ」 「オルガーさんに話してもらうっていうのは」 「あの態度を見ただろうが。三人だけになったら変わる可能性もあるが、博打としては分が悪 すぎる」 レイクは揶揄するように、ロを歪めて笑った。カインもとりあえず言ってはみたていどで あって、あらためて考えると、うまくいくとは思えない 「まあ、それも一応考えておくとして。俺の考えはこうだ。やつを尾行して家を突きとめ、証 拠になりそうなものを探しだす 「もし、見つからなかったら ? 」 「弱味になりそうなものを探しだして、脅す ファリアの疑問に、レイクは凄みのある笑みを浮かべて答えた。カインは驚き、それから悩 む表情になる。もっと堂々とした手段はないのか。そんな思いを察したのか、レイクは今度は 説得するように、やや強く肩を叩く。 マレブランケ 「向こうが既に手段を選んじゃいねえんだ。まして、あいつが名乗った十二将ってのが本当な ら、ここは完全な敵地なんだぜ。駒を落として盤遊戯をやるような余裕はねえ」 「 : : : わかった」 カインとしてもあの男を逃すわナこよ、、 しし ( し力ない。ためらったり、代案を考える余裕はなかっ ゆが シャトル ばくち
章 勲 の 銀アウレリアの考えとは『被害者の会』を組織するというものだった。 「この鏡で損をした者は大勢いるはずよ。そういう仕組みなんだから。その人たちを集めて訴 にゆうわ う女性は、柔和な笑みを浮かべてゆっくりうなずく。イングリドはロを開いた。 「私は、マルチナさんのようなひとがこれ以上増えるのはいやです。だから、この鏡の売買を 止めたい。 こんなものを扱っている張本人をつかまえて、やめさせたいです。 「よろしい アウレリアは椅子から立ちあがり、イングリドを優しく抱きしめた。 「全額返金。追加で賠償金。さらに私刑として指の二、三本。そのあたりまで言えたら合格点 だけど、及第点をあげましよ、つ。 反撃に出るわよ、私の可愛いイングリド」 「私に、何かできることがあるのでしようか」 「やってみればわかるわよ」 きら アウレリアは瞳を楽しげに煌めかせて笑った。 「おまえの尊敬する旦那様をごらんなさい、イングリド。朝は遅い、昼は鈍い、夜は早い、運 は人並み。それでも、帝都の商売人として日々を送っているわ。世の中には薄暗い路地裏や陽 のあたらない坂道もあるけれど、穏やかな陽射しに包まれた広場もちゃんとあるわ。もちろん、 はなふぶき 花吹雪舞う勝者の花道だってだから、そこまで歩くのよ」
240 従僕や侍女のほとんどは、その服装のままで買い出しに出ることが多い 忙しい仕事の中で手間を少しでも省くためであり、多少汚れるようなことがあっても問題な いという考えもあったし、服をそれほど持っていないという事情もあった。帰ってくれば着替 えはするが、服装は同じものだ。 イングリドも同様で、髪留めとエプロンだけを外して上から外套を羽織り、買い出しに向 かった。 ハウシェル マルチナの雑貨屋は、大通りから道を三本外れたところにあるこじんまりとした店だ。扉の 脇には雑貨屋を示す、引き出しの開いた棚が描かれた看板。褐色の扉には『マルチナの ハウシェル つづ 雑貨屋』と白い文字が綴られている。 イングリドは扉を二度、軽く叩いて押し開けた。 「あら、イングリドちゃん。いらっしゃい」 ひんやりとした、乾いた空気がイングリドを包んだ。薄明るい店内の奥、ゆったりとした長 「かしこまりました、奥様」 イングリドの淹れる緑茶が、アウレリアにはことのほかおいしいらしい その日も慣れた手つきでお茶を淹れたイングリドは、茶葉が少なくなっていることに気づい た。切れる前に買いに行かなければならない ハウシェル じじよ 力いと・つ
