Ⅷ「そんなこともあったね。そうか」 「ああ言ったのは、俺たちを安心させるためだったんですね」 「これつきりのつもりだけどね。若いうちは抜け駆けとかやりたくなるものだし。部隊単位で しか の動きならもう少し真面目に叱るけど、隊長なり部下なりの独走で、他の子がとばっちりくっ たら可哀想だからね」 「それもです。俺の部下は、誰も命令違反はしていないんです , 「わかってるよ」 あんど アイシャはにつこり笑い、アヴァルは安堵のため息をついた。 「ところで、もし私が全員の顔と名前を覚えていなかったらとしたら : : : そうしたら、君は謝 りに来たかな」 からかうように言われて、アヴァルは返答に詰まった。それがなかったといえば、おそらく 嘘になる。 あとは二つ。一つは、仲間に対する申し訳なさの若干入り混じった、あいつらに貸しはつく りたくない とい、つ感情。 もう一つは、もしカインだったらどうするかという対抗心だった。あいつは謝るだろう。そ ういうやつだから。だったら、俺も謝るべきなのだろう。 し。 ( し力ないのた。 俺はあいつに負けるわナこよ、、 「まあ、でも君は見込みがあるかもね」
アヴァルがアイシャの陣幕を訪れたのは、騎士が去ってしばらくしてからだった。 「勝手なことをして、申し訳ありませんでした」 粛然として頭を垂れるアヴァルに、アイシャは折りたたみ式の簡素な椅子に座った状態で、 何のことかな、と尋ねた。普段の穏やかな笑顔で。 「今日、命令を無視して丘を駆け降りたことです」 「その中に君がいたのか。言いに来なければ、誰が誰だかわからなかったのに」 アイシャの言葉に、アヴァルはきっと顔を上げる。 勲「あなたは俺たちの顔も名前も覚えているはすです。はじめて会ったとき、俺の顔と名前を言 い当てました 銀そのことについては、言われてようやく思いだしたらしい。ああ、とうなすき、形のいい鼻 を指先で撫でた。 アイシャの問いに、騎士はどう説明しようか悩む顔をしていたが、 「それが、魔物に新種というか変種というか、とにかく、これまで見たことのないものが現れ まして : : : 」 ほっほっと、説明をはじめた。 Ⅳ こうべた
怒りを抑えて、イングリドはできる限り冷静さを保ちながらロを開いた。 「どうして、こんなことを考えたのですか ? 儲けようとか、幸せになろうとか。ひとの心を あお 煽って、どうでもいいものを売りつけさせて。そういうのとは無縁のひとまで巻きこんで」 ひとの善意を素直に信じて生きているひとなのに。 「あれ、もしかして君さあ アンドラスは唇の両端を吊りあげ、梟の目に愉央そうな感情を湛えて訊いた。 「ひとがよければ生きていけるとか、むしのよすぎることを考えちゃってない ? アンドラスが言い終える前に、イングリドは前へと踏みだす。クローディアはアンドラスば かりを警戒していたため、反応がわずかに遅れて間に合わなかった。 イングリドが振りあげた拳はアンドラスの頬に叩きつけられる。たいした威力はなかっただ ろうが、アンドラスは椅子ごと引っ繰り返って床に倒れた。 耳障りな騒音が、狭い室内に響く。クローディアは目を丸くし、アウレリアはよくやったと いわんばかりの快心の笑みを浮かべた。 アンドラスは起き上がってこない。倒れた際に頭でも打ったのか、白目を剥いている。 章 勲 イングリドは大きく息を吐きだした。目の端には涙を浮かべ、肩を震わせてアンドラスを見 嘘下ろす。 「ーーー死ね」 十七年の人生ではじめて。ありったけの怒りをこめて、はっきりとイングリドは言った。 もう たも たた
