けってん 項羽の欠点は ひつよう どこが必要で どこが重要な土地か わからない ことにある かんよう 咸陽を捨て彭城に うつ 都を移し魏を守らず 」よしゅう じよし物うげんだい 徐州 ( 現代の徐州ではなく はうじよう 彭城より七十五キロの 地域 ) を守ったこと は画ゅうろ かんが ) 」うそう 補給路を考えれば敖倉を かくほ 確保しなければ ならなかったのにそれを しなかったことでも わかる おとこ ・ようへい 項羽は強兵に 頼るだけの 男だった こミ癶い一【を せいこ・つ らよっつよう 張良は 勝利を確信して 成皐へ引き返した かえ
ー◎誂 しょだいし・うかんしん 諸大将は韓信の しれいどお 指令通りに ほうじよう、、んこ、つ 彭城近郊に陣を さて あとはどうやって 項羽を城から 出させ垓下にまで おびき寄せるかだ これ地図を 持って参れ は ー 179 ー
会稽は 榮陽城から 逃げ出した , ′」たんたいしル 呉丹が太守を ~ していた かんぐんひやくまん 漢軍は百万からの たいぐんほうじよう 大軍で彭城を 攻めようとして おりまする おく だいじ 遅れれば一大事に ございます すぐ兵を あっ 集めて駆け つけよと 申されるか ミ彡 ー 149 ー
ゞー ほうじよう 彭城 は : の甸 0 し 申しあげまする おう 鍾離眛 きようはや 今日は早い 出仕じゃな
物を第に慂 第物 ヾ阿 彭城 Ⅲ〃ⅢⅧ′ その頃項羽は 愛する虞姫を はべらせ連日 遊興の日々を心 ころ
かんおうはうえっ 漢王は彭越どのを だいりようおう 大梁王に封ぜられた レ」じよう 五十の都城はことごとく はうえっ 彭城どのに与えられる あ・ : あのう ど もう一度・ あた ももちろん そうでござるが ゅめ まるで夢の はなし ような話だ もちろんこの おうしやくかん 王爵も漢あっての ものでござる かんはろ 漢が減びれば な ただの呼び名 だけにござる ももちろんで 「 ) ざる かんしんげんすい 韓信元帥を えいふしようぐん はじめ英布将軍は せい、」、つ すでに成皐に 向かわれた はうえっ 彭越どのもただちに せいこ、つ む 成皐へ向かわれ たい、」う た 大功を立てられん ことを /
へきみ : い 7 彡 : s 60 もんだい 問題は項羽が籠城し らようきせん 長期戦に持ちこめば ′、んひやく まんえんせいぐん わが軍は百ニ十万の遠征軍 しようかじようしよう 蕭何丞相がい力に ぶきひょうろう 頑張ろうとも武器兵糧は た いっか足りなくなり まする しっじん ではなせ 出陣せん ろうじよう では どうしろと 申すのじゃ しかし項羽は しろ あっ 兵を集めて城を 固めているとか これではそう簡単に お ほ・つじよう 彭城は落とせませぬ かんたん じよしルう 陽武から徐州まで 候補地を選び ましたがどこも しルせんじよう 主戦場としては 思わしくありませぬ こうはち いま最後の候補地を 調べておりまする ようぶ 、」うはち まず項羽を しろ 城からおびき だ 出すこと しルせんによう そして主戦場を どこにするかと い、つことです 3 ごヾ 0 ドゞこ、洋洋 ー 158 ー
時をおかずして よまん 五十余万の楚軍は つぎつきはっしん 次々と発進した 項羽は愛する 虞姫も車に乗せて 連れ出した一度 ほうじようかんぐん 彭城を漢軍に奪られた ことがあるため一 万一に備えたので ある ー 195 ー
みみんな おなかんが 同じ考えで あったのか 大王のために喜んで ~ 叩を捨てていった もの 者たちも同じ 考えで「 ) ざい 土 6 ー ) よ、つ ま待ってくれ . わしには そのようなこと そっけっ 即決できぬ かんが 考えさせてくれ きもち お気持はよく わかります 」か項羽・か まえ 彭城に入る前 までに何とか ご決意を : はうじよう
しかし呉の兵力を すぐにさし・向けよと いわれても じルんび 準備もかかる そうだん 相談してこ返事を いたす へいりよく ていきよう 鄭京 てい・よう 鄭京 かんぐんひやくまん 漢軍は百万で はうじよう 彭城を攻めようと しているそうな こ、つおう 項王はすぐに ぐんぜい 呉の軍勢を連れて 参れといって参った ひやくまん 百万で ござり まするか ー 150 ー