「あと半刻ほどでお帰りになられると思います」 その返事に礼を言って、二階にある自分の部屋に入る。 室内は薄暗かったが、テープルや椅子、べッドに埃がまったく積もっていないのがすぐにわ かった。自分がいない間も掃除をしてくれていたのだろう。荷物を部屋の隅に置き、上着を脱 いでべッドに引っかける。椅子に座って、一息ついた。 「一月前は、インフェリアにいたんだよな」 つぶや ばんやりと呟く。もう少し正確にいえば国境を越えたところになるので、十五、六日前とな るだろうか。様々なものを見て、様々な人に会った。 まだ、答えは出ていないんだよな : あと一月ほどで今年は終わる。来年の試験は当然受けるつもりだが、アリキーノの妹に言わ れたことか、引っかかっている。 どれくら考えにふけっていただろうか 不意に扉が叩かれた。返事をすると、静かに扉を開けてイングリドが現れる。 「お茶をお持ちしました。もしよければ、と思って」 勲「喜んでいただくよ」 笑顔で答える。イングリドは光灯石も用意しており、部屋はずいぶんと明るくなった。 煌 銀 緑茶を一口飲んで、小さく息を吐く。 「そういえば、久しぶりだな」 ルーメン ほ ) ) り・
: バルトは勲章を放りだす。蜘蛛は一瞬、動きを止めたが、地面に落ちた勲 考えを振り払し 章に向かってよろよろと歩きだす。 間合いを測って、バルトは刺貫を振るった。だが、渾身の一撃は空を切り、やわらかい黒土 にめりこむ。魔物は高く跳躍してバルトの頭上すら飛び越え、カインの前に降り立っていた。 学習していたのか。 まね そうでなければ、間合いのぎりぎりのところで跳躍などという真似はしないだろう。魔物が 牙を鳴らす。振りあげた前脚は、しかし、とっさにアリキーノが投じた槍に砕かれた。 カインは叫んだ。槍を持つ手に力をこめて、蜘蛛のロに突き立てる。八本の脚がまっすぐ伸 けいれん やがて一斉に力を失い、だらりと折れ下がった。 びて痙攣したが、 カインは息を荒げたまま、しばらく蜘蛛を睨みつけていたが、だいじようぶと判断して槍を 引き抜く。蜘蛛の身体がびくりと揺れた。 槍が : 穂先が、大きく欠けていた。七歳のとき、槍を学びたいと師匠に頼みこんで貸してもらった。 勲これだけを振るい続け、村を出るに際し、くれてやる、というぶつきらばうな言葉とともに受 おこた 騎け取ったものだ。借りるようになった日から手入れを怠ったことはなく、細かい傷はついても、 ここまで大きく欠けたことはなかった。 衝撃が、感情の動きを鈍らせる。視界の端に、バルトとアリキーノが歩いてくるのが認めら
218 アリキーノの本名は、ウルバヌスⅡバルバリニという。『アリキーノ』は役職名であり、そ の役職に就いている間は公私ともにその名でいることを強いられる。十二氏族の集まりであっ なごり た頃の、名残らしい カインカ / 丿ノ ゞヾレヾリニ家に案内してもらったのは、王都ヴェルギルを発つ日だった。葬儀など 「アリキーノ将軍は、亡くなられました」 魔物の襲撃があった日の翌日である。 「僕は、彼に槍を借りたんです。 伝えに来た騎士に、カインはそう告げた。 何故なんだ。 あれほど憎んだ。敵だと信じた。勝ちたいと思った。 それなのに、死んだと聞いて、僕は全然嬉しくない。それどころか。 「存じておりますー 騎士はうなすく。あのとき、中庭に現れた騎士だったらしい。 「返すと約東しました。彼の家族に渡したいと思うんですが、インフェリアではこの行為はお かしいでしよ、つか」 「いえ」騎士は頭を振って、短く続けた。「ご案内いたします」
「行ってしまったか。まあ頃合だったかな」 やや残念そうにつぶやいたアリキーノだったが、すぐにいつもの明るい笑みを浮かべると正 面のバルトに向き直る。 「君は、あの二人と知りあいだったようだが」 勲「騎士登用試験で、直前まで行動をともにしていた」 騎 なるほど、とアリキーノは理解したが、意外なことに、バルトはもう少し付け加えた。 の 銀「銀髪の方は、あのとき俺に勝った」 へえ、とこれには驚いた声をアリキーノはあげた。わざわざそんな話をしたことと、彼がバ 「ーー食べていくかね ? 」 アリキーノにからかうような笑みを向けられ、カインは慌てて立ち上がる。 いらない・ とっさにそんな一一一一口葉しか出てこない。 「俺も遠慮しとく。敵にさしだされた飯なんて食えるかってえの」 レイクも席を立ったが、こちらはまだ落ち着いていた。ただし、額に滲んでいる汗は、料理 の放っ熱気によるものだけではないだろう。 そうして、カインとレイクは静かに部屋を出ていった。