りんご そんなことを考えるカインの横で、ファリアは林檎の水飴漬けを買って食べていた。 アトル 「うん、やはりこの国の林檎は酸つばいな。こんな小話があるのを知っているか ? 聖蛇はど うしてインフェリアではなく、帝国を選んだのか カインは首を横に振った。とりあえず、自分も水飴漬けを買ってみる。カインが一口かじる のを待って、ファリアはしてやったりという笑みを浮かべ、言った。 「帝国の林檎のほうが甘かったから、というのだ」 口をおさえながら、カインはやや意地悪な笑みを浮かべているファリアを横目で見た。この 強い酸味をよくわかっていて、自分が食べるまで待ったのだ、彼女は。 しょ・つ 「まあ、でもそんなのを水飴漬けにして食えるようにするあたりが、凝り性だよなあ」 同じく水飴漬けを食べながらレイクが言った。彼はこの酸味が平気らしい そうして買いものをすませ、露店の並ぶ通りを三人は歩く。カインの手にはいくつもの麻の 袋がぶら下がっていた。重くはないがかさばるので、人通りの多いところでは少し辛い。 「もう土産ものはすべて買ったか ? 」 隣を歩くファリアに聞かれて、カインはうなすいた。ファリアとレイクも土産ものを入れた 勲麻の袋を持っているが、カインほど多くない。自分は買いすぎただろうかと、銀髪の若者は少 騎し、い配になった。 ちょっと来い 銀「そうか。では、約束を果たしてもらうとするかな。 ファリアは笑いながらある店を指で示す。
220 騎士として死ぬ、と言われても、カインにはいまひとつわからない。 「兄は、騎士物語を読んで騎士を志したのですー つぶや 僕と同じじゃないか、とカインは声には出さず呟く。 「騎士になる前は、そのように生き、死にたいと私に口癖のように言っていました」 カインは迷った。告げたらどうなるか。この少女は、僕を限むだろう。 勇敢に戦って勇敢に死んだ。そう告げれば、丸く収まる。少女は満足するだろう。少なくと も、不満は抱かないはずだ。僕も、恨みを買わずにすむ。 香草茶を一口、すすった。ぬるくなっていた。 「あなたの兄は 口を開いて、そこで途切れた。汗が首筋を濡らす。怖くて、辛かった。 自分の油断が、一人の人間の死を呼び起こしたのだと認めることだから。 自分が殺したも同然だと言われ、それを否定することができないから。 だけど、僕が生きているのは。 いま、こ、つしてここにいるのは。 「あなたの兄は、僕を庇って死んだのだと思います ,
金払いかしいカら、とい、つことなのか アヴァルは金銭でそれほど不自由した経験がない。仕送りをしなければならないほど実家は 困窮していない。参考にならんな、としかめつ面になって茶色の髪をかく。 「で、レラギ工君はなんで騎士になったのよ」 「そりゃあ」 その先の言葉が出てこない。 「ま、言えないんなら言わなくていいわよ。聞けたときの感動も増すだろうし」 何を勝手に誤解してるんだ、こいつは。 やがて、ネルとラウニーが戻ってきた。ォルドリッチがそれぞれの器に煮込みを盛っていく。 「いただきます」とラウニーが言い、オルドリッチとネルも唱和する。仕方なく、アヴァルも つぶや 早ロで呟いた。横目で見れば、他の部隊はそんなことを言わない。食事をしながらサイコロを ばくち 使って博打をしている部隊もある。アヴァルは、自分の隊の騎士の面々を見てみた。 雰囲気で決めつけるのもどうかと思うが、博打に縁のなさそうな面子だな : 「あ、けっこうおいしい」 勲「でしょ ? 前の宿場に寄ったとき、香草を何種類か買っておいたのよ。 「あんた、料理とか好きなの ? そうでなければ、そんな知識とかないんじゃない」 銀「好きっていうより楽しみたいのよね。ご飯って、毎日食べなくちゃならないじゃない。 なんて一日でも抜いたらもうへろへろのよろよろでお腹鳴りつばなしになっちゃうからさ。食 こんきゅう
104 叱るような口調で言われて、カインはやっとその可能性に思い至った。 「でも、それなら僕たちが昼に抜け出したのはまずかったんじゃないか ? 」 「私が部屋を出るときは、クローディアに手伝ってもらってごまかしたからな。あと、レイク。 卿は城下で充分に飲み食いしただろうが」 「だって、庶民です平民ですって顔したら食べたことないでしよ、どうぞどうぞって勧めてく れるんだぜ。おいしいですって顔したらかわいがってもらえるし。階級がどうのとか偉そうな こと言ってても、やりようはあるよな」 「大や猫をかわいがるのと変わらんぞ、それは 「一晩の雨宿りだったら大や猫の扱いでもいし あぜん カインは唖然として友人を見やる。そのたくましさには感心した。ファリアは呆れてものも しわ いえないという態で、ドレスに皺がよることも意に介さず、いつもの態度で椅子に座り、カイ うなが ンたちにも座るよう促した。 「さっき、アリキーノが、とか言ったよね。何の話なんだ ? 」 盗み聞き、という単語が気になり、声を抑えてカインはレイクに尋ねた。 「ああ、世間話に混ぜてちょっと聞いたんだよ。あれ、本人っほいぜ。特徴がいっしょだ。も てるのな、あいつ」 カインは再び驚いた顔で友人を見た。ただ談笑していたのではなかったのか。 「どんなふうに言われていた ? 」 しか
