カインの言葉に疑問を抱いたのか、ファリアの金色の髪がかすかに揺れる。彼女は腕組みを すると、白い裸身もそのままにカインを振り返った。胸こそ腕で隠しているが、それ以外が若 者の目の前にさらけ出される。 だが、カインがまっすぐ見つめたのは彼女の碧い瞳だった。 「ーー戦お、つ」 威勢のいい口調では、決してない。静かな、たった一つの想いに満ちた、とても澄んだ声 だった。黒曜石を思わせる瞳に強固で揺るぎない意志をこめて、カインは語りかけた。 「戦って、勝と、つ。ーー奪り返そ、つよ カインは真剣な顔で身を乗りだし、ファリアの右肩をつかむ。その表情の鋭さに、金色の髪 の皇女は小さく息を呑んだ。 「僕は、君を守る。守って、戦う」 いらだ 苛立ちを抑えきれないというように、ファリアは下唇を噛む。 「馬鹿か、卿は」 怒気だけでつくられた言葉を吐きだした。 「叛逆者として扱われることについて、少しでも想像してみたのか ? 最悪の場合、卿と親し くしていた者たちも、卿の故郷も疑われ、罰せられるのだぞ。そうならないとしても、叛逆者 あなど さげす に対して誰が好意を持つものか。卿の選択は、蔑まれ、侮られ、疎んじられる。卿と関わり合 いになったことを後海し、限み、責めるだろう。それを
インフェリアや都市国家連合に逃げれば助かるかもしれないが、そこで生きていかなければ ならなくなるのだろ、つ。 ファリアはど、つなる。 彼女は皇女だ。追っ手は、自分などに対するよりはるかに執拗なものとなるはずだ。そのく らいはカインにも考えられる。 隣に座っている少女に視線を向けた。なぐさめの言葉をかけるべきか考えて、内心で首を横 に振る。日々を過ごす場を奪われ、兄が捕えられ、自身は偽者呼ばわりされたこの状況で、 いったいどのような言葉が彼女を元気づけられるというのか。 「ーーーカイン 不意に、ファリアはカインの名を呼んだ。長い金色の髪で顔を隠したまま。 「卿は帝都に行け」 「どういう意味だ : ・・ : ? まじまじと、カインはファリアを見つめる。金髪の皇女は顔をあげると、頬や口元にかかっ た髪をかきあげた。疲れきった表情に、充血した感情のない瞳がカインを驚かせる。 スッラ 「私が皇女ではない以上、卿はもはや従衛ではない。卿に支払うべき給金もない。あの布告を 見ただろう。フルカスは卿らを受け入れるという。他の騎士や民衆からの信頼を得なければな おおやけ やくじよう らない状況で、公にした約定をまさか反故にはすまい」 「君はどうするんだ」 しつよう
「進軍は止める。だが、それは再編成と毒を抜くためだ」 スルスエ そうして二日が過ぎたとき、フォルネウスは帝都からの伝令を迎えた。 きよう こうきん パール卿と組んで ? 」 「フルカス殿が皇子殿下を拘禁しただと ? ヴェ 「はつ。騎士団長閣下におかれましては、至急、帝都にお戻りくださいますよう」 「馬鹿を一言うな。目の前に卑劣きわまる敵がいて、それを放置などしておけるか 「都市国家連合よりも、偽皇女のほうが厄介な存在なのです。その女が皇女を僭称したまま戦 とい、つことをフルカス卿は懸念されておられます。かといってフルカ 力を募るかもしれない、 ス卿の騎士は帝都防衛のために動かせませぬ。ヴァレフォルはハイラムの味方という態度を変 えないため皇宮から動かせませぬ。その配下の騎士たちも同様です。いま動けるのは、フォル ネウス卿だけなのです」 フォルネウスは面倒くさそ、つに手を振った。 「皇帝陛下のお言葉は ? 」 「皇子殿下と偽者の皇女が皇帝陛下を意のままに操っている、というフルカス殿の主張はわ おっしゃ かった。それについて皇帝陛下は何と仰られたのだ ? フルカス殿の勇気と忠誠を讃えられた ふんがい のか。それとも、非難し、憤慨されたのか。 「それはもちろん、讃えられました」 とっさに、騎士は答えた。 つの