幻謁見するわけだけど、まったく情景が想像できないんだ。その後のことも」 その言葉に、友人が緊張しすぎているらしいと思ったのか、レイクは笑って言った。 「わかることだってあるぜ」 「たとえば ? 」 「お姫さんさ 自分たちのすぐ隣を進む馬車を指で示し、レイクはやや歪んだ笑みを浮かべた。その口調は 奇妙なことに楽しそうにも、また悲しそうにも聞こえる。 「インフェリアの使者と会ってからこっち、実におとなしいもんだったろ。そのまま、とうと うつぶん う王都に着いちまった。いいかげん鬱貭がたまってるだろうさ」 そうかなあ、とカインは友人の一一一口葉に疑問を抱いた。 「おとなしかったのは、クローディアさんに怒られたのもあるだろう」 「そんなもん三日も過ぎれば忘れちまうよ。一息ついたら、またおまえは振りまわされると俺 は予言するね。 スッラ 「どうして僕だけなんだ。君だって従衛だろう」 不満そ、つに一言、つと、レイクは諭すよ、つな目をカインに向けた。 「カイン、アレが暴走したとしよう。俺とおまえの二人がかりで止められると思うか ? 」 「絶対無理とまでは言わないけど、難しいだろうねー ばくえい クローディアの目を盗んで幕営を抜け出すぐらいだ。自分とレイクだけでは、間違いなく出 えつけん ゆが
情けない声をあげて、ファルファレロは席を立った友人を見上げる。 「これからここにグラフィアカーネの野郎が来るんだよ。それなのに、私を一人にして行って しま、つのか」 せりふ その台詞に、アリキーノは興味深げな視線を友人と向けた。 マレブランケ グラフィアカ 1 ネもアリキーノらと同じく十二将のひとりだ。彼はある命令を受けて王都を 離れていたはずだった。 「戻ってきたのか。首尾は ? 」 「先に届いた文書では、発見したときメナートスは既に死んでいたそうだ」 「事故か ? 」 「顔をこうーーとファルファレロは自分の指で、顔を縦一直線になぞった。 「二つに割られていたと書いてあった。文書はそれぐらいでね。詳しいことは、これからわか るさ。だから、ほら、もうしばらくつきあいたまえ」 ファルファレロとしては、ど、つしても単独でグラフィアカーネと会、つのは嫌らしい 「元々君の仕事だろう。それに、これ以上いると謁見が終わってしまう」 勲そう言われると、これ以上食い下がれない。ファルファレロは肩を落としたが、思いだした 騎ように席を立ち、棚の一つに歩みよる。奥に手を突っこんだ。 銀「これあげるよ ぼ・つすいけい 言いながら取りだしたものは、、、 しびつな紡錘形をした金属の塊だった。長さは、拳を縦にし
255 銀煌の騎士勲章 3 一度だけ、意識して笑顔になってみたことがあったが、 アウレリアは哀れみに満ちた視線で 「重度の歯痛に苦しんでいるようにしか見えないわーと言った。 申し訳ありませんと頭を下げ、直すよ、つ努めますと言葉を重ねるイングリドに、アウレリア はいいわよと軽く応じた。 「あなたの笑顔が私たちにだけ向けられているっていうのも悪くないわ。問題は態度ね。もう 少し堂々となさい。そうすれば、愛想のなさも凄みに化けるから」 敬愛する奥様にそう言われ、ついつい甘えて対外的にはほとんど無表情で通してきた結果、 愛想笑いはできないままである。 そんな彼女に、聞きこみは合わない役割だった。当人にもその自覚はあったが、イングリド は熱意だけで引き受けた。 見知らぬ他人が愛想のない表情と淡々とした口調で声をかけてくるのだ。訝しがられてほと んど相手にされず、中にはイングリドの態度を傍若無人ととって、話を聞こうとするだけで怒 りだす者まで現れる始末だった。話を聞いてくれたのは、十人に一人いたかどうか。 それでもイングリドはがんばったが、 元々不慣れな仕事である。 三日目で体調を崩し、五日目でカ尽きた。 「すいません : : : 」