278 「送っていくか ? 」 「その格好で ? カインはすかさず言葉を返し、おたがいに笑いあう。その拍子にカインの身体は痛みを訴え たか、どうにか顔に出すことは堪えた。こんなことで彼女に心配をかけたくはない。 それにしても。 皇女然とした姿のファリアには、やはり見惚れてしまう。夏の湖を思わせる碧い瞳には、彼 女にしかない明るさと強さが輝いている。彼女とともに戦ったことを、若者は誇りに思った。 「どうした。さっきから私をじろじろと見つめてー あわ 内心を見透かされた気がして、カインは顔を真っ赤にすると、慌てて首を横に振る。ファリ アは鼻を鳴らしたが、それ以上追及しなかった。 「まあよい。そうだ。卿にはひとっ言っておくことがあった」 ファリアの頬が、恥じらうように赤く染まる。一瞬ためらってから、彼女は言った。 「一言うまでもないことだが、私の出生のことについては誰にも秘密だ。たとえ卿の身内であろ うと漏らしてはならん」 「誰にも漏らさないと誓うよ」 カインは真面目な顔でうなずく。当然のことだった。帝国の権威や体面以上に、カインは ファリアを傷つけたくなかった。金色の髪の皇女はうなずいて、言葉を続ける。 「卿のことはもちろん信用しているが、それでも重大な秘密を知ってしまったのでな。卿は私 みと
「私のことなどどうでもよい。卿のことだ」 いままでに見たこともない凶悪な目つきで、ファリアはカインを見据えた。 「卿には二つの道がある。ここに留まって叛逆者となり、みじめに死ぬか。帝都へ戻って騎士 となるか。悩む必要のまったくない二択ではないか」 「本気で言ってるのかー あら ひる さすがにカインも怒りを露わにして、ファリアを睨みつける。皇女は法まず、当たり前のこ とを指摘するような態度と口調で言葉を続けた。 「よいか ? 卿には故郷がある。家族もいる。帝都での生活もあろう。日々を語りあう友もい よう。一刻も早く向かわなければ、それらをすべて失うのだぞ。さっさと帝都へ向かえ」 故郷や家族のことを持ち出されて、カインは言葉に詰まる。自分が分岐点に立っていること を、若者はあらためて思い知らされた。 ファリアのそばにいるか 帝都に戻るか。 胸を突かれたような痛みを、カインは感じた。どちらを選んでも、カインはも、つ一方を傷つ 勲け、それによって自身も後海するだろうことが、ありありと想像できた。 ファリアとともにあれば、家族は身内に叛逆者を持った者として扱われるだろう。故郷の名 の 銀 は、叛逆者の生まれ育った村という汚名を着せられる。帝都で親しくしていた人々も、後ろ指 期をさされるよ、つになるかもしれない。
絽くる足音が聞こえた。二人はともに敵から視線を外してそちらを見る。 けげん 現れたのはカインだ。銀髪の若者は、ファリアを見て怪訝な顔になった。 「どうしたんだい、わざわざ」 「ちょっと用事があって出ていてな。帰り道が近かったので、迎えに来たのだ」 答えながら、ファリアは意外そうな顔をする。カインの頭に手を伸ばし、髪をつまんだ。そ れを見たイングリドの右足が半歩分だけ前に出かかって、止まる。内心に湧いた怒りを、侍女 としての義務感が押し殺したのだ。 「切ったのか ? 卿はもう少し髪が長くてもよかったと思うが」 と田 5 、つけど」 「そ、つかな ? 僕はちょ、つどいい 「丁寧に櫛まで入っているな。卿が自分でやったものではあるまい。どこの医師だ ? 「彼女にやってもらったんだ」 嬉しそうに、カインはイングリドを見る。イングリドの表情は愛想の欠けた、つまりは普段 通りのもので、態度も控えめだったが、彼女はたしかに喜んでいた。それが、ファリアには正 確にわかった。 「ーーーなあ、カイン ややロの端を吊りあげ、ファリアは銀髪の若者を見上げる。 「卿の意見を聞かせろ。私は美人かどうか ? 」 「そりや、まあ、美人だと思、つよ
見つかって叱られ、書き直させられたのだった。 しかし、クローディアの人柄を考えればそんなことを報告するはずがない。黙っていればい いだろ、つとカインは考えたのだが、ファリアの反応は若者の予想と違ったものだった。 「いいや ? 問い詰めたら吐いたぞ。詳しいことは聞けと言われてな」 おもわずカインの顔が引きつる。それをファリアは見逃さなかった。ことさら優越感に満ち た表情で笑いかけられて、若者はかまをかけられたことに気づいた。その隣でレイクが溜息混 じりに天を仰ぐ。 「卿のそういう素直なところが私は大好きだ。すぐに顔に出る。それでーーこの馬鹿は何を書 いた ? 」 陸に打ち上がった魚を見る熊って、きっとこんな顔をしているんだろうな。 ふんぜん そんなことを考えながら、カインは正直に白状した。然とするファリアを、カインはなん とかなだめようとする。 「でも、クローディアさんに叱られたし、その報告書は破棄して書き直したんだから、もう見 逃してもいいじゃないか」 いんべい だらく 勲「卿も卿だ。同僚の悪事を隠蔽とは、堕落もはなはだしい。相手が相手なら不敬罪で即刻牢獄 入りだぞ。カビと石壁だけが話し相手となる貴重な体験をしてみたいか ? 」 煌 銀 こちらに飛び火した。 「悪かった悪かった。で、お兄様は何の用だって ? まさか本当に俺たちを叱りたいわけじゃ
する文官たち。武の重鎮である騎士団長は、ハイラムの後ろに控えているゴートⅡヴァレフォ ルのみだ。フォルネウスはアジューカスへ向かい 、リオンⅡフルカスは今月の皇宮警備担当で あるため、参列できなかった。 やがて、ヴェ パールが姿を現した。 きよう 「ヴェヾール卿。昨今、卿にとって不愉快な噂が流れており、それを否定するために査問を要 請し、私は許可した。よろしいか」 おお 「仰せの通りです、殿下」 、つや、つやしく、ヴェ パールは頭を下げる。 「では、卿の弁明を聞こう。ここにいるすべての者が証人となる」 「はい、それについては、殿下、つまり、こういうことなのです : パールは数十歩先のハイラムを見る。 緊張からか、額に汗をにじませ、うわずった声で、ヴェ たずさ まつりごと 左右には帝国の政事や軍務に携わる官僚や文官、名家の貴族らが列を為していた。 : こ、つい、つことだ ! 」 「つまり : 叫ぶのと、背後の大扉が勢いよく開かれるのと、どちらが先だっただろうか。剣や槍をかま えた姿でなだれこんできた騎士たちに、ほとんど誰もが反応できず、呆然として立ちすくむ。 重臣たちを囲むようにして四方から剣を突きつけ、更に数人の騎士たちが玉座のハイラム目が けて一直線に駆ける。 だが、それまでハイラムの後ろに控えていたゴートが、すばやい動作でハイラムの前に立ち
「皇宮からも連絡が、っていうのはどういう意味だい ? 」 「借家人の名義は皇宮だからな。いずれ、卿なり私なりが訪ねることを考えて、怪しまれぬよ しったい何をやらかしたのだ、あの男 うに言ったのだろう。無断で休んだ挙句に逃亡とは。、 僕のせいだろうか。 カインは小さく唸った。昨日、自分がもう少し穏やかに、理性的に接していれば、あるいは レイクは理由を話してくれたのかもしれない。すぐに姿を消す、などということにはならな かったのかもしれない。 「戻るぞ」 薄紫のスカートをひるがえして、ファリアは歩きだした。その言葉で我に返ったカインは、 あわ 慌てて彼女の隣に並ぶ。 「戻る、って : : : レイクのことはどうするんだ」 「諦めるしかなかろう。卿の説明が正しければ、つまり、あいつの方から探すなと言っている のだ。どうにもならぬ」 勲「だからって、探さないのか ? レイクの知りあいとか、友人とかを」 さえぎ 「あたってどうする ? 」カインの言葉を遮り、ファリアは足を止めて向き直った。 銀「見つけたとして、どうする。あいつが事情を話したとして、納得できれば笑って送りだすこ ともできるだろうが、納得できなければ喧嘩別れ。事情を話さなくてももちろん喧嘩別れだ。
嫺「インフェリアでも都市国家連合でもかまわぬが : : : そこで聖獣を召喚し、自在に駆ることが できると思っているのか、卿は ? 」 あお その問いを受けたとき、リオンは強風に煽られたかのようによろめいた。 「 : ・・ : どういう意味です ? いや、できるはずだ。王 見に、インフェリアの王城を魔物が襲った とき、我が国の騎士が聖獣を駆って討ち滅ほしている」 リオンの反論にも、ハイラムは凉しい表情で応じる。 「インフェリアの現在の王都は東寄りだからな。あのあたりまでは呼べる。だが、そこから少 し西に向かえばもう無理だ。何度叫ほうと、 いかなる国の言葉で唱えようと、聖獣は姿を現し はせぬ , 「証拠は ? 」 「ない。だが、 試すのはそう難しいことではなかろう。騎士を潜りこませてみるがいい」 「 : : : そのことが事実だとして」 なぜ、知らされていないのか、と言おうとしてリオンは黙った。直前で理由に思い当たった からで、ハイラムはそれを察したのか口を開く。 「卿の共犯者のように、他国に通じる輩がいるからだ」 たとえば、インフェリアに攻めこんだとする。